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 横浜市港北区綱島台にある来迎寺は浄土宗のお寺で称念山智光院来迎寺という。「新編武蔵風土記稿」に、寛永元年(1624年)「浄土宗小机村泉谷寺末称念山智光院と号し、開山は称誉」とある。堂内には阿弥陀如来像、閻魔大王像が祀られ、境内にも多くの石塔や太子像の庚申塔などがみられる。明治6年(1873年)に「無壇無住廃寺願」が提出され、現在も無住である。<br /> 飯田家へ向かう街道の辻にある。小さな古びれたお堂が本堂であり、廃寺同然の荒れようではあるが、まだ、廃寺とはなっていないはずだ。配電盤と入口の扉に掛けられた鍵がそれを如実に語っている。しかし、140年間も住職はいないようだ。本堂の周りには庚申塔や供養塔などが立っている。その中の「天地神‥」(文久元年(1861年)銘)にも、石碑側面に大きく「發願主 飯田助太夫」と刻まれており、飯田家ゆかりの寺であろうか。その割には荒れている。私がこれまでに見たどの寺よりもこれほどにまでにみすぼらしい伽藍などなかった。飯田家を大檀那とする寺ならば考えられないことである。<br />(表紙写真は来迎寺本堂)

来迎寺(横浜市港北区綱島台)

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2013/03/30 - 2013/03/30

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 横浜市港北区綱島台にある来迎寺は浄土宗のお寺で称念山智光院来迎寺という。「新編武蔵風土記稿」に、寛永元年(1624年)「浄土宗小机村泉谷寺末称念山智光院と号し、開山は称誉」とある。堂内には阿弥陀如来像、閻魔大王像が祀られ、境内にも多くの石塔や太子像の庚申塔などがみられる。明治6年(1873年)に「無壇無住廃寺願」が提出され、現在も無住である。
 飯田家へ向かう街道の辻にある。小さな古びれたお堂が本堂であり、廃寺同然の荒れようではあるが、まだ、廃寺とはなっていないはずだ。配電盤と入口の扉に掛けられた鍵がそれを如実に語っている。しかし、140年間も住職はいないようだ。本堂の周りには庚申塔や供養塔などが立っている。その中の「天地神‥」(文久元年(1861年)銘)にも、石碑側面に大きく「發願主 飯田助太夫」と刻まれており、飯田家ゆかりの寺であろうか。その割には荒れている。私がこれまでに見たどの寺よりもこれほどにまでにみすぼらしい伽藍などなかった。飯田家を大檀那とする寺ならば考えられないことである。
(表紙写真は来迎寺本堂)

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  • 「歳神塔」と石祠。

    「歳神塔」と石祠。

  • 中央の庚申塔(元禄5年正月吉日(1693年)銘)と庚申塔(?)とお地蔵さま。

    中央の庚申塔(元禄5年正月吉日(1693年)銘)と庚申塔(?)とお地蔵さま。

  • 石碑側面に大きく「發願主 飯田助太夫」と刻まれた「天地神‥」(文久元年(1861年)銘)。

    石碑側面に大きく「發願主 飯田助太夫」と刻まれた「天地神‥」(文久元年(1861年)銘)。

  • 庚申塔とお地蔵さま。

    庚申塔とお地蔵さま。

  • 「百万遍供養塔」。善光寺関連のものだ。

    「百万遍供養塔」。善光寺関連のものだ。

  • 「南無阿弥陀仏」。

    「南無阿弥陀仏」。

  • 来迎寺本堂。

    来迎寺本堂。

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