2009/09/09 - 2009/09/13
2531位(同エリア2893件中)
えるさん
ミュンヘンと言えば、映画『ミュンヘン』やヒトラーのドイツ進出の中心拠点となったという、どちらかと言えばシリアスなことしか思い浮かばない。
市役所(Rathaus)内部のゴシック様式の均質性を見たとき、アーチの曲線美からうかがえる均質性が面白くてたまらなかった。
だが、それもつかの間。やがて、それは少しだけ俺を退屈にさせた。
手の込んだ独自性というよりも、大量生産を思わせる均質性に味気なさを感じたからだ。
大量生産のプロセスを使って、それをアートに内在化したのはポップアートの先駆者であるアメリカのアンディー・ウォッホルだ。スープの缶やマリリン・モンローの絵で有名なあの人です。
そう考えると、「大量生産」とゴシック様式を結ぶには論理的な飛躍がある。
だが、何だろうか、あの味気ない感じは。。。
ミュンヘンには「ピナコーク」という有名な美術館がある。
地理的に見ればヨーロッパの中心と言えるミュンヘンは様々に異なるヨーロッパ文化の橋渡しとしての役割を担っていたのだろうか。
もう少し、滞在したかった。
☆★欧州一人旅2009★☆
ウイーン編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376325/
セルビア編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376747/
ブダペスト編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376748/
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
PR
-
市庁舎
-
取材!
-
-
-
ドイツ博物館へ行く。
-
こんなかんじでさまざまな乗り物が展示されている。
乗り物好きにはたまらない博物館であると思います。 -
ユースホステルで出会った日本人同士でビールを飲みに行く。
みな学生ということもあり、すぐに仲良くなる。
Y君はルーマニアを旅してからミュンヘンに来た。
S君はフランスの語学学校で短期留学をして、ミュンヘンに遊びに来た。
YさんとMさんは卒業旅行
同じ国の国民同士が会った瞬間に仲良くなるのは日本人くらいなのか…?
でも、こういうことは良いと思う。
次の日はこのユースホステルに備え付けてあるバーでアメリカ人の学生と飲みながら語る。
そこでも、日本人の人がいたけど、英語ができていなかったから僕とその学生だけがずっと話していた。
Euro Youth Hostel
http://www.euro-youth-hotel.de/jp/rooms/ -
ミュンヘン中央駅
これからノイシュヴァンシュタイン城に向けてFussenという町まで行きます。
片道がなんと2時間ほど -
畑が広がっています。
-
乗り換えるために途中下車する。
-
♪せ〜〜んろはつづく〜〜よ〜〜ど〜〜こま〜で〜も〜〜♪
-
Fussenの街並み
-
少年たち
-
ノイシュヴァンシュタイン城
残念ながら工事中 -
-
ノイシュヴァンシュタイン城
-
-
ノイシュヴァンシュタイン城から見た風景
-
キッチン
-
馬
-
-
今度は別な日本人女の子二人組からもらった。パリで買ったワイン。
彼女たちはノイシュヴァンシュタイン城かオーストリアのザルツブルグのどちらかに行くか迷っていたが、ノイシュヴァンシュタイン城に行くのが大変なことを語ったらザルツブルグに行くことに決めてしまった。 -
とうとう帰国日だ。
だが、この日は風邪を引いて死にそうに頭が痛い。
果たして無事に日本にたどり着くか?? -
2週間におよぶ欧州旅行が終了した。
いろいろ見れて良かった。
モノが簡単に手に入る点では日本と変わりは無い。
感想①:旧ユーゴ諸国を見て
今回の目的は旧ユーゴ諸国(ボスニアとセルビア)の今を見ることだった。
旧ユーゴ諸国は紛争から20年もたっており、今となってはいついつ死ぬか分からない「危険な国」から明日のことを考える余裕のある「普通の国」になっている印象があった。
ただ、交通の便や豊かさといった経済成長を主体とした外面的な立ち直りで総体的な判断を下すことは短絡的だと思う。
ボスニア国内にはモスクやビルの壁にいまだに銃弾の跡が痛々しく残っている。
さらに、忌々しい内戦や虐殺の記憶も遠くない過去に起きた。
「過去を忘れず、未来へ向かう」
これは日本が歴史を考えるときによく言われる「未来志向」の言葉だが、
この悲惨な過去を記憶にとどめることが、一体どれだけの苦しみをもたらすのだろうか。
想像しがたいことだ。
ボスニア編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376746/
セルビア編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376747/ -
感想②:日本とヨーロッパ、そしてアジア
日本と西洋のつながりが急速に増したのはご存じの通り、幕末にかけてからである。
明治政府の早急な近代化(=西洋化)を進めるために、
国民の意識は尊王攘夷から脱亜入欧となった。
これまで、遣隋使の時代から幕末に至るまで、日本の国家形成の参照となるのは中国であった。
2010年で平城京遷都1300年になるが、その平城京のモデルは中国の長安である。
儒教的な規範システムは日本の精神文化を形成する重要な要素となった。
これらを否定してまで、進めた近代化の精神は「日本は他のアジア諸国より優位だ」という意識までも作りだしたように思える。
ミュンヘンのユースホステルで、出会った日本人の大学生(男)が「中国人は好きではない」と言った。
でも、彼は「国際交流」が好きなのである。
彼にとって想像しうる範囲での外国とは欧米諸国なのだろう。
だが、欧米人と仲良くして、アジア人を見下すことが国際交流には思えない。
欧米に憧れをもちつつ、アジアを見下す。
コンプレックスと優位感
これは少し古いのではないだろうか?
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ミュンヘン(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
25