2016/10/25 - 2016/10/29
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tigerさん
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COVID-19禍中、引き続き整理していない昔の旅行を纏めています。
(この旅行記はその第16弾ーNo.2/2) 2021.10記
ブルガリア観光で最大の目的は、「リラの修道院」でした。
あとは「おまけ」みたいなもので、写真もあまり残っていません。
今回もあまりよく調べずに行きましたが、行く価値は十分にありました。
【旅程】2016年10月25日~29日
本編は、★印
【4日目】(ルーマニア)⇒⇒ (ブルガリア)⇒⇒ 岩窟教会⇒⇒ ヴェリコ・タルノヴォ(泊)
★【5日目】ヴェリコ・タルノヴォ観光⇒⇒ カザンラク観光⇒⇒ ソフィア(泊)
★【6日目】ソフィア観光 ソフィア(泊)
★【7日目】ソフィア⇒⇒ボヤナ教会⇒⇒リラの修道院⇒⇒ソフィア空港⇒⇒ドーハ
★【8日目】ドーハ⇒⇒羽田
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
【移動ルート】
本編は、ブルガリア共和国。
人口:750万人
首都:ソフィア
面積:11万平方km
宗教:ブルガリア正教
昨日(4日目:10月25日)、夕方にドナウ川の国境を越えた後、
岩窟教会群を見学してから、「ヴェリコ・タルノヴォ」の街に投宿。 -
【5日目AM】「ヴェリコ・タルノヴォ」
ルーマニアの東西に横たわるバルカン山脈の東部にある森と丘、
そして蛇行するヤントラ川と断崖が特徴の自然あふれる中にある
中世の古都。
12~14世紀に第二次ブルガリア帝国の都として栄えた。
最盛期には、バルカン半島の大半を支配、東欧の文化的中心と
なったが、14世紀には、オスマン朝の支配下に入った。
-
【5日目AM】「ヴェリコ・タルノヴォ」(旧市街の宿泊ホテルより)
ヤントラ川に面した宿泊ホテルより、「旧市街」を望む。
山に張り付く様に、街が存在します。
人口7万人位の街ですが、小さな日本語学校があるそうです。 -
【5日目AM】「ヴェリコ・タルノヴォ」(旧市街の宿泊ホテルより)
ヤントラ川の対岸にあるのは、「ヴェリコ・タルノヴォ美術館」 -
【5日目AM】「ヴェリコ・タルノヴォ美術館」(旧市街の宿泊ホテルより)
ズームで撮ってみました。 -
【5日目AM】「ツァレヴェッツの丘」
「カザンラク」へ向かう前に、大主教教会が建つ丘へ行きます。 -
【5日目AM】「ツァレヴェッツの丘」
大主教教会が建つ丘。
第二次ブルガリア王国(1187~1393年)時代には、
丘全体が宮殿だったが、オスマン朝との戦いで瓦礫の山となった。
見学はここまでで、次の地へ出発。 -
【5日目AM】09:21
これから、ヴェリコ・タルノヴォの街を離れ、
バルカン山脈を越えて、南の「カザンラク」へ、移動。 -
【5日目AM】「バッファローのヨーグルト」
カザンラクヘの途中、バルカン山脈の峠(標高1,200m)で休憩。
この地では、水牛が飼われているようです。 -
【5日目AM】11:35「バラ博物館」(カザンラク)
「カザンラク」は、バルカン山脈の南側に位置する
「バラの谷」の中心地。
この地で栽培されているのは、香水用のバラ。
博物館には、バラの香油を精製する道具などが展示されている。 -
【5日目PM】
バラ博物館の付近は紅葉でした。
5~6月には、バラの収穫を祝う「バラ祭り」が
盛大に催されることで有名。 -
【5日目PM】12:02「トラキア人の墳墓」(世界遺産)
第二次世界大戦中に兵士によって偶然発見された。
2000年以上前の墓で、天井画や壁画が残っているが
埋め戻されているので見ることは出来ない。
ということで、上屋の写真のみ。
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【5日目PM】「トラキア人の墳墓」(カザンラク)
小さな info. 施設があり、ネコが気持ちよさそうにお休み。 -
【5日目PM】
確か、カザンラクの昔の様式を残す家屋だったかな?(自信無し) -
【5日目PM】
確か、こちらも昔の家屋だったかな?(自信無し) -
【5日目PM】昼食 (カザンラク)
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【5日目PM】昼食 (カザンラク)
いつも食べ始めて写真撮ろうと気が付くんですね。 -
【5日目PM】昼食 (カザンラク)
こちらのホテルのレストランで昼食を頂きました。 -
【5日目PM】車窓風景「カザンラク」⇒⇒「ソフィア」
「カザンラク」で昼食後にスーパーマーケットに立ち寄り、
「ソフィア」へ移動してます。 -
【5日目PM】車窓風景「カザンラク」⇒⇒「ソフィア」
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【5日目PM】「ラマダ ホテル」(ソフィア)
ブルガリアの首都「ソフィア」の鉄道中央駅近くのホテル。 -
【5日目PM】「ラマダ ホテル」
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【5日目PM】「夕食レストラン」
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【5日目PM】「夕食レストラン」
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【5日目PM】「夕食レストラン」
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【5日目PM】「夕食レストラン」
ブルガリアでポピュラーな「カヴァルマ」らしい。 -
【6日目AM】10月27日(木)
2泊した「ラマダ ホテル」(ソフィア)
以前は「ソフィア・プリンセス」と名乗っていた。 -
【6日目AM】
ホテルの近くを散策。 -
【6日目AM】ホテル客室より
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【6日目AM】ホテル客室より
ホテルは鉄道中央駅の直近でした。
左側の白い屋根が中央駅。
右の建物はバスターミナル。 -
【6日目AM】09:28
中央駅前に地下鉄駅入り口があったので、地下へ降りてみました。
たしか、私が勤めていた会社が工事を請け負ったはず。 -
【6日目AM】09:40「聖ゲオルギ教会」
4世紀にローマ帝国によって建てられた、
ソフィアに現存する最古の教会。
教会内には、12~14世紀のフレスコ画が残る。
オスマン朝時代はモスクとして使われ、フレスコ画が
漆喰で塗り固められたため、残った。
手前は、ローマ時代の浴場跡と思う。 -
【6日目AM】
ブルガリア語で書いてあるので、何のビルかは分かりませんが
この辺りは官庁街だったと思います。(衛兵が建ってました。) -
【6日目AM】10:01「聖ソフィア教会」
6世紀に、ユスティニアヌス帝が建てた教会。
現在の建物は、1900年以降に復元された。 -
【6日目AM】「聖ソフィア教会」
ソフィアはギリシャ語で「知恵」という意味で、
街の名前「ソフィア」は、この教会に由来する。 -
【6日目AM】10:04「アレクサンダル・ネフスキー寺院」
バルカン半島で最も美しいといわれる教会。
ロシア人の建築家によって建てられた。 -
【6日目AM】
寺院に向かって左の歩道に建っていましたが、どなた?? -
【6日目AM】10:14「アレクサンダル・ネフスキー寺院」
オスマン朝から、ブルガリア独立のきっかけとなった
露土戦争(1877~78年)で戦死した20万人のロシア兵士を
慰霊する寺院として建てられた。 1922年完成。
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【6日目AM】「アレクサンダル・ネフスキー寺院」
寺院の地下室は、国中から集めた「イコン」の博物館になっている。 -
【6日目AM】「イコン博物館」(アレクサンダル・ネフスキー寺院)
イコンが沢山、展示されていました。 -
【6日目AM】11:32
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【6日目AM】11:35 昼食レストラン
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【6日目AM】11:37 昼食
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【6日目AM】昼食
「ムサカ」という料理らしい。 -
【6日目PM】商店街「ハチミツ屋さん」
昼食後歩いて、バスの待つ場所まで移動中。 -
【6日目PM】商店街「八百屋さん」
バスの待つ場所まで移動中。 -
【6日目PM】12:53 車窓風景 ⇒⇒プロヴデイフ
ソフィア市内 -
【6日目PM】車窓風景 ⇒⇒プロヴデイフ
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【6日目PM】車窓風景 ⇒⇒プロヴデイフ
川に架かる橋には、カラフルな壁と屋根が -
【6日目PM】15:25「」(プロヴデイフ)
プロヴデイフは、6000年の歴史を持つ、世界最古の街の一つ。
地下のあちこちに遺跡が眠る街。
プロヴデイフは、ソフィアから南東130㎞、人口38万人の
ブルガリア第2の都市。(商業都市)
(日本の会社が造った火力発電所があるそうな) -
【6日目PM】15:24「プロヴデイフ」
遺跡の全体像が展示されていました。
写真の奥の部分が、現在露出している遺跡。 -
【6日目PM】15:33「ローマ遺跡」(プロヴデイフ旧市街)
2世紀頃に建設された半円形の劇場跡で、
埋まっていた遺跡が、地滑りによって発見された。 -
【6日目PM】16:29「プロヴデイフ旧市街」
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【6日目PM】16:29「プロヴデイフ旧市街」
民家の張り出した窓(というか2階)を支える建築様式が、特徴らしい。 -
【6日目PM】16:29「プロヴデイフ旧市街」
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【6日目PM】16:29「プロヴデイフ旧市街」
落ち着いた街並み。
石畳も良い感じ。 -
【6日目PM】16:40「プロヴデイフ旧市街」
旧市街は、起伏に富む地域にある。
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【6日目PM】17:15 夕食
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【6日目PM】夕食
多分、ポークですね。 -
【6日目PM】夕食
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【7日目AM】10月28日 08:21(ホテル客室より)
今日は観光後、ドーハ経由で羽田へ帰国の途につきます。 -
【7日目AM】09:43「ボヤナ教会」(世界遺産)
11世紀以降の芸術的価値を誇るフレスコ画の宝庫として
知られている。(20世紀になって、漆喰の下から発見された)
教会内が暗いせいか、あるいは撮影禁止だったのでしょう、
内部の写真は有りません。 -
【7日目AM】「ボヤナ教会」(世界遺産)
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【7日目AM】「ボヤナ教会」(世界遺産)
1048年に創建された「聖ニコラウス聖堂」と
1259年の「聖パンティレイモン聖堂」
1845年の「第3聖堂」
3つの聖堂によって構成されている。
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【7日目AM】「ボヤナ教会」(世界遺産)
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【7日目AM】10:14⇒⇒「リラの修道院」
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【7日目AM】11:47⇒⇒「リラの修道院」
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【7日目AM】11:51⇒⇒「リラの修道院」
ふもとの小さな村を通り、「リラの修道院」へ。
屋根には、コウノトリの巣。
今は10月なのでコウノトリは不在、春になれば現れるでしょう。 -
【7日目AM】⇒⇒「リラの修道院」
こちらは、看板というか、お店のお飾り。 -
【7日目PM】12:26「昼食レストラン」
山道を登り、リラの修道院手前のレストランで昼食。 -
【7日目PM】昼食
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【7日目PM】昼食
マスを揚げた料理だったと思います。 -
【7日目PM】13:41「リラの修道院」世界遺産
ソフィアから65㎞、標高 1,150m の山中にたたずむ
ブルガリア正教の聖地。
中央に「聖母誕生教会」がある。 -
【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
別の方から、「聖母誕生教会」を見る。 -
【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
修道院は、僧房に囲われている。
最盛期には、3,600人の修道僧が生活していた。 -
【7日目PM】「フレリョの塔」(リラの修道院) 世界遺産
「フレリョの塔」の1階はお土産屋さん。
リラの修道院は 1,833年の大火でほとんど焼け落ちたが、
この塔だけ焼失を免れ、14世紀の建設当時のまま残っている。 -
【7日目PM】「聖母誕生教会」(リラの修道院)世界遺産
周りを4階建ての僧房に囲まれて建つ「聖母誕生教会」には
フレスカがびっしりと埋め尽くしている。 -
【7日目PM】「聖母誕生教会」(リラの修道院)世界遺産
色鮮やかで精緻なフレスコ画が、あらゆる所に描かれている。 -
【7日目PM】「聖母誕生教会」(リラの修道院)世界遺産
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【7日目PM】「聖母誕生教会」(リラの修道院)世界遺産
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【7日目PM】「聖母誕生教会」(リラの修道院)世界遺産
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【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
10世紀、この地に小さな寺院が建立されたことから歴史が始まる。
現在の形になったのは、14世紀で、僧院文化が花開いた。
その後、ブルガリアは500年に渡ってオスマン朝の支配下に置かれ
キリスト教の信仰は制限されてきたが、この僧院だけは黙認された。
1833年の大火で、ほぼ焼失したが、そのご復旧された。
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【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
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【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
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【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
僧房棟内には、展示室がありました。 -
【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
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【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
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イチオシ
【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
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【7日目PM】「リラの修道院」世界遺産
僧院は、山を背後にして建つ。
入り口側は、川沿いの上り道だったような記憶。 -
【7日目PM】15:10「リラの修道院」世界遺産
これが最後に撮った写真。(天気が良いと、もっと綺麗でしょう)
全部は見えないが「聖母誕生教会」のは5つのドームが載る。
空港に向かい、ドーハ経由、
翌日10月29日(土) 22:45 羽田空港着となりました。
最後までご覧いただきありがとうございました。(完)
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