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ずっと車を運転することが多かったので、今日は歩いて弘前市内の近代建築を見て周ろうと思います。<br />ホテルでお昼休みをした後、市内から郊外にある盛美園へ行ってみました。その素晴らしい庭園を散策し、盛美館からの眺めも素敵でした。<br />帰りにナビで検索しながら、3箇所の建物を見て、今日の運転は終了です。<br />食後に歩いて、街中の面白そうな建物を撮り歩いて、最後は朝行ったのですが、再度ライトアップされた弘前市立図書館の一画にある旧弘前市立図書館、旧東奥義塾外人教師館やミニチュアのセットを撮りに行きました。ここから見た岩木山の風景が好きになりました。朝とは違って夕方の姿も気に入りました。<br />明日は岩木山の登った後、十二湖まで日本海側をグルと周り、白神山地へ行く予定です。

弘前市内に建てられた明治の建築 1 青森 8

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2012/05/31 - 2012/05/31

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belledune

belleduneさん

ずっと車を運転することが多かったので、今日は歩いて弘前市内の近代建築を見て周ろうと思います。
ホテルでお昼休みをした後、市内から郊外にある盛美園へ行ってみました。その素晴らしい庭園を散策し、盛美館からの眺めも素敵でした。
帰りにナビで検索しながら、3箇所の建物を見て、今日の運転は終了です。
食後に歩いて、街中の面白そうな建物を撮り歩いて、最後は朝行ったのですが、再度ライトアップされた弘前市立図書館の一画にある旧弘前市立図書館、旧東奥義塾外人教師館やミニチュアのセットを撮りに行きました。ここから見た岩木山の風景が好きになりました。朝とは違って夕方の姿も気に入りました。
明日は岩木山の登った後、十二湖まで日本海側をグルと周り、白神山地へ行く予定です。

同行者
一人旅
交通手段
レンタカー JALグループ 徒歩

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  • 青森銀行記念館は9時半から開館のため、後で来るつもりでしたが、間に合わず、内部を見ることができませんでした。

    青森銀行記念館は9時半から開館のため、後で来るつもりでしたが、間に合わず、内部を見ることができませんでした。

  • 明治37年(1852)、青森銀行の母体となった第五十九銀行本店として完成しました。<br />設計・施工は旧弘前市立図書館など多くの洋風建築を手掛けた堀江佐吉です。<br />木造2階建て、用材はヒバ、ケヤキで、内部の壁面は瓦を割り、その上に漆喰を塗って、釘を一切使用しない工法です。独創的な工法で、東奥ルネッサンス建築と言われています。<br />左右対称で調和良く建てられています。<br />国の重要文化財に指定。

    明治37年(1852)、青森銀行の母体となった第五十九銀行本店として完成しました。
    設計・施工は旧弘前市立図書館など多くの洋風建築を手掛けた堀江佐吉です。
    木造2階建て、用材はヒバ、ケヤキで、内部の壁面は瓦を割り、その上に漆喰を塗って、釘を一切使用しない工法です。独創的な工法で、東奥ルネッサンス建築と言われています。
    左右対称で調和良く建てられています。
    国の重要文化財に指定。

  • 堀江佐吉は、祖父、父と続く弘前藩の城大工です。代々、名匠を輩出した堀江組の五代目として、現在の弘前市覚仙町に誕生しました。非凡な才能と熱心な研究、卓越した技能で、多くの斬新且つ華麗な洋風建築を造りました。

    堀江佐吉は、祖父、父と続く弘前藩の城大工です。代々、名匠を輩出した堀江組の五代目として、現在の弘前市覚仙町に誕生しました。非凡な才能と熱心な研究、卓越した技能で、多くの斬新且つ華麗な洋風建築を造りました。

  • 火曜日と8月13日は旧館です。開館は朝9時半から夕方4時半迄。<br />窓は、防犯、防火のため土戸(土と漆喰で固めた引き戸)で塞ぐことができるようになっています。

    火曜日と8月13日は旧館です。開館は朝9時半から夕方4時半迄。
    窓は、防犯、防火のため土戸(土と漆喰で固めた引き戸)で塞ぐことができるようになっています。

  • 夕方来ましたが、閉館後でした。

    夕方来ましたが、閉館後でした。

  • 上弦を少し過ぎた月が出ていました。

    上弦を少し過ぎた月が出ていました。

  • ミニチュアだと全景が良く分かります。

    ミニチュアだと全景が良く分かります。

  • 朝の旧弘前図書館です。明治39年(1906)3月、東奥義塾の敷地の一角に建てられたもので、堀江佐吉によって設計・施工されました。<br />その建設資金は、斉藤主らが提供しました。<br />木造洋風3階建てで、ルネッサンス様式を基調としていますが、所々に和風様式が見受けられます。<br />各階の軒先蛇腹、八角形の双塔を左右に配して、柱型を基調とする洋風建築の技法水準の高さが分かります。堀江佐吉が最も充実していた頃の作品です。<br />

    朝の旧弘前図書館です。明治39年(1906)3月、東奥義塾の敷地の一角に建てられたもので、堀江佐吉によって設計・施工されました。
    その建設資金は、斉藤主らが提供しました。
    木造洋風3階建てで、ルネッサンス様式を基調としていますが、所々に和風様式が見受けられます。
    各階の軒先蛇腹、八角形の双塔を左右に配して、柱型を基調とする洋風建築の技法水準の高さが分かります。堀江佐吉が最も充実していた頃の作品です。

  • 昭和6年まで市立図書館として利用されていましたが、払い下げとなり、市内富野町に移築されて、下宿屋、喫茶店などに使用されていました。<br />平成2年、市制施行100周年の記念施設のひとつとして、現在の場所に移築・復元され、平成5年に県重宝に指定されました。<br />延べ床面積は約261?です。

    昭和6年まで市立図書館として利用されていましたが、払い下げとなり、市内富野町に移築されて、下宿屋、喫茶店などに使用されていました。
    平成2年、市制施行100周年の記念施設のひとつとして、現在の場所に移築・復元され、平成5年に県重宝に指定されました。
    延べ床面積は約261?です。

  • 木造3階建て、双塔の八角形ドーム、正面のドーマーウィンドー(屋根窓)、玄関の屋根のぺディメント(出入り口に取り付けられた三角形状の装飾)、窓の造作などルネッサンス様式を基調としていますが、外壁に漆喰を塗り、各階の軒には窓や壁を保護するための庇を取り付けるという和風様式を取り入れた工夫が良く分かります。

    木造3階建て、双塔の八角形ドーム、正面のドーマーウィンドー(屋根窓)、玄関の屋根のぺディメント(出入り口に取り付けられた三角形状の装飾)、窓の造作などルネッサンス様式を基調としていますが、外壁に漆喰を塗り、各階の軒には窓や壁を保護するための庇を取り付けるという和風様式を取り入れた工夫が良く分かります。

  • 基礎:安山岩積布基礎、一部礎石建ち<br />木造亜鉛メッキ鉄板葺き大壁造の3階建て

    基礎:安山岩積布基礎、一部礎石建ち
    木造亜鉛メッキ鉄板葺き大壁造の3階建て

  • 現在の市立図書に映っている旧弘前図書館の3階部分

    現在の市立図書に映っている旧弘前図書館の3階部分

  • 私が特に注目した階段の手摺り部分です。<br />螺旋状にカーブした階段に合わせて、1本の手摺りの上面がひねって下へと続いています。まさに藝術だと感心して見ていました。

    私が特に注目した階段の手摺り部分です。
    螺旋状にカーブした階段に合わせて、1本の手摺りの上面がひねって下へと続いています。まさに藝術だと感心して見ていました。

  • 階段上の踊り場部分です

    階段上の踊り場部分です

  • 3階への階段ですが、3階へは上がれません。

    3階への階段ですが、3階へは上がれません。

  • 3階への階段下の受け部分

    3階への階段下の受け部分

  • 夜、ライトアップされたミニチュアです。

    夜、ライトアップされたミニチュアです。

  • 夕暮れの建物<br />地面に大きなサーチライトが何箇所かあったので、これが点灯するのかと思っていましたが、何かの大きなお祭りやイベントの時だけ点くそうです。ちょっと残念でした。

    夕暮れの建物
    地面に大きなサーチライトが何箇所かあったので、これが点灯するのかと思っていましたが、何かの大きなお祭りやイベントの時だけ点くそうです。ちょっと残念でした。

  • 旧東奥義塾外人教師館は、県内で最初に開港した私学で、この建物は指導の強化の為に、招いた外人宣教師のために建てられた宣教師館です。<br />延べ面積は約280?です。

    旧東奥義塾外人教師館は、県内で最初に開港した私学で、この建物は指導の強化の為に、招いた外人宣教師のために建てられた宣教師館です。
    延べ面積は約280?です。

  • これは、夕方の写真です。

    これは、夕方の写真です。

  • 寛政8年(1796)、津軽藩9代藩主寧親は、藩学校を「稽古館」として開校。やがて規模の縮小や移転があり、12代承承は、新時代に対応する漢学や英学寮を設置して、東京から教師を招きました。<br />明治4年(1871)、廃藩置県で、稽古館は津軽家の私的な施設として継続し、翌年「東奥義塾」となりました。<br />東奥義塾は慶應義塾にならって、実学を重視して、文明開化を学ぶために、外国人宣教師を招聘しました。

    寛政8年(1796)、津軽藩9代藩主寧親は、藩学校を「稽古館」として開校。やがて規模の縮小や移転があり、12代承承は、新時代に対応する漢学や英学寮を設置して、東京から教師を招きました。
    明治4年(1871)、廃藩置県で、稽古館は津軽家の私的な施設として継続し、翌年「東奥義塾」となりました。
    東奥義塾は慶應義塾にならって、実学を重視して、文明開化を学ぶために、外国人宣教師を招聘しました。

  • 煉瓦積みの基礎に建つ木造2階建ての建物は、以前の建物が焼失したために、アメリカのメゾジスト伝道本部が設計しました。<br />地元の棟梁、堀江佐吉が施工したと言われています。<br />昭和63年に弘前市に寄贈されて、復元され、平成5年に県重宝に指定されました。

    煉瓦積みの基礎に建つ木造2階建ての建物は、以前の建物が焼失したために、アメリカのメゾジスト伝道本部が設計しました。
    地元の棟梁、堀江佐吉が施工したと言われています。
    昭和63年に弘前市に寄贈されて、復元され、平成5年に県重宝に指定されました。

  • サンルームの広いスペースに子供用のブランコがありました。寒い土地なので、冬に使っていたのかな。

    サンルームの広いスペースに子供用のブランコがありました。寒い土地なので、冬に使っていたのかな。

  • 暖炉ではなくて、こんなダルマストーブのようなものを使っていたらしい。<br />

    暖炉ではなくて、こんなダルマストーブのようなものを使っていたらしい。

  • 1、2階共に窓を多く設けた質実堅牢な仕上げになっています。

    1、2階共に窓を多く設けた質実堅牢な仕上げになっています。

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