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 2026年8月6日から8月13日、建国250周年を迎えるアメリカ合衆国のニューヨークを旅しました。3日目前半、ローワー・マンハッタン(マンハッタン南部)と自由の女神を巡りながら、ニューヨーク発展の歴史を感じてみます。「ニューヨーク(New York)」という名前は、イギリスの「ヨーク公(Duke of York)」に由来しています。17世紀前半、この地域はオランダの植民地であり、母国オランダの首都アムステルダムにちなんで「ニューアムステルダム(New Amsterdam)」と呼ばれていました。1664年、イギリス国王チャールズ2世の弟であるヨーク公ジェームズ(後の国王ジェームズ2世)が派遣した遠征隊により、オランダからこの地が無血開城で手渡されました。チャールズ2世がこの地を弟であるヨーク公に贈与したため、彼のアドミラルとしての称号およびイギリスの都市「ヨーク(York)」にちなみ、「新しいヨーク=ニューヨーク(New York)」と改名されました。

アメリカ合衆国紀行 2026年8月 3日目前半

5いいね!

2026/08/06 - 2026/08/13

8716位(同エリア9082件中)

ゆきたびひろ

ゆきたびひろさん

この旅行記スケジュールを元に

 2026年8月6日から8月13日、建国250周年を迎えるアメリカ合衆国のニューヨークを旅しました。3日目前半、ローワー・マンハッタン(マンハッタン南部)と自由の女神を巡りながら、ニューヨーク発展の歴史を感じてみます。「ニューヨーク(New York)」という名前は、イギリスの「ヨーク公(Duke of York)」に由来しています。17世紀前半、この地域はオランダの植民地であり、母国オランダの首都アムステルダムにちなんで「ニューアムステルダム(New Amsterdam)」と呼ばれていました。1664年、イギリス国王チャールズ2世の弟であるヨーク公ジェームズ(後の国王ジェームズ2世)が派遣した遠征隊により、オランダからこの地が無血開城で手渡されました。チャールズ2世がこの地を弟であるヨーク公に贈与したため、彼のアドミラルとしての称号およびイギリスの都市「ヨーク(York)」にちなみ、「新しいヨーク=ニューヨーク(New York)」と改名されました。

旅行の満足度
5.0
  • 8月8日(土曜日)7時から朝食。昨日、勉強したのでマナーもチップもスムーズにいったと思います。たぶん。。。昨日味わって食事をとる余裕がなかったので、昨日と同じメニュー。おいしかったです。

    8月8日(土曜日)7時から朝食。昨日、勉強したのでマナーもチップもスムーズにいったと思います。たぶん。。。昨日味わって食事をとる余裕がなかったので、昨日と同じメニュー。おいしかったです。

    ザ イロコイ ニューヨーク ホテル

  • 7時40分に宿舎を出発です。今日は、ローワー・マンハッタン(マンハッタン南部)を目指します。

    7時40分に宿舎を出発です。今日は、ローワー・マンハッタン(マンハッタン南部)を目指します。

  • ベラスコ・シアターの前にテスラ社が開発・販売しているEVピックアップトラック「サイバートラック」。SF映画や近未来の映画から飛び出してきたような独特の存在感。

    ベラスコ・シアターの前にテスラ社が開発・販売しているEVピックアップトラック「サイバートラック」。SF映画や近未来の映画から飛び出してきたような独特の存在感。

  • タイムズスクエアに来ました。

    タイムズスクエアに来ました。

  • ここから地下鉄に乗ります。

    ここから地下鉄に乗ります。

    タイムズスクエア 散歩・街歩き

  • ニューヨーク地下鉄(MTA Subway)は、24時間年中無休で運行する世界最大級の地下鉄網です。

    ニューヨーク地下鉄(MTA Subway)は、24時間年中無休で運行する世界最大級の地下鉄網です。

  • 運賃は1回あたり3ドル。クレジットカードやスマートフォンのタッチ決済「OMNY(オムニー)」に対応しています。改札の読み取り機にタッチするだけで乗車可能です。

    運賃は1回あたり3ドル。クレジットカードやスマートフォンのタッチ決済「OMNY(オムニー)」に対応しています。改札の読み取り機にタッチするだけで乗車可能です。

  • 改札口やホームの表示を見る際は、駅名だけでなく「進行方向」の確認が必須です。Uptown(アップタウン)は、マンハッタンを北上(数字の大きい丁目方面・ブロンクス方面)。Downtown(ダウンタウン)は、マンハッタンを南下(数字の小さい丁目方面・ブルックリン方面)

    改札口やホームの表示を見る際は、駅名だけでなく「進行方向」の確認が必須です。Uptown(アップタウン)は、マンハッタンを北上(数字の大きい丁目方面・ブロンクス方面)。Downtown(ダウンタウン)は、マンハッタンを南下(数字の小さい丁目方面・ブルックリン方面)

  • 銀色の武骨なステンレス製の車体がトンネルを走り抜ける様子は、ニューヨークらしさを感じられる光景のひとつです。多くの車両は日本企業の川崎重工業(現・川崎車両)などで製造されています。

    銀色の武骨なステンレス製の車体がトンネルを走り抜ける様子は、ニューヨークらしさを感じられる光景のひとつです。多くの車両は日本企業の川崎重工業(現・川崎車両)などで製造されています。

  • 2023年以降順次導入されている新型車両R211は、ドア幅が従来より広くなり、車両間の移動ができる貫通路(オープン・ギャングウェイ)が採用され、車内には液晶モニターや防犯カメラも完備され、掃除や衛生管理をしやすくするため、クッションのない固いプラスチック製シートになっています。

    2023年以降順次導入されている新型車両R211は、ドア幅が従来より広くなり、車両間の移動ができる貫通路(オープン・ギャングウェイ)が採用され、車内には液晶モニターや防犯カメラも完備され、掃除や衛生管理をしやすくするため、クッションのない固いプラスチック製シートになっています。

  • 15分ほどでCityHall駅に到着です。

    15分ほどでCityHall駅に到着です。

  • 手前中央にある円柱状の金属製の柵は、地下鉄の改札口でよく見られる回転式の改札(ターンジェント・ターンタイル)です。ニューヨークではこのような回転式のドアが多かったです。

    手前中央にある円柱状の金属製の柵は、地下鉄の改札口でよく見られる回転式の改札(ターンジェント・ターンタイル)です。ニューヨークではこのような回転式のドアが多かったです。

  • 剥き出しの鉄骨、黄色い柱、タイル張りの壁など、長年使われてきたニューヨークの地下鉄特有のレトロでインダストリアルな雰囲気が広がっています。

    剥き出しの鉄骨、黄色い柱、タイル張りの壁など、長年使われてきたニューヨークの地下鉄特有のレトロでインダストリアルな雰囲気が広がっています。

  • 駅の隣に市庁舎公園(City Hall Park)があります。ホレス・グリーリーの銅像やマンハッタン市行政ビルを眺めます。ホレス・グリーリーは、19世紀のアメリカで大活躍したジャーナリスト・編集者で、有力紙『ニューヨーク・トリビューン(New York Tribune)』の創刊者です。奴隷制反対を強力に訴え、共和党の設立にも関与した歴史的重要人物です。

    駅の隣に市庁舎公園(City Hall Park)があります。ホレス・グリーリーの銅像やマンハッタン市行政ビルを眺めます。ホレス・グリーリーは、19世紀のアメリカで大活躍したジャーナリスト・編集者で、有力紙『ニューヨーク・トリビューン(New York Tribune)』の創刊者です。奴隷制反対を強力に訴え、共和党の設立にも関与した歴史的重要人物です。

    シティホールパーク 広場・公園

  • ニューヨークの公園で非常によく見かける「トウブハイイロリス(Eastern Gray Squirrel)」。かわいくて、人間なれしてますけど、一応野生動物ですから遠目で観察。

    ニューヨークの公園で非常によく見かける「トウブハイイロリス(Eastern Gray Squirrel)」。かわいくて、人間なれしてますけど、一応野生動物ですから遠目で観察。

  • ニューヨーク市庁舎(New York City Hall) 。1812年に完成し、アメリカで現在も市庁舎として使用されている建物の中では最古の部類に入ります。ニューヨーク市長の執務室や、ニューヨーク市議会の議場が置かれています。フランスの連邦様式(フェデラル様式)とルネサンス様式を融合させた、上品で美しいエレガントなデザインです。1865年、暗殺されたエイブラハム・リンカーン大統領の遺体がワシントンD.C.から故郷へ運ばれる途中にこの市庁舎に安置され、数十万人もの市民が追悼に訪れました。アメリカ合衆国国定歴史建造物(National Historic Landmark)およびニューヨーク市指定建造物に登録されています。市庁舎の周辺はセキュリティが厳重です。

    ニューヨーク市庁舎(New York City Hall) 。1812年に完成し、アメリカで現在も市庁舎として使用されている建物の中では最古の部類に入ります。ニューヨーク市長の執務室や、ニューヨーク市議会の議場が置かれています。フランスの連邦様式(フェデラル様式)とルネサンス様式を融合させた、上品で美しいエレガントなデザインです。1865年、暗殺されたエイブラハム・リンカーン大統領の遺体がワシントンD.C.から故郷へ運ばれる途中にこの市庁舎に安置され、数十万人もの市民が追悼に訪れました。アメリカ合衆国国定歴史建造物(National Historic Landmark)およびニューヨーク市指定建造物に登録されています。市庁舎の周辺はセキュリティが厳重です。

    ニューヨーク市庁舎 建造物

  • ヴィクトリア調の噴水

    ヴィクトリア調の噴水

  • 南方面へ歩いてみましょう。

    南方面へ歩いてみましょう。

  • セント・ポール礼拝堂(St. Paul's Chapel)とワン・ワールド・トレード・センター(One World Trade Center)。セント・ポール礼拝堂は、1766年に完成した、マンハッタンに現存する最古の公共建造物(教会建物)です。アメリカ独立戦争時の大火でも奇跡的に焼失を免れました。1789年、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンが就任式の直後にここで祈りを捧げたことで知られ、現在も彼が座った「ワシントンの特等席(President's Pew)」が保存されています。2001年9月11日の同時多発テロの際、目と鼻の先でタワーが崩壊したにもかかわらず奇跡的に傷ひとつ負いませんでした。その後は救助隊員や作業員の復旧拠点・休息所として大きな役割を果たしました。

    セント・ポール礼拝堂(St. Paul's Chapel)とワン・ワールド・トレード・センター(One World Trade Center)。セント・ポール礼拝堂は、1766年に完成した、マンハッタンに現存する最古の公共建造物(教会建物)です。アメリカ独立戦争時の大火でも奇跡的に焼失を免れました。1789年、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンが就任式の直後にここで祈りを捧げたことで知られ、現在も彼が座った「ワシントンの特等席(President's Pew)」が保存されています。2001年9月11日の同時多発テロの際、目と鼻の先でタワーが崩壊したにもかかわらず奇跡的に傷ひとつ負いませんでした。その後は救助隊員や作業員の復旧拠点・休息所として大きな役割を果たしました。

    セントポール礼拝堂 寺院・教会

  • ブロードウェイを南方面へ進みます。

    ブロードウェイを南方面へ進みます。

  • 手前の彫刻は『The Wild Table』(ザ・ワイルド・テーブル)、世界的に有名なオーストラリア出身の芸術家ユニットギランド&ギランド(Gillie and Marc)によって手掛けられたブロンズ彫刻作品です。絶滅の危機に瀕している世界中の野生動物たちが一堂に会し、食卓を囲んでいます。野生生物の保護と生物多様性の大切さを訴えるメッセージが込められています。チャンギ国際空港(シンガポール)やハマド国際空港(ドーハ)でも見れました。

    手前の彫刻は『The Wild Table』(ザ・ワイルド・テーブル)、世界的に有名なオーストラリア出身の芸術家ユニットギランド&ギランド(Gillie and Marc)によって手掛けられたブロンズ彫刻作品です。絶滅の危機に瀕している世界中の野生動物たちが一堂に会し、食卓を囲んでいます。野生生物の保護と生物多様性の大切さを訴えるメッセージが込められています。チャンギ国際空港(シンガポール)やハマド国際空港(ドーハ)でも見れました。

  • 世界の金融の中心地「ウォール街」とマンハッタンを南北に貫く「ブロードウェイ」が交差する角を表すストリートサイン(標識)。この区間は、宇宙飛行士や世界的なスポーツチームの優勝時などに大量の紙吹雪が舞う歴史的な「ティッカー・テープ・パレード」が行われる名所として知られています。

    世界の金融の中心地「ウォール街」とマンハッタンを南北に貫く「ブロードウェイ」が交差する角を表すストリートサイン(標識)。この区間は、宇宙飛行士や世界的なスポーツチームの優勝時などに大量の紙吹雪が舞う歴史的な「ティッカー・テープ・パレード」が行われる名所として知られています。

    ウォール街 散歩・街歩き

  • 金融街(ウォール街)とブロードウェイが交差する角に位置する、50階建ての歴史的超高層ビル(旧ニューヨーク銀行本部ビル)。1929年~1931年にかけて建設され、アール・デコ建築の傑作として知られています。

    金融街(ウォール街)とブロードウェイが交差する角に位置する、50階建ての歴史的超高層ビル(旧ニューヨーク銀行本部ビル)。1929年~1931年にかけて建設され、アール・デコ建築の傑作として知られています。

  • 1784年にアレクサンダー・ハミルトンらによって設立された、アメリカ最古の銀行「ニューヨーク銀行」(現 BNYメロン)の名が刻まれています。

    1784年にアレクサンダー・ハミルトンらによって設立された、アメリカ最古の銀行「ニューヨーク銀行」(現 BNYメロン)の名が刻まれています。

  • ウォール街を進んでみましょう。車両は入れないようになっています。

    ウォール街を進んでみましょう。車両は入れないようになっています。

  • トリニティ教会(Trinity Church)は、1846年に完成したゴシック・リヴァイヴァル様式の美しい教会です。かつてはこの尖塔がニューヨークで最も高い構造物でした。アメリカ建国の父の一人であり、最初の財務長官としてドルの礎を築いたアレクサンダー・ハミルトンの墓があることで有名です。

    トリニティ教会(Trinity Church)は、1846年に完成したゴシック・リヴァイヴァル様式の美しい教会です。かつてはこの尖塔がニューヨークで最も高い構造物でした。アメリカ建国の父の一人であり、最初の財務長官としてドルの礎を築いたアレクサンダー・ハミルトンの墓があることで有名です。

    トリニティ教会 寺院・教会

  • ウォール街(Wall Street)は、オランダ植民地時代の小さな防護壁から始まり、現在では世界経済の中心地へと発展した豊かな歴史を持っています。1653年、ニューヨークはオランダの植民地で「ニューアムステルダム」と呼ばれていました。オランダの植民地「ニューアムステルダム」の北端境界線に、先住民(ネイティブ・アメリカン)やイギリス軍を防ぐための丸太の防壁(Wall)が作られました。1699年、イギリスの支配下となった後、防壁は撤去されましたが、その跡地が「ウォール・ストリート」と呼ばれる通りとして残りました。<br />

    ウォール街(Wall Street)は、オランダ植民地時代の小さな防護壁から始まり、現在では世界経済の中心地へと発展した豊かな歴史を持っています。1653年、ニューヨークはオランダの植民地で「ニューアムステルダム」と呼ばれていました。オランダの植民地「ニューアムステルダム」の北端境界線に、先住民(ネイティブ・アメリカン)やイギリス軍を防ぐための丸太の防壁(Wall)が作られました。1699年、イギリスの支配下となった後、防壁は撤去されましたが、その跡地が「ウォール・ストリート」と呼ばれる通りとして残りました。

  • ウォール街の足元の石畳に埋め込まれている「防壁(ウォール)の跡」を示す歴史プレートです。かつて木柵が設置されていたラインに沿ってこのような黒い花崗岩のプレートが埋め込まれており、「壁」が存在した歴史を今に伝えています。

    ウォール街の足元の石畳に埋め込まれている「防壁(ウォール)の跡」を示す歴史プレートです。かつて木柵が設置されていたラインに沿ってこのような黒い花崗岩のプレートが埋め込まれており、「壁」が存在した歴史を今に伝えています。

  • オランダとイギリスの存在は、ニューヨーク(旧ニューアムステルダム)が世界一の金融街へと発展する最大の土台となりました。オランダが持ち込んだ「商業精神と株式の発想」の上に、イギリスが「強固な法制度と世界的な金融ネットワーク」を重ね合わせたことで、後のアメリカ独立時に合衆国最大の金融拠点となる基盤が完成しました。17世紀のオランダは世界初の株式会社(東インド会社)や証券取引所を生み出した金融先進国でした。その開拓者精神と自由貿易の文化がこの街の原点となりました。多様性と商業重視の風土が涵養され、宗教や国籍を問わず商人を受け入れる柔軟な風土があり、宗教的教条よりも「ビジネスの実利」を最優先する街の土壌が築かれました。1664年にイギリスの統治下に入ると、契約や所有権を厳格に守る裁判制度や商業法規が整えられ、投資家が安心して投資できる環境が整いました。当時世界最大の金融センターだったロンドンとの太いパイプができ、海洋貿易の拡大に伴って大英帝国の金融ネットワークを生かした保険制度や銀行業が急速に発達しました。<br /><br /><br />

    オランダとイギリスの存在は、ニューヨーク(旧ニューアムステルダム)が世界一の金融街へと発展する最大の土台となりました。オランダが持ち込んだ「商業精神と株式の発想」の上に、イギリスが「強固な法制度と世界的な金融ネットワーク」を重ね合わせたことで、後のアメリカ独立時に合衆国最大の金融拠点となる基盤が完成しました。17世紀のオランダは世界初の株式会社(東インド会社)や証券取引所を生み出した金融先進国でした。その開拓者精神と自由貿易の文化がこの街の原点となりました。多様性と商業重視の風土が涵養され、宗教や国籍を問わず商人を受け入れる柔軟な風土があり、宗教的教条よりも「ビジネスの実利」を最優先する街の土壌が築かれました。1664年にイギリスの統治下に入ると、契約や所有権を厳格に守る裁判制度や商業法規が整えられ、投資家が安心して投資できる環境が整いました。当時世界最大の金融センターだったロンドンとの太いパイプができ、海洋貿易の拡大に伴って大英帝国の金融ネットワークを生かした保険制度や銀行業が急速に発達しました。


  • ニューヨーク証券取引所(NYSE)は、ウォール街11番地に位置する世界最大規模の証券取引所です。別名「ビッグ・ボード(The Big Board)」とも呼ばれています。1792年、ウォール街68番地にあった1本のプラタナスの木(ボタンウッド)の下に24人の証券業者が集まり、株取引のルールを取り決める「プラタナス協定(Buttonwood Agreement)」を結びました。これが後のニューヨーク証券取引所(NYSE)の基礎となります。1903年に完成した本館(ネオ・クラシック様式)のファサードには、6本の巨大なコリント式丸柱とギリシャ神殿風のペディメント(三角屋根)があり、金融街を象徴する歴史的建造物となっています。営業開始(午前9:30)と終了(午後4:00)に鳴らされるオープニングベルとクロージングベルは非常に有名です。政財界の要人や有名人、上場企業のアニバーサリーなどでゲストが壇上に立ちベルを鳴らします。完全にコンピューター化された取引システムを導入しつつも、フロアには現在も人間のトレーダー(フロア・ブローカー)が滞在して取引を行うハイブリッド方式を採用しています。9/11テロ以降、セキュリティ上の理由から一般観光客の内部見学・見学ツアーは停止されていますが、重厚な外観とフェアレス・ガール像を外から写真に収める定番スポットとして親しまれています。

    ニューヨーク証券取引所(NYSE)は、ウォール街11番地に位置する世界最大規模の証券取引所です。別名「ビッグ・ボード(The Big Board)」とも呼ばれています。1792年、ウォール街68番地にあった1本のプラタナスの木(ボタンウッド)の下に24人の証券業者が集まり、株取引のルールを取り決める「プラタナス協定(Buttonwood Agreement)」を結びました。これが後のニューヨーク証券取引所(NYSE)の基礎となります。1903年に完成した本館(ネオ・クラシック様式)のファサードには、6本の巨大なコリント式丸柱とギリシャ神殿風のペディメント(三角屋根)があり、金融街を象徴する歴史的建造物となっています。営業開始(午前9:30)と終了(午後4:00)に鳴らされるオープニングベルとクロージングベルは非常に有名です。政財界の要人や有名人、上場企業のアニバーサリーなどでゲストが壇上に立ちベルを鳴らします。完全にコンピューター化された取引システムを導入しつつも、フロアには現在も人間のトレーダー(フロア・ブローカー)が滞在して取引を行うハイブリッド方式を採用しています。9/11テロ以降、セキュリティ上の理由から一般観光客の内部見学・見学ツアーは停止されていますが、重厚な外観とフェアレス・ガール像を外から写真に収める定番スポットとして親しまれています。

    ニューヨーク証券取引所 建造物

  • フェアレス・ガール(恐れを知らぬ少女)像。かつて取引所前には有名な『チャージング・ブル(突進するブル)』を睨みつける形で配置されていた少女像ですが、現在はニューヨーク証券取引所の正面入口に向かい合う形で永久設置されています。

    フェアレス・ガール(恐れを知らぬ少女)像。かつて取引所前には有名な『チャージング・ブル(突進するブル)』を睨みつける形で配置されていた少女像ですが、現在はニューヨーク証券取引所の正面入口に向かい合う形で永久設置されています。

  • フェデラル・ホール(Federal Hall National Memorial)は、ウォール街のニューヨーク証券取引所のすぐ向かい側に位置する、アメリカ合衆国の建国において最も重要な歴史的スポットのひとつです。現在の建物が建つこの場所は、18世紀後半にアメリカ合衆国最初の「首都機能(市庁舎および国会議事堂)」が置かれた歴史的土地です。1789年4月30日、ジョージ・ワシントンがアメリカ合衆国初代大統領として就任宣誓を行った場所が、まさにこの建物のバルコニーでした。現在立っている重厚な建物は、1842年に旧ニューヨーク税関(U.S. Custom House)として建て替えられたものです。パルテノン神殿を思わせるギリシャ・リバイバル様式のドリス式の列柱が正面に並び、金融街の歴史的な景観を象徴しています。税関として使われた後、サブ・トレジャリー(連邦準備金庫)としても利用されました。現在は全米公園協会が管理する国立記念館として一般公開されています。内部にはワシントンが就任宣誓時に使用した聖書や歴史的資料が展示されており、入場無料で自由に見学することができます。<br />

    フェデラル・ホール(Federal Hall National Memorial)は、ウォール街のニューヨーク証券取引所のすぐ向かい側に位置する、アメリカ合衆国の建国において最も重要な歴史的スポットのひとつです。現在の建物が建つこの場所は、18世紀後半にアメリカ合衆国最初の「首都機能(市庁舎および国会議事堂)」が置かれた歴史的土地です。1789年4月30日、ジョージ・ワシントンがアメリカ合衆国初代大統領として就任宣誓を行った場所が、まさにこの建物のバルコニーでした。現在立っている重厚な建物は、1842年に旧ニューヨーク税関(U.S. Custom House)として建て替えられたものです。パルテノン神殿を思わせるギリシャ・リバイバル様式のドリス式の列柱が正面に並び、金融街の歴史的な景観を象徴しています。税関として使われた後、サブ・トレジャリー(連邦準備金庫)としても利用されました。現在は全米公園協会が管理する国立記念館として一般公開されています。内部にはワシントンが就任宣誓時に使用した聖書や歴史的資料が展示されており、入場無料で自由に見学することができます。

    フェデラル ホール ナショナル メモリアル 博物館・美術館・ギャラリー

  • ジョージ・ワシントンが大統領就任宣誓を行った時の姿を象った巨大なブロンズ像。

    ジョージ・ワシントンが大統領就任宣誓を行った時の姿を象った巨大なブロンズ像。

  • 19世紀後半には、鉄道建設や産業革命の資金調達拠点として急成長し、J.P.モルガンなどの金融大財閥が勢力を拡大しましたが、1929年10月24日(暗黒の木曜日)、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落し、世界恐慌(Great Depression)の引き金となりました。2001年の9/11テロや2008年のリーマン・ショック(世界金融危機)など幾多の試練を乗り越え、今に至ります。

    19世紀後半には、鉄道建設や産業革命の資金調達拠点として急成長し、J.P.モルガンなどの金融大財閥が勢力を拡大しましたが、1929年10月24日(暗黒の木曜日)、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落し、世界恐慌(Great Depression)の引き金となりました。2001年の9/11テロや2008年のリーマン・ショック(世界金融危機)など幾多の試練を乗り越え、今に至ります。

  • かつて街の境界線を守る「木柵」だった場所が、世界経済の動向を左右する国際金融の中心地へと生まれ変わった歴史そのものが、ニューヨークのダイナミズムを象徴しています。<br />

    かつて街の境界線を守る「木柵」だった場所が、世界経済の動向を左右する国際金融の中心地へと生まれ変わった歴史そのものが、ニューヨークのダイナミズムを象徴しています。

  • チャージング・ブル(Charging Bull)は、金融街(ウォール街)のすぐ近く、ボウリング・グリーン公園に設置されている巨大なブロンズの雄牛像です。「チャージング・ブル(襲いかかるブル)」の名の通り、頭を下げて今にも突進しそうな力強い姿をしています。株式市場では、牛が角を下から上へ突き上げて攻撃する姿から、「株価の上昇・強気相場(Bull Market)」のシンボルとされています(※対照的に、熊が前脚を上から下へ振り下ろす姿から「暴落・弱気相場」は「Bear」と呼ばれます)。

    チャージング・ブル(Charging Bull)は、金融街(ウォール街)のすぐ近く、ボウリング・グリーン公園に設置されている巨大なブロンズの雄牛像です。「チャージング・ブル(襲いかかるブル)」の名の通り、頭を下げて今にも突進しそうな力強い姿をしています。株式市場では、牛が角を下から上へ突き上げて攻撃する姿から、「株価の上昇・強気相場(Bull Market)」のシンボルとされています(※対照的に、熊が前脚を上から下へ振り下ろす姿から「暴落・弱気相場」は「Bear」と呼ばれます)。

    チャージングブル モニュメント・記念碑

  • ブルの「睾丸」や「角」に触れると幸運や金運がもたらされるという有名なジンクスがあり、常に世界中からの観光客で賑わっています。

    ブルの「睾丸」や「角」に触れると幸運や金運がもたらされるという有名なジンクスがあり、常に世界中からの観光客で賑わっています。

  • 国立アメリカ・インディアン博物館(National Museum of the American Indian)のニューヨーク館(ジョージ・グスタフ・ハイ・センター)は、スミソニアン協会が運営する北米・中米・南米全域のアメリカ先住民族(インディアン)の歴史・文化・芸術を伝える博物館です。

    国立アメリカ・インディアン博物館(National Museum of the American Indian)のニューヨーク館(ジョージ・グスタフ・ハイ・センター)は、スミソニアン協会が運営する北米・中米・南米全域のアメリカ先住民族(インディアン)の歴史・文化・芸術を伝える博物館です。

    アメリカン インディアン博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • バッテリー・パーク(現在は正式名称「ザ・バッテリー / The Battery」)は、マンハッタン島の最南端に位置するウォーターフロントの歴史的公園です。港越しに自由の女神を臨む絶景スポットとして知られています。17世紀後半、イギリス統治時代に港を防御するために海岸線沿いに砲台(バッテリー、Artillery Battery)が設置されたことが名前の由来です。

    バッテリー・パーク(現在は正式名称「ザ・バッテリー / The Battery」)は、マンハッタン島の最南端に位置するウォーターフロントの歴史的公園です。港越しに自由の女神を臨む絶景スポットとして知られています。17世紀後半、イギリス統治時代に港を防御するために海岸線沿いに砲台(バッテリー、Artillery Battery)が設置されたことが名前の由来です。

    バッテリー パーク 広場・公園

  • 自由の女神が立つリバティ島やエリス島へ渡るフェリーは、この公園内のキャッスル・クリントン周辺から出航します。ハドソン川とニューヨーク港を一望できる遊歩道や緑豊かで広大な多年草庭園が整備されており、金融街の喧騒から離れた憩いの場となっています。

    自由の女神が立つリバティ島やエリス島へ渡るフェリーは、この公園内のキャッスル・クリントン周辺から出航します。ハドソン川とニューヨーク港を一望できる遊歩道や緑豊かで広大な多年草庭園が整備されており、金融街の喧騒から離れた憩いの場となっています。

  • バッテリー・パーク内にある印象的なブロンズ彫刻「The Immigrants(移民たち)」です。さまざまな時代や文化背景を持ってアメリカへ渡ってきた移民たちの苦難、祈り、そして希望を象徴しています。

    バッテリー・パーク内にある印象的なブロンズ彫刻「The Immigrants(移民たち)」です。さまざまな時代や文化背景を持ってアメリカへ渡ってきた移民たちの苦難、祈り、そして希望を象徴しています。

  • 水分補給。この水が3ドルでした。昨日行ったトレーダージョーズでは同じサイズの水が1本20セントでしたから、なかなかの観光地価格です。でも、いいんです。しっかり労働者の稼ぎになれば。

    水分補給。この水が3ドルでした。昨日行ったトレーダージョーズでは同じサイズの水が1本20セントでしたから、なかなかの観光地価格です。でも、いいんです。しっかり労働者の稼ぎになれば。

  • バッテリー・パーク沿いの水上に設置されている「商船海員慰霊碑(American Merchant Mariners&#39; Memorial)」。第二次世界大戦中、ドイツの潜水艦(Uボート)によって攻撃され、沈没していくアメリカ商船の船員たちの悲劇を描いています。沈みゆく船の上から仲間に手を伸ばす船員と、海中からその手を掴もうと伸ばされた腕が配置されています。ハドソン川の潮位(潮の満ち引き)によって、水中の船員の彫刻が水没したり姿を現したりします。満潮時には頭部まで水に浸かり、溺れかけるリアルな情景が再現される非常にメッセージ性の高い作品です。右上に見える時計塔のある白い建物は、「ピア A(Pier A)」と呼ばれる歴史的建造物(旧消防艇基地)です。アメリカの海洋史と海で命を落とした人々への敬意が込められた非常に迫力のある記念碑です。

    バッテリー・パーク沿いの水上に設置されている「商船海員慰霊碑(American Merchant Mariners' Memorial)」。第二次世界大戦中、ドイツの潜水艦(Uボート)によって攻撃され、沈没していくアメリカ商船の船員たちの悲劇を描いています。沈みゆく船の上から仲間に手を伸ばす船員と、海中からその手を掴もうと伸ばされた腕が配置されています。ハドソン川の潮位(潮の満ち引き)によって、水中の船員の彫刻が水没したり姿を現したりします。満潮時には頭部まで水に浸かり、溺れかけるリアルな情景が再現される非常にメッセージ性の高い作品です。右上に見える時計塔のある白い建物は、「ピア A(Pier A)」と呼ばれる歴史的建造物(旧消防艇基地)です。アメリカの海洋史と海で命を落とした人々への敬意が込められた非常に迫力のある記念碑です。

  • キャッスル・クリントンは、園内にある円形の要塞跡で、1812年戦争に備えて建設されました。

    キャッスル・クリントンは、園内にある円形の要塞跡で、1812年戦争に備えて建設されました。

    キャッスル クリントン国立記念碑 モニュメント・記念碑

  • その後、劇場や移民局(エリス島が開設される前の主要な受入施設)、水族館など時代とともに役割を変えてきた歴史的建造物です。

    その後、劇場や移民局(エリス島が開設される前の主要な受入施設)、水族館など時代とともに役割を変えてきた歴史的建造物です。

  • 現在は自由の女神行きフェリーのチケット売り場および国立公園局の施設となっています。まずは、ここでチェックインを行います。チケットは日本で半年前に予約済です。ここで、王冠見学用の専用リストバンドを受け取る必要があります。パスポートも必要です。

    現在は自由の女神行きフェリーのチケット売り場および国立公園局の施設となっています。まずは、ここでチェックインを行います。チケットは日本で半年前に予約済です。ここで、王冠見学用の専用リストバンドを受け取る必要があります。パスポートも必要です。

  • いよいよ、リバティ島の自由の女神(Statue of Liberty)に会いに行きます。<br />

    いよいよ、リバティ島の自由の女神(Statue of Liberty)に会いに行きます。

  • 王冠(クラウン)へ登る人は、特別なリストバンドを受け取ります。王冠部分は人気で、予約が非常に困難です。半年前には予約していました。

    王冠(クラウン)へ登る人は、特別なリストバンドを受け取ります。王冠部分は人気で、予約が非常に困難です。半年前には予約していました。

  • 空港並みの厳しい荷物検査(セキュリティチェック)があります。

    空港並みの厳しい荷物検査(セキュリティチェック)があります。

  • リバティ島が見えます。

    リバティ島が見えます。

  • 自由の女神(リバティ島)およびエリス島行きフェリーの乗り場(Statue City Cruises)の様子です。船が着岸する際に衝撃を吸収し、船体を安全に固定するために束ねられた太い木杭(ドルフィン、Dolphins)が立ち並んでおり、ニューヨーク港の伝統的な桟橋景観を作り出しています。観光客も多いです。

    自由の女神(リバティ島)およびエリス島行きフェリーの乗り場(Statue City Cruises)の様子です。船が着岸する際に衝撃を吸収し、船体を安全に固定するために束ねられた太い木杭(ドルフィン、Dolphins)が立ち並んでおり、ニューヨーク港の伝統的な桟橋景観を作り出しています。観光客も多いです。

  • 運航会社は、ホーンブロワー社(Hornblower)。国立公園局から公式に認可を受けて自由の女神行きフェリーを独占運航しています。これは、「Statue City Cruises(ホーンブロワー・グループ)」のフェリーです。

    運航会社は、ホーンブロワー社(Hornblower)。国立公園局から公式に認可を受けて自由の女神行きフェリーを独占運航しています。これは、「Statue City Cruises(ホーンブロワー・グループ)」のフェリーです。

  • バッテリー・パークを出航後、まず自由の女神が立つ「リバティ島」へ向き、その後かつて移民検査場があった「エリス島」を経由してバッテリー・パークへと戻ってくる周遊ルートをとります。

    バッテリー・パークを出航後、まず自由の女神が立つ「リバティ島」へ向き、その後かつて移民検査場があった「エリス島」を経由してバッテリー・パークへと戻ってくる周遊ルートをとります。

  • リバティ島に到着。フェリー乗り場のギャングウェイ(乗降用の屋根付き通路)を通過します。屋根の頂上にある風向計(フラッグ)のすぐ上にカモメがとまっているのも、港町らしく可愛い。

    リバティ島に到着。フェリー乗り場のギャングウェイ(乗降用の屋根付き通路)を通過します。屋根の頂上にある風向計(フラッグ)のすぐ上にカモメがとまっているのも、港町らしく可愛い。

  • 自由の女神像を見に行きましょう。

    自由の女神像を見に行きましょう。

  • 早速、記念撮影です。

    早速、記念撮影です。

    自由の女神像 モニュメント・記念碑

  • まずは、すぐに台座と王冠に向かいます。自由の女神の内部(台座・王冠)へ入場する際、二次セキュリティチェックがあります。リュックや大きなバッグ、食べ物などは持ち込めず、手前のコインロッカーに預ける必要があります。携帯電話、カメラ、透明なボトルに入った水、必要な薬品のみ持ち込み可能でした。

    まずは、すぐに台座と王冠に向かいます。自由の女神の内部(台座・王冠)へ入場する際、二次セキュリティチェックがあります。リュックや大きなバッグ、食べ物などは持ち込めず、手前のコインロッカーに預ける必要があります。携帯電話、カメラ、透明なボトルに入った水、必要な薬品のみ持ち込み可能でした。

  • 20セントコインが必要です。

    20セントコインが必要です。

  • 自由の女神の背後に回り、

    自由の女神の背後に回り、

  • ここから入ります。

    ここから入ります。

  • 自由の女神像の内部(台座・要塞部分)にある案内看板と、アクセスルート分岐点です。左側は、台座(Pedestal)および冠(Crown)へ向かう階段ルートを示しています。台座の最上部までは全195段の階段を上る必要があります。右側は、台座展望台まで直行できるエレベーターに乗るルートです。

    自由の女神像の内部(台座・要塞部分)にある案内看板と、アクセスルート分岐点です。左側は、台座(Pedestal)および冠(Crown)へ向かう階段ルートを示しています。台座の最上部までは全195段の階段を上る必要があります。右側は、台座展望台まで直行できるエレベーターに乗るルートです。

  • エレベーターは利用者が多く、長蛇の列だったので、階段で登ります。

    エレベーターは利用者が多く、長蛇の列だったので、階段で登ります。

  • 自由の女神像の台座展望台から見る北側の景色です。エリス島とニューヨーク州のローワー・マンハッタン、ニュージャージー州のジャージーシティ、ハドソン川がニューヨーク湾へと注ぎ込む地点が見えます。<br />

    自由の女神像の台座展望台から見る北側の景色です。エリス島とニューヨーク州のローワー・マンハッタン、ニュージャージー州のジャージーシティ、ハドソン川がニューヨーク湾へと注ぎ込む地点が見えます。

  • 台座展望台から、像の正面足元(東・南東側)を見下ろした写真。手前に大きく広がっている鋭角の石造りテラスは、1811年に完成したウッド要塞(Fort Wood)の11ある星型の突起(要塞の稜堡部分)の先端です。自由の女神はこの要塞の真中央に土台を組んで建てられており、上から見下ろすことで星型要塞の独特な幾何学デザインが綺麗に見て取れます。緑の芝生の先に見える海沿いのプロムナードには、島を一周しながら自由の女神を見上げるたくさんの観光客が並んでいます。

    台座展望台から、像の正面足元(東・南東側)を見下ろした写真。手前に大きく広がっている鋭角の石造りテラスは、1811年に完成したウッド要塞(Fort Wood)の11ある星型の突起(要塞の稜堡部分)の先端です。自由の女神はこの要塞の真中央に土台を組んで建てられており、上から見下ろすことで星型要塞の独特な幾何学デザインが綺麗に見て取れます。緑の芝生の先に見える海沿いのプロムナードには、島を一周しながら自由の女神を見上げるたくさんの観光客が並んでいます。

  • 台座展望バルコニーから、自由の女神像を真下から直接見上げています。女神像の外皮は、厚さ約2.4ミリ(10セント硬貨2枚分ほど)の非常に薄い銅板をハンマーで叩き出して形作られています。間近で見上げると、ローマ風の衣(トガ)のなだらかなヒダや立体感が精密に作られていることがよく分かります。1886年の完成当初は一酸化銅の輝く一銭硬貨のような銅色でしたが、数十年かけて大気や潮風に触れることで自然に形成された緑青が、表面を守る保護層の役割を果たしています。<br />

    台座展望バルコニーから、自由の女神像を真下から直接見上げています。女神像の外皮は、厚さ約2.4ミリ(10セント硬貨2枚分ほど)の非常に薄い銅板をハンマーで叩き出して形作られています。間近で見上げると、ローマ風の衣(トガ)のなだらかなヒダや立体感が精密に作られていることがよく分かります。1886年の完成当初は一酸化銅の輝く一銭硬貨のような銅色でしたが、数十年かけて大気や潮風に触れることで自然に形成された緑青が、表面を守る保護層の役割を果たしています。

  • 台座展望台から、リバティ島の北西方向を見下ろした景観です。遊歩道、巨大な国旗掲揚台(星条旗)、自由の女神博物館(Statue of Liberty Museum)、ハドソン川・ニューヨーク湾、対岸のニュージャージー州が見えます。

    台座展望台から、リバティ島の北西方向を見下ろした景観です。遊歩道、巨大な国旗掲揚台(星条旗)、自由の女神博物館(Statue of Liberty Museum)、ハドソン川・ニューヨーク湾、対岸のニュージャージー州が見えます。

  • いよいよ台座から王冠(Crown)部分へと向かいます。まずは、階段手前にある「王冠予約者専用チェックインデスク(Crown Reservation Check-in)」に来ます。王冠アクセス専用チケットを持つ来場者が、本人確認とアクセスチェックを受けます。ここでリストバンドを外します。台座見学のみの一般ルートとは一線を画す、真の「自由の女神の最深部」へと足を踏み入れる者だけが通る特別なチェックポイントです。

    いよいよ台座から王冠(Crown)部分へと向かいます。まずは、階段手前にある「王冠予約者専用チェックインデスク(Crown Reservation Check-in)」に来ます。王冠アクセス専用チケットを持つ来場者が、本人確認とアクセスチェックを受けます。ここでリストバンドを外します。台座見学のみの一般ルートとは一線を画す、真の「自由の女神の最深部」へと足を踏み入れる者だけが通る特別なチェックポイントです。

  • 台座から王冠まではエレベーターがなく、162段(全体で354段)の非常に狭いらせん階段を登ります。足元が狭いため歩きやすい靴がおすすめです。内部は気温が上がりやすいため水分補給も大切です。

    台座から王冠まではエレベーターがなく、162段(全体で354段)の非常に狭いらせん階段を登ります。足元が狭いため歩きやすい靴がおすすめです。内部は気温が上がりやすいため水分補給も大切です。

  • 自由の女神像の胴体内部を真下から見上げた、工学的に非常に貴重なショットです。外皮である薄い銅板を支えているのは、後にパリのエッフェル塔を手掛けるアレクサンダー・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel)が設計した鉄骨トラス構造です。

    自由の女神像の胴体内部を真下から見上げた、工学的に非常に貴重なショットです。外皮である薄い銅板を支えているのは、後にパリのエッフェル塔を手掛けるアレクサンダー・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel)が設計した鉄骨トラス構造です。

  • 右側に見える筒状の構造物は、王冠へと続く狭い螺旋階段です。上り用と下り用が独立した二重螺旋になっており、人間がすれ違えないほど狭い空間を効率よく移動できるよう工夫されています。

    右側に見える筒状の構造物は、王冠へと続く狭い螺旋階段です。上り用と下り用が独立した二重螺旋になっており、人間がすれ違えないほど狭い空間を効率よく移動できるよう工夫されています。

  • 骨組みと外皮の銅板は固定されず、小さな金属製フラットバー(リボン)で繋がれています。これにより、ニューヨーク港の強風や寒暖差による金属の伸縮に対して像全体がしなやかに「しなる」ことで、破損を防ぐ構造になっています。

    骨組みと外皮の銅板は固定されず、小さな金属製フラットバー(リボン)で繋がれています。これにより、ニューヨーク港の強風や寒暖差による金属の伸縮に対して像全体がしなやかに「しなる」ことで、破損を防ぐ構造になっています。

  • 自由の女神の巨体と19世紀最高の金属工学と建築技術の神髄を至近距離で実感できる特別な視点です。

    自由の女神の巨体と19世紀最高の金属工学と建築技術の神髄を至近距離で実感できる特別な視点です。

  • カメラもいたるところに設置しています。

    カメラもいたるところに設置しています。

  • ついに王冠に到着しました。スタッフが2名います。大きな扇子であおいでいます。王冠部分は空間が非常に狭いため、厳格な人数制限があります。事前予約枠が極めて少なく、数ヶ月前から完売する超プレミアムなエリアです。

    ついに王冠に到着しました。スタッフが2名います。大きな扇子であおいでいます。王冠部分は空間が非常に狭いため、厳格な人数制限があります。事前予約枠が極めて少なく、数ヶ月前から完売する超プレミアムなエリアです。

  • 自由の女神像の最頂部、「頭部(内側天頂部)」の金属構造部分です。波打つようなウェーブ状の凹凸は、表側から見ると女神像の「髪の毛(髪筋)」の造形そのものです。厚さ僅か約2.4ミリの銅板をハンマーで裏から叩き出して形作られた手仕事の緻密さが一目で分かります。放射状に広がるアーチ状の鉄骨フレームは、ギュスターヴ・エッフェルが設計した内部骨組みです。内壁の銅板にしっかりと固定されず、小さな金具を介して接合(フロート構造)することで、強風や熱変化による伸び縮みを吸収できるように設計されています。鉄骨に取り付けられた黒いパッドは、頭上の狭い王冠エリアで見学者が頭をぶつけて怪我をしないよう配慮された防護用クッションです。

    自由の女神像の最頂部、「頭部(内側天頂部)」の金属構造部分です。波打つようなウェーブ状の凹凸は、表側から見ると女神像の「髪の毛(髪筋)」の造形そのものです。厚さ僅か約2.4ミリの銅板をハンマーで裏から叩き出して形作られた手仕事の緻密さが一目で分かります。放射状に広がるアーチ状の鉄骨フレームは、ギュスターヴ・エッフェルが設計した内部骨組みです。内壁の銅板にしっかりと固定されず、小さな金具を介して接合(フロート構造)することで、強風や熱変化による伸び縮みを吸収できるように設計されています。鉄骨に取り付けられた黒いパッドは、頭上の狭い王冠エリアで見学者が頭をぶつけて怪我をしないよう配慮された防護用クッションです。

  • LEDパネルや防犯カメラは、安全管理と夜間の演出用設備です。

    LEDパネルや防犯カメラは、安全管理と夜間の演出用設備です。

  • まずは記念撮影。

    まずは記念撮影。

  • さあ、王冠からの景色を見てみましょう。地上(台座の土台)から王冠(頭部)までは高さ約81.1メートルです。ちなみに、最頂部である松明(トーチ)の先端までの高さは地上から約93メートルです。王冠の展望窓はビルの約20階以上に相当する高潮感があり、そこから見下ろすニューヨーク港の景色はまさに絶景です。<br /><br />

    さあ、王冠からの景色を見てみましょう。地上(台座の土台)から王冠(頭部)までは高さ約81.1メートルです。ちなみに、最頂部である松明(トーチ)の先端までの高さは地上から約93メートルです。王冠の展望窓はビルの約20階以上に相当する高潮感があり、そこから見下ろすニューヨーク港の景色はまさに絶景です。

  • 松明(トーチ)と右腕の基部を間近に捉えています。松明の足元にある小さな扉から外のバルコニーへ出られる構造になっています。女神の右腕は、リベット(鋲)で頑丈に接合された銅板の質感や、緑青の深みが間近で観察できます。

    松明(トーチ)と右腕の基部を間近に捉えています。松明の足元にある小さな扉から外のバルコニーへ出られる構造になっています。女神の右腕は、リベット(鋲)で頑丈に接合された銅板の質感や、緑青の深みが間近で観察できます。

  • かつて(1886年~1916年)は、最上部の松明バルコニーへ行くために、内部中央に架けられた長さ約12メートル(40フィート)の垂直に近い「一本のはしご」が設置され、一般来場者もこの腕を通って松明のバルコニーまで上ることができました。しかし、1916年7月30日に近隣のニュージャージー州で起きたドイツの工作員による大規模爆破事件(ブラック・トム事件)の衝撃波で右腕の構造が損傷したことや、安全面・構造上の理由から、1916年以降は100年以上一般立ち入り禁止となっています。

    かつて(1886年~1916年)は、最上部の松明バルコニーへ行くために、内部中央に架けられた長さ約12メートル(40フィート)の垂直に近い「一本のはしご」が設置され、一般来場者もこの腕を通って松明のバルコニーまで上ることができました。しかし、1916年7月30日に近隣のニュージャージー州で起きたドイツの工作員による大規模爆破事件(ブラック・トム事件)の衝撃波で右腕の構造が損傷したことや、安全面・構造上の理由から、1916年以降は100年以上一般立ち入り禁止となっています。

  • 女神像の冠部分には合計25個の小さな窓が設けられています。

    女神像の冠部分には合計25個の小さな窓が設けられています。

  • 窓からはニューヨーク港(Upper New York Bay)が見えます。水面に走る白い航跡(引き波)が示す通り、各種フェリー、観光船、タグボート、水上タクシーが頻繁に行き交う世界屈指の過密海域です。

    窓からはニューヨーク港(Upper New York Bay)が見えます。水面に走る白い航跡(引き波)が示す通り、各種フェリー、観光船、タグボート、水上タクシーが頻繁に行き交う世界屈指の過密海域です。

  • 自由の女神像の王冠展望窓から、南~東方向(ニューヨーク下港およびブルックリン方面)の広大な海原を見渡した眺望です。右手遠方はヴェラザノ=ナローズ・ブリッジが架かる海峡へと繋がり、そのまま大西洋へと抜け出していく重要航路となっています。かつてヨーロッパからの移民船が希望を胸に通過した「アメリカの玄関口」そのものの景色です。

    自由の女神像の王冠展望窓から、南~東方向(ニューヨーク下港およびブルックリン方面)の広大な海原を見渡した眺望です。右手遠方はヴェラザノ=ナローズ・ブリッジが架かる海峡へと繋がり、そのまま大西洋へと抜け出していく重要航路となっています。かつてヨーロッパからの移民船が希望を胸に通過した「アメリカの玄関口」そのものの景色です。

  • 女神目線で見降ろします。

    女神目線で見降ろします。

  • 王冠内部を十分に満喫し、螺旋階段を降ります。また貴重な記憶資産ができました。

    王冠内部を十分に満喫し、螺旋階段を降ります。また貴重な記憶資産ができました。

  • 自由の女神像(正式名称:Liberty Enlightening the World/世界を照らす自由)は、アメリカ合衆国の独立100周年を記念し、フランス国民の募金によって贈られた銅像です。

    自由の女神像(正式名称:Liberty Enlightening the World/世界を照らす自由)は、アメリカ合衆国の独立100周年を記念し、フランス国民の募金によって贈られた銅像です。

  • 1886年10月28日、彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディが外観を設計し、内部の骨組構造はエッフェル塔で知られるギュスターヴ・エッフェルが手掛けました。1984年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。総重量約225トン、像自体の高さ約46.05メートル、台座を含む全高約93メートル(地上からたいまつの先端まで)、外皮の厚さ約2.4ミリメートル(1ペニー硬貨2枚分程度の薄い銅板)、外観が緑色(青銅色)をしているのは、表面の銅が長年の風雨と酸化によって「パティナ(緑青)」と呼ばれる保護膜で覆われたためです。

    1886年10月28日、彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディが外観を設計し、内部の骨組構造はエッフェル塔で知られるギュスターヴ・エッフェルが手掛けました。1984年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。総重量約225トン、像自体の高さ約46.05メートル、台座を含む全高約93メートル(地上からたいまつの先端まで)、外皮の厚さ約2.4ミリメートル(1ペニー硬貨2枚分程度の薄い銅板)、外観が緑色(青銅色)をしているのは、表面の銅が長年の風雨と酸化によって「パティナ(緑青)」と呼ばれる保護膜で覆われたためです。

  • フランス国民の募金によって作られた背景には、1800年代半ばの政治情勢と、アメリカとフランスの歴史的な関係が強く影響しています。1865年頃、フランスはナポレオン3世による専制政治(第二帝政)下にありました。自由主義者であった発案者のエドゥアール・ルネ・ド・ラブライエらは、自由と民主主義を具現化したアメリカを祝福する巨大な像を建てることで、フランス国民にも「自由への強い思い」を喚起し、自国の政治を民主化したいという意図を持っていました。フランスとアメリカは、アメリカ独立戦争(1775~1783年)において共に戦った歴史的な同盟国です。ラファイエット侯爵をはじめとするフランス人義勇兵の貢献や支援を改めて称え、両国の友情を未来へつなぐ記念碑として企画されました。政府主導ではなく民間からの寄付で資金を集めることで、国家の政策としてではなく「フランス国民からアメリカ国民へ贈る純粋な友情と自由の象徴」という意味を持たせました。実際にフランス国内では、一般市民や子ども、自治体など幅広い層から募金が集まりました。このプロジェクトは、クラウドファンディングの先駆けとなり、最初から「両国で協力して作り上げる」というルールで進められました。フランスが女神像本体の制作費(募金で調達)、アメリカが像を置く台座の建設費(アメリカ国内の募金活動で調達)を集める計画で、アメリカ側では一時的に資金難に陥りましたが、ジョセフ・ピューリッツァーが新聞上で寄付を呼びかけ、10万人以上の市民から少額寄付が集まったことで無事に台座も完成しました。

    フランス国民の募金によって作られた背景には、1800年代半ばの政治情勢と、アメリカとフランスの歴史的な関係が強く影響しています。1865年頃、フランスはナポレオン3世による専制政治(第二帝政)下にありました。自由主義者であった発案者のエドゥアール・ルネ・ド・ラブライエらは、自由と民主主義を具現化したアメリカを祝福する巨大な像を建てることで、フランス国民にも「自由への強い思い」を喚起し、自国の政治を民主化したいという意図を持っていました。フランスとアメリカは、アメリカ独立戦争(1775~1783年)において共に戦った歴史的な同盟国です。ラファイエット侯爵をはじめとするフランス人義勇兵の貢献や支援を改めて称え、両国の友情を未来へつなぐ記念碑として企画されました。政府主導ではなく民間からの寄付で資金を集めることで、国家の政策としてではなく「フランス国民からアメリカ国民へ贈る純粋な友情と自由の象徴」という意味を持たせました。実際にフランス国内では、一般市民や子ども、自治体など幅広い層から募金が集まりました。このプロジェクトは、クラウドファンディングの先駆けとなり、最初から「両国で協力して作り上げる」というルールで進められました。フランスが女神像本体の制作費(募金で調達)、アメリカが像を置く台座の建設費(アメリカ国内の募金活動で調達)を集める計画で、アメリカ側では一時的に資金難に陥りましたが、ジョセフ・ピューリッツァーが新聞上で寄付を呼びかけ、10万人以上の市民から少額寄付が集まったことで無事に台座も完成しました。

  • 女神像の各パーツには、自由と民主主義を象徴する深い意味が込められています。右手のたいまつは、世界を照らす「希望」と「啓蒙」を象徴。左手の銘板は、ローマ数字で「JULY IV MDCCLXXVI」(1776年7月4日、アメリカ独立宣言の日)と刻まれています。法と秩序の象徴である独立宣言の銘板です。冠の7つの突起は、7つの大陸と7つの大海に自由が広がることを表現しています。足元のはち切れた鎖は、奴隷制の廃止と、独裁・抑圧からの解放を象徴しています。

    女神像の各パーツには、自由と民主主義を象徴する深い意味が込められています。右手のたいまつは、世界を照らす「希望」と「啓蒙」を象徴。左手の銘板は、ローマ数字で「JULY IV MDCCLXXVI」(1776年7月4日、アメリカ独立宣言の日)と刻まれています。法と秩序の象徴である独立宣言の銘板です。冠の7つの突起は、7つの大陸と7つの大海に自由が広がることを表現しています。足元のはち切れた鎖は、奴隷制の廃止と、独裁・抑圧からの解放を象徴しています。

  • Statue of Liberty Museum(自由の女神博物館)に来ました。2019年5月にオープンした近代的な博物館。フェリーの乗車チケットに含まれているため、追加料金なしで自由に入館可能です。涼しむこともできます。<br />

    Statue of Liberty Museum(自由の女神博物館)に来ました。2019年5月にオープンした近代的な博物館。フェリーの乗車チケットに含まれているため、追加料金なしで自由に入館可能です。涼しむこともできます。

    Statue of Liberty Museum 博物館・美術館・ギャラリー

  • 1886年の設置当初から1984年の修復作業まで実際に掲げられていた本物のたいまつが間近で展示されています。1984年に現在の新しいトーチへと交換されたため、旧トーチはここで間近に鑑賞できます。女神像の顔や足の原寸大モデル(銅製レプリカ)が展示されており、その圧倒的な大きさを間近で実感できます。

    1886年の設置当初から1984年の修復作業まで実際に掲げられていた本物のたいまつが間近で展示されています。1984年に現在の新しいトーチへと交換されたため、旧トーチはここで間近に鑑賞できます。女神像の顔や足の原寸大モデル(銅製レプリカ)が展示されており、その圧倒的な大きさを間近で実感できます。

  • フランス革命以降、世界の人々が個人の自由と平等との両方を根本的な価値とみなすようになりました。産業革命期のアメリカやイギリスなど、個人の自由を極限まで追求した結果、富の偏在と過酷な階級格差が生まれました。一方で、全員の完全な平等を実現しようとした社会主義・共産主義体制では、国家が強大な権力で個人の自由(私有財産、発言の自由、自由競争など)を徹底的に抑圧せざるを得なくなりました。19世紀から20世紀にかけての世界史は、この自由と平等のバランスをどこに置くかを巡る巨大な実験でした。ただ、「自由と平等」のように矛盾する信念を同時に持ち、その板挟みに悩み、議論し、調整しようと試行錯誤してきたことこそが、人類に力を与え、歴史を動かし、新たな制度や芸術、思想を生み出すエネルギーとなってきました。今後、人類はこの2つのバランスをどう取るかという模索を続けていくのか、それとも急成長する科学技術により新しい価値を生み出すのか。ちょっと思考する貴重な機会になりました。<br /><br />

    フランス革命以降、世界の人々が個人の自由と平等との両方を根本的な価値とみなすようになりました。産業革命期のアメリカやイギリスなど、個人の自由を極限まで追求した結果、富の偏在と過酷な階級格差が生まれました。一方で、全員の完全な平等を実現しようとした社会主義・共産主義体制では、国家が強大な権力で個人の自由(私有財産、発言の自由、自由競争など)を徹底的に抑圧せざるを得なくなりました。19世紀から20世紀にかけての世界史は、この自由と平等のバランスをどこに置くかを巡る巨大な実験でした。ただ、「自由と平等」のように矛盾する信念を同時に持ち、その板挟みに悩み、議論し、調整しようと試行錯誤してきたことこそが、人類に力を与え、歴史を動かし、新たな制度や芸術、思想を生み出すエネルギーとなってきました。今後、人類はこの2つのバランスをどう取るかという模索を続けていくのか、それとも急成長する科学技術により新しい価値を生み出すのか。ちょっと思考する貴重な機会になりました。

  • 帰りも長蛇の列です。かなり暑く、私も日傘をさしています。傘の持参は晴れても雨でも必須になってきました。

    帰りも長蛇の列です。かなり暑く、私も日傘をさしています。傘の持参は晴れても雨でも必須になってきました。

  • 次はエリス島(Ellis Island)を目指します。エリス島は、ニューヨーク港のアッパー・ニューヨーク湾に位置する小島で、アメリカの近代移民史において最も重要な役割を果たした歴史的スポットです。1892年に連邦政府の移民検査所が開所されてから1954年に閉鎖されるまで、1200万人以上の移民がこの島を経由してアメリカへと入国しました。現在のアメリカ人の約3分の1(1億人以上)が、エリス島を通った移民を先祖に持っていると言われています。多くの移民にとって新天地への一歩を踏み出す「希望の島(Island of Hope)」であった一方、病気や犯罪歴、身元保証の不備などを理由に入国を拒否され、母国へ送還されたり隔離されたりした人々にとっては「涙の島(Island of Tears)」でもありました。

    次はエリス島(Ellis Island)を目指します。エリス島は、ニューヨーク港のアッパー・ニューヨーク湾に位置する小島で、アメリカの近代移民史において最も重要な役割を果たした歴史的スポットです。1892年に連邦政府の移民検査所が開所されてから1954年に閉鎖されるまで、1200万人以上の移民がこの島を経由してアメリカへと入国しました。現在のアメリカ人の約3分の1(1億人以上)が、エリス島を通った移民を先祖に持っていると言われています。多くの移民にとって新天地への一歩を踏み出す「希望の島(Island of Hope)」であった一方、病気や犯罪歴、身元保証の不備などを理由に入国を拒否され、母国へ送還されたり隔離されたりした人々にとっては「涙の島(Island of Tears)」でもありました。

    エリス島 散歩・街歩き

  • エリス島国立移民博物館(Ellis Island National Museum of Immigration)のメインエントランス。かつて移民たちが実際に手続きや健康診断を受けた歴史的建造物をそのまま活用しています。

    エリス島国立移民博物館(Ellis Island National Museum of Immigration)のメインエントランス。かつて移民たちが実際に手続きや健康診断を受けた歴史的建造物をそのまま活用しています。

    エリスアイランド移民博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • ただ、ここでは、知的欲求よりも食欲が勝りました。時間も午後2時ですし、かなり空腹だったので、食事にします。Ellis Island Cafe(エリス・アイランド・カフェ)に入ります。午後2時なのであまり並んでいません。

    ただ、ここでは、知的欲求よりも食欲が勝りました。時間も午後2時ですし、かなり空腹だったので、食事にします。Ellis Island Cafe(エリス・アイランド・カフェ)に入ります。午後2時なのであまり並んでいません。

  • New Yorker Burger(ニューヨーカー・バーガー)は、香ばしく焼かれたバンズの間に、ニューヨーク名物のパストラミ(燻製牛肩肉)が溢れんばかりに挟まれていて、とろっととけたチーズとピクルスも入ったボリューミーなバーガー。これとソフトドリンク飲み放題で約21ドルでした。

    New Yorker Burger(ニューヨーカー・バーガー)は、香ばしく焼かれたバンズの間に、ニューヨーク名物のパストラミ(燻製牛肩肉)が溢れんばかりに挟まれていて、とろっととけたチーズとピクルスも入ったボリューミーなバーガー。これとソフトドリンク飲み放題で約21ドルでした。

  • エリス島にお別れです。

    エリス島にお別れです。

  • ハドソン川(Hudson River)です。アメリカ合衆国ニューヨーク州を北から南へと流れ、ニューヨーク市とニュージャージー州の境界を経て大西洋(ニューヨーク港)へと注ぐ、全長約507km(315マイル)の川です。河口であるニューヨーク市周辺から北へ約240km(ポキプシー付近)に至るまで、潮の満ち引きによって海水と淡水が交じり合う「汽水域」となっています。先住民族モーヒカン族はこの川を「双方向に流れる川(Muh-he-kun-ne-tuk)」と呼んでいました。1609年にオランダ東インド会社の依頼でこの川を探検したイギリスの探検家ヘンリー・ハドソンの名前にちなんで命名されました。1825年にハドソン川と五大湖を結ぶ「エリー運河」が開通したことで、ニューヨーク港とアメリカ内陸部をつなぐ物流の要所となり、ニューヨーク市が世界有数の大都市へ発展する大きなきっかけを作りました。水陸交通の要衝であったため、独立戦争時にはイギリス軍と大陸軍の間で熾烈な争奪戦が繰り広げられました。USエアウェイズの旅客機が離陸直後に両エンジン停止に陥り、機長がハドソン川に着水させて全員が無事に生還した航空事故(映画『ハドソン川の奇跡』の題材)でも世界的に有名です。

    ハドソン川(Hudson River)です。アメリカ合衆国ニューヨーク州を北から南へと流れ、ニューヨーク市とニュージャージー州の境界を経て大西洋(ニューヨーク港)へと注ぐ、全長約507km(315マイル)の川です。河口であるニューヨーク市周辺から北へ約240km(ポキプシー付近)に至るまで、潮の満ち引きによって海水と淡水が交じり合う「汽水域」となっています。先住民族モーヒカン族はこの川を「双方向に流れる川(Muh-he-kun-ne-tuk)」と呼んでいました。1609年にオランダ東インド会社の依頼でこの川を探検したイギリスの探検家ヘンリー・ハドソンの名前にちなんで命名されました。1825年にハドソン川と五大湖を結ぶ「エリー運河」が開通したことで、ニューヨーク港とアメリカ内陸部をつなぐ物流の要所となり、ニューヨーク市が世界有数の大都市へ発展する大きなきっかけを作りました。水陸交通の要衝であったため、独立戦争時にはイギリス軍と大陸軍の間で熾烈な争奪戦が繰り広げられました。USエアウェイズの旅客機が離陸直後に両エンジン停止に陥り、機長がハドソン川に着水させて全員が無事に生還した航空事故(映画『ハドソン川の奇跡』の題材)でも世界的に有名です。

    ハドソン川 滝・河川・湖

  • 水上から望むマンハッタン最南端。ワンワールド・トレード・センター、ブルックフィールド・プレイス、バッテリー・パーク、ファイナンシャル・ディストリクトなどが見られます。ニューヨークは、「世界最高の天然の良港」と評されます。地形・気候・水質が合わさった地理的アドバンテージがあります。単に「海に面している」だけでなく、「波が静かで、水深が深く、冬も凍らず、船を無限に並べられ、内陸にも直結している」という、貿易港としての完璧な条件をすべて備えた奇跡的な地形だったことが、ニューヨーク発展の最大の理由です。ブルックリンやスタテン島、ロングアイランドが突風や大西洋の荒波を遮る防波堤の役割を果たし、ハドソン川河口周辺は自然な浸食によって十分な水深が保たれており、干潮時でも大型の貿易船が浅瀬に座礁することなく直接接岸できました。暖流(メキシコ湾流)の影響と適度な塩分濃度により、真冬でも港が凍りつきません。マンハッタン島は、西側をハドソン川、東側をイースト川という2つの巨大な水路に挟まれ、島の東側・西側のどちらにも広大な桟橋を建設できました。これにより、他都市の港に比べて一度に処理できる船の数(港湾キャパシティ)が桁違いに多かったのです。さらに、アメリカ東海岸にはアパラチア山脈が南北に走っており、多くの都市は内陸部へのアクセスを山脈に阻まれていました。ただ、ハドソン川だけはアパラチア山脈を途切れさせる形で北へと伸びていました。この「天然の回廊」があったからこそ、後にエリー運河を連結させ、大西洋の船をそのまま全米の内陸部(五大湖)まで接続するという劇的なインフラ革新が可能になりました。1825年に五大湖とハドソン川を結ぶエリー運河が開通したことで、物流コストが1/10以下に激減。全米の内陸物資(農産物や鉱物)がニューヨーク港に集まり、ヨーロッパへ輸出される「最大の貿易ハブ」となりました。

    水上から望むマンハッタン最南端。ワンワールド・トレード・センター、ブルックフィールド・プレイス、バッテリー・パーク、ファイナンシャル・ディストリクトなどが見られます。ニューヨークは、「世界最高の天然の良港」と評されます。地形・気候・水質が合わさった地理的アドバンテージがあります。単に「海に面している」だけでなく、「波が静かで、水深が深く、冬も凍らず、船を無限に並べられ、内陸にも直結している」という、貿易港としての完璧な条件をすべて備えた奇跡的な地形だったことが、ニューヨーク発展の最大の理由です。ブルックリンやスタテン島、ロングアイランドが突風や大西洋の荒波を遮る防波堤の役割を果たし、ハドソン川河口周辺は自然な浸食によって十分な水深が保たれており、干潮時でも大型の貿易船が浅瀬に座礁することなく直接接岸できました。暖流(メキシコ湾流)の影響と適度な塩分濃度により、真冬でも港が凍りつきません。マンハッタン島は、西側をハドソン川、東側をイースト川という2つの巨大な水路に挟まれ、島の東側・西側のどちらにも広大な桟橋を建設できました。これにより、他都市の港に比べて一度に処理できる船の数(港湾キャパシティ)が桁違いに多かったのです。さらに、アメリカ東海岸にはアパラチア山脈が南北に走っており、多くの都市は内陸部へのアクセスを山脈に阻まれていました。ただ、ハドソン川だけはアパラチア山脈を途切れさせる形で北へと伸びていました。この「天然の回廊」があったからこそ、後にエリー運河を連結させ、大西洋の船をそのまま全米の内陸部(五大湖)まで接続するという劇的なインフラ革新が可能になりました。1825年に五大湖とハドソン川を結ぶエリー運河が開通したことで、物流コストが1/10以下に激減。全米の内陸物資(農産物や鉱物)がニューヨーク港に集まり、ヨーロッパへ輸出される「最大の貿易ハブ」となりました。

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