2008/10/26 - 2008/10/26
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てり~(terikara_3テリカラ てりから、terikara_3テリカラさん)さん
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ここは、JR姉ヶ崎駅前東口。
市原市姉崎453番地。
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いちはら歴史物語。
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JR姉ヶ崎駅東口の駅前通りを東に進むと
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水戸光圀や小林一茶も訪れた顕本法華経の古刹「妙経寺」(みょうけいじ)があります。
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広報「いちはら」に載っていた『義僕市兵衛』の墓を探しましたが、みつけることができずに「ピンポン」を押しました。すると丁寧に対応していただき、教えてもらうことができました。
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砂堆(さたい)の上に立地する境内からは四、五千年前の貝塚や古墳がみつかっています。
※約百年前に蘆竹が描いた「姉崎町妙経寺」の絵を見ると、まわりより小高い場所であることがよく分かります。 -
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「妙経寺」『義僕市兵衛』の墓があることでも知られています。
「市兵衛」は、元禄8年(1695年)深城村で発生した鉄砲誤射事件に連座して伊豆大島へ流された主人の家族を十年間にわたって養い、その赦免に奔走しました。 -
このことは幕府の認めることとなり、後に、荻生徂徠(江戸時代の儒学者)らに『主人に尽くした美談』として称揚されました。
蘆竹に絵を描かせた斉藤孝氏は市兵衛とゆかりが深く、その功績の保存にも努めました。
蘆竹は『姉崎町妙経寺』を描いて間もない大正2年(1913年)10月12日
、絵を描くために滞在していた茂原の寺で亡くなりました。 -
ここ妙経寺に残る墓石には俗名「晋兵衛」、行年七十二歳と刻まれています。
酒好きの蘆竹は、絵を頼まれるとまずは酒を飲んで日を過ごし、おもむろに絵を描き始めたと伝えられています。
ーーー広報「いちはら」より抜粋 -
妙経寺の境内から外を見ています。
※対応していただいた方に、広報を読んで訪ねて来た方はいますか?と尋ねたら「いません。」という返事でした。 -
※Bar Masami跡地の今です。飲食店が建つのかと思っていましたが、、、、
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