2014/10/08 - 2014/10/08
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frau.himmelさん
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ベルリンの壁崩壊25周年、いろんなところでいろんな展示が見られます。
ベルリンの壁記録センターの次にやってきたところは、プレンツラウアー・ベルク地区にある文化醸造所(クルトゥア・ブラウエライ:Kulturbrauerei)。
ここはその名のとおり元々ビールの醸造所だったところで、今はリニューアルされて、文化施設として活用されています。
ここに2013年11月からDDRの人々の生活の様子を展示する博物館が開館しました。
DDR(東ドイツ)というと、壁を乗り越えて逃亡しようとして射殺されたとか、家族が東西に別れ別れになったとか、秘密警察とか密告とかスパイとか、暗いものばかりという印象がありましたが、ここではそればかりではない、普通に生活を営んでいた人々の姿も紹介していました。
DDRは私達からみたら規制だらけの自由のない酷い国だと思ったけれど、普通の生活ではそれなりに前向きに生きている人々の姿を垣間見て、ちょっとほっとした思いがしました。
(2015.10.2 加筆修正)
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おっ、目の前ににゅっと現れた足の行列。
プレンツラウアーベルク地区はベルリンでも人気のトレンディスポット。
お店のディスプレーなども斬新で洒落ています。 -
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イヴニングドレスにボクシンググローブ姿の女性も斬新です。
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この付近は私にとってはとても馴染み深い街。
2007年にはこの近くに2週間滞在しました。
シオン教会の塔とテレビ塔も遠くに見えます。 -
足元をみると、金色のプレートが埋め込まれています。
これは「つまずきの石」と呼ばれます。
かってこの場所に住んでいたユダヤ人がホロコーストの犠牲になったという悲しみの石なのです。
プレートには、名前、強制収容所の名前、亡くなった日などが刻まれています。
このユダヤ人の家族はアウシュビッツ送りになり殺されました。 -
私の探しているところはここ、クルトゥア・ブラウエライ。
日本語では文化醸造所です。
名前のとおり、旧ビール工場を改装した文化施設になっています。 -
中にはレストラン、カフェー、映画館、クラブ、博物館などが入っています。
大変広い敷地です。 -
PALAIS 宮殿
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レンガ造りの機械室。
表のモニュメントからすると、今はスポーツジムにでもなっているのでしょうか。 -
「LIEBE」。
これ看板なのか、モニュメントなのか?
ちなみに「LOVE:愛」って言う意味。 -
面白い看板
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あまり広いので迷ってしまいましたが、この博物館を探していたのです。
入場無料でDDR時代の展示物が見られます。 -
まず入って最初は社会主義のお馴染み、ソ連の指導者達の胸像とプロパガンダ。
壁には「ソヴィエトから学ぶことは勝利を学ぶこと」の文字。 -
ドイツ民主共和国(東ドイツ)は1949年からベルリンの壁が崩壊した1989年まで40年間続きました。
これは「東ドイツ建国40周年」の式典の様子です。
この後間もなく壁は崩壊しました。 -
ここには主に、東ドイツの人々の普通の日常生活を写真で展示してあります。
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写真の人々はみんな楽しそうに笑っています。
東ドイツの生活に満足していた人々もいたはずです。 -
DDR時代の住居はと言うと。
労働者の夢の住宅、巨大集合住宅。 -
集合住宅の窓の1軒1軒には、それぞれの家族の生活がありました。
ファミリーの写真。 -
パネルの扉を開けるといろんな情報が。
1軒あたりの住居の広さは61?、意外と狭いですね。
下の数字は私にもよくわかりませんが、東ドイツ政府の1971年度の長期住居予想計画みたいなもの?
1990年には3,254,000戸の住宅が建設予定されていたが、実際の1990年には2,105,044戸しか達成できなかったということでしょうか。 -
DDRの結婚年齢は男性23.9歳、女性21.8歳。
また離婚率は32パーセント。結構多いですね。 -
そして女性が1人に1.94人の子供を出産し、初出産は22.1歳だった。
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街に出ると、キオスクの雑誌販売コーナーには魅力的な雑誌が何種類も並んでいます。
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着せ替え人形。
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人々の足だったスクーター。
・・・・
とは言うものの、東側の物不足は深刻だったようです。 -
DDRの大都市なら必ずあった「インターショップ」。
自国の通貨は使えず、西ドイツマルクやドルなどの外貨でしか買い物は出来ませんでしたが、そこにいけば西側の魅力的な品物がいっぱい並んでいます。
テレビでもウィスキーでもタバコでもラジオ、口紅でも何でもそろっています。 -
驚くことにこのテレビは日本製(シャープ)なのです。
欲しくても西側の通貨を持っていない人は指をくわえて見ているしかありませんでした。 -
インターショップに並ぶ人々。
展示方法にも工夫が凝らしてありました。 -
パネルのポケットを開けると・・・、
東側では手に入らない洗剤や、共産圏の若者があこがれていたジーンズが。
西側に親戚がいる人は誕生日のプレゼントなどで送ってもらったそうです。 -
次はレジャーです。
ここはたぶん旧東ドイツのリューゲン島の北の海。
海水浴で楽しんでいる人々。
数年前、東ドイツ出身のドイツ語の先生が話していました。
1,2年ほど前から申し込んでやっと国民休暇村のバンガローみたいなものが取れるのだそうです。
当たったときは嬉しかったそうです。
高級ホテルなどは高級官僚など用で庶民が使うことは出来なかった、と。 -
海外旅行。
東ドイツ国民が渡航できる国はtごく一部の共産圏だけでした。
チェコ・ポーランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・ソヴィエトなどが挙げてあります。 -
トラビ(旧東ドイツ製トラバント)の屋根にバンガローを積んで、家族で楽しい休暇に出発です。
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後ろ側。
干してあるのは海水パンツ?
確かに豊かではなかったけど、みんなそれなりに工夫を凝らして楽しんでいたのですね。 -
DDRのスローガン。
すべての善行はわれわれ社会主義のために。(拙訳) -
こちらはDDRの産業コーナー(?)。
いろんな分野の労働者が生き生きと働いている。 -
鉱山労働者、駅員、警察官、病院看護婦・・。
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工具
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東ドイツの紋章
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ワッペン、バッジなど
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1945年から1989年まで40年にわたって東ドイツを率いてきた指導者達。
左から、ヴィルヘルム・ピーク 東ドイツ初代大統領
2人目 オットー・グローテヴォール 東ドイツ初代首相
次からは国家評議会議長が元首になったので、二人は東ドイツ初代の大統領であり首相でした。
3人目 ウルブリヒト 初代評議会議長
右 ホーネッカー 東ドイツ最後の評議会議長 -
これらの指導者達によって、東ドイツ国民は小さい頃から徹底してマルクス・レーニン主義を教え込まれました。
写真は、6歳から10歳までの子供たちの組織ユンゲ・ピオニーレ。
そのほか、14歳以上25歳以下が参加資格を持つFDJ(Freie Deutsch Jungend)という団体もありました。 -
警察官あるいは国境警備隊の控え室?
制服や制帽、それに銃まで見えます。
世界最大の秘密警察国家だった東ドイツ。
東ドイツ国民の80人に一人は秘密警察職員だったそうです。 -
当時の映像なども嵌め込まれています。
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あ、ここはシュタージ刑務所で見たことがあります。
秘密警察の取調室のようです。
自国民の行動や発言、あるいは思想を監視するためにシュタージに情報を流していた非公式職員が延べ60万人もいたそうです。
何と東ドイツ人口の1割以上が秘密警察関係者という驚くべき事実がありました。 -
机の上にはシュタージのトップ、エーリッヒ・ミールケ(1907年 - 2000年)の写真。
彼は30年以上も秘密警察・諜報機関を管轄する国家保安大臣を務めました。
また、左手の電話はこのボタンを押すだけで特定の相手に繋がる特殊電話だった。 -
秘密警察が集めた膨大な個人情報はここに記録され。
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シュタージの倉庫。
東西ドイツ統一後、ドイツ政府の文書管理局に保管されました。
自分がシュタージに監視されていたと思える人は、誰でもこの情報を閲覧できます。
この文書を閲覧した人の中には、信じていた人が密告者だったケースも多く、長年の友情が壊れたり、人間が信じられなくなった人や、夫婦が離婚した人など悲惨な現実も待っていました。" -
またこれは、事情聴取で連れてこられた人を椅子に座らせて、こっそり中に布を仕込みます。
その匂いをガラス瓶に保存すれば「臭いのサンプル」が出来ます。 -
高級官僚の執務室。
壁にはホーネッカーの写真が飾られています。 -
充実した展示でした。
これが入場料無料だなんて申し訳ない。
興味がある方は是非ご覧になってください。 -
次は壁関係ではありませんが、前から一度訪れたいと思っていたユダヤ人墓地に向かいます。
ここから近いはずなのです。
文化 醸造所のレンガ色の壁、こちらは裏側にあたります。
広いですね。 -
ここで上品なご婦人にユダヤ人墓地への道を尋ねました。
「ここからだと2通りあるのよ、表の広い道を行くか、並木道を通るか。
せっかくだったらステキな並木道をいらっしゃいよ」と。
どうもこれが間違いだった・・・ -
ホント!
とっても雰囲気のいいプラタナスのトンネル。
でも、ここは見たことがあります。
たしか2年前にきたコルビッツ広場付近じゃない!? -
あの時もユダヤ人墓地を探したけど見つけられなかったのよね。
今日もまたウロウロ・・。
やっぱり素直に表道を選んだほうが良かったかな。
もう一度別な人に道を尋ねました。
私の聞き方が違ったのか、シナゴークの場所を教えてくれました。 -
もう疲れ果てて足は棒のようになっています。
ところが、途方にくれている私の目に飛び込んできたのはこれ。
ヴァッサートゥルム、ベルリン最古の給水塔なのです。
これが見えたからには足を引きずってでも行かなければなりません。
2年前、この近くのホテルに滞在しましたので、窓から見えるこの塔のことは知っていました。
ちょっと丘の上にあるし、時間がなかった私はそこに行かなくて後で大変後悔しました。 -
帰国して調べたら、ヒトラーの第三帝国時代、なんと強制収容所として使われていたそうなんです。
今は外観はそのままで住宅になっています。
この地下で、ユダヤ人や政治犯などを牢獄として押し込め、拷問なども行われていたのね。
なにかそれらしき痕跡はないかしら。 -
建物の周りを一周しましたが何も見つかりません。
周りは公園になっており、楽しそうに遊んでいる親子連れ。
子供たちが喜びそうなライオンの親子像。 -
ではもう少し頑張ってあの塔のところまで行ってみましょうか。
-
このスリムな塔も給水塔でした。
18世紀半ばからの産業革命の時期に多くの水が必要とされ、この丘には多くの給水塔が造られました。
さっきの強制収容所として使われていた給水塔も、その後増設されたものらしい。
ここにはいつもの蔦に絡まった古い建物が残っています。 -
中に入れそうで扉が閉まっているため入れない。
現在このエリアは、敷地全体が保存施設に指定されているそうです。
右手に見えるのはさっきの強制収容所として使われた塔の頭の部分です。
ここがどのくらいの高さにあるのかお判りいただけると思います。 -
もう足は限界。
やっとのことで丘の坂道を下って、シェーンホイザーアレーで見つけたこのレストランに飛び込みました。
蔦のからまった建物と屋根の上の白馬が気に入りました。 -
テントの中のうさぎ(?)も可愛い。
店員さんに、まずはビール、そして早くできてお勧めの料理をお願い!と。 -
出てきたビールをまずきゅっと!
おいしいー!
それにしても疲れました。
朝から歩きっぱなしで3時近くまで。
歳のことを考えなければいけません。 -
出てきたのはこのズッペ。これがなかなか美味しかった。
店員さんにこれなんていうの?って聞いたら「ゾーヤンカ」って答えが返ってきました。
ところがこの名前で調べても判らなかったので、ドイツ通の方に教えてもらいました。
「ソリャンカ」というロシア料理ではないですか、と。
ドイツ敗戦後、ソヴィエト赤軍が持ち込んだ料理で東ドイツで普及したものとか。
ハンガリーのグヤーシュに似たお味です。 -
食事をしてU2の駅に向かおうとしたら、このゼーネフェルダーの像が見えました。
上記ドイツ通さんが、たしかユダヤ人墓地の近くにこの像があるって教えてくださったのよね。 -
ゼーネフェルダーって言う人は「リトグラフ」技法の発見者だそうです。
この像をよく見ると可愛い子供が二人、一人は逆さ文字で「Senefelder」と書いていますし、もう一人は鏡でそれを写して読んでいます。
足の疲れもなんのその、ここまで来たらユダヤ人墓地に行かないわけには行きません。
なお、地下鉄U2ゼーネフェルダー駅は彼の名前がつけられています。 -
ところがここでも失敗!
大通りの反対側をせっせと歩いていたのです。
ここに教会があるけど、この裏側がお墓になっているのかしら?
中に入ります。 -
全くユダヤ教会らしくないですね。
しばしベンチに座って足休め。 -
内部は落ち着いた雰囲気です。
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グーグルマップで調べたらここは、Don Camillo Stadtkloster。
教会の時計はもう4時過ぎを指しています。 -
間違いに気が付き、反対側に渡ります。
これはなんでしょう? -
ここにJuedischenの文字が。
ここがユダヤ人墓地だったのです。
ところが苦労して苦労してやっと辿りついたのに、嗚呼無情!
月-木 8:00-16:00。
さっき閉まってばかりでした。 -
諦めきれずに、門扉の中にカメラを差し入れて写真を撮ります。
ユダヤの星のマーク。 -
諦めきれずにお墓の中も写します。
ウィーン中央墓地を見てきた私にはなんだか素朴なお墓って感じがします。
ここに画家マックス・リーバーマンほか有名人が眠っているのです。 -
まあ、これも運がなかったのよね。
次回の課題にします。 -
ちょっと残念な気分を引きずりながら、U2ゼーネフェルダー駅にやってきました。
さあ、これからどこに行きましょう。
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