2008/08 - 2008/08
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Weiwojingさん
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香港は1997年7月長年のイギリスの植民地支配を脱して、中国に主権が戻りました。アヘン戦争をきつかけにして、イギリスの直轄植民地になり、それ以来アジアのどの都市よりも繁栄を続けてきました。
中国に戻って12年が経ちました。中国本土からの観光客が増え、人民元も広く使われ、北京語もかなり聞かれるようになりました。それらとともに、かってのイギリスの影響力はもうなくなったでしょうか。人々の生活の中には、イギリス的なものはもう消えてなくなっしまったでしょうか。一見かっての宗主国の栄光はなくなりつつあるように見えますが、しかし、香港人の意識や考えの中にはまだまだ根強く残っています。
今回、イギリスが残していった過去の栄光の証しを建物や記念碑などを通して探ってみたいと思います。街を歩くと、さまざまな形でそれらのものが残されています。
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先ずは香港島から出発です。シティホール近くにはイギリスを象徴する紋章がそのまま残されています。王冠と二匹の龍が描かれています。
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香港や上海の金融業で大きな貢献をしたイギリス人Sir ThomasJackson Bart (1841-1915)の銅像です。
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King's Collegeという名前の教育機関です。
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香港警察が置かれていた昔の建物です。アンティック街としてい知られるHollywood Roadに面しています。
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建物の上部には1919年と建設された年が刻まれています。ちょうど90年前にできたのですね。
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ビクトリア女王の銅像です。彼女の銅像はその名をとって作られたビクトリア公園の中にあります。
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女王の威厳に満ちた顔付きから、大英帝国時代のイギリスを君臨した自信のほどを窺うことができます。当時イギリスは7つの海を支配していたと言われたほどです。
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香港公園の中には茶具文物館があります。
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香港植民地建設100周年(1841〜1941)を記念して1941年に建てられたエドワード3世の銅像ですが、その後再建されたものです。
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ここは香港大学です。
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香港大学を創立したSir H. N. Modyの胸像です。
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香港大学が所有する「大学堂」(University Hall)という名前の建物です。白亜の大変美しい建物です。
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大学堂の入り口を入って、奥の方を写真に撮ってみました。なかなか落ちっいた空間です。
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大学堂のすぐ近くに「演藝學院古蹟校園」(The Academy's Landmark Heritage Campus)があります。ここはかってBe-thanieという名前の修道院だったところで、建物もそれらしい雰囲気が残っています。
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香港島から九龍サイドに渡ると、先ず目に入るのがザ・ペニンシュラ香港です。
建設されたのは1928年です。1900年代の香港の市街地はセントラル地区で、尖沙咀地区はまだ田舎の雰囲気のあるところでした。10910年に九広鉄路が完成し、スターフェリー乗り場付近に駅が設置されました。駅の目の前に埠頭があり、ヨーロッパからの船も停泊するため、海と陸の玄関口を合わせもつ場所にふさわしいホテルとして、エリス・カドゥーリーによって建てられました。
1941年に太平洋戦争が勃発し、日本軍が香港に進駐すると、ペニンシュラは軍関係のホテルとして接収され、一時東亜ホテルと名前を変えたこともありました。 -
一歩中に入ると、落ちった空間が広がり、長い歴史を有するホテルの貫録を感じさせます。ロビーでは優雅なアフターヌーンティーを楽しむことができますが、最近は大勢観光客が詰めかけ、騒々しくなってきました。本来の落ち着いた雰囲気の中でアフターヌーンティーを楽しむならば、むしろシェラトン・ホテルやセントラル地区側のマンダリン・オリエンタル・ホテルで楽しんだ方がよいかもしれません。
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