2010/11/03 - 2010/11/08
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北京で行われたフィギュアスケート2010年グランプリシリーズ第3戦中国杯を見てきました。
第4集は紫禁城・内廷と夜の前門大街あの乾隆帝がその味に感動して名前をつけたという焼売で有名な都一処(本当はむずかしい漢字)を紹介します。
第1集 中国国際航空 関西〜北京
http://4travel.jp/traveler/easytravel/album/10523631/
第2集 王府井小吃街、でも吉野家
http://4travel.jp/traveler/easytravel/album/10524213/
第3集 紫禁城・外朝
http://4travel.jp/traveler/easytravel/album/10544732/
- 旅行の満足度
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前週に引き続きまして、紫禁城をご紹介しています。
ここからは、皇帝の私邸となります内廷をご紹介します。
まず、見えてまいりましたのは「後三殿」乾清宮、交泰殿、坤寧宮と続いています。 -
まずは入り口「乾清門」です。小振りですが、「太和門」と似ています。
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やはり、助さんと
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格さんを従えています。獅子像です。
玉を持つのが雄(↑の獅子)、そして子獅子と遊んでいるのが雌(←の獅子)。子獅子?足で踏んづけています。 -
「乾清門」をくぐります。
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「乾清門」をぬけて「乾清宮」です。もともとは皇帝の寝室でしたが、寝ているときに宦官に襲われたとかで雍正帝以降はあとでご紹介する「養心殿」で寝泊りされたそうです。
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せっかくなので、角度をかえてどうぞ。なんと寝室が27部屋もあるそうです。寝る部屋を毎日変えることで身を守ったそうです。
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定番のうんちくですが、漢字と満州語でかかれた看板です。
満州族は文字をもってなかったので、モンゴル文字をアレンジして自分たちの書き言葉としました。あれ、満州族と漢族は何語でハナシをしていたのでしょう・・・? -
定番ですが、玉座です。
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せっかくなので、角度をかえてどうぞ。
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せっかくなので、角度をかえてどうぞ。
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「正大光明」の扁額です。見るたびに意味もなく公明党を思い出します。
皇帝が跡継ぎの名を書いてこの額の裏に置いておき、死んだ後に公表する(密勅立太子といいます)ハナシは定番の解説ですね。
じつはこの方法で指名を受けて皇帝となったのは3人ほどでしかありません。ある皇帝は存命中に譲位し院政をしいたり、西太后がえばっていた時代には皇帝自体に嫡男ができず、親戚縁者から都合のいいがきんちょを西太后が指名しました。 -
「交泰殿」です。
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満州語でかかれていますが、文字はモンゴルから借りてました。
そのモンゴルは今ではロシアなどが使っているキリル文字を使用しています。 -
「交泰殿」の内部です。布に覆われているのは印です。大きければ大きいほどよいとされていました。
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「後三殿」の東西には東六宮・西六宮があります。ここはその境い目です。
東西六宮は皇后や皇太后などの住まいがありました。東の方が格が上です。西六宮で有名なのが慈禧太后(じきたいこう)西太后です。彼女は咸豊帝の妃で皇后ではありませんでした。つまり格が上の東六宮には住めなかったのです。
今となっては西六宮の方がエラク豪華な宮になっています。 -
西側に「養心殿」があります。
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助さんと
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格さんが居るので、重要な建物です。
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「交泰殿」での寝泊りをやめた皇帝はこちら(前殿)で公務を行ってました。この建物つづきに寝泊りする部屋(後殿)が続きます。
ちょうどこの左側で垂簾政治が行われていました。
ご参考にどうぞ http://blogs.yahoo.co.jp/sue0504jp/49336817.html -
玉座です。最後の皇帝溥儀は一度退位しましたが、袁世凱が死んだあとまわりにのせられて再度即位をしました。そのときはこちらの建物で即位が行われました。このとき最初に即位をした「太和殿」は中華民国に接収されていました。即位するも13日後には・・。
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いつわりの皇帝が玉座に座ると落ちるという玉(名前は忘れました)です。
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これ食堂です。
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何だと思います?
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これに水を入れると化学反応でいっきに水が沸騰します。
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その上に真空パウチのごはんとおかずをのっけて温めます。
味は・・・。いや、無理だって。ごはん戻ってなかったもん。 -
あちらこちらの部屋に
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いろんな懐かしい
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品々が
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展示してあります。
あっ、これはベット(小さいでしょう!)当時の生活をしのばせます。 -
輿です。たしか皇后用だったと思います。
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こちらは、京劇好きな西太后が作らせた京劇舞台です。
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こちらは東六宮にある「水晶宮」クリスタルパレスとよばれる建物です。
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わかりずらいのですが、ここに水をはっていたそうです。
東六宮は西に比べると地味ですね。観光客も少ないです。 -
「後三殿」の裏手がわにある御花園といわれる庭があります。
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ここにも、助さんと
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格さんが。「かいち」という中国の伝説上の動物です。
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よくわかりませんが、この前でたくさんの観光客が写真を撮っていました。
二本の木が交じりあって、縁起よいのでしょうか。 -
丸屋根の建物は「千秋亭」せんしゅうていといいます。
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これ奇岩を積み上げた築山です。上まで登れるそうですよ。
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もうそろそろ北の端です。この門は「順貞門」じゅんていもんといいます。
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これが北側の大門の「神武門」です。この裏側に大きく「故宮博物院」とかかれた看板がかかっています。
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紫禁城が黄昏れてきました。閉院まであと30分。いまきた道をいっきに下ります。
「乾清宮」です。 -
前三殿「保和殿」の裏側です。
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「太和殿」です。すごいでしょ!人が写っていません!!
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「太和殿」です。
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さらにはなれて「太和殿」です。黄昏れてるぅ〜。
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「太和門」です。観光客がいないので、得した気分です。
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助さんと
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格さんにさようならを言います。
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「午門」の裏側です。「太和門」から見たところです。
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そして、「天安門」です。走ったので汗が・・・。閉門前ぎりぎりでした。
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天安門広場へ行くと何やら・・・
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旗を降ろす儀式:国旗降納のようです。
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これも任務なんです。
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「天安門」の前の長安街を車を止めて軍隊がやってきます。
おぼえていますか?
http://4travel.jp/traveler/easytravel/album/10544732/
でご紹介した軍隊はこの人たちだったのです。 -
「天安門」の前の長安街を車を止めて軍隊がやってきます。しつこい?
おぼえていますか?
http://4travel.jp/traveler/easytravel/album/10544732/
でご紹介した軍隊はこの人たちだったのです。 -
「天安門」の前の長安街を車を止めて軍隊がやってきます。くどい?
おぼえていますか?
http://4travel.jp/traveler/easytravel/album/10544732/
でご紹介した軍隊はこの人たちだったのです。 -
♪国歌が流れてきました。
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掃除の手を休めて、しばし・・・
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写真のUP枚数も多くなり恐縮ですが、これだけ紹介させてください。
焼売の有名店大柵欄にある「都一処」(三文字目はあて字)
乾隆十七年(西暦1752年)に乾隆帝がお忍びで立ち寄ってその味を絶賛したとうお店です。 -
乾隆帝が名もなかったこの店を「都一処」と名づけ自ら書を贈ったそうです。
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そのときを再現したモニュメントが
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そしてこの方が乾隆帝です。
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お店の様子
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コースらしきものを注文しました。
まずは前菜。叉焼ときゅうり・トマトです。見たらわかるか。
叉焼はどくとくのクセもなく美味しかったです。 -
続いて、きびのお粥です。おなかにやさしいです。
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帆立貝に香味油をかけたもの。絶品です。
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そして、メインの四種の焼売です。
これで、70元ぐらいだったかなぁ。日本円で900円弱ぐらい。 -
すっかり遅くなってしまいました。
明日(次集)は、オリンピック大街を歩き、北京民族博物院(大ハズレ)を見学します。そしてフィギュア中国杯は男女ともショートプログラムの紹介です。是非ご覧ください。
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