2007/12/28 - 2008/01/04
123位(同エリア232件中)
きっちーさん
2008年1月4日。
帰国の日。
朝も早よから、重慶動物園のパンダちゃんを、ストーカー撮りして楽しんだ、そんな1日の始まり・・。
やばやば・・パンダに持ってかれてるよ、マイライフ。
めくるめくパンダ・ワールドを堪能したものの、出発時間には、まだ余裕があります。
なので、重慶最後の思い出に、ふたたび解放碑へやってまいりました。
1年間かけて、細々と続けてきたこの旅行記も、いよいよラストかと思うと、寂しいような、書き足りないような気持ちでいっぱいです。
『重慶大爆撃』は、帰国後も書籍をあたってみましたが、いまもって「これは分かりやすい」という、書籍は見つけられません。
日本軍の戦争犯罪を扱ったコーナーをのぞいても、南京大虐殺や毒ガス・細菌・生物兵器、「慰安婦」、強制連行といった証言集や研究書はわりと見つけ易いのですが、重慶大爆撃あつかった研究はほとんど手付かずと言っていいほどで、こんなに無いものかと改めて驚きます。
仕方ないので、ほかのトラベラーさんから、空爆全般についての本をご紹介頂いて、通勤電車で読んだり、重慶を含む四川省での日本軍による爆撃被害者の訴訟を支援する、市民グループの学習会へお邪魔したりしました。
実際に現場である重慶へ訪れた時点では、あまりの被害のすさまじさに立ちすくんでしまいましたが、行かなかったら知りえなかった多くのことを目にすることが出来たので、行って良かったと思います。
今回の旅でわかったのは、『精密爆撃』も『地域爆撃』も実際には言葉の区別でしかなく、民間人を巻き込まずにすむ『空爆』というものは存在しないということ。
空爆は、「相手側の戦意をくじく」手法そのものが、対象地域に住むすべての人をターゲットとした、無差別殺戮になっていかざるおえないのだ、ということ。
作戦上、『精密爆撃』と呼ばれていても第2次大戦中の爆撃機には限界があり『精密』とはほど遠い実態があったこと、さらに『誤爆』と言いかえて抵抗手段をもたない人々への加害責任を曖昧にしてきた経過に、現在の戦争と重なる面をみることができました。
空爆の残虐性は、ベトナムやイラク、アフガン、パレスチナ、南京、東京、横浜空襲と、体験者から聞いた知識としてはわかっているつもりでしたが、重慶における非武装市民への攻撃が、地上でどれほどの悲劇を生み出したのかを、三峡博物館や十八梯の物言わぬ声が、静かに語りかけてくれました。
日本の侵略戦争の加害と、植民地や地上戦にさらされた地域の被害の実態を調べるのは、しろうとの「趣味」の延長です。
けれど、侵略戦争の生還者にとっては、過去につらなる現在の実存に根ざした問題です。
彼/彼女たちが、こうむり続ける「痛み」は、過去の先を生きている自分の責任であると思うので、ネコの手みたいなもんですが、役に立てればと思います。
まあ、そんな感じで最終日。
最終日にすることは、ひとつ!
おみやじゃーっ♪
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- 中国国際航空
PR
-
おみや♪
おみや♪
オイラのおみっや♪
動物園站からモノレールで、さらっと解放碑前。
あたり一面、デパートです。 -
解放碑付近の歩行者天国は、勤め人から遊びに来ている人まで様々。
ワタクシのような、観光客もちらほら見えます。
街をうろつくのは楽しいですが、自分、買物は決めてかかる方なので、早いです。
飛行機の時間もあるしね。巻き巻きで。
下見オッケー。
解放碑からみえる通りの角に、『王府井』っていうデパートにあったのヨ。 -
お。
正月モニュメント。
・・じゃなくて、よそ見しないで王府井デパートへGO〜。 -
マイおみやも、いつも買うのは、同じです。
玉!
↑タマじゃないスよ、ギョク -
このようなものです。
玉石を加工したペンダントヘッドは、中国の民芸品みたいなもので、お寺なんかに行くとポピュラーに売ってます。
一般的なのは、観音様や太ったお坊さん(?)ですが、なかには花鳥風月の可愛いデザインの物があって、いっつもみやげにしております。かさばんないし。 -
王府井デパートの3階だったかな?
エスカレーターをあがった所にあったはず。
「この、ウサちゃんデザインか・・」
ガラスケースに、ビタッと張り付きます。
うさぎの姿、わかりますかね?横向きの。 -
「・・それとも、フルーツバットのデザインか・・」
-
これ、見ずらいですが。コウモリ。
ガラスケースの中に並べられた玉を物色していると、向かいのスポーツ用品売り場のお姉さんが、
「你好」
と、声をかけてきます。
「あ。すいません、これ見せて下さい。え〜、対不起。我想看一下?」
お願いすると、彼女は困った顔をして、「ちょっと待ってて」と言い、背の高い男性の店員さんを引っ張って来ます。
「Hello!」
「うほっ、英語だ・・(汗)。はろ〜」
なんか言ってる、なんか言ってるヨ!
眉間にしわを寄せながらお話を伺うと、どうやらこのスペースを担当している店員さんが、休憩に出ているとの事。
え?
つまり、その人こないと、販売ができないっつー事か。
「あと、15分は戻ってこない」・・・らしい。
まあいいや、ゆっくり見せてもらうから。
ガラス越しだけど。 -
ちなみに『玉』のペンダントヘッドは、地域によって玉石の色合いや透明度が異なります。
重慶や大足のは透明な感じですが、他の所ではグリーンぽかったり、白っぽいのもあります。
こちらは上海の。
玉佛禅寺の売店で売ってた、鯉の滝登りデザインです。 -
こっちは、北京。
雍和宮で、いっちゃん最初に買ったもの。 -
裏まで細かいです。
-
なかなかやって来ない、玉売り場の店員さん。
はたして、これでお客を逃しても、問題ないんだろうか。
担当がいないと、商品を売ることが出来ないデパート。
不思議だ・・。
でも、こういうのんびりしたとこキライじゃない、とボサーとしたまま、20分経過。
そろそろ、タイムオーバーか、と思い始めた頃、ポニーテールの可愛い女性が、さきほどのスポーツ売り場のお姉さんと、こちらへ走ってきます。
「你好!」
「ども。ニーハオ」
なんか、女バレ選手みたいな爽やかな雰囲気で、待たせた事をわびると、ガラスケースを開けてくれます。
(あ。鍵をこの人が管理してんのか) -
気に入った玉のペンダントヘッドを、ふたつほど購入。
選べる飾り紐に、フルーツのデザインの玉を取り付けてもらっていると、スポーツ売り場のお姉さんも、自分の担当スペースへ戻ろうとせず(いいのかー??)、一緒になって彼女の手元を覗き込みます。
私も近くで仕上げをみるのは初めて。注目だ。
ちっちゃい糸を玉にあいた穴へ通し、飾り紐の中央に結び、ほどけないように結び目を火であぶります。
玉に糸を通す時点で、ライターで糸の先をあぶり、素早く指で先端を伸ばすのが、技です。
あとで、同じ糸で挑戦しましたが、彼女みたいに細く長くするのは出来ませんでした〜。技です。
ポニーテールの彼女が、こまかい部分を調整しているあいだ、スポーツ売り場の店員さんが、お客さんが来ていないか確認しつつも、「どこから来たんですか?」「重慶はどこをまわりました?」と、話しかけてきます。
筆談しながら遊んでいると、商品を包み終えた彼女も、「重慶名物の火鍋は食べましたか?」とまざってきます。 -
「辛いの苦手なんで、火鍋は食べてないんです」
「なにが美味しかった?」
「えーと、大足で食べた牛肉面かな・・」
「ええ〜っ!」店員さんたち大ウケ。
「重慶に来てそれじゃあダメだよ!」
「そうそう、重慶に来たんならね!」
「ねーっ」
そ、そういわれても・・。
今日、帰るし。
「そうだ、コレ!」
すっかり職場放棄しているスポーツ売り場のお姉さんが、メモにさらさら書き込みます。
『芥茉』
「・・・・?」
なんかの料理名?
お茶とか?
「四川省の名物だから!」
「そうそう!」
「めいぶつ・・・?」
よくわかりませんが、「慢走ォ〜!」と元気よく合唱してくれるお姉さん達に見送られて、店をあとにします。
「名物???」 -
頭の上に『?』マークをばらまきつつ、解放碑からモノレールで〜。
-
ホテル前に、戻ってきます。
チェックアウト、チェックアウト。
いやあ、短い滞在でございましたが、良い宿であった。
事前のホテル予約サイトは、たまに表記に誤りがあったりするから、そんなに期待してなかったんだけど。
霧都賓館は、非常に素晴らしいホテルでありました!
もうこんな当たりホテルには、しばらく泊まんないだろうから、石鹸は貰っておこう。←ビンボー症 -
お世話になりました!!
霧都賓館!
レセプションでルームキーを返却し、保証料を返金してもらいます。
おっと、そういえば・・・。
フロントの隅っこにあるデスクに待機したコンシェルジェに、
「すみませんー。『芥茉』って何ですか?飲み物?麺類?スープ?」
行きがけの駄賃に、さきほど王府井デパートの女性たちに大プッシュされた、重慶名物をたずねます。
イヤ、もう空港行くだけなんで、食えるかどうかわかんないけど、どんなものか気になりません?
真剣に聞く体勢になっている観光客に苦笑いしながら、コンシェルジェが、
『調料』
と、書いてくれます。
調料?
あー、ハイハイハイハイ!
調味料か。
それなら大足で、食堂のおばさんズが分量加減をたずねてきたり、解放碑そばのお兄さんがあんばいをみてくれたアレのことかも。
黄土色とグレーの辛そうな粉!
アレかもしんないなぁー。
真相は不明ですが、ものがわかったのでスッキリ。
お礼を述べて、ホテル前のタクシー乗り場までトランクを転がします。
おもてへ出た途端、肺がキシキシ痛みだします。
あ〜、帰ったら医者に行かねば。 -
霧都賓館は大きいホテルなので、頻繁にタクシーがやって来ます。
11:20。
ホテル前でタクシーに乗り、
「到、重慶江北国際机場」と、お願いします。
このとき、タクシーのおじさんに、何か言われますが、よく分からず「不明白。対不起〜」とあやまると、おじさんはひとつ頷いて車を出します。
タクシーは軽快に道路を飛ばし、程なく飛行場前へ。
???
何だったんだろ? -
「こんどの旅も今日でお終いか〜。また、仕事か・・・。ガックリ。もうちょっと、遊んでいたい・・」
ぶちぶち言いながらも、まあ、無事に帰れるのは嬉しいことです。肺は痛いけど。
11:44。
30分弱で空港着。
ちょっと、仁川国際空港に似ているような・・?
チェックイン・カウンターで、e−チケットを提示すると「ここではありません」と言われます。
えっ。
だって、中国国際航空のブースここでしょ、ほらほら。
すると、
「ここは国内線ターミナル・カウンターですよ、お客さん」
「え!マジ!?」
(・・そういや、往きに降りたのと建物が違うような・・?)
つか、さっきの運転手さん、それを確認してたのかー!!
もっと、確認してーっ。
非常に焦った顔をすると、カウンターのお姉さんは哀れに思ったのか、
「ちょっとそこに、かけてお待ちなさい」
と言い、どっかに連絡を取っています。
しかし、こっちはそれどころじゃありません。
(違う空港に来ちゃった・・・違う空港に来ちゃった・・どうしよう〜。こっから、国際空港までどのくらいかかるんだろ?けっこう時間ギリギリだしな。ああ〜おみやを買ってる場合じゃなかったー!!急いでタクシーつかまえなきゃ。乗り遅れて帰国できなかったら、仕事バックレで怒られるぅ〜っ)
傍目には座っているだけですが、心中はいかばかりか。 -
言われるままに座っていてもしょうがない。
タクシーを拾おうと立ち上がると、近づいてきた制服姿の職員さんが声をかけてきます。
「はい?」
よくわからんのですが、「ついておいで」という彼にくっついて、職員用エレベーターで下の階へ降り、駐車スペースへ出ると、フライト・アテンダントさんや、機長さんのようなスーツケースをさげた人が合流して来ます。
職員さんに促されるまま、マイクロバスに乗せらて・・。
あ!
国際机場まで送ってくれるの?
しまった、さっきのカウンターのお姉さんにお礼を言ってないよ!
重慶の空港の人は、親切です。
搭乗予定者が乗り遅れて、フライトに支障が出ないようにする為もあるのでしょうが、チェックインしたわけではないし、間違ってるのはこっちなので、
「急いでタクシーで行ってください」
でも、済むと思うのですが。
御礼も言わないなんて出来てないと、思われてんだろうなぁ。
やや凹みながらも、往きに見た古っちい建物がみえてきます。
あ。
すぐ真横じゃん。
なんだ。
国内線の建物にむかって、左側の敷地の奥でした。
歩いても、20分あれば余裕かな。
でも、地理に無知だし、どんだけかかるか分からないので怖かったです。
それにしても、全体的にしょぼい感じな国際線ターミナル。
国内線のほうが、エントランスもお洒落な建物だ。 -
どこがチェックイン・カウンターかと、きょろきょろしていると、案内してくれた職員さんが、『ここより先、立入禁止』のロープを外して、ご覧のカウンターへ入れてくれます。
私が入れてもらえた事で、先に待っていた3〜4人のカップルやビジネスマンがうしろに並びます。
あとから来たのに、なんかスンマセン。
「ここに、いてください」
と言い残して、国内線ターミナルから案内してくれた職員さんが立ち去ります。
「謝謝!」
今度は、ちゃんと言えたぞ。 -
カウンターがひらくと、あっけなく手続きも済み、出国審査を終えて待合室へ。
ははあ〜。
誰もいないっすね。
重慶から出発するのは、さきほど一緒に並んだ人たちだけのようです。 -
いい観光地なのになあー。
もったいないよなー。
重慶町興観光委員会(まだいうか)としては、非常に無念の極みです。
磁器口は最高だし、大足石刻だってさすが世界遺産!なのに。
団体客がガツッと増えれば、この国際線ターミナルもピカピカのビルになるに違いない。
まあ、人もいないし、写真だけ撮っとこ♪
みやげ売り場を覗きたかったのですが、こんだけ人がいないと、ほとんどの店舗のシャッターは閉じられたままです。 -
これだけ閑古鳥が鳴いていると、飛行機が飛ぶのかさえ危うい感じです。
心配をよそに、13:50発の中国国際航空157便が横付けされ、定刻通りゲートがオープンします。
私たち少数グループが乗り込むと、すでに席はほぼ満席。
「なんだ、始発じゃないのか」
ちょっとガックリ。
がら空きのスペースでゆったり出来ると思ったのに〜。
心持ち横に座った人と距離を取りながら、離陸の態勢に入ったそのとき・・・! -
痛て!痛て!痛て!痛て!痛て!痛て!
み、耳が痛いっ!!
耳のうしろが、チョップされたようにズキンッズキンッと痛みます。
呼吸するごとに頭に響く痛みに、耳を押さえて息を止めると、こめかみにじわりと汗が浮かびます。
なんだこれー?!
気圧が急上昇したせいか?
パイロットの腕が悪いんじゃないの?!
涙目で周囲を見ますが、みなさん平然としたものです。
私だけ・・・?
ぶたれるような痛みは頭痛に変わり、飛行機に乗っているあいだじゅう、変則的にやって来て、成田につく頃にはヘロヘロです。
よほど、空港医務室へ行こうか迷いましたが、一刻も早く実家へ帰りたい気持ちに押されて(休みが1日残ってたので実家へ直行)、そのまま東京郊外の実家に戻りました。
2〜3日ほどで、耳の激痛は消えましたが、成都から続く血痰まざりのお聞き苦しい咳は、1ヶ月たっても治りません。
見かねた周囲から医者へ行くよう言われ、しぶしぶ職場のそばのクリニックへ行った所、呼吸器が炎症をおこしていると診断され、その場で点滴を打たれました。
点滴なんて、生まれて初めて・・。
お医者さんの話によると、鼻の炎症が気道を狭め、耳の奥もせまくなっていた為、飛行機で耳鳴りが起こったのだろうとのコト。
「内耳炎になりかけている。悪化したら、治すの大変でしたよ」
「具合が悪いなら、早めに来るように」と軽く釘を刺され、処方された薬でなんとか咳は止まりました。
が!すっかり良くなるまでまるっと2ヶ月かかりました〜。
咳は、成都に到着して僅か3日目から始まっていたことから、いかに大気汚染がひどかったのかが窺がわれて、寒気がします。
あそこに暮らす人たちは、あの空気のなかでずーっと生活するわけですから、その健康被害は計り知れません。
ぜったい公害だよ、あれはー。 -
よし!
大声出しても、もう発作は起きないぞ(笑)。復活。
今回の成都・大足・重慶の旅は、個人的に非常に思い入れの深いものになりました。
世界遺産の大足、そして妄想的脳内変換超美形の孔明さんv・・・が生きた蜀の都、成都めぐり。
そして、とどめの重慶。
一度は行ってみたいと思っていた、場所です。
日本で侵略戦争を肯定する動きがあるたびに、南京とならんで抗議デモをする、重慶の人々。
「反日」と切り捨てられる彼/彼女たちのモチベーションがどこから来ているのか?
「未曾有の都市空爆がおこなわれた」だけでは、大規模なデモにつながる原動力の背景に、想像がおよびませんでした。
行く前に文献を当たりましたが、日中戦争関連の書籍でも、重慶大爆撃の扱いは補足的で、空爆史においての位置すらあいまいで、不思議です。
現地に残された、多くの遺物や戦跡、写真。
戦場となった写真に残る黒煙の都市『重慶』を、立体的に歩いたことでようやく地上からの視点で、人が行きかう無防備な場所に落下して来るものへの、恐怖の片鱗をうかがうことが出来ました。
体調はぐずぐずでしたが、行けて良かったです。
帰国して、『重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京』(重慶および四川省の空爆被害者の日本政府に謝罪・賠償を求める訴訟の支援団体)が主催した、中日両国の良心的な学者さんたちの講演を、聴きに行ってきました。
そこで講演した北京大学教授の名前が、他のトラベラーさんが勧めてくれた、『空爆の歴史』(岩波新書)のあとがきに登場して、びっくり。
ちなみに、この徐勇教授(北京大学)の講演はすべて日本語!
質疑応答は通訳の女性がおこなっていたので、ペラペラな人ではないのに!膨大な講演内容を日本語でやり通した姿勢に、かなり尊敬しました。
さらに同書を読み終えて、東京大空襲の取材のエピソードが、先の講演会のもうひとりの講師の話とダブるなーとレジメを引っ張り出したら、なんと著者本人の講演だったのでした。
つまり、空爆について研究してる人って・・・ふたり?
そんなわけない〜(笑)。
研究している人の少なさを実感して、かるくショック!
さて、講演会では重慶の旅で感じた素朴な疑問を、徐勇教授にたずねてみました。
現地の記念碑でも、事前にあたった文書でも、十八梯(六・五大隧道惨案)での『遇難者』は約2500名ですが、彼の講演では「千人に上る死者」となっていました。
食い違う数字の根拠は?
「数字への疑問」→「不確かな事実」→「すべてなかったこと」という主張をするのかと思われたのか、一瞬、会場に冷たい空気が走ったような気がしましたが(笑)、そういう意味じゃないよ〜。
徐教授は、通訳の女性から質問の趣旨をきくと、丁寧に日本語で答えてくれました。
「数字の相違は、いつも問題として取り上げられます。
この、数字がはっきりしない背景には、戦争終結ののち、すぐに中国国内が内戦に突入してしまったため、きちんとした調査・統計がとれなくなった側面があります。
十八梯については、最近、中日両国の研究者が現地を訪れ防空洞内の床面積をもとに、おおよそ収容可能な人数を1000人ほどと割り出したのです」
ふーん、にゃるほど。
重慶大爆撃も十八梯もマイナーだと思っていたけど、少しずつ研究は進んでいるのだの。
ちなみに、日中韓の教育者が共同編集する、『未来をひらく歴史』(日中韓3国共通歴史教材委員会)でも「1200人前後の市民が窒息死」と記載され、徐教授の研究とほぼ同じ見解を示しています。
起きた出来事の本質を問わず、被害者数を目減りさせ、矮小化を謀る動きには警戒が必要ですし、逆に「国民の記憶」化された数字に固執することも、真摯な研究のハードルとなると思います。
ナショナリズムを超え、国境を超えた、相互検証可能な交流が、これからも続くことを期待します。
重慶に限らず、いろいろな場所を行くと、ふだん漠然と捉えどころのない思考が、形になる瞬間があります。
だから、旅は楽しいし、それがいわゆる「自分探し」ってやつかも知れません。
最後の最後に、うれしいお知らせが、ひとつ。
旅の途中、成都でメルアドを交換し、その後、四川省大地震で音信不通になっていた、『廖記牛肉面館』の李娟小姐から、12/17の夜にメールが来たのです!
びっくりしました。
無事を信じる気持ちは無論ありましたが、あの地震直後の惨状を見る限り「ひょっとしたら・・」と危惧していました。
メールはもちろん中国語なので、文字化け部分もあって全部は理解できませんでしたが、変わらず元気な様子がうかがえます。
いつか、会える日がきたら良いと思います。
今回の旅はこれで終わりですが、またスリリングなトラベルを待ち遠しく思います。
ここまでお付き合い頂いて、ありがとうございます。
旅に出る前も、戻ってきた後も、たくさんの方に励ましとチカラを頂きました。
遅筆で、雑多な文章に、それぞれの言葉を寄せてくれた皆さんへ感謝をこめて。
ありがとうございました!
きっちー
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 哈桑湖さん 2010/12/16 15:12:27
- 大気汚染と重慶爆撃
- きっちー様
重慶の大気汚染、すさまじそうですね。あと重慶爆撃は、蒋介石の政府が、重慶にあったからだと。
都市住民への無差別爆撃は、ドイツ・コンドル軍団の、ゲルニカ爆撃が最初でした。爆撃目標は、共和国軍の退路を絶つための、レンテリア橋でした。
この橋の爆撃なら、新式のユンカースJu87急降下爆撃機を使えば、一発で破壊できます。
しかし、ドイツのヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン将軍は、旧式のユンカースJu52の使用を、命じます。しかも高高度から、焼夷弾で破壊するようにと。
この命令を聞いて、一人の将校のみが、「ゲルニカには、木製の橋が多いんですな」と、皮肉を言いました。つまり、当たるはずがないと。
結局レンテリア橋には命中せず、大勢の市民が犠牲になりました。
このゲルニカ爆撃については、ニュルンベルク裁判で、ドイツを裁けませんでした。イギリス、アメリカとも、ドイツの都市を、無差別爆撃しています。
陸軍兵士が、非戦闘員を殺害するのは、国際法違反です。しかし爆撃隊が、非戦闘員を殺害しないで、爆弾投下などできるはずがありません。都市爆撃を、国際法違反として裁けば、戦争そのものが、できなくなります。これからも、イラクやアフガニスタンでの爆撃機による一般市民の犠牲は、戦争が続く限り続くと思います。
重慶爆撃が、すさまじかったことは、写真で少し見ただけです。でも、お写真を見ると、町にはそのような跡はみられないようですね。
綺麗な、お写真有難うございます。
- きっちーさん からの返信 2010/12/16 20:41:00
- RE: 大気汚染と重慶爆撃
- 浦潮斯徳さま
お読みいただいて、ありがとうございます。
やや、戦争反対をどう書いたらいいか分からなくて、重くなっちゃった面もありますが、スリリングで楽しい四川省の旅でした。
重慶爆撃を初めて知ったのは、「反日デモ」と呼ばれた中国の人たちのニュースを聞いたときでした。
一時期、仕事を辞めていたときに(つぎの仕事は内定もらっていたんですが)、気持ちが落ち込んでいて思い切って、やってみたかった中国一人旅しました。
そのとき、日本の戦争犯罪についてろくすっぽ知識がなかったため、戦時中クライムシーンというか、まさに中国のお年寄りが日本政府を相手取った裁判で闘われている現地の真っ只中を、フラフラしてました(!!)。
内心はともかく、街中の人々はみんな優しくて親切で、誰一人「日本人」とわかっても、ひとりで言葉も分からず危なっかしいわたしに、侮辱や危害を加えるようなことはありませんでした。
帰国して、山西省の地域史をあとから知って、頭をハンマーでたたかれたような気持ちになりました。
すこしでも、現地のお年寄りの裁判に協力していきたいと思っています。
「反日」報道のラッシュの中で、スルーされている、あの人懐こくて優しい中国の人たちが抗議の声を上げる、『重慶爆撃』ってなんだったのか、自分の目で確かめたくて、観光もあわせて行ってきました。
相変わらず、わたしの中国語は通じないのですが(笑)、やはり日本にいるのでは分かりづらい、被害者の視点に立った現地の声や現場を歩くのは、アマチュアの旅ですが、勉強になりました。
芸術や古い建築が好きなので、観光もすごく楽しかったです。
四川省の旅のあと、あの巨大地震が四川省を襲ったとき、旅の途中で仲良くなった現地の高校生の女の子からメールがきて、ほんとうに嬉しかったです。
旅は、いろいろありますが、結局いい思い出ですね。
よかったら、また来てください。
ありがとうございました。
-
- okuyanさん 2008/12/09 10:07:13
- 祝!\(^▽^)/
- きっちーさん、おひさー♪
いやいや、ちょくちょく様子を見にコソッと覗いていたんですけどね。
いよいよ大作ブログも完成でございますね〜♪
恭喜、恭喜〜♪
それにしても耳の激痛、大変でしたね。
私めも旅行直前に風邪をひいてしまったとき、鼻が詰まってしまっていて耳抜きができず、メチャクチャ辛かったことを思い出しました。
やっぱり大好きな旅行も健康であればこそ・・・ですよね。(^^;
中国の大気汚染、オリンピックの時に相当問題視されていましたが、深刻そうですなぁ。
日本も戦後の経済成長期に各地で公害問題が頻発していましたが、中国も追いつけ追い越せの勢いで環境問題は後回しにされているんでしょうね。
同じ轍を踏まないで欲しいと思うのですが・・・。
それじゃ、またよろしくねっ!(^ー^)/”
- きっちーさん からの返信 2008/12/09 13:03:23
- RE: 祝!\(^▽^)/
- ういっす!
っざいシター!
やー、よもや1年かかるとは、思ってなかったんですけど(笑)。
アップした写真を見ると、「そういえば、アレも書いとこう」と、なんやかやで長くなっちゃいますね。
鼻がつまって耳が痛くなるなんて、初めての体験だったので、非常にびっくりしました。
ダイバーされていると、基本的なことかも知れませんが、まさか鼻の方からきているとは想像もつかなかったので、「脳血栓とか、あらてのエコノミー症候群?!」とうろたえてしまいました。
結局、帰国してから2箇所も病院に行く羽目になりました〜。
大気汚染の恐怖を実体験してしまいました。
環境は重要だと再認識。
ああいうのを体験すると、こまかい地域ごとにやっててもダメで、世界規模で改善を取り組む体勢でないと難しいだろうな、と思いました。
日本の経済成長期に比べれば、環境問題に配慮した新しい技術もたくさんあると思うので、頑張ってほしいところです。
そのまえに、復興の取り組みが最優先だと思いますが。
もうほんと年末も差し迫ってますが、おたがいインフルエンザには気をつけましょう!
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