2012/04/14 - 2012/04/22
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azianokazeさん
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トルファンからウルムチ経由で上海へ。
途中、ウルムチの博物館で、約3,800年前に埋葬されたと言われている“楼蘭の美女”に対面します。
表紙写真は、その“楼蘭の美女”を復元したものです。
(ミイラの写真よりは穏当かと思いましたので。 なお、旅行記にミイラの写真が出てきます。その類を好まれない方は、ご遠慮ください。)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
4月21日(土曜)
トルファンからバスでウルムチへ移動。
行きに比べて短時間でつくかと思われたのですが、ウルムチ市街も近いあたりで停車。
よくわかりませんが検問のようで、皆下車します。荷物も下ろします。
検問所に並んでチェックを受けますが、外国人ということで、ひとりだけ小屋の中へ。
外国人の扱いはあまりなれていないのか、パスポートを2,3人で確認しています。一人は肩から自動小銃を下げています。
普段、“国家”というものとは縁遠いのですが、こういう場面になると、隠し持っていた日の丸を掲げて「私は日本人だぞ!」といった感じにもなります。
少し時間はかかりましたが、何事もなく終わりました。通常の検問ですから当然です。
ウルムチではウイグル族と漢族の対立から2年前暴動がありましたが、そうした社会情勢を反映した検問でしょう。
検問時の写真は当然ありませんので、かわりに途中トイレ休憩で立ち寄ったときのものを。
“伝統的な中国式トイレ”(特に説明はしません。昔中国を旅行したことがある方ならよくご存知のものです)でした。
都市部では見かけなくなりましたが、こういった場所では健在なようです。 -
お昼頃ウルムチのバスセンターに到着。なんとかタクシーをゲットして博物館へ向かいます。
別の旅行記でも触れたように、ウルムチは私にとって“鬼門”なのですが、大方旅も終わった安ど感から、ちょっと立ち寄ってみる気にもなりました。空港に行く途中にありますので。
博物館が21年前とは全く異なる新しい建物になっているのは当然ですが、周辺の雰囲気も全く違います。
以前は静かな郊外という感じでしたが、今は繁華街です。(もし、建替え場所が同じなら)
館内では、みなさん写真を撮っていますので、私も撮らせていただきました。 -
1階には、新疆に暮らす12民族の衣装・装身具・住居などが展示されています。
先ずはウイグル族の男女が迎えてくれます。
2000年調査で、新疆ウイグル自治区人口の45%がウイグル族、40%が漢族です。 -
こちらはタジク族ではないでしょうか。
なお、展示文物については、「地下博物館」アスターナ古墳出土品が中心になりますが、主だったものは⑥の「アスターナ古墳」編で紹介しましたので、こちらでは省略します。 -
各民族の風俗、出土文物の展示と並んで、ウルムチ博物館で充実しているのが、ミイラなどのタクラマカン砂漠に埋もれていた古墳に関する展示・紹介です。
先ずは「小河墓」(しょうがぼ)遺跡
“有名な楼蘭(ローラン)や「さまよえる湖」のロプノールから西に約百キロの砂漠の中に、「小河墓地」があることは70年以上前から知られていた。
しかし、長くその存在は砂漠の砂に埋もれて分からなくなっていた。
今世紀になって、小河墓地は再び発見された。そして全面的な発掘調査が行われた。その結果、墓地からは164体ものミイラが発見され、しかもその最下層から発見されたミイラは、科学的鑑定の結果、紀元前2000年にまでさかのぼることが判明した。
さらに、DNA鑑定によって、最下層のミイラは、モンゴロイド(東洋系)とコーカソイド(白人)の混血であることが分かった。
この発見によってタクラマカン砂漠は、東と西の人種が初めて出会い、融合して、独自の文化を発展させた可能性が出てきた”【人民中国】 -
「小河墓」(しょうがぼ)遺跡の模型ですが、男根を象徴する先端の尖った墓標の下には女性の棺が、軍配のような女性性器を象徴する墓標の下には男性の棺が埋まっているそうです。
船のようなものは舟形棺です。「小河墓」の名が示すように、かつてはこの地には河が流れていました。船は冥界へ旅立つ死者の乗物ということでしょう。
この遺跡からは、約4000年前の小麦も発券されており、小麦、ひいては文明の伝播を考えるうえで重要視されています。 -
「小河墓」遺跡には数百体のミイラが埋葬されているそうですが、その中でも印象的なのが「小河美女」とも呼ばれるこのミイラです。
後ほど紹介する「楼蘭の美女」よりは、はるかに“美女”の名にふさわしい美しいミイラです。
長いまつ毛まで残っており、推定年齢は20歳、身長160cm。コーカソイド(白色人種)系と見られています。フェルトの帽子には鷹の羽飾りとお洒落でもあります。
顔には白いクリーム状のものが塗られているそうですが、腐敗防止のためなのか、死化粧なのかはわかりません。
ウルムチ博物館では、この「小河美女」に関するものは目にしませんでしたので、「新シルクロードの旅(講談社)」からの転載写真です。 -
こちらは且末(しょまつ チャルチャン)遺跡に埋葬されていた女性のミイラで、約2600年前のものと推定されています。
コーカソイドとモンゴロイド両方の特徴を兼ね備えているそうです。
且末は、楼蘭から400〜500kmはなれた、タクラマカン砂漠の南縁、
かつての西域南道に位置するオアシスです。 -
こちらが、有名な「楼蘭の美女」
約3800年前に埋葬されたと推定されており、年齢は45歳、身長は152cmで、「小河美女」とほぼ同時期です。
楼蘭王国が歴史に登場するのは紀元前176年ですから、「楼蘭の美女」は楼蘭王国より千数百年古い時代のものになります。
人種的にはコーカソイド(白色人種系)です。 -
復元された容貌
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在りし日の「楼蘭の美女」
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21年前、このウルムチ博物館を訪れ、一番印象に残ったのは、漢族が西域を支配した「漢」「唐」の時代に関する説明文でした。
建物、展示物などは一新されましたが、この説明文はほぼ昔と変わっていないようです。
新疆のすべての民族・都市の支持のもと、漢王朝が西域を含め多民族国家としての中国統一をなし得た・・・云々が記されています。
漢族から見た史観であり、新疆を含む中国の立場からしては、そうとしか言いようのないところですが、ウイグル族などはこうした史観をどのように思っているのだろうか・・・というのが、21年前に感じたことです。
その後、09年7月、ウルムチなどで200名近い死者を出した激しい暴動が起きていることは周知のところです。 -
こちらは唐の支配確立を説明したものです。
唐の西域支配によって、新疆の社会経済・文化は急速に発展した・・・云々が記されているようです。
トルファンで2年前の暴動のことを尋ねると、「今は平和です」とのことでした。 -
博物館から路線バスでウルムチ空港へ。(下車地点から空港ターミナルまでは相当に距離がありましたが、白タクの誘いを断って歩きました。途中少し後悔も)
深夜0時過ぎ、春秋航空で上海虹橋空港着。
予想外に無料機内食が出ました。カレー風味の食事でしたが、美味しくはありません。
行きで利用した「モーテル 168 ティエン シャン ロード イン」に宿泊
4月22日(日曜)、早朝に浦東空港へ移動、福岡に昼過ぎ1時頃到着。新幹線で鹿児島へ。
無事旅行を終えることができました。
空港、空港バス、新幹線の中で、日本の対応の細やかさ、丁寧さ(過剰ではないか・・・と思う点もありますが)を改めて強く感じました。やはり、中国とは異質な社会です。
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