2008/08/21 - 2008/08/21
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Weiwojingさん
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夏の暑い昼下がりに、東京上野の池之端にある「旧岩崎久弥邸」を見学して来ました。
旧岩崎邸はイギリス人ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852〜1920)が設計し、1896年(明治29)に完成したものです。コンドルと言えば、鹿鳴館をはじめ、ニコライ堂、三菱1号館、2号館、3号館等の説計者として知られています。これらの建築物以外にも、旧三井家綱町別邸(現三井倶楽部)や旧島津侯爵邸(現清泉女子大学本館)を説計しました。
岩崎邸は、三井家綱町別邸や島津伯爵邸とともに、かっての華麗な姿を随所に今なお見ることができます。
では、その美しい建物の内部と周囲を見てみましょう。
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旧岩崎邸は、三菱財閥を創設した岩崎家の第3代当主・久彌の本邸として建てられました。
日本の近代建築史に名を残すジョサイア・コンドルによって設計されたものです。
秀麗なデザインの洋館は木造2階建、地下室付きで、イギリス17世紀初頭のジャコビアン様式を基調としています。
洋館は主として来客を遇するゲストハウスとして使われ、日常の生活には併置された和館が使用されていました。 -
玄関上部をアップで撮ってみました。上部が角ドームになっています。
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北側2階のジャコビアン様式の意匠が施された窓です。正面玄関から見ることがきます。
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玄関ホールに入ると、床にこのような美しいタイルがはられています。見事ですね。
コンドルの設計には随所にイスラム建築の要素が取り入れられていますが、これもその一つです。 -
天井の装飾も見事としか言いようがりません。
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正面玄関を入ると、すぐホールになりますが、ここには大階段が設けられています。
ゴシック様式の重みを持つ階段には、ジャコビアン様式の装飾が施されています。 -
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1階ホールには2本の飾り柱があります。
一番下からツルを巻いたような形状をした装飾が施されています。これはジャコビアン様式の特徴のひとつです。 -
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華麗な飾りが施された階段手すりの部分です。
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大階段踊り場の窓には、このような素晴らしいステンドグラスがはめ込まれています。
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洋館から和館へ向かう廊下のところです。
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1階東側にある婦人客室は、シルクのイスラム風刺繍が施された布張りの天井になっています。
手の込んだ大変美しい作りです。 -
2階東側にある婦人客室です。
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2階客室の壁には、当時の金唐紙を忠実に復原した日本独自の金唐紙が張られています。
復元するにはかなりの困難を伴っていたようです。同様の金唐紙が鹿鳴館にも用いられていました。 -
東側にあるサンルームです。1910年(明治43)に増築された部分です。
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こちらもサンルームで、北側の部分です。
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外からサンルーム側を撮ってみました。
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サンルームの出入り口階段です。
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南側から洋館全体を撮った写真です。
コロニアル調の大規模な2層に構成されたベランダには、インドを経由したイスラム建築の要素が見られます。 -
一階南側にあるベランダですが、トスカナ式の列柱が並んでいます。
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トスカナ式の列柱とはどんな風なのかよく写真を見て、確認してください。特に上部の作リをご覧ください。
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二階のベランダ部分です。南側の列柱は、イオニア式の装飾が特徴となっています。
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イオニア式の列柱とトスカナ式のそれとの違いはわかりますか。上部をよくご覧ください。
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戦時中供出してしまった2階ベランダの手摺は、1時ありませんでしたが、現在のものは元のままに復原されものです。
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1階ベランダの床には、イギリス製の草花をモチーフとしたタイルが敷かれています。
大変エキゾチックですが、これもイスラム風建築の要素なのでしょうか。 -
洋館から和館へ移動してみました。畳敷きの長い廊下が続いています。
和館は岩崎家の日常生活の場として使われました。本来はg現在の何倍にもあたる面積を有していましたが、かなり売却されてしまい、今はかつての面影を見ることはできません。 -
縁側の部分です。
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家族専用の西側玄関です。鹿の角をモチーフとしたステンドグラスが施されています。
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家族用玄関を入ったすぐ脇に、二階に通じる階段があります。この階段も家族専用でした。
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洋館から離れたところに建つ「撞球室」(ビリヤード室)です。
1896年(明治29)の本館竣工より後に建設されたとされています。設計はコンドルです。木造平屋の校倉作りの壁、刻みの入った柱、深く軒を差し出した屋根等、木造ゴシックの流れを汲む造りです。
コンドルが"Swiss Cottage Style"と呼んだように、どこかスイスの山小屋を思わせる造りです。
ここは戦後一時学生の寄宿舎に使われたこともあるそうです。そのため内部はかなり荒廃しています。 -
撞球室は洋館と地下道でつながっており、食事の運搬や使用人の移動に使われていました。
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かつては広大な庭園がありましたが、今では当時の3分の1以下になってしまいました。
しかし、昔の面影を伝える灯篭等が南東の樹林内に放置されたままになっています。 -
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岩崎邸入口の所に、家紋「三階菱」がついた袖堀があります。
これは三菱の社章デザインの基となったもので、現在国の重要文化財となっています。
* 現在旧岩崎邸の内部は撮影禁止になつています。この旅行記の制作時 (2008年)は撮影が可能でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 一歩人さん 2008/10/23 14:22:56
- これ、私の琴線にものの見事に春の海!
- tamegaiさんへ
新着というので、私の大好きなコンダー博士なもので、
と。あれ?数日前にコメント書いたような。
ふ、ふ、一歩人です。
このコメント、私の琴線にものの見事に春の海!
孫弟子?の伊東忠太の築地本願寺もインド様式ですよね。
でも内装は、伊東忠太の意思とは関係なく、桃山様式とか。
ファンがいたとは、ありがたき幸せ。
といっても、マイブームも去り、今は、とことん東照宮。
いよいよ、最終回まじか。
自分の事ばかりで、失礼いたしました。
でも、何度拝見しても、楽しいです。
ありがとうございました。
- Weiwojingさん からの返信 2008/10/23 20:50:48
- RE: これ、私の琴線にものの見事に春の海!
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一歩人さん。はじめまして。書き込みをありがとうございました。
コンダー博士(コンドル博士)をお好きとは、うれしいです。
先日伊東忠太の設計した築地本願寺に行って来ました。何やら不思議
な空間を持つインド風の寺院に圧倒されてしまいました。
一歩人さんは、東京のマニアックなところをあちこち回られているので
すね。でも、私のほとんど知らないところや物などレポートされて
いて、いいですね。感心しました。
「江戸東京をつなぐ地や郷里を思いだせる地」というコンセプトも
私にとっても興味があります。これからどんどん拝見させていただ
きますので、たくさんブログを載せてください。期待しています。
私のほうも見てください。どしどしご意見やご感想などもお寄せく
ださい。では、今日はこれで。
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