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『私が絵を描く本来の意義は、道端にも小さな奇跡が発見できると人に伝えることにある』   アロイス・カリジェ<br /><br />カリジェの故郷、トゥルン。<br />カリジェの愛した風景を巡り、彼の作品と出会い、カリジェの風を感じながらながら、ウルスリ君やフルリーナちゃんの笑い声を木々の中に感じながら歩いてきました。私に与えてもらった思いを、みなさんと共有できたらうれしいです。<br /><br />

2014 スイスの田舎町とミュンヒェン『小さな奇跡』にであう旅 ⑥  カリジェを巡って・トゥルン編

65いいね!

2014/06/26 - 2014/07/01

1位(同エリア4件中)

23

89

フルリーナ

フルリーナさん

『私が絵を描く本来の意義は、道端にも小さな奇跡が発見できると人に伝えることにある』   アロイス・カリジェ

カリジェの故郷、トゥルン。
カリジェの愛した風景を巡り、彼の作品と出会い、カリジェの風を感じながらながら、ウルスリ君やフルリーナちゃんの笑い声を木々の中に感じながら歩いてきました。私に与えてもらった思いを、みなさんと共有できたらうれしいです。

旅行の手配内容
個別手配

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  • 今回は、スイスとミュンヒェンの旅だったのですが、その目的の大きな一つが、ペンネームに使わせてもらっているフルリーナちゃんの生みの親カリジェの故郷トゥルンを巡ること、そして本物の「フルリーナ」ちゃんの絵に会うことと、トゥルンでカリジェの十字架の道行きの絵を見ること、そしてカリジェのお墓参りをすることでした。<br /><br /><br />もう10年ほど前に旅行記とブログを作るときに、ハンドルネームを考えて、大好きなフルリーナちゃんの名前を使わせてもらいました。<br />そして、そのブログがきっかけで思いもかけずに作詞をさせていただくことになり、ブログで使っているハンドルネームをそのままペンネームに使うことにしました。<br /><br />私はカリジェの『私が絵を描く本来の意義は、道端にも小さな奇跡が発見できると人に伝えることにある』という言葉がとても好きです。<br />わたしの言葉は拙いものだけれど、言葉を書くときに、私も誰かに私が出会った小さな奇跡を伝えることができたらなあ…と、そんな思いもあって、フルリーナちゃんの名前を使わせてもらっています。<br /><br />でも、どこかにちょっと本物のフルリーナちゃんや、カリジェさんや、カリジェさんのファンの方々に申し訳ないなあ・・という、後ろめたさのようなものをずっと感じていました。<br />そんなこともあり、スペルのローマ字は、本物のフルリーナちゃんとはちょっと違ったスペルにしました。<br />それでも、やっぱりなんとなくの後ろめたさは消えずに、一度ちゃんと、カリジェさんとフルリーナちゃんに会いに行って、名前を使わせていただいているご報告と、「ごめんなさいと、ありがとう」が言いなあと・・今回の旅となりました。<br /><br />

    今回は、スイスとミュンヒェンの旅だったのですが、その目的の大きな一つが、ペンネームに使わせてもらっているフルリーナちゃんの生みの親カリジェの故郷トゥルンを巡ること、そして本物の「フルリーナ」ちゃんの絵に会うことと、トゥルンでカリジェの十字架の道行きの絵を見ること、そしてカリジェのお墓参りをすることでした。


    もう10年ほど前に旅行記とブログを作るときに、ハンドルネームを考えて、大好きなフルリーナちゃんの名前を使わせてもらいました。
    そして、そのブログがきっかけで思いもかけずに作詞をさせていただくことになり、ブログで使っているハンドルネームをそのままペンネームに使うことにしました。

    私はカリジェの『私が絵を描く本来の意義は、道端にも小さな奇跡が発見できると人に伝えることにある』という言葉がとても好きです。
    わたしの言葉は拙いものだけれど、言葉を書くときに、私も誰かに私が出会った小さな奇跡を伝えることができたらなあ…と、そんな思いもあって、フルリーナちゃんの名前を使わせてもらっています。

    でも、どこかにちょっと本物のフルリーナちゃんや、カリジェさんや、カリジェさんのファンの方々に申し訳ないなあ・・という、後ろめたさのようなものをずっと感じていました。
    そんなこともあり、スペルのローマ字は、本物のフルリーナちゃんとはちょっと違ったスペルにしました。
    それでも、やっぱりなんとなくの後ろめたさは消えずに、一度ちゃんと、カリジェさんとフルリーナちゃんに会いに行って、名前を使わせていただいているご報告と、「ごめんなさいと、ありがとう」が言いなあと・・今回の旅となりました。

  • 今回は、旅に出る前からちょっとした、カリジェさんの笑顔を感じるような『小さな奇跡』が二つありました。<br />が、それは後程、ご紹介するとして・・・。<br /><br />今回の旅の一つ目の小さな奇跡は、旅のはじめのチューリッヒ空港でのスイス国鉄の切符売り場でおきました。<br /><br />私は、旅に出るときに、母たちを連れて歩く必要上、日程表を書き込んだパンフレットを作っています。これは旅の初めに、あらかじめ購入可能な切符を、日程表を見せて買ってしまうため。今回も、日程表を書き込んだパンフレットをチケット売り場の女性に見せて、買える切符をできるだけ安い方法で買いたいとお願いしました。親切なその女性はOK!と、にこやかに、親切に応対してくれました。<br /><br />そして、切符と一緒にそのパンフレットを返してくれる時に、表紙を見て驚いたように「まあ!」と一言。そして満面の笑顔で「パンフレットはあなたが作ったの?これ、カリジェのフルリーナの絵!私の娘の名前もフルリーナなのよ。」と!<br /><br />わたしは、カリジェが大好きなこと、ペンネームにフルリーナの名前を使わせてもらっていること、今回のスイスの旅は、カリジェのお墓参りとカリジェの絵を見に行くことを、文法なんてお構いなしのドイツ語と英語をごちゃまぜで話しました。<br />めちゃくちゃのドイツ語&英語でしたが、なんとか通じたようで、その女性は、優しい笑顔で「よい旅になりますように!」って言ってくれました。<br /><br />旅の初めに、フルリーナちゃんという女の子のお母さんと出会えたことが、カリジェと本物のフルリーナちゃんから『Bainvegni(ロマンシュ語のwellcome)』と、言ってってもらってるような気がして、私はもう、ここですでに胸がいっぱいになってしまいました。<br />

    今回は、旅に出る前からちょっとした、カリジェさんの笑顔を感じるような『小さな奇跡』が二つありました。
    が、それは後程、ご紹介するとして・・・。

    今回の旅の一つ目の小さな奇跡は、旅のはじめのチューリッヒ空港でのスイス国鉄の切符売り場でおきました。

    私は、旅に出るときに、母たちを連れて歩く必要上、日程表を書き込んだパンフレットを作っています。これは旅の初めに、あらかじめ購入可能な切符を、日程表を見せて買ってしまうため。今回も、日程表を書き込んだパンフレットをチケット売り場の女性に見せて、買える切符をできるだけ安い方法で買いたいとお願いしました。親切なその女性はOK!と、にこやかに、親切に応対してくれました。

    そして、切符と一緒にそのパンフレットを返してくれる時に、表紙を見て驚いたように「まあ!」と一言。そして満面の笑顔で「パンフレットはあなたが作ったの?これ、カリジェのフルリーナの絵!私の娘の名前もフルリーナなのよ。」と!

    わたしは、カリジェが大好きなこと、ペンネームにフルリーナの名前を使わせてもらっていること、今回のスイスの旅は、カリジェのお墓参りとカリジェの絵を見に行くことを、文法なんてお構いなしのドイツ語と英語をごちゃまぜで話しました。
    めちゃくちゃのドイツ語&英語でしたが、なんとか通じたようで、その女性は、優しい笑顔で「よい旅になりますように!」って言ってくれました。

    旅の初めに、フルリーナちゃんという女の子のお母さんと出会えたことが、カリジェと本物のフルリーナちゃんから『Bainvegni(ロマンシュ語のwellcome)』と、言ってってもらってるような気がして、私はもう、ここですでに胸がいっぱいになってしまいました。

  • 前の出来事から3日後、ブラウンヴァルト、リギ・クルム、カヴァルディラスに宿泊した後、カリジェの作品に会いに、Trun、Churを訪れました。<br /><br />今回カリジェの故郷を訪ねるにあたって、Trunの中心部からちょっと離れたCasa s. Martin や カリジェのアトリエFlutginasや、丘の上の光のマリア巡礼教会に行きたいなあと思い、バスでいけるかどうかを観光局やCasa s. Martin 郷土博物館などにメールで問い合わせました。

    前の出来事から3日後、ブラウンヴァルト、リギ・クルム、カヴァルディラスに宿泊した後、カリジェの作品に会いに、Trun、Churを訪れました。

    今回カリジェの故郷を訪ねるにあたって、Trunの中心部からちょっと離れたCasa s. Martin や カリジェのアトリエFlutginasや、丘の上の光のマリア巡礼教会に行きたいなあと思い、バスでいけるかどうかを観光局やCasa s. Martin 郷土博物館などにメールで問い合わせました。

  • 旅に出る前の小さな奇跡は、この方との出会いです。<br /><br />問い合わせのメールに、スルシルヴァン美術館だったか観光局だったか、カーサ・S・マルティンだったかよく覚えていないのですが「この方に問い合わせてみてください」とある方(****さん)のアドレスが書かれたお返事が届きました。<br /><br />さっそくその方に、カーサ・マルティンとフルジーナス、光のマリア巡礼教会へのバスの有無の質問と、簡単な自己紹介・・・私とカリジェの絵の出逢いのことや、東京のカリジェ展でカリジェの絵や絵本はもちろんだけど、カリジェの生き方や言葉にも感銘を受けたこと、ずうずうしくもフルリーナちゃんの名前をペンネームで使わせていただいてることなど・・・を書き添えてお返事をしました。。<br /><br />折り返しいただいたお返事に、私が訪れる6月30日はスルシルヴァン美術館はオープンしてるからカリジェの絵が見れること、S・Martin養老院の十字架の道行きも見学できることが書かれていました。<br />・・・が、肝心なバスのことは書かれておらず「あなた方は何時にトゥルン駅に着きますか。帰りは何時の予定ですか」<br />という質問をされました。<br /><br />私が、午前10時にディセンティスからの電車でトゥルンに着くことと、帰りは夕方クールへ向かうことを返信メールに書くと、「それなら、その日は私は仕事が休みだから、あなた方を私の車で案内してあげましょう。」と、信じられないようなお返事をいただきました。<br /><br />でも、あまりに申し訳なくて「お忙しかったり、もし何かの予定がはいったらだいじょうぶです。でも、ご案内いただけたらとても嬉しいです」と、お返事を書きました。<br /><br />そのお返事には「大丈夫ですよ、それでは、来月30日に会いましょう」と、書かれていました。<br /><br />出発間際に確認のメールを出そうかなとも思いましたが、ご厚意で言ってくれているのにあまり催促のように確認するのもためらわれ・・・ひと月もあるから忘れているかもしれないし、何か用事が入がったかもしれないし・・・と、確認のメールは出さずスイスに旅立ちました。。<br /><br />電車がトゥルンに近づくにつれ、見ず知らずの人をわざわざ時間を割いて案内してくれるなんてありえないし、あまり期待しないようにしよう・・・という思いが湧き上がってきました。でも、もしも本当に****さんが来てくれることがあったら、なんて親切な方なのだろう…それこそ、カリジェの言う「小さな奇跡」だわ・・・。などと、あれこれ思いながら、胸がどきどきしてきました。。<br /><br />そしていよいよトゥルンに到着。扉が開くと、小さな駅の横にニコニコ笑顔の****さんが立っていました。うれしくて、うれしくて、もう、今回スイスに入国以来何度目かの、うるうる状態です。<br /><br />こうして旅に出る前の小さな奇跡は、今回の旅の3つ目の「小さな奇跡」となりました。<br />

    旅に出る前の小さな奇跡は、この方との出会いです。

    問い合わせのメールに、スルシルヴァン美術館だったか観光局だったか、カーサ・S・マルティンだったかよく覚えていないのですが「この方に問い合わせてみてください」とある方(****さん)のアドレスが書かれたお返事が届きました。

    さっそくその方に、カーサ・マルティンとフルジーナス、光のマリア巡礼教会へのバスの有無の質問と、簡単な自己紹介・・・私とカリジェの絵の出逢いのことや、東京のカリジェ展でカリジェの絵や絵本はもちろんだけど、カリジェの生き方や言葉にも感銘を受けたこと、ずうずうしくもフルリーナちゃんの名前をペンネームで使わせていただいてることなど・・・を書き添えてお返事をしました。。

    折り返しいただいたお返事に、私が訪れる6月30日はスルシルヴァン美術館はオープンしてるからカリジェの絵が見れること、S・Martin養老院の十字架の道行きも見学できることが書かれていました。
    ・・・が、肝心なバスのことは書かれておらず「あなた方は何時にトゥルン駅に着きますか。帰りは何時の予定ですか」
    という質問をされました。

    私が、午前10時にディセンティスからの電車でトゥルンに着くことと、帰りは夕方クールへ向かうことを返信メールに書くと、「それなら、その日は私は仕事が休みだから、あなた方を私の車で案内してあげましょう。」と、信じられないようなお返事をいただきました。

    でも、あまりに申し訳なくて「お忙しかったり、もし何かの予定がはいったらだいじょうぶです。でも、ご案内いただけたらとても嬉しいです」と、お返事を書きました。

    そのお返事には「大丈夫ですよ、それでは、来月30日に会いましょう」と、書かれていました。

    出発間際に確認のメールを出そうかなとも思いましたが、ご厚意で言ってくれているのにあまり催促のように確認するのもためらわれ・・・ひと月もあるから忘れているかもしれないし、何か用事が入がったかもしれないし・・・と、確認のメールは出さずスイスに旅立ちました。。

    電車がトゥルンに近づくにつれ、見ず知らずの人をわざわざ時間を割いて案内してくれるなんてありえないし、あまり期待しないようにしよう・・・という思いが湧き上がってきました。でも、もしも本当に****さんが来てくれることがあったら、なんて親切な方なのだろう…それこそ、カリジェの言う「小さな奇跡」だわ・・・。などと、あれこれ思いながら、胸がどきどきしてきました。。

    そしていよいよトゥルンに到着。扉が開くと、小さな駅の横にニコニコ笑顔の****さんが立っていました。うれしくて、うれしくて、もう、今回スイスに入国以来何度目かの、うるうる状態です。

    こうして旅に出る前の小さな奇跡は、今回の旅の3つ目の「小さな奇跡」となりました。

  • ****さんが最初につれて行ってくれたのは、カリジェのアトリエ、フルジーナス。カリジェのポストがあります。現在はご家族の方が、休暇になるとこられることがあるそうです。<br /><br />(カリジェさん、こんにちは。おじゃまします)<br />と心の中でごあいさつして、木でできた塀を入っていきます。。<br /><br />そんなの、勝手な思い込みよ!と言われてしまうかもしれませんが、****さんとの出会い、エアポート駅での『フルリーナさんのお母さん』との出会いがあって、こうしてカリジェのアトリエに来てみると、なんだかカリジェさんが笑顔で迎え入れてくれているような気がしました。

    ****さんが最初につれて行ってくれたのは、カリジェのアトリエ、フルジーナス。カリジェのポストがあります。現在はご家族の方が、休暇になるとこられることがあるそうです。

    (カリジェさん、こんにちは。おじゃまします)
    と心の中でごあいさつして、木でできた塀を入っていきます。。

    そんなの、勝手な思い込みよ!と言われてしまうかもしれませんが、****さんとの出会い、エアポート駅での『フルリーナさんのお母さん』との出会いがあって、こうしてカリジェのアトリエに来てみると、なんだかカリジェさんが笑顔で迎え入れてくれているような気がしました。

  • そして、ウルスリ君やフルリーナちゃんが、絵本の中のあの軽やかな足取りで、いろいろなところ・・木々の陰や、花の中や、小雨の雨粒の中から、「ほら、こっちよ」「ほらこっちだよ」と、私の手を引いて案内してくれているような、そして、それをカリジェさんが私達の上の方から優しい笑顔で見ていてくれるような・・・そんな気がしました。<br /><br /><br />今、ここに来てこうしてカリジェやフルリーナちゃんの気配を風の中に感じながら歩いていて、これも勝手な思い込みかもしれませんが・・・カリジェさんやフルリーナちゃんから「フルリーナ」の名前を使うことのお許しをいただいたような気がしました。

    そして、ウルスリ君やフルリーナちゃんが、絵本の中のあの軽やかな足取りで、いろいろなところ・・木々の陰や、花の中や、小雨の雨粒の中から、「ほら、こっちよ」「ほらこっちだよ」と、私の手を引いて案内してくれているような、そして、それをカリジェさんが私達の上の方から優しい笑顔で見ていてくれるような・・・そんな気がしました。


    今、ここに来てこうしてカリジェやフルリーナちゃんの気配を風の中に感じながら歩いていて、これも勝手な思い込みかもしれませんが・・・カリジェさんやフルリーナちゃんから「フルリーナ」の名前を使うことのお許しをいただいたような気がしました。

  • フルジーナスのアトリエ・Casa Faletgina は、カリジェが晩年住んでいた住居も兼ねており、写真で想像していたよりずっと大きな家でした。<br /><br />入り口の壁には、マウルス君の絵がかいてあります。

    フルジーナスのアトリエ・Casa Faletgina は、カリジェが晩年住んでいた住居も兼ねており、写真で想像していたよりずっと大きな家でした。

    入り口の壁には、マウルス君の絵がかいてあります。

  • カリジェの色は、とっても優しい。

    カリジェの色は、とっても優しい。

  • マウルス君らしい男の子が鎌でシダを刈っている壁絵です。<br />この絵と同じシダが家の横の道沿いにたくさん生えていました。

    マウルス君らしい男の子が鎌でシダを刈っている壁絵です。
    この絵と同じシダが家の横の道沿いにたくさん生えていました。

  • ここはカリジェのお母さんの生家を、カリジェが別宅として買取り、住居兼アトリエに改築し、1960年にプラテンガの家の家族と離れてここに移り住んだのだそうです。<br /><br />1960年は、私が生まれた年。<br />なんだか、これも不思議なご縁を感じます。

    ここはカリジェのお母さんの生家を、カリジェが別宅として買取り、住居兼アトリエに改築し、1960年にプラテンガの家の家族と離れてここに移り住んだのだそうです。

    1960年は、私が生まれた年。
    なんだか、これも不思議なご縁を感じます。

  • 生誕100年の時の東京でのカリジェ展のカタログによると、有名になったカリジェのもとへ、ファンや依頼人が頻繁に押しかけてきて仕事の妨害になり、谷向こうの小さな村に隠れ家を建てたそうです。そこで体を休めたり、スケッチをしたりして、このアトリエに戻ってから色をぬったそうです。

    生誕100年の時の東京でのカリジェ展のカタログによると、有名になったカリジェのもとへ、ファンや依頼人が頻繁に押しかけてきて仕事の妨害になり、谷向こうの小さな村に隠れ家を建てたそうです。そこで体を休めたり、スケッチをしたりして、このアトリエに戻ってから色をぬったそうです。

  • 今は、カリジェの娘さんたちが、休暇になると、このアトリエを時々訪れるそうです。今日は、残念ながら、お留守のようです。

    今は、カリジェの娘さんたちが、休暇になると、このアトリエを時々訪れるそうです。今日は、残念ながら、お留守のようです。

  • 足が悪かったカリジェは、このアトリエから続く木々の中のこの小さな道を、杖をついてゆっくりゆっくり散歩したそうです。

    足が悪かったカリジェは、このアトリエから続く木々の中のこの小さな道を、杖をついてゆっくりゆっくり散歩したそうです。

  • そうして、トゥルンの村が見える場所に来ました。<br />カリジェが、歩いていた道。<br /><br />道…というのは不思議なものだな、と思います。<br />カリジェが歩いたこの道を、わたしも今、カリジェや、いろいろなことを思い巡らしながら歩いている。そして今までもカリジェを好きな人々が、またこれからも、たくさんの人々がこの道をそれぞれの思いを心に巡らしながら歩くのでしょう。<br /><br />そうして、カリジェが、「僕が絵を描く本来の意義は、道端にも小さな奇跡が発見できると、人に伝えること」というように、私も、きっとたくさんの人々も、道端に咲いている小さな花の中から、小さな奇跡を受け取るのでしょう。<br /><br />道端の小さな花・・・。そうフルリーナちゃんの名前は Flurina ・・・Flur(花)にラテン語・イタリア語系の 語尾に着く「ちいさい・かわいい」の意味を持つ愛称・・・inaが着いたものです。<br /><br />ということは、この道端のたくさんの小さなお花さんたちも Flurinaちゃんたち…なのですよね。<br /><br />

    そうして、トゥルンの村が見える場所に来ました。
    カリジェが、歩いていた道。

    道…というのは不思議なものだな、と思います。
    カリジェが歩いたこの道を、わたしも今、カリジェや、いろいろなことを思い巡らしながら歩いている。そして今までもカリジェを好きな人々が、またこれからも、たくさんの人々がこの道をそれぞれの思いを心に巡らしながら歩くのでしょう。

    そうして、カリジェが、「僕が絵を描く本来の意義は、道端にも小さな奇跡が発見できると、人に伝えること」というように、私も、きっとたくさんの人々も、道端に咲いている小さな花の中から、小さな奇跡を受け取るのでしょう。

    道端の小さな花・・・。そうフルリーナちゃんの名前は Flurina ・・・Flur(花)にラテン語・イタリア語系の 語尾に着く「ちいさい・かわいい」の意味を持つ愛称・・・inaが着いたものです。

    ということは、この道端のたくさんの小さなお花さんたちも Flurinaちゃんたち…なのですよね。

  • アトリエの敷地の中には、あの有名な可愛いパン釜小屋があります。<br />パンをキッチンで焼くのではなくて、庭のパン焼き釜まで「パンを焼くぞ?」って思ってパン焼き釜まで出向く・・・って、なんだか、ちょっとワクワクする感じです。

    アトリエの敷地の中には、あの有名な可愛いパン釜小屋があります。
    パンをキッチンで焼くのではなくて、庭のパン焼き釜まで「パンを焼くぞ?」って思ってパン焼き釜まで出向く・・・って、なんだか、ちょっとワクワクする感じです。

  • 可愛い、美味しそうな絵。<br /><br />ロマンシュ語で<br />IER IN FUORN  <br />SURVEVEL DE FAR PAUN  <br />JEU E TI NU ESSAN NUS DAMAUN<br />と書いてあります。<br /><br />この意味は<br />「昨日窯でパンを作ったから、私も君も朝を迎えられる」<br />ier=昨日、fuorn=窯、far=作る、paun=パン、jeu e ti=私と君、damaun=朝<br /><br />すてきな言葉ですね♪<br /><br />この意味をロマンシュ語の辞書で解読してくださったのは、スイスの関する素晴らしいHP『夫婦で歩くスイスアルプス』の、おーとさん。<br />今回の旅では、トッゲンブルグやブラウンヴァルトに関していろいろ教えていただきました。おーとさん、ありがとうございました!<br />

    可愛い、美味しそうな絵。

    ロマンシュ語で
    IER IN FUORN  
    SURVEVEL DE FAR PAUN  
    JEU E TI NU ESSAN NUS DAMAUN
    と書いてあります。

    この意味は
    「昨日窯でパンを作ったから、私も君も朝を迎えられる」
    ier=昨日、fuorn=窯、far=作る、paun=パン、jeu e ti=私と君、damaun=朝

    すてきな言葉ですね♪

    この意味をロマンシュ語の辞書で解読してくださったのは、スイスの関する素晴らしいHP『夫婦で歩くスイスアルプス』の、おーとさん。
    今回の旅では、トッゲンブルグやブラウンヴァルトに関していろいろ教えていただきました。おーとさん、ありがとうございました!

  • ****さんと次に向かったのは聖Martin養老院。<br />ここのチャペルに、私は一番見たかった「十字架の道行き」の絵があります。<br /><br />私が初めてカリジェを知ったのは、NHKの『日曜美術館』。<br />もう20年ほど前のことになりましょうか・・・。<br /><br />そのころ、、はじめての海外個人旅行でスイスに行く計画を立てている最中で、その旅行の最初のホテルに選んだのがシュタイン・アム・ラインの「アドラーホテル」でした。<br /><br />ガイドブックに載っていたすてきな壁画のホテル、こんな素敵な壁絵のホテルに泊まってみたい!そう思って予約をしたのですが、予約のあとにガイドブックをよく読んでみると壁画を描いたのはカリジェでした。

    ****さんと次に向かったのは聖Martin養老院。
    ここのチャペルに、私は一番見たかった「十字架の道行き」の絵があります。

    私が初めてカリジェを知ったのは、NHKの『日曜美術館』。
    もう20年ほど前のことになりましょうか・・・。

    そのころ、、はじめての海外個人旅行でスイスに行く計画を立てている最中で、その旅行の最初のホテルに選んだのがシュタイン・アム・ラインの「アドラーホテル」でした。

    ガイドブックに載っていたすてきな壁画のホテル、こんな素敵な壁絵のホテルに泊まってみたい!そう思って予約をしたのですが、予約のあとにガイドブックをよく読んでみると壁画を描いたのはカリジェでした。

  • 20年ほど前の写真なので色が退化していますが、その初スイスの初日に撮った写真です。<br /><br />初スイスでは有名どころのマッターホルンやシオン城、ユングフラウやベットマーアルプなどを回りましたが、特にベットマーアルプなどの小さい村に心惹かれました。私はすっかりスイスに魅せられて帰って来ました。<br /><br />その後まもなく、私にとってとても大きな辛い出来事がたてつづけにおこりました。すべてとことが、虚ろで空しくて、時が、世界が、歪んでしまったように感じる日々でした。<br /><br />感動したりワクワクしたりという感情は、遥か昔の遠い世界に置き忘れてきてしまったようでした。<br />辛いことが重なると、感じるということを遮断しようと心が壁を作るのかもしれないな・・・と、いま、思い返すと思います、<br /><br /><br /><br />

    20年ほど前の写真なので色が退化していますが、その初スイスの初日に撮った写真です。

    初スイスでは有名どころのマッターホルンやシオン城、ユングフラウやベットマーアルプなどを回りましたが、特にベットマーアルプなどの小さい村に心惹かれました。私はすっかりスイスに魅せられて帰って来ました。

    その後まもなく、私にとってとても大きな辛い出来事がたてつづけにおこりました。すべてとことが、虚ろで空しくて、時が、世界が、歪んでしまったように感じる日々でした。

    感動したりワクワクしたりという感情は、遥か昔の遠い世界に置き忘れてきてしまったようでした。
    辛いことが重なると、感じるということを遮断しようと心が壁を作るのかもしれないな・・・と、いま、思い返すと思います、



  • そんなころ、偶然、本屋さんで時間をつぶしている時に『カリジェの世界』という本が目に入りました。(あ、アドラーホテルの壁絵を描いたカリジェだ!)そんな、ほんのちょっとしたきっかけで、ふとその本を手に取って、ページをめくっていきました。<br /><br />そして、その本の最後の方に『十字架の道行き』の絵がありました。<br /><br />魂を揺さぶられました。<br />ほんとに、久しぶりに、心から、何かが吹き出すような、いてもたってもいられない様なエモーショナルな体験でした。<br /><br />『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。』(マタイによる福音書11:28?30 新共同訳)<br /><br />そして、この聖句が心に響いてきました。<br /><br />

    そんなころ、偶然、本屋さんで時間をつぶしている時に『カリジェの世界』という本が目に入りました。(あ、アドラーホテルの壁絵を描いたカリジェだ!)そんな、ほんのちょっとしたきっかけで、ふとその本を手に取って、ページをめくっていきました。

    そして、その本の最後の方に『十字架の道行き』の絵がありました。

    魂を揺さぶられました。
    ほんとに、久しぶりに、心から、何かが吹き出すような、いてもたってもいられない様なエモーショナルな体験でした。

    『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。』(マタイによる福音書11:28?30 新共同訳)

    そして、この聖句が心に響いてきました。

  • カリジェとの出会い、『十字架の道行き』の絵との出合いは、私にとって、とても大きなものでした。随分ぼろぼろになってしまった「カリジェの世界」の本は、今でも、ちょっと凹んでしまった時、お世話になっています。<br /><br />今こうして、わたしがフルリーナちゃんの名前をいただいて旅行記を書いていることも、フルリーナちゃんの名前で合唱曲の作詞をさせていただいていることも、こうしてカリジェの「十字架の道行き」をこの目で見に来ていることも、いろいろな出来事や出会い・・・嬉しいことも、辛いこと・・も含めての、ひとつひとつがあったからなのだ…と思います。<br /><br />そんなことを心にめぐらせながら、これまた不思議な今回の出逢いの****さんの案内で、養老院のチャペルへ。

    カリジェとの出会い、『十字架の道行き』の絵との出合いは、私にとって、とても大きなものでした。随分ぼろぼろになってしまった「カリジェの世界」の本は、今でも、ちょっと凹んでしまった時、お世話になっています。

    今こうして、わたしがフルリーナちゃんの名前をいただいて旅行記を書いていることも、フルリーナちゃんの名前で合唱曲の作詞をさせていただいていることも、こうしてカリジェの「十字架の道行き」をこの目で見に来ていることも、いろいろな出来事や出会い・・・嬉しいことも、辛いこと・・も含めての、ひとつひとつがあったからなのだ…と思います。

    そんなことを心にめぐらせながら、これまた不思議な今回の出逢いの****さんの案内で、養老院のチャペルへ。

  • カトリック、正教会、聖公会などの教会内の壁には、通常、キリストの受難の場面が描かれた 14 枚もしくは15枚のの絵やレリーフがかけられています。修道院などでは、屋外の14~15箇所に彫像群が設置されていることもあります。<br /><br />そのひとつひとつは「留(stations)」と呼ばれています。<br />十字架の道行きは、キリストの受難と苦しみを思い、祈りながら留を一つずつ、移動しながら祈っていきます。<br /><br />年間、いつでも行える祈りですが、特に金曜日やレントの期間や聖金曜日に行われることが多いです。

    カトリック、正教会、聖公会などの教会内の壁には、通常、キリストの受難の場面が描かれた 14 枚もしくは15枚のの絵やレリーフがかけられています。修道院などでは、屋外の14~15箇所に彫像群が設置されていることもあります。

    そのひとつひとつは「留(stations)」と呼ばれています。
    十字架の道行きは、キリストの受難と苦しみを思い、祈りながら留を一つずつ、移動しながら祈っていきます。

    年間、いつでも行える祈りですが、特に金曜日やレントの期間や聖金曜日に行われることが多いです。

  • この十字架の道行きの絵は、カリジェが67歳の時に、このチャペルの牧師をしていたお兄さんのジョゼッペから「十字架の道行き」の本を出版するにあたって依頼されたものだそうです。<br /><br />このころカリジェは、病気でじわじわと脊髄が犯されて、健康に自信を失って宗教的なモチーフを描くようになったそうです。<br /><br /><br />第1留 <br />死刑宣告を受ける <br /><br />第2留 <br />十字架を担う <br /><br />

    この十字架の道行きの絵は、カリジェが67歳の時に、このチャペルの牧師をしていたお兄さんのジョゼッペから「十字架の道行き」の本を出版するにあたって依頼されたものだそうです。

    このころカリジェは、病気でじわじわと脊髄が犯されて、健康に自信を失って宗教的なモチーフを描くようになったそうです。


    第1留
    死刑宣告を受ける

    第2留
    十字架を担う

  • 第3留 <br /> イエス、はじめて倒れる <br /><br />第4留 <br /> イエス、母マリアに会う <br /><br />

    第3留
    イエス、はじめて倒れる

    第4留
    イエス、母マリアに会う

  • 第5留 <br />キレネのシモンの助けを受ける  <br /><br />第6留 <br />イエス、御顔を布に <br /><br /><br />

    第5留
    キレネのシモンの助けを受ける 

    第6留
    イエス、御顔を布に


  • 第7留 <br />イエス、再び倒れる <br /><br /><br />第8留 <br />イエス、エルサレムの婦人を慰める <br /><br /><br /><br /><br />

    第7留
    イエス、再び倒れる


    第8留
    イエス、エルサレムの婦人を慰める




  • <br />第9留 <br />イエス、三度倒れる <br /><br />第10留 <br />イエス、衣をはがされる <br /><br />


    第9留
    イエス、三度倒れる

    第10留
    イエス、衣をはがされる

  • <br />第11留 <br />イエス、十字架に釘付けにされる <br /><br />第12留 <br />イエス、十字架上で息を引き取る <br /><br />


    第11留
    イエス、十字架に釘付けにされる

    第12留
    イエス、十字架上で息を引き取る

  • 第13留 <br />十字架降下 <br /><br />第14留 <br />イエス、墓に葬られる <br /><br />(1969年 制作)<br /><br />二つの留が一組になって制作されています。<br />額縁はカリジェの弟のツァルリの作。

    第13留
    十字架降下

    第14留
    イエス、墓に葬られる

    (1969年 制作)

    二つの留が一組になって制作されています。
    額縁はカリジェの弟のツァルリの作。

  • <br /> どの道行きの絵も好きなのですが、<br /> 特に、このイエスさまの表情が心に響きます。


     どの道行きの絵も好きなのですが、
     特に、このイエスさまの表情が心に響きます。

  • ****さんは、カーサ・マルティンの方々とも親しいらしく、<br />チャペルを見学した後に「入居している方々達のアートも見ていってください」と、入居なさってる方々が、絵をかいていたり、人形を作っていたり、工作をしていたり・・・しているお部屋へ案内してくださいました。<br /><br />表情豊かなお人形さんたち、かわいい(^^)。

    ****さんは、カーサ・マルティンの方々とも親しいらしく、
    チャペルを見学した後に「入居している方々達のアートも見ていってください」と、入居なさってる方々が、絵をかいていたり、人形を作っていたり、工作をしていたり・・・しているお部屋へ案内してくださいました。

    表情豊かなお人形さんたち、かわいい(^^)。

  • おばあちゃま、おじいちゃまが、楽しそうに、あるいは一心に制作していました。<br />入居なさってる方々は、この村だけではなく、いろいろなところからきているそうです。<br /><br />絵の色が、とってもきれいでした。<br />お一人お一人の制作中の様子を見せていただいたのですが、グリュッツィとあいさつをすると、皆さん優しい笑顔を見せてくださったり、手を振ってくださったり・・とても嬉しかったです。

    おばあちゃま、おじいちゃまが、楽しそうに、あるいは一心に制作していました。
    入居なさってる方々は、この村だけではなく、いろいろなところからきているそうです。

    絵の色が、とってもきれいでした。
    お一人お一人の制作中の様子を見せていただいたのですが、グリュッツィとあいさつをすると、皆さん優しい笑顔を見せてくださったり、手を振ってくださったり・・とても嬉しかったです。

  • スタッフの方々もとても暖かな雰囲気でした。<br />十字架の道行きの絵を見せていただいて、<br />おばあちゃま、おじいちゃまたちの楽しそうな制作の様子も見せていただいて<br />みなさんの、優しい笑顔に出会えて<br />ここでもまた、胸が熱くなってしまいました。<br />

    スタッフの方々もとても暖かな雰囲気でした。
    十字架の道行きの絵を見せていただいて、
    おばあちゃま、おじいちゃまたちの楽しそうな制作の様子も見せていただいて
    みなさんの、優しい笑顔に出会えて
    ここでもまた、胸が熱くなってしまいました。

  • 「次は 光のマリアを見に行きましょうね」と、****さんが、車に乗りながら説明してくれます。。<br /><br />カリジェの遺作、光のマリアは非公開と聞いていたので、とても嬉しくて歓声をあげてしまいました。<br />非公開・・・というのは、この絵が教会の霊安室においてあるという事情からかもしれません。<br /><br />でも、村の方が教会の鍵を持ってきてくれてみせてくれた・・・とか、博物館の方が夕方までトゥルンにいるなら…とみせてくれた…と、何人かのHPで見たことがあったので内心期待はしていたのですが、本当に見れるとは思っていなかったので本当に嬉しかったです。<br /><br />こちらは、「光のマリア」とカリジェのお墓がある村の教会。

    「次は 光のマリアを見に行きましょうね」と、****さんが、車に乗りながら説明してくれます。。

    カリジェの遺作、光のマリアは非公開と聞いていたので、とても嬉しくて歓声をあげてしまいました。
    非公開・・・というのは、この絵が教会の霊安室においてあるという事情からかもしれません。

    でも、村の方が教会の鍵を持ってきてくれてみせてくれた・・・とか、博物館の方が夕方までトゥルンにいるなら…とみせてくれた…と、何人かのHPで見たことがあったので内心期待はしていたのですが、本当に見れるとは思っていなかったので本当に嬉しかったです。

    こちらは、「光のマリア」とカリジェのお墓がある村の教会。

  • 霊安室の鍵を開けると、ご遺体を安置する場所を囲んで、ご家族が座る椅子も用意されていました。<br /><br />この「Nossa Dunna dalla Glisch(Maria Licht…光のマリア)」は、丘の上の教会のNossaDunna dalla Glisch の300周年記念に描いたものだそうです。<br />あとに出てきますが、その教会の聖母子像を描いたものです。<br />おそらく、カリジェは子供のころからクールに引っ越すまでは、このマリアさまを見て育てきたのでしょう。<br /><br />カリジェは晩年、チューリッヒにいる二人の娘さんのそばで…とチューリッヒの養老院に入ったけれど、予想外の孤独な生活で、寝たきりになると故郷トゥルンに戻ることを望んで Casa Sogn Martin 養老院へ転院してきたのだそうです。<br /><br />カリジェの友人でもあるトマシェ博士はカリジェの病室を、この「NossaDunna dalla Glisch 」で飾って寂しさを紛らわせようとしたり、寝返りのできる特別ベッドを用意して痛みを和らげようと努めたそうです。<br /><br />そうして、カリジェは心温かい博士と、この「Nossa Dunna dalla Glisch 」に見守られながら1985年8月1日に天に召されました。<br />

    霊安室の鍵を開けると、ご遺体を安置する場所を囲んで、ご家族が座る椅子も用意されていました。

    この「Nossa Dunna dalla Glisch(Maria Licht…光のマリア)」は、丘の上の教会のNossaDunna dalla Glisch の300周年記念に描いたものだそうです。
    あとに出てきますが、その教会の聖母子像を描いたものです。
    おそらく、カリジェは子供のころからクールに引っ越すまでは、このマリアさまを見て育てきたのでしょう。

    カリジェは晩年、チューリッヒにいる二人の娘さんのそばで…とチューリッヒの養老院に入ったけれど、予想外の孤独な生活で、寝たきりになると故郷トゥルンに戻ることを望んで Casa Sogn Martin 養老院へ転院してきたのだそうです。

    カリジェの友人でもあるトマシェ博士はカリジェの病室を、この「NossaDunna dalla Glisch 」で飾って寂しさを紛らわせようとしたり、寝返りのできる特別ベッドを用意して痛みを和らげようと努めたそうです。

    そうして、カリジェは心温かい博士と、この「Nossa Dunna dalla Glisch 」に見守られながら1985年8月1日に天に召されました。

  • カリジェと弟ツァルリのお墓は、なぜか墓石だけ教会の壁面に移動されていました。<br />この旅行記をはじめに書いたときは、その理由がわからなかったのですが、minakomachiさんが、その理由を次のように教えてくださいました。minakomachiさんありがとうございます!<br /><br />「スイスでは個人の墓は、埋葬後一定の期間が過ぎると、次の人のために場所をあけます。このようにして面積の限られた共同の墓地が順繰りに使われているようです。カリジェの墓も没後20年のタイミングで、別の人に場所を譲り、墓碑だけが特別に残されたのでしょう。」

    カリジェと弟ツァルリのお墓は、なぜか墓石だけ教会の壁面に移動されていました。
    この旅行記をはじめに書いたときは、その理由がわからなかったのですが、minakomachiさんが、その理由を次のように教えてくださいました。minakomachiさんありがとうございます!

    「スイスでは個人の墓は、埋葬後一定の期間が過ぎると、次の人のために場所をあけます。このようにして面積の限られた共同の墓地が順繰りに使われているようです。カリジェの墓も没後20年のタイミングで、別の人に場所を譲り、墓碑だけが特別に残されたのでしょう。」

  • 教会壁面の十字架

    教会壁面の十字架

  • こちらが、カリジェと弟さんツァルリの墓石。<br /><br />カリジェのお墓は、カリジェ自身のデザインによるもので、鍛冶屋さんCatshomas氏によって作られました。 天使と光輝く十字架のすてきなカリジェらしいデザインです。<br /><br />ここに行ったときには、墓石しかなかったためにここがカリジェのお墓かどうか、よくわからなかったのですが、カリジェさんに「ごめんなさい」と「ありがとう」と、ずうずうしくも「これからもよろしく」と、かみさまに、ここに来れたこと、カリジェと出会えたことの感謝をお祈りしてきました。

    こちらが、カリジェと弟さんツァルリの墓石。

    カリジェのお墓は、カリジェ自身のデザインによるもので、鍛冶屋さんCatshomas氏によって作られました。 天使と光輝く十字架のすてきなカリジェらしいデザインです。

    ここに行ったときには、墓石しかなかったためにここがカリジェのお墓かどうか、よくわからなかったのですが、カリジェさんに「ごめんなさい」と「ありがとう」と、ずうずうしくも「これからもよろしく」と、かみさまに、ここに来れたこと、カリジェと出会えたことの感謝をお祈りしてきました。

  • 「次は、Nossa Dunna dalla Glisch(光のマリア)教会へ行きましょう」<br />****さんが、次につれて行ってくれたのは、たった今、見た、「光のマリア」と同じ名前の教会です。<br /><br />それは、トゥルンを見下ろす山の中腹にありました。。 

    「次は、Nossa Dunna dalla Glisch(光のマリア)教会へ行きましょう」
    ****さんが、次につれて行ってくれたのは、たった今、見た、「光のマリア」と同じ名前の教会です。

    それは、トゥルンを見下ろす山の中腹にありました。。 

  • Nossa Dunna dalla Glisch とは、ロマンシュ語で「光のマリア」という意味です。<br /><br />私は、この教会のことは知りませんでした。<br />

    Nossa Dunna dalla Glisch とは、ロマンシュ語で「光のマリア」という意味です。

    私は、この教会のことは知りませんでした。

  • 教会の横にあった可愛い小屋。<br />民家なのかしら・・・?

    教会の横にあった可愛い小屋。
    民家なのかしら・・・?

  • Baselgia Nossa Dunna dalla Glisch (ロマンシュ語)<br />Kirche Maria Licht (ドイツ語)<br />二つの言葉で説明が書かれています。<br />

    Baselgia Nossa Dunna dalla Glisch (ロマンシュ語)
    Kirche Maria Licht (ドイツ語)
    二つの言葉で説明が書かれています。

  • ここは、先史時代の石の遺跡が残ってる地でもあるようです。

    ここは、先史時代の石の遺跡が残ってる地でもあるようです。

  • <br />(パンフレットの訳に自信がないのですが・・・。)<br />この教会の名前は、この教会が建てらた時の奇跡的な出来事が由来となっているそうです。<br />それは、1663年の4月27日、教会を作り始めるにあたっての定礎式(竣工式のようなもの)が終わった夜、この教会が建てられる丘の上が一面まばゆい光でおおわれました。<br /><br />そしてこの教会は、1672年7月4日に、司教Ulrich VIによって聖別され「Baselgia Nossa Dunna dalla Glisch (光のマリア教会」と名付けられました。<br /><br />(かな?)<br /><br />


    (パンフレットの訳に自信がないのですが・・・。)
    この教会の名前は、この教会が建てらた時の奇跡的な出来事が由来となっているそうです。
    それは、1663年の4月27日、教会を作り始めるにあたっての定礎式(竣工式のようなもの)が終わった夜、この教会が建てられる丘の上が一面まばゆい光でおおわれました。

    そしてこの教会は、1672年7月4日に、司教Ulrich VIによって聖別され「Baselgia Nossa Dunna dalla Glisch (光のマリア教会」と名付けられました。

    (かな?)

  • この教会がたてられている場所は、トゥルンの北西に当たる高台の丘の上。<br />トゥルンの村を見下ろすように建っています。

    この教会がたてられている場所は、トゥルンの北西に当たる高台の丘の上。
    トゥルンの村を見下ろすように建っています。

  • そして聖堂の中には、イエスさまを抱くマリアさまの像が祭壇に置かれています。<br /><br />カリジェの絵と同じように、聖母子の周りには、輝く光が・・・。<br />カリジェが描いた「光のマリア」は、このマリアさまとイエスさまの像だったのだと、ここに来て初めて気づきました。

    そして聖堂の中には、イエスさまを抱くマリアさまの像が祭壇に置かれています。

    カリジェの絵と同じように、聖母子の周りには、輝く光が・・・。
    カリジェが描いた「光のマリア」は、このマリアさまとイエスさまの像だったのだと、ここに来て初めて気づきました。

  • ****さんが、教会の壁にかかっている絵を指さして、「これもカリジェの作品よ」と、教えてくれました。<br />わたしは、カリジェの「光のマリア」がもう一枚あるとは知らなかったので、何度も「本当に?これもカリジェの作品ですか?」と聞いてしまいました。<br /><br />****さんが、説明してくださった話&帰ってきてパンフレットを照らし合わせてようやく****さんの話が理解できました。<br /><br />これはカリジェがデザインした奉納画で、カリジェと奥さまのすてきなエピソードが秘められています。<br /><br />デザイン、というのが、今一つよくわからないところなのですが、パンフレットの英文をそのまま載せますと<br />「Among the numerous votive boards at this piligrimage church,there is one designed by Carijiet .He created the votive board in 1941 with the wish that Mother of God would help him find his wife. Apparently,it worked-Carigiet found his wife a few mounths later and married in 1942.」<br />          ↓<br /><br />「この巡礼教会の多くの方の奉納画のなかにカリジェのデザインしたものがあります。<br />彼は1941年に彼の奥さんを見つけてほしいと、マリアさまに願いを込めてこの奉納画を制作しました。どうやらその願いは聞き入れられました・・・カリジェはこの数カ月を彼の妻になる女性を見つけ、1942年に結婚しました。」

    ****さんが、教会の壁にかかっている絵を指さして、「これもカリジェの作品よ」と、教えてくれました。
    わたしは、カリジェの「光のマリア」がもう一枚あるとは知らなかったので、何度も「本当に?これもカリジェの作品ですか?」と聞いてしまいました。

    ****さんが、説明してくださった話&帰ってきてパンフレットを照らし合わせてようやく****さんの話が理解できました。

    これはカリジェがデザインした奉納画で、カリジェと奥さまのすてきなエピソードが秘められています。

    デザイン、というのが、今一つよくわからないところなのですが、パンフレットの英文をそのまま載せますと
    「Among the numerous votive boards at this piligrimage church,there is one designed by Carijiet .He created the votive board in 1941 with the wish that Mother of God would help him find his wife. Apparently,it worked-Carigiet found his wife a few mounths later and married in 1942.」
              ↓

    「この巡礼教会の多くの方の奉納画のなかにカリジェのデザインしたものがあります。
    彼は1941年に彼の奥さんを見つけてほしいと、マリアさまに願いを込めてこの奉納画を制作しました。どうやらその願いは聞き入れられました・・・カリジェはこの数カ月を彼の妻になる女性を見つけ、1942年に結婚しました。」

  • カリジェ生誕100年の時のカタログには、カリジェの一途な思いが、こう書かれています<br /><br />『1941年、日本が太平洋戦争に突入したころ、仕事でチューリッヒに通っていたカリジェは。美術学校出身で9歳年下の美しいドイツ人女性ベルタ・キャロリーナ・ミュラーと知り合って、恋をしている。彼は難聴の障碍を持ち、すでに頭が禿げ上がって40歳になろうとしていた。トルンの丘に建つ霊感あらたかな「光のマリア教会」には、今でもカリジェが結婚の願をかけたという奉納画が飾ってある。<br />ついに切なる願いが天に通じたらしく、1943年5月20日に晴れて結ばれた。<br />「お嫁さんを連れてきた。それがどういうことか分かっている。天に生涯の伴侶を見つけてくれと長い間、願をかけていたからだ」<br /><br /><br />

    カリジェ生誕100年の時のカタログには、カリジェの一途な思いが、こう書かれています

    『1941年、日本が太平洋戦争に突入したころ、仕事でチューリッヒに通っていたカリジェは。美術学校出身で9歳年下の美しいドイツ人女性ベルタ・キャロリーナ・ミュラーと知り合って、恋をしている。彼は難聴の障碍を持ち、すでに頭が禿げ上がって40歳になろうとしていた。トルンの丘に建つ霊感あらたかな「光のマリア教会」には、今でもカリジェが結婚の願をかけたという奉納画が飾ってある。
    ついに切なる願いが天に通じたらしく、1943年5月20日に晴れて結ばれた。
    「お嫁さんを連れてきた。それがどういうことか分かっている。天に生涯の伴侶を見つけてくれと長い間、願をかけていたからだ」


  • 説教壇。<br /><br />教会は、大きくはありませんが、内部はとても華やかで美しいです。<br />教会の内部、ミサの様子の動画がこちらにあります。<br />http://gloria.tv/?media=261948&amp;language=oe7Kk4CL1hU<br /><br />ドイツ語が読める方はこちらもどうぞ<br />http://helvetiacatholica.wordpress.com/2010/09/09/die-wallfahrtskirche-maria-licht-nossaduna-dalla-glisch-trun/

    説教壇。

    教会は、大きくはありませんが、内部はとても華やかで美しいです。
    教会の内部、ミサの様子の動画がこちらにあります。
    http://gloria.tv/?media=261948&language=oe7Kk4CL1hU

    ドイツ語が読める方はこちらもどうぞ
    http://helvetiacatholica.wordpress.com/2010/09/09/die-wallfahrtskirche-maria-licht-nossaduna-dalla-glisch-trun/

  • パイプオルガンの音色が残念ながら聴けませんでしたが<br />淡い色調の美しいパイプオルガンでした。

    パイプオルガンの音色が残念ながら聴けませんでしたが
    淡い色調の美しいパイプオルガンでした。

  • 教会の外には大きな十字架がありました。<br /><br />パンフレットによると「Das millenium-Kreuz-La crush digl onn sogn」

    教会の外には大きな十字架がありました。

    パンフレットによると「Das millenium-Kreuz-La crush digl onn sogn」

  • 巡礼教会をあとにして再びTrunの村に戻りましょう。

    巡礼教会をあとにして再びTrunの村に戻りましょう。

  • カリジェの原画をたくさん保有している、スルシルヴァン美術館<br />カリジェの展示室は一部屋で、定期的に作品を入れ替えて展示しているようです。<br /><br />

    カリジェの原画をたくさん保有している、スルシルヴァン美術館
    カリジェの展示室は一部屋で、定期的に作品を入れ替えて展示しているようです。

  • 向かって右の作品は、『白い机を飾る花のある静物』(1950)<br />カリジェの赤はとてもきれいです。<br /><br />向って左の『おんどり』(1962)<br />この2作品は東京のカリジェ展にも来ました。

    向かって右の作品は、『白い机を飾る花のある静物』(1950)
    カリジェの赤はとてもきれいです。

    向って左の『おんどり』(1962)
    この2作品は東京のカリジェ展にも来ました。

  • こちらの絵は初めて見ました。<br />ベンチに男女が逆向きに座っている面白い構図です。<br /><br />奥には馬に乗った人物たちが描かれています。

    こちらの絵は初めて見ました。
    ベンチに男女が逆向きに座っている面白い構図です。

    奥には馬に乗った人物たちが描かれています。

  • 『大雪』(1955)のそり大会の場面の原画<br />こちらの原画は生誕百年で、東京にも来ていたので再会です♪<br /><br />あと、撮影に失敗してしまったのですが『ナシの木と シラカバとメギの木』の表紙の原画もありました。<br />

    『大雪』(1955)のそり大会の場面の原画
    こちらの原画は生誕百年で、東京にも来ていたので再会です♪

    あと、撮影に失敗してしまったのですが『ナシの木と シラカバとメギの木』の表紙の原画もありました。

  • こちらは、東京のカリジェ展の時に<br />日本のAmagami Mchiさんが、贈ったものだそうです。<br /><br />絵本から飛び出してきたような、すばらしい作品。<br />どれだけ、愛情をこめて作られたか、その思いの深さがしのばれて、心が温かくなりました。<br /><br />トゥルンはカリジェ展以後、日本のお客さんがとても多いと聞きます。<br /><br />いろいろな方々のHPで、トゥルンを訪問した時、村の方々との心温まるエピソードも拝見しました。東京で、そしてこの地で、michiさんをはじめとし、お一人お一人のそんな暖かな交流があったから、わたしは、こうして****さんに案内をしていただけてるんだな…と思いました。<br /><br />

    こちらは、東京のカリジェ展の時に
    日本のAmagami Mchiさんが、贈ったものだそうです。

    絵本から飛び出してきたような、すばらしい作品。
    どれだけ、愛情をこめて作られたか、その思いの深さがしのばれて、心が温かくなりました。

    トゥルンはカリジェ展以後、日本のお客さんがとても多いと聞きます。

    いろいろな方々のHPで、トゥルンを訪問した時、村の方々との心温まるエピソードも拝見しました。東京で、そしてこの地で、michiさんをはじめとし、お一人お一人のそんな暖かな交流があったから、わたしは、こうして****さんに案内をしていただけてるんだな…と思いました。

  • こちらはトゥルンの男声合唱団の旗<br /><br />カリジェのデザインです。

    こちらはトゥルンの男声合唱団の旗

    カリジェのデザインです。

  • こちらは、同じデザインのものを、街の中の壁画や、クールのホテルシュテルンでもみました。<br /><br />なんて書いてあるのでしょう?

    こちらは、同じデザインのものを、街の中の壁画や、クールのホテルシュテルンでもみました。

    なんて書いてあるのでしょう?

  • このほかにも、カリジェのデザインの楽団の制服なども飾られていました。<br />・・が、舞い上がってしまっていて、撮影を忘れました(涙)<br /><br />スルシルヴァン美術館は、他の部屋は民族博物館になっています。カリジェ以外の部屋や展示物もなかなか見ごたえがあります。

    このほかにも、カリジェのデザインの楽団の制服なども飾られていました。
    ・・が、舞い上がってしまっていて、撮影を忘れました(涙)

    スルシルヴァン美術館は、他の部屋は民族博物館になっています。カリジェ以外の部屋や展示物もなかなか見ごたえがあります。

  • この部屋の木の天井の細工もすばらしかったです。<br /><br />

    この部屋の木の天井の細工もすばらしかったです。

  • こちらは日常使っていた道具。

    こちらは日常使っていた道具。

  • 女の子が寝ていたのでしょうか。<br />とても可愛らしいピンクの天蓋付きのベッド。<br /><br />天蓋付きのベットって、いくつになっても憧れです。<br />少女趣味と笑われますが天蓋付きのベッドのホテルだと、すっごく嬉しい(笑)

    女の子が寝ていたのでしょうか。
    とても可愛らしいピンクの天蓋付きのベッド。

    天蓋付きのベットって、いくつになっても憧れです。
    少女趣味と笑われますが天蓋付きのベッドのホテルだと、すっごく嬉しい(笑)

  • カリジェのデザインしたFuontain <br />

    カリジェのデザインしたFuontain 

  • <br />  おそらく、この水道の取っ手がカリジェのデザインかなと・・?


      おそらく、この水道の取っ手がカリジェのデザインかなと・・?

  • カリジェの生家は、村の教会のすぐ隣です。

    カリジェの生家は、村の教会のすぐ隣です。

  • ピンクにペイントされた部分に、カリジェ生誕の家…のプレートと説明があります。

    ピンクにペイントされた部分に、カリジェ生誕の家…のプレートと説明があります。

  • 現在はほかの方が住んでいらっしゃるので、内部の見学はできませんでした。<br />教会のすぐ隣の大きな家です。<br /><br />カリジェは1902年、8月30日、女8人、男3人の11子のうちの7番目の子として生まれました。家は農家で、父親は政治にも参加していた地元の名士だったそうです。<br />しかし、カリジェ9歳の時、一家は破産し、経済的な理由からクールへ引っ越したそうです。<br /><br />「天国と言える山村から、下界の狭い横町にある薄暗いアパートに放り込まれた」と、カリジェは当時を思い返して語っています。<br />また、ロマンシュ語を話す地域から、ドイツ語を話す都会への突然の引っ越したので、ドイツ語の授業についていけず小学校、中学校は卒業したものの、高校は16歳で退学しています。<br /><br />この語、カリジェは装飾画家レートのもとに見習いに入ったので、もしカリジェ一家がトゥルンで破産せずに暮らしていたら、カリジェは高校、大学と進学して別の職業についていたかもしれません。<br /><br />カリジェの家を襲った不幸も、カリジェの挫折も、<br />振り返ってみると、ひとつひとつの出来事が、人生の布石だったのでしょう。<br />そう思うと、人生は不思議なものだ・・と思います。<br /><br /><br />

    現在はほかの方が住んでいらっしゃるので、内部の見学はできませんでした。
    教会のすぐ隣の大きな家です。

    カリジェは1902年、8月30日、女8人、男3人の11子のうちの7番目の子として生まれました。家は農家で、父親は政治にも参加していた地元の名士だったそうです。
    しかし、カリジェ9歳の時、一家は破産し、経済的な理由からクールへ引っ越したそうです。

    「天国と言える山村から、下界の狭い横町にある薄暗いアパートに放り込まれた」と、カリジェは当時を思い返して語っています。
    また、ロマンシュ語を話す地域から、ドイツ語を話す都会への突然の引っ越したので、ドイツ語の授業についていけず小学校、中学校は卒業したものの、高校は16歳で退学しています。

    この語、カリジェは装飾画家レートのもとに見習いに入ったので、もしカリジェ一家がトゥルンで破産せずに暮らしていたら、カリジェは高校、大学と進学して別の職業についていたかもしれません。

    カリジェの家を襲った不幸も、カリジェの挫折も、
    振り返ってみると、ひとつひとつの出来事が、人生の布石だったのでしょう。
    そう思うと、人生は不思議なものだ・・と思います。


  • カリジェの生家のメインエントランスの上の壁絵「花かご」は、カリジェによるものです。<br /><br />

    カリジェの生家のメインエントランスの上の壁絵「花かご」は、カリジェによるものです。

  • こちらの窓の上にたくさん絵かがれてる絵は、カリジェのプランと指示に従って弟ツァルリと弟子のエリ・シュミートが描いたものです。<br /><br />カリジェは十字架の道行きを描いたころから、脊髄の病気で健康に自信がなくなってきたそうですが、健康状態が思わしくない中、1975年頃からトゥルンの村に壁画を描き始めます。<br /><br />この生家の壁画も1075年作

    こちらの窓の上にたくさん絵かがれてる絵は、カリジェのプランと指示に従って弟ツァルリと弟子のエリ・シュミートが描いたものです。

    カリジェは十字架の道行きを描いたころから、脊髄の病気で健康に自信がなくなってきたそうですが、健康状態が思わしくない中、1975年頃からトゥルンの村に壁画を描き始めます。

    この生家の壁画も1075年作

  • カリジェは、故郷のトゥルンを美しく飾りたい、という強い思いがあったのだそうです。<br /><br />この壁画は、カリジェがトゥルンで描いた壁画の中で一番最初にかかれたものだそうです。1937年に描いた同じ「小羊」のポスターとそっくりですが、色や細かい部分が違っています。<br /><br />この下の壁画はすべてアクリルペイントを使用していますが、この壁画はミネラルペイントを使って描いたそうです。。

    カリジェは、故郷のトゥルンを美しく飾りたい、という強い思いがあったのだそうです。

    この壁画は、カリジェがトゥルンで描いた壁画の中で一番最初にかかれたものだそうです。1937年に描いた同じ「小羊」のポスターとそっくりですが、色や細かい部分が違っています。

    この下の壁画はすべてアクリルペイントを使用していますが、この壁画はミネラルペイントを使って描いたそうです。。

  • トゥルンと言えば、この壁画が思い出されるぐらい、カリジェファンにとっては憧れのフルリーナちゃんの絵。雑貨屋さんの壁に描かれています。<br /><br />憧れのこの壁絵を前にして、万感胸に迫りました。<br /><br />

    トゥルンと言えば、この壁画が思い出されるぐらい、カリジェファンにとっては憧れのフルリーナちゃんの絵。雑貨屋さんの壁に描かれています。

    憧れのこの壁絵を前にして、万感胸に迫りました。

  • こちらは、小学校の校舎。<br />ここには、子供たちが演じる「三賢人」の壁画を描きました。<br /><br />三賢人とは、イエスさまが生まれた時に、貢物をもって東方から訪ねてくる3博士のことです。クリスマスに子供たちが演じる聖劇になくてはならない大切な役柄ですね。

    こちらは、小学校の校舎。
    ここには、子供たちが演じる「三賢人」の壁画を描きました。

    三賢人とは、イエスさまが生まれた時に、貢物をもって東方から訪ねてくる3博士のことです。クリスマスに子供たちが演じる聖劇になくてはならない大切な役柄ですね。

  • こちらは先ほど、美術館でも見ました。<br /><br />ロマンシュ語で書かれているのでわからないのですが、これは何なのでしょう・・・。と、この旅行記に書きましたら、パン釜のロマンシュ語をおしえてくださった、おーとさんから、またまた助け舟が。<br />         ↓<br />「『シュタイ・シ、デフェンダ・ロモンチ、ティウ・ヴェーユ・ルンガッチ』<br />これはロマンシュ語の詩人・作家ジャクン・アスペール・ムオート(またはジャケン・カスパール・ムオート)による「アル・ピエヴェル・ロモンチ(ロマンシュの民へ)」という詩文の冒頭部分です。     <br />            <br />        ↓<br />http://wikisource.org/wiki/Al_pievel_romontsch<br /><br />意味は「立ち上がれ、ロマンシュ語を守れ、汝の古い言葉を」といったところでしょうか。ロマンシュ語保存運動のスローガンとして様々な場所に掲げられているようです。」<br /><br />おーとさん、またまた謎が解けました。<br />ありがとうございます

    こちらは先ほど、美術館でも見ました。

    ロマンシュ語で書かれているのでわからないのですが、これは何なのでしょう・・・。と、この旅行記に書きましたら、パン釜のロマンシュ語をおしえてくださった、おーとさんから、またまた助け舟が。
             ↓
    「『シュタイ・シ、デフェンダ・ロモンチ、ティウ・ヴェーユ・ルンガッチ』
    これはロマンシュ語の詩人・作家ジャクン・アスペール・ムオート(またはジャケン・カスパール・ムオート)による「アル・ピエヴェル・ロモンチ(ロマンシュの民へ)」という詩文の冒頭部分です。     
                
            ↓
    http://wikisource.org/wiki/Al_pievel_romontsch

    意味は「立ち上がれ、ロマンシュ語を守れ、汝の古い言葉を」といったところでしょうか。ロマンシュ語保存運動のスローガンとして様々な場所に掲げられているようです。」

    おーとさん、またまた謎が解けました。
    ありがとうございます

  • こちらはカリジェのものかどうか、わかりません(^^;)

    こちらはカリジェのものかどうか、わかりません(^^;)

  • カリジェは、ふるさとトゥルンの村の中心のサン・マルタン広場を華やかに飾りたいと思いました。<br /><br />カリジェは、、4つの3列に配置された1窓を持つ、広場を挟んでカリジェの生家の向かいにある家に魅了され、そのカトメン家のご主人に、無償で壁画を描かせてほしいと申し出て、承諾を得ました。<br /><br />カリジェは、まず、アトリエで実物大の下絵を作り、壁絵の制作に入りました。

    カリジェは、ふるさとトゥルンの村の中心のサン・マルタン広場を華やかに飾りたいと思いました。

    カリジェは、、4つの3列に配置された1窓を持つ、広場を挟んでカリジェの生家の向かいにある家に魅了され、そのカトメン家のご主人に、無償で壁画を描かせてほしいと申し出て、承諾を得ました。

    カリジェは、まず、アトリエで実物大の下絵を作り、壁絵の制作に入りました。

  • 上列・左の「朝」「昼」<br /><br />

    上列・左の「朝」「昼」

  • 上列・右の「夕」「夜」<br /><br />夜を示すセグメントでは、カリジェは、その後方の教区教会聖マルティンに直面している座っている猫を描いたそうです。 <br />

    上列・右の「夕」「夜」

    夜を示すセグメントでは、カリジェは、その後方の教区教会聖マルティンに直面している座っている猫を描いたそうです。

  • 中列・左の 「春」「夏」<br /><br />上列の部分は足場にあがってカリジェが色を塗っていましたが、病を抱える73歳のカリジェは激しい腰痛に耐えられず、途中から壁に直接描くのを断念せざるを得なくなりました。<br /><br />そのため、この中列からはアトリエで、エテルニート板に絵を描きました。絵は額に縁どられたように描いて、外壁に取り付けられました。下の2列の壁絵だけ、枠があるのは、そういう事情です。

    中列・左の 「春」「夏」

    上列の部分は足場にあがってカリジェが色を塗っていましたが、病を抱える73歳のカリジェは激しい腰痛に耐えられず、途中から壁に直接描くのを断念せざるを得なくなりました。

    そのため、この中列からはアトリエで、エテルニート板に絵を描きました。絵は額に縁どられたように描いて、外壁に取り付けられました。下の2列の壁絵だけ、枠があるのは、そういう事情です。

  • 中列・右の「秋」「冬」

    中列・右の「秋」「冬」

  • 下列・左の「土」「水」

    下列・左の「土」「水」

  • 下列・右の「風」「火」<br /><br />生まれた時から9歳までカリジェが住んだトゥルンの町。<br />トゥルンの壁画を見ていると、カリジェがどんなに、故郷のトゥルンの風景や自然・・動物たち、小鳥たち、花々・・を愛したかが、温かく伝わってきます。

    下列・右の「風」「火」

    生まれた時から9歳までカリジェが住んだトゥルンの町。
    トゥルンの壁画を見ていると、カリジェがどんなに、故郷のトゥルンの風景や自然・・動物たち、小鳥たち、花々・・を愛したかが、温かく伝わってきます。

  • こちらは、トゥルンの有名なホテル Casa toedi。窓枠のデザインがスルシルヴァン美術館のものとさかさまになってるみたいで面白いです。<br /><br />ここに泊まりたくてメールで予約を入れたのですが、お返事が来なく、近郊の村に泊まりました。出発間際にンピューターの故障でメールが読めなかったとお詫びのメールが。次回は絶対に泊まりたいです。<br />

    こちらは、トゥルンの有名なホテル Casa toedi。窓枠のデザインがスルシルヴァン美術館のものとさかさまになってるみたいで面白いです。

    ここに泊まりたくてメールで予約を入れたのですが、お返事が来なく、近郊の村に泊まりました。出発間際にンピューターの故障でメールが読めなかったとお詫びのメールが。次回は絶対に泊まりたいです。

  • トゥルンの町の中の様子。家々の外壁や窓枠が美しい。<br /><br />

    トゥルンの町の中の様子。家々の外壁や窓枠が美しい。

  • 彼がのちに「天国と言える山村」と、思い返した街並みと風景。<br /><br />家の破産で、大好きなロマンシュ語を話す故郷から、わからないドイツ語を話す都会クールに引っ越した9歳の少年カリジェ。そして時がたち、カリジェは58歳の時、家族と離れてまで帰りたかった故郷トゥルンに、移り住みます。<br /><br />カリジェが無償で描いたという、トゥルンの壁画の数々を見て、とても暖かな気持ちに包まれたのは、そんなカリジェのこの地を愛する思いが、溢れているからなのでしょう。

    彼がのちに「天国と言える山村」と、思い返した街並みと風景。

    家の破産で、大好きなロマンシュ語を話す故郷から、わからないドイツ語を話す都会クールに引っ越した9歳の少年カリジェ。そして時がたち、カリジェは58歳の時、家族と離れてまで帰りたかった故郷トゥルンに、移り住みます。

    カリジェが無償で描いたという、トゥルンの壁画の数々を見て、とても暖かな気持ちに包まれたのは、そんなカリジェのこの地を愛する思いが、溢れているからなのでしょう。

  • 夢中で、カリジェのゆかりの場所を巡っているうちに、お昼も大分回ってしまったので、****さんに、お礼にお昼をごちそうさせてほしいと言いました。<br /><br />彼女が連れて行ってくれたのは村の中心部のこのレストラン。お店に入ると、彼女のたく顔なじみの方々がたくさんがいたようです。<br />「カリジェを見に来た日本のお客さんを案内してるの」と説明しながら、私達を紹介してくださいました。ロマンシュ語なので、何を話してるのか、さっぱりわかりませんでしたが、笑顔でごあいさつ。言葉は通じなくても、笑顔は世界中、どこへ行っても一番確かな共通語です。<br /><br />村の人たちで溢れかえってる人気のレストランは、美味しくてお安くて、大感激。村の人たちがくつろいでいるレストランで、食事を写真に撮るのはためらわれたので、ここではお料理の写真はありません。でも、とっても美味しかったお料理は、私の心のアルバムにしっかりと記憶しました。

    夢中で、カリジェのゆかりの場所を巡っているうちに、お昼も大分回ってしまったので、****さんに、お礼にお昼をごちそうさせてほしいと言いました。

    彼女が連れて行ってくれたのは村の中心部のこのレストラン。お店に入ると、彼女のたく顔なじみの方々がたくさんがいたようです。
    「カリジェを見に来た日本のお客さんを案内してるの」と説明しながら、私達を紹介してくださいました。ロマンシュ語なので、何を話してるのか、さっぱりわかりませんでしたが、笑顔でごあいさつ。言葉は通じなくても、笑顔は世界中、どこへ行っても一番確かな共通語です。

    村の人たちで溢れかえってる人気のレストランは、美味しくてお安くて、大感激。村の人たちがくつろいでいるレストランで、食事を写真に撮るのはためらわれたので、ここではお料理の写真はありません。でも、とっても美味しかったお料理は、私の心のアルバムにしっかりと記憶しました。

  • ****さんが、最後に連れて行ってくださったのは、トゥルンの駅前にある聖アンナチャペル。

    ****さんが、最後に連れて行ってくださったのは、トゥルンの駅前にある聖アンナチャペル。

  • トゥルンに貢献した、政治家や画家、詩人や芸術家の名前が刻まれています。<br />もちろん、カリジェの名前も。

    トゥルンに貢献した、政治家や画家、詩人や芸術家の名前が刻まれています。
    もちろん、カリジェの名前も。

  • Curtin d&#39;honur<br />4月21日、2002年,カリジェは、他の功労者と共に、この聖アンナチャペルで表彰されました。<br />石碑にカリジェの名前も刻まれています。<br /><br />****さんが<br />「これで、トゥルンで、あなたにあなた方を案内したいところはすべて回ったわ。私も楽しかった。<br />そう!ところで、あなたがたは、どうして私のアドレスがわかったのかしら?」<br />と、笑顔で聞いてきました。<br /><br />私は、美術館やカーサ・マルティンに質問のメールをして****さんをご紹介いただいた経緯を話しました。<br />「ああ、そうだったのね! やっと謎が解けたわ」<br />なんと****さんは、スルシルヴァン美術館の職員で、誰から紹介されたかもまからぬまま私達を半日もの時間を割いて案内してくださったのでした。<br /><br />これも、きっとカリジェを愛するこの地の方と、私達を繋いでくれた、カリジェのいう「道端にも見つけることができる小さな奇跡」<br />の一つだったのでしょう。<br /><br />私達は、日々、いろいろな偶然やアクシデントが起きるけれど<br />嬉しいことの中にも、悲しいことの中にも、すべてのことの中に、<br />見つけようとしたら、小さな奇跡は隠されているのだと思います。<br />

    Curtin d'honur
    4月21日、2002年,カリジェは、他の功労者と共に、この聖アンナチャペルで表彰されました。
    石碑にカリジェの名前も刻まれています。

    ****さんが
    「これで、トゥルンで、あなたにあなた方を案内したいところはすべて回ったわ。私も楽しかった。
    そう!ところで、あなたがたは、どうして私のアドレスがわかったのかしら?」
    と、笑顔で聞いてきました。

    私は、美術館やカーサ・マルティンに質問のメールをして****さんをご紹介いただいた経緯を話しました。
    「ああ、そうだったのね! やっと謎が解けたわ」
    なんと****さんは、スルシルヴァン美術館の職員で、誰から紹介されたかもまからぬまま私達を半日もの時間を割いて案内してくださったのでした。

    これも、きっとカリジェを愛するこの地の方と、私達を繋いでくれた、カリジェのいう「道端にも見つけることができる小さな奇跡」
    の一つだったのでしょう。

    私達は、日々、いろいろな偶然やアクシデントが起きるけれど
    嬉しいことの中にも、悲しいことの中にも、すべてのことの中に、
    見つけようとしたら、小さな奇跡は隠されているのだと思います。

  • こうして、私の初めてのトゥルン訪問は終わり、****さんと、ハグをしてお別れをしました。ほんの数時間だったけれど、カリジェを介して、心が繋げられたすてきな時間でした。<br /><br />初スイスの計画を立てているときに「日曜美術館」で知ったカリジェ。<br />その後、初スイスの初日にアドラーホテルに泊まり、<br />帰ってきて本屋さんでカリジェの十字架の道行きの絵に出会い、<br />スイス再訪の折にグアルダに行き、<br />2002年に東京でカリジェ展を見て、その原画の美しさ、特に「フルリーナと山の鳥」のフルリーナちゃんが星空の下木の上の山の鳥を連れおろす場面の青の美しさに魅了されました。<br /><br />また、そのころ放送された「新・日曜美術館」とカリジェ展のカタログで、カリジェの絵のみならず、その生き方や、カリジェの言葉、感性に深い感銘を受けました。<br /><br /><br />いろいろな時々、わたしがカリジェの絵や言葉からいただいた思いを辿りながら、こうしてカリジェのゆかりの地を歩いた今回の旅・・。<br /><br />『私が絵を描く本来の意義は、道端にも小さな奇跡が発見できると人に伝えることにある』という、大好きなカリジェの言葉が、今までとは違った深い意味を持って、私に迫ってきました。<br /><br />実は今年、久しぶりに中学生の合唱曲の作詞をしました。今回はちょっと難産で、もう書けないかもしれないなあ・・・という思いが心によぎったりしていました。<br /><br />でも、曲になるならないは別として、私が、受け取った思い、わたしが見せてもらった小さな奇跡を、わたしも、言葉に託して、誰かに手渡していきたい・・・そんな思いが、カリジェの故郷を歩きながら、心に強く湧き上がっていました。<br /><br />最後に、大好きな「フルリーナと山の鳥」のラストシーンを引用させていただいて、トゥルンの旅行記の筆をおきましょう。(・・・フルリーナちゃんが、助けて大切に育てた大好きな山の鳥とお別れをしたあとの出来事です。)<br /><br />『フルリーナと山の鳥』 より  ゼリーナ・ヘンツ文 アロイス・カリジェ絵<br />              大塚勇三訳<br />      <br /><br />「さて,これが,この小屋での最後の晩なんです.<br />もう,ほし草は,すっかり,とりこまれて,<br />冬に,男たちが雪をふんで,とりにくるまで,<br />ここに,おいておくことになるのです.<br />もうじき,牛たちも山の牧場からおろされて,<br />そうして,夏のよろこびも苦労もおわるのです.<br /><br />さて,おとうさんは,小屋の戸口にかぎをかけ.<br />おかあさんは,まどのよろい戸もしめきります.<br />ヤギはメエメエなき,かごのなかのメンドリは,<br />コッコッコッと,げんきよくなきたてます.<br /><br />のっていく馬車のしたくもできました.<br />いま,みんなは,にぎやかに,うれしげに,牧場や,沼地や,野原をぬけて,<br />でこぼこ道を,村へとくだっていきます.<br />ウルスリは,馬のたづなとむちをもち,<br />車のうしろにのってるフルリーナは,<br />そっと心をこめて,岩山の方に手をふりました.<br />あの山の鳥に,わかれのあいさつをしたんです!<br /><br />するとまあ,ごらんなさい,その鳥が,<br />たくさんの鳥たちにまじって,とんできたんです.<br />あのリボンが,まいおちてきます.<br />そして鳥は,つよく羽ばたいて,<br />ありがとう!さよなら!といってるようです.<br />それから,山の鳥は,ほがらかに空にまいあがり<br />なかまといっしょに,とんでいきました.<br /><br />フルリーナは,あの石を高くさしあげ,<br />かがやく石にむかって,にこっとしました.<br />すると,うつくしい水晶のなかでは,青に,七色に<br />全世界が,よろこびおどっているのでした!」<br /><br />                      (本文より抜粋)<br /><br /><br />

    こうして、私の初めてのトゥルン訪問は終わり、****さんと、ハグをしてお別れをしました。ほんの数時間だったけれど、カリジェを介して、心が繋げられたすてきな時間でした。

    初スイスの計画を立てているときに「日曜美術館」で知ったカリジェ。
    その後、初スイスの初日にアドラーホテルに泊まり、
    帰ってきて本屋さんでカリジェの十字架の道行きの絵に出会い、
    スイス再訪の折にグアルダに行き、
    2002年に東京でカリジェ展を見て、その原画の美しさ、特に「フルリーナと山の鳥」のフルリーナちゃんが星空の下木の上の山の鳥を連れおろす場面の青の美しさに魅了されました。

    また、そのころ放送された「新・日曜美術館」とカリジェ展のカタログで、カリジェの絵のみならず、その生き方や、カリジェの言葉、感性に深い感銘を受けました。


    いろいろな時々、わたしがカリジェの絵や言葉からいただいた思いを辿りながら、こうしてカリジェのゆかりの地を歩いた今回の旅・・。

    『私が絵を描く本来の意義は、道端にも小さな奇跡が発見できると人に伝えることにある』という、大好きなカリジェの言葉が、今までとは違った深い意味を持って、私に迫ってきました。

    実は今年、久しぶりに中学生の合唱曲の作詞をしました。今回はちょっと難産で、もう書けないかもしれないなあ・・・という思いが心によぎったりしていました。

    でも、曲になるならないは別として、私が、受け取った思い、わたしが見せてもらった小さな奇跡を、わたしも、言葉に託して、誰かに手渡していきたい・・・そんな思いが、カリジェの故郷を歩きながら、心に強く湧き上がっていました。

    最後に、大好きな「フルリーナと山の鳥」のラストシーンを引用させていただいて、トゥルンの旅行記の筆をおきましょう。(・・・フルリーナちゃんが、助けて大切に育てた大好きな山の鳥とお別れをしたあとの出来事です。)

    『フルリーナと山の鳥』 より  ゼリーナ・ヘンツ文 アロイス・カリジェ絵
                  大塚勇三訳
          

    「さて,これが,この小屋での最後の晩なんです.
    もう,ほし草は,すっかり,とりこまれて,
    冬に,男たちが雪をふんで,とりにくるまで,
    ここに,おいておくことになるのです.
    もうじき,牛たちも山の牧場からおろされて,
    そうして,夏のよろこびも苦労もおわるのです.

    さて,おとうさんは,小屋の戸口にかぎをかけ.
    おかあさんは,まどのよろい戸もしめきります.
    ヤギはメエメエなき,かごのなかのメンドリは,
    コッコッコッと,げんきよくなきたてます.

    のっていく馬車のしたくもできました.
    いま,みんなは,にぎやかに,うれしげに,牧場や,沼地や,野原をぬけて,
    でこぼこ道を,村へとくだっていきます.
    ウルスリは,馬のたづなとむちをもち,
    車のうしろにのってるフルリーナは,
    そっと心をこめて,岩山の方に手をふりました.
    あの山の鳥に,わかれのあいさつをしたんです!

    するとまあ,ごらんなさい,その鳥が,
    たくさんの鳥たちにまじって,とんできたんです.
    あのリボンが,まいおちてきます.
    そして鳥は,つよく羽ばたいて,
    ありがとう!さよなら!といってるようです.
    それから,山の鳥は,ほがらかに空にまいあがり
    なかまといっしょに,とんでいきました.

    フルリーナは,あの石を高くさしあげ,
    かがやく石にむかって,にこっとしました.
    すると,うつくしい水晶のなかでは,青に,七色に
    全世界が,よろこびおどっているのでした!」

                          (本文より抜粋)


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この旅行記へのコメント (23)

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  • minakomachiさん 2019/09/09 10:40:54
    素敵な旅行記、お世話になりました
    フルリーナさん こんにちは。
    スイスの小さな町トゥルンとカリジェについての素敵な旅行記、楽しく拝見しました。カリジェの作品と生き方に対するフルリーナさんの思い、その思いを込めた言葉のひとつひとつに、共感しながら読みました。
    実はこの夏(2019年)、スイスを旅行した際、せっかくの機会なのでトゥルンに
    立ち寄り、フルリーナさんの旅行記をなぞるようにカリジェの作品を見てきました。
    十字架の道行き、光のマリア、ほんとうに素晴らしいです。
    地元のミュージアムでは、カリジェの絵本の原画を多数展示していて、
    絵本の作品を通じてカリジェに親しんだものには感動でした。
    ただ、残念だったことが1つ。ご存じかもしれませんが、カリジェの生家が今年2
    月に火災に遭ったこと。住民は避難して人の被害はなかったようですが、屋根の部分
    と最上階の部分が焼け落ち、ちょっと無残な状態です。修復するのかどうか、今後のことはまだ分からないと、ミュージアムの人は話していました。
    フルリーナさんには、ドロミテの旅行記でもお世話になりました。
    いつもお世話になりっぱなしですが、また素晴らしい旅行記を楽しみにしており
    ます。

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2019/09/11 09:24:48
    Re: 素敵な旅行記、お世話になりました
    minakomaciさん、ありがとうございます。火災の件知りませんでした。
    ショックです。
    壁絵やパン焼きの釜などは無事でしたでしょうか…。
    いい町ですよね、トゥルン。
    美術館の方、体格のいい女性でしたから?そうだったら、その方にお世話になったんです。
    いいご旅行になったようで、私も嬉しいです。(*^^*)

    minakomachiさん からの返信 2019/09/14 06:37:10
    Re: 素敵な旅行記、お世話になりました
    フルリーナさん こんにちは。
    早速のご返信、ありがとうございます。
    火災に遭ったのは、アトリエではなく、カリジェ自身の生家のほうで、複数の世
    帯が入居していた大きな建物です。ミュージアムの側から見ると通り隔てた反対
    側、村の教会の隣です。
    建物入り口のすぐ上にカリジェの描いた壁画がありますが、焼けたのは建物の屋根と最上階の部分なので、見た感じでは壁画は無事のようでした。ただ、建物全体を取り壊すことになれば、壁画がどうなるか、心配です。
    この夏のスイス旅行では、チューリヒ空港から帰国の前日、最後の勢いでシュ
    タイン・アム・ラインに行き、ホテル・アドラーの正面の壁画を見上げてきまし
    た。もし、機会があるならば、今度はぜひやはりカリジェゆかりのクールに行き
    たいと思います。
    フルリーナさんも愛読された「カリジェの世界」を古本ですが、見つけて購入し
    ました。これは本当にいい本ですね。著者の安野光雅さんが訪ねたときは花に囲
    まれたカリジェの墓は、今は墓碑だけが教会の隅に残るのみ。closedの意味です
    が、ミュージアムの人は「20年経ったので」と話していました。
    スイスでは個人の墓は、埋葬後一定の期間が過ぎると、次の人のために場所をあけます。このようにして面積の限られた共同の墓地が順繰りに使われているようです。カリジェの墓も没後20年のタイミングで、別の人に場所を譲り、墓碑だけが特別に残されたのでしょう。

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2019/12/04 10:25:19
    なるほど!そうだったんですね
    minakomachiさん、お返事が遅れてすみません。
    お墓の件、ありがとうございます。なるほどそういう事だったんですね。
    謎が解けました。
    火事にあったのでは、生家のほうなんですね。
    修復されるといいですね。でも、壁画が無事でよかった!
    またいつかのんびりと、カリジェさんに会いに行く旅をしたいです。
  • May822さん 2017/02/28 13:31:15
    奥が深いスイス、素敵な旅行記でした
    フルリーナさんこんにちは

    5月にはじめてのスイス一人旅で、いろいろ調べていたところこちらの旅行記に出会いました。
    カリジェさんのことは良く知らないのですが、とても素敵な旅行記で、思わずコメントさせていただきました。
    写真も含め一冊の本のように楽しく読んでいます。

    私はスイス切り絵が好きで、今回はいろんな作品を見たり作家の方に直接教えてもらったりする旅をプラン中です。あまり観光客がいかないような村にも少しだけ滞在するのでフルリーナさんのような出会いがあったらいいなと思います。

    また他の旅行記もゆっくり読ませていただきますね。

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2017/03/06 22:36:50
    RE: 奥が深いスイス、素敵な旅行記でした
    Mayさん、ありがとうございます。
    5月の一人旅、素敵ですね!ヨーロッパは5月は最高に美しい季節ですよね。
    切り絵をみたり教えてもらったり!なんてすてき。羨ましいです。
    スイスの田舎は本当にすてきです。餅よんマッターホルンもユングフラウも大感激なのですが、ずっと忘れられない地は、観光客も少ない田舎だったりします。旅行記楽しみにしていますね!

    旅は、こちらから心を開けば、素敵な出会い、必ずあります!
    切り絵という特技があるならなおさら!
    簡単な切り絵を作っておいて、宿やタクシーや、親切にしていただいた方にプレゼントすると、きっと喜ばれますよ。我が家もちっちゃなプレゼントを用意して旅に行ってます。
  • マリリンさん 2015/03/19 02:00:15
    素敵なお話し
    フルリーナさん。
    素敵な素敵な旅のお話し、有難うございました。

    私はこちらの旅行記でカリジェさんの絵を初めて知りました。
    フルリーナさんの事は2012年に母と初ドロミテの旅の際参考にさせて頂いて、あのチプリアーナホフも今ではとてもお気に入りのホテルになりました。

    カリジェさんの優しい絵と、フルリーナさんの純粋で清らかな心で綴られてる旅行記は、まるでその優しい絵本を読んでいるかのような温かな気持ちになり、何だか涙が出てきてしまいました。

    小さな奇跡・・・大切にしたいです。本当に。

    今年の夏も母とドロミテとオーストリア・チロルのお花と鳥たちに会いに行きたいと思っています。

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2015/03/19 09:42:52
    RE: 素敵なお話し
    マリリンさん、暖かねコメントありがとうございます。
    チプリアーナホテルお気に召していただいてよかったです。

    全然純粋ではなく、ドロドロもいっぱい抱えてるのですが(笑)、だからこそ、旅で心をリセットしたくなるのかな〜なんて思います。

    そう、最近ちょっと旅の記事を書き始めました。よかったらのぞいてみてください!まだ始めたばかりなのですが、いろいろお勧めの場所やホテルを書いていきたいなと思ってます。
    http://guide.travel.co.jp/navigtr/560/

    マリリンさんの旅の素敵な風景とエピソードもまた教えてくださいね!

  • 旅するうさぎさん 2014/09/07 14:16:44
    こんにちは。
    フルリーナさん、こんにちは。

    以前、この旅行記を拝見したのですが、
    今日再度拝見したところ、
    内容がとても濃いものに変わっていて
    これまで見たことのなかったお写真が多数あったので
    私が最初に拝見した時の旅行記は
    完成したものではなかったことがわかりました。

    それで、最初から終わりまで再度拝見したのですが、
    特に感動したのはカリジェが描いた十字架の道行きの絵です。
    私も今まで十字架の道行きの絵は何度かアルプスで見ましたが
    こんなに痛々しくて、見ていて涙が出てくる絵は初めて見ました。
    この絵は人の心を揺さぶるような絵ですね。
    フルリーナさんが本の中でこの絵を見つけて
    心底感銘を受けたのは、凄く分かる気がします。
    カリジェの弟さんが作った額縁も、絵のような、模様のような
    ものが描かれていて、味わいがありますね。

    私はカリジェという人の絵は見たことがありませんでした。
    旅行記の表紙の絵のタッチからして
    女性なんだろうなと思っていたのですが
    男性だと知ってびっくりしました。
    それもかなり結婚願望がある人で
    教会で結婚できますようにとお祈りをし、
    マリア様の絵も奉納したのですね。
    その結果、素敵なお嫁さんがすぐに見つかったなんて
    なんだか微笑ましいと思いました。

    町中に描かれている壁画も美しく可愛らしいですね。
    カトメン家の壁画は、最初は壁に描いていたけれど、
    ご本人の体調が悪くなって、
    途中からアトリエで板に絵を描いて
    その板を建物の壁にとり取り付けたのですか。

    それで思い出したのですが、
    私が今年訪ねたチロルのエルマウ村でも
    アクリル板に描かれた絵が、昔からある壁絵の上に
    貼り付けられているものがありました。
    私はそれを見て、なんて情緒がないんだろう、
    何で外壁に直接描かないのだろう?
    と思ったのですが、エルマウのあの絵も、
    何かやむにやまれぬ事情があったのかもしれないと思いました。
    (元々描いた壁絵職人さんがご高齢になられたとか。)

    このトゥルンという所は本当に環境が良いところですね。
    この自然豊かな環境が
    カリジェという人のバックボーンだったのですね。


    旅するうさぎ

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2014/09/07 21:53:00
    RE: こんにちは。
    うさぎさん

    こんばんは。

    心のこもったコメントをありがとうございます。
    ちゃんと下書きにしておけばいいのに、ごめんなさい。

    いつもコメントを描くときは、写真を並べて見ながら、旅のことを思い出しながら書いています。
    下書き用の写真だと、ちょっと小さくて見にくい、書くときは公開に設定いて画面を二つ並べて写真を見ながら書いています。
    そういうところ、不器用なんですよね、我ながら(笑)。

    その場所での感動が大きければ大きいほど、ちゃんと歴史的なことや、伝えたいこともかきたいって思っちゃうと、書くのも時間がかかって・・・。
    いまだに未完になってるものも多くてお恥ずかしいです。

    カリジェの十字架の道行き、うさぎさんも感動なされましたか!
    何か、特別なものが伝わってきますよね・・・。
    作家が込めた情念が自分の心のある部分とリンクした時って、自分にとって特別な出会い、体験・・みたいなものになる気がします。

    私にとって、たぶんこのカリジェの十字架の道行きってそういう出会いだった気がします。
    もう一つ、そんな体験をした場所が、ヴァンスの聖ロザリオ礼拝堂だったんですが、こちらは、まだ自分で、ちゃんと書ける気がせずにアップできずにいます。

    一緒にアッシジを巡った友人が亡くなる前に行きたがっていた場所で、彼女の亡くなった次の年の死者の日の礼拝に、神父様にお手紙を書いて彼女の写真をもって参列させていただきました。
    帰ってきた後、どこかのテレビ番組で、あの礼拝堂は、マティスが癌の宣告を受けた後に、この礼拝堂が完成するまでの命をくださいと、祈りながら、そして、この礼拝堂を訪れた人が、心の重荷から解放されたと感じますように・・・と祈りながら作った教会だと解説されていましたが、
    確かに、そんな癒しがある特別な場所でした。
    いつか、書きたいな…とは思ってるのですが、まだかな…っていう感じです(笑)。

    カリジェの結婚の願掛けはほほえましいですよね(^^)。
    若くて禿げてしまったようですし、もうすぐ40歳だし、片思いの彼女に告白する勇気が出なかったのでしょうね(^^)。

    今回は、案内してくださった方がいろいろ説明してくださったのと、親切なパンフレットがあったので、帰ってきて翻訳して、いろいろなエピソードを知ることができたけど、それがなかったら、カリジェが描いた絵なんだなあ・・・で終わってしまったと思います。
    たぶん、旅先で出会う絵も壁絵も彫刻も建物も、そんなエピソードがそれぞれにあるのでしょうけど、なかなかそういうことは有名どころでない限りわかりませんものね・・・。
    でも、それが見えてくると、途端に、その物が生き生きと見えてくるから不思議です。

    うさぎさんのエルマウの壁絵も、何か事情があったのかもですね。
    次回はチロルがいいかなあって思ってるので、もしその時にはいろいろ教えてください!
    それから、うさぎさんも、松味先生の本の愛読者であられるんですね。
    実は私も(^^)。
    チビアーナやミッテンヴァルトやオーバーアマガウやガルミッシュは、松味先生の本で行かなくては!と思ったところです。
    松味先生の写真展、関東では行われないのが残念です!

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2014/09/07 23:01:12
    RE: RE: こんにちは。
    追伸

    あらあ・・・

    読み返したら変換違い誤字だらけです。
    すみません(><)

    旅するうさぎ

    旅するうさぎさん からの返信 2014/09/09 00:56:43
    RE: RE: RE: こんにちは。
    フルリーナさん

    > もう一つ、そんな体験をした場所が、ヴァンスの聖ロザリオ礼拝堂だったんですが、こちらは、まだ自分で、ちゃんと書ける気がせずにアップできずにいます。
    >
    > 一緒にアッシジを巡った友人が亡くなる前に行きたがっていた場所で、彼女の亡くなった次の年の死者の日の礼拝に、神父様にお手紙を書いて彼女の写真をもって参列させていただきました。
    > 帰ってきた後、どこかのテレビ番組で、あの礼拝堂は、マティスが癌の宣告を受けた後に、この礼拝堂が完成するまでの命をくださいと、祈りながら、そして、この礼拝堂を訪れた人が、心の重荷から解放されたと感じますように・・・と祈りながら作った教会だと解説されていましたが、
    > 確かに、そんな癒しがある特別な場所でした。
    > いつか、書きたいな…とは思ってるのですが、まだかな…っていう感じです(笑)。


    そうだったのですね。
    実は、私も15歳の頃からマティスが好きで
    ヴァンスの聖ロザリオ礼拝堂やマティス美術館は
    以前から一度行ってみたいと思っている場所です。
    初めてマティスの絵を見た時の衝撃ははっきりと覚えていて
    大胆な赤い色と伸びやかな線や形を見て、
    こんなふうに絵って描いてもいいんだと子供心に驚き、
    好きになりました。

    ヴァンスの聖ロザリオ礼拝堂の作成には、
    マティスのそのようないきさつがあったのですね。
    フルリーナさんのお友達も
    さぞかしそこへ行きたかったことでしょうね…。
    でも、お写真という形ではありますが、
    フルリーナさんと一緒にその場所へ行くことができたのですね。

    それは、なかなか書けないことですね・・・。


    > うさぎさんのエルマウの壁絵も、何か事情があったのかもですね。
    > 次回はチロルがいいかなあって思ってるので、もしその時にはいろいろ教えてください!

    フルリーナさんにお教えすることなんて、何もありません!
    お好きな所に行って下さい(笑)
    とはいえ、どちらに行かれるのでしょう。
    もしかして、レアモースとか?
    レアモースなら、私も昔から行きたい所です(^^)


    > それから、うさぎさんも、松味先生の本の愛読者であられるんですね。
    > 実は私も(^^)。
    > チビアーナやミッテンヴァルトやオーバーアマガウやガルミッシュは、松味先生の本で行かなくては!と思ったところです。
    > 松味先生の写真展、関東では行われないのが残念です!

    そうなんです。
    松味先生のアルプスの壁絵の写真集は
    16年ほど前に初めて図書館で見て好きになって以来、
    ずっと私のそばにあって、4冊ほど持っています。

    チビアーナは「アルプスの谷 壁絵街道」に載っていますね。
    ミッテンヴァルトやオーバーアマガウやガルミッシュは
    「壁絵のある家 1 西ドイツ」に沢山載っていますね。
    素敵な写真ばかりで、所々に写っているアルプスの風景が
    これまた良くて。これらの本は美術書ですが、
    私には旅行書のようにも見えます。眺めていると
    アルプスの小さな村へ旅に出たくなるんです(^^)♪


    旅するうさぎ

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2014/09/13 22:41:45
    RE: RE: RE: RE: こんにちは。
    うさぎさん、お返事が遅くなりごめんなさい。

    うさぎさんもマティスがお好きなのですね!
    マティスがお好きなら、ロザリオ礼拝堂にはぜひぜひ!

    建物から椅子カラスエンドグラスから、聖卓やカリスや布や、椅子やステンドグラスや、司祭さまの服やストールまで、全部マティスのデザインです。

    聖卓の上の布が、魚の形のデザインがされたものだったのですが、ステンドグラスの青と黄色をぬけてくる光がそこに差し込むと、まるで海の中を聖卓の上に魚が泳いでいるように光が揺らめくのです。

    マティスの祈りが、ここに確かに存在してる…と感じた場所でした(^^)。


    チロルは、ツークシュピッツェが敗北しっぱなしなので、チロル側から行ってみたいなと思ってます。
    あと、うさぎさんの旅行記のミーダースや、行きたいところ満載です。

    が、イタリアのサルッツォからフランス国境に近いあたりとか、このあいだ「大いなる沈黙へ」を見て、フランスアルプスの田舎あたりも行ってみたくて、まだ再来年のことなのに、迷ってしまってます(^^)
  • Bonheurさん 2014/08/31 22:17:15
    凄いです…
    フルリーナさん、

    またもや感動いたしました。
    フルリーナさんの思いが、色々な人や物事を引き寄せているのだな、と思います。

    私も初スイスの時に、「ウルスリのすず」のグアルダを訪ね、壁絵を見て歩きました。フルリーナさんの記事を拝見して、カリジェについてもっと知りたいと思いました。

    ちなみに、私がスイスを訪れるきっかけとなったものの一つに、セガンティーニの「アルプスの真昼」という絵を大原美術館で見たことがありました。あの景色にとても懐かしさを覚えました。(また、その2年前に、晴天のフランスのアヌシー湖を訪れた際、それまでスイスには何にも興味がなかったのにもかかわらず、「あの山の向こうにスイスがあるんだ」という思いが頭に浮かび、自然と涙が出てきたこともあり、これはスイスに呼ばれている、と勝手に思ったこともきっかけです)
    セガンティーニを追って、サンモリッツやソーリオやマローヤのお墓まで行きました。

    フルリーナさんの記事を拝見して、今回のご旅行でご経験されていることは、決して偶然ではなく、そこにはきっと必ず意味がある、と直感しました。勿論、フルリーナさんのお人柄に起因するところも大きいと思います。

    素晴らしい旅行記、本当に感銘を受けています。

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2014/08/31 22:29:31
    RE: 凄いです…
    Bonheurさん

    身に余るお言葉、ありがとうございます。
    ソーリオ、行かれたんですね!!
    今まで訪れたことがある中で、アッシジと並んで一番好きな村なんです。
    セガンティーニの「アルプスの真昼」、光がとても優しくてすてきな作品ですよね!

    >それまでスイスには何にも興味がなかったのにもかかわらず、「あの山の向こうにスイスがあるんだ」という思いが頭に浮かび、自然と涙が出てきたこともあり、これはスイスに呼ばれている、と勝手に思ったこともきっかけです)


    この感覚わかります!
    私も初スイスでマッターホルンを見たとき、同じことを感じました。
         ↓
    http://blogs.yahoo.co.jp/fururina2000/31483963.html

    出逢いとか、自分にとっての特別な場所って、なにか、いろいろなことがつながっているのですよね・・・。

    Bonheurさんとも、こうして旅行記で知り合えて、同じ思いを共感できるって、とっても嬉しいです!!
  • poodle714さん 2014/08/25 21:06:15
    生涯忘れることのない旅
    フルリーナさん

    こんばんは

    トゥルン編を拝見しました。
    読み終えて、まるで1冊の本を読んだ後のような
    感動の余韻があります。
    フルリーナさんの今回のご旅行が、単なる観光旅行とは
    まったく性質の異なるものであることがよく分かりました。
    旅行前も周到に準備しておられた印象がありますが、
    この旅行記も時間をかけてとても丁寧に書き綴っておられますね。

    名前くらいしか知らなかったカリジェのことも、
    フルリーナさんが詳しく紹介してくださったので
    以前よりずっと身近に感じるようになりました。
    どうもありがとうございました。

                              poodle714

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2014/08/25 22:36:43
    RE: 生涯忘れることのない旅
    poodleさん

    長い旅行記を読んでいただいてありがとうございます。
    思い入れが強ければ強いほど、旅行記は書くのが時間がかかって、ヴェルナもアッシジも未完のままで・・・(^^;)

    カリジェの故郷を訪れたのが「今年」だったというのも、私にとってとても大きなことでした。
    時間には「クロノス」と「カイロス」があるって聞いたことがあって『すべとのことに時がある』この『時』は「カイロス」の時なんだそうです。

    なんか、変な文章ですよね・・・うまくかけないのだけど・・・
    ただ過ぎ去っていく時間の時ではなくて、その「時」が大きな意味を持つ「時」、そんな「時」を与えてもらった旅でした(^^)。

  • カヌ太郎さん 2014/08/23 20:30:19
    ありがとうございました
    フルさん

    大切な思い出を旅行記で披露していただき
    ありがとうございました。
    今のフルさんだからこそできた旅だと思います。
    すばらしい出会いも、こうなるべくなった
    予定調和みたいなものかもしれません。
    フルさんの次の旅ではどんな出会いが待ち受けているのか
    楽しみです。

    カヌ太郎

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2014/08/23 22:02:22
    RE: ありがとうございました
    カヌさん、

    予定調和…ほんとに不思議だよね〜。
    10年前にみんどろでお話していたころも、こんなふうにみんなと長い付き合いになるなんて思ってもみなかったもの。

    みんなで元気に、20周年、30周年もしましょうね〜♪
  • oneonekukikoさん 2014/07/12 09:37:59
    フルリーナちゃんのふるさと
    フルリーナさん
    お帰りなさい。

    念願のフルリーナちゃんのふるさとに帰れてよかったですね。
    偶然にもフルリーナちゃんのママにもお世話になって
    幸先の良い旅の始まり。
    これからが楽しみです。

    無事お墓参りもできたようで
    さて、これからがどんな素晴らしい奇跡に会うのでしょうね。
    画像をアップにして楽しんでます。

    またお邪魔しますね。

    oneonekukiko

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2014/07/12 23:38:55
    RE: フルリーナちゃんのふるさと
    ありがとうございます。

    帰ってきた途端の遊んだツケに追い回されていて、相変わらずちょっとずつしか旅行記いじれていませんが、先行投票を皆さんにいただいてしまって申し訳なく・・・(^^;)

    がんばります。
  • merumoさん 2014/07/10 06:42:35
    おかえりなさ〜い
    フルリーナさん

    お帰りなさい。お元気そうでよかった!
    フルリーナさんのママと会ええたことから
    始まる旅のいい予感がしますね!

    この先も小さな奇跡が起きる旅行記を楽しみにしていますね。

      merumo

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2014/07/10 12:02:45
    RE: おかえりなさ〜い
     merumoさん、ありがとう。

    元気に帰りました。
    そうなんです!旅の初めにフルリーナのお母さんに出会えるなんて、なんかもう、これは絶対にカリジェさんとフルリーナちゃんが一緒にいてくれてる!!って、思ってしまいました。

    そんな今回の旅は、いつもにもまして、現地の方々の親切にふれて、人間って素敵だな、みんなあったかいなって思って帰ってきました。

    またカメアップですが、遊びに来てくださいね。

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