2026/09/20 - 2026/09/20
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kasekunさん
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愛知県の篠島、日間賀島の後は三重県鳥羽市へ。ここからは4つの有人島(答志島、神島、坂手島、菅島)と無人島の日向島(通称イルカ島)へ行くフェリーが出ている。全く知らない島なのだが、近いし、伊勢神宮(内宮)にも時間があれば行ってみようと考え、目的地とした。
ちなみに三重県は2度目。1度目はガーナ派遣で同期だった方の結婚式に招かれ、大阪へ。同期が集まりみんなで三重県在住の方の案内で伊勢神宮へ。初のお伊勢参りだった。(この時はたしか伊勢神宮の外宮へ。)
結果、んーよかった!鳥羽水軍の九鬼氏ゆかりの地、三島由紀夫のゆかりの地にも行けた(行く前には全く知らなかった)。やっぱり、旅は見識を広げてくれる!いっぱい歩いて健康にもいいし、人生に潤いももたらしてくれる、、、
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愛知県師崎港からぐるっと伊勢湾回って三重県鳥羽市へやってきました。途中コンビニで休み休みしながら(車中泊)、早朝7時前に鳥羽マリンターミナルに到着。早速、フェリーターミナルにある地図と時刻表を見ながら予定を立てる。
サイトはここ
https://www.city.toba.mie.jp/soshiki/t_kanri/gyomu/doro_kotsu/kokyo_kotsu/1913.html
1日フリー乗船券があったので、4つの有人島をうまくまわる予定を考える、、、
で、選択したのは、答志島、神島、坂手島の3島訪問。
4島は行けないことはないが絶対見て回れない。
一番遠い神島に行く便は4便しかないので、そこがカギとなる。菅島は大きい島なので、明日回ろう!
●7:00鳥羽港→7:12答志島(桃取港)
答志島(桃取港)→徒歩で散策→答志島(和具港)
●11:00答志島(和具港)→11:20神島
●15:10神島→鳥羽港15:40
●16:10鳥羽港→16:20坂手島
●19:05坂手島→19:15鳥羽港
※この航路図は、本土側の拠点である鳥羽マリンターミナル(佐田浜)と、鳥羽市に属する4つの有人離島(計6つの漁港)を結ぶ以下の定期船ルートを示しています。
主な航路と目的地
●坂手島(坂手):本土から最も近く、定期船で約10分ほどでアクセス可能な島です。
●菅島(菅島):海女の文化や歴史的な灯台で知られる有人離島です。
●答志島(桃取・和具・答志):鳥羽市最大の離島で、島内には3つの発着港(桃取漁港、和具漁港、答志漁港)があります。
●神島(神島):三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台として非常に有名な、伊勢湾の入り口に位置する島です。 -
鳥羽マリンターミナルは近代的。案内掲示を見て、出港時刻、乗り場がすぐわかる!
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で、1日乗船券を荷物取り扱い所で購入(窓口は早朝には開いてない)し、7:00発のフェリーで答志島西にある桃取港へレッツゴー!
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※画像に写っている船は、三重県鳥羽市が運営する鳥羽市営定期船、または福岡市営渡船の「きんいん」など、日本の離島航路や旅客航路で広く採用されている双胴(カタマラン)型の高速旅客船です。白地に鮮やかなブルーのラインと、楕円形にデザインされた連続窓が特徴的な上部構造を持っています。このタイプの高速船は、波の影響を受けにくく安定した高速航行ができるため、本土と離島を結ぶ定期航路によく使われています。
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答志島(桃取港)に到着!
※答志島は伊勢湾の口に浮かぶ鳥羽市最大の離島で、豊かな漁場に恵まれた「漁師の島」として知られています。画像がある桃取地区は島の西側に位置しており、鳥羽本土(鳥羽マリンターミナル)から鳥羽市営定期船に乗って約12分~20分でアクセスできます。
桃取周辺の見どころ
名物桃取の路地散策:港から一歩入ると、離島特有の迷路のように入り組んだ狭い路地や、どこか懐かしい木造の街並みが広がっています。
桃こまち(ブランド牡蠣):桃取といえば、豊かな海ではぐくまれるブランド牡蠣「桃こまち」の養殖が非常に有名です。シーズンには多くのグルメ客が訪れます。サンビーチ桃取:港から少し歩いた場所にあり、夕日の美しいスポットとして親しまれています。 -
和具港まで歩いて5.6キロ。桃取地域は散策せず先を急ぎます、、、。11:00前には和具まで到着しなければ、神島、坂手島に行けない!
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あ、そうそう、これが1日乗船券!
※画像に写っているのは、三重県応援ポケモン「ミジュマル」がデザインされた鳥羽市営定期船の1日フリー乗船券です。 -
※答志島は鳥羽湾で最も大きな有人離島で、島民の多くが一本釣りや底引き網、海女漁などの漁業に従事している非常に活気のある漁村です。
答志島の漁港の特徴
豊かな漁場とブランド魚: 伊勢湾の入り口にあるため海流が複雑で、多様な魚介類が獲れます。特に脂の乗った「答志島トロさわら」やカキの「桃こまち」などが全国的に有名です。
独自の伝統文化: 写真に写るのどかな風景の裏には、日本で唯一この島にだけ残る「寝屋子(ねやこ)制度」(15歳になった男子が共同生活を送り絆を深める制度)などの貴重な民俗文化が今も息づいています。
独特な町並み: 港から一歩入ると、漁村特有の家々が密集した細い路地(マズ)が迷路のように広がっています。 -
※三重県鳥羽市沖に浮かぶ離島「答志島(とうしじま)」の「答志島スカイライン」沿いから見た風景(桃取地区側から左手に海を望むガードレール沿いの道)です。答志島は鳥羽湾および三重県内で最大の有人離島です。戦国時代に活躍した九鬼水軍の将・九鬼嘉隆ゆかりの史跡や、独特の漁村文化(寝屋子制度など)が今なお色濃く残る魅力的な島です。
答志島の主要な観光・見どころ
島内はノスタルジックな漁村の路地裏が広がり、ハイキングやグルメを目的に日帰りで訪れる観光客にも人気です。
絶景スポット(レイフィールド / ブルーフィールド):島を横断する「答志島スカイライン」を進んだ先にある展望台「RAY FIELD」からは、鳥羽湾や伊勢湾の大パノラマを一望できます。
歴史・史跡(九鬼嘉隆の首塚・胴塚):関ヶ原の戦いで西軍に属し、この島で自刃した九鬼水軍の将・九鬼嘉隆の遺言によって建てられた首塚・胴塚が和具地区に残っています。
パワースポット(美多羅志神社):子授けのご利益があるとされる神社で、境内には龍の顔の形に見える不思議な椎の木(龍神さん)があります。
島グルメ:伊勢エビ、サワラ、タコ、ワカメ、ブランド牡蠣「桃こまち」など、四季を通じて新鮮で豊富な魚介類を味わうことができます。 -
※桃取漁港から正面(北側)に広がる「牛島(うしじま)」や「浮島」が海に浮かぶ、桃取ならではの美しい天然の良港の佇まいがはっきりと分かります。
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※和具と桃取を結ぶ県道(答志島スカイライン)から見下ろす伊勢湾の美しい多島美、そして緑豊かな木々の先に見える島々の重なりは、まさに答志島ならではの素晴らしい景観です。周辺には大築海島や小築海島、浮島などの無人島が点在しており、この写真の構図も島を横断するハイキングコースや展望スポットからの視界と一致します。
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答志島の西から東へ横断中、、、てくてくてくてく、、、
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無人島がたくさんあります、、、
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水源発見!
※こちらは答志島の中央部、島を縦断するスカイラインの近くにあるニシゴの井戸上流ダム(湧水池・貯水池)、あるいは島内の水利施設周辺から撮影された景色です。 -
※この写真は、島内を縦断する道路「答志島スカイライン」の近くや山間のエリアから、島内の重要な水源(淡水池や農業用ため池・調整池の堰堤)を見下ろした風景です。答志島は周囲を海に囲まれていますが、島の中央部には山や緑豊かな自然が広がっており、このような貯水設備が島民の生活やインフラを支えています。
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水は離島にとって、とっても大事なんですよね。
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だいたいここら辺が島の真ん中あたり、、、
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用水路を何気なく見てたら、、、あれは亀じゃないか!
AIに尋ねてみると、
※スカイライン周辺には、山の水をためる小さな池や沢が点在しています。このカメは、そうした山の生息地から、たまたま道路脇の細い水路に移動してきたのかもしれません。うっすら見える写真の甲羅の丸みや色合いからするとクサガメのようにも見えますが、もし甲羅の後ろがギザギザした平べったいカメであれば、島の大自然が育んだニホンイシガメです。
クサガメかニホンイシガメ、、、んー、水路で野生の亀を見るのは実は生まれて初めて!いいもの見ちゃった!(故郷の島の小川にはニホンザリガニがたくさんいた。子供の頃、よく石をめくって捕まえてた!) -
たぶんスズメバチ用のトラップ、、、
※離島である答志島は緑豊かな山林が多く、ハイキングや山仕事、あるいは畑仕事などで人が入る山道や森林エリアには、危険なスズメバチの被害を防ぐために地元の方や自治体関係者が防除用としてこの罠(誘引トラップ)を仕掛けることがよくあります。 -
でっかい蜘蛛!ジョロウグモらしい。
自分の地域にはいないんでビックリした! -
お地蔵様発見!
※お地蔵様(地蔵菩薩)とは仏教において、釈迦の入滅後から弥勒菩薩(みろくぼさつ)が現れるまでの間、この世に仏がいない期間に人々を救済するとされる非常に慈悲深い存在です。日本では特に「子供の守り神」や「旅の安全を守る神」として民間信仰と深く結びつき、集落の入り口や辻、山道などに多く祀られています。 -
んー、趣あっていいですね。
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この花があたり一面、、、見たことないのでAI に北海道にもはえてるのか尋ねてみたら、、
※午後になると赤っぽく変わる: この種類は、朝方はきれいな「青」ですが、午後になると「赤紫~ピンク色」へと花の色が変化する不思議な特徴を持っています。冬越ししてどんどん増える: 寒さに弱いため北海道では冬に枯れてしまいますが、温暖な答志島では根が枯れずに冬を越します。そのため、毎年春になるとそこからさらに蔓(つる)を伸ばし、周囲の茂みや崖を覆い尽くすほど旺盛に繁殖します。 -
※画像に写っている植物は、青紫色の花とハート型の葉の特徴から、ノアサガオ(野朝顔、別名:リュウキュウアサガオ・宿根朝顔)と思われます。
特徴分類: ヒルガオ科サツマイモ属の多年草です。
花と葉: 直径8~12cmほどの青紫色の大きな花を咲かせ、先端が尖ったハート型の葉を持ちます。
開花期: 初夏から11月頃の冷え込む時期まで、長く花を楽しむことができます。
繁殖力: つるの伸びが非常に強く、旺盛に広がって周囲の木々や草地を覆うことがあります。 -
※この植物は、ミツバウツギ科ゴンズイ属(またはミツバウツギ属)の落葉小高木であるゴンズイ(権萃、学名:Euscaphis japonica)です。
主な特徴と見分け方果実と種子:秋(8月下旬~10月頃)になると、果実(袋果)が鮮やかな赤色に熟します。熟すとぱかっと肉厚な果皮が裂開し、中から強い光沢のある黒い種子が1~2個顔を出します。この赤と黒のコントラストが非常に目立つため、山林や公園などでよく人目を引きます。葉の形:画像の下部に見られるように、数枚の小葉が羽のようにならぶ奇数羽状複葉(きすううじょうふくよう)が対生してつきます。葉の縁には細かなギザギザ(鋸歯)があります。樹皮:成長した幹や枝の紫褐色の樹皮には、縦方向に不規則な白い筋模様(模様)が入る特徴があります。英語圏では、熟して割れた赤い果実の形がハートに見えることから「Korean Sweetheart Tree」とも呼ばれ、観賞価値の高い庭木としても親しまれています。
北海道には生えてないらしい、、、。やはり北海道の自然とは違う、、興味深いですね。 -
てくてくてくてく、、、やっと人家が見えてきました。和具地区に到着!
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これは何?
※この写真は三重県鳥羽市に属する離島、答志島(とうしじま)の和具地区などで見られる風景です。この場所は、主に春から秋にかけて水揚げされるカタクチイワシなどの幼魚を釜茹でした後、天日干しにするための「ちりめん(しらす)干し場」です。
答志島のちりめん干し場ちりめんの網棚: 写真にある黒い格子状の台は、しらすを広げた細かい網を載せるための専用の棚(乾燥台)です。
島の風景: 答志島の定期船が発着する和具港のすぐ目の前や集落の開けた平地にこの干し場が広がっており、最盛期には一面にしらすが干され、島の日常や伝統的な漁村を象徴するノスタルジックな光景となります。天気が悪い日や漁が行われない日には、写真のように網が外されて枠組みだけが静かに並んでいます。 -
※定期船が発着する鳥羽市営定期船和具港の周辺には、徒歩で散策できる魅力的なスポットが集まっています。世古(せ古)と呼ばれる路地裏: 港から一歩中に入ると、風よけのために家々が密集した迷路のような狭い路地が広がります。島民の必需品である手押し車「じんじろ車」や、家々の玄関に墨で書かれた魔除けの「まるはち(〇八)」マークが見られます。
九鬼嘉隆ゆかりの史跡: 戦国武将・九鬼嘉隆の「首塚」や、自刃した地とされる「胴塚」へも和具港から徒歩でアクセス可能です。
美多羅志(みたらし)神社: 境内にある椎の木が龍の頭の形に見えることから「龍神さん(見返り龍)」として親しまれているパワースポットです。
和具サンシャインビーチ: 港のすぐ近くにある、白い砂浜が美しい海水浴場です。 -
首塚?
この時は全く調べてなく、この案内板に引き付けられ、見に行ったのでした、、、 -
※画像は、三重県鳥羽市に属する離島・答志島の和具漁港近くにある築上(つかげ)岬の案内看板です。
主な見どころと歴史九鬼嘉隆の首塚: 織田信長や豊臣秀吉に仕え、「九鬼水軍」を率いて活躍した戦国武将・九鬼嘉隆の首塚がこの築上岬の山頂付近にあります。嘉隆は関ヶ原の戦いで西軍に加わり敗北した後、この答志島で自刃しました。彼が愛した鳥羽の海が一望できるこの場所が、家臣たちによって墓所に選ばれました。
築上島(つかげしま): 岬のすぐ目の前の海に浮かぶ小さな無人島で、豊かな自然が残されています。
→この看板見て、首塚の正体がわかりました。戦国武将九鬼嘉隆の首塚だったようです。
で、歴史大好き、戦国武将は特に大好きなもんで、意図せず、この答志島に来たわけですが、ラッキーです!足も早くみたい!と進むわけです。 -
んー?九鬼水軍にまつわるものか?と思いましたが、違いました。
※祠(ほこら)の内部に祀られているのは、「弘法大師(空海)」の像、いわゆるお大師さん(お大師様)だと思われます。答志島(特に答志地区や和具地区など)には、四国八十八ヶ所霊場にちなんだ「島四国(しましこく)」や「答志島八十八ヶ所」と呼ばれるミニ霊場巡りの文化が深く息づいています。島の路地裏や高台など、あちこちにこのような小さな祠が設置されており、その多くの中に弘法大師の像が安置されています。毎年旧暦の3月21日(弘法大師の命日)に近い時期になると「大師参り(お大師さんフェア)」が行われ、島民や訪れた人々がこれらの祠を巡り、お菓子や五目ご飯などのお接待を受ける伝統行事が今も大切に続けられています。この像の特徴として、以下の点が挙げられます。服装・姿勢: 僧侶の姿(袈裟を身にまとっている)をして座っています。持ち物: 右手に「五鈷杵(ごこしょ)」という法具を胸の前で持ち、左手には「数珠(じゅず)」を握って膝の上に置いています。まさに答志島ならではの、温かいお接待の文化と歴史を感じさせるお大師様の祠です。 -
この小道(せこ?)を登って行きます、、
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森のなか、、、島にはさすがに熊はいませんよね、、、
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※画像に写っている道標は、三重県鳥羽市の離島・答志島(とうしじま)の和具地区にある、武将・九鬼嘉隆の首塚や胴塚へと続く山道に設置されたものです。
周辺のスポット情報
首塚:方向を示す標識から約 130 m
胴塚:方向を示す標識から約 450 m
見晴らし台:方向を示す標識から約 350 m -
※この案内板は、三重県鳥羽市の答志島にある三重県指定史跡「九鬼嘉隆墓(首塚)」に設置されているものです。戦国時代に織田信長や豊臣秀吉のもとで「九鬼水軍」を率いて活躍した武将・九鬼嘉隆は、1600年の関ヶ原の戦いで西軍に与しました。西軍の敗戦後、答志島の和具にて自刃(切腹)して果てています。嘉隆の死後、実検(首実検)に供された彼の首級(首)は家臣たちによって引き取られ、「鳥羽城の見える場所に埋めてくれ」という遺言に従って、鳥羽城を一望できる築上山(つかげやま)の山頂に葬られました。それがこの「首塚」です。なお、嘉隆の「胴体」を葬ったとされる「胴塚」は、ここから離れた和具の町中に別途建てられています。
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※画像に写っている案内板は、三重県鳥羽市の答志島にある戦国時代の水軍大名・九鬼嘉隆の首塚付近に設置されている解説板(「父上、死ぬこと、なりませぬぞ」と記されたもの)です。
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おー、こんなでっかいムカデ、日本では初めて見たー!
※日本国内でよく見られる大型のムカデであり、樹木の表面や草むら、石の裏などに生息しています。
⚠️ 注意点と危険性強い毒を所持:不用意に触ったり近づいたりすると、鋭い顎で噛みつかれる危険があります。激しい痛みと腫れ:噛まれると非常に激しい痛み、赤み、腫れが生じます。
💡 万が一噛まれてしまった場合の一般的な対処法すぐに冷やさない:ムカデの毒の成分は熱に弱いとされるため、43℃~45℃程度の「お湯」で洗い流すと痛みが和らぐと言われています(※冷やすと逆に痛みが強まる場合があります)。医療機関への受診:症状が重い場合や、アレルギー反応(アナフィラキシーショックなど)が見られる場合は、直ちに病院(皮膚科など)を受診してください。
→ガーナではもっとドでかいやつ、教室掃除してたら見つけちゃいました。そしたら子供たち、原型がわからんぐらい、なたでぶったぎってました。 -
※この画像は、三重県鳥羽市の答志島(和具)にある戦国時代の水軍将・九鬼嘉隆の首塚です。場所:三重県鳥羽市答志町(築上山山頂付近)歴史:関ヶ原の戦いで西軍について敗れた九鬼嘉隆がこの地で自刃し、「鳥羽城が見える場所に埋めてほしい」という遺言により葬られたとされています。特徴:周囲は石の柵で囲まれ、自然石の碑や花が供えられています。
あのムカデがここを守ってるのかもしれません。 -
※画像に写っているのは、三重県鳥羽市の答志島(和具)にある戦国武将・九鬼嘉隆の「首塚」です。場所の特徴:三重県鳥羽市、答志島の和具地区の丘の上にあります。関ヶ原の戦いで敗れた鳥羽城主・九鬼嘉隆がこの地で自刃した後、その首が葬られたと伝えられています。周辺は和具の美しい海岸や漁港の風景が広がっています。
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九鬼嘉隆公、、、近世大名九鬼氏の藩祖。
1つ、九鬼氏の謎が解けました。実は自分、大学では日本史を専攻してまして、「近世大名の相続」をずっと研究しています。近世大名家は男子が絶えると養子を迎え、なんとか改易されぬようにしていました。この養子が、なぜその家から迎えいれたのかという研究です。普通はその家の親族(女系も含め)から養子を迎えます。でも、時折、なんでこの家から養子を迎えたの?と不思議な相続があるのです。全く血のつながりのない家から養子を迎えることがあるのです。
九鬼家もその1つでした。九鬼家では丹波国綾部藩4代藩主九鬼隆寛が全くわからずじまいでした。この方、ウィキによれば
「播磨国林田藩主・建部政周の三男として誕生した。
正徳2年(1712年)に先代藩主・九鬼隆直の養嗣子となる。正徳3年(1713年)1月30日、隆直の隠居により家督を継いだ。正徳5年(1715年)、藩校である進徳館を創設する。しかし享保年間には天災が相次いだため、藩札の発行や上米制度、御用金賦課などの藩政改革を行なった。明和3年(1766年)3月8日、家督を四男の隆貞に譲って隠居し、天明6年(1786年)5月23日に87歳で死去した。法号は休翁隆山泰岳院。
次代の隆貞は隆寛に先立って死去したが、その婿養子の隆棋を除いて、綾部藩九鬼家は隆寛の血筋で続いた。また隆寛は、九鬼家宗家である三田藩九鬼家に隆貞の兄の隆由、次いで隆邑を養子に出しており、幕末に養子入りした隆義以後も含めて、こちらも隆寛の血筋で続くことになった。」
、、、全く藩祖の九鬼嘉隆公と血のつながりはない。しかも、この方の子孫が宗家の九鬼家も相続している、、、。ずっと謎でした。 -
でも、これを機会に探ってみたところ、やっと解明できました。それがこの系譜です。
◎藤原隆家
藤原経輔
女子(藤原忠家室)
藤原俊忠
女子(藤原光房室)
吉田経房
吉田定経
吉田資経
吉田経俊
女子(正親町三条実仲室)
三条公明
女子(正親町三条実継室)
正親町三条公豊
女子(京極高光室)
京極持清
女子(織田良信室)
織田信定
織田信秀
織田信時
女子(下間頼龍室) ※池田恒興養女
女子(建部光重室) ※池田輝政養女
建部政長
建部政宇
建部政周
九鬼隆寛
九鬼氏の伝承によれば、(ウィキ坊門家より)
◎藤原隆家
藤原経輔
藤原師信
藤原経忠
藤原信輔
藤原信隆
坊門信清
坊門忠信
坊門基信
坊門信宗
坊門信良
坊門信行
坊門信藤
坊門信守
※坊門信豊
①九鬼隆信
②九鬼隆治
③九鬼隆房
④九鬼隆良 ※熊野別当後裔・鳥居道有の子?
⑤九鬼隆基
⑥九鬼隆次
⑦九鬼泰隆
⑧九鬼定隆
⑪九鬼嘉隆
⑫九鬼守隆
※坊門信豊は一部の系譜資料や九鬼氏の伝承・異説において、九鬼氏の祖とされる九鬼隆信の父、あるいは祖先の関連人物(坊門信豊の子説など)として言及されることがあります。 -
※この画像は、三重県鳥羽市の答志島(とうしじま)にある、戦国時代の水軍武将・九鬼嘉隆(くき よしたか)ゆかりの史跡に設置されている案内看板です。Ins看板に書かれている「九鬼右馬允(くき うまのじょう)」は、織田信長に仕えていた時期に嘉隆が名乗っていた官職・通称名です。
書かれている内容: 信長の命により建造した「鉄甲船」を率いて、石山本願寺を支援する毛利水軍(村上水軍など)を破った「第二次木津川口の戦い(1578年)」での大戦功を称えた一節などが記されています。
場所: 答志島の築上岬(つかげみさき)山上にあり、彼の「首塚」や「胴塚」へと続くハイキングコースの途中に設置されています。
嘉隆は関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗戦後にこの答志島で自刃しました。島内には首塚、胴塚のほか、自刃の際に刀を洗ったとされる「血洗い池」などの史跡が残されており、歴史ファンの巡礼スポットとなっています。 -
歴史は忘れ去られてしまいます。でもなんとか残そうとの試みはなされます。九鬼家の相続もきっとそうなのでしょう。自分たちの祖先は坊門家につながる家だ!仮冒なのかもしれませんが、養子を迎えることで、伝承をなんとか真実に近づけ、家も存続させて行く、、、今の九鬼家当主もなぜ自分が当主なのかわからないかもしれません。でも、通字の「隆」、誰が母なのか、伝承はどうなのか等、断片的な事柄をちゃんと残してくれたお陰で、この九鬼家の相続の謎が解けました。
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※画像に写っている案内板は、三重県鳥羽市の答志島にある戦国時代の武将・九鬼嘉隆に関する史跡(首塚付近など)の説明板です。場所: 三重県鳥羽市・答志島(和具など)内容: 関ヶ原の戦いで西軍について自刃した九鬼嘉隆の悲話(息子・守隆からの助命の知らせが間に合わなかったエピソードなど)が記されています。
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※史跡の概要織田信長や豊臣秀吉に仕え、「九鬼水軍」を率いて大名にまで上り詰めた戦国武将・九鬼嘉隆(1542~1600年)の墓所です。関ヶ原の戦いにおいて、嘉隆は西軍(石田三成方)に属し、息子の守隆は東軍(徳川家康方)に属して親子で敵味方に分かれて戦いました。西軍が敗れた後、嘉隆はこの答志島に逃れました。守隆は父の助命を家康に乞い、それが認められたものの、その吉報が島に届く前に嘉隆は和具の洞仙庵(洞泉庵)にて59歳で自刃しました。胴塚と首塚について嘉隆の遺言「鳥羽城の見える地に葬れ」に従い、遺体は以下のように分けて葬られました。
首塚: 鳥羽城を遥かに望むことができる築上山(岬)の山頂にあります。
胴塚(この案内板の場所): 自刃した場所のすぐ近く、山の麓にあります。現在は三重県の指定文化財(史跡)に指定されており、花崗岩製の五輪塔が建てられています。近くには自刃した刀を洗ったとされる「血洗い池」も残されています。
→59歳で自刃、、、自分も数えて59歳、なにか縁を感じます、、、 -
胴塚です、、、
※九鬼嘉隆墓(胴塚)の概要歴史的背景: 九鬼嘉隆は織田信長や豊臣秀吉に仕え、強大な「九鬼水軍」を率いた武将です。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗れ、ここ答志島で自刃しました。嘉隆の遺体のうち、胴体がこの和具地区の麓に葬られ、九鬼嘉隆墓(胴塚)として祀られています。首塚との違い: 切り落とされた首は、首実検(生存や身元の確認)のあとに戻され、「鳥羽城の見える場所に」という本人の遺言に従って近くの築上山頂に九鬼嘉隆墓(首塚)として別に埋葬されました。文化財指定: 墓所にある花崗岩製の五輪塔は、三重県の指定史跡になっています。 -
一応、この考察が正しいのか確かめてみました。九鬼家に入った別の養子を見てみると、、、
4九鬼隆律は因幡鳥取藩主池田光仲の3男
◎藤原隆家
藤原経輔
女子(藤原忠家室)
藤原俊忠
女子(藤原光房室)
吉田経房
吉田定経
吉田資経
吉田経俊
女子(正親町三条実仲室)
三条公明
女子(正親町三条実継室)
正親町三条公豊
女子(京極高光室)
京極持清
女子(織田良信室)
織田信定
織田信秀
織田信長
徳姫(松平信康室)
登久姫(小笠原秀政室)
万姫(蜂須賀至鎮室)
三保姫(池田忠雄室)
池田光仲
九鬼隆律
5九鬼副隆は柳生宗春(大和柳生藩主柳生宗冬の長男)の2男
6九鬼隆久は大和柳生藩主柳生宗在の2男
◎藤原隆家
藤原経輔
女子(藤原忠家室)
藤原俊忠
女子(藤原光房室)
吉田経房
吉田定経
吉田資経
吉田経俊
女子(正親町三条実仲室)
三条公明
女子(正親町三条実継室)
正親町三条公豊
女子(京極高光室)
京極持清
京極勝秀
京極高清
京極高吉
マグダレナ(朽木宣綱室)
京極高通
女子(柳生宗冬室)
柳生宗春
九鬼副隆
女子(柳生宗冬室)
柳生宗在
九鬼隆久
7九鬼隆抵は旗本戸田忠章(下総佐倉藩主戸田忠昌の5男)の2男
◎藤原隆家
藤原経輔
女子(藤原忠家室)
藤原俊忠
女子(藤原光房室)
吉田経房
吉田定経
吉田資経
吉田経俊
女子(正親町三条実仲室)
三条公明
女子(正親町三条実継室)
正親町三条公豊
女子(京極高光室)
京極持清
女子(織田良信室)
織田信定
織田信秀
織田信長
徳姫(松平信康室)
熊姫(本多忠政室)
国姫(有馬直純室)
長子(秋元富朝室)
女子(戸田忠昌室)
戸田忠章
九鬼隆抵
やっぱりそうでした。考察は正しいように思えます。 -
※画像に写っている石碑は、戦国時代の武将・九鬼嘉隆が自刃した地である「洞泉庵址(とうせんあんし)」の石碑です。洞泉庵址について場所: 三重県鳥羽市答志町(答志島・和具地区)にあります。歴史: 関ヶ原の戦いで西軍について敗れた九鬼嘉隆が、慶長5年(1600年)に逃亡先の答志島で自刃した場所と伝えられています。周辺の見どころ: 近くには嘉隆の首を埋めたとされる「胴塚」や、血を洗ったと伝わる「血洗池」などの史跡が残っています。
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※画像に写っている案内板は、三重県鳥羽市答志島にある史跡「血洗い池(九鬼嘉隆に関連した史跡)」のものです。血洗い池の概要場所: 三重県鳥羽市答志町(答志島・和具地区)由来: 関ヶ原の戦いで敗れた武将・九鬼嘉隆が答志島に逃れ、その後自刃した際、その血に染まった刀を洗ったと伝えられている池です。周辺の史跡: 近くには九鬼嘉隆の首塚・胴塚や、自刃した洞泉庵の跡(石碑)があります。
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ここでは大切にされているようです、、、。
選択的夫婦別姓なんて、家なんかぶち壊せ!という歴史を冒涜する発想、、、この間までそんな議論が国会で繰り広げられていた、、、今にきっとバチがあたると思っちゃうのは、自分がジジイになったからでしょうかね? -
でも、そんな戯れ言は竹田恒泰さんの正論一撃で木っ端微塵に吹っ飛び、日本の家族制度を守り抜いた!よかったよかった!
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答志島の路地、、、日本の原風景ですね。
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※この場所は、答志島の東部、和具集落の中にひっそりと佇む和具八幡神社の境内です。周辺の密集した民家や細い路地(島では「じんじろ車」などが通る路地裏)の中にあり、低い石垣に囲まれた独自の佇まいが特徴です。
答志島・和具八幡神社の特徴と文化独自の佇まい: 画像に写っている石柱や小さな木製の祠、そして周囲を囲む低い石垣(玉垣)のみで構成された、ごく簡素ながらも島の人々に大切に守られている神聖な空間です。
「まるはち」神事の伝統: 答志島といえば、旧正月に開催される「八幡祭」が有名です。境内で大きな的に墨で「マルハチ(◯に八)」と書き、それを弓で射た後、氏子たちがその的の墨を激しく奪い合います。魔除けの風習: 祭りで勝ち取った墨を使い、島内の家々の壁や漁船、門口に「マルハチ」のマークを描くことで、1年の豊漁や家内安全、魔除けを祈願する独特の島文化が今も色濃く残っています。 -
※画像に写っているのは、三重県鳥羽市の答志島にある和具八幡神社の境内(または周辺)にある小さな祠(ほこら)のようです。場所: 三重県鳥羽市(答志島・和具)特徴: 漁業の盛んな島にあり、周囲を木製の柵や石で囲まれた素朴で風情のある小さな社です。
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※手前のコンクリート壁(堤防)からのアングルや、奥に広がる緑豊かな山が海へと突き出る特徴的な地形、そして砂浜と岩場が入り混じる景観は、まさに答志島(答志地区)の大間の浜そのものです。答志島・大間の浜について和具八幡神社が佇む場所: 浜のすぐ近くには大漁祈願や海上安全を司る和具八幡神社が祀られており、島民に深く大切にされている静かで綺麗な海岸です。
素晴らしい透明度: 夏場は大間の浜海水浴場としてオープンし、混雑の少ない穴場のビーチとしてのんびり過ごすことができます。伝統の息づく海: 答志島は海女漁やワカメ漁などの漁業が非常に盛んな島で、この美しい海と共に豊かな島文化や寝屋子制度などの歴史が今も受け継がれています。 -
いいね、この雰囲気!
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画像に写っている建物は、三重県鳥羽市の離島・答志島にある鳥羽市立答志小学校(旧校舎、現在は鳥羽市立答志中学校と統合して小中一貫教育校となっています)です。
独特な白いバルコニー構造や、ピロティ(1階の柱で支えられた空間)による昇降口の設計が特徴的な建物です。 -
お寺に行ってみます、、
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※画像は三重県鳥羽市の答志島にある潮音寺(ちょうおんじ)の観音堂と、手前に設置された鳥羽市指定有形文化財「潮音寺の聖観音像」の説明看板です。
歴史と見どころ: 潮音寺は承和7年(840年)に創建されたと伝わる古刹です。境内にある観音堂には、平安・鎌倉・室町の3つの異なる時代に造られた3躯の聖観音菩薩像が安置されており、これらを同時に拝観できる非常に珍しいお寺として知られています。
文化財の聖観音像: 3躯のうち、平安時代に作られた1躯は鳥羽市の指定有形文化財(彫刻)に指定されています。よく原形を留めており、衣装の裾(裳)の表現に平安期の特徴が色濃く残っています。長者が谷の伝承: 看板にも記載されている伝承によると、この聖観音像はかつて答志島の東南側にあった大きな集落「長者が谷」で祀られていたもので、集落の移動とともに現在の地へ移されたといわれています。 -
おー!古墳もあるんか!
※画像に示されている案内板は、三重県鳥羽市にある離島・答志島(とうしじま)の山中にある「岩屋山古墳」への道標(400m先)です。
特徴: 標高約80mの山頂付近にある直径約22メートルの円墳で、大きな天井石を持つ横穴式石室が良好な状態で残っています。山中や集落の間を歩くため、歩きやすい服装と靴が必要です。 -
※画像に写っている案内板は、三重県鳥羽市の答志島にある市指定史跡の「答志の岩屋山古墳」です。岩屋山古墳の概要場所: 三重県鳥羽市答志町(答志島の標高約80mの山頂付近)特徴: 直径約22メートル、高さ2.5メートルの円墳で、この地方屈指の大きな横穴式石室がほぼ完全な形で残っています。石室: 全長約8.7メートル(または22mの規模)、天井には大きな6枚岩が使われており、見事な石組を見ることができます。状態: 浸水や崩壊の危険を防ぐため、現在は立ち入りが禁止され、内部にサポートが設置されています。
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何度か古墳も見に行ったことあるけど、穴は初めて見ました!ただのこんもりした山しか見たことなかったんで、ちょって感動!ホントに墓なんですね!
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雨が入り込まないようにカバーがかけられてました。やっばりここも大事にされてました。
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さて、そろそろ、タイムアップみたい、、、。ですが、せっかくなので、もう1つある古墳も行ってみました。
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ヨモギが古代の墓主を守っていますね。
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あら、ふと見ると柿の木が、、、。これも北海道では見られません。ただ、自分、子供の頃、よく秋田県の伯母さん家に行ってたので、柿の木は珍しくありません。そこら中はえてますから。
「食べられるの?」よく聞いたものです。渋くて食べられないとのこと。酒に漬けて、渋みをとって、干し柿にして食べると聞いたんですけど、本当でしょうか? -
うん、古墳も見れたし、この島は楽しかった!訪れて正解でした。
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あ、さっきの古墳は、、、
※画像に写っている案内板は、三重県鳥羽市の離島・答志島にある史跡「蟹穴古墳(がにあなこふん)」のものです。
蟹穴古墳の概要場所: 三重県鳥羽市(答志島内)特徴: 7世紀後半に造られたとされる径約11m、高さ1.5mの円墳です。
内部は横穴式石室となっており、古墳時代の国重要文化財である須恵器「台付長頸瓶」が出土したことで知られています。 -
これが出土した「台付長頸瓶」だそうです。、、、。国宝!
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100573&content_pict_id=0 -
古墳の近くには、共同墓地、、、。ここは聖なる場所、、、古代からの教えを引き継いでいるんでしょうね。
※手前にある階段や銀色の手すり、そして谷間に沿ってひな壇状に美しく和型墓石が並ぶ独特の地形は、答志島の山あい(答志地区や和具地区周辺の山中)にある島特有の景観そのものです。 -
※この写真は、三重県鳥羽市答志町に鎮座する美多羅志神社(みたらしじんじゃ)の鳥居です。
主な特徴と見どころ
龍神の社: 境内には、伊勢湾台風の後に現れたとされる、龍の姿にそっくりな御神木「龍神さん」があることで有名です。
安産・子宝の信仰: 祭神に天忍穂耳命などを祀り、古くから子宝や安産の神様として島民や多くの参拝客から信仰を集めています。
アクセス: 鳥羽港(佐田浜佐田浜港)から定期船で答志島(和具港または答志港)へ渡り、そこから徒歩で向かうことができます。島独特ののどかな雰囲気と、緑に囲まれた厳かな石段の参道が魅力的なスポットです。 -
※画像に写っている建物は、三重県鳥羽市の答志島にある美多羅志神社の拝殿周辺の景色のようです。この拝殿は、床面や周囲に白い玉石(小石)が敷き詰められた開放的な造りが特徴となっています。島では、参拝する際に社殿の手前にある段のところで履物(靴)を脱いでお参りする風習があることで知られています。
→、、、やっちまったか?靴脱いでないかも、、、 -
※画像に写っているのは、三重県鳥羽市の答志島(和具集落)にある美多羅志神社(みたらしじんじゃ)の本殿とみられます。美多羅志神社の情報場所: 三重県鳥羽市答志町ご利益: 子授け(夫婦で参拝し、つがいのアワビをお供えすると美しい瞳の子どもを授かると伝えられています)特徴: 伊勢神宮と同様に20年ごとに式年遷宮が行われる神明造りの本殿で、金飾りのある立派な扉や手前の狛犬・灯籠が特徴です。
-
※画像に写っている案内板は、三重県鳥羽市の答志島にある美多羅志神社の境内の池で2018年2月に発見されたオオウナギに関するものです。
場所:三重県鳥羽市・答志島(美多羅志神社)内容:神社の小さな池で全長約1.3メートルのオオウナギが見つかった際の記録や解説が掲示されています。 -
こんな小さな池に、1.3メートルもある大ウナギが住んでたなんて、、、。御利益がさぞある神社ですね。
-
というところで、時間の関係で、もう少し先にある答志地区は行けなかったけど、たっぷり散策できました!
追記、、、
やっぱり気になりまして、あと2人の養子も調べてみました、、、
3九鬼隆直は旗本松平(大河内)信定(武蔵川越藩主松平(大河内)信綱の4男)の11男
これは難しかった!、、、でも、これではないかと、、、
◎藤原隆家
藤原良頼
藤原良基
藤原隆宗
藤原宗兼
池禅尼(平忠盛室)
平頼盛
平保盛
平頼清
池保清
女子(佐原明連室)
女子(長尾景為室)
長尾景恒
長尾高景
長尾景房
長尾頼景
女子(長尾景信室)
長尾景春
長尾景行
深井景孝
深井景吉
深井好秀
女子(大河内久綱室)
松平信綱
松平信定
九鬼隆直
そして
◎藤原隆家
藤原良頼
藤原良基
藤原隆宗
藤原宗子(藤原家保室)
藤原家成
女子(藤原忠雅室)
藤原兼雅
花山院忠経
花山院師継
花山院師信
花山院師賢
花山院信賢
青山師重
青山忠治
青山光教
青山忠治
青山長光
青山忠世
青山忠成
青山忠俊
青山宗俊
青山忠重
女子(九鬼隆直室)
どうだろう?
残るは
6九鬼隆祺は遠江相良藩主田沼意次の7男
これがわかりません、、、 -
わかったかも?
6九鬼隆祺は遠江相良藩主田沼意次の7男
◎藤原隆家
藤原良頼
藤原良基
藤原隆宗
藤原宗兼
女子(高階泰重室)
女子(平親範室)
平基親
女子(北条重時継室)
北条(赤橋)長時
北条(赤橋)義宗
北条(赤橋)久時
北条(赤橋)英時
女子(新田政氏室)
新田基氏
、、、、(不明)、、、
高瀬忠重(新田氏の一族)
田沼重綱
田沼忠高
田沼重高
田沼重次
田沼忠吉
田沼吉次
田沼吉重
田沼義房
田沼意行
田沼意次
九鬼隆祺
ついでに、これみつけたら、田沼意次の子で土方氏に養子に入った伊勢菰野藩の第8代藩主土方雄貞の流れもわかっちゃいました。
土方氏は大和源氏の流れ、、、家祖は土方季治。
源経基
源満仲
源頼親
源頼房
源頼俊
源頼治
源親弘
女子(新田義重室)
新田義兼
新田義房
新田政義
新田政氏
新田基氏
、、、、(不明)、、、
高瀬忠重(新田氏の一族)
田沼重綱
田沼忠高
田沼重高
田沼重次
田沼忠吉
田沼吉次
田沼吉重
田沼義房
田沼意行
田沼意次
土方雄貞
、、、一貫した流れと考えると、、
◎藤原隆家
藤原良頼
藤原良基
藤原隆宗
藤原宗兼
池禅尼(平忠盛室)
平頼盛
女子(持明院基家室)
持明院保家
持明院俊保
持明院相保
持明院長相
持明院家相
女子(正親町三条公秀室)
正親町三条実継
正親町三条公豊
女子(京極高光室)
京極持清
女子(織田良信室)
織田信定
織田信秀
織田信長
こちらの流れをメインにおいていたかもしれません。
これだと、まさに織田家は桓武平氏の末裔、、、
以上、余談でした。
ちなみに、、、九鬼家の家祖、藤原隆家は、、刀伊の入寇で活躍した人物。
※刀伊の入寇
刀伊の入寇(といいのにゅうこう)とは、1019年(寛仁3年)に中国東北部の満州方面を拠点とする女真族(じょしんぞく)の海賊が、対馬・壱岐および北九州へ侵攻した平安時代最大の対外危機です。
事件の概要と経緯
• 時期:1019年(寛仁3年)3月末から4月にかけて。
• 襲来者:「刀伊(とい)」とは、高麗(当時の朝鮮)で東方の野蛮人を意味する「東夷」を指す言葉に由来します。その正体は中国東北部に住む女真族の武装集団(約3,000人、船約50隻)でした。
• 被害:対馬や壱岐が奇襲を受け、老人や子供が殺害され、多くの壮年男女が捕虜として連れ去られるなどの甚大な被害を出しました。その後、筑前国や肥前国などの北部九州沿岸部にも上陸して略奪を行いました。
撃退とその後
• 藤原隆家の活躍:当時、大宰府の長官代理(大宰権帥)であった藤原隆家が中心となり、現地の豪族や武士団を指揮して迎撃しました。
• 結末:日本側の奮戦により、海賊は撃退されて朝鮮半島方面へ撤退しました。引き揚げる途中で海賊は高麗の水軍に討伐され、拉致されていた日本人捕虜約300人が救出・送還されました。 -
追記、、、九鬼家にはもう1人養子がいました。
それは、、、九鬼隆晁。ウィキによれば、
「略歴
上総国飯野藩主・保科正富の三男。幼名は安三郎。
安永7年(1778年)、綾部藩5代藩主・九鬼隆貞の養子となり徳川家治に拝謁する。しかし、翌安永8年(1779年)に18歳で早世した。
代わって、老中・田沼意次の七男である隆棋が養子に迎えられ、嫡子となった。」
で探ってみたら、、、
◎藤原隆家
藤原良頼
藤原良基
藤原隆宗
藤原宗兼
池禅尼(平忠盛室)
平頼盛
女子(持明院基家室)
持明院保家
持明院俊保
持明院相保
持明院長相
持明院家相
女子(正親町三条公秀室)
正親町三条実継
正親町三条公豊
女子(京極高光室)
京極持清
女子(織田良信室)
織田信定
女子(桜井松平清定室)
桜井松平家次 (※母は不明だが、、、)
桜井松平忠吉
藤井松平信吉
藤井松平忠国
女子(翠松院 - 保科正景室)
保科正賢
保科正寿
保科正富
九鬼隆晁(九鬼隆貞養子)
これだと思う、、、 -
さらに追記、、、九鬼氏の相続考えてたら、また見つけちゃいました。
11一柳末徳は丹波綾部藩主九鬼隆都の5男
一柳家は伊予河野氏を祖とする家伝を持つ、、、。
よって、
河野刑部大輔通宣
河野通昌
河野通長
河野通明
河野通縄(治伝)
河野通宗
河野通房
女子(建部政周室)
九鬼隆寛
九鬼隆貞
九鬼隆郷
九鬼隆都
一柳末徳
一柳 剛
一柳末幸
一柳由美子(※石川正路の子の一柳邦久妻)
一柳末俊(現当主)
1つ発見すると、芋づる式にわかっちゃうんです、、、
さらに、九鬼隆寛の正室は、、、
◎藤原隆家
藤原経輔
藤原師信
藤原経忠
藤原信輔
○藤原(坊門)信隆
藤原殖子(高倉天皇後宮)
後鳥羽天皇
頼仁親王
道乗
頼宴
児島高徳
三宅高貞
三宅元貞
三宅貞吉
三宅国貞
三宅貞宜
三宅貞次
三宅貞安
(数代不明、、、、)
三宅高信
三宅高貞
女子(遠山景行室)
遠山利景
女子(中山照守室)
中山直定
中山直張
黒田 直邦
★女子(九鬼隆寛室)
九鬼隆邑
◌藤原(坊門)信隆
坊門信清
坊門局(西御方、 後鳥羽天皇女房)
頼仁親王
道乗
頼宴
児島高徳
三宅高貞
三宅元貞
三宅貞吉
三宅国貞
三宅貞宜
三宅貞次
三宅貞安
(数代不明、、、、)
三宅高信
三宅高貞
女子(遠山景行室)
遠山利景
女子(中山照守室)
中山直定
中山直張
黒田 直邦
★女子(九鬼隆寛室)
九鬼隆邑
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