2011/08/13 - 2011/08/23
413位(同エリア2655件中)
地中海人さん
初めてのポルトガル鉄道旅行メモです。
2011年1月トルコ、6月スペインまで、長いこと記録を取らず、直前に読んだ本に浸り、ただただ街をぶらついて旅をしていた。
西欧で唯一足を踏み入れることがなかったポルトガルは事前に調べることなく、ガイドブックも旅に出てから開いた次第。機中でCD2枚を何度も聞き、イメージを膨らませ一歩を踏み出した。
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主な日程
【2011年8月13日(土)】
仙台空港NH3232 8.00発→ 成田着9.00
成田空港NH201 11.35発→ LHR着15.15
LHR NH6731 18.15発→ リスボン着20.50 2泊
【15日(月)】 リスボン→コインブラ1泊
サンタ・アポローニャ駅16.00発(AP135)→コインブラB駅着17.47
チケット1等席(32.50ユーロ)
【16日(火)】 コインブラ→ポルト3泊
コインブラB駅17.48発AP135(リスボン発ブラガ行き,
チケット1等21.50ユーロ)→ポルト・カンパニアン駅着18.44。
同駅→ポルト・サンベント駅
【17日(水)】
サン・ベント駅発8.45→ブラガ9.55着(2.8ユーロ)。
ブラガ→ギマランイスまでバス(3.05ユーロ。)
ギマランイス駅発15.54→ポルト・サン・ベント駅17.10着(2.8ユーロ)で帰る
【19日(金)】 ポルト→リスボン3泊
カンパニャン発12.52→リスボア着16.00のIC1等35.50ユーロ
【8月22日(月)】
NH6736 リスボン発13.40→ FRA着17.50
NH210 FRA発20.45→ 成田着 +16.05
フランクフルト空港に30分遅れで着いたところ、ANA職員がNH210のプレートを掲げて待っており、ゲートAからB42への案内。
出国手続後、搭乗カウンターではCクラスへのグレードアップが待ち受けていた。で、旅行記を書くことに(ANAの旅達空間)。
【8月23日(火)】
NH3235 成田発17.40→仙台空港着18.40
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費用
航空券 クラス S 一人 229.220円 ANApp 10.716
ホテル代
8月13日 リスボン2泊(プラザ・ホテル 22,774円)
15日 コインブラ1泊(ホテルアストリア 6,876円)
16日 ポルト3泊(クオリティ・イン 22,774円)
19日 リスボン3泊(プラザ・ホテル 36,438円)
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ポルトガル国鉄
鉄道料金6回乗車現地払い 全部で104.60ユーロ
参考
ユーレイルポルトガルパス1等(6日間 1ヶ有効)は 22,300円。
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当初、2011年4月1日から上記日程で予約しました。
震災のため、ようやく10日後に電話で取り消すことができました。
ANA、プライオリティクラブ、エクスペディアから予約したホテルの皆さん全てが、取消料無料としていただいた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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2011年8月13日(土)
リスボン空港からプラザホテルへ
入国審査(EU外入国者はほんのわずか。)、荷物受領、タクシー待ちでホテルへ向かったのは午後10時過ぎ。
タクシー女性ドライバーは、私の前のアメリカ人中年女性一人を飛ばし、私の荷物を手にしたので、8.5ユーロのところ10ユーロ。
運転手は、日本の地震、津波のお悔やみを述べる。こちらもリスボンの7万5000人の犠牲者が出た1755年の津波のお悔やみを返すと、涙ぐんだ気配。
外は22度。
携帯電話を使用する前にこちらの了解を求める奥ゆかしい人である。シントラに住む。
これでポルトガル人の印象がきまったようである。一体に、その後接したポルトガル人は、スペイン人とかなり異なる。
プラザホテルのフロントの後ろには、日本の南蛮屏風が。
4つ星だが、バスローブ、スリッパ、セ-フティボックス(使用方法が最も簡便な)があり、バスルームでは100ボルト使用可能。
リベルダーデ通りスペイン大使館から数十メートル入ったところで、静か。
街歩きとWiFi無料で選んだが、大使館前で警官が日中立番しており、治安はよい。 -
8月14日(日)
アベニーダ駅から徒歩2分のホテルから、すぐ前のリベルダーデ通りを下り、レウスタード駅で、メトロカード(1日4.6ユーロ、最初だけプラス0.5ユーロ)。
乗り換えてカイソ・ド・ソドレ駅から、15番の市電は混んでおり乗れないので、二台連結バスの78番でジェロニモス修道院まで行く。ジェロニモス修道院 寺院・教会
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ジェロニモス修道院
エンリケ航海王子の偉業とその後の西欧に与えた影響は多岐にわたる。
その偉業を称え、その偉業の対価である占領地からの富で建設された。
修道院へは、東西200メートルを超えると思われる建物の中ほどの入り口から右へ入る。 -
ジェロニモス修道院
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一旦外へ出て、また中央入り口から今度は左へ入る。
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ジェロニモス修道院
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ジェロニモス修道院
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ついで、発見のモニュメントを仔細に眺める。
日本が発見された、とある。発見のモニュメント モニュメント・記念碑
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発見のモニュメント
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発見のモニュメント
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ベレンの塔へ。ここも並んで(後日、ギラマンイス城で出会った日本人のお年寄りはここでスリにあったとのことでした。)中へ。
テージョ川を航行する商船から通行料を取るため、三方を睨む小さな砲10数門.
二階のベランダまで。
三階へはまた並ぶので次回にとっておく。ベレンの塔 建造物
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グルベンキアン美術館
べレンの塔を出たところ午後1時過ぎ。
今日は日曜日、午後二時まで入場料はどこも無料なので、タクシーでグルベンキアン美術館へ 7.9ユーロ。
はじめに別館の現代美術館、午後二時前に本館へ入りゆっくり回る。
本館には、日本の浮世絵や蒔絵、印象派、アールヌーボーなど多岐にわたる。個人のコレクションでこれほど収集可能であるとは信じられない。グルベンキアン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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グルベンキアン美術館
ここは、昼食をはさみ、一日ひたれるところだ。
地階のセルフサービスのレストランで、水、パスタ、果物を手に取り11ユーロ。 -
レスタウラドーレス広場からケーブルカー・グロリア線で上るとアルカンタラ展望台。
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アルカンタラ展望台から
遠くサンジョルジョ城、テージョ川。
丘の連なりに建物がびっしりと詰まっている。サン ペドロ デ アルカンタラ展望台 広場・公園
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夜の町バイロアルトから南へ高級ショッピング街へ降りて行く。
サン・ロケ教会近辺にある目当てのレストランは日曜日で休み。
トリンダーデ劇場まで降りてくると人だかりがあった。ビアレストラン・トリンダーデである。
八時過ぎると地元の常連及び観光客が路上まで並ぶ。トリンダーデ 地元の料理
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ビアレストラン・トリンダーデ
175周年を迎えたビールメーカー経営のビアレストラン・トリンダーデへ。
店内にはアズレージョの壁画。 -
アローシュ・デ・マリシュコ一皿(エビ、イカ、アサリが入ったシーフードリゾット。)をガイドブックの写真を指差して注文、ビール2杯全部で26ユーロ。
食べている最中、日本人観光客が通り「スッゲー!」と言ったくらい量が多い。
天井が高く、アズレージョの壁画。日曜日なので地元の家族客多し。
修道院を改装したというがもちろんその面影はない。 -
カフェ・ア・ブラジレイラ
食後、近所のカフェ・ア・ブラジレイラに立ち寄り、テラスでビッカ1.5ユーロ。
カモンイス広場で市電28番を拾い、夜風に吹かれようと思ったが、逆方向ばかり来る。
カフェ前にあるメトロの入り口から長い地下エスカレーター4本で降り、バイシャ・シアード駅からメトロに乗りホテルへ帰った。ア ブラジレイラ カフェ
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8月15日(月曜日) エボラ観光後コインブラへ
ホテルに荷物を預けチェックアウト、メトロでジャルディン・ズロシコ駅へ。
その隣にあるバスセンターで、8時半発エボラ行きに乗る。
12.50ユーロ。乗客8名、10時10分着。
エボラ中心部の広場までタクシー3.9ユーロ。
カテドラル1.5ユーロ。
エヴォラのローマ神殿 建造物
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神殿はこれまでに見たうちでも小さいものであった。
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エボラの特産はコルクである。
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バスターミナル隣のジャルディン・ズロジコ駅で、サンタ・アポローニャ駅16.00発コインブラB駅行きAP135チケット1等席(32.50ユーロ)を買い、ホテルへ戻る。
1等車は新聞雑誌、ビッカ一杯目は無料サービスあり。17.47コインブラB駅着。
ここからホテルまでタクシーでもよかったが、APに接続するシャトル便というのはなく、通常の近郊線の便をホームでのんびり待つ。
列車乗り換えのため、ホームでの待ち時間の、この空白の時間がなんとも好ましい。大都市より田舎の駅のホームの方が思い出に残ることが多い。
コインブラB駅発18.14でコインブラ駅へは隣駅であっという間だ。
一本道を歩いて数分のホテル・アストリアまで。
歴史のある3つ星。シャワーのみ。
ワンベッドルームをエクスペディアでかなり安く予約したが、フロントでは私の身長体重を量ってか、広いツインに換えてくれた。 -
8月16日(水曜日) サンタ・クルス修道院
午前中、街歩き。
サンタ・クルス修道院に九時丁度。
パイプオルガン、女性のすばらしく胸に響く独唱。
司教が立ち上がりミサが始まる。
途中列席者と共に立ち上がる。サンタ クルス修道院 寺院・教会
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コインブラ大学、カテドラル、鉄の門、図書館をめぐる。
有料のチャペルにはフランス人及びロシア人の団体が重い扉を開き入る。コインブラ大学 建造物
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コニンブリガの遺跡
コニンブリガの遺跡は、ポルトガル最大で重要な遺跡。
古代をたどることができ、ポルトガルの人、歴史時代を探るには、ここから。
コインブラ駅前からコンデイシャ行きのバス(1時間に2便)のうち数便がコニンブリガ博物館まで延長され、運行されています。(2.3ユーロ)
コンデイシャの町でバスを降りた場合は遺跡までタクシー(4〜5ユーロ)。
コニンブリガの遺跡 史跡・遺跡
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ここのローマ遺跡(4ユーロ)はイベリア半島一の規模を持つとされる。
たしかに床のタイル模様、中庭、ローマ街道が見られる。
セビリア近郊のローマ遺跡のほうが発掘面積が広いかもしれません。
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基層に先住民イベロ族の青銅器時代があるとされ、次いで、鉄器文化をもたらしたケルト人がピレネーを越え波状的に来襲(ブリガはケルト語の要塞といわれています)して混血。
イベロ・ケルト族を形成して住んでいたルシタニア人のコニンブリガを、紀元前139年ごろローマ帝国が攻略し、町を作り変え、基地にしたとされています。 -
ローマ街道
テージョ川からドウロ川の間に住むルシタニア人は、圧倒的なローマ軍に対し100年間激しく抵抗したと、ローマ側に,族長ヴィリアトの名前とともに記録されています。
紀元前19年皇帝アウグストゥスが自らスペイン北西部のドーロ川以北を征服し、イベリア半島全体を完全にローマの支配下に置いたといわれているので、将軍アグリッパなどもここをを訪れたに違いありません。
100年間の辺境の民・ルシタ二ア人のローマ帝国との戦いの記憶は、ローマ時代にも独立心が保持され、少数の西ゴート人を吸収し、イスラム化に耐え、レコンキスタに奔走中も他のイベリア半島諸王国からのけん制を排除して、レコンキスタと独立を果たし、保持し、今にいたることにつながったのでしょう。
ポルトガルとスペインとの国境には、ピレネー山脈もなく、ライン川もありません。 -
ローマ時代、自治都市となり、大いに栄え、遺跡はイベリア半島一の規模と言われていますが、まだ発掘面積は10%であるという。
この時代に今のポルトガル語の古い形の俗ラテン語が共通語となったようです。
5世紀前後に西ヨーロッパをゲルマン諸族が荒らしまわりましたが、そのうちのスエヴィ族が465年コニンブリガを略奪荒廃させ、住民は今のコインブラに追いやられたといわれています。
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古代の市壁の一部、ローマ街道がそのまま残り、写真にある噴水の館のモザイクは保存状態が大変よいものです。
カンタベルの館は、基礎、壁、門、柱もそれぞれ一部ですが残存しており、浴場跡ではダクト跡が見られ、博物館には陶器、彫刻、モザイク床などがあります。
博物館付属カフェがあり、ゆっくり、ポルトガルの古代、その後の、スエヴィ王国、西ゴート王国、イスラム化、レコンキスタと、歴史に思いをはせることができます。
カタロニアやバスクはスペインからいまだに脱っし切れてはいません。
ユーラシア大陸の東の辺境の民は、日本海で護られ独立を保持し、西の辺境の民は、かく、よく独立を保持するどころか南米、極東の島国まで羽ばたいた。
コインブラやポルトで土産物として売られている陶器は、遺跡から2.5キロのコンデイシャの町で作られており、コニンブリガ焼きと呼ばれています。
遺跡博物館前からコインブラ駅まで直通バスが12.40頃(2.3ユーロ)あったので、タクシーをキャンセルしバスで帰った。
コインブラ駅からも遺跡博物館行直通が1日数便あることが後で判明。インフォメーションで事前に調査すべきだった。
2011年8月16日(火)コインブラ滞在中、訪問しました。フランスからの自動車旅行者多し。
往(バス、タクシー)復(バス) -
町の胃袋はおまかせ! 定番ファンシャナ!
アデガ・パソ・ド・コンデ
モンデゴ川沿いにあるコインブラA駅近辺の小道が入り組んだバイシーニャ地区にあるが、この店は駅から直進してわかりやすい。
ここも通りから若干奥まったところのパティオから、炭火焼の香ばしい匂いが通りまで漂ってくるからである。
通りから炭火焼器が見え、まず満員のパティオに立つ。
かなり混んでいたが、中庭でなくともよいかと笑顔で案内してくれた。
パテイオの両サイド建物内にテーブル席がかなり見えたがほとんど満席。
定番のファンシャナ(子ヤギ肉の骨付き煮込み鍋とじゃがいもサラダの皿。)とビール二杯で7.3ユーロ。これでお腹一杯!
13ユーロと読み違い20ユーロ紙幣を出したところ、きちんとお釣りを笑顔で。
隣の地元三世代7人のお客には、ここの女将さんが盛んにデザートを勧めている。
2011年8月16日午後2時頃地元の常連、観光客で満員である。
Rua Paco do Conde 1 Coimbra
コインブラ駅から北東へ5分
営業時間: 11.30〜15.00 18.30〜22.00 休み・日曜日夜
ファンシャナは5.5ユーロ
通りから奥まったところにパティオがありその両サイド建物内にかなりのテーブル席がある。コインブラ駅 駅
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8月16日(水曜日) コインブラからポルトへ
ポルトへコインブラB駅17.48発AP135(リスボン発ブラガ行き)チケット1等21.50ユーロ。
ホームで待っている間、リスボン発ガルダ行きが通る。
車内で缶ビール1.8ユーロ。
ポルト・ガイヤとポルト・カンパニャンで停車する。
カンパニャンで降り、ここでも、タクシーによらず、ホームで近郊線をゆっくり待って乗り換え、隣駅アズレージョの見事なサン・ベント駅へ。ここは終着駅だ。サン ベント駅 建造物
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サン・ベント駅を右へ坂を登り、今晩から3泊するホテル・クオーりティ・インへ。
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バターリャ広場
その向かいのクオリティ・イン・ホテルに3泊
エアコン有り、シャワーのみの3つ星。
ただし、ビデ用タオル、液晶テレビ、湯沸しあり。価格相応の広さである。
翌朝、浴槽つきの部屋があるのかと問うたら、午後に来てくれとのことだったので、換えてくれそうである。
洗濯後町内ぶらぶら。シエスタ無し。Legendary Porto Hotel ホテル
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ポルトの目抜き通り サンタ・カタリーナ通り
ホテルは、バターリャ広場に面し、前にポルト一番の目抜き通り・サンタ・カタリーナ通りが見通せる。 -
2011年8月16日(火)午後8時過ぎ、バターリャ広場にあるホテルからレストラン アバディア・ド・ポルトへ向かった。
サンタカタリーナ通りにあるホテルグランデを西へ曲がると、急にひっそりした小道にでる。
門は道路に面しているが店舗玄関はここも奥まったところにあり、看板は表に一枚あるが控えめで、落ち着いたたたずまいである。
入るとかなり立派で、ウエイターの抑えた立ち居振る舞いで上品さがわかる。
某有名ガイドブックのポルトレストラン欄冒頭に掲げられたレストランで、ポルトガル料理のメニューの豊富さが有名とのこと。店内のいたるところの壁にアズレージョがある。
レストランの気魄を感じ、ワインリストから、
ビーノティントハーフサイズで一番高い10ユーロの赤ワイン、
水、
アローシュ・デ・パット(鴨の炊き込みご飯)
を選ぶ(メニューを読めないので、ここでもガイドブックの写真を指差す。従って値段はこの段階ではわからない。) 。
途中、大丈夫かと担当のウエイターが様子を見に来る。日本人には量が多すぎることを知っているのである。
デザートはギブアップし、最後にビッカを所望し、全部で21.25ユーロ。
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ポルト第2夜 八時過ぎ今晩もアバディア・デ・ポルト
玄関に入った途端どこからかボーイがすぐ寄ってきて、挨拶する。
覚えていたようだ。前の席でよいかと聞いてくる。
中二階の一階を見下ろせる二人用のテーブルに案内されると、ウエイターも直ちにやってきて「ハウ・アー・ユー」と挨拶する。
こちらも挨拶を返し、「今日サンデマンに行ってきたが甘いね、デザートワインだね、ドライでストロングなのあるかい」、と言ったら、ワインリストのハーフサイズでも高いほうの
「CRAST DOURO」(10ユーロ。)を指差した。
それと、水、
カルド・ベルデ(ポテトスープ、キャベツの煮込み、後でガイドブックを見たらこれにオリーブオイルを加えて食べるという。)、
トリバス・ア・アバディア(臓物の煮込みの鍋とご飯1皿)、
ビッカ。
全部で23.10ユーロ。
ウエイターが取り皿にまずご飯の4分の1を、真ん中に臓物煮込をサーブし立ち去る。それで日本人年配者なら一人前であるが、その三皿分以上がテーブル上にある。
リヨンで大盛りの牡蠣とムール貝に格闘したことを思い出す。
あのとき隣の女性客はムール貝バケツ一杯を平らげていたが。
メインは、白いんげんと臓物のごった煮のポルト名物料理だが、厚い肉?もちゃんと入っているところはア・アバディアと名ずけた所以か。
前よりも混んでいる。団体は全く無し。
300人は入るとガイドブックにある。鍋の4分の3?はなんとか平らげる。
その間、大丈夫かと忙しい中声をかけてくる。
今度はデザートはなどと聞かない。
最後にビッカを注文したところ、濃いコーヒーでよいのかと念押しに来てくれたので、エスプレッソと言い直した。思いやりのあるウエイターはそうはいない。
隣のイタリア人夫婦が事細かに料理方法を尋ねているが、フランス人よりは注文が早い。
カードで支払いを済ませ立ち上がったら、すぐ真後ろの席に日本人の若い美女一人、盛装して端座していた。一体に、ボーイは東洋人同士が近くになるよう案内することがよくある。アバディア ド ポルト 地元の料理
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8月17日(水曜日) ブラガ日帰り。
サン・ベント駅発8.45でブラガまで9.55着(2.8ユーロ)。
駅からまっすぐ緩やかな上り坂であるコルボ通りを行くと旧市街に。
カテドラルは中に入り、ブラガ大聖堂 (カテドラル) 寺院・教会
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旧大司教館は外から、
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レプブリカ広場で休憩。
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ギマランイス
ブラガからギマランイスまでバス(3.05ユーロ。)
ランチはエル・レイで。大ビール、ツナサラダ、ビッカで7.75ユーロ。
15世紀に建てられたブラガンサ公爵館(5ユーロ。)から丘を登ると10世紀の城。
ギマランイス城 城・宮殿
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ギマランイス城には中に塔があり、外堀あり、小さな要塞。
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ポルトガル初代国王は1100年、この城で生まれたとあります。
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ギマランイスからは、ギマランイス駅発15.54ポルト・サン・ベント駅17.10着(2.8ユーロ)で帰る。
隣席の日本人親子3人(老夫婦に40代の娘)はヨーロッパ48日間旅行中とのこと。
日本人と同一車両内に同席したのは今旅行中唯一度のことである。 -
かわいい食堂とお土産物屋さんが隣同士。
ポルト、ドウロ川に近く、サン・ベント駅から南西方向に伸びるRua Mouzinha da Silveria通り沿い、カテドラルとサン・フランシスコ教会の中間にあるオ・ガロの入り口 -
オ・ガロの小母さんは、マリーザのアルバム「テレサ」をかけていた。
直前に購入し、アマリア・ロドリゲスのアルバムとともに機内で何度も聞いたものだった。
写真にあるように様々なポルトガル産小物を置き、一人で切り盛りしている。
ここで、本旅行中唯一お土産を購入した。
お土産定番のマグネット。エボラ産コルクを台にしたアズレージョ。
帰り間際になってから、日本の雑誌に自分の店のことが載っている記事を、恥ずかしげに見せてくれた。若いころはパリで門番(古い言い方かな?)をしていたのか、流暢なフランス語を話す。
ポルト地方は、もともとブルゴーニュの貴族が、レコンキスタの功績により領地としていたところで、その先入観のせいか、スペインとは大きく印象が異なるものとなった。
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オ・ガロの裏隣り、右小道奥にあるのが、レストラン ソラール・ド・パティオ。
まるでフランス映画にでも出てきそうな、奥まった小さな、壁が黄色の二階建てで、もともと傾斜のあるダイヤモンド形の小さな広場であったと思われる所の上部半分に建っており、テラスにある5つほどのテント付きテーブルと椅子は傾いたままである。かわいい食堂である。
青年が控えめな物腰で注文を取り、父親が外で黙々と魚を炭火で焼く。 ランチメニューは二つだけだ。
サラリーマン風の青年、親子4人、フランス人観光客全員がサーモンか豚の骨付き肉のどちらかをぱくついているが、そのお客までが皆にこやかで、節度があるたたずまいである。
デザート付きで6.5ユーロのランチメニュー2種のみのところ、ビール2杯と豚肉料理とビッカ全部で8ユーロにしてくれた。
金曜夜はライブ音楽があるという。
ポルト市民に愛されているレストランであることが一目でわかる。
2011年8月18日(木)午後2時過ぎテラス満席。心をもおいしくいただいた。
Rua Mouzinho da Silveira
サン・ベント駅から8分
レストラン 12.30〜15.00 20.00〜翌2.00
ランチ 6.5ユーロ 夜15ユーロ
ランチメニューは2種のみ 表通りにおいた看板に今日のメニュー -
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サン・フランシスコ教会(3.5ユーロ)と下りながら回り、隣のポルサ宮はガイドツアーのみで待時間がありパス。
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ドウロ川沿いのレストランが立ち並ぶカイス・ダ・リベイラを逍遥する。
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ドン・ルイス一世橋の下を通って、右へ。
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ドウロ川クルーズの勧誘を受けながら、サンデマンの予約したガイドツアー(4.9ユーロ)11.45まで川のベンチで休憩。
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サンデマンの予約したガイドツアー(4.9ユーロ)
ワインセラーツアーガイドは、黒のマントにハットの美人の案内で20分位。
最後に赤、白ワイン一杯ずつ。
ポルトワインは甘く作ってあり、若干ドライもある、と。サンデマン 文化・芸術・歴史
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この近辺がNHKの世界ふれあい街歩きに出てきたことをようやく思い出す。 -
カイス・ダ・リベイラのレストラン・シェ・ラパンを覗き休憩。
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ホテルに帰ってシエスタ後、サンタ・カタリーナ通りを散歩。
ビーノ・ティントのウインドーショッピングをしていたら、店主が出てきて、20年モノと1990年モノを飲み比べよというので、ミニチュア1瓶づつとTawny小瓶、全部で6ユーロせず。安い!
中にはテーブルワイン用であろう大瓶3ユーロもあった。
ホテル隣のスナックレストラン・トロピカーナで地元のビールSuper Bookの黒をテラスで座って1.5ユーロ。
昨夜の缶ビール1.3ユーロは座って飲んでも同じだったか?
隣のメルキュールホテルの脇の下り坂を探訪。
明るいうちから昨夜と同じ。夫婦の観光客が紛れ込んできて、その御内儀が気配を感じてぶつぶつ言い、立ち去る。 -
8月19日(金曜日) 街歩き後リスボンへ
九時ごろから、サンタ・カタリーナ通り、ボリャオン市場、市庁舎、ジョアン一世広場、クレリゴス教会からカイス・ダ・リベイラまで下る。
ドウロクルーズしようかと考えていたら、11時過ぎ。
サン・ベント駅で、カンパニャン発12.52リスボア着16.00のIC1等35.50ユーロを買い、急いでホテルへ戻りチェックアウト。
カンパニャン駅までメトロで行けば、11.47発14.30着APに乗れたが、ICにも乗ってみたいと考えた。アベイロ等停車して25分長くかかる。
12.15サン・ベント駅からギリマンイス行きに乗り、カンパニャン駅で乗り換え。
11号車は先頭車であった。APにはあったコンセントが無く、新聞雑誌、飲料第一杯目の無料も無し。
バラモス駅を通り過ぎたところに、踏み切り番所の建物があり、女性の番人が赤い旗を持ち、手を振っていた。
本当に、ポルトは心に残る街となった。
リスボンに戻り、夕食は、ホテルで休憩後、近くの和食店・盆栽へ。お寿司28ユーロとSuper Bookの黒小瓶2本。
バイロ アルトの中心部を南に下って、カーサ・ド・ファドのO Faiaを確認し、カモンイス広場、バイシャ駅までエスカレーターを下り、コメルシオ広場まで歩く。それからオウロ通りを北上しロシオ広場へ。
広場では、ジャズ演奏時刻の終了後か照明が消された後も、暗い中で、アメリカ人のアンコールに応え熱演中。
酒屋を探しながら、見つからないままホテルに戻る。
4日ぶりの浴槽に温泉の元を入れる。
先週よりもリスボンの夜は暑い。冷蔵庫のビールについ手を出す。 -
8月20日(土曜日)シントラ、 ロカ岬へ
ロシオ駅→シントラ駅→シントラ巡回バス→ロカ岬→カスカイス→カイソ・ド・ソドレ駅一周チケット(ペーパーでデジタルでないので鉄道駅においては乗降ともに改札口にて駅員に提示、バスでは乗車時運転手に提示する。)を買うためロシオ鉄道駅へ。12ユーロ。
シントラ駅で降り、バスでまずは最奥のペーナ宮殿まで。
入り口からさらに宮殿門近くまでの連絡バス(2ユーロ。)の中で、ポルトから観光に来たという親子4人が席を詰めて譲ってくれる。
夫人はブラガ出身、品がある。日本で言えば京都出身というところか。
ペーナ宮殿 城・宮殿
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宮殿(12ユーロ)を歩いているうち、今度の旅行で初めての雨。
テラスの脇でビールに揚げパンで雨宿り。
バス三台待ちした上、シントラの中心部にある王宮(6ユーロ。)まで。
シントラの王宮 城・宮殿
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かつての王家の夏の離宮内の絢爛豪華な室内装飾で飾られた部屋の数々を巡った後、バスでシントラ駅バス停まで戻る。
向かいのカフェテラスでビッカ1杯(0.75ユーロ。)飲んでいるうち雨がやむ。
水ペットボトル中(1ユーロ)。 -
シントラ駅からバス、約40分でロカ岬に到着。
かなり風が強く、帽子を外す。
ロカ岬 海岸・海
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ロカ岬が遠いのではない。
ロカ岬から向こうが遠いのだ。 -
今度の旅行の最大の目的地。ポルトガルというと真っ先に浮かぶのはロカ岬。
ユーラシア大陸の東の果て・ナホトカに一歩を印してからここまで、?十年。
お隣のスペインまでは何度も来たのであるが。今年も6月セヴィリアまで来てUターンした。 -
バス停前のインフォメーションで到達証明書発行している。
隣のレストランで休憩。ビールで一人で乾杯。 -
8月21日(日曜日) 国立古美術館からサン・ジョルジェ城へ
11時過ぎホテルを出、リベルダーデ通りの中通りにあるカフェテラスで、クロワッサン大1個とカフェグランデで朝食(3.8ユーロ)。
メトロカードに1日分チャージ4.6ユーロ。
カイソ・ド・ソドレ駅前からバスに乗り換え時、スリが文字通りスリ寄ってきた。真ん中へ避難したら、今度は地元の小父さんが大きな声で怒鳴りはじめ、スリは入り口へ急いだが出られない。双方怒鳴りあいを続け、一駅乗り過ごす。
国立古美術館には南蛮屏風がある。
サントス駅まで歩き、市電28番でカテドラルまで。
ランチは、中華料理店・Hua Ta Liへ。
Super Book 2本とエビヌードルで8.20ユーロ。おいしい。ポルトガルで初めてよく冷えたビールを飲む。 -
サン・ジョルジェ城へ
お急ぎでない方は、すぐに城直行のバスに乗らず、リスボン・カードかヴィヴァ・ヴィアジェン(1年有効、プリペイド方式か乗り放題を選択しチャージ)を購入し、まず城南麓にある、初代国王エンリケスがイスラム教徒から奪回した直後に建てた砦のような簡素なカテドラルまで行って、12世紀に浸ることをお勧めします。 -
そして、ここから12番の市電に乗れば、あの壁すれすれのスリルを味わってまたフィゲイラ広場に戻ってきます。
フィゲイラ広場から737番の小さなバスで城の入り口近くまで行けます。 -
トラムは歩道とすれすれ!
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スリルを味わうことを回避したい方は、そのポイント前にあるサンタルジア展望台で降り、
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そこから城入り口まで歩いて5分くらいで登ることもできます。
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サン ジョルジェ城 城・宮殿
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城壁の中は、かつての王宮跡、庭園とリスボンを眺められる広い広場、更に要塞、塔があります。
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お城(7ユーロ)に砦あり、中でギター演奏しながら、自作CD8ユーロで売っていた。
帰りにまた近くを通り、手を上げると、弾きながらお辞儀をする。言葉を交わさなかったが、真っ先にCDを買った者が日本人である事を認識していたようだ。
テラスで生ビール2.8ユーロ。このテラスには雉2羽、その子3羽、猫がおり、テラスの一段下の歩道には鳩が縄張りとしていた。 -
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カフェでゆっくり、この地域の紀元前6世紀から(要塞化は紀元前2世紀)、地中海世界に名を留めた多種多様な民族、移動、攻撃、支配、奪還、などなど波乱万丈の歴史に思いをはせてみましょう。
ポルトガル人の苦難のほどが推し量られるのです。
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アルファマ散策
オプティマスパッド3Gを使用し、アルファマを散策。
通りが見通せなくなり、若者達が裸かつ裸足で血走った眼で走ってきたときは、足早になる。
南東へ、坂を下れば必ずテージョ川沿いの通りに出ます。少し迷うかもしれませんが。
降れば必ず大通りに出られます。 -
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ファド会館に出るまで少し緊張。
ファドとポルトガルギター博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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観光客や親子連れを見てほっとし、ゆっくり戻り、くちばしの家から広場、中華料理店の近くに出る。
くちばしの家 建造物
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8月22日(月曜日) 午前中、リスボン最後の街歩き。
トリンダーデ通りで前日と同じカフェで同じ朝食後、ロシオ広場、フィゲイラ広場へ。
以前仙台で見たことがあるマドレデウスのコンサート開催広告を見かけた。 -
ここまで、読んでいただいてありがとうございます。
iPadのスケジュールに書いたメモを基にしており、やたらと数字が多い旅行記とはいえない日程記録となっています。 -
この旅行から帰るまで、アップを全く予定せず、写真を撮っておりました。
写真とコメントが合わないところが多々あります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ザルソバスキーさん 2013/05/01 13:32:05
- はじめまして
8月にリスボンとポルトに行く予定なので参考にさせてもらってます。
- 地中海人さん からの返信 2013/05/06 10:46:12
- RE: はじめまして
- >
> 8月にリスボンとポルトに行く予定なので参考にさせてもらってます。
ヤポンスキーさん こんにちは
ポルトガル鉄道旅行 に投票、ありがとうございます。
毎晩iPadにメモをしたままの、雑駁な、はじめての旅行記で、コメントと写真が合わないところが多々あります。鉄道旅行愛好者には役に立つかもしれませんね。
ところで、プラハに在住とのこと。4,5年前プラハ在住のチェコ人が当家に甥とともに一週間ホームステイしたこともあり、プラハには一度だけですが2泊しざっと街歩きをしたことがあります。
チェコ人というと亡命した作家一人しか多い浮かびませんが、穏やかな人たちと、落ち着いた街のようですね。
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