2009/09/01 - 2009/09/04
696位(同エリア960件中)
えるさん
ボスニア・ヘルツェゴビナは紛争から20年もたっており、今となってはいついつ死ぬか分からない「危険な国」から明日のことを考える余裕のある「普通の国」になっている印象があった。
ただ、交通の便や豊かさといった経済成長を主体とした外面的な立ち直りで総体的な判断を下すことは短絡的だと思う。
ボスニア国内にはモスクやビルの壁にいまだに銃弾の跡が痛々しく残っている。
さらに、忌々しい内戦や虐殺の記憶も遠くない過去に起きた。
「過去を忘れず、未来へ向かう」
これは日本が歴史を考えるときによく言われる「未来志向」の言葉だが、
この悲惨な過去を記憶にとどめることが、一体どれだけの苦しみをもたらすのだろうか。
想像しがたいことだ。
また、旅の原動力である「現状を見てみよう」という一種の冒険心が、現地の人の決して触れられたくない心の琴線に触れるような横暴に成りえる。
ユースホステルに来る旅人はただ余暇を楽しむだけにやって来る。
考えすぎただろうか。
そうかもしれない。
☆★欧州一人旅2009★☆
ウイーン編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376325/
セルビア編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376747/
ブダペスト編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376748/
ミュンヘン編
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10376753/
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
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午前6時にサラエヴォで降りるはずが、サラエヴォに着いたのは5時30分前だったということを6時に知る。
もちろん、時すでに遅し。
気付いたころには山の中でした。 -
モスタルという田舎町に到着する。
うーん…。
田舎すぎる。 -
日本の援助バス
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内戦により破壊された建物
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モスク
所々に銃弾の跡がありました。 -
モスタルの商店街
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有名なモスタル橋
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こんなかんじ
牧歌的な雰囲気が流れる -
実は、夜行バスでサラエヴォで降りるはずが寝過ごしてモスタルにやってきたww
だから、サラエヴォへ帰る(戻る)!!!!!
運賃は9ユーロ
まあ、いいか! -
サラエヴォバスターミナルへ到着!!!
サラエヴォ駅のエキナカ(駅中)のレストランでケバブチッチという料理を食べる。
エキナカといえど、灯りはついていませんでした。 -
ゲストハウスのベランダから見た風景。
覚えたてのセルビア語(サラエヴォではボスニア語と言う)を使って掃除のおばさんと話したり、
ポーランドから来た同じドミトリーの学生とタバコをふかしながら雑談した。
狭いが思い出のある場所。 -
シナゴーク
ユダヤ人礼拝所 -
バシチャルシァという旧市街
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内戦を忘れないように
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ちょっとおもしろかった。
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オリンピックスタジアムへと向かう。
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オリンピックスタジアム
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チトーとチェ・ゲバラ
まさかバルカンの地でチェに会えるとは思っていなかったのでかなり驚いた。
半年ぶりにチェの肖像を見ることができて良かった!!
ちなみに、キューバでチェの霊廟へ参拝しに行ったときのアルバム
http://4travel.jp/traveler/dantees/album/10319052/ -
ケバプチッチを食べる。
本当に美味しい。やみつきになる。
日本で食べれないのが残念だ!!! -
サラエヴォ滞在3日目
トンネル博物館へ行き内戦の展示を見に行く。 -
軍服
-
トンネル内部
だが、数メートルでおしまい。
内戦中はこんなのが数百メートルも続いていたそうだ。 -
内戦中に破壊されたビル。
他にも映像が流れており、戦争の悲惨さを感じた。 -
実際に使われていたトンネル基地の一部として使われていた建物
銃弾の跡が凄まじい。
眼の前にはサラエヴォ空港がある。
畑がぽつぽつとあるのどかな田舎町
十数年前にむごたらしい内戦が起きたなど想像もできない。
日本に帰った後に、サラエヴォで知り合った現地の大学生とチャットをして戦争と平和について語り合った。
ボスニアの政治は民族的な対立が今も残っていて前進できていないということを聞いた。
日本は平和に対してどのようなことをしているかと聞かれた時
日本には憲法9条がある。
突発的な攻撃に対処する軍備こそあれど、これから戦争をすることは無いと答えた。
戦争の反省を受け入れることこそ「強い日本人」であることを証左するのが戦後日本のナショナリズム
しかし、それを「自虐」だと言う人によりそれが揺らいでいるのが日本の問題だと思う。
訪問してくださった方にも「憲法9条を変えて堂々と軍備をすべきだ」と考える方もいるでしょう。
しかし、わずか数十年前に紛争が終結し、今も傷跡が残っているこの国を見ると人間性を破壊する戦争では結局すべてを解決することはできないと思うのです。
彼は最後にこう言いました。
「もう銃の音は聞きたくない。戦争をしない国家にしたい。」 -
トンネル博物館の近くにいた馬
-
サラエヴォ橋の目の前の博物館
ここでオーストリア皇太子夫妻は暗殺された。 -
モスクの中
無愛想な人にボスニア語で話しまくって入れてもらった。 -
-
奥がサラエヴォ橋
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ミートパイ
めちゃくちゃ美味しかった。 -
セビリという水汲み場
モスクにはどこにでもある。
日本で言うと、神社にある手を洗うところと同じかんじ。 -
サラエヴォの夜景
大通りにあるホテルのカフェから。 -
人は誰もいない。
ホテルのカフェは高いと思っているらしい。
だが、実際はコーヒーが一杯で約1ユーロ
そこまで高くない。 -
サラエヴォのアレンとチャイニーズアメリカンのリンリンとカナダ人のフレディとポーランド人のカップル(名前忘れた)とでカフェで飲んだ。
もともと、国際電話ができる電話ボックスを探していたところでアレンに話しかけられて、どんどん学生の観光客に声をかけたらこうなった。
会話は全部英語
昼にもこのメンバーと僕が街中で話しかけた日本人とアレンの友人のボスニア人学生が2人いたけど、僕の誘った日本人が英語が全く話せず、僕が通訳をすることになった。そのため、彼は楽しむことができていなかった。
日本の英語教育が悪いかもしれないが、日本人には主体性と積極性、つまりコミュニケーション能力が無さ過ぎる。
だから、日本人宿とかができてしまうのか…。
ある特定の人種のための施設ってあまり好きじゃないんだよな…。
俺の意見だけどね♪
とにもかくにも、カフェの後は飲み屋に行って遊びまくりました。
とはいっても、日本人の学生みたいにハメを外しすぎることはしないけど(笑)
ありがとうサラエヴォ
またいつか行きたい!
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