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<br />第四高等学校に入学して、最初に先生から伺った話には、正真正銘びっくりしました。<br /><br />「これまでに学んできたことからは一度離れて、白紙で人生を考え直せ」<br /><br />「君たちはこれからいかに生きるか、何のために勉強するのか、それを考えることがこの学校に入った目的なのだ」<br /><br /><br />四高は16歳の若さで表裏の経験が出来る学校として、大阪からの受験者も多数おりました。<br /><br />喫煙、飲酒、買春など、大人とまったく同じ扱いで、自由なのです。<br /><br />街の人が四高生を見る目は、信頼と温かさに満ちていました。<br /><br />校是は「超然」、運動部のスローガンは「死ぬまでやろう」。<br /><br />ここで四高の代表的寮歌「北の都」を歌います。<br /><br />「北の都に 秋たけて われら二十歳の数う 男おみなの住む国に 二八に帰るすべもなし」<br /><br /><br />突然急に自己責任100パーセントの社会に投げ出された私は、何をやっていいのか戸惑いました。<br /><br />先ず過去から離れることと考え、学業から距離を置きながら、マージャンに熱中します。<br /><br />四高は一年生全寮制でしたが、この時代(1947年)は寮の食べ物がなくなり、6月から9月まで休校となりました。<br /><br />私はほぼ四カ月間、朝から夕刻まで毎日10荘雀卓を囲みます。<br /><br /><br />秋になって初めての試験があり、成績は落第点が幾つもある、みじめなものでした。<br /><br />ちょうどそのころ「卓球部に入らないか」との誘いがあり、マージャンを卓球に切り替えました。<br /><br />四高の卓球部は、占領軍による柔道、剣道の禁止方針を受けて、道場である「無声堂」を根城に創設されましたが、私が入部したのは創部二年目。<br /><br />まだ対校戦には一度も勝ったことがない、全く新鮮で未熟な部でした。<br /><br /><br />私は入部時の目標として「団体戦全国制覇」を提案しました。<br /><br />とんでもない高い目標ですが、目標は高い方が良いと勝手に言い出したものでした。<br /><br />インターハイまで10カ月、特徴のあるサーブ、県でトップクラスのスマッシュ、そして何よりもピンチに強い精神力。<br /><br />練習時間だけでなく、練習密度を濃くするために、重点強化点を決めました。<br /><br /><br />私にとって初めてであり、最後でもあったインターハイでは、松山(四国)、甲南と勝利を重ね、前年準優勝の浪高に破れますが、私は浪高戦で関西新人ナンバーワンに勝ち、全国制覇に準じた成績を挙げたと評価しております。<br /><br />この浪高戦で私が負けかかっていた流れを変え、劣勢を跳ね返した、この数分の精神集中は、80年の人生の中での最高点だったかもしれないと思います。<br /><br />1968年ウィーンのシェーネンブルグ宮殿で世界会議の冒頭基調演説をやって時も、「この浪高戦に比べれば」と考えるだけで、平常心でやれました。<br /><br /><br />卓球部での試合経験は、自分の限界を知り、広げた、何事にも増して重要な機会だったと思います。<br /><br />そのおかげで、ある意味で、人間の原点に戻れたのではないでしょうか。<br /><br />スポーツは人生の模擬経験機会として、とても貴重な存在と考えます。<br /><br /><br />写真は「ソフィーさんのマイページ」(訪問54カ国、文章1,590件 写真6,770枚)、<br />http://4travel.jp/traveler/katase/<br /><br />スイスの写真が美しい「片瀬貴文さんのマイページ」(文章625件 写真2,400枚)<br />http://4travel.jp/traveler/takafumi/<br /><br />ブログの作成日順に並んでいる「片瀬貴文の記録」(文章1,650件)<br />http://blog.alc.co.jp/d/2001114<br /><br />(片瀬貴文 79歳)<br />

新高齢者時代の80歳【6】人生の原点を探った卓球部経験

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2010/07/22 - 2010/07/22

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ソフィ

ソフィさん


第四高等学校に入学して、最初に先生から伺った話には、正真正銘びっくりしました。

「これまでに学んできたことからは一度離れて、白紙で人生を考え直せ」

「君たちはこれからいかに生きるか、何のために勉強するのか、それを考えることがこの学校に入った目的なのだ」


四高は16歳の若さで表裏の経験が出来る学校として、大阪からの受験者も多数おりました。

喫煙、飲酒、買春など、大人とまったく同じ扱いで、自由なのです。

街の人が四高生を見る目は、信頼と温かさに満ちていました。

校是は「超然」、運動部のスローガンは「死ぬまでやろう」。

ここで四高の代表的寮歌「北の都」を歌います。

「北の都に 秋たけて われら二十歳の数う 男おみなの住む国に 二八に帰るすべもなし」


突然急に自己責任100パーセントの社会に投げ出された私は、何をやっていいのか戸惑いました。

先ず過去から離れることと考え、学業から距離を置きながら、マージャンに熱中します。

四高は一年生全寮制でしたが、この時代(1947年)は寮の食べ物がなくなり、6月から9月まで休校となりました。

私はほぼ四カ月間、朝から夕刻まで毎日10荘雀卓を囲みます。


秋になって初めての試験があり、成績は落第点が幾つもある、みじめなものでした。

ちょうどそのころ「卓球部に入らないか」との誘いがあり、マージャンを卓球に切り替えました。

四高の卓球部は、占領軍による柔道、剣道の禁止方針を受けて、道場である「無声堂」を根城に創設されましたが、私が入部したのは創部二年目。

まだ対校戦には一度も勝ったことがない、全く新鮮で未熟な部でした。


私は入部時の目標として「団体戦全国制覇」を提案しました。

とんでもない高い目標ですが、目標は高い方が良いと勝手に言い出したものでした。

インターハイまで10カ月、特徴のあるサーブ、県でトップクラスのスマッシュ、そして何よりもピンチに強い精神力。

練習時間だけでなく、練習密度を濃くするために、重点強化点を決めました。


私にとって初めてであり、最後でもあったインターハイでは、松山(四国)、甲南と勝利を重ね、前年準優勝の浪高に破れますが、私は浪高戦で関西新人ナンバーワンに勝ち、全国制覇に準じた成績を挙げたと評価しております。

この浪高戦で私が負けかかっていた流れを変え、劣勢を跳ね返した、この数分の精神集中は、80年の人生の中での最高点だったかもしれないと思います。

1968年ウィーンのシェーネンブルグ宮殿で世界会議の冒頭基調演説をやって時も、「この浪高戦に比べれば」と考えるだけで、平常心でやれました。


卓球部での試合経験は、自分の限界を知り、広げた、何事にも増して重要な機会だったと思います。

そのおかげで、ある意味で、人間の原点に戻れたのではないでしょうか。

スポーツは人生の模擬経験機会として、とても貴重な存在と考えます。


写真は「ソフィーさんのマイページ」(訪問54カ国、文章1,590件 写真6,770枚)、
http://4travel.jp/traveler/katase/

スイスの写真が美しい「片瀬貴文さんのマイページ」(文章625件 写真2,400枚)
http://4travel.jp/traveler/takafumi/

ブログの作成日順に並んでいる「片瀬貴文の記録」(文章1,650件)
http://blog.alc.co.jp/d/2001114

(片瀬貴文 79歳)

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