2012/05/11 - 2012/05/12
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frau.himmelさん
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ヨーロッパ現代史の十字路
これは今回私が参考にした本のサブタイトルです。
まさに歴史に興味のある人にとってベルリンはこの上なく面白いところ。
プロイセン王国、ナチスによる支配、世界冷戦に伴う東西ドイツ分割、壁崩壊とドイツ統一などなど。
何度訪れても、これで満足と思ったことはありません。
今回もやってまいりました。
さて、今回はシュタージ(旧東ドイツ秘密警察)をとりあげます。
シュタージの任務は、東ドイツ国民の行動や発言を監視して、いち早く反乱分子の動向をキャッチすること。
また西ドイツにもスパイを送り込み、東西両国民から恐れられていました。
世界最大の秘密警察国家だった東ドイツ、シュタージの正職員の数は1989年(壁が崩壊した年)で9万1千人、これは東ドイツ市民180人のうち一人が秘密警察職員だったことを意味します。
その他にも、秘密裏にシュタージに情報を流していた非公式職員がのべ60万人にも登るというから、驚きです。
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6月17日のモニュメントがあったライプティガー通りからポツダム広場の方に向かっています。
素晴らしい建物ね、前からこんなのあったかしら?
ブンデス・ラート、連邦参議院です。 -
えー、なになに。
「開門 5月12日10:30〜18:00」
ここで何かあるみたいです。
まあ明日じゃない?来れたら来てみようかしら。
結局忘れてしまって行きませんでした。
あとで調べたら、この連邦参議院は日時を決めて一般公開されるとのこと。
議会の中を見学したり、議会議長がじきじきに観客に挨拶したり、民族演芸が催されたりするのだそうです。
行けばよかった…。 -
その先はポツダム広場。
ソニーセンタービル、ダイムラービル、DB本社ビルなど軒並み高層ビルが建つ近代的な広場です。
20数年前、ベルリンの壁が崩壊したときは何にもない原っぱだったなんて信じられません。 -
第二次世界大戦で徹底的に破壊され、またその後はここにベルリンの壁が建設されたため、荒廃したまま放置されていました。
壁の崩壊後、統一ドイツの象徴として、いち早く再開発が始まりました。
写真は1990年再開発が始まったポツダム広場。
資料よりコピーしました。 -
2002年訪れた時のポツダム広場。
当時のポツダム広場はまだビル群は建設中でした。
その頃はベルリン中建設ラッシュ、大きなクレーンがあちこちニョキニョキと立っていました。 -
ベルリンが隆盛を極めた黄金の1920年代、中心地だったポツダム広場は、ヨーロッパで最も交通量の多い交差点として知られていました。
ヨーロッパで始めて信号機が据えられたのもここでした。
偶然に2002年に撮った写真に現存している信号機が写っていました。 -
ここにもベルリンの壁が残されています。
この軍服のお兄さんは、観光客相手にパスポートに東ドイツのスタンプを押してくれます。
ちょうど強風が吹いて、お兄さんの傘が壊れてしまった瞬間です。 -
まずはソニーセンターに参りましょう。
日本のソニーが手がけた複合施設です。
年間何百万人も訪れる人気スポットでしたが、業績不振で2008年に売却されました。
売却後も当分の間、ソニーセンターの名前は受け継がれていくそうです。
でも何となく、我々日本人にとって寂しい限りです。 -
ベルリン黄金期の1920年代、ポツダム広場には周囲にホテルやカフェが立ち並ぶ賑やかで華やかな広場でした。
その中の一つホテル・エスプラナーデ。
華やかりし頃、チャップリンやグレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリッヒなども利用したホテルは、今はカイザーザールだけが残っています。 -
ソニーセンターの中庭。
周り一面ガラス張りの斬新な広場は、観光客やベルリン子に一番人気です。 -
その中にあるレストラン、リンデンブロイ。
空いている席に座ります。
お友達連れや家族連れも多いけど、一人で来ている人もいます。 -
飲み物はもちろん自家製のビール。
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ここは、豚の骨付き肉の茹でた物、アイスバインが有名ですが、女子(?)一人旅にはちょっと巨大すぎます。
何故だか私が選んだのは、シュヴァーベン名物「マウルタッシェン」。
これ大好きなのです。量もちょうどいいし…。 -
迫力あるテント風の屋根を撮ります。
ソニーセンター。
日本のソニーが建てたものだから富士山の形なのかなーと思っていましたが、何でも近くのベルリンフィルの屋根に合わせたものだとか。
そういえばその頃のソニーの社長は、クラッシック音楽に造詣が深かった大賀典雄氏でしたものね。
あの時代は、日本は世界に誇る経済大国でした。(遠い目・・) -
中庭に設置してある巨大スクリーンで映像を見ることができます。
このビルにはシネマ・コンプレックス、バーやレストランが入居しています。
韓国のサムソンがこのビルを購入する動きも出ているそうです。
そうなると『ソニーセンター』という名前はなくなるでしょうね。
あ〜〜、もっと頑張って欲しい、日本の企業! -
アレキサンダー広場駅から地下鉄U5でマグダレーネン・シュトラーセ駅にやってきました。
地上に出たらすぐこの案内がありました。 -
東ドイツ時代の秘密警察「シュタージ(STASI)」が使用していた建物が、現在はシュタージ博物館として公開されているのです。
ものすごく広い敷地。
この1区画全部が秘密警察の本部として使われていました。 -
圧倒されそうな巨大なビルばかり。
どこに博物館の入口があるのか迷います。
人影もないし…、グルグル動き回って体力を消耗したくないので通る人を待ちました。 -
やっと人が来て、あの建物だって教えてくれました。
見ただけで足がすくんでしまうような冷たい感じの建物。
右半分は工事中なのか覆いで隠されています。
それがなお一層、秘密の場所へ足を踏みいれるようで恐怖感を煽ります。
でもせっかく来たんだもの、勇気を振り絞って…。 -
ここがシュタージ入口。
緊張して向かったチケット売り場には、人の良さそうな初老の男性が座っていました。
入場料4ユーロ。 -
シュタージの模型。
巨大なビル群が並んでいます。
手前が地下鉄の駅があったフランクフルターアレー。
こんなに広かったら私が迷うのも無理もないです。 -
早速2階に上がって見学です。
先ず最初の部屋には、東ドイツを占領していたソ連の指導者。
手前はレーニン、並んでいるのはマルクスとエンゲルスです。 -
次は東ドイツ社会主義統一党の歴代の書記長たち。
左から初代ウルブレヒト、2代目ホーネッカー、三代目エゴン・クレンツのお歴々。 -
この部屋にはシュタージの制服などが飾ってありました。
見物客も結構来ています。
若い人が多いのには驚きました。 -
この制服はユンゲ・ピオニーレと呼ばれる6歳から10歳までの子供達用。
青少年にも徹底してマルクス・レーニン主義学習を教え込みました。 -
FDJ(Freie Deutsch Jungend)の制服。
14歳以上25歳以下が参加資格を持つ団体。 -
東ドイツ社会主義のプロパガンダ。
「兵隊さんありがとう」って花をプレゼントしている少女?
なんだか隣国、将軍様の国を思い出します(笑)。 -
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この方がシュタージのトップ、エーリッヒ・ミールケ(1907年 - 2000年)。
30年以上も秘密警察・諜報機関を管轄する国家保安大臣を務めました。
どんなコワい顔のお方かと思ったら、普通のおじさんでした。 -
ミールケの前任者の2人。
左は、初代国家保安相ツァイサー、左は次の国家保安局長エルンスト・ヴォルヴェーバー。
この二人ともミールケの弾劾により解任させられました。 -
ミールケの執務室。
青い布張りの椅子が目を惹きますが、意外と質素な部屋です。
ここが1959年から壁崩壊の1989年までの30年間秘密警察のトップだったエーリヒ・ミールケの執務室なのです。
会議用のデスクと椅子、応接セット。
そして見えにくいですが、奥の壁には大きな金庫がはめ込まれています。
秘密書類などが入っていたのでしょうか。 -
こちらはミールケのプライベート区域です。
テーブルと椅子が並んでいます。 -
その椅子の後ろにはベットがあり、ここで仮眠をとっていたようです。
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簡単なキッチンもあります。
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運転手や警護職員の控え室
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最初、ここがミールケの執務室だと思って撮った部屋。
事務官の執務室? -
ミールケは常々言っていました。
「われわれに味方しないものは我々に反対するものである。
われわれに反対するものは敵である。
そして敵は抹殺する!」と。
シュタージに目を付けられた人々は、どんな方法で監視されたのか?
いろんな所に盗聴器や隠しカメラを仕掛けました。 -
ドアの鍵穴に隠しカメラを仕掛けたり…。
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ポリバケツの中や。
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ネクタイの中にも、水筒にも。
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女性のバックの中
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ボタンに仕込まれた小型カメラ。
コートの下にカメラを隠し、外に出ているボタンの部分で隠し撮りしていたのでしょうか。 -
何気ないこんな朽ちた板切れや…。
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路傍の木の切り株。
こんなのにも隠しカメラが仕掛けてあります。
うっかり安心して道も歩けません。 -
それらを熱心に見ている青年。
良かったねーこの時代に生まれなくて、って思わず声をかけてあげたくなりました。 -
またこれは、事情聴取で連れてこられた人を椅子に座らせて、こっそり中に布を仕込みます。
その匂いをガラス瓶に保存すれば「臭いのサンプル」が出来ます。
そしてこれを犬に嗅がせて捜査開始となるわけです。 -
こちらは監視されたほう。
東ベルリンのシオン教会で続けられていた「環境図書館」。
1986年のチェルノブイリ原発事故に端を発した草の根運動です。
東ドイツ政府はこの情報をひた隠ししていましたので、簡単な印刷機で抗議のチラシを作り、情報を流していました。 -
実際に使われた印刷機
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ガリ版みたいなもの。
教会はシュタージの捜査対象外でしたが、それにも関わらず彼らが活動していたシオン教会は家宅捜査を受けます。
その直後に壁崩壊が起こりました。
その勇気ある行動は賞賛され、その思想は後々受け継がれていきます。 -
いろんな興味ある事柄が写真やパネルで紹介してあります。
これはギョーム事件。有名なスパイ事件ですね。
シュタージ職員だったギュンター・ギョウームは、難民に扮装して西ドイツにもぐりこみます。
そして、事もあろうに、ビリーブラント西ドイツ首相の個人秘書となりスパイ活動を続けていました。
もう一人、Dirk Schneiderは10年以上もシュタージの非公式メンバーでしたが、壁崩壊後も何食わぬ顔をしてベルリン議会議員をつとめていました。 -
1953年に起った労働者の蜂起6月17日事件のパネルもあります。
この暴動に恐れをなした社会主義政権は、一般市民の密告者のネットワークを築くことに拍車がかかったといわれています。 -
Xデー?
面白そうなので、時間があったらもう少し読み解きたいと思います。 -
恐ろしいと思ったのは、これ。
子供達にパズルを使ってシュタージ教育をしたのでしょうか? -
子供達が描いた絵でしょうか?
子供達が、普通に戦車の絵を描くなんて状況は怖すぎます。 -
東西統一後、ドイツ政府は、秘密警察が集めた膨大な個人情報を管理することにしました。
自分がシュタージに監視されていたと思える人は、誰でもこの情報を閲覧できます。
この文書を閲覧した人の中には、信じていた人が密告者だったケースも多く、長年の友情が壊れたり、人間が信じられなくなった人や、夫婦が離婚した人など悲惨な現実も待っていました。
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この旅行記へのコメント (9)
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- 迷子さん 2013/02/11 17:36:55
- これが悪名高き?スタージュ本部なんすね!
- コンチハっす〜(^・^)
隠しカメラの仕様もこんなに様々、中には
子供騙しみたいなお品も・・・・・
でもこうやって人が人を監視する社会って
怖くて気味が悪いですね。
(御近所間の防犯監視ならまだしも)
チョッと前まではドイツは分断されてて、片方には
こんな現実があったのがよく分かる資料ですね。
さて、この地域はリヒテンブルク地区なのかしら?
へへへ、ドイツ旅行に立ちはだかる?メッセや祝日を
避けて計画を練り直し、結局当初の予定を1ヶ月前倒し
4月中に行って帰って来ることにしました〜。
ベルリンも泊まらず観光のつもりだったんすが、
2泊することに!そんで宿をこの辺にしようかなぁと検討中っす。
frau.様の御出発は確か25日でしたっけ???
多分、シベリア上空で
迷子と空のすれ違いになりそうでやんす〜。
少し早いかな?白アスパラが出回ってると好いな♪
- frau.himmelさん からの返信 2013/02/11 21:00:12
- RE: これが悪名高き?スタージュ本部なんすね!
- 迷子さん こんばんは。
シュタージの隠しカメラや盗聴器、そういえば子供騙しみたいなものもありますね。
今だから、なにーこれーって笑えるのですが、あの時代には右を向いても左を向いてもスパイだらけ。
やっぱり恐怖時代でしたね。
あの付近、リヒテンブルク地区って言うのですか?
あとで地図見てみよう。
あの付近のホテルを探していらっしゃるのですか?
あーー、だからオストバーンホフね。
私は今回は、プレンツラウアーベルク地区ではなく、シェーネベルク地区に決めました。
あそうそう、予約間違い、解決できました♪
今度一緒に行く友人がドイツ語べらべらなんです。
彼女が文案を考えて、それをメールしたらOKの返事が来ました。
近くにはリリーマルレーンのお墓もあるし、そのほか興味ある人のお墓も。
墓マイラーをしてきます。
迷子さん、25日帰国ですか?
私は22日にミュンヘンにINですから、ドイツのどこかの空で何日かすれ違っているかも知れませんね。
シュパーゲルはちょっと微妙なところ?
あ、でも去年、ミュンヘンのラーツケラーで食べたのはその頃じゃなかったかしら。
間に合うといいですね。
出発までに昨年の旅行記仕上げてしまいたいと焦っているのですが、
なかなか捗りません。
ではまた。
himmel
- 迷子さん からの返信 2013/02/12 00:00:39
- RE: RE: これが悪名高き?スタージュ本部なんすね!
- うひゃ〜っ!
お空の上でニアミス?はないけれど・・・・・
数日間は同じドイツの空の下でご一緒ざんすね(^^♪
(アッシ達はその頃はハノーファーだな)
> 私は今回は、プレンツラウアーベルク地区ではなく、シェーネベルク地区に決めました。
どこら辺だろ?地図で見ちゃおっと。
> あそうそう、予約間違い、解決できました♪
好かったすね、これで一安心。
> 近くにはリリーマルレーンのお墓もあるし、そのほか興味ある人のお墓も。
> 墓マイラーをしてきます。
おおぅ!墓マイラーも楽しみでやんすね。
アッシは今回は大枚叩いて?とうとう
夜行寝台の個室を予約しちゃったよ〜ん!
そんでトイレ&シャワー付きデラックスと言う贅沢!
(早割りチケットだけど・・・奮発しちゃったっす^_^;)
しっかし、
DBの早割りは制約があるけど、ホンと正規料金と比べたら
断然お得でやんすね。
今回は距離のある移動は3回だけなんで、パスよりも
早割り利用だと1万円近く節約出来そうですだ。
(何がなんでもパス!ほざくどっかの馬鹿には分かるまい!爆)
-
- utamiumiuさん 2013/02/07 00:51:19
- こんにちは〜
- 毎度一票ありがとうございます。
シュタージ、詳しくよく調べていらしたんですね。
私が思い浮かべられるのは「善き人のソナタ」だけですがあれもけっこう怖かったです。
ベルリンは一度行ったきりです。
それもザクセンハウゼン強制収容所見学が主な目的でした。
チェック チャーリーポイントとその前の博物館と壁の後をたどることはしましたが。
ソニーセンターも入ってみました。
ベルリンは大都会すぎて私の手にはあまるところでした。
- frau.himmelさん からの返信 2013/02/07 14:16:15
- RE: こんにちは〜
- utamiumiuさん こんにちは。
コメントありがとうございます。
> シュタージ、詳しくよく調べていらしたんですね。
> 私が思い浮かべられるのは「善き人のソナタ」だけですがあれもけっこう怖かったです。
そうそう、「善き人のソナタ」と「グッバイ・レーニン」、私も見ました。
旅行記では、その時の恐怖の何分の一の思いしか伝えられないのが残念です。
> それもザクセンハウゼン強制収容所見学が主な目的でした。
ザクセンハウゼンにいらっしたのですか?早速旅行記をお訪ねしてみよう。
というのは、4月、5月とドイツ旅行を計画していまして、今回もドレスデン、ベルリンを訪ねます。
ベルリンではまだ行っていないので、ザクセンハウゼンには、必ずいく予定なのです。
ドレスデンではもう少しコーゼル伯爵夫人のことを調べたいと思っています。
それから、今回miumiuさんの旅行記を拝見してナウムブルクにも3泊する予定です。
なんだかmiumiuさんの後ばっかり追いかける旅をしていますね、私って(笑)。
お友達のお車で知られていない街々を訪ねる旅、ステキですね。
機動力があると、いろんな所にいけますね。
またお邪魔します。
himmel
-
- 横浜臨海公園さん 2013/02/04 13:56:39
- 東独逸秘密警察シュタージ
- frau.himmelさま、こんにちは。
東独シュタージの旅行記を篤と拝見させて頂きました。
小生、35年前に独逸留学中に東ベルリンを旅行中、尾行された体験を有しております。
チャーリー・ポイントから東地区に入り、街や人々の表情の暗さと言えば、それはそれは並大抵のものではなかった記憶が今でも鮮明です。
わざと街の角を曲がる際にウィンドーを見ると、常に同じ人物が西側に出るまで見え隠れしてしておりました。
壁崩壊後、シュタージの連中は失職しタクシー運転手になった連中の車に乗ると、運転手に住民の名前を伝えれば、ベルリンの街で何処でも簡単に連れて行ってくれると、アクネドートが流行ってました。
横浜臨海公園
- frau.himmelさん からの返信 2013/02/04 20:55:49
- RE: 東独逸秘密警察シュタージ
- 横浜臨海公園さま こんばんは。
ご無沙汰しています。
コメントありがとうございます。
> 小生、35年前に独逸留学中に東ベルリンを旅行中、尾行された体験を有しております。
ドイツ分断時代にベルリンをご旅行なさったとか。
生々しい恐怖の体験談を拝見してぞっとしました。
一見何の関係もなさそうなアジア人も尾行の対象になったのですね。
狂っていましたね、あの頃は。
正規のシュタージ職員と非正規の協力者を合わせると、なんと東ドイツ人口の1割が秘密警察の関係者だったということです。
右を見ても左を見ても、常に誰かに監視されていたんですね。
博物館で見た尾行道具、カメラや盗聴器、本当にぞっとしました。
また、30年間もシュタージに君臨したエーリヒ・ミールケの私室、特に仮眠をした部屋なども見れてとても興味深かったです。
> 壁崩壊後、シュタージの連中は失職しタクシー運転手になった連中の車に乗ると、運転手に住民の名前を伝えれば、ベルリンの街で何処でも簡単に連れて行ってくれると、アクネドートが流行ってました。
シュタージの正規職員だって壁崩壊後は哀れでしたね。
あの壁によって人生を大きく狂わせられた人々が大勢居ます。
今回は博物館だけでしたが、次回ベルリンを訪れるときは、秘密警察に捕まった人々が送られた特殊刑務所があるそうですが、そこも訪れたいと思っています。
もう少しドイツの現代史について調べたいです。
ありがとうございました。
himmel
-
- norisaさん 2013/02/01 17:17:00
- 秘密警察!
- frau.himmelさん
昔日本にも似たような警察があったようですが、ドイツの方が徹底していたようですね。
離婚や絶交する気持ちもわかりますね。
やはり夫婦や友人は本当に信用できない人とは無理ーーー。
海外旅行でもいろいろ考えさせられる題材です。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2013/02/02 15:37:13
- RE: 秘密警察!
- norisaさん こんにちは。
いつもありがとうございます。
> 昔日本にも似たような警察があったようですが、ドイツの方が徹底していたようですね。
今度は悪名高き秘密警察に潜入してきました。
norisaさんにまたしても、よくご主人が許してくれるね、って言われそうですね(笑)。
あの時代の東ドイツ、ソ連もそうですが、お隣の将軍様のお国に似ているなーと。
ヨーロッパの経済大国ドイツに、あんな時代があったんだ、とつくづく思いました。
またそれを変に隠していないところが潔いですね。
> やはり夫婦や友人は本当に信用できない人とは無理ーーー。
これっておのろけよね?ご馳走様〜〜。
でも本当に仰るとおりですね。
himmel
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