2010/05/12 - 2010/05/23
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カメちゃんさん
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きょうは楽しみなハイデルベルクです。
ハイデルベルクは、実は2回目の訪問でした。永年勤続者旅行制度を利用してヨーロッパ観光のツアーに参加した時に来たのでした。
あの時は初めての海外旅行でしたし、ツアーを離れて翌日から始まる二人だけのヨーロッパ旅行の心配事やらで、ハイデルベルクの観光はうわの空!!だったのでした(ダッハウ強制収容所跡の見学も、その時の訪問先の一つでした)。
今回は余計な心配は何一つなく、みなさんと一緒に見物できたことが何よりよかったですね。ハイデルベルクの城と教会と大学と、それを包み込む街の姿はヨーロッパの縮図のようなところかと勝手な想像をして行ったものですが、そういう期待に違うことはなかったように思いましたね。
ただ惜しまれるのは、やっぱり短時間な観光だったことですね。私の腰の様子からすれば、それでも長すぎる観光でしたけど、休み時間をとりながらもうちょっと丁寧に見たかったなと思いました。
ハイデルベルク。
ケルン・トリーアなどとともに、腰を落ち着けてじっくり観察してみたいところですね。
それでは、出発と致しましょう。
(※)この旅行記に出てくる主な遺跡・施設の場所は↓の地図にてご覧下さい(旅行記掲載以外の古城も載せてあります)。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000487832ca93973ed330&ll=49.483635,8.463947&spn=0.002666,0.006191&t=h&z=18
なお、私たちはこの区間を船で巡ったわけではありません。
(※)「ダッハウ強制収容所跡の見学」は↓にて取りあげています。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10297853/
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
マンハイムの街より18Kmほど下流のヴォルムスの街にある、Nibelungen橋の橋塔です。
見た感じは古い城のような橋塔です。
(Kさんご提供の写真です) -
これもヴォルムスの街の館です。
直訳すると「エルンスト・ルートヴィヒ学校(Ernst Ludwig Schule)」になるのですが、なんの建物でしょうかね?
(Kさんご提供の写真です) -
昨日は夜遅くまで楽しんでしまいました。
きょうはマンハイムに寄港です。
何はともあれ、きょう一日に備えて腹ごしらえであります。
これはもう、ご覧の通りでありまして・・。 -
これも、ご覧の通りでありまして・・(~o~)
船の旅のよいところの一つに、お腹を壊すことがないことですね。
料理の美味しさも大切ですが、健康管理という面では船の食事と水は安心です。
ただ、船内という限られた閉鎖性がありますから、悪質な風邪とかノロウイルスなどの問題が出ると、チョット弱いところがありますね。でも、そういうことの確率は少ないですけどね。 -
食事の後デッキに出てみました。
マンハイムでの本船係留地の正面のビルです。
この地域には、8世紀頃に集落があったと言われています。その後5世紀ほど歴史上の記録がなかったようです。
17世紀になって、ハイデルベルクに拠点を置くプファルツ選帝候のフリードリヒ4世が、この地域に巨大な城壁を造営してその中を整然と区切って城下街を作ったと言われています。これがマンハイムの発展に繋がり、現在に至っているようです。
30年戦争やプファルツ継承戦争の後、プファルツ選帝候は破壊されたハイデルベルクの復興をあきらめてマンハイムにバロック様式の大きな宮殿を建設しました(18世紀)。これは、現在のマンハイム大学に使われているようです。
撮影位置は↓にて(赤いピンのマークです)
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000487832ca93973ed330&ll=49.485113,8.454956&spn=0.002666,0.006191&t=h&z=18 -
本船係留地の北方面の展望です。
マンハイムはライン河の支流であるネッカー川との合流地点ともなっています。
ネッカー川は全長367Kmながら水運が活発で、その下流(マンハイム⇔シュトゥットガルト⇔プロッヒンゲンの間、全長の半分強)で1500トンクラスの船が航行しているとのことです。 -
本船係留地の北方面の展望です。
ちょっと見るとアパートのようにも見えますが、倉庫でしょうね。
マンハイムはライン河とネッカー川の二つの水運(物流)が合流することから、ライン河流域の中では大きな港を持ち、産業も盛んな街です。 -
本船係留地の南側(上流側)のビルです
マンハイムは人口30万人ほどの街で、この地域の中核的な都市です。ドイツの新幹線と言われるICEも全列車が停車しますので、交通の便も良いですよ。
また、マンハイム大学他の大学があって、「大学都市」とも言われているようです。 -
本船係留地の南側(上流側)の橋です。
-
ルートウィヒ港のライン川センターのようです。
-
これより、このバスでハイデルベルクに向かいます。
こちらの奥さまともすっかりお友達になって、カミさんも大喜びです!! -
たくさんの槍が天を刺すような感じのするフェンスを持ったこの施設は、なんなのでしょうか? チョット咄嗟には分かりませんでしたね(^_^;)
実は、マンハイム大学(州立大学)ということでした。ドイツの大学としては比較的新しい大学とのことです。しかし、経済学部や経営学部そして社会科学部などは、ドイツ国内でトップクラスにランク付けられているとか。優秀な大学なんですね。
いわゆる高等教育なんて全く無縁な私ですが、それでもこのような話を聞きますと、興味を持ったり、感心したりして、なんか知らないけど身近な思いを持ちますね。 -
マンハイム大学の校舎です。
この校舎は、ドイツで最大のバロック宮殿だったマンハイム城跡を利用しているとのこと。大学施設の大部分がその城跡のようです。市役所でもそうですが、そうした歴史的な建物や施設が使われていることが珍しくないですね。
古い施設を利用すると言うことは、運用の合理性からみると不合理な面も少なくないと思いますが、そこに拘りすぎないところにドイツやヨーロッパの懐の深さを感じますね。 -
ハイデルベルクまで、あと10Km。 656号線?をひた走ります!!
街に入るまでには10分もかからないね。
(Kさんご提供の写真です) -
ハイデルベルクまで、あと数Kmのところで、変わった形をしたビルを見つけました。
一番上の屋根の形を見てください。なんか警察の帽子に似ていませんか?前に徽章をつけたらホントにそういう感じがしますね。 -
ハイデルベルク城の駐車場が狭くて運転手さんは苦労されました。
この門をくぐりますと、城内に入ります。
古城内の見物は、あのランツフート城以来です。もっとも、こちらの方のが規模がグンと大きいですけどね。 -
門を入って間もなくのところの左手に延びる道で(ゲーテ記念館の方向だと思います)。
ドイツの文豪ゲーテは8回もハイデルベルクを訪ねていたみたいです。ハイデルベルクには恋人がいたとか? ゲーテはモテたのですね。私なんて、モテたことがないですから本当に羨ましいです。 -
廃墟となった様子が痛ましいですね。
(Kさんご提供の写真です) -
先ほどの門を入って、そのまま真っ直ぐ進む道の右側(山側・南側)にある城壁です。壁の材料の大きさがバラバラなところを見ると、修復されたところもあるのかな?と思ったりしますね。
-
小学生の遠足でしょうか?
我々も寒かったですけど、現地の人々も寒そうな格好をしていますね。
ところで、ハイデルベルク城とはどういう城だったのか??
ハイデルベルク城は、プファルツの国を治める選帝侯の居城だったのです。プファルツの選帝侯は結構エライ人で、選帝侯(皇帝を選挙する権利を持った諸侯)中でも筆頭の地位にあって、西ローマ帝国の皇帝が留守の時は皇帝の代りを務めたというのですから、大変な人がハイデルベルクに城を造ったんですね。
ところが30年戦争(1618−1648)で砲弾を浴び、プファルツ継承戦争ではフランス軍に1689年と1693年と2度攻撃されて、特に1693年の攻撃でボロクソにやられて破壊されましたとのことです。
その後、プファルツ選帝侯はマンハイムに宮殿を建て逃げてしまいます。次のカール・テオドールが修復を計画したようですが雷で炎上となる始末。運がないですね。その後修復の努力はあったものの、現在見る姿に留まってしまったとのことです。
今では、バーデン・ヴュッテンブルク州の所有・管理となっているようです。
(Kさんご提供の写真です) -
これはエリザベートの門です。
お話によれば、一夜にしてつくられたと門とのことです。
フリードリッヒ5世(在位1610年〜1623年)がイギリス生まれの妻エリザベス・スチュワートのために作ったと言われています。その時のエリザベスは19歳だったというのですから若いですね〜。夫婦仲はよかったそうです(*^_^*)
この門をバックに記念写真を撮ると、幸せになるんだとか(^-^) そんなこと、聞き漏らしてしまって後で知ったんで、私たちは写真を撮っていないんですよ〜(-_-;) -
これから、ハイデルベルク城ないのいろいろな場所が出てきますので、城内の地図をだしておきますね(ウィキペディアのものを修正)。
地図内に「エコノミー棟(Okonomiebau)」というのがありますが、ここは言わば事務関係と厨房があったと言われています。
【※】Okonomiebauの、最初の“O”(もともとのドイツ語)には、“O”の上に点が2つあります -
エリザベートの門付近から見た城門塔(左の高い塔)と橋楼(右・低い方の家)です。
写真中央の低いところは「堀」です。城のまわりに堀があるというのは、これまで見てきた古城の中では少なかったですね。
堀の上はご覧の通りの橋ですが、昔は「跳ね橋」だったとのことです。跳ね橋は多くの城が城を守るために採用していた工夫で、珍しくはないですね。
(Kさんご提供の写真です) -
エリザベート門と立ち木の間に見える建物(壁だけになっています)は、イギリス館といわれ、これもフリードリッヒ5世が妻エリザベス・スチュワートのために作ったと言われています。
夫婦の愛と言えば確かにそうですが、こういうものは歴史に残り語られるのですけど、人々の生活感情はどうだったのかと考えてしまいますね。
この点では、一般人の生活や日常生活感情の記録が非常に少なくて(近世に至るまでは一般の人々の文盲率が非常に高く、生活記録を資料化できる形で残すことが極めて少なかったことが背景にあると思います)、そのことが支配階層の政策を一般の人々がどういう気持で受け止めたかとか、人々の暮らしの中の生活感情の変化とかを、歴史に残せなくしている要因であるという指摘がありますね。
ハイデルベルク城の場所は↓にて。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000487832ca93973ed330&ll=49.41061,8.715763&spn=0.00267,0.006191&t=h&z=18 -
一時期は家畜も飼われたという話もあるようです。
イザ!!となると、水を張るそうです。 -
ここはルブレヒト館の裏側の様子と「堀」です。
本当に壁のみが残っているという、恐ろしいほどの光景ですね。
(Kさんご提供の写真です) -
この城への入場料は、今ではチケット売り場となっている「橋楼」で払います(私たちはガイドさん任せ(^o^) )。
そして、「橋楼」をぬけて橋に出ると、この通り城門塔(時計塔とも)が行く手を塞ぐよう建っていました。
この塔は高さが52m、奥行き13.5mあるそうで、この城跡の中ではその姿を壊されずに残っているただ一つのものとのことです。 -
↑の写真でも一部見えていましたが、城門塔(時計塔)の門の上にある騎士像です。
真ん中では獅子が何かをしているようですが、肝心の真ん中のものが抜け落ちているようですね。そこには、プファルツ選帝侯の紋章となっている獅子の像があるかと思いますね。
(Kさんご提供の写真です) -
上を見てください。
ここにも、敵の侵入を防ぐ「落とし格子」のようなものがありますね。
でも、この落とし格子の様子では、「落下」しそうにありませんねぇ。
(コメント修正:最初、「落とし格子」が前と後にあると書きましたが、どうやら1ヶ所だけのようでした)
↓はライヒスブルグ城の「落とし格子」です。これなら、ちゃんと落ちますね!!
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19895845/ -
城門塔の奥行きはこんなにあって、落とし格子が前後についていましたね。この門の前は跳ね上げ橋でしたし、ここには落とし格子が前後についていましたから、城を攻めるのは大変ですね。
でも、こうした守りが有効な時代は、剣とか槍、弓とか投石の時代までで、大砲の発達で意味を失ってしまったんですよ〜(-_-;) -
中庭に入りました(^^)
正面左の豪華な建物がフリードリヒ館です。正面右の工事中なのが北東端の鐘楼で、手前右の柱の見えるところが井戸棟ということのようです。
あのランツフート城と較べると桁違いに大きく広いです!!
ハイデルベルク城は平野部の城ではなく、戦争に備えた造り随所に見られますので、「山城」の部類になるのでしょうか??完全な山城というわけではなく平城でもなく、街にも近いので、日本で言う平山城の感じに近いのでしょうか。もちろん、建物の感覚は大いに違いますが。 -
この城をつくらせた「ルプレヒト3世」の名のつく建物です。
城門塔から中庭に入るとすぐ左にある住居棟とのことです。この城では一番古い住居棟とのことです。 -
ルブレヒト館の2階の窓と窓の間に飾ってあった「帝国鷲」の紋章です。
これは、この城をつらせた「ルプレヒト3世」を表す紋章とのことで、自らが「王」であることを示し、また自らの居館であることを示すものと言われています。
されば、わが家も紋章を作りたいと思います。
カミさんはチョット威張ったところがあるので、カミさんに似合った虎か龍が良いかなと思いますね。
皆さんのお宅では、どんなものを紋章にされますか?
愛猫のタマちゃんにちなんで、「タマちゃん」の紋章ですか??(~o~) -
城門塔を入ってすぐ、エコノミー棟の裏側の道を見た様子です(東方向)。
この奧には、火薬庫が配置されていたようです。 -
フリードリヒ館の全容です。
この館はプファッルツ選帝侯フリードリヒ4世が建設したもので、歴代の当主が居住するところだそうです。しかし、この前面は見るほどに手の込んだ作り方だな〜と思えてきますね。17体?もの人の立像と50近い人面像(写真で数えました)が取り付けられているんですね〜(@_@)
17もの立像は、プファルツ選帝侯の先祖であると言われています。一番上の破風部分に飾られているのは、カール大帝、 バイエルン公オットー1世、 バイエルン公ルートヴィヒ1世、 バイエルン公ルドルフ1世といった具合です。
私にはまだまだ分からないことですが、ヨーロッパの昔の建物には写実的な人物像が非常にたくさん組み込まれているんですね。特にマリアさんや聖人像がそうです。ここでは選帝侯の祖先の像がそうです。しかし、日本では人物像を建物に組み込むなんて、私たちの感覚では気持ち悪くてやれないことですね。
ヨーロッパでは人物像がどのように考えられているのか分かりませんが、当時のヨーロッパ美術では風景画を描くことは比較的少なく、キリスト教の宗教絵画や教会建物に人物に関する絵とか彫刻が多かったことも、回り回って関係あるかも??なんて、なんの根拠もないことを空想したりします(-_-;)
(Kさんご提供の写真です) -
これは龍のような形をした、ガーゴイルですね。
こうしたガーゴイルに金色の装飾を施していることにビックリです。
ガーゴイルは↓をご参考に。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19527760/
(Kさんご提供の写真です) -
改めてフリードリヒ館を眺めていますと、手の込んだ作り方に驚きます。
これらの人物像と人面像はいったい何なのか?と、やっぱり考えてしまいますね。
恐らくは、教会のステンドグラスと同じように、祖先を含む多数の偉人像を目に見える形で配置することで、彼の考える一族への忠誠と伝統の大切さを守ることを人々に求めたのかも知れませんね。それと併せて、自らの権威を表現したのだと思いますね〜。 -
この人はハイデルベルク大学をつくったルプレヒト1世とのことです。
学校を作ったなんて、本当にエライ人ですね。 -
この人はルプレヒト1世の上にいる人で、ヴィッテルスバッハ家の人と言われています。
↑でお話ししました人面像が、この写真の中だけでも6つありますね(その内の一つは、頭の上の幼児?の面です)。
いずれにしても、大聖堂をはじめとして、これほどまでに「人」に執着する文化というものに、美術鑑賞を越えた恐れのようなもを感じますね。下々の人たちは、これらの像を見て恐れをなすのではないでしょうか。もちろん、このことは私一人の感覚だと思いますが。 -
こちらの大きな壁は、オットーハインリヒ館の壁です。こちらもとても大きな建てものだったようです。
この館は「オットー・ハインリヒ館」と言われ、その名の通りオットー・ハインリヒ〔プファルツ選帝侯(在位:1556年−1559年)〕が、1556年につくった館といわれています。この館を作った当時のオットー・ハインリヒの地位は「プファルツ=ノイブルク公(神聖ローマ帝国の領邦君主の称号、在位1505年−1557年)」だったようです。
オットー・ハインリヒはとても教養のある人だったようです。彼はプロテスタント信仰を承認し、学問を奨励し、新人医師には死体解剖を義務づけたとか。本人は天文学にも造詣が深かったとか。そんなことから芸術家も応援したようです。
ところで、
この建物はドイツ・マニエリスムの最高傑作といわれているそうです(マニエリス=ルネサンス後期の美術で、バロックとの中間になるそうです)。
この建物にも多くの人物像が取り付けられています。 -
こちらは屋上に立つ(昔は屋上ではなかった)太陽の擬人化像だと思います。
上にも述べましたように、オットー・ハインリヒは大変に教養のあった人のようです。
パレスチナやアラブの方を旅行して、貴重な文献を数多く蒐集したといわれています。また、領地を巡回して領民と話をしていたとのことです。また、教会を巡回したりして、宗教改革の混乱の中で多くの教会が危機的な状況にあることを明らかにしたり、若い人の間で信仰教育のなおざりなことや倫理道徳の面が崩れていることも明らかにし、教育の必要性を痛感したとのことです。
まぁ、一面からのみ見たオットー・ハインリヒの姿ですが、真面目な人であったような好印象を持ちましたね。 -
同じく屋上に立つ月の擬人化像だと思います(木星=ゼウスの擬人化という話も)。
-
もう一度、オットー・ハインリヒ館を見てみましょう。
一番上の階には、土星(農業神)、火星(軍神)、金星(愛と美の女神)、水星(商業神)、木星(主神)の擬人化像が並んでいると言われています。
上から2番目の階には、キリスト教の言うところの、支配者としての美徳である強さ、信仰、愛、希望、正義の5つが擬人化されたものが並んでいるといわれています。
上から3番目の階には、政治と軍事を象徴する神話の英雄といわれる、ヨシュア、サムソン、ローマ皇帝(真ん中の破風の中にあるそうです)、ヘラクレス、ダビデの像が飾られています。
このように神々の擬人化像や英雄の像を飾ったことは、オットー・ハインリヒ自身の思想と統治理念を精魂込めて表現したものだと思いますね。特に5つの徳を以て統治にあたるという彼の姿勢には、強い信念を感じます(“徳”というところは儒教にも共通していて面白いです)。徳の中に「強さ」を入れているところにも、彼の決意のほどが表れているとみてよいでしょうか。
同じように人物像を多数配置したフリードリヒ4世のフリードリヒ館とは対照的な感じがしますね。もし、オットー・ハインリヒがもっと長生きしていたなら、ヨーロッパの政治が変わっていたかも??と考えてしまいます。
また、このように自らの信念と政治のあり方を様々な擬人化像を通して表現するところは、日本の文化・宗教・政治の歴史にはあまり見られないですね。ヨーロッパと日本のこうした違いに改めて注目してしまいます。 -
これは5つの徳の一つである「正義」の擬人化像です。
-
皆さんが向かっているところは地下室です。
地下室といっても、あのようなカーテンがあるところですから、そんなに陰気なところでもなさそうです(^^) -
地下への入り口にカーテンが掛かっており、このような紋章がついていました。
左側の紋章のみ分かりましたけど、右側の紋章が誰のものか分からないのです。
そこで左の紋章は「プファルツ=ジンメルン家」の紋章です。
これまでも紋章について少し触れましたが、紋章とは何でしょうか。
紋章は、中世ヨーロッパのキリスト教支配地域の「貴族社会」で始まったもので、「楯」に「個人」「組織」を識別できる図柄(シンボル)を描いた「世襲的制度」とのことのことです。紋章は個人を識別するので、親子でも同じものを使えないようです。親が死亡した場合は長男が継承するとのことです。例えば、「ドイツの紋章」とか「ブレーメン市の紋章」とか、「マラスピナ家の紋章」といった具合です。
紋章には規則というものがあって、例えば冠などは誰でも付けられるものではないようです。
女性も紋章がありましたね。「マッサ=カラーラ女公」は女性ですけど、この場合「カカア天下」は間違いないですね。夫君は気の毒ですけど、男たるものはガマンあるのみです!!(-_-;)
日本の家紋は、「家」を示す家紋は同じです(例えば鈴木家の家紋)。
(Kさんご提供の写真です) -
地下に入りましたら、こんなに大きなワイン樽がありましたね。左手にあるのは普通の樽でしょうか??
チョット試飲させていただけると大変良いのですが、皆さんどうお考えなんでしょうかね??(*^_^*) -
ところが、もっと大きな樽があったんです!!
この樽は、1751年カール・テオドールが造らせたもので、直径7m、長さ8,5mで、22万2千リットルものワインが入るそうです。木製の樽としては世界最大で、130本の樫の木から出来ているとのこと。
中を仕切れば2階建ての家にもなって、カミさんと二人で住むことも出来そうですね(^-^)(^_^)v
樽の上の方のわけの分からない形をしたものは、カール・テオドールのイニシャルであるCとTを模った紋章とのことです。
しかし、こんなに大きな樽を作る必要があったのか?なかったのか? そんなことはカール・テオドールに聞かないと分かりませんね(^^) -
樽の横には階段がついて上の踊り場に上がることもできますが、私たちは行きませんでした。しかし、樽の側面を覗いてみましたら、こんなにしっかりと固定・維持されていることが分かりました。そうですよね。ワインの重さで樽が歪んでしまっては困りますからね。
でも、まあ、こんなに大きな樽ですと、問題の核心であるワイン自体はどうなのかと思いますよねぇ(^_^;) 結局、あんまり樽が大きいですから、いろいろなブドー畑でとれたブドーをいれますから、肝心なお味の方は宜しくなかったとかでした。それでも選帝侯の振る舞うワインならみんな黙って飲みますよね〜(~o~)(^O^) -
そこで、記念写真です!!
やっぱ、貫禄がありますね!(^^)! -
写真がぼけていますけど・・(-_-;)
壁側にコンパスと長いカンナが掛けられていますけど、大樽を作ったとき使ったものとのことです。かんなの左横に男性の人形がいますが、これは「ペルケオ」という人で、大樽の管理人です。
カンナの右下に郵便箱の形をした箱がありますが、これについているリングを引くと、きつねのしっぽが飛び出してくるという「びっくり箱」です。
彼はワイン好きな人でしたが、あるとき人にワインの代わりに水を勧められ、そのあまりのまずさに驚いて、それがもとで亡くなってしまったそうです。 -
「ペルケオ」という人ですが、カール・テオドールにも仕えたイタリア出身の道化師で、ここの樽の番人だったそうです。
ワインが大好きで、一日に18本も飲んだとか。女性をからかうのが好きで、女性に「びっくり箱」を開けさせては失神させ??、そして介抱するのが楽しみだったとのことです。
貴族の女性はこんな時には弱々しく振る舞い、失神?するのも上手だったようです(^O^)(^-^)
こんな話を聞いていましたら、私はペルケオと交代したくなりましたね。私はいつもカミさんを介抱してるけど、ほかの女性も介抱したいのであります!!(*^_^*)(*^_^*)
(Kさんご提供の写真です) -
ワインの大樽の見学を終えてから、フリードリヒ館の裏側(北側・ネッカー川の見える側)に来ました。
左手の建物はフリードリヒ館の裏側(中庭がから見て裏側)です。ここはテラスといわれるところで、とても見晴らしの良いところです。 -
テラスからの眺めです。
こちらは、今朝船で着いたマンハイムの方向になります(西の方向)。
見えている川は「ネッカー川」です。 -
ここは、ハイデルベルク市街の中心部です。
真ん中の高い塔を持つ教会は「聖霊教会」です。そのすぐ右のグレーの屋根の建物は市役所とのことです。 -
こちらが上流側(東の方向)で、観光ルートとして知られている「古城街道」へと繋がっていきます。
上でも述べましたが、この河も貨物船や観光船が行き来していますよ〜(^-^) -
テラスの端はこんな風になっています。
ハイデルベルク城に来ましたら、是非ここに来て素晴らしい展望を楽しみたいですね(^^)
ハイデルブルク城は歴史的な観光の対象として早くから広く知られ、19世紀頃から多くの外国人が訪れるようになったとのことです。
日本からの観光客もとても多いようです。 -
ハイデルベルクの絵はがきには必ずと言えるほど出てくる「アルテ・ブリュッケ橋(“古い橋”と言う意味。正式名は“「カール・テオドール橋”)です。ここから城を見上げるのもイイですよ!!
(Kさんご提供の写真です) -
テラスから見上げたフリードリヒ館です。
中庭側と較べてると、豪華な作りながらも手も抜かれていますし、人物像があるのは一番上の二つだけのようですね。
ま、サッパリしたモンです。
この城はネッカー川から見て、南側の山の斜面に建っています。
ということは北向き斜面に建ってますので、北風が吹き付けるんではないかと余計な心配をしてしまうのです。
この地域の北風というのは、日本のように冷たい風なのかどうか知りたいところですね。 -
「おかあさん、一枚撮る??」
再びここに来るなんてことは滅多なことではあり得ませんので、記念の写真を撮っておきたいと思います(^O^) -
人物像などがないとは言え、壁面の下の方にはこんなものが飾ってありました。
ライオンとそのしたの人面像ですが、特に下の人面の表情は何を表しているのでしょうかね。怒っているようにも見えますし、驚いているようにも。または威嚇しているようにも見えますね(@_@)。 -
これは殆ど人間の顔をした獅子ですねぇ(=_=)
-
おかあさん、こわいよ〜〜」(*_*)
こんなのばっかり見ていますと、私はカミさんの背中の陰に隠れたくなってしまいます。
「寄らば大樹の陰」なんて言われていますから、ホントにカミさんの背中は頼りがいがあるのですよ!!
カミさんが私の背後に隠れたなんてことは、一度もなかったですね。
皆さんはどうですか?? -
このテラスには、大きな靴跡があったんですよ。恐らくコンクリートが固まる前に足を出してしまったんですね。
でも、こういうところで物語が作られるんですね。それによると、選帝侯の妃が、若い騎士をベットに引き入れて浮気の真っ最中というときに、狩りに出て行ったはずの選帝侯が突如帰ってきて、驚いた浮気相手の騎士が靴だけはいて、妃の部屋の窓から飛び降りたというのです。そのときの靴跡がこれだと言うわけです(^O^)(~o~)
エッ??下着をはかなかったの?? 下着も着ずに靴だけ履いたの??(^O^)(~o~)
ま、あんまり考えるとリアルになりすぎますので、この辺でやめときますね(~o~)
そういうことで、この足跡にぴったり合う人は、浮気人かも?という話なのです。
ちなみに、女性の靴には合わないとことでした。
そこで、鶴ちゃんが靴の形を合わせてみられたのですが、コレこの通り!!カカトの後がチョット空いてしまいました。 -
ハイデルベルク城の対岸側の山の中に、見張り塔のようなものを見つけました。
この塔は既に廃墟となっている修道院の一部のような気がします。
またこの塔の上の方には、野外劇場跡とか集会場跡とか言われるところがありますし、さらに聖ミカエル修道院跡もあります。
これらの施設跡は説明されることもないようなので、折角ハイデルベルクに来ても知らずに帰ってしまうことになりそうです。現に私たちは何も聞いていません。
この塔の場所は↓にて
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000487832ca93973ed330&ll=49.419429,8.704294&spn=0.00267,0.002516&t=h&z=18 -
テラスから中庭に戻ってきました。
そう言えば、先ほどガイドさんが
「こちらはお城の井戸ですよ〜」
と言っておられました。
井戸はあのあるところですよ。
チョット気になってカミさんと行ってみることに・・。
そうですよね。井戸は命の綱ですからね〜。 -
井戸が地面から出ている様子は、私たちの子供のころのお隣の井戸を思い出します。
そのお隣の井戸には四つ足で踏ん張っている屋根もあって、釣瓶が掛けられていましたね。
↓の一番上の写真のようでしたね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%88%B8
このお城の井戸も、上から滑車が吊り下げられるような感じになっていますね。
具体的な方法は分かりませんけど、ちょっと親しみを感じます(~o~) -
井戸の中を覗いてみました。
かなり深いようですが、それよりもこの汚いこと!!(>_<)(*_*)
こんな大事な史跡にタバコの吸い殻やゴミを捨てるなんて(>_<)
ホントに困ったものですね。
おかあさんにバシッ!!と叱ってもらいまひょか?! -
オット!!
記念写真を忘れちゃいけないよ!!(*^_^*)
旅行中ズッと親しくしていただいたお友達ですよ〜〜(^_-)(*^_^*) -
「こんどは、あっちをバックに撮りましょか?」(^-^)
そういうワケで、オットー・ハインリヒ館をバックにもう一枚!!
美人を前にしますと、カメラも恥ずかしくなって傾いてしまうのであります(~o~) -
城の見物を終えて帰る途中に撮った「ディッカー塔」の方を撮影しました。
それにしても、フランス軍は火薬に事欠かなかったようですね(-_-;)
モーゼル河やライン河に沿う城ばかりでなくこの城まで爆破してしまうなんて、「親が憎けりゃ子も憎い」という根性なのでしょうかね? 困ったモンです。 -
ちょっと拡大してみて下さい。
扉についている丸い鉄の輪ですが、右斜め下がちょっと欠けていますね。
ここにも、面白い話があるのですよ(~o~)
それによれば、この門を造った当時の王様が、「この鉄の輪を噛み切った者がいれば、その者にこの城を明け渡す」とという布告をだしたとか(^o^)。そこで大勢の人が挑戦したのですが、ダメでした。最後順番の魔女がガブッ!!噛んで、その跡を残したと言うのです。 この話を作った人も、相当なヒマ人だったようですね(^O^)(~o~) -
「おかあさん、撮るよ〜」(*^_^*)
またまた、記念写真であります!!(^O^)(~o~)
最近の記念写真は、ホントに簡単だね!
ハイデルベルク城とはこれでお別れであります(;_;)
考えてみますと、これまでもたくさんの廃城を見てきました。破壊されたままの姿をさらけ出すのは「惨め」に感じ、いっそのこと壊して綺麗にしようかと思いますよね。
実際ドイツでもバーデン政府(現・バーデン・ヴュルテンベルク州西部にあったバーデン大公国政府)は、破壊されたこの城を「悪趣味で古くさい」として取り壊して整地しようとしました。
この動きに対して闘ったのが、フランス人のシャルル・ド・グライムベルクという人だそうで、バーデン政府に城趾の維持を主張して闘ったというのです。彼は城の監視委員会を立ち上げ、自ら城で暮らして頑張ったとのことです。文化財保護が始まるずっと前から、こうしたことに着目して訴え、城の撤去を阻止して保存へとつなげたというのです。
今でこそ、世界遺産などの世界的な文化遺産の保護が常識になっていますが、今から190年余も前にこのような先駆的な視点を持った人材がいてくれたらこそ、今になって私たちがハイデルベルク城から歴史を学ぶことができたというわけですね(^-^)!(^^)! -
ハイデルベルク城へは登山電車で来ることも出来るのですよ。
私たちはバスできましたから乗りませんでしたが、電車で来られた方には利用されるとイイですね。
(Kさんご提供の写真です) -
車窓からの写真ですが、このような古い建てものがたくさん残っていますね。
詳しいことは分かりませんが、このような遺跡が街の真ん中に残っていることに何かしら考えさせられますね。
私はかつて「石の文化」だから可能なんだと思ったりもしましたが、どうもそうではなさそうですね。 -
添乗員さんはお忙しそうですが、御陰様で我々は大助かりですm(_ _)m。
ところで、この建物はなんなのか?? ちょっと分からなくて^^;
大学関係の建物のような気がするんですが(学生食堂??)、確かなところは分かりません。
いずれにしても、↑にも述べましたように、こうした古い時代のものが今も使われ機能していることは賞賛に値しますね。新しきものと歴史あるものとが共存しているんでしょうね。それは、ここに暮らし成長していくものにとって、素晴らしい環境でもあるように思いますね。 -
中は広いようですよ。
奥の建物に「Zeughaus」と書いてありますが、直訳すれば「兵器庫」のようですが、今ではどういう意味を持っているんでしょうかね?
まさか、平気があるわけじゃあるまいし・・(~o~) -
こんどは大学広場へやってきました。
「エ〜〜?!! こんなところが大学なの??」
ほんと、昔の大学ってこんな感じだったのかも??と思いますけど、今朝車内から見たマンハイム大学とは大違いですね。 -
この建物(↑の写真で右端に写っています)は、ハイデルベルク大学の旧校舎とのことです。これじゃあ、事務所くらいの大きさですよね。
-
新旧の校舎です。
向こうに見えるのが、新しい校舎とのことです。足場が汲んであって工事中のようですね。
新校舎までが、街の中にあるなんて!!
大学って、大きな門があって一般人が入れないのかと思っていましたけど、これじゃあ、全く街の中の建物の一つにすぎないですね。
街を迷っていたら大学の前に立っていたなんて、私には考えられないことでした!(^^)!
ハイデルベルク大学のことは↓にて。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF -
ハイデルベルク大学旧校舎の前にある獅子像です。
鷲とか獅子(ライオン)は権力の象徴ですね。この獅子は右手に王錫を、左手に地球儀を持って権威を主張していますね。
獅子はプファルツ選帝侯の紋章にも使われています。選帝侯は大学を支援しましたから、大学にとっての象徴的存在のようです。
私もこの獅子のように、右手に王錫を左手に地球儀を持ってカミさんの前に立ったら、少しは亭主らしくなるかもね??(^-^) 但し、舌は出しません!!(~o~) -
大学のすぐ隣にそびえていた塔は、カトリック系の「イエズス会士教会(Jeswitenkirche)」の塔のようです。
ハイデルベルクにあるイエズス会教会は宗教改革反対派の象徴とのことで、旧イエズス会地区の重要建築と言われています。建築様式はドイツバロック様式とのことです。18世紀中頃に全体像が完成したようで、現在では大学の行事にも使われ、.大学のセミナーの他に室内楽コンサートなども催されているとのことです。 -
外人さんの団体も結構おられますね。
左側の建物は、大学の旧校舎です。
写真の奧に伸びる通りは「メーリアン通り」です。
ところで、ハイデルベルク大学って、建物が市内のあちこちに分散しているとのことです。
だいたい、ドイツやヨーロッパの古い大学は、日本の大学みたいに建物が固まっていないそうで(そういう私は、日本の大学も高校も知らないけど)、教室や研究室が市内のあちこちに分散しているそうです。実際、ハイデルベルク大学の施設の配置を見ますと、ホントに散らばっていますね。
このハイデルベルク大学には、私も好きだったあの大内兵衛氏が留学していたそうです。
(Kさんご提供の写真です) -
手前側の建物は、ハイデルベルクではとっても有名な学生牢です。
その名の通り、悪いことをした学生がブチ込まれる牢屋なんですよ。
この学生牢は↑の旧校舎ができた1712年から1914年(第一次世界大戦の始まるとき)までの、約200年間使われていたとのことです。 入牢期間は最低が3日間で最長が4週間とのことでした。入牢中も授業だけは出るようにされていたようで、入牢生活を楽しんでいた学生も多かったとかなんてお話でしたね。
4週間の入牢は、警察沙汰になるような悪いことをした場合とのことでした。
ハイデルベルク大学にはドイツ最古の歴史と伝統があり、ドイツきってのハイレベル名門大学なのに、この大学に入って悪いことをするなんてとんでもない人たちですね〜〜(-_-;)
(Kさんご提供の写真です) -
あの真ん中の仏様を見て下さい!!
しっかり勉強するんだよ〜〜!!って言ってるじゃありませんか!!
ホント、遊んで損はしても、勉強して損することはないんだからね。
(もっとも、こんなことを言う私は勉強が大嫌いでした。勉強するくらいなら、寝ていたい方が良かったですね。今なら、カミさんの傍がイイですね!!(*^_^*) )
大学なんて言ったら、私から見れば雲上の存在!! いや、もっと上の方の星の世界のような存在なんですよ。大学生と言えば崇高な理想に燃えている人たちばかりだから、大学生と聞いただけでオシッコを漏らしてしまうほど尊敬しちゃうんです(大学を卒業された方々に対しても、おんなじ思いです!!)。なのにどうして、悪いことをするんでしょうかね。
そりゃ、ガイドさんのお話を聞けば大学の自治とか若さの至りとか・・、それはそれで分からないではないですけど、やっぱり私には納得ができませんね。
まぁ、それでも世界の大学ランキングで8位(日本一の「東大」が100位にも入らないとか)ということですから、目をつぶってやっても良いか?なんて思っちゃいますね。 -
ハイデルベルクの街の様子です。
両側に3〜4階建ての共同住宅?アパート?が続きますね。
こうした、アパート生活の四方山話も是非ぜひ聞きたいものです!!
Google Earthで見ますと、ハイデルベルク駅の西の方には一戸建て住宅の地域が広がっているように見えます。 ドイツでそういうところを見たことがないですから、比較対象的な意味でも、見てみたいですね。 -
こんどは大きな教会が見えてきました。
これが、お城の上から見えた「聖霊教会」ですね。かなりオンボロの感じです。
この高い塔は82mもあるとのことです。ビルにするとだいたい18階建て、マンションですと22建てくらいの高さになるでしょうね。まぁ、よく作ったものだと感心します。
この教会は1400年頃に造られはじめて、出来上がったのは1544のこととのことです。一世紀半も掛けて作るなんて、本当に粘り強い人たちですね。
ちなみに、ケルン大聖堂は着工が1248年で完成が1880とのことでしたので、この聖霊教会の工事期間の方がウンと短かったですね(規模も全然違いますけどね)。
こうして苦労して作った教会も、ハイデルベルク城と同様に30年戦争とプファルツ継承戦争で甚大な被害を受けたとのことでした。 -
こんどはこっちからの写真です!! ホントに大きな教会ですね。
ケルン大聖堂は宗教改革の影響で工事期間が延びたりしましたが、この教会でも宗教改革の影響をもろに受けました。
それは教会の使用を巡るカトリック派とプロテスタント派の抗争です。この抗争の成り行きは、この地域を支配する選帝侯の意向にも左右され(フリードリヒ4世とオットー・ハインリヒはプロテスタント支持、カール・フィリップはカトリック支持というように選帝侯の代替わりで意向が変わる)、両派の力関係にもよって、教会の中に仕切りの壁をつけたり、取り払ったり、また壁をつけたりと・・。そのような教会内の争奪戦が続いたみたいです。
こうした両派の抗争がドイツ皇帝の介入まで呼び込んだことから、カール・フィリップは戦争で荒廃していたハイデルベルク復興への意欲も冷めて、マンハイムに宮殿を作って出て行ってしまいました。
宗教改革の地域での実態には、問題の現れ方は違えどもさまざまな抗争があったようですね。
(Kさんご提供の写真です) -
聖霊教会と市役所の間の広場が、マルクト広場になっています。
この市役所も古い建てものを利用していて、好感が持てますね(建物は新しくても古い形にして作ったかも???そこまでは確かめられません)。
市役所でちょっと思い立ったのですが、ドイツの多くの街では市庁舎の建物が伝統的なものであることが多いですね。これまで見てきたどの市庁舎も、古い建物を利用していましたね。それだけでなくて、だいたいの場合その中に喫茶店が併設されているようです。
ハイデルベルク大学もそうでしたが、古い建物は使いづらいはずなのに、それを使い続けるドイツ(ヨーロッパ)の人々の感覚を想いますと、単なる合理主義に容易に迎合しないところがあるのかな??と思ったりします。各地に古い遺跡が街の真ん中にも残されていることも、そんな感じがします。
ホントに伝統というものが生活の場面から隔離されることなく、地域生活に溶け込んでいることに、その素晴らしさを感じます!!
例えば、日本の京都とか奈良・或いは高山などの市役所が、それが鉄筋コンクリート造りであっても、形だけでも伝統的な物であったとしたならどうでしょう。考えてみるだけでもステキではありませんか?? -
さぁ、これから橋の方へと向かいます。
向こうに見える白い塔のところに橋があります。 -
橋のたもとにあったお猿さんの像です。
地元の芸術家が作ったとのことですが、面白いものを作ったものですね。
左手にもっている丸い鏡は、見物人の心を映し出すものだそうですので、うっかり近づくと心の中を見抜かれますよ!!あなたが偽善者であるかどうかが、分かるってことですね(~o~) -
ハイデルベルク城のテラスからも見えたアルテ・ブリュッケ橋(“古い橋”と言う意味。正式名は「カール・テオドール橋」)です。
昔は木の橋だったとことで、戦争や洪水で壊れたりして何度も作り直されたとのことです。
現在の「石の橋」にしたのは200年ほど前とのこと。古そうに見えましたので、1000年くらい前につくった橋かと思いましたが、意外に新しいですね(^_^)
(Kさんご提供の写真です) -
アルテ・ブリュッケ橋のまんなかまでやってきました。
正面に見える白い塔は橋門は城門のように見えますが、もともと13世紀頃からあった城門だったとのことです、この城門は監獄にも使われたそうです。この形はゴシック風ではなくバロック風ですね。
ここから見ると、橋の端に誰かが立っているのが見えますね。さぁ、誰でしょうか??
(Kさんご提供の写真です) -
アルテ・ブリュッケ橋の上にある「カール・テオドール」の像です。
彼がどうしてこんなところに立っているのか??
実は、この橋は彼がプファルツ選帝侯(在位:1743年−1799年、1777年以降は選帝侯の資格を喪失。但し、すぐ後にバイエルン選帝侯になっています。在位:1777年−1799年)のころの、1786〜1788に掛けてつくったからです。
カール・テオドール足下で4人の男女が暇そうにしていますが、この4人はヴィステルバッハ家の領地を流れる4つの大河「ライン,ドナウ,ネッカー,モーゼル」を表わしているのだそうです。どの人がどの川なのか分かりませんけど、ライン川はあのお父さんでしょうね。そう、「父なる川、ライン河」と言われていますからね。
この人たちも、ドイツの擬人像と言われる「ゲルマニア女神像」のように、それぞれの川の擬人像と言えるのでしょうかね。
↓は「ゲルマニア女神像」です。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/20133533/ -
アルテ・ブリュッケ橋から見たハイデルベルク城です。
ハイデルベルク城がいつ建てられたかについては、諸説があります。一般的には13世紀以前半という説のようです。
城の大きさでも、現在ではこれだけの規模ですが昔はこの数倍も広かったとのことで、左手の方に庭園風の平らな面があったようです(そこに何が建てられていたかは分かりませんけど)。現在のこのっているのは、主な建物が集中しているとこだけなのです。 -
何はともあれ、記念写真といきますかね(^-^)
旅に出たならば、いつでも・どこでも記念写真であります!!
記念写真って、案外簡単なんですねぇ。
昔は記念写真と言いますと、皆が整列して、7〜10ほど前にいる写真屋が暗幕の中に頭を突っ込んで画像調整して、準備完了となるとマグネシウムをのせた板を高く掲げ、
「ハイ!撮りますよ!!」
なんて言うと、マグネシウムが目がくらむほど光って、ヤレヤレという感じで撮ってもらったモンですね〜。
ホントに隔世の感ってこういう時にも感じるモンですね。 -
橋門の中を覗いてみましたら、例の「落とし格子」が牙を見せていました。
「おかあさん、あれが「落とし格子」だよ!」
またまた、要らぬことを口走ってしまいました。
オトコは黙って・・。それがオトコらしさなのであります(^_^;)
そう言って立ち止まって写真を撮っていると、当家のカミさんはサッサと先に行ってしまうんですね〜。ゼンゼン関心ないみたい(^_^;)
当家のカミさんの旅先での主な行動パターンは、下記の通りです(^O^)(~o~)
1.威張る 2.食べる 3.喋る 4.寝る (^O^)(~o~)
カミさんのことは、後にして
この橋門が13世紀頃につくられたのであれば、落とし格子がついているのは当然ですね。こういうものを見ると「橋門」と言うより、やっぱり「城門」ですねぇ。 -
さあて、お昼をいただきに参りましょう!!(^O^)(~o~)
私たちが向かうのは、この正面の家ですよ!!(^_^)
ホントに、とってもカッコいいと思いませんか(^-^)!(^^)!
しかし、この建物の正面(ファサード)の装飾は、本当に豪華ですね。
お城か宮殿かしら??と思ってしまうほどですね。 -
テーブル席に着席して正面の壁を見ると、このような勇ましい騎士の像がありました。
本当に勇ましいですねぇ。
この像では、騎士がオオトカゲのような怪獣と闘っているところですね。馬に乗っているから、ウマくいくことでしょうね。
私は運動系の人間ではなくて生まれつき横着系の人間ですので、こういう騎士になるのはいやですね。それより、カミさんの足の裏でもマッサージしていた方が似合うのであります!!!(^^)!(~o~)
添乗員さんのお話では、このレストラン(館)はハイデルベルクでも有名な「騎士の家」だそうです。それはそれは、よいところを予約していただいて、感謝感激です。 -
こっちは優しい姿をしていますので、女性騎士でしょうかね?
どこかで読んだ女性騎士の、切ない恋の物語を思い出しましたね。騎士をやめて、私のところへ来たらよいのにと、同情ばかりをしてしまいます(T_T)。
頭の上のレタスの葉がカッコいいですね。
当家のカミさんだったら、女性騎士が勤まるかも知れませんよ(^_^)
何と言っても忍法の心得がありますかね!!
「忍法○△潰し!!」←コレをやられますと、気絶しますよ(@_@)(T_T)
「忍法膝蹴りの術!!」←コレも気絶しますよ(*_*)(@_@)
「忍法・・・」←あんまり言いますと私が惨めになりますので、やめときますね。 -
これは、最初に出たスープです。
お味は騎士の味でした!!な〜んて(~o~) -
こちらはデザート。
本当はデザートの前に主菜が出たのですが、食べることに夢中になって撮るのを忘れてしまいました(-_-;) -
「おかあさん、こんなところに鉄仮面がいるよ!!」
「騎士の家」を出ようとしたら、玄関の脇に鉄仮面がいました。
入るときには気がつかなかったのですが(喰い意地がスゴイですね!!)、初めて見る鉄仮面に感激してしまいました!!
この「騎士の家」は、フランス人の生地屋さんが1592年に作ったといわれ、2度の戦禍を無事に切り抜けた唯一の建物だそうです。屋根の一番上に守護神としてザンクト・ゲオルグの騎士の胸像があり、それで「騎士の家」と呼ばれたようです。
この家は、日本人観光客が昼食によく使うそうで、賑わっているとのこと。夜は良い雰囲気みたいです。 -
また、イエズス教会の前に来ました。
イエズス会というのはあまりなじみのない名前ですが、この会はカトリックの男子修道会とのことです。
従いまして、カミさんと一緒に入会することは出来ません(>_<)
現在では世界各国で合計2万人の会員がいるとのことです。イエズス会は宗教改革に対抗して作られたとの話があるようですが、その発足は宗教改革の始まる直前だったと言われています。
イエズス会の初期の会員も、当時のカトリック教会の腐敗ぶりは分かっていたようで、それを激しく批判したとのことです。それを外からの批判ではなく、教会内部に留まって活動することを重視したとのことです(ルターらもカトリックを飛び出すつもりはなかったようですが、論争がエスカレートして最後には破門されてしまったとのことのようです。対照的にイエズス会の人たちは最初から教皇への忠誠を打ち出していたとのことでした)。
彼らの活動は、高等教育を広めること、キリスト教信者を増やすこと、プロテスタントに対する防波堤になることなどが中心だったようです。高等教育の普及を重視したことは、とっても共感できますね(^-^) 私はカミさんに教育されてますけど・・(-_-;) -
イエズス教会の入り口横に張ってあったプレートです。
どういう意味でしょうかね? -
教会となると、どうしても内部を見たくなってしまって、扉をちょっとだけ開けて、内部を拝見させていただきました。
急いで撮りましたので、傾いた上にボケてしまいました。(いつものことですけど)
清楚な感じの教会ですね。英語などが話せれば、もっと中に入って許しを乞い、いろいろ撮影できたのにと、悔やまれます(T_T)
実はイエズス教会はわざわざ来たのではなく、椅子を探してウロウロしているときに前を通っただけのことでした。これからは高齢化社会なので、街の中に椅子とかトイレとかが欲しいですね。 -
狭い路地です。
ヨーロッパでは街の中心部に歴史ある街が残されていることが多く、車社会になった今でも狭い路地がたくさんありますね。
マイカーなどはどこに止めているのか(路上駐車も多い感じですけど)、これも知りたいところですね。 -
街を歩いていて気付いたのが、人々の足下を走り回る鳩でした。
暫く見ていましたが、鳩は雑踏の中を逃げもせず、人の流れに微妙に調和していたことが面白かったですよ(~o~) -
聖霊教会の内部です。
こんなところに無料で入れて椅子に座ることができたなんて・・(;_;)
もっと早く知っておれば、大学広場まで椅子を探しに行くことはなかったのに・・(T_T) -
教会の祭壇です。とてもシンプルな祭壇です。
現在はプロテスタントの教会と言われているようです。プロテスタントの人々は人と神との関係に教会の仲介は必要ない(信者の世話をする程度のもの)との立場をとるとのことで、豪華な絵とか装飾も重視なかったとのことです。 -
そうえば、内村鑑三が無教会主義を唱えたことも思い起こされますね(元東大学長の矢内原忠雄氏も、内村鑑三の考えに共鳴されていたとのことです)。
彼がプロテスタントであったかどうかについては議論があるようですが、プロテスタントに近い考えだったかも??と思いますね。 -
気のせいでしょうか?ステンドグラスも幾何模様中心で、人物がないですね。
-
こちらもそうです。
しかし、美しいですね。 -
シンプルで美しいですね。
-
こちらのステンドグラスには、人物像があるのですがあの枠が邪魔していますね。
-
ここはカールス広場だと思います。
バス乗り場に移動中撮った建物ですが、1717年頃に建てられた「大公宮殿」と言われる建物のようです。
この広場の下(地下)は、駐車場になっているとか。
車で来た方には好都合ですね。 -
バスに乗って、船の待つ港へと向かっています。
途中までしばらくの間ですが、ネッカー川に沿って「古城街道」の一部を走ります。
私たちがハイデルベルクを見物している間に、船はラシュタットという町に回航されています。そして今夜遅くストラスブールに入港するということになっています。
さて、ハイデルベルクを発って10分か15分くらいすぎたころ。右手の山の上にこぢんまりとした街が見えてきました。この町は「ディルスベルク城」とその城塞都市です。
城は朽ちていますが、街は今も活気があるようです。
↓をクリックしますと、ディルスベルクの街と古城が分かります。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000487832ca93973ed330&ll=49.39877,8.837042&spn=0.006005,0.008562&t=h&z=17 -
ディルスベルク城を撮った後、1分も過ぎないうちに見えてきたのが「ミッテンブルク城(Mittelburg)」です。
12世紀中頃に作られた古い城のようですが、その他の詳しいことは分かりません。
ここには800mほどの間に4つの城(フォアデアブルク、ミッテンブルク、ヒンターブルク、シャーデック)があるという珍しいところです。 -
振り返ってお城を撮ったのですが、バスの後部の一枚ガラスに黒の水玉模様がびっしりとあって、ビックリしたんですよ!!(-_-;)
観光バスなんだから、風景が見えてナンボでしょ!!日よけの為かも知れませんがこれはないよね〜〜(>_<)
そうそう、今回は乗車が遅れて、最後部の席になってしまったんですよ!!ですから、思うようには写真が撮れなくて、この区間は大失敗なのでありました。 -
川向こうの山の上の真ん中に、旗の立っているお城のようなもがちらりと見えました。
これは、先ほど山の上に見えた「ディルスベルク城」のようです。 -
「ディルスベルク城」の方向ですが、なんか、城壁のようなものが見えますね〜。
当家のカミさんが買ってくれた300mmの望遠レンズだからとれたようなモンですけど、でも、これ以上は分かりませんね〜(-_-;) -
オッ!! また何かが見えてきたよ!!走ってるバスの窓の隙間からブレブレながらもナントカとれた一枚でした。
現在は暗くて雨も降ってましたから、撮影条件としてはちょっと辛いですね。 -
「おかあさん、この窓はイケナイよね〜」
観光バスなのに、外の見えにくい窓なんかどうして付けたのでしょうかね。
設計者は何を考えているんだよ!!(>_<)(*_*) -
私のそんな小言が聞こえたのか??(^_^;)
「このお城は有名なお城ですので、バスを止めて写真タイムを取ります」
とのご配慮が(^-^)!(^^)!
「写真を撮られる方はバスを降りて、撮って下さいね」
とは言え、外は雨(-_-;)
雨の中を急いで撮ったのが、この写真でした。
この城は「ツヴィンゲンブルク城」とのことです。
現在でもバーデン大公の城であるとか??
バーデン大公ってなに??今でもそんな貴族めいたいい方があるの??って思いますが、そこのところは良く分かりません。 -
バスは平野部に出て、これといった景色も古城も見られなくなってしまいました。
この先のラシュタットの街外れには、メルセデス・ベンツの大工場があります(敷地面積はトヨタの元町工場に匹敵するほどです)。
ベンツの工場は↓にて
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000487832ca93973ed330&ll=48.863783,8.180308&spn=0.024279,0.050597&t=h&z=15
トヨタの元町工場は↓にて。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/17891213/
(Kさんご提供の写真です) -
船が先回りして待っていてくれました。時刻は午後5時50分でした。
船を見るとわが家に帰ってきたような感じがします。
この「わが家」という感覚は、クルーズの独特の味わいですね。 -
「おかあさん、チョット待った!!」
こんなところに大きなスクリューを発見!!
ホントに大きなスクリューですね。私たちの船には、恐らく2つ付いているでしょう。
さっそく記念の写真であります(^o^) -
我々が乗船し終われば、船はストラスブールに向けて出港です!!
きょうは、ハイデルベルクで一日が終わってしまいました。
(Kさんご提供の写真です) -
一日が終われば、今夜もディナーであります(^^)
これはアスパラですね(^o^) 右は幾つか用意したあった野菜をとってきたものです。
ま、健康食ですね!! -
これはもう、スープであります。
取っ手もついていて、とっても扱いやすいです!! -
さっそく記念写真であります。
やっぱり、船はわが家!!ですね〜(^-^) -
これは魚の白身ですかね?
-
只今、水源地より327地点を航行中であります。
白鳥さんも同じです(~o~) -
メインディッシュです。
エビとお肉とアスパラと・・
美味しかったです!!(^o^) -
デザートです!!
焼きプリンですかね??
これは大好きです!!
そして、たくさんのお話をして・・
ハイデルベルクの城と街は、本当に考えさせられる街でしたね。
ところで、ベッドは相変わらず離れてしまいます!!
その隙間に手は落ち、足は落ちても、身体までは落ちていません!!(~o~)
就寝中にベッドが離れる船なんて、本当に初めてです!!
今夜を入れて残る3泊を、無事を祈りながら寝ることにします!!
明日も、大学の街ストラスブールです(^o^)
(その13に続きます)
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この旅行記へのコメント (3)
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- 白い華さん 2011/09/23 07:28:42
- ドイツ・ライン川 で。。。 ーーー「偶然〜〜!!! マンハイム対岸・・・ に 立ってた、 私・・・ と カメちゃん」。
- お早う 御座います。
誰も・・・ が 決まって 訪れる! 有名 観光地。
こうゆう・・・ 場所! は、 まぁ〜、 「ご一緒! は 当たり前」って 感じ・・・ ですが、
「ハイデルベルグ の 町! に、 程・・・ 近い」 と 云う、
理由〜〜・・・ で しょうか〜 ?
カメちゃん は、 ドイツ・マンハイム の 町。 に、 上陸。
私 は、 そんな・・・ マンハイム の ライン川 の 対岸! の 町、ルードヴィヒス・ハーフェン と 云う 町・・・ に ホテル を 取り、
そんな・・・ 小さな 町! の 繁華街。 夕方・・・ 歩いて みたんです。
対岸 は、 先ほど、 フランクフルト 空港〜 から、 途中、 通った! 大きな 町。 マンハイム・・・ が あります。
モチロン、 散策・・・ 途中、
初めて! 眺める・・・ ライン川。
ゆっくり・・・ 眺め に、 やって・・・ 来た。
丁度、 この 写真! の モダン な 白い! 覆い・・・ の 建てもの。
私 の 旅行記 (1) ドイツ・町 編。 でも、 ご紹介! しております、
「白い! 大きな S.C.」 でして、
この 入り口! には、 真っ白い・・・ パラソル。 や、 ベッド・シート が
ライン 川! に 向かい、 段々・・・ に、 席 が ある、
と〜〜っても、 モダン で オシャレ! な 「リバー・サイド カフェ & バー」。
センス! 抜群 の、 素敵! な ドイツ・・・ の ひとコマ! を 拝見 できて、
感激〜!!!・・・ の 私 なの・・・ でした。 (♪)
そして、
「ライン川 クルーズ! 中〜・・・ の カメちゃん の お船! は、マンハイム に、 係留。 上陸〜〜っ」
そんな・・・ 上陸 地点! は、
私 が、「 対岸・・・ の 町。 の 白い! 段々・・・ カフェ。」 より、 眺めた!
全く、 スグ・・・ 真正面! の 場所。。。 (らしい〜)
ハイ、 赤い! レトロ・・・ な ビルディング の 建物。
大きな、 モダン・・・ な 白い! 大橋。
どれも、 私・・・ が ドイツ の 小さな 町! で 目・・・ に した 風景〜。
が、 今回 の 「カメちゃん の ハイデルブルグ! 旅行記」 で
偶然・・・ 目 に 出来て、 驚き!!! が また、 嬉しい〜っ。
ドイツ の 町! マンハイム も、 ルードヴィヒスハーフェン・・・ も、 あまり、 有名 所・・・ では ありませんヨネ〜。
でも、 今回 の カメちゃん・・・ との
「ドイツ・ライン 川! で、 互い・・・ に、 偶然! 眺めて・・・ 知って いる、
(小さな 風景〜)」 の 価値。。。
私・・・ なり に、 何か、 「大きな 喜び」 を 感じるンですよね〜。
『 小さな 偶然・・・ の 風景。 に みた、 大きな 驚き! と、 喜び 』 を 頂いた・・・ カメちゃん の ドイツ・旅行記。
有難う 御座いました。
これから、 いよいよ、 中央 ヨーロッパ! の 旅・・・ が 始まります。
是非、 次回、 カメちゃん ご夫妻! の 中欧 の 旅・・・ の 参考 に なれば。。。
と 思い、 「キツい! 旅行記 作り」 (笑) 頑張ります・・・ ので、 また、 遊び! に、 来て・・・ 下さい。
これからも ヨロシク お願いします。
- 白い華さん からの返信 2011/09/23 07:43:21
- 拡大 写真! で 判明〜〜。 −−− まだ・・・ 「一年 半! 前 は、 工事現場! の 白い・・・ 川沿い! カフェ」
- 再び、 お早う 御座います。
今、 私 が 選んだ! カメちゃん の 旅行記! の
一枚・・・ の 写真。
「白い! 覆い・・・ の 建物」 を 拡大! し、 見た・・・ ところ、
まだ、 一年半・・・ 前! の カメちゃん が 訪れた! 時 は、
ココ・・・ 工事中〜 だったンですね〜。
「白い! 覆い・・・ の 建物 は、 現在、 大型 ショッピング・センター に なり、
私 の お気に入り! の、 S.C. 入り口・・・ の 「白い! 段々 カフェ & バー」 も、
まだまだ、 ブルドーザー が 土 を 掘り返す! 工事 現場。。。 (笑)
ココ! は、 まだ、 ホント、 出来た・・・ ばかり。 の S.C.・・・ なんだ〜〜。 (♪)
そんな・・・ 「わずか、 一年半 の 時 の 違い」 も、
カメちゃん の 旅行記! から、 見い出され、 面白かった デス。 (♪)
次回、 チェコ・プラハ は、 「 100塔 の 町 」 と 云われる・・・ 古都。。。
旧市街 の 小さな 路地! を 曲がる・・・ だけ で、
見事! な 尖塔・・・ が めくる めく・・・ 変化! を 魅せる、
素晴らしい〜 町。
そんな・・・ プラハ! を ロマンチック に ご紹介! します。
それでは また
- カメちゃんさん からの返信 2011/09/23 13:06:20
- RE: ライン河畔の白い華さんを思い描いていますよ〜(^-^)
- 白い華さん こんにちは〜(^^)
白い華さんの旅の始めの部分は、私たちの旅と多くのところで重なっていましたね。
お話のように、
「白い華さんもライン河畔にお立ちになって、あの光景をご覧になったんだ」
と思いますと、なんだか嬉しくなってきます。
時を違えて同じところを訪ねるなら、いっそのこと一緒に行けたら・・なんて思います!!(^-^)
> 「ハイデルベルグ の 町! に、 程・・・ 近い」 と 云う、
> 理由〜〜・・・ で しょうか〜 ?
フランクフルトからですと、ハイデルベルクに直行しても良いのですが、マンハイムの街も見たいですよね。
私たちにとってのマンハイムは、17年前の旅行の時に列車の乗り継ぎ地点として、結構調べたことがありました。マンハイムはICEの全列車が止まるので、ハイデルベルク→マンハイム→ハノーバーのコースを真剣に考え、また街や産業を調べたモンでした。そのときからマンハイムのことが頭にこびりついています(~o~)
昨年、2度目のマンハイムを訪れたときは、ちょっとした感慨がありましたね。
> ドイツ の 町! マンハイム も、 ルードヴィヒスハーフェン・・・ も、 あまり、 有名 所・・・ では ありませんヨネ〜。
「有名な観光地!」ではないでしょうね。
でも、どちらの街にも、ヨーロッパならどこにでもある古〜い街がありますから、その街の特色を見ると面白いでしょうね。
マンハイム側には大学になっている選帝侯の居城があったり、バロック建築の教会があったり、ちょっと変わった水塔のある広場なんかがありますね。
ルードヴィヒスハーフェンの白い大きな建物は、私たちが見た時は工事中で、今ではショッピング・センターだったんですか(^O^)
ロサンゼルスにはクルーズ乗船の関係で3度ほど行きましたが、やはり街の様子の変化が見られて、それ自体も楽しかった記憶があります。
訪ねたところの、その後のお話を聞かせていただけるのも、嬉しいことです!!
中国の旅行記を考えながら、白い華さんのヨーロッパのお話を聞いていますと、余りに対照的な中国とヨーロッパの姿が浮かび上がって、とっても面白いな〜と感じています。
次回は 「 100塔 の 町 」プラハですね!!
期待しています!(^^)!(^_^)v
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いしますね。
カメちゃん
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