2026/10/06 - 2026/10/06
618位(同エリア694件中)
しろくまクンクンさん
- しろくまクンクンさんTOP
- 旅行記1775冊
- クチコミ182件
- Q&A回答10件
- 914,970アクセス
- フォロワー46人
さきたま古墳群へ行きました。
「埼玉古墳群」は、県名発祥の地「埼玉(さきたま)」にあります。古墳群は5世紀後半から7世紀中頃にかけて、大宮台地の北端に連続して築かれた、前方後円墳と大型円墳、方墳並びに小円墳群で構成される古墳群です。台地上の狭い範囲に大型古墳が密集する、全国でも屈指の規模の古墳群です。
こんなに身近に古墳群があることを知りませんでした。
日陰が少なくちょっと日差しがと良いときには厳しいですが素晴らしい場所です。
https://youtu.be/594Eicyuhfs
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
古墳群の案内図です。
上部にあります駐車場ではなく未舗装ですが中央にある赤いマークの駐車場へ駐輪しました。 -
青い矢印には古墳名が明記されています。
-
駐車場すぐ横にあります「二子山古墳」です。
-
綺麗な二つの山が並びます。
生け垣の中に入ることはできません。 -
正面は「丸墓山古墳」です。
手前植栽付近には「小円墳群」がありました。 -
さきたま古墳群には、大型の前方後円墳以外にも多くの円墳が確認されています。
この小円墳群はすでに削平されて埋葬施設は定かではありません。
形象埴輪や土師器の出土から5世紀末から6世紀後半に築かれたことがわかっています。 -
ちょっと紅葉が始まった???
-
「稲荷山古墳」です。
-
全長120mの前方後円墳です。
古墳が造られたのは5世紀後半でさきたま古墳群の中で最初に造られた古墳です。
1968年の発掘調査で後円部から二つの埋葬施設が発見されました。
礫槨から多くの副葬品が出土しました。 -
1968年の発掘調査で発見された埋葬施設です。
船形の竪穴に川原石を張り付け並べその上に棺を置きました。
右の写真が発掘時の様子です。 -
分かりやすく実物に近いイラストです。
実物の礫部は地下1m下に保存されています。 -
こちらは同じく後円部にあります「粘土槨」です。
この埋葬施設は素掘りの竪穴に粘土を敷き、その上に棺を置いたと推定されます。
盗掘の被害を受けたため出土した埋蔵品は少量の武器や馬具の破片だけでした。 -
円筒埴輪が並ぶ将軍山古墳が見えます。
-
後円から前方方面です。
-
「丸墓山古墳」へ向かいます。
-
直径105mの円墳では日本最大級です。
-
墳丘はさきたま古墳群の中で一番高く約17mあります。
墳丘に使われた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。
6世紀後半頃に築かれたと推定され、埋葬施設は確認されていません。
南側から古墳に至る道は、1590年に石田三成が忍城を水攻めにしたときに築いた堤防の後で「石田堤」と呼ばれ水責めの際には古墳の頂上に神が張られました。 -
階段を上ります。
-
頂上からの展望です。
-
そのまま反対側へ下ります。
-
「丸墓山古墳」を振り返ります。
-
古墳公園の案内図です。
-
駐車場前の「埼玉県立さきたま史跡の博物館」へ向かう途中にあります「愛宕山古墳」です。
-
さきたま古墳群の中では最も小さな前方後円墳です。
墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の形や大きさ、埋葬品の内容など詳しいことはわかっていません。
古墳の造られた時期は6世紀前半と推定されます。 -
埼玉県立さきたま史跡の博物館へ行きました。
-
古墳群の空撮です。
-
左から「男子埴輪」「家型埴輪」「朝顔形埴輪」
右手手前は「土師器 杯」です。 -
「盾持人埴輪」です。
盾をもっているので兵士でしょうが優しいお顔をしています。 -
奥が「白鳥形埴輪」手前が「鴨形埴輪」です。
よく特徴をとらえています。 -
奥左から「横矧板鋲留衝角付冑」「横矧板鋲留短甲」です。
手前「大刀」「蛇行剣」「鉾」です -
円筒埴輪です。
下中央の赤い所は発掘された古墳の場所です。 -
左から「琴を弾く男子」「捧げものをする女性埴輪」「家型埴輪」です。
-
左から「水鳥形埴輪」「盾を持つ男性埴輪」「馬をひく男性埴輪」です。
-
上段左奥から「刺青の男子」「鉢巻の男子」「冑をかぶる武人」です。
-
左「靫負男子」「鈴鏡を腰に下げる巫女」です。
このように荷物を背負った埴輪はちょっと珍しいかも・・・ -
金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)は、5世紀末の古代史の手がかりとなる超一級資料です。
表面です。 -
表面にはこの剣を造らせたものの家族構成書き込まれています。
-
金錯銘鉄剣裏側です。
-
務めと役職などが記されています。
-
博物館前の広い敷地に建つ休憩所となっている「旧遠藤家住宅」です。
-
「旧遠藤家住宅」のすぐ横にあります「瓦塚古墳」です。
-
全長73mの前方後円墳です。
発掘調査の結果から博物館に展示されている琴を弾く男子、踊る男女、武人などの人物埴輪、盾形埴輪、家型埴輪など多種の埴輪が並べられていたと推定されます。
墳丘内部は未調査で埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など詳しいことはわかっていませんが6世紀前半から中ごろに造られました。 -
「鉄砲山古墳」です。
作業中のようです。
鉄砲山古墳の名前の由来は江戸時代、砲術訓練としてこの墳丘を利用していたことに由来するのだそうです。 -
「二子山古墳」です。
-
全長132.2mの前方後円墳で、「武蔵国」最大の古墳です。
本格的な発掘調査はされていないため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など詳しいことはわかっていません。
6世紀初めころに造られたようです。 -
アオサギ??でしょうか
-
「二子山古墳」です。
立ち入りは禁止されています。 -
「将軍山古墳」へ向かいます。
-
全長90mの前方後円墳です。
明治27(1894)年に横穴式石室が発掘され、多数の副葬品が出土しました。
古墳の造られた時期は6世紀後半と推定されます。 -
古墳には「将軍山古墳展示館」があります。
-
たくましい武将が向かい入れてくれます。
-
古墳時代の馬の装いです。
きばの風習が始まるのは世紀末頃からで、朝鮮半島との交流の中できば術と馬具がもたらされました。
バグは5~6世紀の古墳に副葬品として納められていますが金属部分をつないでいた皮や布・木部分は腐食して残っていません。 -
将軍山古墳から発見された馬具には、騎乗に必要な轡・鞍・兜、馬を飾るための鏡板・辻金具・すゞ。杏葉・雲珠・蛇行状鉄器、戦いの際に馬の頭を保護する馬兜があります。
-
復元された姿です。
-
将軍山古墳は、埼玉古墳群で初めて横穴式石室を採用した古墳です。石室は石積で造られ、棺を納めるための長方形の玄室と、外部から玄室に通じる羨道で構成されています。側壁の石は120㎞も離れた千葉県富津市の海岸で採取されたと考えられる「房州石」が使用され、天井には埼玉県長瀞町付近から採取される大きな板状の緑片岩を使用していました。
-
古墳に立ち入ることはできません。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
行田・羽生・加須(埼玉) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
56