2026/07/31 - 2026/07/31
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AandMさん
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フィレンツェ滞在、2日目です。フィレンツェ歴史地区にある大聖堂(ドゥオーモ)、サン・ジョバンニ洗礼堂、そして大聖堂付属博物館は既に訪問しました。今日の午後にはウフィツィ美術館を見学する予定で、既に入場券を予約購入済ですが、美術館訪問の前後の時間を利用して、歴史地区の他の場所を見学することにします。
フィレンツェは、中世時代、ルネッサンス文化が栄えた「花の都」として知られ、ウフィツィ美術館や大聖堂以外にも「どこを訪問しようか」と迷うほど多くの魅力的な観光スポットがあります。
地図を眺め、滞在中のホテル(Hotel Floren)を起点として、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、メディチ家礼拝堂、アカデミア美術館、シニョリーナ広場、サンタ・クローチェ聖堂を巡ることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ITAエアウェイズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月31日
午前8時前です。ホテルのビュッフェ朝食、複数のフレッシュジュースやパンなど、多種類の食材が準備されています。オムレツ、目玉焼、スクランブルなど、好みに応じて卵を料理してくれます。 -
広々としたレストラン、他の客はいなかったので、貸し切り状態です。
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野菜や果物も新鮮、ハムやソーセージも高級品です。食後のコーヒーもカフェラテ、アメリカンなど、好みに応じて準備してくれ、リッチ感のある朝食でした。
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旧市街観光に出発です。
ホテル前にあるウニタ・イタリアーナ広場、中央にオベリスクが建っています。「独立戦争の戦没者慰霊碑, Obelisk to the Fallen on the Wars of Independence」、イタリア独立戦争(1821-1870)で戦死した兵士達の記念碑で、1882年に建立されたとのことです。ウニタ イタリアーナ広場 広場・公園
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広場の西側に大きな教会があります。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会で、中央駅(フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ)の名称由来となっています。
サンタ マリア ノヴェッラ教会 寺院・教会
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教会の入口は駅の反対側で、正面ファサードは白色と緑色の大理石を積み上げた立派な造りです。11世紀からあった教会で、現在の形に改装されたのは14世紀。
大聖堂(ドゥオーモ)が建造されたのとほぼ同じ頃で、ファサードの造りもドゥオーモと似通っているように思います。
教会内部を見学したいと思いましたが、扉が閉まっていました。サンタ マリア ノヴェッラ教会 寺院・教会
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扉横にあった表示板に、教会の公開時間が書かれていました。通常は9:00am - 5:30pm公開されていますが、金曜日とバンクホリデーの公開時間は11:00am - 5:30pmとなっています。
訪問したのは金曜日の午前9時過ぎですので、内部見学するには2時間程待つ必要があります。他の箇所を見学後、時間があれば再訪することにして、次の目的地に向かうことにしました。 -
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会前の広場(Plazza di Santa Maria Novella)、整備された芝生と花壇のある美しい広場でオベリスクが建っています。大理石のオベリスクは1608年の建造で、トスカーナ大公コジモ2世の結婚を記念したものだそうです。
サンタ マリア ノヴェッラ広場 広場・公園
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ホテルがあるパンツァーニ通りから北東に延びるジリオ通りを400mほど進むと、前方にドーム状の建造物が見えてきました。「メディチ家礼拝堂」ですが、外見は地味で天体観測をする天文台のような感じです。
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「メディチ家礼拝堂」の入口、数名の行列がありましたが、混みあってはいませんでした。入場券を購入して見学開始です。
メディチ家礼拝堂 寺院・教会
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入場券、11ユーロでした。
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「メディチ家礼拝堂」はサン・ロレンツォ聖堂に付属した礼拝堂で、地下の「ロレーヌ礼拝堂」とその上に建造された「君主の礼拝堂」から成ります。16世紀から17世紀の建造で、「新聖具室」はミケランジェロの最高傑作の一つに数えられているそうです。
「ロレーヌ礼拝堂」には沢山の墓碑がありました。これは初代トスカーナ大公コジモ1世の母親マリア・サルヴィアティ(1499-1593)の墓碑 -
「コジモ1世・デ・メディチ」とラテン語で刻まれています。初代トスカーナ大公コジモ1世(1519-1574)の墓碑です。
コジモ1世は、トスカーナ大公となった後、フィレンツェの都市改造事業を進め、現在のウフィツィ美術館や、ヴァザーリの回廊などを建設し、今日のフィレンツェの景観を作り上げた人物です。 -
「君主の礼拝堂」の案内板、階段を上に進むと・・・・
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多様な大理石や貴石で造られた床や壁からなる広大な空間がありました。メディチ家の歴代君主が祀られている「君主の礼拝堂」です。
地味な外見に比べ、内部の豪華絢爛さに驚かされました。メディチ家礼拝堂 寺院・教会
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礼拝堂の天井ドームのフレスコ画、見事です。
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主祭壇、暗色系の落ち着いた色調の大理石で造られており、豪華な荘厳さが感じられます。
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八角形の礼拝堂の壁にあるメディチ家歴代君主の墓は、墓碑、石棺、彫像から成っています。彫像は君主の没後、著名な彫刻家に依頼して製作したそうです。
これはトスカーナ大公フェルディナンド1世(1549-1608)の墓碑 -
ただ中には彫像の無い墓もありました。メディチ家の資金が枯渇して彫像製作ができなかったのが理由だそうです。
トスカーナ大公フェルディナンド2世(1610-1670)の墓碑 -
トスカーナ大公第4代コジモ2世(1590-1621)の墓碑
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初代トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチのラテン語碑文
「エトルリア(トスカーナ)の大公コジモ、55年の生涯を送り、1574年5月に没す」と刻まれています。コジモ1世の墓碑は、地下の「ロレーヌ礼拝堂」と地上の「君主の礼拝堂」の2か所にありますが、実際の埋葬場所は地下の「ロレーヌ礼拝堂」で、「君主の礼拝堂」にある石棺は空だそうです。 -
第2代トスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチのラテン語碑文
「トスカーナ(エトルリア)の第2代大公フランチェスコ、1587年10月19日に没す」と刻まれています。 -
礼拝堂の壁面や墓碑に壺が多く描かれており、目に留まりました。色大理石や貴石を精密に組み合わせて描かれたもので、フィレンツェ独自の伝統工芸「宝石象嵌・ハードストーン・モザイク」と呼ばれる技法で創られたものです。
「メディチ家の壺」は古代ギリシャや古代ローマ美への回帰や永遠性や富を示すことで、メディチ家の圧倒的な権力と財力を誇示したものだそうです。 -
「メディチ家の壺」の他例
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壺の形や色彩は、確かに、古代ギリシャや古代ローマ時代に創られた壺(https://4travel.jp/travelogue/11505185)と似ているように感じます。
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壺だけでなく、伝統工芸の「宝石象嵌・ハードストーン・モザイク」法で創られた美しい紋章も目を引きました。トスカーナ大公となったメディチ家が支配領域を誇示するために礼拝堂の装飾に取り入れたものです。
これは「ヴォルテッラ都市」の紋章、トスカーナ州のピサ県にある都市の紋章です。 -
「コルセーナ都市」の紋章。コルセーナはトスカーナ州ルッカ県にある街です。
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「マッサ都市」の紋章。マッサはトスカーナ州北部のマッサ・カーラ県の県都です。
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「コルトーナ都市」の紋章。コルトーナはトスカーナ州アレッツォ県にある街です。
これらメディチ家が支配していた都市の紋章、中央に動物、周辺に植物や花、上部にラテン語で都市名が描かれていて類似しています。調べてみると、中世時代(12-14世紀)から各都市が持っていた独自の紋章をメディチ家がトスカーナ大公国を支配し始めた16世紀に、メディチ家の指示に従って統一表示とするようにしたことが分かりました。
これらの紋章は、メディチ家がトスカーナ地方を支配していることを誇示していることが窺えます。 -
天井や壁だけでなく、床模様も豪華絢爛です。
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「君主の礼拝堂」見学を終え、出口に向かいます。その途中で再び地下の「ロレーヌ礼拝堂」を通ります。入る際には気付きませんでしたが、慈悲深い表情の見事な彫像がありました。
脇の説明板に「コジモ3世の娘、アンナ・マリア・ルドヴィッサ・デ・メディチ(1642-1723)とありました。メディチ家直系の最後の人物で、「メディチ家のコレクションがフィレンツェに止まり、一般公開されること」を条件に、全ての財産をトスカーナ政府に寄贈したそうです。メディチ家礼拝堂やウフィッツィ美術館などが、ほぼ当時のままの姿で一般公開されているのは、彼女の遺言が源になっているようです。知りませんでした。 -
メディチ家が所有していた美術品(聖具)のようです。
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立派なレリーフ像、中世時代に活躍した著名な芸術家の作品と思われます。
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出口手前にショップがあり、本や絵ハガキなどが売られていました。
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サン・ロレンツォ聖堂、メディチ家礼拝堂はこの聖堂に付属しています。サン・ロレンツォ聖堂は4世紀頃に建造され、フィレンツェにある最も古い教会の一つです。メディチ家がこの地を支配し始めた15世紀から拡張整備され、メディチ家歴代の墓所になっています。
サン ロレンツォ教会 寺院・教会
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サン・ロレンツォ聖堂の入口、数名の行列ができていました。
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表示板に「公開時間10:00am - 5:30pm, 入場料9ユーロ」とあります。「メディチ家礼拝堂」見学で時間を使いましたので、聖堂の内部見学はスキップして、次の観光スポットに向かいます。
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サン・ロレンツォ聖堂の北東数百メートルにある「アカデミア美術館」を目指します。この美術館には、ミケランジェロの「ダビデ像」などの彫像、ボッティチェリの「聖母子像」などの名品が展示されています。
美術館があるリカーソリ通り、路上で絵が売られていました。美術館に展示されている作品の模写絵のようです。これ等の絵をうっかり踏みつけると、高価格で購入させられるそうですので、ご注意下さい。 -
美術館前に長い行列、時間を区切って一定人数を順次入場させているようです。今から列に並んでも入場まで1時間以上待たされそうです。
アカデミア美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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美術館の入場券売り場、ここにも行列
「アカデミア美術館」は人気の美術館で、入場料も高価(62.5 Euro/person)ですが、事前予約しておかないと、入場まで長時間待たされるようです。ウフィッツィ美術館の入場券は日時指定で入手済でしたが、「アカデミア美術館」がこれ程混みあっていたのは予想外でした。残念ながら見学を諦めて、次の観光スポットに向かいます。 -
ウフィツィ美術館です。美術館とヴァザーリ回廊を巡るチケットは日本を発つ前に購入済です。ヴァザーリ回廊の見学ツアー開始時間は14:00で、美術館への入場はその2時間前から可能でしたので、12:00頃に入館しました。
ウフィツィ美術館見学とヴァザーリ回廊ツアーの様子は、長くなりすぎますので、別旅行記で報告致しします(https://4travel.jp/travelogue/12080166)。この旅行記では、美術館とヴァザーリ回廊ツアー以外の街歩きの様子を紹介したいと思います。ウフィツィ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ウフィツィ美術館の北側約300mの場所にあるオルサンミケーレ教会です。外見は教会のようには見えません。14世紀に造られた穀物倉庫が教会に改装され、以降、教会兼博物館となっているそうです。ユニークな経歴を持つ珍しい建造物です。
オルサンミケーレ教会 寺院・教会
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建物外壁に窪みが設けられ、ブロンズや大理石の彫像が置かれています。中世フィレンツェの商業活動で重要な役割を果たしていた組合の守護聖人だそうです。組合は複数あり、それぞれが異なる聖人を守護神としていたため、多様な聖人像が置かれています。
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外壁彫刻は緻密で美しく、一見の価値があります。
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外壁の彫像下に説明板があり、「オリジナル像はオルサンミケーレ博物館(1階)で見ることができます」と書かれていました。外壁窪みに置かれている像はレプリカ(複製像)で、本物は博物館の内部に置かれていることが分かります。
シニョリーナ広場にあるダビデ像(ミケランジェロ作品)はレプリカで、本物はアカデミア美術館に置かれているのと同じ状況です。サン・ジョバンニ洗礼堂にある「天国の門」などもレプリカでした。
レプリカであることを承知して鑑賞するのは問題ありませんが、レプリカを本物と思って眺めるのは、ちょっぴり寂しい感じがします。 -
オルサンミケーレ博物館、入り口を入った所にも見事な木彫品が展示されていました。2つ前の写真で示した緻密な大理石彫刻と同じものです。
外壁の展示作品がレプリカであったことを理解しました。フィレンツェのレプリカ彫像、出来栄えが見事過ぎて、普通人には見分け困難であることを悟らされました。 -
20mほど南に進むと小さな広場がありました。シニョーリア広場で、前方にある塔を有する建造物はヴェッキオ宮殿です。
シニョリーア広場 広場・公園
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広場に建つ像は「コジモ1世の騎馬像」です。コジモ1世(1519-1574)は初代のトスカーナ大公で、中世時代にフィレンツェの都市改造事業を進め、今日のフィレンツェ景観を築いた方です。彫刻家ジャンボローニャが1587-1594年に建造した高さ約4.5mのブロンズ像。
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「ネプチューンの噴水」、1562年にバルトロメオ・アンマナーディが作成したもので、「ネトゥーノの噴水」とも呼ばれます。海神ネプチューンの顔はコジモ1世がモデルとされているそうです。
ネットゥーノの噴水 (ネプチューンの泉) 建造物
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ヴェッキオ宮殿の入口前に建っているのは、ミケランジェロの作品「ダビデ像」
これは1910年に製作された精巧なレプリカで、1504年頃に製作された本物のダビデ像は、「アカデミア美術館」で保存展示されています。ヴェッキオ宮殿 城・宮殿
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ダビデ像の隣にあるのは、1534年に彫刻家バッチョ・バンディネリが製作した「エルコレとカークスの像」
ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが怪物カークスを倒す姿が描かれています。この像はレプリカでなく、オリジナル(本物)のようです。 -
シニョリーア広場の南側、ヴェッキオ宮殿の前に柱を省いて建てられたような建造物があり、沢山の彫像が置かれています。14世紀に建てられた式典用の建造物「ロッジア・ディ・ランツイ, Loggia dei Lanzi」で、別名「ランツイの回廊」あるいは「シニョリーア回廊」とも呼ばれています。
「ランツイの回廊」に置かれている多くの彫像は、中世時代に製作されたオリジナル作品。ランツィの回廊 (ロッジア ディ ランツィ) 博物館・美術館・ギャラリー
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「ランツイの回廊」に置かれている大理石像「ボリュクセネーの凌辱」、ビオ・フェンディ(1816-1892)が1865年に製作した作品
ボリュクセネーはギリシャ神話に登場する女性で、この彫像はギリシャ神話が題材となっています。 -
「メディチのライオン」と呼ばれる大理石像で、2世紀の古代ローマ時代の製作
1758年まではローマのメディチ家の別荘にありましたが、1789年からはこの場所に置かれているそうです。 -
ヴェッキオ宮殿の南側にある小路(ニンナ通り)を東に進みます。小路を横切って上方に架かるのはヴェッキオ宮殿とピッティ―宮殿を繋ぐヴァザーリ回廊の一部のようです。
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ゴシック様式のサンタ・クローチェ聖堂です。キリスト教フランシスコ会の最も重要な教会の一つで、14世紀の建造です。ガリレオ・ガリレイやミケランジェロの墓があることで知られています。前に大きな広場(サンタ・クローチェ広場)があります。
ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)から数百メートルしか離れていませんが、広場の観光客の姿はチラホラで、ドゥオーモ広場の混雑とは大違いです。サンタ クローチェ聖堂 寺院・教会
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サンタ・クローチェ聖堂の入口。右手にあるチケット・オフィスで入場券を購入します。
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チケットは10 Euro/personでした。
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チケットの裏側、「寄付のお願い・・」と書いてあります。
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聖堂内部、フランシスコ会の性格を反映した質素な造りです。
サンタ クローチェ聖堂 寺院・教会
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主祭壇と十字架。十字架を囲む木製フレームと背景のステンドグラスには沢山の聖人達が描かれています。派手さはありませんが、緻密で厳かな主祭壇です。
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主祭壇上部のドーム、フレスコ画が描かれています。
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聖堂床にあるのは墓碑
レリーフ像と文字が色大理石文様で縁取りされた立派な墓碑です。レリーフ像と文字から、埋葬されている方は聖職者であったことが分かります。 -
幾つかの墓碑は、来訪者が踏まないように縄張りがされていました。摩耗損傷を防ぐためと思われます。
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聖堂の壁に彫像付きの記念碑(墓碑)がありました。ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の記念碑で、下部にダンテの名前が、石棺に「最も偉大な詩人を称えよ」とラテン語で刻まれています。ダンテはフィレンツェで生まれ、晩年をラベンナで過ごしました。
ダンテはラベンナに埋葬されており、この記念碑の石棺は空だそうです。 -
ジーノ・カッポーニ(1792-1876)の墓碑
カッポーニはイタリアの歴史家、政治家でイタリア統一で重要な役割を果たした人物です。 -
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)の墓碑
ガリレオは地動説を唱えた天文学者で、「近代科学の父」とも呼ばれています。 -
ミケランジェロ(1475-1564)の墓碑
ミケランジェロはルネッサンス期に活躍したイタリアの彫刻家、画家、建築家で西洋芸術に大きな影響を与えた人物。フィレンツェ共和国で生まれ、亡くなったのはローマ。 -
ミケランジェロの墓碑に設置されている彫像は、彼の弟子達が製作したようです。
墓碑の銘板には、ラテン語で「シモニ家の家系に生まれ、彫刻家、画家、そして建築家として、その名声が多くの人に広く知られるミカエル・アンジェルス(ミケランジェロ)のために。彼の遺骨がローマからこの聖堂に移され、先祖代々の墓に埋葬されたとき、トスカーナ大公コジモ1世の勧めもあって、愛すべき彼の甥であるレオナルドがこれを建立した。享年88歳、1564年11月15日」、と記されているようです。 -
サンタ・クローチェ聖堂に隣接し、南側にパッツイ礼拝堂があり、聖堂のチケットで見学することができました。豪華さが感じられるゴシック様式のサンタ・クローチェ聖堂と違った落ち着いた感じのルネッサンス様式の建造物です。
サンタ・クローチェ聖堂が建てられてから約100年後の15世紀半ばに建造されたパッツイ家のための礼拝堂で、設計はドゥオーモの大天蓋(クーポラ)を手掛けたフィリッポ・ブルネレスキ(1377-1446)。 -
パッツイ礼拝堂の前の庭に彫像がありました。台座に第1次世界大戦(1915-1918)で戦死した兵士達の慰霊碑であると刻まれています。彫像も近年の製作かな、と思って調べてみると、上部の大理石像はルネッサンス期の彫刻家パッチョ・パンディネリ(1493-1560)が製作した「父なる神, Dio Padre」であることが分かりました。
16世紀中頃に造られた大理石像が20世紀に戦死した兵士達の慰霊碑として、使いまわしで、用いられていることになります。チョッピリ驚かされました。 -
パッツイ礼拝堂の南側にあるサンタ・クローチェ修道院、ルネッサンス様式の美しい回廊に囲まれた中庭があります。
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サンタ・クローチェ修道院の旧食堂、現在はサンタ・クローチェ聖堂付属の美術館になっており、壁に絵画などが展示されています。
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旧食堂の奥にある壁一面にフレスコ画が描かれていました。「最後の晩餐と生命の木」で、タッデオ・ガッティ(1290-1366)が14世紀中頃に描いたものです。
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旧食堂奥の壁に描かれた「最後の晩餐」の他、壁に別の「最後の晩餐」が掲げられていました。こちらはジョルジュ・ヴァザーリ(1511-1574)が1546年に描いたカンバス画の複製です。
ヴァザーリの「最後の晩餐」は1966年にフィレンツェで大洪水があった際に水没し、ダメージを受けました。この絵はダメージを受ける前の「最後の晩餐」を複製したものです。ダメージを受けた実物画は、以降、修復されました。 -
水没した絵画を修復した実物カンバス画ですが、色彩が明瞭ではありません。
なお、大洪水の後のサンタ・クローチェ聖堂や修道院の文化財修復で、日本の伝統的な文化財修復技術や和紙活用技術などが威力を発揮したそうです。京都大学や金沢大学など文化財保存修復を専門とする研究室が協力したようです。 -
サンタ・クローチェ聖堂と修道院の見学を終えました。ここはサンタ・クローチェ広場、30℃を超える猛暑の影響もあるかもしれませんが、観光客は少な目で、皆さん日陰を選んで歩いています。
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サンタ・クローチェ広場の西端にある噴水、水は出ていませんでした。
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広場西端からサンタ・クローチェ聖堂を振り返って眺めます。殺風景な広場と豪華な聖堂の対比が印象的です。
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ホテルに戻ります。サンタ・クローチェ広場からホテルまで数kmの距離がありますので、手軽な巡回バスを利用することにしました。
広場西端のジュゼッペ・ヴェルディ通りのバス停(Verdi)からバスに乗車、混んではいません。 -
バス乗車券、料金は1.7ユーロ
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15分程で、フィレンツェ中央駅(サンタ・マリア・ノヴェーラ)のバス停に到着。ここからホテル(Hotel Floren)まで、徒歩2-3分です。
フィレンツェ歴史地区の街歩きで、主な観光スポットを巡りました。この旅行記で紹介した個所以外にも多くの興味深く、美しい建物や彫像がありました。中世建造と思われる街中の名もない建造物、さりげなく置かれた彫像もしっかりと眺めると、見事な芸術品の感があります。フィレンツェ旧市街は、中世イタリア文化が凝縮して、今日まで保存されているように思いました。
今回巡った観光スポットでは、「メディチ家礼拝堂」の豪華さと美しさが印象に残りました。中世イタリアを支配したメディチ家、資産が枯渇するほどの費用をかけて製作した「メディチ家礼拝堂」、中世イタリア芸術に関心のある方にとってフィレンツェ観光で必見の観光スポットであると思います。
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