2010/08/20 - 2010/08/20
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ぺこにゃんさん
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国宝の所有数が最も多い寺院はどこかご存知でしょうか?
それは法隆寺です。
特に建築18件は2位の東大寺(9件)を大きく引き離して断トツの1位です。
初めての法隆寺訪問で古代の建築美を満喫してきました。
(法隆寺HPより引用)
法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。
その創建の由来は,「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができます。
それによりますと,用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが,その実現をみないままに崩御されたといいます。
そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで,推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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京都ばかりに行っていたので,久々の奈良です。
どこにしようかと悩んだすえに法隆寺にしました。
大阪に住んでいながら,一度も行ったことがありませんでした。
小学校の遠足でも無かったですね。
立地の問題でしょうか?
天王寺からJR大和路快速に乗れば,さほど時間はかからないんですけどね。 -
JR法隆寺駅から歩くこと15分。
法隆寺参道に到着しました。
「松の馬場」と呼ばれる松並木を歩いていきます。 -
斑鳩三大松の馬場の一つだそうです。
-
松並木が途切れた先に南大門が見えてきました。
-
イチオシ
「大垣」と呼ばれる築地塀がまるで広げた翼のように,優美な姿を見せています。
■南大門(室町時代,国宝)
法隆寺の玄関にあたる総門。
創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し,永享10年(1438)に現在の門が再建されました。
入母屋造,本瓦葺,三間一戸の八脚門です。 -
■西院大垣南面(重要文化財)
法隆寺西院大垣は西院南半の外周に廻らされた総延長538.4mに及ぶ長大な本瓦葺の築地塀で,南面,西面及び東面から構成されています。
南大門の東西に延びる南面の塀は,東方は長さ208.7m,西方は長さ103.8mに達します。 -
こちらが東方へ延びる築地塀です。
寺院外周の景観を形成しています。
奈良公園と一体化している東大寺,興福寺との大きな違いでしょうか。
明治の廃仏毀釈の際には,これら左右の築地塀を取り壊し,田畑の土に利用しようとしたことがあったそうです。 -
イチオシ
南大門から見た境内です。
額縁の中の絵のような景色が広がっています。 -
では,境内へ足を踏み入れましょう。
左右の築地塀も参道の景観を作り出す重要な構成要素ですよね。 -
イチオシ
中央に中門,左手に五重塔,右手の松の背後にかすかに姿を見せる金堂,これらすべて国宝という,とても贅沢な眺望です。
廻廊に囲まれて五重塔と金堂が並んで建つという「法隆寺式伽藍」だからこそ見られる風景です。 -
イチオシ
表紙に採用した写真です。
青空を多く入れてみました。 -
中門脇にある世界文化遺産の碑。
1993年に日本で最初の世界遺産に登録されたことは有名です。 -
中門に近づいてみました。
■中門(飛鳥時代,国宝)
西院伽藍の本来の入口となる門です。
深い軒やその下の組面や勾欄,それらを支えるエンタシスの柱など,飛鳥建築の粋を集めた荘重な建築です。 -
通常,中門は間口の柱が中央にこないように奇数の間口にするのに,法隆寺の中門は4間となっています。
すなわち,真正面が塞がれている異例の門です。
これについて様々な憶測が飛び交い,例えば梅原猛は『隠された十字架 法隆寺論』で正面の柱は聖徳太子の霊を外界に出さないよう閉じ込めたもので,法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるために建立されたという説を唱えました。 -
中門の両端にある金剛力士像(奈良時代,重文)は日本に残っている最古のものです。
右の阿形像は創建当時の塑像ですが,左の吽形像は顔以外は木造りになっています。 -
さて,拝観開始は8:00からです。
現在,法隆寺は五重塔・金堂を中心とする西院伽藍と,夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
これら両伽藍と寺宝を納めた大宝蔵院の3ヶ所を拝観できます(共通券1000円)。 -
8時の鐘が鳴り響くと同時に一番乗りで西院伽藍へ。
七堂伽藍すべてが国宝指定なので,どこから見るか目移りしてしまいましたが,まずは天高く聳え立つ五重塔へ。
塔の中でもNo.1の美しさと呼び声高いのがこの五重塔です。
■五重塔(飛鳥時代,国宝)
高さは基壇上より約31.5メートルあり,わが国最古の五重塔として知られています
釈迦の遺骨を奉安するためのものであり,仏教寺院において最も重要な建物とされています。
また,最下層の内陣には,奈良時代始めに作られた塑像群があります。 -
美しさの秘密は「比率」にあります。
均整の取れた美しい比率といえば黄金比(5:8)です。
ピラミッドやパルテノン神殿,パリの凱旋門,ミロのヴィーナスなど西洋の多くの建築物・美術品に用いられます。
一方,五重塔は上層に行くほど屋根の大きさが小さくなっており,最上層と最下層の比は1:√2(=5:7)となっています。
この比を白銀比,または大和比といい,日本古来から伝わる美しく見える比率です。
生花やA4用紙も白銀比です。
さらにはキティちゃんやアンパンマンも白銀比の長方形に収まるそうですよ。 -
今度は北面から。
屋根が6つ見えますが,初層にのみ裳階(もこし)があるからです。
ちなみに,この五重塔は斑鳩三塔の一つです。
残りの二つは法輪寺三重塔と法起寺三重塔です。 -
塔高の約2/3が塔身,約1/3が相輪と見栄えの良い比率となっています。
-
最下層の屋根を支える邪鬼たち。
左下の邪鬼が一番苦しそう。 -
次は五重塔の東側に立つ金堂へと行きました。
威風堂々とした姿が特徴的な金堂も,白銀比に基づいています。
■金堂(飛鳥時代,国宝)
金堂は現存する世界最古の木造建造物です。
中央に「釈迦三尊像(飛鳥時代)」,左右には「薬師如来座像(飛鳥時代)」と
「阿弥陀如来座像{鎌倉時代)が安置されています。
須弥壇の四隅には,樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が邪気を踏みつけて立っています。
正直なところ,仏像について詳しくないので,見ててもよくわからないのですが,金堂に置かれている仏像は素人目にも明らかに「違う」というのがわかります。 -
-
「ああ惜しや、世界的至宝。建物、壁画もろとも烏有に、模写画家たちの目ににじむ涙。」
昭和24年1月26日未明,金堂から出火。
世界的至宝といわれた壁画焼損の惨事に見舞われた際の新聞記事の見出しです。
この事件をきっかけに,文化財保護法が制定されました。
1月26日は文化財防火デーになっています。 -
上層部の意匠に注目しました。
人字型割束は力を分散させる役割だそうです。
その人字型割束に支えられいるのが「卍崩し」の高欄です。
「卍」をどう崩したらこの形になるのか考えてみましたが,よくわかりませんでした。 -
金堂の支柱には龍の彫刻があります。
昇り龍と下り龍がそれぞれ対角線上に2対ずつ飾られています。 -
五重塔・金堂を見た後は,中門から廻廊をぐるっと一周します。
まずは中門。 -
例の「怨霊封じの門」ですが,単純に考えて片方が入り口でもう一方が出口なだけでは?
-
中門から南大門を望みました。
平安時代以前はもっと接近していたらしいです。 -
金剛力士像の横顔を拝めます(写真は阿形像)。
-
法隆寺といえば,中央部が膨らんだエンタシスの柱も有名です。
ただ法隆寺のエンタシスは中央やや下側の部分が一番太いですね。
ギリシャ建築のエンタシスの柱に影響を受けているという説を唱えたのは伊東忠太という人らしいですが,学問的立証には乏しいようです。
(でも昔学校でそんなふうに習った気がする…) -
次に廻廊を時計回りにぐるっと回りました。
西側の廻廊は経蔵につながっています。
■経蔵(奈良時代,国宝)
経蔵は経典を納める施設として建立されました。
現在は天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧,観勒僧正像を安置しています。 -
■廻廊(奈良時代,国宝)
回廊は東側の鐘楼,中央の大講堂,西側の経蔵につながり,西院伽藍を形造っています。
真上から見れば「凸」型をしています。
平安時代以前の回廊は,経蔵,鐘楼の手前で閉じられ,大講堂,経蔵,鐘楼は回廊の外側に建っていました。 -
経蔵付近から五重塔,金堂を眺めます。
-
この廻廊,東側の廻廊のほうが長くなっています。
中門から東西への廻廊は金堂と五重塔の間口が違いますので,金堂のある東側は11間,五重塔のある西側は10間となっています(気付かなかった…)。 -
廻廊の外側には「連子窓(れんじまど)」があります。
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連子窓の縦に入っている菱形の材を「連子子(れんじし)」といいます。
連子窓越しの景色を楽しむのもいいです。 -
経蔵から廻廊を介してつながっているのは大講堂です。
残念ながら補修中でした。
■大講堂(平安時代,国宝)
仏教の学問を研鑽したり,法要を行う施設として建立されました。
925年に落雷により焼失しましたが,後に再建されました。
ご本尊は薬師三尊像です。 -
■鐘楼(平安時代,国宝)
大講堂の右手にあるのが鐘楼です。
鐘楼は925年に大講堂とともに落雷により焼失し,現在の鐘楼は経蔵の様式にならって再建されたものです。
この鐘楼の中には白鳳時代の梵鐘が吊るされています。 -
鐘楼前から撮影すると,金堂と五重塔の姿を上手く収めることができます。
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東側の廻廊です。
法隆寺を上空から見ると,廻廊の縦横比も白銀比になっているそうです。 -
「影」を撮影しました。
-
法隆寺に松の木が多いのは,聖徳太子が3歳のとき,両親と3人で桃の園を散歩中に父親(用明天皇)が大使に「桃の花が好きか松の木が好きか」と訊ねられたところ,聖徳太子は桃は一時の花でしかないが松は年中青々とした樹木だから松のほうが好きですと答えたという言い伝えからです。
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西院伽藍はこれで見学終了。
出口から五重塔と中門を撮りました。 -
西院伽藍出口から東に行くのが通常の拝観コースですが,コースから外れて伽藍の西へと向かいました。
■三経院(鎌倉時代,国宝)
三経院は,聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)にちなんで,西室の南端部を改造して建てられました。
軒下は猫の憩いの場となっていました。 -
三経院の西側の小高い丘の上に西円堂があります。
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■西円堂(鎌倉時代,国宝)
奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝えてられています。
その八角形のお堂の中央には,わが国最大級の乾漆像として知られる本尊薬師如来座像(峯の薬師)が安置されています。 -
拝観コースから外れているため,訪れる人はほとんどいません。
穴場スポットです。 -
ここからは大和盆地を眺めることもできます。
-
拝観コースに戻り,西院伽藍の東側にある聖霊院(しょうりょういん)へとやってきました。
■聖霊院(鎌倉時代,国宝)
聖徳太子を供養する殿堂で聖徳太子像が祀られています。
聖徳太子が亡くなったのは旧暦2月22日なので,1ヶ月遅れの新暦3月22日に法隆寺のお会式が執り行われます。 -
正面から見ると聖霊院は普通のお堂ですが,実はものすごく奥行きがあります(写真左側の建物)。
これは東室の一部を聖霊院に改変したからです。
■東室(奈良時代,国宝)
僧坊で,法隆寺に住む僧が生活していた建物です。
東側(右側)には,同じく僧房である小子房の妻室があります。 -
聖霊院の前には鏡池という名の池があります。
池越しに見ると五重塔が鏡のように映るから,そのような名前が付いたのかも。 -
鏡池の西側に石碑が建っています。
この石碑には,正岡子規が詠んだあまりにも有名な句が刻まれていました。
法隆寺の茶店に憩ひて
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
子規
良く見ると「柿」と「ば」が旧字体となっています。 -
聖霊院から東に進むと高床式の綱封蔵が建っています。
この横の道を進んで行くと,大宝蔵院・百済観音堂へと行くことが出来ます。
国宝の玉虫厨子などはここにあります。
■綱封蔵(奈良時代,国宝)
寺宝を保管するための蔵です。 -
大宝蔵院を見学した後は,東院伽藍へと向かいました。
先には東大門が見えます。
逆光で上手く撮れないのが残念。 -
それならば逆方向ということで,西大門のほうを振り返ると見事に誰もいません。
なかなか良い景色です。 -
南大門,中門に続いて3つ目の国宝の門である東大門です。
国宝の門は日本に20棟しかありませんが,そのうち3棟がここ法隆寺にあるわけです。
■東大門(奈良時代,国宝)
「中ノ門」ともよばれるこの門は,かつては鏡池の東側に南向きに建っていたそうです(今は東向き)。
珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。 -
東大門から東院伽藍へ続く参道の両脇には子院がたくさん並んでいます。
-
参道の先,東院通用門の上に屋根を覗かせているのが夢殿です。
-
■夢殿
斑鳩宮跡に,聖徳太子の遺徳を偲んで建てられた伽藍が上宮王院(東院伽藍)です。
今でも通用門には「上宮王院夢殿」と書かれています。
夢殿は東院伽藍の金堂で,八角円堂の屋根の上には舎利塔を載せています。
その名前は聖徳太子が夢の中で仏に出会ったという伝説から付けられたとも言われています。
ところで,夢殿は旧一万円札(聖徳太子)の透かしに使われていました。
確認しようにも,いまさら手元にない… -
夢殿から伽藍内を見渡します。
礼堂と廻廊に囲まれた領域の中央に夢殿が建っています。 -
夢殿といえば,秘仏「救世観音」です。
飛鳥時代を代表する最高の彫刻作品と賞賛されています。
この日は見ることが出来ませんでしたが,開扉のときに行けばみることができます。 -
イチオシ
廻廊を一周します。
下から見上げるように撮りました。 -
■礼堂(鎌倉時代,重文)
礼堂は中門を改造しました。 -
廻廊の北東部に袴を履いた建物がありました。
■東院鐘楼(鎌倉時代,国宝)
この鐘楼は袴腰と呼ばれる形式の建物です。
内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されています。 -
再び東大門前に戻ってきました。
この道を真っ直ぐ行けば,法輪寺や法起寺に行けます。
ただ,この日はここまで。
他を見ると印象が薄れてしまいそうだったので。 -
斑鳩の里の雰囲気を少しだけ。
-
法隆寺の国宝建築を中心に見て回りました。
全部で18件ありますが,見損ねたのが1つだけあります。
東院伽藍の伝法堂です。
それは次の機会ということですね。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 鴨川の夕立!さん 2010/10/09 16:28:03
- 斑鳩の里!
- 私の妻がこの近く大和小泉に実家があります
実家に帰るときはハイキングがてら
法隆寺で降りて法隆寺・法華寺・法輪寺と廻って行きます
まあ 歩くのは私と息子だけですが(^ー^* )フフ♪
- ぺこにゃんさん からの返信 2010/10/11 00:16:35
- RE: 斑鳩の里!
- 鴨川の夕立!さん,こんばんは。
> 私の妻がこの近く大和小泉に実家があります
> 実家に帰るときはハイキングがてら
> 法隆寺で降りて法隆寺・法華寺・法輪寺と廻って行きます
> まあ 歩くのは私と息子だけですが(^ー^* )フフ♪
京都だけでなく,奈良も詳しいのですね。
斑鳩の里をのんびりハイキングといきたかったのですが,
奈良のお寺は一つ一つが大きくて,たくさん回れません。
別の機会にチャレンジしてみようと思います。
(今頃はコスモスが咲いてよさそうなんですけどね。残念ながら時間がない…)
ぺこにゃん
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