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五万石藤と、新緑の岡崎城紹介の締め括りです。

2009春、五万石藤と岡崎城(3/3):ヤマボウシ、家康・産湯の井戸、家康しかみ像、花時計

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2009/04/27 - 2009/04/27

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旅行記グループ 2009春。三河の桜

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

五万石藤と、新緑の岡崎城紹介の締め括りです。

交通手段
私鉄

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  • 天守閣の前にあった庭園です。小さな庭園は図面などを調べて再建されたものではなく、景観整備のための目的のようでした。

    天守閣の前にあった庭園です。小さな庭園は図面などを調べて再建されたものではなく、景観整備のための目的のようでした。

  • 石造りの小さな太鼓橋です。枯山水風に、流れには小石が敷き詰められていました。

    石造りの小さな太鼓橋です。枯山水風に、流れには小石が敷き詰められていました。

  • 小さな庭園で実っていた木の実です。瑞々しい緑色です。とげとげのある葉ですから、ヒイラギナンテン(柊南天)のようです。

    小さな庭園で実っていた木の実です。瑞々しい緑色です。とげとげのある葉ですから、ヒイラギナンテン(柊南天)のようです。

  • ヤマボウシの白い花です。山法師や山帽子の字が当てられます。ミズキ科の落葉高木です。

    イチオシ

    ヤマボウシの白い花です。山法師や山帽子の字が当てられます。ミズキ科の落葉高木です。

  • 手前は龍城神社の屋根です。その上に岡崎城の天守閣が聳えます。龍城(たっき)神社は、徳川家康公や本多忠勝公を祀っています。

    イチオシ

    手前は龍城神社の屋根です。その上に岡崎城の天守閣が聳えます。龍城(たっき)神社は、徳川家康公や本多忠勝公を祀っています。

  • そろそろ夕日を浴びる時刻になってきた岡崎城です。右手に見える建物は巽閣です。お稽古事やイベントの貸し席もあるようです。

    そろそろ夕日を浴びる時刻になってきた岡崎城です。右手に見える建物は巽閣です。お稽古事やイベントの貸し席もあるようです。

  • 巽閣の屋根と、城内の木々の緑です。好天に恵まれ、暖かい日でした。

    巽閣の屋根と、城内の木々の緑です。好天に恵まれ、暖かい日でした。

  • 三日月の穴が穿れた石碑です。『子供は天の子風の子地の子』の文字が刻まれています。川柳人の川上三太郎の作品です。

    三日月の穴が穿れた石碑です。『子供は天の子風の子地の子』の文字が刻まれています。川柳人の川上三太郎の作品です。

  • 最初の二文字『木之』までと、途中の『上り汁』は読めますが、その他は風化のために読めず、文が繋がりませんでした。

    最初の二文字『木之』までと、途中の『上り汁』は読めますが、その他は風化のために読めず、文が繋がりませんでした。

  • 巽閣の前庭の紹介です。剪定された木と石組が主体です。川上三太郎の川柳碑も、この一角にありました。

    巽閣の前庭の紹介です。剪定された木と石組が主体です。川上三太郎の川柳碑も、この一角にありました。

  • 今度はカメラアングルを縦にしての前庭の光景です。新緑の時期は、枝は伸ばし放題のようです。石灯籠も見えます。

    今度はカメラアングルを縦にしての前庭の光景です。新緑の時期は、枝は伸ばし放題のようです。石灯籠も見えます。

  • あまり高くない石垣と、その間に見える石段です。岡崎城の遺構のようです。

    あまり高くない石垣と、その間に見える石段です。岡崎城の遺構のようです。

  • 空堀になっていた岡崎城の内堀の光景です。中間辺りから楓の枝が伸びていました。

    空堀になっていた岡崎城の内堀の光景です。中間辺りから楓の枝が伸びていました。

  • 木々の間に見えているのは巽閣の建物です。岡崎市の外郭団体が運営する施設のようです。

    木々の間に見えているのは巽閣の建物です。岡崎市の外郭団体が運営する施設のようです。

  • 石垣の下に小舟が一艘見えました。係留されているのではなく、ひっくり返されて、船底を見せていました。

    石垣の下に小舟が一艘見えました。係留されているのではなく、ひっくり返されて、船底を見せていました。

  • 岡崎公園散策マップです。今度は北が上になる地図です。五万石藤は左下になります。

    岡崎公園散策マップです。今度は北が上になる地図です。五万石藤は左下になります。

  • 天守閣の北側に当たる通路です。左手が天守閣を取り囲んでいた内堀のようです。今は空堀です。通路の右手にもお堀に沿った低い石垣があります。

    天守閣の北側に当たる通路です。左手が天守閣を取り囲んでいた内堀のようです。今は空堀です。通路の右手にもお堀に沿った低い石垣があります。

  • 樹木が生い茂り、昼でも薄暗い岡崎城の北側です。薄暗い中に、城の石垣が見えています。

    樹木が生い茂り、昼でも薄暗い岡崎城の北側です。薄暗い中に、城の石垣が見えています。

  • 立入禁止の区域に架かっていた石橋です。空堀の上に架かっていました。

    立入禁止の区域に架かっていた石橋です。空堀の上に架かっていました。

  • 次に見学したのは、家康公の産湯の井戸です。五万石藤の見学の次に訪れた、えな塚の方角です。

    次に見学したのは、家康公の産湯の井戸です。五万石藤の見学の次に訪れた、えな塚の方角です。

  • 『産湯の井戸』の新しい説明看板です。家康公誕生の時、この井戸で汲んだ水で産湯を使ったと説明されています。

    『産湯の井戸』の新しい説明看板です。家康公誕生の時、この井戸で汲んだ水で産湯を使ったと説明されています。

  • まるで削り取られたように、滑らかになった石碑です。中国風にいえば無字碑でしょうか。上の方に小さく『東照公産湯井』らしい文字がありました。

    まるで削り取られたように、滑らかになった石碑です。中国風にいえば無字碑でしょうか。上の方に小さく『東照公産湯井』らしい文字がありました。

  • 当時のまま残されていた東照公の産湯の井戸です。石の柵で囲ってあり、さらに竹垣もありました。

    当時のまま残されていた東照公の産湯の井戸です。石の柵で囲ってあり、さらに竹垣もありました。

  • 咲くの脇に手ごろな石がありましたので、それに乗っての撮影です。苔むした井戸の囲いの石が見えました。

    咲くの脇に手ごろな石がありましたので、それに乗っての撮影です。苔むした井戸の囲いの石が見えました。

  • 橋の袂にあった立派な石灯篭です。大きな岩の上にありました。地図には坂谷橋と記されていました。

    橋の袂にあった立派な石灯篭です。大きな岩の上にありました。地図には坂谷橋と記されていました。

  • 二の丸跡地に建てられている『二の丸能楽堂』です。伝統的な和風建築です。

    二の丸跡地に建てられている『二の丸能楽堂』です。伝統的な和風建築です。

  • 『二の丸能楽堂』の正面玄関のようです。武家屋敷の門のイメージです。休館日には閉められているようです。

    『二の丸能楽堂』の正面玄関のようです。武家屋敷の門のイメージです。休館日には閉められているようです。

  • 少し離れた場所にありましたが、家康公の石像を纏めて紹介します。徳川宗家18代当主恒孝さんから岡崎市に寄贈された『しかみ像』です。三方ヶ原の戦いで信玄公に敗れた家康公の、反省と自戒をこめた肖像画を基に造られた像です。

    イチオシ

    少し離れた場所にありましたが、家康公の石像を纏めて紹介します。徳川宗家18代当主恒孝さんから岡崎市に寄贈された『しかみ像』です。三方ヶ原の戦いで信玄公に敗れた家康公の、反省と自戒をこめた肖像画を基に造られた像です。

  • こちらの銅像は、よく写真等で紹介されているものです。昭和40年、家康公350年祭を記念して建てられたものです。自信に満ちた立ち姿です。

    こちらの銅像は、よく写真等で紹介されているものです。昭和40年、家康公350年祭を記念して建てられたものです。自信に満ちた立ち姿です。

  • 公園内にあった花時計です。時刻も正確に指しているようでした。長短針の他に、秒針も回っていました。

    公園内にあった花時計です。時刻も正確に指しているようでした。長短針の他に、秒針も回っていました。

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