2011/05/03 - 2011/05/03
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frau.himmelさん
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今回のドイツ行きは決めてから出発まで10日しかなかった。安いチケットは取れたけれど、さあどこに行こう?
そんなに悩んでいる時間はありません。
そうだ!最近ドイツに行くたびに面白くなってきたドイツの現代史、今回もこれで決めてみよう!
ベルリンは2年続けて行ったので今回は外して…、必然的にミュンヘンとニュルンベルクになりました。
後は、前から行きたかった所をくっつけていったら、10日の予定なんてすぐ埋まってしまいました。
と言う事で、まずはダッハウ強制収容所をたずねます。
4年前にポーランドのアウシュビッツを見学しているので、あそこまで酷くはないだろう、と高を括っていました。
ところが、ヒトラー恐怖政治の残酷さ、人間が人間に対してあそこまで非情になれるのだという戦慄、それらが改めて生々しく浮き彫りにされた訪問でした。
注意:目をそむけたくなる写真も出てきますが、私の乏しい表現力だけでは収容所の悲惨な状況は伝えられませんのでご容赦ください。どうかみなさまも目をそむけないで、歴史の事実を見つめていただければと思います。
◆◇
朝、ミュンヘン駅でジャーマンレイルパスを購入するために駅のインフォに行った時のことです。
「5日用のジャーマンレイルパスをお願いします」とパスポートを見せて言いました。
と、私のパスポートをめくっていた係員、ニヤニヤしながら隣の同僚に見せて二人で笑っているのです。
そういえば、昨日空港のパスポートコントロールでも同じような態度をされました。
失礼ねー、どうせ目の前にいる私はおばあちゃんですよ!、パスポートに写っている写真とは別人とでも!!(怒)
-
たしかに6年前のパスポート更新のときは、10年使うパスポートだからとメイクをばっちり決めて、髪もセットしてポートレートを撮りましたよ。今より写真の方が若く見えます。
でも、それって当たり前でしょ(怒)!?
と怒って係員が広げているページを覗き込むと…。
あー恥ずかしいー、私の勘違いでした。
そこには昨年ベルリンの壁を見に行った時、お土産屋さんで押してもらったDDR(東西ドイツに分断していた当時の東ドイツ)のスタンプがべたっと。
照れ隠しに「そう、私はDDRにも行ったことがあるのよ。」って言ったら笑われました。
写真がその問題のパスポートのページです。
成田空港の係員、何もわざわざこのページに出国スタンプを押さなくてもいいのにねー。 -
朝から雨が降っていました。
一人で傘をさしての観光は億劫だなーと思いました。
ホテルにあったダッハウ収容所を回るツアーのカードを見つけたので、それで行きましょう。ツアー代金、たしか23ユーロとありました。
ところが駅で、ノイシュヴァンシュタイン城のツアーの札を持っている人に聞くと、それは英語のツアーとのこと。
「ドイツ語のだったら一人で観光した方がいいわよ、向こうでドイツ語のオーディオ・ガイドを貸してもらえるから…」。
1人でターゲスカルテ(1日乗車券)を買って列車に乗り込みます。
ミュンヘン駅からS2番ピータースハウゼン行きに乗ります。
結果的に7ユーロで済んで得をしたことになります。
23ユーロ払ってもどうせ説明のドイツ語は聞き取れないんだから…。 -
20分ほどでダッハウ駅に到着。
-
ダッハウ駅から726番のバスに乗りKZ-Gedenkstautte で下車。
殆どの人がここで降りますので心配は要りません。
内容が内容の博物館なので人が少ないかと思っていましたら、結構乗客が多くてビックリしました。 -
入口の看板
-
大勢の観光客が収容所のほうに向かって歩いています。
-
途中で案内所があったので寄りました。
日本語のオーディオガイドでもあったら借りましょう。 -
ここに日本語のオーディオガイドはないと…。
また、ドイツ語のツアーも12時からとのことで一人で回ることにします。 -
それならば、日本語の説明書があったら欲しいと、隣の本屋さんに寄りました。
残念ながら日本語はありません。 -
収容所までかなり離れているようです。
所々にたててある案内板を見ながら砂利道を歩きます。 -
ダッハウ収容所の航空写真です。1945年当時
-
ところどころで、案内ツアーでのガイドさんの説明に、熱心に耳を傾けている集団に出会います。
みんな驚くほど真剣な表情で聞いていました。 -
緑の森を抜けて、建物の入口に着きました。
ここからは、この場所であのおぞましい狂気が行われたという感は全くありません。
ただよく見ると、屋根の上の見張り塔だけはあの時のままのようです。
銃をかまえたナチス親衛隊員が目を光らせていたんでしょうね。 -
ARBEIT MACHT FREI 「働けば自由になる!」。
収容者はこれをどんな思いで見ていたのでしょうか?
いつかはここから出る事が出来る!そう信じていたに違いありません。
アウジュビッツにも同じ言葉がありました。 -
中にはこのような銘板が…。
「1945年4月、第42レインボー師団と米国の武装兵士がダッハウ強制収容所を解放した。
ナチの野蛮な行為を永久に忘れないために。
1992年5月3日」
各国語で記されています。 -
中はかなり広いです。
あちこちに集団で説明を聞いているグループがいます。
ダッハウ強制収容所は最初に作られた収容所で、後に造られる収容所の原型となりました。 -
-
収容者は入所すると全員丸坊主にされました。
点呼。
どのような天候であっても、収容者の点呼が朝・夕行われたそうです。
脱走者が出ると、「処罰点呼」が行われ、全員長い時間点呼台に立たされたのだとか…。 -
慰霊碑。
その近くに花輪が並んでいるコーナーがありました。 -
-
1997年に造られたモニュメント。
有刺鉄線をモチーフに、それに絡まってもがき苦しんでいる人々の群像です。
1933年から1945までこの収容所は存続しました。 -
花輪に導かれてずーっと奥に進むと、慰霊碑がありました。
壁には?。 -
三角や星型が重なり合ったユダヤのマーク。
-
説明を聞いているグループが
-
監視塔
周りを、電流が流れている有刺鉄線で囲ってあり、グリーンゾーンに侵入したら射殺されたそうです。
苦しい生活に耐えられなくなった囚人が、わざと入り込んで自殺するケースもあったようです。 -
建物の中に入ります。
バラックAという名前がついています。
バラックと言えば、日本では粗末な家の事を指しますね?
ここも文字通りバラックだったようです。 -
バラックは平屋になっており、中には3段ベッドが置いてあります。
この狭い蚕だなのような粗末なベッド。
冬は寒風が板の隙間から容赦なく吹き込んできます。
この中に収容者は薄い毛布1枚(毛布もあったかどうか?)に包まって寝ていたのですね。 -
また、1人に1ベッドならまだしも…、
1棟の定員250名のところ、ナチス・ドイツの急激なヨーロッパ占領地域拡大に伴い、酷いときは1600名が詰め込まれたそうです。
単純に計算すると、1ベッドに6人以上…?
溢れかえるような人の数だったんでしょうね。全く想像だにできません。 -
ドイツでは教育の一環として、このように小・中学生にも、本来なら目を背けたいドイツの負の遺産を教えています。
ナチが起こした過ちを反省して、次の世代への「平和教育」として語りついでいくのです。
子供たちも真摯に向き合って、熱心に討論していました。 -
洗面所でしょうか。
トイレは写しませんでしたが、当時トイレに座る時間も決められていたそうで1人10秒くらいだったとか。
ホントに酷い扱いです。 -
外に出ました。
収容所バラックの入口の木造の扉。
穴が空いているのが見えますか?
このように隙間だらけの粗末な扉では寒風が容赦なく吹き込んだことでしょう。 -
外に出ます。
綺麗なポプラ並木がありました。
これは囚人たちが植えたものだそうです。
そして過酷な強制労働の短い自由時間に集まる場所でした。 -
当時の自由時間の写真。
みんな丸坊主にされて、寒いのに薄い囚人服だけの人や、コートやマフラーをつけて温かそうな格好の囚人もいます。
この頃はまだお金を出せば、普通の服も購入できたそうです。 -
当時、収容所棟は36棟ありました。
中には病人用棟や残虐な人体実験用のバラックもあったと言うから驚きです。
収容所跡は現在2棟だけ復元されて博物館として遣われていますが、後はこのようにコンクリートの土台だけが残されています。
遠くに見えるのは監視塔 -
収容所の見取り図
右側のコの字に黒く塗られているところが、これから見学する博物館の管理棟です。
左側が収容所棟、このように左右に18棟ずつ並べられ、真ん中にポプラ並木がありました。 -
奥に見える白い建物が復元された収容所バラック。
-
コンクリートの土台だけになっている19棟に、だれが手向けたのか花束がそっと置かれていました。
その色鮮やかな花が悲しみを誘いました。 -
敷地の上の見取り図の左側には、収容所が解放されてから造られたいくつもの宗派の教会があります。
これは1960年に造られたカトリック教徒の教会。
左の、建築の足場のような屋根の上にも、粗末な金色の十字架があるのが見えるでしょうか? -
その隣の建物は…。
プロテスタントの教会です。
実は、ここは火葬場だと思いこみ、足を向ける勇気がありませんでした。
近鉄バッファローズ様のご指摘で教会だったとのこと。
ありがとうございました。
収容所には、収容者達が信仰していた様々な宗教の礼拝堂が作られています。
カトリック、プロテスタント、ロシア正教、ユダヤ教、など。 -
ここは当時は管理棟でした。
今は博物館になっています。
中に入りましょう。
他の方のブログを見たら、日本語の簡単なパンフレットがあったようですが気がつきませんでした。
私の手元には「Wikipediaのダッハウ強制収容所」の説明文しかありません。これを頼りに回ります。 -
ドイツ中にあった強制収容所分布図。
ダッハウ強制収容所は、第1次世界大戦時は火薬工場として使われていた廃工場を、親衛隊(SS)隊員の兵営にするつもりでナチ党が購入したものを利用して造られました。 -
博物館はパネルで年代別に収容所の歴史が展示してあります。
ファシズム・ナチスの台頭は、1932年党首であるヒトラーの首相就任により飛躍的に勢力を伸ばしていきました。 -
ヒトラーの主張は、ドイツの困窮は、ドイツを裏切ったユダヤ人及び共産主義者のためであるといったものでした。
また民主主義を唱えているアメリカも、ユダヤ人の巨大な金融資金やマス・メディアに操られているのだとも…。
だから、悪を全世界に撒き散らしているユダヤ人を根絶やしにして、人種汚染を防がなければならないと…。
ヒトラーの巧みな演説に国民は惹きこまれていきます。 -
ダッハウ強制収容所は1933年3月、ナチ党が政権を獲得した直後に造られた、反ナチス的人物を保護拘禁するための威嚇のための施設でした。
当初、収容者はナチスの勢力拡大に邪魔になる政治家、宗教家、共産主義者などでした。 -
入った最初の部屋は薄暗くて壁も薄汚く、なんだかぞっとする雰囲気です。
いろんな資料が展示してあります。 -
右側の壁に「喫煙禁止」と書かれています。
何でも、ダッハウに到着した収容者たちが最初この部屋に集められ、裸になってチェックされるんだそうです。 -
-
ダッハウ収容所に、収容者第1陣がトラックで送られてきました。政治犯です。
初期のころダッハウは、ユダヤ人収容所というより、先に述べたようにナチスに反対する政治犯や宗教家、それに前科者、ホモセクシュアル、ホームレスなどを収容するための施設でした。 -
この棚の展示物は何だか異質に感じました。
ダッハウに収容された、あるいはダッハウで処刑された著名な人物のコーナーか何かでしょうか?(確認がしたわけではありません)。
右下の華やかな写真の主は?
これも私の想像ですが、ダッハウ収容所でいい加減な人体実験をしたジグムント・ラッシャー博士の妻、ニニー・ディールかもしれません。
後で述べますが、名の売れた歌手だった彼女は、一時期SS親衛隊国家隊長「ヒムラー」の愛人の一人であり、後にラッシャー博士と結婚します(させられた?)。
その件でヒムラーに優遇されたラッシャー博士は、でたらめな人体実験を行います。
そして、人体実験とは別件で夫妻はここで絞首刑に処されるのです。 -
歴代の収容所長の写真もありました。
設立当初の収容所は、SS親衛隊の残虐行為のレッスン場だと言われるくらいの無法地帯でした。
リンチなどは日常茶飯事、殺人なども行われました。
また他の収容所では、ユダヤ人資産家を脅迫して財産を掠め取る不正なども行われていたようです。
ダッハウ収容所初代所長ヒルマール・ヴェケルレは、気に入らない収容者の共産主義者を殺害した罪で逮捕されました。 -
ヴェケルレの後任として、ヒムラーは2代収容所長にテオドール・アイケを任命しました。
アイケは収容所を体系化します。
いわゆる、制裁としての、鞭打ちの刑、段階別の禁固刑、減食、死刑などを導入します。
政治的扇動やデマ、脱走、看守への暴行などは即刻死刑に処されました。
またアイケはユダヤ人を憎悪しており、ユダヤ人に対する扱いは苛烈を極めたそうです。
1934年に、このような体系化を成功させたアイケは全収容所総監に任命されることになり、ドイツ中に強制収容所が拡大されていくことになります。 -
ヒトラーの片腕だった親衛隊全国指導者、ハインリッヒ・ヒムラー。
彼は、1933年にダッハウ強制収容所の設置を発表して以来、収容所の運営にはいろいろと大きく関わっていきます。
自分の愛人だった有名な歌手、ニニー・ディールと結婚してくれた(?)ラッシャー博士に囚人を人体実験用に使える特別棟を用意したりもしました。 -
ダッハウ強制収容所は、いわゆる「絶滅収容所」ではなく「労働収容所」でした。
囚人たちは劣悪な生活環境の下、過酷な労働を強いられていました。
栄養失調や重労働に堪えきれなくて命を落とす人も多かったようです。 -
浴室だったところ。
最初は週1回くらいはシャワーを浴びることが出来たそうです。
ところで奥に木の台があるのが見えますか?
写真が不鮮明で申し訳ありません。 -
拡大しますね(見難い写真でごめんなさい)。
実はこれは「制裁」として行われた鞭打ち台なのです。
この台に腹ばいになって看守からの鞭打ちの刑に耐えなければなりませんでした。
鞭を打たれるたびに大きな声で数を数えなければならなかった、声が小さいとカウントに数えられなかったそうです。(数が決まっています) -
収容者の衣服棚。
-
大勢の観光客が熱心に見ていました。
-
「ダッハウの歌」
収容者たちの苦しみや絶望を歌にしてありました。 -
1939年から1942年までドイツが占領していた地。
1939年、ドイツはポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まります。1942年までドイツ軍は破竹の勢いで、ベルギー、フランス、オランダ、ノルウェーなどを降伏させます。 -
開戦以前の1938年11月9日、ドイツ国内でユダヤ人による暴動が起きます。
それを待っていたかのように、ドイツ国内のユダヤ人の住宅やシナゴークなどが襲撃され、焼かれたました(水晶の夜)。
ダッハウ収容所にも、それまで単にユダヤ人というだけで収容されているユダヤ人は少なかったが、水晶の夜の影響でヨーロッパの各地から大量のユダヤ人がダッハウ収容所に送り込まれてきました。
これ以来ホロコーストに拍車がかかることになります。 -
チェコから送られてきたユダヤ人
-
やせ細って骨と皮ばかりの囚人
-
写真はラッシャー博士による人体実験「超高度実験」が行われた様子。
高度の低気圧に人間はどこまで耐えられるかを調べるために、囚人(主にユダヤ人)が実験に使われました。
実験前のもの(左)、実験中苦悩している写真(中)、死亡した囚人(右)と3枚並べて展示してありました。
これを見て、同じ人間がこんなにも残酷になれるものかと、ものすごく憤りを感じました。 -
ところでラッシャー博士夫妻はなぜダッハウ収容所で処刑されなければならなかったのか?
調べていくうちに面白い事実がわかりました。
ヒムラーの愛人を妻に迎えたラッシャー博士、妻の方がかなり年上でにも関わらず、夫妻の間に3人の子供に恵まれます。
ヒムラーはこれをプロパガンダ(宣伝用)に使いました。
ところが4人目を身籠ったとされる夫妻が誘拐罪の罪で逮捕されます。
ヒムラーの期待に応えなければならないというプレッシャーに耐え切れなくなった夫妻は、嘘の妊娠を発表し、つじつまを合わせるために誘拐したのです。
その罪で絞首刑にされました。
それ以前の3人の子供も誘拐の疑いがもたれています。 -
戦争終結に近づくにつれて、前線近くの収容所にいた囚人が大勢移送されてきました。
1つのベッドに何人もの収容者がぎゅうぎゅうに詰め込まれていました。 -
また、敗戦色が濃くなると、収容所には食事や水も殆どなくなり、大勢の囚人で溢れかえり、衛生状態が極めて悪い環境でした。
ノミやシラミが繁殖し、チフスの蔓延で大勢の囚人が死んでいきました。 -
そのころポーランドの絶滅収容所アウシュビッツでは大量虐殺が行われていました。
-
1945年4月29日、ついに連合軍は強制収容所を占拠します。
アメリカ軍に手を振って歓声をあげているダッハウ強制収容所の囚人たち。 -
収容所に入った連合軍はそこで驚くべき光景を目にします。
-
大勢の半狂乱になっている囚人たち(その殆どはチフスに罹っていた)、火葬場の近くにうずたかく詰まれた死体…。
そして、アメリカ軍は39輌の車両におのおの100体以上の遺体が詰め込まれている列車を発見しました。 -
収容所最後のドイツSS隊員たちは、降伏後、鬱憤積もった囚人のリンチや、米兵による銃殺などで多くが処刑されました(ダッハウの虐殺)。
-
アメリカ軍は近隣の住民を収容所に集め、収容所の惨状を公開し、収容所内の清掃をさせたり、遺体の埋葬を手伝わせました。
住民は怒って、自分たちは一切収容所で何が行われているか知らなかった、と述べたそうです。 -
ダッハウ強制収容所の悲惨な様子は全世界に報道された。
-
二度と同じ過ちを犯すまい、というモニュメント
-
何故か印象に残った女性用の洋服。
胸のワッペンはいろんな組み合わせがあり、色や形によって何の罪を犯したのか解かるようになっている。
ユダヤ人は星のマークなので、ユダヤ人ではない。 -
館内の一番奥まった部屋には、ここで亡くなった方の、いろんな思い出の品が飾られていました。
◆◇
ダッハウ強制収容所には、30以上の国々から20万人が送り込まれ、32,000人以上の方が収容所内で死亡しました。
他に約1万人の方が疾病、栄養失調、自殺などで亡くなったそうです。
なお、ユダヤ人は収容者の3分の1弱の数だったそうです。 -
身体中にトゲトゲが刺さって苦悩しているブロンズ像が、強烈な印象を与えました。
◇◆
解放当初、ダッハウでもガス室による大量虐殺が行われていたと報道され、「絶滅収容所」と思われていましたが、ダッハウにあるガス室は使われていなかったことが判明しました。 -
各国の言葉で書かれた追悼の言葉
◇◆
かって囚人として捕らわれていた人の間から、この収容所で行われたことを記憶に残しておこうとの声が上がり、ここは記念館として残されることになりました。 -
深く考えさせられたダッハウ収容所訪問でした。
収容所前からバスに乗り、電車で乗り継ぎ、ミュンヘン市内に戻ります。
とても長ったらしい私の研究発表でした。
写真がヘタで見難いにも関わらず、最後まで読んでくださってありがとうございます。
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この旅行記へのコメント (13)
-
- SISIさん 2020/01/29 20:23:28
- ダッハウ、行ってきました。
- 1月26日 日曜日でお店が休みということを前日に気づき、どこに行こうかと悩み、以前ベルリンに行った時もアウシュビッツに行きそびれたし・・・。たまたま27日がアウシュビッツ解放の75年目と行くことでテレビで特集の予告もあっていたので「行ってみよう!」と思い、予習してからとたまたまこちらのブログを拝見して、写真とたいへん詳しい説明をつけていただいていて、非常に助かりました!まず私の英語力では半分以下の理解力だったでしょう。
門を入って右奥の長い牢獄の建物は、誰も見学していないのかと思って足を踏み入れるのが怖かったです。(中から話声が聞こえたので後から入れました。)
本当に今の平和な世の中が当たり前と思える時代に生きていることに感謝です。
- frau.himmelさん からの返信 2020/01/30 19:20:24
- RE: ダッハウ、行ってきました。
- SISIさん、こんばんは。
ダッハウにいらっしゃったとのこと、私の旅行記が少しでもお役に立ったのでしたら嬉しいです。
随分前の旅行記なので、間違い勘違いも多かったと思いますし、また展示方法もあの頃と変わっていませんでしたか?
私ももう一度ダッハウを訪れてたいと思いつつなかなか行けません。
アウシュヴッツへ行けなくて残念でしたね。
強制収容所解放75年目ですか。
ドイツ中、いえヨーロッパ中にナチスによって建てられた強制収容所が至る所にありますが、何年経とうとあの恐怖政治の犠牲者のことは風化させてはならないと思います。
SISIさんのダッハウ旅行記、是非拝見したいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
himmel
- SISIさん からの返信 2020/01/30 22:40:17
- Re: ダッハウ、行ってきました。
- お返事ありがとうございます。
写真を撮ることがはばかられる気持ちがあって、4、5枚しか撮れませんでしたが私なりに旅行記を作ってみますね。
まだドイツへ行く予定がなかった昨年末辺りに、たまたまヒトラー・ユーゲントやゲッペルス夫妻等のドキュメンタリーが続いて放送されていたのを視聴していたので、いろんな時代背景も思い出しつつ・・・。
次回はぜひアウシュビッツも訪れたいと思います。
ありがとうございました。
-
- taka9244さん 2017/03/19 05:25:28
- 本日、ダッハウに行ってきました。
- 一人で行ったのですが、前日にブログ読ませていただいたお蔭で、全くスムーズに行けました。英語での解説の理解も比較的楽にできました。有難うございます。本日は、小雨が降っていて、非常に寒く厳しかったので、当時のより厳しい状況に思いをはせました。子供たちがたくさん来ていて、2度と戦争を起こしてはいけないと学習しているのだと思います。
- frau.himmelさん からの返信 2017/03/20 20:59:50
- RE: 本日、ダッハウに行ってきました。
- taka9244さん、こんばんは。
返信遅くなって申し訳ありません。
ダッハウにいらっしゃったんですか?
私の旅行記をご覧になって、次の日にいらっしゃったとのこと。
もう数年前に書いた旅行記ですが、勘違いや間違いなどなかったかなーと赤面の至りです。
何か間違っているところがありましたら、教えてくださいね。
あの旅行記、おかげさまで私の中では来訪者がいつもトップの旅行記なのです。
間違いがあったら恥ずかしいので・・(笑)。
taka9244さんも旅行記をお出しになりましたら、訪問させていただきますね。
himmel
-
- norisaさん 2012/03/28 19:52:13
- 筆舌にーーー
- frau.himmelさん、
こんばんわ。
旅行記拝見しました。
しかし、強制収容所とは耳にしたことはあったのですが、これほどとは。
筆舌に尽くしがたい衝撃でした。
しかし、これも現実、」東日本大震災も現実。
現実直視が苦手な?自分にはよい勉強になりました。
お疲れ様でしたーー。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2012/03/31 08:48:48
- RE: 筆舌にーーー
- norisaさん、おはようございます。
再度のコメントをありがとうございました。
ここ2,3日忙しくしていてパソコンを見なかったものですから、
返信が遅くなり申し訳ありませんでした。
ダッハウ収容所編を見ていただいたのですね。
ヨーロッパにはきれいなだけでなく、こういった負の歴史もいろいろあります。
私はアウシュビッツ強制収容所にも訪れましたが、ここはもっと目を背けたくなる場所でした。
でも、ヨーロッパに行ったら、きらきら輝く建物や歴史だけではなく、こういった重い歴史も受け止めなければと思っています。
> しかし、これも現実、東日本大震災も現実。
ほんとにそうですね。天災と人災の差こそあれコレがまぎれもない現実なんですね。
これからも私はヨーロッパの負の歴史を探る旅をしたいと思っています。
ちょっと重たい旅行記になりますが、よかったら覗いてください。
norisaさんもずいぶん辛口の旅行記を書いていらっしゃいますね。
でも、ソーダ、ソーダ!と共感する部分も多くて、とっても心地よいです。
後ほどおじゃまさせていただきます。
himmel
-
- カメちゃんさん 2011/07/03 18:20:54
- 歴史に学ぶ
- frau.himmelさん こんにちは〜(^^)
しばらくご無沙汰してしまいましたが、ダッハウの旅行記が載せられていましたね(^^)
お話をお聞きし、御写真を拝見していますと、frau.himmelさんの真剣なお姿が目に浮かぶようです。
私のダッハウの思い出はだいぶ薄れてしまいましたが、そこで買ってきた英文資料が私の思い出の支えとなっていました。
今回のfrau.himmelさんのとっても詳細な旅行記で、あの時のことを思い出させていただき、嬉しい限りです。また、お話を聞かせていただくほどに、改めて歴史に学ぶことの大切さを教えていただきました。
あの「人体実験」をした博士が、ヒムラーの愛人を押しつけられ?結局は収容所で夫婦共々処刑されたという狂気!!そういう意味でも、恐ろしい時代でしたね。
あの戦争とホロコーストが終わって半世紀が過ぎようとした頃から、「ホロコーストはなかった」とか、「戦争慰安婦は女性が自ら行った」というような議論が増えてきて、「戦争への過程と戦争そのものから何を学び、再び戦争を起こさないために、何をするのか」という議論に水をかける状況がありますね(-_-;)
また、ナチ時代を反省するドイツの姿勢を、キリスト教とかの別の角度から揶揄する話もありますが、誰がどうであれ「戦争を許さない」という観点からかけ離れているような気がしてなりません(>_<)
ダッハウ強制収容所をはじめ、あれほど多数の強制収容所があったという事実。虐殺であれ栄養失調や感染症による死であれ、強制収容所であったればこそ起き得た「殺人」には変わりないですね。人が追い詰められていった事実そのものと、真剣に向き合いたいものと思っています。
強制収容所や無差別爆撃、補給無き作戦の強行と玉砕という名の地獄・・
あの戦争から学ぶものは、尽きることが無いと思います。
なんか、ついつい真剣になってしまいました。 お許しくださいね。
それでは、また・・
カメちゃん
- frau.himmelさん からの返信 2011/07/05 21:18:16
- RE: 歴史に学ぶ
- カメちゃんさま こんばんは。
お久しぶりです。
さて、ダッハウ強制収容所の大先生であるカメちゃんさまに、私のつたない旅行記を読んでいただき恥ずかしい限りです。
今回は、かめちゃんさまの旅行記をずいぶん参考にさせていただきました。ありがとうございます。
内容が内容だけに、真剣に取り組んで旅行記にしたつもりなのですが、悲しきかな、文才がないものですから、思うことの半分も表せなかったことが悔しいです。
せめてカメちゃんさまの半分でも表現能力が備わっていたら…、カメちゃんさまの旅行記を拝見させていただいていつも思っています。
それでも、調べていくうちに、本題にはない隠されたいろんなことが解かってくるに従って、本当に歴史って面白いな…と思います。
例えば、
> あの「人体実験」をした博士が、ヒムラーの愛人を押しつけられ?結局は収容所で夫婦共々処刑されたという狂気!!そういう意味でも、恐ろしい時代でしたね。
これも展示写真の中に場違いなタイツ姿の写真があり、これは誰だろう?と疑問を持つことから始まりました。
> あの戦争とホロコーストが終わって半世紀が過ぎようとした頃から、「ホロコーストはなかった」とか、「戦争慰安婦は女性が自ら行った」というような議論が増えてきて、「戦争への過程と戦争そのものから何を学び、再び戦争を起こさないために、何をするのか」という議論に水をかける状況がありますね(-_-;)
これとて、歴史を勉強していないと、こういう議論も反論も理解出来ないわけですよね。
> また、ナチ時代を反省するドイツの姿勢を、キリスト教とかの別の角度から揶揄する話もありますが、誰がどうであれ「戦争を許さない」という観点からかけ離れているような気がしてなりません(>_<)
カメちゃんさまのダッハウ旅行記を拝見したときにも感じましたが、この1文にカメちゃんさまの「戦争を許さない」という悲痛な叫びが聞こえてくるようです。
> ダッハウ強制収容所をはじめ、あれほど多数の強制収容所があったという事実。虐殺であれ栄養失調や感染症による死であれ、強制収容所であったればこそ起き得た「殺人」には変わりないですね。人が追い詰められていった事実そのものと、真剣に向き合いたいものと思っています。
本当にそうですね。虐殺であれ、栄養失調や感染症による死であれ、または追い詰められた自殺であれ、そこに強制収容所がなかったら起りえなかったことですね。あれほど大量の死者は出なかった、あれほどまでの残虐な行為はなされなかった、人間としておぞましい狂気はなかった、はずですね。
> なんか、ついつい真剣になってしまいました。 お許しくださいね。
いえいえ、大変うれしかったです。私のつたない旅行記を真剣に読んでいただいたと思うと…。
これからもよろしくお願いいたします。
himmel
-
- パンジーさん 2011/06/29 17:07:22
- 渾身のレポート
- ダッハウ強制収容所、
名前はよく聞きますが 恥ずかしながら
これほど悲惨な歴史があった場所だとは知りませんでした。
読んでいて体が震えました。
himmmelさんのレポートがわかりやすくて
知識のない私のような者にも残虐で重い事実がストレートに伝わってきました。
コメントにも書かれていますが
写真が何よりも雄弁に物語っていますね。 パンジー
- frau.himmelさん からの返信 2011/07/01 22:05:02
- RE: 渾身のレポート
- パンジーさま、何度もコメントありがとうございます。
> ダッハウ強制収容所、
しかも、この重たい旅行記を読んでのコメントをいただいてありがとうございます。
最近、このようなテーマに興味を持つようになって、調べていくうちに次々と疑問が出てきて、なかなか前に進まない旅行記をもどかしく思いながら書いています。
本当にこのような残虐なことがあったのですね。
私の文章力では、博物館で見て感じたことの100分の1も表せなくて、とても悔しいです。
himmel
-
- 近鉄バッファローズさん 2011/06/26 18:26:39
- 気付いた点です
- frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
GWの旅行記を拝見中です。気付いた点を申し上げます。
「2011GW(3)ダッハウ強制収容所を訪ねて」にある
「カトリック教徒の教会」の下にある写真の建物ですが、
ここはプロテスタント系の教会で「Evangelische Versoehnungskirche」
と言うそうです(Versoehnung=「和解」)。
http://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/station12.html
火葬場は違うところにあります。私も行ったことがありますが、
管理棟や収容所等のある敷地から橋を渡った小さな敷地にありました。
http://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/station11.html
改めて拝見して、私の記憶には残っていない展示もあり、
もう一度行っても新たな発見があるのかも知れない、と思いました。
バス停が新しくなったり、案内所が出来たりしていて
その変貌にも驚きました。有り難う御座いました。
何かの御参考になれば幸甚です。
- frau.himmelさん からの返信 2011/06/26 21:47:56
- RE: 気付いた点です
- 近鉄バッファローズさま お帰りなさい。
ドイツ旅行は如何でしたか?
さて、お帰りになった早々、添削をしてくださってありがとうございます。
> 「カトリック教徒の教会」の下にある写真の建物ですが、
> ここはプロテスタント系の教会で「Evangelische Versoehnungskirche」
> と言うそうです(Versoehnung=「和解」)。
> http://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/station12.html
そうだったんですね。早速修正いたしました。
私は、あの建物の構造からして、てっきり火葬場だと思いこんでしまいました。あそこで何万人もの方が焼かれたと思うと、なんとなく近寄る勇気がなくて…、避けてしまった場所でした。
バッファーローズ様のご指摘がなかったらいつまでもそう思い込んでおりました。ありがとうございます。
> 火葬場は違うところにあります。私も行ったことがありますが、
> 管理棟や収容所等のある敷地から橋を渡った小さな敷地にありました。
> http://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/station11.html
じゃ、私は火葬場のほうには足を延ばしておりません。
ゆっくりと時間をかけて見た割には、肝心なところは見ていませんね。
やはりそれが個人で勝手に見て回ることの弱点です。
ツアーでは肝心なところはちゃんと連れて行ってくれますものね。
貼り付けてくださったこのサイト良いですね。ドイツ語がもう少し理解できたら…、と悔しいです。
まだ私の勝手な解釈や間違いがあるかと思います。
お気づきになられましたら、引き続きご指摘くださるとうれしいです。
近鉄バッファローズさまの旅行記を楽しみにしています。
himmel
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