2007/01/01 - 2007/01/07
198位(同エリア288件中)
きっちーさん
「『侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館』まで、お願いします」
休館中だというのは、出発前にトラベラーのkalazさんに伺っていたのですが、せっかく南京まで来たので、いちおう足を伸ばすことにしました。
館内には入れませんが、虐殺現場の一つであることは変わりませんので、お参りお参り。
タクシーで、夕暮れの近づく街を走ります。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
-
ほどなく、写真などで見慣れた入口に、到着。
-
え〜ん。
やっぱ閉まってますね。 -
分かってはいたものの、「せっかく来たのになあ〜」という気分はぬぐえません。
なんとなく施設の周りをうろうろしていると、中国の観光客の人達が、次々にタクシーや路線バスなどでやって来ます。
そして、同じように閉じた扉と閉館案内の看板を見て、「あれ?閉まってるよ!」
ガッカリした様子で帰っていきます。
お休み中というのは、中国国内でも知られていないんでしょうか?
長居するのもあやしいので、心の中で手を合わせて帰路につきます。
鐘山賓館は有名なようで、どこで乗ってもタクシーの運転手さんに「わからないからダメ」と断られることが無くて、助かります。
いや〜。
いつも安くて親切で無名な宿ばっかだもんな〜(笑)。
喜んでいると、タクシーの運転手さんが「少しお話ししてもいいですか?」と英語で尋ねてきます。
およ。
めずらしい。
筆談で受け答えしてくれる運転手さんは多いのですが、英語でやりとりする人には、ほとんど会ったことが無いので意外です。
話すのは構わないのですが、英語は苦手・・・。
「日本の方ですか?わたしの姉が結婚して、いま日本に住んでいるんですよ」
「日本のどちらですか?」
「地名はちょっと思い出せないんですが・・。なんていったっけ」
落ち着いた感じの運転手さんは、お姉さんが日本に住んでいるせいか、いくぶん打ち解けたようにいろいろな話しをしてくれます。
いわく、
「高倉健はいい役者だ。大好きだ」(しぶいー)
「日本の富士リンゴ(苹果=ピングォ)が大好きだが、空輸なのでなかなか手が出ない。半端じゃなく値段が高い」(リンゴってそんなに有名なの??)
「南京ダックは有名なので、ぜひ食べてほしい」(北京ダックではなく?)
いろいろ聞き返してみたい事はあるものの、語学力不足のため「アーハ―、アーハ―、アイシー」とくり返すだけ。ばかばか〜(泣)。
達者な英語を話す運転手さんに、語学上達の方法を聞いてみると、
「まず本を読むこと。それからラジオなんかで、英語の歌を聴くのもいいですよ」
とのコト。
うそ〜。
ホントにそれだけ〜? -
その夜さっそく、鐘山賓館の併設レストランでダックを注文してみます。
「ウォヤオ、これ!イ―グァ」(それは日本語!)
「対不起、没有(申し訳ありません、ございません)」
なに〜。
名物なのに、お姉さんが無いって言ってるぞ。
メニューにはちゃんと載せてあるので、品切れなんですかね?
無いものは食べられないので、羊の煮込みを頼みました。
中国の羊は、美味しいので好き。
はあ〜。
明日は、出発か〜。
短い時間だったけど、孫さんとタクシーのおじさんズ(特に中華門まで連れて行ってくれた人)のおかげで、楽しかったな!
最後の夜なので散歩がてら、バスで『難民区』と呼ばれた一帯、『新街口』へ出かけます。
現在ではメトロの走る繁華街。
巨大ショッピングセンターが並び、賑やかな一角へと変貌を遂げています。
証言者達の語った日本兵による陰惨なレイプや虐殺が行なわれた現場であることを、想像するのさえ難しい、明るい夜の町。
デパートの食器売り場をのぞくと、なぜかブタ系がやたら目に付きます。
金のブタとか、ブタの銀食器とか。
「なぜ、ブタ・・・?そんなにブタが好き・・?」
よくよく考えてみたら、日本以外のアジア圏では十二支がイノシシじゃなくて『ブタ』だということに思い当たります。
ことしは、亥年ならぬ猪年!
中国では『豚』を『猪』と書きます。
納得。
そっかあー。
でもブタが満ち溢れているのは、あんまり気分が良くないぞ。 -
翌朝。
宿を出発するのは10:30頃なので、もうひとつくらい回っておきたい貧乏性。
早起きして、『太平天国』の資料館へ出かけます。
南京ではそんなに有名な施設でないのか、タクシーのおじさんは友達にケータイならして聞いたり、行商の人に尋ねながら苦心して見つけてくれました。
あんまり熱心に探してくれるので、
「やっぱ、いいです」
とか言いにくくなってしまった。
『太平天国』って、聞いたことはあるけど中国史の中でどういう位置付けなのかわからなかったので、ちょっと見たかっただけだったんですけど・・。
無事、送り届けてもらいました。 -
ちょっと(かなり?)長いので、以下は興味の有る方は読める所まで、お読みください。
*太平天国または太平天国の乱(1851〜64)
アヘン戦争による多額の戦費と賠償金の支払い、銀価の高騰、重税は農民の生活を圧迫。さらに水害・干害・蝗害などの天災が相次ぎ、多くの窮乏化した農民は流民となり、各地で暴動や反乱が勃発した。
アヘン戦争の影響が大きかった広東・広西省では太平天国の乱(1851〜64)が起こる。
太平天国の指導者洪秀全(1813〜64)は、広東省花県の客家の出身。
広州の路上で配られていた「勧世良言」というプロテスタントの伝道書をきっかけに、やがて洪秀全は、自分はヤハウェの子であり、イエス=キリストの弟であると称した。
同郷の馮雲山らと上帝会(拝上帝会)というキリスト教的な結社をつくり、布教を始めた(1844年以降)。上帝とはヤハウェのことである。
洪秀全らは、上帝を信仰すれば地上の天国で生き、死ねば天国へ昇ることができると説いた。そして地上の天国は、すべてのものが均等に分け与えられるので貧富の差のない世であると説いて、『太平天国』と呼んだ。
上帝会は、広西省を中心に布教し、貧農や鉱山労働者・炭焼き人夫など貧しい人々(多くは客家であった)の間に多くの信者を獲得していった。
1851年1月、洪秀全は広西省金田村で太平天国の起義を宣言し、国号を太平天国と号し、彼自身を天王と称した。
太平天国軍は、北に向かって進撃し、永安・桂林・全州を経て湖南省の長沙を包囲したが陥れることが出来ず囲みを解いて北に向かい、益陽で民船千数百艘を得た。その後水路で進み、武昌を占領した。
太平天国軍が湖南省へ進出した頃から貧農や流民が大挙参加し、1853年3月にはついに南京を占領。
天京と改称して首都とした。
太平天国が挙兵から2年あまりで南京を攻略できたのは、「軍隊よりは盗賊の方がまし」といわれたように清の正規軍の腐敗がはなはだしかったのに対し、太平天国軍は規律が厳格で、殺人・放火・暴行・略奪などはいっさい行わず、役人・地主・富豪を襲って租税や田地に関する文書や借金証書を焼き捨てたが農民には決して手出しをしなかったので民衆の支持を得ることが出来たからである。当時の書物には「太平天国軍がやってくれば争って迎え、官軍がやってくればこれを避けて門を閉じた」と書かれている。
太平天国が理想とした平等主義を最もよく示しているのが南京占領直後(1853.3)に発布した「天朝田畝制度」と呼ばれる土地制度で、土地を男女の別なく均等に配分し、余剰生産物はすべて国庫に納入させた。ただし実施には至らなかった。
またアヘンの吸飲の禁止・纏足(中国では小足が美人の条件とされていたので、良家の子女の足指を4・5歳頃から足裏の方に曲げて布を堅く巻いて縛り、足の成長を妨げて小さくした風習)の禁止など悪習の撤廃・男女の平等と身分制の廃止・租税の軽減などをスローガンに掲げて民衆の支持を得た。
太平天国は、まもなく清朝の打倒を目指して北伐軍を起こし(1853.5)、10月には天津に迫ったが陥れることが出来ず、その後も2年間にわたって勇敢に戦ったが蒙古騎兵の攻撃を受けて壊滅した(1855)。
こうした状況の中で、天京では太平天国内部で権力争いが起こる。
洪秀全は凡庸な一族の者を登用したので太平天国は内部から腐敗していき、また天朝田畝制度など理想として掲げた政策も実施されなかったので、太平天国は次第に内外の支持を失っていった。
イギリスなど各国は太平天国がキリスト教を奉じているので初めは中立の立場をとっていたが、太平天国がアヘン貿易や不平等条約を認めないことがわかると、北京条約(1860)で英仏の要求をそのまま受け入れた清朝が存続した方が有利であると考え太平天国の鎮圧に協力するようになった。
江蘇省・浙江省の太平天国の占領地は次々に奪回される。
太平天国は李秀成(1823〜64)が奮戦したが、1864年3月、天京(南京)は包囲され、洪秀全は毒を仰いで自殺した(1864.6)。
1864年7月、ついに天京(南京)が陥落して太平天国(1851〜64)は滅亡した。
『WELLCOME TO YOKOYAMA‘S HOMEPAGE』より -
ハイ、そんなわけです!
こんな長い解説、中国語では解読不可能なので、あとから元教師の人がやってるHPから拾ってきました。
観光客を多く乗せるであろうタクシーの運転手さんでさえ、どこにあるのかわからない施設ですから、当然といえば当然・・・。
資料館、人いなっ!
誰もいませんでした。
係りの女性たちが、のんびりお掃除してるくらいか・・。
ただ、資料館自体は広い敷地で、庭園に池なんかもあったりして、奥に行くほど
「あ、けっこう広いんだ〜」
驚かされます。
庭園では、ジェット・リーの『ワン・チャイ』シリーズの曲がラジオから流れ、それにあわせてお年寄りが体操をしておりました。
文章がもっと読めれば面白いのですが、一行ぐらいが限度なので、やはりもう少し上達せねばと、再認識。
太平天国の書類や、衣服が展示されており、読めればけっこう楽しい資料館でした。
一通り見学を済ませ、鐘山賓館へ戻ります。 -
いよいよチェック・アウトの時間です。
トランクを転がし、フロントに降りて退出を告げます。
夜勤の孫さんの姿はありません。
クレジットカードの精算を終え、初日から顔を合わせている英語を話すフロントの女性が、ホテルのネーム・カードを差し出します。
「バスターミナルの窓口で見せて下さい。『杭州』行きのいちばん早い時間の切符が買えるように書いてあります」
約束どおり孫さんが手配してくれたようです。
縁もゆかりも無いのに、お世話になりっぱなしでした。
孫さん、ありがとうございます〜。
「タクシーを呼びましたので、しばらくお待ち下さい。切符の窓口で困ったことがありましたら、ホテルまでご連絡ください」
孫さんのことを訊ねると、やはり帰宅されているということなので、お礼の手紙を預かってもらい、タクシーを待ちます。
数分もせずにドアボーイのお兄さんから声をかけられます。
ホテルから、タクシーまでの短い距離ですが、トランクを運んでもらます。
むむっ、こんなサービスのあるホテルには普段泊まらないから、こそばゆいな。
この3日間は、本当に短い時間だったと思うのですが、日本国籍を持っていることで怖い目にあうんじゃないかとか、そんな不安を全然感じること無く過ごすことが出来ました。
南京で身近だったのは、孫さんやホテルの従業員の人たちをのぞけば、タクシーの運転手さんたちで、(チョイ悪おやじは別として)良くして貰えてよかったなーと思います。
多少何か言われても引き受けようと思っていたのですが、近代史の事実として主張はされても、「日本人」だからどうとか、そういう趣旨でぶつかってくる人はいなくて、やっぱり日本のマスコミのよくやる『反日』報道は当てにならないなあと強く感じました。
ともあれ、再見南京★
11:00南京発杭州行き高速バスチケット、113元。
バスターミナルの2階から『杭州』行きのバスに乗り込みます!
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 世界胃さん 2007/04/25 20:15:26
- 南京情報
- きっちーさん南京情報ありがとうございました。飛行機で行くか電車で行くか考えています。電車は新幹線もありそちらの方が魅力的ですが、たくさんは走っていないようですね(1日2便)
- きっちーさん からの返信 2007/04/26 18:34:43
- RE: 南京情報
- お役に立てて嬉しいです。
個人的には、上海で切符を買って列車で行くのが楽しいかな〜と思いますが、体力や時間などご都合にあわせて行かれると、良いんじゃないでしょうか。
南京は思っていたより広い都市でしたので、移動時間は少し多めにとっておいた方がいいと思います。
夜も中心部はにぎやかですし、一人歩きも余裕ですので、楽しんできてください。
それでは、失礼します。
- 世界胃さん からの返信 2007/04/29 12:24:53
- RE: 南京情報
- 有難うございました。参考にさせていただきます。2時間言葉が通じないので中国人の中で電車に座っているのはややしんどい感じがしています。
- きっちーさん からの返信 2007/04/29 18:24:11
- RE: コンニチハ!
- それほど心配されることもないと思います。
なぜかと言いますと、新幹線のなかで知らない人にいきなり話しかけてくる人が、めったにいないのと同じように、上海からの列車もみな人のことに関心なく、同乗している人たちが大半だからです。
ガイドブックを読んでいるうちについちゃうと思いますよ。
それでは、いい旅を!
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