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【タシュケント篇https://4travel.jp/travelogue/12082817より】<br />(2日め)<br />ホテルASIA TASHKENTでのビュッフェの朝食は、ミルク粥・乳製品・ソーセージ類、そしてフルーツ、特にメロンが美味しく、バスマティライスのトウモロコシご飯もつい食べ過ぎてしまいました。やや慌ただしく済ませてタシュケント南駅へ向かいました。駅正面の時計が旅心を掻き立てます。駅構内に入る前にはX線を含む保安検査があり、結構な列が出来ていました。油断すると割り込まれそうになるので、前の人に続いて進んで行くと、停まっていました! 高速列車アフラシャブ号。スペインのタルゴ社のロゴとウズベキスタン鉄道のマークが並んで表示されているので、いやが上にも気分がアガります。広いプラットフォームは、シベリア鉄道に乗った始発駅ウラジオストクを憶い起こさせますが、それよりもかなり綺麗です。<br />列車の乗車口にも係員がいて、チケットとパスポート、そして顔の照合を行なっています。<br />8:30発のアフラシャブ号にはB=ビュッフェ車も連結されていますが、私たちは5号車(E=エコノミー席)に乗って古都ブハラへ向かいます。車室に入ったところには荷物置き場があるのですがさほど広くなく、比較的大きめの家内のスーツケースも、座席上の荷物棚に載せるよう言われました。停車中も発車前も、車内放送などは一切ありません。チケットに時刻が明記されているので、乗り遅れたり降りそこねたりした場合も「自己責任」だそうです。タシュケント市街地には活気がありますが、ほどなくウズベキスタンらしい平原を列車は走行し始めます。<br />https://youtu.be/LCIlsIO55o8<br />しばらくすると車内食が出て来ました。袋にはインスタント珈琲(お湯を注いでくれます)も入っていましたが、甘そうなパンが入っていたので私は紅茶を選びました。袋も紙コップも、もちろん貴重なお土産です。別の方がニコニコとやって来ますが、これは有料の車内販売なので、見て視ぬふり(笑)をしました。<br />急に左右が岩山となっている間を走る景色となりました。大理石などを採掘しているそうです。なにやら文字や数字が書かれています。掘り出した人が爪痕を残そうと落書きしたのでしょうか。<br />サマルカンド駅に近づいてももちろん案内放送などは無いのですが、左右をキョロキョロ見渡しても、モスクなど世界遺産的建物が見つけられませんでした。きっと世界遺産の街なかに鉄道を通すわけにもいかず、それなりに離れた場所に駅が作られているのでしょう。長年平城宮跡の中を走り南北に分断してしまっている近鉄奈良線も、いずれ移設することが決定していますものね。<br />サマルカンド駅も定刻に発車。時間に正確です。<br />https://youtu.be/pOmTpGRh_a4<br />素敵な駅舎のナヴォイ駅にも停車。此処の正面上にも「VOKZAL」とあるのですが、これはロシア語で「(大きな)駅」という意味です。定刻に発車です。<br />https://youtu.be/SYkyLTxKBpo<br />ところで、レールの継ぎ目を越える際のジョイント音が「ガタンゴトン」ではありません。多くの列車とは異なり連結部に台車を配置する「連接台車」が採用されているからですが、小田急ロマンスカーのような4個の車輪ですら無く、それぞれ2個しか車輪が付いていませんでした。<br />終点ブハラ駅にも定刻12:36に到着です。といってもこの駅は隣町コガンに作られています。日本ならきっと「新ブハラ」と命名したのではないでしょうか。<br />車内で軽食を食べたとはいえ、朝ごはんから6時間近くが経っているので、お腹が空きました。観光の前にまずはお昼ごはんです。「ラグマン」という麺料理をいただきます。私と長男は汁のラグマン、家内は焼いたラグマンを注文しておきましたが、私たちのラグマンは優しいとも言える味の薄いスープでいただくきしめんのように平たい麺、家内の焼きラグマンはまさに焼きうどんでした。むしろ先に出て来たじゃがいものスープがかなり美味しいもので印象に残りました。浅漬のような野菜もよく出て来ますが、これこそ優しい味でたくさん食べられます。沿道でたくさん見かけたロバは塩コショウ入れもモチーフになっていました。大きな丸いパンも定番中の定番で、ちぎっていただくのですが、柔らかくはありません。ウズベキスタンのレストランはどこもみな内装が素晴らしく、ラクダのキャラバンの壁画もシルクロードが描かれていましたし、正倉院の宝物のような楽器も飾られていて眼を惹きました。トイレも素敵ですが、ホテル以外ではいわゆる和式です。<br />古都ブハラでは先ず、イスマイール・サーマーニー廟に行きました。中央アジアに現存する最古のイスラム建築で、9世紀の終わりに時の王イスマイール・サーマーニーが父の廟として建立し、その後自身と孫も祀られたという場所です。13世紀のチンギス・ハンによるモンゴル来襲時には砂に埋もれていたために発見・破壊を免れたまま眠りについていましたが、20世紀になってからソ連の考古学者によって発見・発掘されたそうです。煉瓦の積み方によって多彩な幾何学文様を表現しているこの美しさが守られていたことは、まさに奇跡です。反時計回りに3回廻って祈りを捧げてから中に入りました。<br />続いてはアルク城の見学です。古代ブハラ発祥の地に建つ城で、初めての建造は2,500年以上前とのことです。13世紀、チンギス・ハンによるモンゴル来襲で完全に破壊され、その後も外敵との攻防の中で破壊と再建が繰り返されたそうです。現在の城は18世紀に再建されたもので、木を挟み込むことで強固になっている城壁などが特徴的です。歴代のブハラ・ハンが居城としていたのですが、1920年にレーニン率いるソ連軍がブハラに侵攻し、空爆と砲撃によりアルク城内の8割前後が失われたと言われています。そして此処はソビエト連邦の一国に組み込まれたのです。今見ている正面の城壁やモスクの一部は、その破壊を免れたり後に再建されたごく一部の姿なのです。城の奥へ進んでいくと、ソ連に破壊された惨状がそのまま広大に残されていました・・・。<br />そして、ザクロの生搾りジュースの屋台に後ろ髪をひかれつつカラーンモスク&カラーンミナレットへ。「カラーン」とは大きいを意味するタジク語。12世紀に建てられたこのミナレット(塔)は、14層の帯状に分割され、それぞれに煉瓦の異なる積み方で文様を作り出していて、息を呑む美しさです。13世紀にチンギス・ハンが侵攻した際、此処で帽子を落とし、それを拾い上げた時に「この塔はわしに頭を下げさせた立派な塔だ」として破壊しなかったという伝説が残っているとのことです。もちろんミナレットに囲まれた中央には16世紀のモスクが建っています。最大1万人が祈りを捧げることが出来るそうです。<br />モスク前の広場を挟んで向かいあっているのが、ミルアラブ・メドレセです。入口はモスクに似ていますが、メドレセ(神学校)なので塔を従えてはおらず、逆に2つのドームが印象的です。現在でも神学校として使われているため内部の見学は不可でしたが、学生が出入りしていました。<br />この周辺の旧市街は各種ウズベキスタン料理が並んだ夕食後にも散策しました。SARBASTという国内ビールと、屋台で飲めなかったザクロジュースをいただいて上機嫌だったこともありますが、本当に美しい街でした。タキバザールという屋根に覆われた市場(アラブにおけるスークのような所)でのお土産探しも楽しいものでした。<br />今夜の宿SAFIA PLAZAホテルも広めの部屋で、ぐっすり。<br /><br />(3日め)<br />SAFIA PLAZAホテルでの朝食ブッフェでもミルク粥ほかをしっかり食べて、サマルカンドへ出発!の予定でしたが、週明けの渋滞でバスの到着がやや遅れました。<br />市街地を抜けると幹線道路を快走し、一路サマルカンドへ!<br />【サマルカンド篇https://4travel.jp/travelogue/12083010へ】

ウズベキスタン3都市周遊(古都ブハラ篇)

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2026/10/25 - 2026/10/26

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TOSHI

TOSHIさん

【タシュケント篇https://4travel.jp/travelogue/12082817より】
(2日め)
ホテルASIA TASHKENTでのビュッフェの朝食は、ミルク粥・乳製品・ソーセージ類、そしてフルーツ、特にメロンが美味しく、バスマティライスのトウモロコシご飯もつい食べ過ぎてしまいました。やや慌ただしく済ませてタシュケント南駅へ向かいました。駅正面の時計が旅心を掻き立てます。駅構内に入る前にはX線を含む保安検査があり、結構な列が出来ていました。油断すると割り込まれそうになるので、前の人に続いて進んで行くと、停まっていました! 高速列車アフラシャブ号。スペインのタルゴ社のロゴとウズベキスタン鉄道のマークが並んで表示されているので、いやが上にも気分がアガります。広いプラットフォームは、シベリア鉄道に乗った始発駅ウラジオストクを憶い起こさせますが、それよりもかなり綺麗です。
列車の乗車口にも係員がいて、チケットとパスポート、そして顔の照合を行なっています。
8:30発のアフラシャブ号にはB=ビュッフェ車も連結されていますが、私たちは5号車(E=エコノミー席)に乗って古都ブハラへ向かいます。車室に入ったところには荷物置き場があるのですがさほど広くなく、比較的大きめの家内のスーツケースも、座席上の荷物棚に載せるよう言われました。停車中も発車前も、車内放送などは一切ありません。チケットに時刻が明記されているので、乗り遅れたり降りそこねたりした場合も「自己責任」だそうです。タシュケント市街地には活気がありますが、ほどなくウズベキスタンらしい平原を列車は走行し始めます。
https://youtu.be/LCIlsIO55o8
しばらくすると車内食が出て来ました。袋にはインスタント珈琲(お湯を注いでくれます)も入っていましたが、甘そうなパンが入っていたので私は紅茶を選びました。袋も紙コップも、もちろん貴重なお土産です。別の方がニコニコとやって来ますが、これは有料の車内販売なので、見て視ぬふり(笑)をしました。
急に左右が岩山となっている間を走る景色となりました。大理石などを採掘しているそうです。なにやら文字や数字が書かれています。掘り出した人が爪痕を残そうと落書きしたのでしょうか。
サマルカンド駅に近づいてももちろん案内放送などは無いのですが、左右をキョロキョロ見渡しても、モスクなど世界遺産的建物が見つけられませんでした。きっと世界遺産の街なかに鉄道を通すわけにもいかず、それなりに離れた場所に駅が作られているのでしょう。長年平城宮跡の中を走り南北に分断してしまっている近鉄奈良線も、いずれ移設することが決定していますものね。
サマルカンド駅も定刻に発車。時間に正確です。
https://youtu.be/pOmTpGRh_a4
素敵な駅舎のナヴォイ駅にも停車。此処の正面上にも「VOKZAL」とあるのですが、これはロシア語で「(大きな)駅」という意味です。定刻に発車です。
https://youtu.be/SYkyLTxKBpo
ところで、レールの継ぎ目を越える際のジョイント音が「ガタンゴトン」ではありません。多くの列車とは異なり連結部に台車を配置する「連接台車」が採用されているからですが、小田急ロマンスカーのような4個の車輪ですら無く、それぞれ2個しか車輪が付いていませんでした。
終点ブハラ駅にも定刻12:36に到着です。といってもこの駅は隣町コガンに作られています。日本ならきっと「新ブハラ」と命名したのではないでしょうか。
車内で軽食を食べたとはいえ、朝ごはんから6時間近くが経っているので、お腹が空きました。観光の前にまずはお昼ごはんです。「ラグマン」という麺料理をいただきます。私と長男は汁のラグマン、家内は焼いたラグマンを注文しておきましたが、私たちのラグマンは優しいとも言える味の薄いスープでいただくきしめんのように平たい麺、家内の焼きラグマンはまさに焼きうどんでした。むしろ先に出て来たじゃがいものスープがかなり美味しいもので印象に残りました。浅漬のような野菜もよく出て来ますが、これこそ優しい味でたくさん食べられます。沿道でたくさん見かけたロバは塩コショウ入れもモチーフになっていました。大きな丸いパンも定番中の定番で、ちぎっていただくのですが、柔らかくはありません。ウズベキスタンのレストランはどこもみな内装が素晴らしく、ラクダのキャラバンの壁画もシルクロードが描かれていましたし、正倉院の宝物のような楽器も飾られていて眼を惹きました。トイレも素敵ですが、ホテル以外ではいわゆる和式です。
古都ブハラでは先ず、イスマイール・サーマーニー廟に行きました。中央アジアに現存する最古のイスラム建築で、9世紀の終わりに時の王イスマイール・サーマーニーが父の廟として建立し、その後自身と孫も祀られたという場所です。13世紀のチンギス・ハンによるモンゴル来襲時には砂に埋もれていたために発見・破壊を免れたまま眠りについていましたが、20世紀になってからソ連の考古学者によって発見・発掘されたそうです。煉瓦の積み方によって多彩な幾何学文様を表現しているこの美しさが守られていたことは、まさに奇跡です。反時計回りに3回廻って祈りを捧げてから中に入りました。
続いてはアルク城の見学です。古代ブハラ発祥の地に建つ城で、初めての建造は2,500年以上前とのことです。13世紀、チンギス・ハンによるモンゴル来襲で完全に破壊され、その後も外敵との攻防の中で破壊と再建が繰り返されたそうです。現在の城は18世紀に再建されたもので、木を挟み込むことで強固になっている城壁などが特徴的です。歴代のブハラ・ハンが居城としていたのですが、1920年にレーニン率いるソ連軍がブハラに侵攻し、空爆と砲撃によりアルク城内の8割前後が失われたと言われています。そして此処はソビエト連邦の一国に組み込まれたのです。今見ている正面の城壁やモスクの一部は、その破壊を免れたり後に再建されたごく一部の姿なのです。城の奥へ進んでいくと、ソ連に破壊された惨状がそのまま広大に残されていました・・・。
そして、ザクロの生搾りジュースの屋台に後ろ髪をひかれつつカラーンモスク&カラーンミナレットへ。「カラーン」とは大きいを意味するタジク語。12世紀に建てられたこのミナレット(塔)は、14層の帯状に分割され、それぞれに煉瓦の異なる積み方で文様を作り出していて、息を呑む美しさです。13世紀にチンギス・ハンが侵攻した際、此処で帽子を落とし、それを拾い上げた時に「この塔はわしに頭を下げさせた立派な塔だ」として破壊しなかったという伝説が残っているとのことです。もちろんミナレットに囲まれた中央には16世紀のモスクが建っています。最大1万人が祈りを捧げることが出来るそうです。
モスク前の広場を挟んで向かいあっているのが、ミルアラブ・メドレセです。入口はモスクに似ていますが、メドレセ(神学校)なので塔を従えてはおらず、逆に2つのドームが印象的です。現在でも神学校として使われているため内部の見学は不可でしたが、学生が出入りしていました。
この周辺の旧市街は各種ウズベキスタン料理が並んだ夕食後にも散策しました。SARBASTという国内ビールと、屋台で飲めなかったザクロジュースをいただいて上機嫌だったこともありますが、本当に美しい街でした。タキバザールという屋根に覆われた市場(アラブにおけるスークのような所)でのお土産探しも楽しいものでした。
今夜の宿SAFIA PLAZAホテルも広めの部屋で、ぐっすり。

(3日め)
SAFIA PLAZAホテルでの朝食ブッフェでもミルク粥ほかをしっかり食べて、サマルカンドへ出発!の予定でしたが、週明けの渋滞でバスの到着がやや遅れました。
市街地を抜けると幹線道路を快走し、一路サマルカンドへ!
【サマルカンド篇https://4travel.jp/travelogue/12083010へ】

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
家族旅行
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
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