2009/05/28 - 2009/05/29
1107位(同エリア3041件中)
ベームさん
ランツベルクの続きとミュンヘンです。
ミュンヘンのアルテ・ピナコテークの収蔵品をいくつかご紹介します。フラッシュ撮影禁止なのでうまく撮れていませんが。
ミュンヘン:バイエルン州都。人口130万、ドイツで3番目。ちなみにドイツで人口100万人以上の都市はベルリン、ハンブルク、ミュンヘンとケルンの四つだけ。
1158年、ザクセン兼バイエルン大公ハインリヒ獅子王が白い黄金といわれた塩やその他の交易を独占する為、全ての商品が集中するようミュンヘンの町を建設した。他の町に通じる道路や橋を破壊したとも言う。1180年ハインリヒ獅子王失脚によりヴィッテルスバッハ家がバイエルン大公となり、以後第1次世界大戦後の1918年の王制廃止まで同家の支配が続いた。
町は第2次世界大戦の空爆で壊滅、今見る建物はほとんど戦後の再建とのこと。
写真はランツベルクのバイエルン門。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
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ランツベルク。
⑱:バイエルン門。
⑬:聖十字架教会。
30:フォルデラー・アンガー通り。
32:魔女の塔。
31:レストラン・アム・ヘクセントゥルム。
24:ヘルコマーの母の塔。
20:ノンネン塔。 -
ランツベルク:マルクト広場のシュマルツ塔をくぐりだらだら坂を上っていくとバイエルン門が見えてくる。
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ランツベルク:バイエルン門の外側、町の入口。地図⑱.
1425年。南ドイツで一番美しい門、と言われている。36m。 -
ランツベルク:バイエルン門。
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ランツベルク:バイエルン門。
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ランツベルク:バイエルン門から。聖十字架教会に遮られ町の中心は見えない。
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バイエルン門の上から。
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ランツベルク:バイエルン門から下り聖十字架教会へ。地図⑬.
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聖十字架教会。
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ランツベルク:聖十字架教会。
中には入れず扉から覗いただけ。 -
ランツベルク:聖十字架教会。
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ランツベルク:聖十字架教会。
素晴らしいフレスコ画。 -
ランツベルク:メインストリートフォルデラー・アンガー通り。地図30.
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ランツベルク:町なかを流れる水路。
レヒ川から流れ込んでいて水量が豊かだ。 -
ランツベルク:ドイツの古い町には必ず一つや二つはあるヘクセントゥルム/魔女の塔。地図32.
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ランツベルク:夕食。地図31.
その名もレストランアム・ヘクセントゥルム(魔女の塔)、魔女の塔の横にある。シュヴァーベンなんとかという郷土料理、ビールとワイン。22ユーロ。 -
レストランアム・ヘクセントゥルムの店内。
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翌5月29日。
朝のランツベルク。
ミュンヘンに発つ前に少し散歩する。天気がよく気持ちがいい。 -
ランツベルク:朝日に輝くマイバウム。5月の木。
5月1日、長い冬が終わり春を迎えたドイツの町や村では大きな木を切ってきて広場に立て、その周りで歌ったり踊ったりした。木には郷土の民族衣装を着た人形とか土地の商工業などを表した板を取り付けたりする。1年中立てているところもある。1番大きなのはミュンヘンのヴィクトアーリエンマルクトに立っているものかな。 -
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ランツベルク:ノンネン塔(修道女または尼僧の塔)。地図20.
14世紀後半。 -
ノンネン塔。
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ランツベルク:ホテルで荷物を受け取り駅へ向かう途中、ヘルコマーの母の塔。地図24。
画家ヘルコマーが1888年、アトリエ兼母の思い出のために建てた。レヒ川の対岸にある。 -
ランツベルク:母の塔。
旧市街地のの対岸、橋から5分ほど歩いたところ。 -
ヘルコマーの母の塔。
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母の塔 1884~1887年 フーベルト・ヘルコマーにより建設。
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5月29日、10日目。ランツベルクからミュンヘンへ。
赤の車両はDB・ドイツ鉄道のシンボルカラー。 -
ミュンヘン中央駅。
ランツベルク発9:46、カオファリンクで乗り換えミュンヘン着10:41。
ミュンヘンに来るとなぜかほっとする。3回目だから。 -
ミュンヘン中央駅前。
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ホテルダーハイム。
ミュンヘン中央駅の近くなので選んだ。見掛けは立派だが中身はおそまつ、従業員の応対もよくなかった。 -
ミュンヘン:トラム17番線。
ホテルに荷物を置きニンフェンブルク城へ行く。
車内で大きな男がいきなり私に向かって”チケチケ”と言う。一瞬何のことか分からなかったが、身分証明書みたいなのを目の前に突きつけたので検札だと分かった。ちゃんと3日間乗り放題券を買っていたのでそれを見せる。外国で無賃乗車なんてこわくて出来ない。鉄道でも電車、バスでも改札が無い代わりに突然車内で検札がやってくる。無賃乗車が見つかったら目の玉が飛び出る事になる。私だけが検札を受けたのはあやしい東洋人と見られたか。
某国人のグループが相も変わらずうるさい。 -
ニンフェンブルク城に続く水路。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
トラムの停留所から数分、突然眼前に広がる美しい風景。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
1枚の写真には納まらない。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
妖精の城。ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮。
1664年選帝侯フェルディナント・マリアと皇妃アデレートにより建築が始まり19世紀半ばまで増改築が行われた。ノイシュヴァンシュタイン城を造ったルートヴィヒ2世はここで生れている。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
庭園側。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
美人画ギャラリー。ルートヴィヒ1世(あの狂王ルートヴィヒ2世の祖父)好みの36人の美女の絵を展示してある。 -
美人画ギャラリー。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
美人画ギャラリー。さすが美人揃い。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
美人画ギャラリー。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
美人画ギャラリー。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
美人画ギャラリー。左下がローラ・モンテス。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
ローラ・モンテス。踊り子。ルートヴィヒ1世に愛され、リストなどとも浮名を流したが最後はアメリカまで流れ寂しく死んだ。ルートヴィヒ1世はこのスキャンダルがもとで退位するはめとなった。 -
ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城の広大な庭園。
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ミュンヘン:ニンフェンブルク城。
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Uバーン、ケーニヒスプラッツ駅。
トラムで中央駅に戻り地下鉄で一駅。 -
ミュンヘン:市立レーンバッハギャラリー。
画家でもあったレーンバッハ侯爵の邸宅。カンディンスキーはじめ「青の騎士」グループの作品が収められている。 -
ミュンヘン:ケーニヒス広場のプロピュレーエン門(装飾的な門)。
アテネのアクロポリスにある門の名を模した。 -
ミュンヘン:ケーニヒス広場の古代彫刻美術館。
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ミュンヘン:ケーニヒス広場の古美術品収集館。
ケーニヒス広場は門とこの二つの建物に囲まれなにやらギリシャに迷い込んだような気分になる。 -
ミュンヘン:アルテ・ピナコテーク。
ケーニヒス広場から歩いて数分。トラムだとカールス広場で27番に乗りピナコテーケン下車。入館料大人6ユーロ。窓口の人が何歳か?と訊くのでOO歳だと答えると60歳以上老人割引で4ユーロとなった。
15~18世紀のヨーロッパ絵画、デューラー、ルーベンス、クラーナハ、ホルバイン、ブリューゲルなどの絵が充実している。
1836年ルートヴィヒ1世により設立。 -
アルテ・ピナコテーク
デューラー「四人の使徒」。
左からヨハネ、ペテロ、マルコ、パウロ。
以下の絵の題名は通常日本で呼びならわされているのと違うのもあるかもしれません。 -
アルテ・ピナコテーク
デューラー「自画像」。1500年。 -
アルテ・ピナコテーク
クラーナハ「ルクレチアの自害」
ルクレチアとは紀元前6世紀ころのローマの婦人で貞女の鑑。 -
アルテ・ピナコテーク
デューラー「ルクレチアの自害」
ローマ王家の1員の凌辱に抗議して自殺したルクレチアの行動はローマ共和制建国の引き金となった。 -
アルテ・ピナコテーク。
クリエン「寓意の女性」、適当な訳です。 -
アルテ・ピナコテーク
ラファエロ「カニジアーニの聖家族」 -
ラファエロ「テンピ家の聖母」。
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アルテ・ピナコテーク
ラファエロ「垂幕の聖母」 -
フィリッポ・リッピ「聖母子」。
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アルテ・ピナコテーク
ダ・ヴィンチ「カーネーションの聖母」 -
ヴェロネーゼ「聖母子と寄進者」。
聖母子像の名画が一堂に会しています。 -
アルテ・ピナコテーク
ファン・デル・ヴァイデン「聖母を描くルカ」 -
ケルニッシュ「玉座についているマリアと幼子」。
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アルテ・ピナコテーク
ロホナー「幼児キリストとマリア」。
ケルン派の画家、大好きな絵です。 -
ロホナー「合掌の聖母」。
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ロホナー
左:聖アントニウス、教皇コルネリウス、マグダレーナ。
右:聖カタリーナ、フベルトゥス、キルニウス。 -
アルテ・ピナコテーク
ルーベンス「最後の審判」 -
アルテ・ピナコテーク
ルーベンス「ロイキッポスの娘の掠奪」 -
アルテ・ピナコテーク
ルーベンス「美徳の英雄の戴冠」、適当に訳したもので日本での通称名は分かりません。 -
アルテ・ピナコテーク
ルーベンス「死にゆくセネカ」 -
アルテ・ピナコテーク
ルーベンス「花輪の中の聖母子像」 -
アルテ・ピナコテーク
ルーベンス「スイカズラの木陰のルーベンスと妻イザベラ・ブラント」。1609年頃。 -
アルテ・ピナコテーク
ルーベンス「結婚衣裳を着たエレーヌ・フールマン」 -
アルテ・ピナコテーク
レンブラント「キリスト昇架」、「キリスト降架」 -
キリスト昇架
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キリスト降架。
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アルテ・ピナコテーク
フィリッポ・リッピ「受胎告知」 -
アルテ・ピナコテーク
リッピの弟子作?「受胎告知」 -
アルテ・ピナコテーク
メッシーナ「受胎告知のマリア」 -
レーニ「聖母被昇天」。
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アルテ・ピナコテーク
聖女ヴェロニカの画家「聖顔布を持つ聖女ヴェロニカ」 -
アルテ・ピナコテーク
アルトドルファー「イッソスの戦い/アレクサンドロスの戦い」
軍勢の細密描写がすごい。 -
「イッソスの戦い」部分。
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アルテ・ピナコテーク
祭壇画 中央:死のマリア。 -
アルテ・ピナコテーク
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アルテ・ピナコテーク
グリューネヴァルト「聖エラスムスと聖マウリティウス」 -
アルテ・ピナコテーク
ホントホルスト「愉快な仲間」 -
アルテ・ピナコテーク
ホルバイン「聖セバスティアヌスの祭壇画」 -
アルテ・ピナコテーク
ファン・ダイク「紳士と婦人像」 -
アルテ・ピナコテーク
ティチアーノ「皇帝カール5世」。終生マルチン・ルターの敵だった。 -
アルテ・ピナコテーク
デ・ラ・クルス「スペイン王女クララ・エウヘニア」 -
アルテ・ピナコテーク
フラゴナール「マリー・マドレーヌ・ギマール」 -
アルテ・ピナコテーク
ブーシェ「ソファーに臥す少女」 -
アルテ・ピナコテーク
ブーシェ「ポンパドゥール侯爵夫人」。
1756年作。ルイ15世の愛妾。 -
アルテ・ピナコテーク
ナティエ「フローラに扮したバリオン侯爵夫人」
1746年作。当時最も美しい女性と言われた。 -
アルテ・ピナコテーク
ブリューゲル「怠け者の天国」 -
アルテ・ピナコテーク
ブリューゲル「農民の結婚式」 -
ムリーリョ
左:果物売りの少女。
右:ダイス遊びをする子供たち。 -
ムリーリョ
左:パイを食べる子供たち。
右:葡萄とメロンを食べる子供たち。 -
アルテ・ピナコテーク
ムリーリョ「葡萄とメロンを食べる子供たち」
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