2011/05/03 - 2011/05/03
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frau.himmelさん
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神聖ローマ帝国、プロイセン・ドイツ帝国に続いてヒトラーの統治したナチスドイツ帝国を第三帝国と言うそうです。
ミュンヘンはナチズムの発祥の地です。
ヒトラーはケーニッヒ広場に発祥の聖地にふさわしい都市改造計画を 立てていました。
実際は半ばにして第二次世界大戦が始まったので完成しませんでした。
しかし、連合軍は第三帝国の首都ベルリンは徹底的に破壊したものの、ミュンヘンにはいくつかのナチスの建築が残っています。
◆◇
一日でダッハウ強制収容所、白バラ抵抗運動記念館、第三帝国のケーニッヒ広場と、ヒトラー・ナチズムの足跡をたどってきた私、あまりに濃密過ぎて頭の中が混沌としています。
うまく旅行記にまとめられますか…。
私の解釈が間違っていましたらどうかご教示下さい。
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-
マリエンプラッツから地下鉄で二駅、Universitaet駅(大学駅)にやってきました。
地上に出ると、ルートヴィッヒ通りの真ん中に戦勝門が立っています。
これはバイエルン解放戦争の勝利を記念して、1852年にルートビッヒ1世の命によって建てられたものだそうです。 -
そして、目の前にはルートヴィッヒ・マキシミリアム大学(通称ミュンヘン大学)がありました。
私はここに見たいものがあってやって来たのです。 -
広場には、大学と同時期に造られた古典ロマネスク様式の噴水があります。
ちょっとここは後回しにして、この先に気になる建物が見えたのでそちらに行って見ます。 -
2つの塔を持つ立派な教会、そして屋根の模様がウィーンのシュテファン寺院のそれのようできっと有名な教会に違いないと…、そう思ったのです。
ここもルードヴィッヒ1世の名がついたルードヴィッヒ教会でした。
ところでさっきからルートヴィッヒ1世の名前がやたらに出てきます。
彼は、ヴィッテルスバッハ家が統治するバイエルン王国の国王なのです。
大学に名前がついているマキシミリアン1世は彼の父親になります。 -
もっと述べると、ノイシュヴァンシュタイン城で有名なルートヴィッヒ2世は彼の孫に当たります。
◆◇
ファサードの聖人の像も素晴らしい。 -
それでは大学のほうに向かいましょう。
その前に「ショル兄妹広場」という案内板が…。
ここは反ナチスの抵抗運動をした「白バラグループ」の中心人物を称える広場なのです。 -
この大学に記念館があります。
白バラ抵抗運動とは、第二次大戦下、ミュンヘン大学の学生であったショル兄妹(兄・ハンス、妹・ゾフィー)やその仲間、また哲学科教授ハンス・フーバーなどによって起こされた反ナチス、反ヒトラー抵抗運動のことです。 -
入口です。
ここは学生でなくても、私のようなオバ(ア)サンも自由に入っていいのです。 -
入口を入ると大きな階段があり、光がパーッと差しこんでいます。
名前もリヒト・ホーフ(光の中庭)と呼ばれています。 -
正面玄関ホールであるリヒト・ホーフの全景。
この大学の顔です。
大理石の台座に鎮座している左側の人物がルードヴィッヒ1世です。
1472年にランツフートに設立されたルートヴィッヒ・マクシミリアン大学を、1826年にミュンヘンに移設しました。
このリヒト・ホーフは1909年にユーゲント・シュティール様式で造られました。 -
この人がルートヴィッヒ1世。
更に彼のことを詳しく述べますと、ミュンヘン郊外にあるニンフェンブルク城の壁面に36名の愛人の美人画を描かせ、美人画ギャラリーを造った人がこのルートヴィッヒ1世なのです。
結局彼は愛人のために国王の座を退くことになります。
◇◆
横を通っている黒シャツにブルーのネクタイの男性、いかにも名門ミュンヘン大学の学生さんといった聡明な顔立ちをしていますね。
ついつい写真を撮ってしまいました。 -
ルートヴィッヒときたらこちらはマクシミリアムさん?
ではなくバイエルン摂政のプリンツレゲント・ルイトポルト像(1821-1912)。
ルートヴィッヒ1世の息子である彼は、甥にあたるノイシュヴァイン城のルートヴィッヒ2世と、次のオットー1世(精神を病んでいた)の2人の国王の摂政を務めました。 -
ルートヴィッヒ1世像の階段を降りると、そこにグリーンの垂れ幕に白バラのマークが…。
後で説明しますが、この上のバルコニーこそがショル兄妹が反戦ビラを撒いて、捕まった場所なのです。 -
白バラ記念館はこの半地下にあります。
入口近くにゾフィー・ショルの像が。
彼女は22歳の若さで処刑されるのです。 -
その先に歩を進めると、大勢の人が熱心にパネルに見入っています。
-
「Die Weisse Rose」。
学生たちの反ヒトラー抵抗運動。
1942/43年、ミュンヘン
どうして彼らは反ナチ運動に走ったのでしょうか? -
彼らが白バラの中心人物です。
下の2人がショル兄妹(兄・ハンス、妹・ゾフィー)、ハンスの上が白バラの協力者だったクルト・フーバー教授、その他アレクサンダー・シュモレン、クリストフ・プローブスト、ウィリー・グラーフ。
彼らは全員ゲシュタポに逮捕され処刑されました。
【第3帝国】1933-1945。
第3帝国とはヒトラー統治下のドイツ帝国のこと。
ちなみに第1帝国は神聖ローマ帝国(962-1806)、第2帝国はプロイセン・ドイツ帝国(1871-1918)。 -
白バラのメンバーは、ナチスによる人種民族差別、ゲットーでのユダヤ人迫害、ポーランド人への虐殺、また、ロシア人捕虜に対する非人間的な行為などを知ることになります。
そしてこのままヒトラーによる政権が続けば、ナチズムはドイツ人を精神的に破壊しつくしてしまうだろう、という危機感をつのらせました。
(目を背けたくなる写真もありますがご容赦を…)。 -
そこで白バラのメンバーはナチズムを批判する文書を作成して各方面に郵送したり、反戦ビラを撒いたり、壁にペンキで反戦スローガンを落書きしたりして抵抗します。
ナチスの発祥の地ミュンヘンで行われたことですから、相当危険を伴う行動だと思います。
しかもその費用は全て自分たちで負担していました。
写真は、右上の人物は白バラのメンバーが逮捕された当時、ミュンヘン大学の学長だったヴァルター・ヴュスト。彼はSS親衛隊員だったので容赦はしませんでした。即刻ショル兄弟をゲシュタポに引き渡します。
また下の写真は1933年5月10日、ミュンヘン大学で焚書が行われた時の様子。
そのほかSAの制服を着て整列している学生たちや、ユダヤ人入場禁止の張り紙などの第3帝国時代の写真がいろいろありました。。 -
ドイツ国民の志気を高揚させるためのプロパガンダのいろいろなパネルもありました。
-
白バラ抵抗運動の有名な写真です。ショル兄妹とクリストフ・プロープスト。
1943年2月 日、ショル兄妹は先ほどのリヒト・ホーフ3階バルコニーから反戦ビラを撒いているところをSA隊員である管理人に見つかり、SS突撃隊員である大学総長経由でゲシュタポに引き渡されました。
仲間も次々に逮捕され、1943年2月22日人民裁判にかけられることになります。
裁判長は冷酷な裁判官で数千人に死刑判決を下したローラント・フライスラー。感情的な尋問をするフライスラー裁判官に対し、ゾフィー・ショルらは自分たちの行動は正しいものと信じ、堂々とした口調で反論をしたと言う事です。
ところで、このローラント・フライスラーという裁判官は、ヴェンゼーでのホロコースト会議に参加していた15人のうちの一人だったのです。 -
展示を見終わって帰ろうとしたら、
「もしもしここは写真撮影禁止ですよ!」って注意されました。
ごめんなさい。でももう写してしまいました(謝々)。
ということでこのパネルの写真はめったに見れない貴重な写真です。
窓からもう一度広場のほうを臨みます。
手前の噴水の広場が「ショル兄妹広場」、奥の噴水が見える広場は「フーバー教授広場」と名前がついています。 -
外に出ると、正面入口の地面には彼らが撒いたビラが、モニュメントになって展示してありました。
-
古典ロマネスク様式の校舎の壁には、ルートヴィッヒ1世の命で、過去の偉大な学者たちのモチーフが飾られています。
なお、ヒトラーの片腕と言われた、ナチス親衛隊長のヒムラーもこの大学の卒業生です。 -
さあ、ドイツの抵抗運動に若い尊い命をささげたショル兄妹に思いを馳せながら、次に行きます。
-
再び地下鉄大学駅から乗り継いでケーニッヒ・プラッツ駅に着きました。
ホームにはギリシャ彫刻や現代絵画などが溢れています。
この付近はミュンヘンの一大芸術エリアなのです。
大学から歩いてもたいした距離ではないのですが、せっかく1日乗り放題チケットを持っているので…。 -
ケーニッヒ広場に出ると、いくつもの博物館・美術館が目に飛び込んで来ます。
ルートヴィッヒ1世は、古代ギリシャ・ローマ時代の芸術を愛した人で、ミュンヘンにいくつもの博物館・美術館を造り、ミュンヘンを「イーザル川のアテネ」と称される都に作り上げました。
これはクリプトテーク(彫刻美術館)。
ルートヴィッヒ1世が収集した古代ギリシャ、ローマ時代の彫刻コレクションがある。イオニア様式1830年完成 -
プロピュライオン(古代ギリシャ神殿柱廊門)
レオ・フォン・クレンツェによる擬古典主義の建築で1862年に完成した。
ケーニヒ広場はこのプロピュライオンを中心に左右に広がっています。 -
プロピュライオンの向かい側には古代美術博物館 Antikensammelungen
が建っています。
擬古典主義の建築でバイエルンの芸術・産業展示場として1848年に建てられました。
紀元前5-6世紀の古代ギリシャの壺の収集で有名。 -
-
広場から大通りに出たら早速第三帝国時代のナチスの建築が見えてきました。
-
広場を背にして右側の建物がこれ。ナチスの党本部だったところです。
「地球の歩き方」には州立グラフィック収集館とあります。 -
建物につたが絡まっていい雰囲気を醸し出しています。
当時はナチスの党員が行き交いピリピリした空気が張り詰めていたのでしょうね。
入口上のバルコニー3階にナチスの紋章、鷲の大きな飾りがあったと思われる空間があります。 -
ズームアップします。
ここにナチスのあの獰猛な鷲の紋章が飾られていました。 -
中に入れるようです。入ってみましょう。
ここでデジカメの電源がなくなったので、カメラを取り替えました。
入口の天井の模様を見て一瞬「ギョッ!」。
まだナチスの鍵十字が残っていると思ったのですが、よく見たら中華の唐草模様のようですね。 -
更に中に入ってビックリ!
そこには多くの彫刻と、忙しそうに働いている人たち…。 -
彫刻の中にはルーブル美術館にあるような「なんとかのニケ」に似たような翼を広げた首のない像もあります。
もしこれらが本物で、ここで次の展示物の準備をしているのなら…。
私ただで見ることができて凄く得した感じなのですが…。 -
このホールはかなり広くて3階まで吹き抜けになっています。
この広間でその昔ナチスの党員たちが集まっていたのですね。 -
次にもうひとつの建物に行きましょう。
先ほどのケーニッヒ広場のプロピュライオン門が見えます。 -
反対側はオベリスクが…。
-
ここにこんな立て札が立っています。
ナチスの建築計画や、この広場で起こった出来事などを、写真で紹介してあります。
さっきのナチス党本部にも、これから行く総統官邸にも、建物の入口には昔ナチスの建物だったという形跡はありませんので、これが唯一この広場が第三帝国の拠点であるということを窺わせるものなのです。
その中から興味深いものを切り取ってお見せしましょう。 -
1936年当時のケーニッヒ広場。
今と殆ど変わっていません。
手前にあるのがプロピュライオン門、その両脇にグリプトテークと古代美術博物館、その延長線上にある円形の広場の真ん中にあるのがオベリスク、
その手前に左右対称に見える大きな建物は、右が先ほどの党本部(州立グラフィック収集館)、左がこれから行く総統官邸です。
総統官邸と党本部の間に小さな建物が2つ見えますが、これはパンテオン(栄誉堂)だったらしいです。今はありません。 -
これが図面です。
見難い図面ですが、上の写真と比べてみると、位置関係がよく分かると思います。 -
上の写真の小さな柱だけの建物がパンテオン(栄誉堂)です。
1923年のヒトラーによるミュンヘン一揆の犠牲者のために造られたそうで、中にはお墓が並んでいたそうです。
下の写真がそれを大きくしたものです。 -
その当時、ケーニッヒ広場ではナチズム・ヒトラー第三帝国によって催されるに様々な行事がありました。
1938年11月19日。
ケーニッヒ広場で行われた新兵宣誓式。
◆◇
この写真には傷がついています。お解りになりますか?
きっとナチズムを快く思わない人が落書きしたのでしょうね。 -
1933年5月10日。ケーニッヒ広場での焚書。
-
下の写真、ブラウン・ハウス(芸術の家)。
画家を志していたヒトラーはミュンヘンを芸術の中心都市にしようと思い、ブラウンハウスを造りました。 -
1937年7月に開催された「大ドイツ芸術展」のパレードの模様。
-
パネルはこれくらいにして先に進みましょう。
戦後連合軍によって爆破されましたが、現在パンテオン(栄誉堂)のあとは土台だけ残っています。
あれから数十年の時が流れ、今そこはコケやツタで覆われています。 -
その先にあるのが総統官邸です。
現在は州立音楽大学になっているので、入口では学生の姿がチラホラしています。
彼らは70年近く前は、ここでヒトラー閣下が執務していたと言うことを知っているのでしょうか? -
入口。
この建物で1938年にミュンヘン会談が開かれ、ミュンヘン協定が結ばれたそうです。
ミュンヘン協定とは、ヒトラーに、チェコのズデーデン地方のドイツ帰属を認める代わりに、これ以上の領土要求を行わないという協定のこと。
この宥和政策がのちのちヒトラーを舞い上がらせる結果となり第二次世界大戦へと突き進んだと言われています。 -
党本部とそっくりの全く同じ造りの建物です。
この2つの建物の地下には通路があり行き来できるそうです。 -
古代彫刻美術館脇の公園を通りホテルに戻ることにしましょう。
第三帝国時代、広場では党の催しや行進などが行われていたことでしょう。
今はミュンヘン市民が散歩をしたり、ボール遊びをやったり、あそこでは太極拳をやっている人も居ます。 -
それらの歴史を見つめてきた美術館壁の古代ローマの戦士像。
このいにしえの戦士たちは、第三帝国の激動の時代をどういう風に思ったことでしょうか。 -
広場から木立の奥に頭を覗かせるナチス党本部に別れを告げて…。
-
モダン・ピナコテークの有名な絵の地下鉄ホームからホテルに帰ります。
今日は疲れたー。
頭も身体も…。
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この旅行記へのコメント (9)
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- Berg Heilさん 2013/06/06 13:37:36
- 大きなお世話???
- いつも良く調べられた中身の濃い旅行記感じ入っています。
ところで余分なおせっかいっですが、神聖ローマ帝国の創設を952年とされていますが、定説では確か962年 オットー大帝の戴冠から始まったと記憶しております。(オットー大帝苦労人)と覚えていますが?
本年5/15〜5/27迄 バイエルンとベーメン(ボヘミヤ)を旅してきました。 1100枚にわたる写真の整理がようやく終了、6/6から週2回くらいのペースで投稿しますのでよろしければ覗いてください。
Madam frau hinmmel が確か昨年訪問された Bamberg の Schloss Seehofも行ってきました。
- frau.himmelさん からの返信 2013/06/06 19:45:16
- RE: 大きなお世話???
- Berg Heilさん こんばんは。
> ところで余分なおせっかいっですが、神聖ローマ帝国の創設を952年とされていますが、定説では確か962年 オットー大帝の戴冠から始まったと記憶しております。(オットー大帝苦労人)と覚えていますが?
そうなんですか、恥かしいー!
私がそんな年号を覚えているわけがなく、たぶん何か見て打ったものでしょう。
昔は華奢だった私の指も、齢とともにぶっとくなって、隣のキーを触っちゃったのね。
ご指摘ありがとうございます。
早速訂正しておきました。
今年も私と入れ替わりくらいにドイツにいらっしたのですね。
バンベルクの郊外、ゼーホフにもいらっしゃったのですね?
バンベルクからバスでちょっと、こんな畑の真ん中にこんな素敵なお城が…って感じでしたね。
旅行記見せていただくのを楽しみにしております。
私はこの後、バイロイト、ナウムブルク、ルター関連の街など続きます。
出発前にBerg Heilさんの旅行記をずいぶん参考にさせていただきました。
おかげである程度、知識をもって訪れることができました。
ありがとうございます。
週2回のペース!? うわー見習わなければ…。
himmel
-
- 近鉄バッファローズさん 2011/06/26 17:39:24
- 勉強になりました
- frau.himmelさん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
「Die Weisse Rose(白い薔薇)」の映画は見たのですが、
舞台はルートヴィッヒ・マクシミリアン大学って言うんですね。
舞台になった大学が実在の大学で、
見に行くことが出来るとは聞いたことがあったのですが。
「白い薔薇」と言えば、ナチへの抵抗運動として有名ですね。
もう一つ有名なのは、映画「ワルキューレ」で有名な
von Stauffenbergによるヴォルフスシャンツェでの爆殺未遂ですね。
ミュンヘンには何度か行っていますが、大学は行ったことがないです。
是非、次回行く機会があれば、行ってみたいと思うようになりました。
さらに、ケーニヒスプラッツのことは全く初めてでした。
戦後のドイツでは、殆どナチ関係の建物は一度壊してますからね。
なかなかそうやって残ってるものはないです。
こちらも是非、一度見に行ってみたいところになりました。
6月の今回の旅行では、ニュルンベルグの
「Reichsparteitagsgelaende(党大会会場)」へ行ってきました。
ここには大会議場の廃墟が壊されずに残っていて、
その横にはナチスと党大会会場に関する博物館がありました。
博物館内の展示を順番に見てくると、
最後に廃墟を見渡せる博物館からせり出した展望台がありました。
こちらもなかなか見応えがあったと思います。
続けて旅行記の方、拝見させて頂きます。
-
- Toyoさん 2011/06/03 21:53:39
- ミュンヘンの街角
- Frau Himmelさんのミュンヘンへの旅、とても参考になり勉強させて頂き
一言お礼を申し上げたく初めてこのようなサイトに登録してコメントさせて
頂きます。私四捨五入せずに70台突入でこの6月に初めての一人旅をミュンヘンに決めて準備中です。失敗談がとても役にたちました。ラーツケラーのアスパラ是非賞味してきます。Geschwister Schollのこともくわしく教えて戴き感謝です。どのような失敗が待っているかわかりませんが、行ってきまーす。流行っているO-11?が心配ですが。Vielen Dank!
- frau.himmelさん からの返信 2011/06/04 09:28:48
- RE: ミュンヘンの街角
- Toyoさん おはようございます。
コメントありがとうございます。
私へのコメントのためにフォートラベルに登録してくださったとのこと、わぁー感激です。
同じシニア(しかもお互いにかなり?)同士、どうかこれからよろしくお願いいたします。
さて、6月にミュンヘンにご旅行なさるとのこと、もうすぐですね。
ドイツも一番いい時期ではないでしょうか。羨ましいです。
前回あんな失敗をして(まだ失敗談は続きます)、もう一人でのドイツ旅行は今回が最後かなと思ったばかりなのに、今となってはそれらも楽しい思い出で、また行きたーい、と思っている私です。
Toyoさんの年齢をお聞きして、私もまだまだひとり旅をするぞーって励まされました。
> ラーツケラーのアスパラ是非賞味してきます。
6月の時期によってはもうアスパラガスは置いていないかも知れませんが、ドイツ料理も充実していますので、ぜひいらしてみてください。
ただ、ドイツのレストランは量がとても多いのでビックリなさいますよ。
シニアの私には、ワインとアスパラガスなどの軽い1皿で十分でした。
ホーフブロイ・ハウスもお薦めです。
夜は混雑していますので、午前中の人が少ない時間帯に、中庭の木の下でゆっくり白ソーセージとプレッツェルをビールと共にいただきました。
ドイツはどちらを回られるのですか?
もし私が行ったところなら何らかのアドヴァイスが出来ると思いますので、心配なことがあれば質問してください。
では、グーテ・ライゼ!
himmel
- Toyoさん からの返信 2011/06/04 22:39:10
- RE: RE: ミュンヘンへ!
-
Frau Himmelさま
早速にお返事頂き感激です。このようなお話ができるなんてとっても
嬉しいです。新しい世界に踏み込んで一歩前進といった気分です。
ミュンヘンは10日程滞在してゆっくり美術館めぐりなどしようかなと
先ず市電やUバーンを乗りこなしてと、初歩の初歩です。スーツケースを引っぱっての都市めぐりはきついので今回はミュンヘンからバンベルク1泊、
レーゲンスブルク日帰りとささやかな楽しみです。
何かアドヴァイス、よろしくお願いします。これがうまくいけば毎年ドイツにささやか旅行しようかなと。
>
> 6月の時期によってはもうアスパラガスは置いていないかも知れません
>
アスパラガスなければ残念!
私の悩みは日本でも小食で一人でドイツのレストランに入るのは無理かなということ それとおそろしい方向音痴!ホテルに帰れなくなった件 身につまされました。
ダンケシェーン Toyo
- frau.himmelさん からの返信 2011/06/05 11:21:57
- RE: RE: RE: ミュンヘンへ!
- おはようございます Toyo さま
ミュンヘンに10日滞在していろいろお回りになるんですね。
そうですね、私たちシニアの旅は大きな荷物を引っ張っての移動は大変ですから、私もいつも荷物をどうするかと考えてスケジュールを決めています。
今回はミュンヘンの美術館巡りなどとバンベルク、レーゲンスブルクにもいらっしゃるとのこと。
バイエルン城廻りチケットをご存知ですか?
バイエルン中のお城やレジデンツ、入場料が必要な教会などに使えて、確か一人用だったら20ユーロ弱(2人用で34ユーロでしたから)で14日間有効です。私の旅行記「2009秋 リンダーホーフ城編とヴュルツブルク編」でも紹介していると思います。よかったら読んでください。
バイエルン中のほとんど全てのお城が無料になりますので、Toyoさまのようにミュンヘンに滞在されて健康される方にはとてもお得だと思います。(ミュンヘンではニンフェンブルク城とレジデンツが使えます)
ミュンヘン市内の観光案内所でも購入できるかと思いますが、私は最初見学したお城で買いました。
このカードはクオカードみたいなもので、実際にお城やレジデンツをご覧になるときは、窓口で正式な入場券に取り替えてもらいます。
必要でしたら、後でしらべてサイトアドレスを貼り付けますね。
今回いらっしゃるバンベルク、レーゲンスブルク、両方ともバイエルンチケットが使えますね。ご存知だと思いますが、バイエルン中乗り放題の切符です。バスや路面電車にも使えます。
一人用19ユーロくらい。ただし、自販機で購入した場合ですから、窓口で購入すると2ユーロ余計に取られます。あちらの人は親切ですから教えていただいて自販機で購入されたほうがお得です。
バイエルンチケットがあると、ザルツブルクや、ヘレンキムゼー(ルートヴィッヒ2世が建てた有名なお城、湖に浮かんでいます)があるプリーン、ヴュルツブルク、ニュルンベルク、または大聖堂で有名なウルムとアウクスブルクの組み合わせなど、いろいろ候補地は広がりますね。
これもICやICEなどの新幹線・特急には乗れませんが、REやRBなどの使える車両は多いです。ただし、9時からしか使えないと言うところがネックなのですが…。
でも、6月は9時頃まで明るいですから心配ないと思います。
シュパーゲル(白アスパラガス)は6月25日(?)くらいまでしか出荷していけないと決まっているそうで、その後は忽然とレストランから姿を消してしまいます。まだ間に合うようでしたらお試しください。これも時期ものですからメニューには載っていませんので、「シュパーゲルはありますか?」と聞くと、特別のメニューを出してくれます。シュニッツエル(トンカツみたいなもの)やハムなどの一緒になったものなどいろいろありますが、私はいつもジャガイモだけが付いた「シュパーゲル・クラシカル」をいただきます。朝食にハムやチーズ、ソーセージなどのたんぱく質はたくさん摂りますので、私はこれで十分なのです。
そのほか、食が細いシニアにはスープだけ(こちらのスープは食べるスープですからしっかりしています)やサラダが中心の軽い食事もレストランにはあるようです。また駅ではいろんなサンドイッチ類が買えますし、ミュンヘンにはデパートもたくさんあり、デパ地下で購入されるなど、食事はそんなに心配は要らないと思います。
私はワインが好きなので、1日1回はレストランで食事をするようにしています。
なんだか取り留めのないことをダラダラと書きましたが、お役に立ちますでしょうか?
himmel
- Toyoさん からの返信 2011/06/06 20:40:47
- バイエルンチケット
Frau Himmelさま
いろいろ教えて戴きありがとうございました。
バイエルチケット知らずにDBでバンベルクとレーゲンスブルクの列車のチケット買ってしまいました。ずい分お安くいけるのですね。次の機会に是非
チャレンジいたします。16日出発ですのでアスパラガス間に合いそうですね。ミュヘンに着き次第ラーツケラーに直行いたします。帰ってまいりましたら又ご報告させて頂きます。本当に有難うございました。Toyo
- frau.himmelさん からの返信 2011/06/07 18:12:02
- RE: バイエルンチケット
- 気をつけて行ってらっしゃいませ♪
お帰りになったら旅行記で報告してくださいね。
himmel
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