2014/10/13 - 2014/10/27
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yamada423さん
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ブロンテ・パーソネージ博物館 2014.10.17 12:40
Bronte Parsonage Museum/Dining Room/Charlotte Bronte
ブロンテ3姉妹が暮らした家はブロンテ博物館となり、父のパトリックの書斎や寝室などが当時のままの形で保存され、ブロンテ姉妹の遺品や遺稿とともに展示されている。
スコットランド・フランスの旅2014
写真旅行記 Travel Photo Essay "Scotland and France 2014"
2014.10.13(月)ー10.27(月)15日間
スコットランド・フランスの旅2014
第10回 ブロンテ姉妹の故郷ハワース Haworth,Bronte Village
10月17日(金) 晴 17℃
ブロンテ・パーソネージ博物館The Bronte Personage Museumはホテルの裏の駐車場を横切ると目の前に案内看板が見え、そこから30m先にあるが、それがホテルを選んだ理由だ。
博物館に隣接する事務所でチケットを買い、入館前に外のベンチで一休みしていると、クレジットカードを持った女性が近づいてきて、「これ・・・」と見せたのでハッとした。
チケットをカードで買ったときにレシートと一緒に返すのを老婦人のレジ係りが忘れたようだ。ここで休憩していなかったらどうなったろうと考え、ぞっとした。これからは自分も気を付けよう。
ブロンテ博物館はとても見応えがあった。
姉妹たちが実際に生活していた部屋が当時のままで(多少は改造され)残っているので、イギリスの中流家庭の質素でも豪華でもない、それでいて英国の伝統を守った豊かさが感じられる、心休まる空間が保たれている。
室内の写真撮影は禁止だが、Bronte Parsonage MUSEUMの写真ブック(6.95ポンド)に詳しく掲載されているのでいくつか転載する。
著名な画家ジョージ・リッチモンドGeorge Richmondno の肖像画を元に、シャーロットの死後、ブランウェルの友人J.H.Thompsonが描いたポートレート(肖像画)は小説の主人公のジェーンのイメージを大きく膨らませてくれる感動的なもので、映画とはかなり異なる好印象だ。
ジェーン・エアと嵐が丘を初めて読んでから50年以上経ってから訪れることがようやく叶ったブロンテ姉妹の故郷は、遠い記憶の中から蘇った小説の舞台を見るようで、言葉に表せない静かな感動と懐かしさに満ちて、いつ死んでもいいなと心底思った。
ジェーン・エアはこの旅行前に4回目を半分(新潮文庫上巻)読んだ。
博物館の案内係の婦人にそのことを話したら、「私は2回よ」と。
下巻は最後の旅路で読むためにとっておこうかな。遺言しなくては。
余談だが10月24、25日に訪ねたパリの友人宅で、夕食後の会話でブロンテ姉妹の故郷ハワースへ行ったことを話したら、奥様がリビングの壁面いっぱいの本棚の最上段から(踏み台に乗って)一冊の本を取り出し、「これは私が(若いころ)初めてプレゼントされた本よ」と言って「嵐が丘(原題:Wuthering Heights)仏語:Les Hauts de Hurlevent」を見せて(手渡して)くれた。
フランスでもよく知られた人気の作家であることが瞬時に理解され、しばらくはお互い、それ以上の言葉をかわすことはなかった。
その本は袋綴で、自分で切って読んだそうだ。
日本でも袋綴は今でもあるがエロ雑誌と説明しようとしたがなかなか英語が思い出せず、erotic magazine?と聞かれて頷く始末だった。
ご夫婦とも英語はもちろんロシア語が堪能で、奥様はロシアの文化をフランスに紹介する仕事を今でもされているそうだ。
パリに住む友人夫妻(右)とベルサイユに住む友人(シャンティイ城にて)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/38/61/50/src_38615037.jpg?1568625529
ブロンテ姉妹がよく行き来したと言われるブロンテ・ウェイBronte Wayへの行き方をショップの女性に訊いて向かった。
パリッシュ教会Parish Churchの裏の道に案内表示があったので分かったが、次第に丘の上へ登る道で、ハイキングのようで大変だった。
首から下げたカメラが重く、肩が痛くなるので手で提げた。
20分ほどでペニストン・ヒルPENISTON HILLに着いた。天気はよく風があったが寒くはなかった。気温は17,8度ぐらいか。
しばらく、周囲が遠くまで見渡せる荒野の中を、風にたなびく枯れ草と緑の低灌木が半ばの丘の途中まで歩いたが、ホテルへ預けられずに持っていた荷物(リュックと手提げ)が重いので道端に放置して進むと池があった。直径20mほどで静かな水面に映る空がのどかな感じだった。周りに大きな岩がいくつもあったので腰を下ろして休んだ。
しばらくすると犬を2匹連れたおばさんがやって来て、犬にテニスボールを投げて獲りに行かせる運動をさせていたので少し会話した。
途中で5マイル先の町に住む21歳の孫娘からという電話を受けていた。
ペニンストン・ヒルを下り、3時のチェックインまでには時間があるのでメイン・ストリート(固有名詞Main Street,Haworth)のカフェでケーキと紅茶で休みながらこの日記を書いている。
3時になるのでホテルへチェックインして、一休みしてからカメラだけ持ってメインストリート入口交差点を横切り、大きなセントラル・パークを抜けハワース駅まで行ってみた。跨線橋からは駅構内に2両のSLが見えた。駅の入り口に掲示された列車時刻表を調べ、明日乗ることにした。18日(土)HAWORTH発は9:05、10:20、11:00、12:36、14:06などだが全てがSLではないらしい。11時以降にSLマークがある。
帰りは公園内の近道を抜けた。
ホテルへ戻り、ウェルカムドリンクのワインを飲んで6:50に目覚ましをセットして昼寝した。
7時過ぎに夕食に出かけた。パブ・レストランで、にぎわっていそうなところをいくつか覗いてメイン・ストリート中ほどのThe Fleece Innに入った。住所は67 Main Street Haworth B022 80A
ビール 1/2pラガー
Scampi(エビ)のフリッター、フライドポテト、緑豆のマッシュ。
以上で10.7ポンド(¥1920)
となりの席の7、8人の地元のグループの一人(男)が、ビールはとなり町の醸造所の特産がいいと奨め、自分のビールを差し出して味見してみろと言ってくれたので、奨められた通り味見してそれを選んだ。
いかにも地ビールといった濃厚でスッキリ感は少ないビールだが、美味しかった。ピルスナーとは違う味だ。
こんな経験は初めてなので、心温まる扱いに言いようのない喜びを感じた。
帰りにみんなの写真を撮った。
向かいのテーブルのカップルが注文したフィッシュ・アンド・チップスが美味しそうだったので写真だけ撮らせてもらった。
20:50ホテル帰着。
■旅行計画要約(毎回掲載します)
Abstract of the trip to Scotland and France
http://4travel.jp/travelogue/10935919
イギリスは自動車会社Hの研究所勤務時に、1980年代初頭から90年代半ばまでローバーとの共同開発を含むjoint businessの機会に何度となく出張し、イギリス人から生きた英語を学んできたので、私にとっては学生時代に交流があったフランスとならび特別な親近感を抱く外国。
しかしいつしか高齢となり、いつまで海外旅行ができるか分らなくなったため、一度も行ったことのないイングランドと地続きのスコットランドへ行ってみたくなり、半年ほど前に今年の旅行先に決めた。
先日のスコットランドの独立の是非を問う国民投票が公示される以前のことだ。
体質の関係で日本酒は全くダメだが、ウィスキーは好きで、最近は飲む機会が少ないが、昔はオールドパーのボトルキープができた古き良き時代もあった。水で割ってはせっかくの香りが薄まるのでロックがよい。
イギリスへ出張を繰り返していた80年代に、イギリス人に緑の三角形の瓶で知られたシングルモルト・ウィスキーの草分けグレンフィディックGlenfiddich(現在はサントリーが輸入・販売)を土産に奨められたこともあった。
スコットランドからの帰りにヨークおよびハワースへ立ち寄るのも大きな目的。
ヨークは鉄道好きには聖地のような国立鉄道博物館がヨーク駅に隣接している。世界で初めて時速200Kmを超えた蒸気機関車マラード号を始め機関車103両、客車176両、日本の新幹線もあるそうだ。(ブルーガイド・イギリスによる)
ヨーク大聖堂や2000年の歴史を刻む城壁や城門も楽しみだ。
「嵐が丘」を書いたエミリー、「ジェーン・エア」のシャーロッテ、「アグネス・グレイ」のアン(あまり知られていない)の3姉妹の生まれ育った荒野の中の小さな村で、シェークスピアが生まれたストラットフォード・アポン・エイボンと並ぶ「英国文学の聖地」ハワースは死ぬ前に訪れなくてはならない場所と思っていた。
私は女性ではないが、ジェーン・エアのあの性格(向上心・質実・努力・情熱・美的感覚・・・)に共感し、自分の人格形成に多くの示唆を与えてくれて何度も読んだ小説が生まれた自然環境(背景)に少しでも触れてみたい気持ちを生涯持ち続けてきたが、この歳になってようやく実現できそうで嬉しい気持ちでいっぱいだ。
後半のフランス訪問については、
昨年(2014)4月に1964年の東京オリンピックの直前の8月に日仏学生交流プログラムで来日したフランスの学生たち(3つの大学の内の1つ)が50年ぶりに再来日することになり、2日間の都内見学の計画づくりと案内に奔走した。
彼らがその後鎌倉・箱根・京都・広島・奈良・大阪を回り、帰国後のメールのやり取りでスコットランド旅行の計画を伝えたところ、その帰りにぜひフランスにも足を延ばして再会したいと言われ、誘いに乗ることになった。(7月)
リヨン、エクサンプロヴァンス、パリの3都市だが、いずれのお宅も部屋はたくさんあるのでホテルの手配は要らないと言ってくれているので助かる。
4月の受け入れ時にはコーディネーターを務めたので、奥様方を含め16人のメンバー全員と顔のつながりができているため、とても楽しみにしている。
撮影 CANON EOS40D EF-S17/85
PowerShot A2300
スコットランド・フランスの旅2014 1.東京からエジンバラまで http://4travel.jp/travelogue/10948376
スコットランド・フランスの旅2014 2.スコットランドの自然探訪
http://4travel.jp/travelogue/10949966
スコットランド・フランスの旅2014 3.スコッチウィスキー蒸留所ツアーhttp://4travel.jp/travelogue/10951228
スコットランド・フランスの旅2014 4.エジンバラの街歩き
http://4travel.jp/travelogue/10953587
スコットランド・フランスの旅2014 5.エジンバラ城
http://4travel.jp/travelogue/10958956
スコットランド・フランスの旅2014 6.ロイヤル・マイルとスコティッシュ・ダンス
http://4travel.jp/travelogue/10959995
スコットランド・フランスの旅2014 7.ヨークの国立鉄道博物館
http://4travel.jp/travelogue/10961797
スコットランド・フランスの旅2014 8.ヨーク大聖堂と街歩き
http://4travel.jp/travelogue/10961819
スコットランド・フランスの旅2014 9.ヨークからハワースへ
http://4travel.jp/travelogue/10971857
◇イギリスのウィリアム王子の第二子(女)の名前(first name)がシャートットに決まったニュースを聞いて内心嬉しかったです。2015.5.4
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- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ブリティッシュエアウェイズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- JTB
-
2014.10.17
これから午後にかけてがお目当ての博物館です。
ホテルの裏の駐車場を横切ると目の前にブロンテ・パーソネージ博物館の案内板が見え、そこから30m先にあるが、それがホテルを選んだ理由だ。 -
ブロンテ・パーソネージ博物館The Brontё Personage Museum
-
木の枝と重なって見づらいが、BRONTE PARSONAGE MUSEUM の切り抜き看板
博物館に入る前に建物の裏のロビーでチケットを購入してください
Please purchase your tickets from the foyer at the rear of the building before going into the museum. -
博物館の前庭は回遊式になっており、たくさんの種類の植物が植えられています。
ここで草花を撮影中に、引率された女子学生らしき外人グループの一人がはしゃぎまわって邪魔したので睨んでやった。
何度か謝ろうとしたが受け入れる気にはならなかった。彼女にはいい薬になったと思う。
「ブロンテ姉妹のような感性も知性も持ち合わせない奴らはこのブロンテ博物館に来る資格はない」
"Those who had no sense nor intelligence like Bronte Sister's should not come here !"
と引率者に聞こえるような大声で言ったやりたかったが、シャーロット色の自制心が勝った。 -
THIS TREE COMMEMORATES
THE FIFTIETH ANNIVERSARY
OF THE OPENING OF
THE PARSONAGE MUSEUM
ON THE 4TH AUGUST 1928
この樹はブロンテ・パーソネージ博物館の開館50年を記念するもので1928年8月4日に植えられた。 -
イチオシ
木漏れ日を映すブロンテ・パーソネージ博物館
The Brontё Personage Museum under sunshine filtering through foliage. -
博物館の案内人のご婦人が撮ってくれました。
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前庭のイングリッシュガーデン
The English garden in front of the Brontё Personage Museum -
表紙写真
-
ブロンテ・パーソネージ博物館公式ガイドブック
Brontё Parsonage MUSEUM
Burontёの最後の文字はギリシャ語のёです。
Parsonage: 教区牧師館 -
ブロンテ・パーソネージ博物館 公式ガイドブック
Brontё Parsonage MUSEUM Official Guidebook
博物館内は撮影禁止のため公式ガイドブックの主要なページを転載します。
スキャナーで読み込んだ10M以上の大きなデータのため、拡大しても鮮明に見えます。
Click of the picture enlarges letters and enables to read it. -
はじめに INTRODUCTION
ブロンテ・パーソネージ博物館は偉大なる英国文学の聖地の一つで、世界中から名高い家族の故郷への訪問者を魅了する。 -
ダイニングルームとシャーロットの肖像画(右頁)
-
ブロンテ家の家族 Brontё family
父 レヴァーンド・パトリック Reverend Patric Brontё 1777.3.17-1861.7.7 aged84
母 マリア・ブランウェルMaria Branwell 1783-1821
長女 マリア Maria 1813-1825
次女 エリザベス Elizabeth 1814-1825
三女 シャーロット Charlotte 1816-1855 aged38
長男 パトリック・ブランウェル Patric Branwell 1817-1848
四女 エミリーEmily 1818-1848 aded30
五女 アン Anne 1820-1849 aged29 -
牧師館ツアー TOUR OF THE PARSONAGE
1.入り口 Entrance Hall
このジョージ王朝時代の家は、1778年にヨークシャー地方の石を使って建てられた。
1世紀の後、ブロンテ師の公認のジョン・ウェイド師は、切妻部分を増築した。この部分は、現在図書館と展示室になっている。家の、元々ブロンテ家であった部分には、一家の家具や個人の所有品が置かれている。建物はハワース在住のジェームス・ロバーツ卿により、1928年にブロンテ協会に寄贈された。 -
シャーロトは、ホールと供部屋をなくして、食堂と二階のベッドルームを広げる等、家に様々な修復を施した。家具のほとんどはブロンテ家のもので、装飾は当時のものである。
-
2.ブロンテ師の書斎 Brontё's Study(Reverend Patrick Brontё)
(入って)右側の部屋はブロンテ師の書斎で、主に教区に関する仕事に使われた。
彼はよくここで食事をしたので、彼の食卓がサイドテーブルに設けられている。
詩篇集と拡大鏡が暖炉の前の机の上にある。小さい竪型ピアノは子供達のもので、主にエミリーが弾いていた。 -
3.食堂 Dining Room
この部屋は姉妹が色々なことをして過ごした部屋である。アンが暖炉の囲いに足を乗せて座ったロッキングチェアーや、エミリーがその上で亡くなったというソファもある。シャーロットの伝記を書いたギャスケル夫人は、部屋の主な色調は深紅色だったと書いている。ヤーロットは次のように書いている。
「食堂のカーテンができました。私は工場で深紅色に染めてくれるように注文したのですが、ひどい染で、ちっとも気に入りません。」
マントルピースの上にはリッチモンドが描いたシャーロットの肖像画の複製が掛けられており、ソファの上にはレイランドによるパトリック・ブランウェル・ブロンテの円形浮き彫りの石膏像が掛かっている。他の壁には、シャーロットの敬愛するウェリントン公爵とウイリアム・サカレーの版画がかかっている。部屋は彼女が作家として成功した時に拡張された。 -
別な角度から見た食堂
黒いソファが見える。 -
4.台所 Kitchen
この部屋は1878年に大改造されて通路となった。窓はふさがれ、新しい出入口が造られ、古いかまどは取り除かれた。台所は可能な限り改造され、元々あった家具が再び入れられた。エミリーは毎週このテーブルでドイツ語の書物を読みながらパンを作った。
台所用品やここに展示されている食器類は、全てブロンテ家のものである。 -
5.ニコルズ師の書斎 Mr Nicholl's Study
この部屋は庭から入る貯蔵室を改造して作られた。1854年5月にシャーロットは、やがて夫となるニコルズ師の書斎とするため、床の高さを変え、暖炉を作り、新しい窓を取り付けた。壁には、1879年に取り壊されたハワース・オールド教会の信徒席の扉が付いている。
階段を登るとブランウェルの3姉妹の肖像画の複製が見られる。ここは又、ブロンテ師がベッドへ行く途中にネジを巻いていた大きな時計も見られる。 -
6.召使の部屋 Servant's Room
この部屋は、もとは裏庭にある外の石段からのみ入れるようになっていた。タビサ・エイクロイドは、1825年に一家のために働きに来て、30年間仕えた。彼女は1855年に亡くなり牧師館の庭の塀の向こう側に埋葬されている。マーサ・ブラウンは、10才の時に手伝いに訪れ、ブロンテ師が亡くなるまで仕えた。家のこの部分は、ブロンテ一家の時代に作り直された。西壁の縦に仕切った石の窓は封鎖され(暖炉の右側部分に跡が残っている)、現在の南窓が作られた。 -
7.シャーロットの部屋 Charlotte's Room
右手正面が、ブロンテ夫人Mariaが1821年になくなった部屋である。幼い子供達は、夫人の姉エリザベス・ブランウェルElizabeth Branwellに世話をしてもらうことになった。ここでブランウェル叔母は、少女達に細かい針仕事や家事を教えた。シャートットの小さな靴やドレスが、姉妹の色々な持ち物や、一家の陶磁器と共にに展示されている。非常に珍しい炉の火格子もこの部屋にある。
このドレスはシャーロットがアイルランドへの新婚旅行で着たもので、スカートと
ボディス(胴部)が分かれており、オリジナルのストライプのラベンダー色が色褪せてしまった。 -
イチオシ
シャーロットの肖像画 Portrait of Charlotte(1816−1855)
著名な画家ジョルジュ・リッチモンドGeorge Richmondによる画を元に、シャーロットの死後ブランウェルの友人のトンプソンJ.H.Thompson によって描かれた。
ブランウェル・ブロンテ:ブロンテ家唯一の息子(1817−1848) -
8.子ども部屋、後にエミリーの寝室 Children's Study
この部屋は、かつてはもっと広かったが、1850年に行われた改装の際に狭められた。子供達は子供部屋として使用し、ここで遊んだり読書したり、おもちゃの兵隊の冒険談を空想して書いたりして、幸福な時を過ごした。
ここは後にエミリーの寝室となったと思われる。 -
9.ブロンテ師の寝室 Mr Brontё's Bedroom
ブロンテ師は妻の死後にこの部屋を使い始めた。後にはブランウェルト共に使用した。半天蓋のベッドは、ベッドに横たわったブランウェル自身を描いた絵をもとに復元されたものである。他の家具や衣類はブロンテ家が所有していたものである。 -
パリの友人の奥様が見せてくれたエミリー・ブロンテの「嵐が丘」(仏語:Les Hauts de Hurlevent)
<旅行記抜粋>
余談だが10月24、25日に訪ねたパリの友人宅で、夕食後の会話でブロンテ姉妹の故郷ハワースへ行ったことを話したら、奥様がリビングの壁面いっぱいの本棚の最上段から(踏み台に乗って)一冊の本を取り出し、「これは私が(若いころ)初めてプレゼントされた本よ」と言って「嵐が丘(原題:Wuthering Heights仏語:Les Hauts de Hurlevent)を見せて(手渡して)くれた。
フランスでもよく知られた人気の作家であることが瞬時に理解され、しばらくはお互い、それ以上の言葉をかわすことはなかった。
その本は袋綴で、自分で切って読んだそうだ。 -
庭の片隅に置かれたベンチ
-
博物館前の小径のベンチの飼い主につれられた元気な犬。
-
ペニンストン・ヒルPeniston Hillへの公道
Public Footpathとわざわざ書かれているのは私道が多いためと思われます。 -
パリッシュ教会 Parish Church
牧師としてここで説教をしていた父親のパトリックを筆頭に、ブロンテ一家が長い時間を過ごした教会
正式名はハワース・パリッシュ教会
Haworth Parish Church
http://www.haworthchurch.co.uk/ -
-
ブロンテ家の墓
-
THIS WAS THE SITE
OF THE GATE LEADING
TO THE CHURCH USED BY
THE BRONTЁ FAMILY,
AND THROUGH WHICH THEY
WERE CARRIED TO
THEIR FINAL RESTING PLACE
IN THE CHURCH.
ここはブロンテ・ファミリーが教会へ行くのに通った場所で、また、ここを通って家族が教会の永遠の休息の場所へ運ばれた。 -
手作りの土産物屋のようです。
-
パリッシュ教会 Parish Church
-
ペニストン・ヒルへ向かう小径
-
土地の境界には自然の石を積み上げた石垣が延々と続く。
-
黒いニワトリとホロホロチョウ?
-
湖水地方にもこのような石積みの境界壁が見られます。
-
-
歩道
TOP WITHENS 3 1/2 mls
BRONTE FALLS 2 1/2 mls
BRONTE WAY -
イチオシ
-
ペニストンヒルまでは上り坂が続きます。
-
坂道を振り返ると遠くの村の家が見えます。
-
イチオシ
ペニストン・ヒル
PENISTON HILL COUNTRY PARK -
ペニストン・ヒルの池 13:13
-
風になびく草原
-
犬にボール投げ運動をさせる近所の住人
-
イチオシ
-
PowerShotA2300による画像ですが、EOS40Dとは色調が違います。13:17
-
牧場の白い点は羊です。
イギリスの牧場は冬は緑におおわれて、小型飛行機から見下ろすと白い点がよく見えます。 -
イチオシ
これがブロンテ姉妹の故郷ハワースの風景です。
-
この風景は東山魁夷の道を思い起こさせます。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20170912/ -
-
牧場には牛もいます。
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-
「村へ通じる道は、車椅子には適しません」
-
イチオシ
パリッシュ教会 13:52
正式名はハワース・パリッシュ教会
Haworth Parish Church
http://www.haworthchurch.co.uk/ -
-
ハワース教会の裏口?
Haworth Parish Church
http://www.haworthchurch.co.uk/ -
メインストリートの一番奥(上)近くにある郵便局 13:54
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メインストリートの終点にある観光案内所
Visitor Information -
BLACK BULL
パブ・レストラン、B&B -
左の道がメインストリート 13:56
このあとメインストリートを中程まで下った所のカフェで、紅茶とケーキでランチを兼ねて休憩し、3時にホテルが開くのを待った。 -
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3時になったので石畳のメインストリートを登って行きます。15:00
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急ぐこともないので、両側の店を覗きながらです。
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メにインストリートから横に入る道は直角ではなく、魚の骨のように斜めに入ります。坂の途中という地形の事情と思います。
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再び観光案内所へ戻りました。15:14
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パブ・レストラン The King Arms 15:14
右側の道がWEST LANEで、途中に今夜のホテルWILSONSがあります。 -
ホテル Old White Lion
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ホテル前の通り WEST LANE
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ホテルWILSONS外観
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ホテル入口 15:15
11時半頃来たところ、外の白いドアは開いたが、内側のドアは施錠され、「チェックインは15:00〜」の表示。
荷物を預けることができず、仕方なく持ち歩いた。
博物館にロッカーがあるかどうかの確認はし忘れた。 -
ホテルWILSONSのシングルルーム 50ポンド ¥9000
予約時に半額25ポンドカード引き落としで、現地で残金を精算 -
リフォームしたばかりのようでした。
-
ホテルの朝食メニュー
WILSONS Breakfast Menu -
ホテルの階段
-
ホテルの裏の駐車場の券売機 16:00
1時間まで 60ペンス
2時間まで £1.20
3時間まで £1.80
3時間以上 £4.00 -
再びブロンテ・パーソナージ博物館の前を通り、ハワース駅まで散策に出かけます。
16:02 -
博物館の入口で記念撮影
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ハワース・パリッシュ教会
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ビッシリと赤い実をつけた紅紫檀(ベニシタン)16:06
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イチオシ
裏通りのカフェ 16:09
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メインストリートを下って公園へ向かいます。16:16
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メインストリートをゆっくり下りながら、夕食に適しそうなレストランの目星をつけた。
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セントラル・パークのトイレ
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セントラル・パークの案内板 16:22
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シロクマのような・・・
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公園を出て駅へ向かいます。16:29
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ゲストハウスの壁にはツタの紅葉が秋を感じさせます。
Rosebud Cottage Guest Houseの看板
Rosebud:バラのつぼみ -
こちらから見ると3階建です。
-
イチオシ
ハワース駅構内の機関車
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ハワース駅 16:36
-
ワース渓谷鉄道の時刻表
WORTH VALLEY TRAIN TIMES
2014年3月1日ー10月31日
月日によって適用する時刻表が色分けされています。
明日10月18日はB(グリーン)です。
ハワース発10:20に乗る予定ですがD(ディーゼル機関車)です。
SLは次の11:06ですが、ロンドンまで行くのでヨークでの乗り換えがあり間に合いません。残念でした。
10月は運行日が少なく、土日を中心にして半分程度しかありません。 -
乗車予定の2014.10.18に適用される時刻表
Timetable B-"Green Timetable"
D(ディーゼル)とSLマークが付いています。
次回に15分の乗車記を載せます。 -
ハワース駅のホーム 16:42
トイレは男女の他に身障者・幼児用があります。 -
チケット売り場と待合室
TICKET OFFICE AND WAITING ROOM -
駅前のバス停BUS STOP
系統番号500,664,665のいずれもキースリーのバス・ステーションへ行きます。
等間隔で毎時1本運行するので、最長でも20分待てば乗れます。
7:22〜18:42 -
駅構内の跨線橋
-
跨線橋から見た貯炭場(石炭置き場)16:45
何種類かに分かれています。 -
ホテルへ戻る途中で再びセントラル・パークを通りました。
-
体格が全く違う二人がバネ式のシーソーに乗っていたので、
"Big different weight"(重さがぜんぜん違うよ)と声をかけたら、お姉ちゃんはプイッとして行ってしまいました。
カエデの黄葉が始まっていました。 -
自然のままに成長すると、樹高と枝先の広がりは、ほぼ同じになります。
新宿御苑のヒマラヤスギでも見られます。
http://4travel.jp/travelogue/10476176 -
セントラル・パーク前のHall Green バプティスト教会
Baptist Church, Haworth, West Yorkshire
http://www.hallgreenchapel.org.uk/ -
The Kings Arms パブ・レストラン
-
向かいの席の客のフィッシュ&チップス
-
7時過ぎに夕食に出かけた。パブ・レストランで、にぎわっていそうなところをいくつか覗いてメイン・ストリート中ほどのThe Fleece Innに入った。住所は67 Main Street Haworth B022 80A
ビール 1/2pラガー
Scampi(エビ)のフリッター、フライドポテト、緑豆のマッシュ。
以上で10.7ポンド(¥1920) -
イギリスのパブの床はジュータンが一般的です。
ペットのためにそうしているわけではないでしょう。 -
-
イチオシ
となりの席の7〜8人の地元のグループの一人(左の男)が、ビールはとなり町の醸造所の特産がいいと奨め、自分のビールを差し出して味見してみろと言ってくれたので、奨められた通り味見してそれを選んだ。
いかにも地ビールといった濃厚だがスッキリ感は少ないビールだが、美味しかった。ピルスナーとは違う味だ。
帰りに写真を撮らせてもらった。
こんな経験は初めてなので、心温まる扱いに言いようのない喜びを感じた。 -
レストランの外観 20:23
-
ホテルOld White Lionの夜景
-
The King Arms
-
中は賑わっていますが、喫煙は外でしかできないようです。20:33
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