2026/10/06 - 2026/10/06
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しろくまクンクンさん
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岩殿山 安楽寺へ行きました。
岩殿山安楽寺は坂東11番の札所で古くから吉見観音の名で親しまれてきた。本尊は聖観世音菩薩で、吉見観音縁起によると、今から約1200年前に行基菩薩がこの地に観世音菩薩の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとしています。平安時代の末期には、源頼朝の弟範頼がその幼少期に身を隠していたと伝えられ、安楽寺の東約500メートルには「伝範頼館跡」と呼ばれる息障院があり、この息障院と安楽寺は、かつては一つの大寺院を形成していたことが知られています。
吉見百穴へ行きました。
古墳時代の末期(6世紀末~7世紀後半)に造られた横穴墓群で、大正12年に国の史跡に指定された。横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものであるが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じです。
箭弓稲荷神社
創建は、和銅5年(712)と伝えられています。
社記によると、平安時代の中頃、下総の国の城主平忠常が謀反を起こし、またたく間に近隣諸国を切り従え、ついにその威を関八州にふるい、大群をもって武蔵の国川越まで押し寄せてきました。
朝廷は、武門の誉れ高き武将源頼信を忠常追討の任に当たらせ、当地野久ヶ原に本陣を張り、頼信が野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲がにわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行きました。
頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、自ら先頭に立ち敵陣に攻め入ると、ふいを突かれた忠常軍はあわてふためき、一旦は後退したもののすぐに盛り返し、三日三晩にわたる激戦も、神を信じ戦う頼信軍が勝利しました。
帰陣した頼信は、ただちに野久稲荷に戦勝報告を済ませると、この勝利はご神威、ご神徳によるものだとして、ご社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶようにと里人に命じたのでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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駐車場は少し離れた所にあります。
参道には仁王像が立ちます。 -
仁王像の近くにありました。
安楽寺の庚申塔2です。 -
石段の上には仁王門があります。
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境内の入口に南面して立つ三間一戸の八脚門です。
正面両端間には金剛棚を廻めぐらし内部に"阿あ”"吽うん”の密迹金剛力士二体を安置しています。屋根は瓦葺であったが、現在は銅板葺に改められています。 -
仁王像の造立は息障院文書から元禄15年(1702年)と考えられています。平成8年~10年に実施した解体修理で、元禄年間の造立時の寄進者を列記した幅六寸、長五尺二寸の板が胎内から11枚発見されました。
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左奥本堂、右手は三重塔です。
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境内案内図です。
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薬師堂です。
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阿弥陀如来坐像です。
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仁王門を境内からです。
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宝篋印塔と三重塔です。
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本堂への石段です。
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今から約1200年前、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩がこの地を霊地とし、観世音菩薩の像を彫って岩崖に納めたことにその創始とされています。
坂上田村麻呂によって領内の総鎮守となり、その後、源平の合戦で名高い源範頼みなもとののりよりが吉見庄を領するに及び、本堂・三重塔を建立したが北条氏との戦いですべて消失しました。 現在の本堂は今から約350年前の寛文元年、秀慶法印によって再建されたものです。 -
三重塔です。
江戸初期の建築で埼玉県最古の三重塔です。
現存する三重塔は今から約380年前の寛永年間に杲鏡法印によって建築されたもので、本堂・三重塔・仁王門・大仏等の中では最も古い。 総高約24.3メートルの三重塔では基壇は設けられず、心柱は初重天井上の梁で支えられています。 -
鮮やかな彩色に力強さを感じます。
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庫裡への門です。
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本堂裏手の八起地蔵尊へ向かいます。
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鐘付堂です。
普通は見晴らしの良い場所にあるのですが周りを樹々に囲まれているのは珍しいかも・・・
右奥に見えるのは八起地蔵尊です。 -
八起地蔵尊です。
昭和60年(1985)に建立された新しいものです。 -
吉見百穴へ行きました。
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江戸時代の中頃には「百穴」の呼び名が生まれました。
明治になってから内外の著名な考古学者によって調査が行われ様々な意見が発表されました。
明治二十年、坪井昭五朗によって人骨、玉類、金属器、土器類が発掘されました。
大正時代には考古学の発達により各地で横穴の発見、発掘がなされ横穴は古墳時代の後期に支社を埋葬する墓穴として造られたものであることが明らかにされました。 -
見事ですね!!
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戦時中に横穴群がある岩山に地下工場の建設が行われ数十基の横穴が壊されました。
この場所は中から冷たい風が流れ非常に涼しくベンチも設置されているので休めます。 -
手すりが付いた階段で登ることができます。
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玄室の棺座から中央の通路にかけて溝が彫られ入り口に向けて傾斜があるので排水のための工夫がなされています。
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一部ゴムマットが敷かれて内部に入ることができます。
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上部から見下ろします。
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箭弓(やきゅう)稲荷神社へ行きました。
こちらは宇迦之御魂社(團十郎稲荷・穴宮)です。 -
宇迦之御魂社(團十郎稲荷・穴宮)です。
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社記によれば「穴宮は当社眷属の穴居成を以って俗に称す」とあります?
團十郎稲荷は、文政三年(1820)の秋七代目市川團十郎が芸道精進の大願成就の心願を祈願したことに始まります。 -
「門前茶屋 箭弓の森」です。
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駐車場から入ったので順番が違いましたがこちらの鳥居科エアサイド入ります。
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華手水です。
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華手水にユリは珍しいですね。
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境内内に赤い両部鳥居と左右に「神使 狐」です。
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「三ノ鳥居」(両部鳥居)。
唐破風懸魚「松・鷹」、上段に「左向きの龍」、下段に「右向きの「龍」、額周り「龍」彫刻があります。 -
箭弓(やきゅう)稲荷神社から野球のバット絵馬???
まぁいいか!!! -
社務所前のキツネ像です。
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拝殿です。
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ちょっとわかりにくいですが上部には刀鍛冶が彫られています。
下段は龍です。
日本刀の最高傑作を生みだした伝説の名工「三条小鍛冶宗近」です。
神の化身である狐の力を借りて、名刀「子狐丸」を鍛え上げる図です。 -
金洞八角燈籠のようですがお寺ではないのに・・・
神仏習合の名残で消化・・・ -
神楽殿です。
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美しい本殿です。
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本殿脇障子です
漢の天才軍師韓信が宿敵楚の砦を攻め落とした際の「奇計楚兵を走らす」という計略を描いています。 -
見事な龍です。
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龍と唐獅子がこれでもかというほど彫り込まれています。
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本殿大羽目の彫刻で、中国の有名な故事である「仙人の烏鷺」と呼ばれるものです。
「烏鷺」とは「囲碁」のことを示します。
仙人が対局している図です。 -
獅子がわが子を崖から落とす図です。
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逆光で分からないですが破風に「一角霊獣」が彫刻されています。
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彩色鮮やかな「元宮」です。
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龍に挟まれ黒っぽい彫刻は「獏」です。
「獏」は悪夢以外にも「鉄」を食する霊獣とされ、「平和」を象徴する霊獣の意味もあります。 -
本殿四方の龍です。
社殿には百数十と伝わる江戸後期の龍類がそこかしこに今も棲みついています。 -
本殿花頭窓彫刻です。
「伏羲と女媧」の容姿の如く二つの龍の尾が絡み合いその上部に宝珠を戴いています。
もともと花頭窓に施される龍は珍しく、全国的にも貴重です。 -
ご鎮座1300年を奉祝して作成された巨大な御朱印です。
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