2010/07/22 - 2010/07/22
7028位(同エリア9239件中)
ソフィさん
第四高等学校に入学して、最初に先生から伺った話には、正真正銘びっくりしました。
「これまでに学んできたことからは一度離れて、白紙で人生を考え直せ」
「君たちはこれからいかに生きるか、何のために勉強するのか、それを考えることがこの学校に入った目的なのだ」
四高は16歳の若さで表裏の経験が出来る学校として、大阪からの受験者も多数おりました。
喫煙、飲酒、買春など、大人とまったく同じ扱いで、自由なのです。
街の人が四高生を見る目は、信頼と温かさに満ちていました。
校是は「超然」、運動部のスローガンは「死ぬまでやろう」。
ここで四高の代表的寮歌「北の都」を歌います。
「北の都に 秋たけて われら二十歳の数う 男おみなの住む国に 二八に帰るすべもなし」
突然急に自己責任100パーセントの社会に投げ出された私は、何をやっていいのか戸惑いました。
先ず過去から離れることと考え、学業から距離を置きながら、マージャンに熱中します。
四高は一年生全寮制でしたが、この時代(1947年)は寮の食べ物がなくなり、6月から9月まで休校となりました。
私はほぼ四カ月間、朝から夕刻まで毎日10荘雀卓を囲みます。
秋になって初めての試験があり、成績は落第点が幾つもある、みじめなものでした。
ちょうどそのころ「卓球部に入らないか」との誘いがあり、マージャンを卓球に切り替えました。
四高の卓球部は、占領軍による柔道、剣道の禁止方針を受けて、道場である「無声堂」を根城に創設されましたが、私が入部したのは創部二年目。
まだ対校戦には一度も勝ったことがない、全く新鮮で未熟な部でした。
私は入部時の目標として「団体戦全国制覇」を提案しました。
とんでもない高い目標ですが、目標は高い方が良いと勝手に言い出したものでした。
インターハイまで10カ月、特徴のあるサーブ、県でトップクラスのスマッシュ、そして何よりもピンチに強い精神力。
練習時間だけでなく、練習密度を濃くするために、重点強化点を決めました。
私にとって初めてであり、最後でもあったインターハイでは、松山(四国)、甲南と勝利を重ね、前年準優勝の浪高に破れますが、私は浪高戦で関西新人ナンバーワンに勝ち、全国制覇に準じた成績を挙げたと評価しております。
この浪高戦で私が負けかかっていた流れを変え、劣勢を跳ね返した、この数分の精神集中は、80年の人生の中での最高点だったかもしれないと思います。
1968年ウィーンのシェーネンブルグ宮殿で世界会議の冒頭基調演説をやって時も、「この浪高戦に比べれば」と考えるだけで、平常心でやれました。
卓球部での試合経験は、自分の限界を知り、広げた、何事にも増して重要な機会だったと思います。
そのおかげで、ある意味で、人間の原点に戻れたのではないでしょうか。
スポーツは人生の模擬経験機会として、とても貴重な存在と考えます。
写真は「ソフィーさんのマイページ」(訪問54カ国、文章1,590件 写真6,770枚)、
http://4travel.jp/traveler/katase/
スイスの写真が美しい「片瀬貴文さんのマイページ」(文章625件 写真2,400枚)
http://4travel.jp/traveler/takafumi/
ブログの作成日順に並んでいる「片瀬貴文の記録」(文章1,650件)
http://blog.alc.co.jp/d/2001114
(片瀬貴文 79歳)
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