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2008/07/11金 カザンラック観光、シプカ僧院からリバリッツァ村へ<br />【宿泊:Hotel Sveta Ekaterina(リバリッツァ泊)】<br />・カザンラック<br /> イスクラ歴史博物館<br /> トラキア人の墳墓(レプリカの方)<br /> バラ博物館<br />・シプカ僧院<br />・スコヴェレヴォ村のローズオイル精製工場兼民俗複合施設(Ethnographic Complex DAMASCENA)<br />・アセン村で写真撮影<br />・バルカン山越え(カロフェル町は上から見たのみ)<br />・リヴァリッツア・フォークロア・コンクール見学<br /><br />夏のヨーロッパの例に漏れず、トラキア平原も花盛り。<br />カザンラックを昼近くに出発し、バラの谷を黄色く染めるひまわり畑と、うっすら紫のラベンダー畑を過ぎた後は、車窓から外は、平原なのに小山がたくさん!<br /><br />TBS「世界ふしぎ発見!」は私の好きな番組で、毎週ほぼ欠かさず見ていますが、2007年11月にブルガリアが放映されたときには、特に胸を躍らせたものです。<br />なにしろ、その頃から漠然と、今年2008年の夏の海外旅行先はブルガリアにしようと気持ちが固まりつつありましたから。<br /><br />トラキア平原には、世界遺産として登録されたもの以外にも、まだ発掘されていないトラキア人の墳墓がたくさんあります。<br />番組では、そんなトラキア平原を、レポーターは低空飛行のヘリコプターで見下ろしていました。<br />まるで、モグラ叩きゲームのようなぼこぼこの地面に驚きました。<br /><br />あれはとても分かりやすい映像でしたが、地上を車で走っていても、トラキア平原の一角は、墳墓でぼこぼこで、感心したくなるほどでした。<br /><br />考古学に疎い私は、あの番組を見ていなかったら、あれが墳墓だと気付かなかったかもしれません。<br />それくらい、ありすぎた(!)のです。<br />大半は草茫々のまま、放置(!)されていました。<br /><br />2004年にトラキア人の墳墓から黄金の副葬品が出土したニュースが世界をわかせたことは、番組で初めて知りました。<br /><br />トラキア平原のあれらの墳墓、発掘してみれば、そんな宝物がこれからも出るかもしれません。<br />トラキア人については謎が多いため、一般人に分かりやすいあからさまな宝物ではなくても、考古学上、貴重な発見は、たくさんある墳墓をどんどん掘ってみれば何かしら出るに違いありません。<br />でも、盗掘のせいで、たいしたものが出でこない可能性もあります。<br />それは当然、多大な経費をかけて掘ってみないことには分かりません。<br />番組を見たときは、トラキアの黄金が出てくる可能性のあるお宝(墳墓)を、なぜそのままにしておくのかしら、と思ったのですが、それは遠い異国の人間の机上の理屈でした。<br />むしろ、あんなにたくさんあるからこそ、宝物が出てくる墳墓を見つけるのは、それこそ宝くじに当たるような確率なのかもしれません。<br /><br />トラキア平原にごろごろあった墳墓は、私の目には残念ながら、あまり写真映えしませんでした。<br />周辺に咲いていたビロードモウズイカが、花が黒っぽい咢のようなものに潜り込んでいるのか、とても汚い花に見えてしまったせいも大きいです。<br />ピリンやロドピ山脈では、あんなに魅力的な姿をしていたのに。<br />トラキア平原でやはり目を奪われたのは、ひまわり畑です。<br />ちょっと熟しきってきて、花びらが萎れてきていましたが、それでも圧倒的な規模と数。<br /><br />そして、5つの黄金玉ネギ型ドームを持つ、ロシア正教のシプカ僧院。<br />ここはアクセスしづらさから、1人旅では、きっと外していたでしょう。<br />ブルガリアについて下調べをして、リラの僧院の次に目にとめた箇所です。その外観の豪華さゆえ。<br />叶ってよかった@<br /><br />「トラキア平原<br /> バルカン山脈とロドピ山脈に挟まれたトラキア平原は、地中海性と大陸性気候の中間に位置している。温暖多湿で肥沃な大地が広がり、トウモロコシやブドウをはじめ、多くの野菜や果物、穀物、乳製品の生産が盛んだ。交通の要衝として商業も昔から栄えていた。」<br />(「東欧の郷愁」(菊間潤吾・編/新潮社))より

2008年ブルガリア旅行第6日目(2):トラキア平原とシプカ僧院

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2008/07/11 - 2008/07/11

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まみ

まみさん

2008/07/11金 カザンラック観光、シプカ僧院からリバリッツァ村へ
【宿泊:Hotel Sveta Ekaterina(リバリッツァ泊)】
・カザンラック
 イスクラ歴史博物館
 トラキア人の墳墓(レプリカの方)
 バラ博物館
・シプカ僧院
・スコヴェレヴォ村のローズオイル精製工場兼民俗複合施設(Ethnographic Complex DAMASCENA)
・アセン村で写真撮影
・バルカン山越え(カロフェル町は上から見たのみ)
・リヴァリッツア・フォークロア・コンクール見学

夏のヨーロッパの例に漏れず、トラキア平原も花盛り。
カザンラックを昼近くに出発し、バラの谷を黄色く染めるひまわり畑と、うっすら紫のラベンダー畑を過ぎた後は、車窓から外は、平原なのに小山がたくさん!

TBS「世界ふしぎ発見!」は私の好きな番組で、毎週ほぼ欠かさず見ていますが、2007年11月にブルガリアが放映されたときには、特に胸を躍らせたものです。
なにしろ、その頃から漠然と、今年2008年の夏の海外旅行先はブルガリアにしようと気持ちが固まりつつありましたから。

トラキア平原には、世界遺産として登録されたもの以外にも、まだ発掘されていないトラキア人の墳墓がたくさんあります。
番組では、そんなトラキア平原を、レポーターは低空飛行のヘリコプターで見下ろしていました。
まるで、モグラ叩きゲームのようなぼこぼこの地面に驚きました。

あれはとても分かりやすい映像でしたが、地上を車で走っていても、トラキア平原の一角は、墳墓でぼこぼこで、感心したくなるほどでした。

考古学に疎い私は、あの番組を見ていなかったら、あれが墳墓だと気付かなかったかもしれません。
それくらい、ありすぎた(!)のです。
大半は草茫々のまま、放置(!)されていました。

2004年にトラキア人の墳墓から黄金の副葬品が出土したニュースが世界をわかせたことは、番組で初めて知りました。

トラキア平原のあれらの墳墓、発掘してみれば、そんな宝物がこれからも出るかもしれません。
トラキア人については謎が多いため、一般人に分かりやすいあからさまな宝物ではなくても、考古学上、貴重な発見は、たくさんある墳墓をどんどん掘ってみれば何かしら出るに違いありません。
でも、盗掘のせいで、たいしたものが出でこない可能性もあります。
それは当然、多大な経費をかけて掘ってみないことには分かりません。
番組を見たときは、トラキアの黄金が出てくる可能性のあるお宝(墳墓)を、なぜそのままにしておくのかしら、と思ったのですが、それは遠い異国の人間の机上の理屈でした。
むしろ、あんなにたくさんあるからこそ、宝物が出てくる墳墓を見つけるのは、それこそ宝くじに当たるような確率なのかもしれません。

トラキア平原にごろごろあった墳墓は、私の目には残念ながら、あまり写真映えしませんでした。
周辺に咲いていたビロードモウズイカが、花が黒っぽい咢のようなものに潜り込んでいるのか、とても汚い花に見えてしまったせいも大きいです。
ピリンやロドピ山脈では、あんなに魅力的な姿をしていたのに。
トラキア平原でやはり目を奪われたのは、ひまわり畑です。
ちょっと熟しきってきて、花びらが萎れてきていましたが、それでも圧倒的な規模と数。

そして、5つの黄金玉ネギ型ドームを持つ、ロシア正教のシプカ僧院。
ここはアクセスしづらさから、1人旅では、きっと外していたでしょう。
ブルガリアについて下調べをして、リラの僧院の次に目にとめた箇所です。その外観の豪華さゆえ。
叶ってよかった@

「トラキア平原
 バルカン山脈とロドピ山脈に挟まれたトラキア平原は、地中海性と大陸性気候の中間に位置している。温暖多湿で肥沃な大地が広がり、トウモロコシやブドウをはじめ、多くの野菜や果物、穀物、乳製品の生産が盛んだ。交通の要衝として商業も昔から栄えていた。」
(「東欧の郷愁」(菊間潤吾・編/新潮社))より

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  • 本日のルートマップ<br /><br />カザンラック(KAZANLAK)市内観光のあと、シプカ(SHIPKA)僧院を訪れました。<br />シプカ峠のモニュメントは旅程に入れていなかったので、このときはスルーしました(後日、訪れました)。<br />シプカ僧院のあとはバルカン山脈越え。<br />といっても、途中、2000m超の山頂を越えたとはいえ、実際にはバルカン山脈中を平行に走っていました。<br />予定では途中でカロフェール(KALOFER)に寄ることになっていましたが、時間が足らなくなったので街を見下ろすのみで見学は割愛。<br />まあ、カロフェールは、私にとってそれほど期待していなかった、別に文句なし。<br />トロヤン(TROYAN)にも僧院があるのですが、もともと旅程に入れていなかったので残念ながら素通りしました。<br />X印のついたバルカン山中のリバリッツァ村が本日の最終目的地です。

    本日のルートマップ

    カザンラック(KAZANLAK)市内観光のあと、シプカ(SHIPKA)僧院を訪れました。
    シプカ峠のモニュメントは旅程に入れていなかったので、このときはスルーしました(後日、訪れました)。
    シプカ僧院のあとはバルカン山脈越え。
    といっても、途中、2000m超の山頂を越えたとはいえ、実際にはバルカン山脈中を平行に走っていました。
    予定では途中でカロフェール(KALOFER)に寄ることになっていましたが、時間が足らなくなったので街を見下ろすのみで見学は割愛。
    まあ、カロフェールは、私にとってそれほど期待していなかった、別に文句なし。
    トロヤン(TROYAN)にも僧院があるのですが、もともと旅程に入れていなかったので残念ながら素通りしました。
    X印のついたバルカン山中のリバリッツァ村が本日の最終目的地です。

  • バラの谷のラベンダー畑<br /><br />日雇いのジプシーたちが収穫していました。<br />花はだいぶドライフラワー化していてぱさぱさしていましたが、そのためよい香りがあたりに漂っていました。<br />写真を撮っていたら、オーナーさんが一束くれました。<br />ペットボトルに射して車内においておいたら、よい香りがした代わりに、花びらがすぐにあたりに散らばってしまいました@<br /><br />※ここでは他にも、こんな写真を撮っています。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357844/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357845/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357846/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357847/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357848/<br />関連の旅行記<br />「2008年ブルガリア・ハイライトその10:花と実り豊かな夏のブルガリア・その2」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10264147/

    バラの谷のラベンダー畑

    日雇いのジプシーたちが収穫していました。
    花はだいぶドライフラワー化していてぱさぱさしていましたが、そのためよい香りがあたりに漂っていました。
    写真を撮っていたら、オーナーさんが一束くれました。
    ペットボトルに射して車内においておいたら、よい香りがした代わりに、花びらがすぐにあたりに散らばってしまいました@

    ※ここでは他にも、こんな写真を撮っています。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357844/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357845/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357846/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357847/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14357848/
    関連の旅行記
    「2008年ブルガリア・ハイライトその10:花と実り豊かな夏のブルガリア・その2」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10264147/

  • 昼の光の中のひまわり畑<br /><br />ひまわり畑の写真は昨日もいっぱいトライしましたが、何度でも飽きません@

    昼の光の中のひまわり畑

    ひまわり畑の写真は昨日もいっぱいトライしましたが、何度でも飽きません@

  • バラの谷のひまわり畑、バルカン山脈を背景に、土手の上から撮影<br /><br />ひまわりは背が高いですからね。<br />少し高台から写真を撮るのが理想。

    バラの谷のひまわり畑、バルカン山脈を背景に、土手の上から撮影

    ひまわりは背が高いですからね。
    少し高台から写真を撮るのが理想。

  • トラキア平原に広がるひまわり畑、鉄塔をアクセントに<br /><br />※ここでは他にも、こんなひまわりの写真を撮っています。<br />たくさん撮っています@<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328621/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328622/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328634/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328635/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328636/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328637/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328638/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328648/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328649/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328650/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328651/<br />関連の旅行記<br />「2008年ブルガリア・ハイライトその8:夢にまで見たひまわり畑」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10262843/

    トラキア平原に広がるひまわり畑、鉄塔をアクセントに

    ※ここでは他にも、こんなひまわりの写真を撮っています。
    たくさん撮っています@
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328621/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328622/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328634/
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    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328636/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328637/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328638/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328648/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328649/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328650/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328651/
    関連の旅行記
    「2008年ブルガリア・ハイライトその8:夢にまで見たひまわり畑」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10262843/

  • トラキア平原に散在する墳墓の1つ<br /><br />未発掘の墳墓です。<br />手前の草は、ビロードモウズイカです。<br />おお、なんと変わり果てた姿でしょう!

    トラキア平原に散在する墳墓の1つ

    未発掘の墳墓です。
    手前の草は、ビロードモウズイカです。
    おお、なんと変わり果てた姿でしょう!

  • トラキア平原に散在する墳墓の1つと黒ずんだビロードモウズイカ<br /><br />どうも日本で見られるビロードモウズイカもこんな姿をしているみたいです。<br />いやいや、ビロードモウズイカは、こっちの旅行記の写真のようでなくちゃ!<br />「2008年ブルガリア・ハイライトその7:熊手のような黄色い花」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10262841/

    トラキア平原に散在する墳墓の1つと黒ずんだビロードモウズイカ

    どうも日本で見られるビロードモウズイカもこんな姿をしているみたいです。
    いやいや、ビロードモウズイカは、こっちの旅行記の写真のようでなくちゃ!
    「2008年ブルガリア・ハイライトその7:熊手のような黄色い花」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10262841/

  • ようこそ、シプカへ<br /><br />シプカには日本人が1家族住んでいるそうです(2008年7月現在)。<br />それにきっと団体ツアーなら、豪華なシプカ僧院が旅程に入る確率は高いでしょう。<br />バラの谷の近くですから、車があればすぐです。<br /><br />「シプカ<br /> カザンラックより遥かに魅力あるシプカは、快適な山間の村で、(バルカン)山脈のふもと、シプカ峠の下にあります。シプカ峠は、1877年、ブルガリアのトルコ支配から自由を求める闘争の中で、勝敗を決した戦いの1つが行われたところです。もし自力で回れる交通手段があるなら、シプカ僧院と壮大な自由の碑は、カザンラックからのステキな半日観光となります。もっとも、バスでも十分回れます。<br /> シプカは近年、驚くべき考古学上の発見により、まさに世界中でニュースとなりました。2004年に、2400年昔のトラキア人の王セウタス3世の墳墓が、トラキアの黄金とユニークな黄金マスクとともに発掘されました。その場所はこの執筆現在はまだ調査中ですが、ブルガリアは自国の広大な考古学的遺産を観光客に宣伝する計画があるため、いずれ公開されるでしょう。」<br />(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳)

    ようこそ、シプカへ

    シプカには日本人が1家族住んでいるそうです(2008年7月現在)。
    それにきっと団体ツアーなら、豪華なシプカ僧院が旅程に入る確率は高いでしょう。
    バラの谷の近くですから、車があればすぐです。

    「シプカ
     カザンラックより遥かに魅力あるシプカは、快適な山間の村で、(バルカン)山脈のふもと、シプカ峠の下にあります。シプカ峠は、1877年、ブルガリアのトルコ支配から自由を求める闘争の中で、勝敗を決した戦いの1つが行われたところです。もし自力で回れる交通手段があるなら、シプカ僧院と壮大な自由の碑は、カザンラックからのステキな半日観光となります。もっとも、バスでも十分回れます。
     シプカは近年、驚くべき考古学上の発見により、まさに世界中でニュースとなりました。2004年に、2400年昔のトラキア人の王セウタス3世の墳墓が、トラキアの黄金とユニークな黄金マスクとともに発掘されました。その場所はこの執筆現在はまだ調査中ですが、ブルガリアは自国の広大な考古学的遺産を観光客に宣伝する計画があるため、いずれ公開されるでしょう。」
    (Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳)

  • カラフルなシプカ僧院<br /><br />このカラフルさは、いかにもロシア正教会らしいです。<br />ブルガリア正教会は中も外ももっと地味ですね。<br />単に経済力の差だったりして。<br /><br />「シプカ<br /> カザンラクから北へ約10kmにある小さな村。1877〜78年にかけて露土戦争の激戦の舞台となった場所で、(中略)カザンラク方面から来ると見える、玉ネギ型で金色の屋根のシプカ僧院は、この戦争で戦士したロシア兵を悼んで建てられた。地下の大理石に墓標が刻まれている。この戦いでのロシア・ブルガリア連合軍の勝利により、ブルガリアはついにオスマン朝支配から脱することができた。」<br />(「地球の歩き方 &#39;07〜&#39;08年版」より)

    カラフルなシプカ僧院

    このカラフルさは、いかにもロシア正教会らしいです。
    ブルガリア正教会は中も外ももっと地味ですね。
    単に経済力の差だったりして。

    「シプカ
     カザンラクから北へ約10kmにある小さな村。1877〜78年にかけて露土戦争の激戦の舞台となった場所で、(中略)カザンラク方面から来ると見える、玉ネギ型で金色の屋根のシプカ僧院は、この戦争で戦士したロシア兵を悼んで建てられた。地下の大理石に墓標が刻まれている。この戦いでのロシア・ブルガリア連合軍の勝利により、ブルガリアはついにオスマン朝支配から脱することができた。」
    (「地球の歩き方 '07〜'08年版」より)

  • シプカ僧院内部の写真代わりに、リーフレットから<br /><br />このように内部の壁画もとてもカラフルです。<br />ルーマニアやブルガリア正教会の壁画も十分カラフルなのですが、年代の重みか、色彩感覚か、経済的理由か、もう少し落ち着いています。<br />それに見慣れるとロシア教会のカラフルさはかなり派手に感じられてしまいますネ。<br /><br />「シプカのキリスト降誕(Rozhdestvo Hristovo)追悼教会は、1877年8月にロシア人兵士とブルガリア人志願兵がスレイマン・パシャの軍隊に抵抗した伝説のシプカ峠のふもとにそびえ立っています。<br /> 南スラヴ人の自由のためになくなった人々を追悼して正教会を建てるという考えは、戦争が終わった直後のロシア社会で起こりました。主な提唱者は、戦争の名高い英雄M.D.スコベレフ(M.D. Skobelev)将軍の母オルガ・ニコラエヴナ・スコベレヴァ(Olga Nikolaevna Skobeleva)と、有名な政治家・外交官であったイグナチエフ(Ignatiev)侯爵です。イグナチエフ侯爵は長い間トルコ大使を務め、ブルガリア教会問題の解決に貢献し、1878年3月3日のサン・ステファノ平和条約の条文作成・締結に関わった人物です。<br /> 1880年4月25日、サンクト・ペテルブルクにおいて、教会建設資金調達のための委員会が設立されました。金銭や寄贈品が国中から集まりました。ほどなく、資金は金70万ルーブル集まりました。<br /> 追悼教会の献堂式と聖別は、1902年9月28日に行われました。」<br />(シプカ僧院のそばの露店で買ったリーフレット「Shipka  The National Park - Museum」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)

    シプカ僧院内部の写真代わりに、リーフレットから

    このように内部の壁画もとてもカラフルです。
    ルーマニアやブルガリア正教会の壁画も十分カラフルなのですが、年代の重みか、色彩感覚か、経済的理由か、もう少し落ち着いています。
    それに見慣れるとロシア教会のカラフルさはかなり派手に感じられてしまいますネ。

    「シプカのキリスト降誕(Rozhdestvo Hristovo)追悼教会は、1877年8月にロシア人兵士とブルガリア人志願兵がスレイマン・パシャの軍隊に抵抗した伝説のシプカ峠のふもとにそびえ立っています。
     南スラヴ人の自由のためになくなった人々を追悼して正教会を建てるという考えは、戦争が終わった直後のロシア社会で起こりました。主な提唱者は、戦争の名高い英雄M.D.スコベレフ(M.D. Skobelev)将軍の母オルガ・ニコラエヴナ・スコベレヴァ(Olga Nikolaevna Skobeleva)と、有名な政治家・外交官であったイグナチエフ(Ignatiev)侯爵です。イグナチエフ侯爵は長い間トルコ大使を務め、ブルガリア教会問題の解決に貢献し、1878年3月3日のサン・ステファノ平和条約の条文作成・締結に関わった人物です。
     1880年4月25日、サンクト・ペテルブルクにおいて、教会建設資金調達のための委員会が設立されました。金銭や寄贈品が国中から集まりました。ほどなく、資金は金70万ルーブル集まりました。
     追悼教会の献堂式と聖別は、1902年9月28日に行われました。」
    (シプカ僧院のそばの露店で買ったリーフレット「Shipka The National Park - Museum」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)

  • シプカ僧院内部の写真代わりに、リーフレットから<br /><br />信者の空間と聖職者だけが行き来できる空間の境界であるイコノスタシスは金で飾られ、絢爛豪華です。<br />ブルガリア正教会のイコノスタシスだと天井から少しだけ奥の壁画が覗けたりするのですが、ロシア正教会のイコノスタシスはずっと天井近くまで伸びていて、かなり威圧的です。<br />そして信者の空間には、ブルガリア正教会の場合は老人や体の弱い人向けに少しだけイスがあるのですが、ロシア正教会の場合、イスは1つもないです。<br /><br />「シプカ追悼教会は、建築家A.Y.トミシュコ(A.Y. Tomishko)のプロジェクトに従って、17世紀ロシア教会様式で建てられました。「モスクワ・バロック」と呼ばれた当時の建築は、細部にわたる贅沢な装飾、華麗な装飾性や建築美術的な要素が典型的でした。外壁の装飾には、光沢のあるカラフルな陶器タイルが使用されています。それらはフレスコ画とあわせて、教会に明るく陽気な外観を与えています。<br /> 建築面では、教会は十字型ドームです。中心部は正方形で、頂点に十字架のある5つの金メッキのドームがあります。中央ドームの十字架は最も高く4.5mあります。<br /> 正教会の主要な芸術要素である鐘楼は、全体要素にダイナミズムを与えています。高さ53.35mで、八角形の4階建てです。鐘楼の中には17の鐘があり、植物モチーフで装飾され、聖人像のが浮彫りが施されています。一番大きな鐘は約12トン、一番小さい鐘は20kgの重さです。<br />(シプカ僧院のそばの露店で買ったリーフレット「Shipka  The National Park - Museum」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)<br />

    シプカ僧院内部の写真代わりに、リーフレットから

    信者の空間と聖職者だけが行き来できる空間の境界であるイコノスタシスは金で飾られ、絢爛豪華です。
    ブルガリア正教会のイコノスタシスだと天井から少しだけ奥の壁画が覗けたりするのですが、ロシア正教会のイコノスタシスはずっと天井近くまで伸びていて、かなり威圧的です。
    そして信者の空間には、ブルガリア正教会の場合は老人や体の弱い人向けに少しだけイスがあるのですが、ロシア正教会の場合、イスは1つもないです。

    「シプカ追悼教会は、建築家A.Y.トミシュコ(A.Y. Tomishko)のプロジェクトに従って、17世紀ロシア教会様式で建てられました。「モスクワ・バロック」と呼ばれた当時の建築は、細部にわたる贅沢な装飾、華麗な装飾性や建築美術的な要素が典型的でした。外壁の装飾には、光沢のあるカラフルな陶器タイルが使用されています。それらはフレスコ画とあわせて、教会に明るく陽気な外観を与えています。
     建築面では、教会は十字型ドームです。中心部は正方形で、頂点に十字架のある5つの金メッキのドームがあります。中央ドームの十字架は最も高く4.5mあります。
     正教会の主要な芸術要素である鐘楼は、全体要素にダイナミズムを与えています。高さ53.35mで、八角形の4階建てです。鐘楼の中には17の鐘があり、植物モチーフで装飾され、聖人像のが浮彫りが施されています。一番大きな鐘は約12トン、一番小さい鐘は20kgの重さです。
    (シプカ僧院のそばの露店で買ったリーフレット「Shipka The National Park - Museum」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)

  • 中を見学したあとで、ふたたびシプカ僧院撮影<br />少し右脇から<br /><br />「教会の最後の絵画は、1956〜1959年、N.ロストフツェフ(N. Rostovtsev)の指導のもと、彼の初期プロジェクトに従って、ロシア人とブルガリア人の画家チームによって完成されました。聖書場面に加えて、歴史上の事件や人物にかなりのスペースが使われています。北面には、スラヴ語の文字の創始者であるキリルとメソディウスの全身像が描かれ、円形の中には、彼らの弟子たち、サヴァ(Sava)、ナウム(Naoum)、アンゲラリ(Angelarii)、ゴラズ(Gorazd)、クリメント(Kliment)が描かれています。平行して南面には、ロシアの聖職者であり政治家でもあったロストフ市大司教のドミトリー(Dmitrii)、カザンのグーリ(Gourii of Kazan)大司教、アントニーとフェオドシー・ペチェルスキー(Antonii and Pheodosii Pecherski)、セラフィム・セロフスキー(Serafim Serovski)の肖像画が描かれています。<br /> イコノスタシス前の2本の柱には、ブルガリアにキリスト教を取り入れたボリス1世とキエフ・ルーシ公国をキリスト教国にしたウラジーミル公の全身像が描かれています。」<br />(シプカ僧院のそばの露店で買ったリーフレット「Shipka  The National Park - Museum」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)<br /><br />現在のロシア語やブルガリア語などに使われている文字が「キリル文字」と呼ばれるので、キリルとメソディウスが作った文字のことかと思っていましたが、現在使われている文字は彼らより後の時代に作られたものでした。<br />後にソフィアの歴史博物館でキリルとメソディウスが作った「グラゴール文字」と、今の文字の原型となっているキリル文字を見ましたが、確かにかなり違っていました。<br />私には、いまのキリル文字からでは、グラゴール文字は推測がつきそうにはありませんでした。

    中を見学したあとで、ふたたびシプカ僧院撮影
    少し右脇から

    「教会の最後の絵画は、1956〜1959年、N.ロストフツェフ(N. Rostovtsev)の指導のもと、彼の初期プロジェクトに従って、ロシア人とブルガリア人の画家チームによって完成されました。聖書場面に加えて、歴史上の事件や人物にかなりのスペースが使われています。北面には、スラヴ語の文字の創始者であるキリルとメソディウスの全身像が描かれ、円形の中には、彼らの弟子たち、サヴァ(Sava)、ナウム(Naoum)、アンゲラリ(Angelarii)、ゴラズ(Gorazd)、クリメント(Kliment)が描かれています。平行して南面には、ロシアの聖職者であり政治家でもあったロストフ市大司教のドミトリー(Dmitrii)、カザンのグーリ(Gourii of Kazan)大司教、アントニーとフェオドシー・ペチェルスキー(Antonii and Pheodosii Pecherski)、セラフィム・セロフスキー(Serafim Serovski)の肖像画が描かれています。
     イコノスタシス前の2本の柱には、ブルガリアにキリスト教を取り入れたボリス1世とキエフ・ルーシ公国をキリスト教国にしたウラジーミル公の全身像が描かれています。」
    (シプカ僧院のそばの露店で買ったリーフレット「Shipka The National Park - Museum」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)

    現在のロシア語やブルガリア語などに使われている文字が「キリル文字」と呼ばれるので、キリルとメソディウスが作った文字のことかと思っていましたが、現在使われている文字は彼らより後の時代に作られたものでした。
    後にソフィアの歴史博物館でキリルとメソディウスが作った「グラゴール文字」と、今の文字の原型となっているキリル文字を見ましたが、確かにかなり違っていました。
    私には、いまのキリル文字からでは、グラゴール文字は推測がつきそうにはありませんでした。

  • 中を見学したあとで、ふたたびシプカ僧院撮影<br />奥の玉ネギ型黄金ドームを中心に<br /><br />「1902年当時は、教会の中央ドームにイエス・キリストと12使徒が描かれているだけでした。そのころ教会の外壁を飾っていたのは、32枚の大理石のプレートのみで、そのうち16枚は外の屋根付の回廊にありました。それらには金文字で、露土戦争で戦士した将校の名前と戦死した兵士の人数が刻まれています。ブルガリアの自由のために命を捧げたブルガリア人の志願兵の名前が刻まれたプレートは4枚です。死傷者の数は、戦死者名と人数を数えると、全部で18,491人です。」<br />(シプカ僧院のそばの露店で買ったリーフレット「Shipka  The National Park - Museum」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)

    中を見学したあとで、ふたたびシプカ僧院撮影
    奥の玉ネギ型黄金ドームを中心に

    「1902年当時は、教会の中央ドームにイエス・キリストと12使徒が描かれているだけでした。そのころ教会の外壁を飾っていたのは、32枚の大理石のプレートのみで、そのうち16枚は外の屋根付の回廊にありました。それらには金文字で、露土戦争で戦士した将校の名前と戦死した兵士の人数が刻まれています。ブルガリアの自由のために命を捧げたブルガリア人の志願兵の名前が刻まれたプレートは4枚です。死傷者の数は、戦死者名と人数を数えると、全部で18,491人です。」
    (シプカ僧院のそばの露店で買ったリーフレット「Shipka The National Park - Museum」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)

  • 中を見学したあとで、ふたたびシプカ僧院撮影<br />正面の細長いとんがり帽子のような屋根と、おそらく夜のイルミネーションに使われる電灯と<br /><br />「僧院は、1877〜1878年の露土戦争で亡くなったロシア兵とブルガリアの革命家たちを追悼して建てられました。僧院建設に必要な資金は、ロシア将校スコベレフの母オルガ・スコベレヴァ(Olga Skobeleva)とイグナチエフ(Ignatiev)侯爵の提唱により、大半はロシアからの寄付、そしてブルガリアからの寄付のおかげで集まりました。建設工事は、ロシア人建築家の指導のもと、1885年に開始され、1902年に完了しました。当初、僧院はロシアに所有権がありましたが、1934年、ソ連政府からブルガリア国家に寄贈されました。<br /> 聖ニコライ教会は、17世紀のロシア大聖堂の伝統的な様式で建てられた、まさに名建築です。教会は文化遺産として認定され、カラフルなモザイク装飾と黄金のドームで遠くから輝いて見えます。教会には、中央に1つ、周りに少し小さな4つの金メッキのドームがあり、その天辺には黄金の十字架が掲げられています。53mの高さの鐘楼には17の鐘があり(そのうち1番大きな鐘は12トン)、教会の西隣に立っています。教会内部では、シプカ峠やカザンラック周辺での戦いで命を落とした18,491人のブルガリア人やロシア人の名が刻まれた24のモザイク・プレートを見ることができます。教会の壁画は、最初は1902年にG. メソエドフ(G. Mesoedov)とA. ミトフ(A. Mitov)によって、それから1957〜1959年にかけて、N.ロストフツェフ(N. Rostovtsev)率いる壁画の画家チームによって、2度、描かれました。」<br />(ブルガリア修道院のサイト(http://www.bulgarianmonastery.com)より私訳)

    中を見学したあとで、ふたたびシプカ僧院撮影
    正面の細長いとんがり帽子のような屋根と、おそらく夜のイルミネーションに使われる電灯と

    「僧院は、1877〜1878年の露土戦争で亡くなったロシア兵とブルガリアの革命家たちを追悼して建てられました。僧院建設に必要な資金は、ロシア将校スコベレフの母オルガ・スコベレヴァ(Olga Skobeleva)とイグナチエフ(Ignatiev)侯爵の提唱により、大半はロシアからの寄付、そしてブルガリアからの寄付のおかげで集まりました。建設工事は、ロシア人建築家の指導のもと、1885年に開始され、1902年に完了しました。当初、僧院はロシアに所有権がありましたが、1934年、ソ連政府からブルガリア国家に寄贈されました。
     聖ニコライ教会は、17世紀のロシア大聖堂の伝統的な様式で建てられた、まさに名建築です。教会は文化遺産として認定され、カラフルなモザイク装飾と黄金のドームで遠くから輝いて見えます。教会には、中央に1つ、周りに少し小さな4つの金メッキのドームがあり、その天辺には黄金の十字架が掲げられています。53mの高さの鐘楼には17の鐘があり(そのうち1番大きな鐘は12トン)、教会の西隣に立っています。教会内部では、シプカ峠やカザンラック周辺での戦いで命を落とした18,491人のブルガリア人やロシア人の名が刻まれた24のモザイク・プレートを見ることができます。教会の壁画は、最初は1902年にG. メソエドフ(G. Mesoedov)とA. ミトフ(A. Mitov)によって、それから1957〜1959年にかけて、N.ロストフツェフ(N. Rostovtsev)率いる壁画の画家チームによって、2度、描かれました。」
    (ブルガリア修道院のサイト(http://www.bulgarianmonastery.com)より私訳)

  • 戦死者を悼むようにひざまずく、ブルガリア人の少女の像<br />シプカ僧院のすぐそばにて

    戦死者を悼むようにひざまずく、ブルガリア人の少女の像
    シプカ僧院のすぐそばにて

  • シプカのそばの駐車場の屋台と、彼方に広がるトラキア平原<br /><br />トラキア平原を見渡せるもっといい撮影ポイントはないかと探したのですが、この写真が一番よく写っている方でした。<br /><br />「シプカ僧院<br />シプカに着く手前で、5つの黄金の玉ネギ型のドームのある生誕記念教会が村の上に広がる森から顔を出しているのを見逃すことはないでしょう。シプカ僧院の一部であり、聖ニコライ教会として知られているこの教会は、露土戦争(1877〜78年)中、シプカ峠で戦死した人を追悼して1902年に建てられた、すばらしい建物です。設計は当時のロシア建築に深く影響を受けており、何キロも離れたところでも聞える17の鐘が特徴的です。地下室には、亡くなった大勢のロシア兵の遺骸が安置され、また、ロシア史の場いくつかの面を描いたすばらしいフレスコ画があります。もし曇りでなければ、教会からバラの谷のすばらしい景色が見られます。(後略)」<br />(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳)

    シプカのそばの駐車場の屋台と、彼方に広がるトラキア平原

    トラキア平原を見渡せるもっといい撮影ポイントはないかと探したのですが、この写真が一番よく写っている方でした。

    「シプカ僧院
    シプカに着く手前で、5つの黄金の玉ネギ型のドームのある生誕記念教会が村の上に広がる森から顔を出しているのを見逃すことはないでしょう。シプカ僧院の一部であり、聖ニコライ教会として知られているこの教会は、露土戦争(1877〜78年)中、シプカ峠で戦死した人を追悼して1902年に建てられた、すばらしい建物です。設計は当時のロシア建築に深く影響を受けており、何キロも離れたところでも聞える17の鐘が特徴的です。地下室には、亡くなった大勢のロシア兵の遺骸が安置され、また、ロシア史の場いくつかの面を描いたすばらしいフレスコ画があります。もし曇りでなければ、教会からバラの谷のすばらしい景色が見られます。(後略)」
    (Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳)

  • ふもとのシプカ村から黄金の頭がちょっぴり見えるシプカ僧院<br /><br />コンデジの限界。<br />でもまあ、これは、手前のキタイスカ・ローザとブルガリアで呼ばれているノウゼンカズラのある農家の写真も撮りたかったから、いいんですけどね。

    ふもとのシプカ村から黄金の頭がちょっぴり見えるシプカ僧院

    コンデジの限界。
    でもまあ、これは、手前のキタイスカ・ローザとブルガリアで呼ばれているノウゼンカズラのある農家の写真も撮りたかったから、いいんですけどね。

  • 車窓から、バラのないバラの谷とバルカン山脈<br /><br />交差点で車が止まった隙にパチリ@<br />このあたりのバラは6月中旬から下旬に摘み取られてしまいます。<br />葉っぱだけが青々と茂り、来年の花のために光合成をして栄養を蓄えているのでしょう。

    車窓から、バラのないバラの谷とバルカン山脈

    交差点で車が止まった隙にパチリ@
    このあたりのバラは6月中旬から下旬に摘み取られてしまいます。
    葉っぱだけが青々と茂り、来年の花のために光合成をして栄養を蓄えているのでしょう。

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