2026/07/11 - 2026/07/11
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kirinbxxさん
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二日目は、ウェーブロックからパースに戻りフリーマントルの博物館を回りました。フリーマントルは、パース中心部から南西へ約19km、スワン川の河口に位置する港町。深い港の整備により、西オーストラリア最大の海の玄関口となり、南極観測船の寄港地としても知られています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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共同キッチンはあっても、食材を持って来てはいないので、朝食を求めてGoogle Mapで探したHyden Travel Stopというところへ。オーストラリアの田舎によくあるガソリンスタンドに附属しているカフェでした。この日のガソリン価格はリッター199円!アデレード市民からすると高い方ですが、このあたりでは普通の価格ですね。
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ちょっとショボそうだったので、もうひとつあったこちらのHyden Bush Bakehouse Cafeへ。
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大差はなかったかも。暖かいものが食べたかったので、こういうのはパス。
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オーダーしたのはオーストラリアの定番、フラットホワイトと、目玉焼きやベーコンを乗っけたトースト。ハッシュドポテトがついてきました。
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三菱アウトランダー、たびたびこんな警告が。
「System fault See Owner's Manual」。でもオーナーズマニュアルなんて積まれてない。
一度レンタカーの営業所に戻って「大丈夫なの?」と尋ねると「よくあることで心配ないよ」との事。実際警告だけで車には何も起こりませんでした。 -
いつものまっすぐな道をひた走ります。
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「大穀倉地帯(ウィートベルト、Wheatbelt)」と呼ばれる、広大な農業地帯で、小麦を筆頭に菜の花や大麦やオーツ(燕麦)を栽培する畑がどこまでも広がっています。
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しばらく走ると前に現れたのは、ランドローバー・ディスカバリーを牽引して時速90km以上で走る巨大なモーターホーム。目的地についたら、買い物や観光は(キャンピングカーに比較すれば)小型の車で自由に動けるので、オーストラリアではよく見かけるスタイルです。
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巨大な花崗岩の丸い岩やボルダー群を発見。西オーストラリアのウィートベルト一帯は、地球上で最も古い(23億年以上前)大陸地殻の一つである「イルガーン・クラトン(Yilgarn Craton)」というものの上にあり、侵食をうけた花崗岩がこうして地上に現れるのだそうです。
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パースに到着してまずは、この日の宿であるComfort Inn & Suites Goodearth Perthにチェックイン。イースト・パース地区にあるホテルです。地下駐車場が劇狭ですが、部屋は広く受付のお姉さんも親切でした。午前中でもチェックインできました。
コンフォート イン & スイーツ グッドアース パース ホテル
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ホテルに大きな荷物を置いて、フリーマントルへ。スワン川の南側から、川の対岸にあるノース・フリーマントル(North Fremantle)やモスマン・パーク(Mosman Park)方面を眺めています。このあたりには、中高層のコンドミニアムが多数建設されました。
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フリーマントル中心部に背筋を伸ばして立つこちらは、Sir Hughie Edwardsさん。第二次世界大戦で最も多くの勲章を受けたオーストラリア人で、フリーマントル出身。1974年に西オーストラリア州総督に就任しました。
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港湾エリアであるビクトリア・キーには海洋技術や造船、海洋環境などを学べるTAFEという学校の施設ですが、19世紀末の倉庫を改装したものです。壁画はパブリックアートプロジェクトの一環として制作されました。
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ウォーターフロント地域の駐車場に車を停めました。この辺りは、Wilsonが仕切っている様です。駐車券を買うのにナンバープレートの番号が必要なので覚えておかなければなりません。
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ビクトリア・キー地区にあった歴史的な貨物上屋(かもつうわや)、Shedと呼ばれる建物は改装、活用されていますがA Shedは現在はビール醸造所になっていました。
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歴史的建造物の多い地域ではちょっと異彩を放つモダンな建物が、西オーストラリア海事博物館(WA Maritime Museum)です。15才以下の子どもは無料ですが、大人は15豪ドルの入場料が必要です。
西オーストラリア海事博物館(フリーマントル) 博物館・美術館・ギャラリー
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フリーマントルは第二次世界大戦中は南半球で最大級の連合国軍潜水艦基地でした。1942年初頭の日本軍の進撃速度は連合国軍の想定以上で、マニラ、ジャワ島という潜水艦拠点たりえた場所が次々陥落、安全な位置かつ日本軍の補給地になるだろう場所へ攻撃可能、インフラや港湾設備が整っている唯一の港だったそうです。
この潜水艦は当時のものではなく、冷戦期に活躍したHMAS Ovensという潜水艦で1969年から26年間、地球を19周するくらいの距離を航海したとか。ガイドツアーで見学することができます。 -
館内に入って最初に目についたのは、1903-1967年の64年間、フリーマントル港で働き続けた水先案内船のLady Forrest号。
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フリーマントル周辺の造船の歴史を紹介するコーナーには、「伝説的」造船一家に関する記事と、彼らがこの町で何百隻もの美しい木造船を造るのに使った伝統的な工具が展示されています。
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この地の先住民族Nyoongarの言葉で川はBilyaというそうです。スワン川から海へ繋がる汽水域に生息する生き物たちは少年の興味をひいたようです。
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水槽の上には西オーストラリアの川や海辺に暮らす水鳥たちの剥製(はくせい)が展示されていました。西オーストラリアの州鳥であるブラックスワンの他、カワウ、ムナジロウ、カモメ、アジサシなど。
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この博物館で最も有名な展示エリア、奥に見える白いヨットが「Australia Ⅱ」、1983年のアメリカズカップで132年間無敗だったアメリカチームを破り、歴史的な大逆転優勝を飾ったオーストラリアの英雄的なヨットです。
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いまどきの博物館にはデジタルシアターがつきもの。
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KA 6というセイルナンバーをつけたAustraliaⅡの白い帆と、Lady Forrestの青い船体。
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AustraliaⅡにはクルー達の等身大マネキン達が乗船していました。オーストラリアのナショナルチームカラーのユニフォームを着て、まさに操船中。
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アメリカズカップの優勝トロフィーのレプリカです。アメリカズカップの優勝ヨットクラブは、次の大会の防衛者となり本物のカップを自分達のクラブに飾り、保管する権利と義務を得ます。(次の大会のルールを決める権限も)
1987年大会で米国チームが優勝、カップは再び米国へ渡ったためレプリカを制作し当時の偉業を偲べるようにしました。 -
ヨットの世界ではレースの他に多くの人が挑戦していることがあります。オーストラリアのJon Sanders氏が1986年から1988年にかけて挑戦したのは、「単独・無寄港での世界3周」でした。世界一周なら20年ほど前に別の人が達成していますが、無寄港に加えて無援助で、ルートを変えながらの3周だったようです。出発時にヨットに積み込んだ食糧や物資は合計3.5トン!これで658日間、海の上で生き抜くとは。結果として彼は15の世界記録を打ち立てています。
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こちらが、658日間・13万キロ以上を走り抜いたヨット「Parry Endeavour」の現物です。
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パラリンピックでも過去5回の大会でセーリング競技があり、オーストラリアは金4、銀2,銅1を獲得した最強の国です。
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船体番号B47は、真珠採取船のTrixenです。西オーストラリア州北西部にあるブルームという町は1880年代に真珠貝の積み出し港となりました。ブルーム周辺では、真珠産業に多くの男女が従事し過酷な労働を行ったことで知られていて、日本人墓地があるくらい多くの日本からの移民が従事しました。
この博物館、ヨットレースに興味がある人には面白そうです。残念ながら、アメリカズカップも名前だけは知っている、程度の私にはもう一つでした。 -
外に出て、歴史的建造物が建ち並ぶ地区へ向かう時に見つけたこの像。C.Y. O'Connorさん(1843-1902)。数々の大プロジェクトを手がけ、西オーストラリア州の発展に最大級の貢献をした技術者です。なかでもこのフリーマントル港の建設と、560km先の砂漠の中にあるカルグーリという金鉱の町まで伸びる給水システムの設計が二大プロジェクトでした。
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この碑によると、西オーストラリア州全土における「すべての」鉄道、その他の公共事業も指揮したとあります。残念なことに、その時代、大工事を要するインフラ整備は莫大な予算や長い工期を必要とするため、歓迎しない人も多く、彼は生前、その功績に見あう賞賛や報酬を受け取ることはありませんでした。それどころか言われなき誹謗中傷を受け、先住民族には「呪いをかけられ」(先住民族にとっては、スワン川を横断する砂州を破壊したことは許せなかったようです)、ついには銃で自らの命を絶ってしまいました。
現在では給水システムはオーストラリア史上最も偉大な工学的業績の一つと認められていますし、TAFEを初めとする学校や選挙区、ビーチにその名を残してはいますが・・・ -
ここがフリーマントルのメインストリートであるHigh Streetです。19世紀後半のゴールドラッシュ時代に建てられたビクトリア様式、エドワード様式の建造物が、「世界でもトップクラス」の保存状態で残されています。
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そこにある大学の名前はNotre Dame。700校以上の大学の大半が私立の日本とは大違いで、オーストラリアには正規の私立大学はたった5つしかありません。その一つがここ、ノートルデイム・オーストラリア大学です。校名から簡単に推察できるようにカトリックの大学です。この大学は町の多くの歴史的建造物を所有し、図書館や講義棟として使用して町の景観の保存に貢献しています。
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この歴史的建造物は、西オーストラリア難破船博物館(WA Shipwrecks Museum)です。大きなアンカーは、1852年にフリーマントル沖の岩礁で難破したイギリスの貿易船「Eglinton」から回収され、復元されたもの。
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WA Shipwreks Museumのファサード。英国政府が1850年代に植民地経営のために建てた糧食・物資のための倉庫でした。窓に鉄格子があるのはそのためです。建設にあたったのは勿論、流刑囚たち。
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西オーストラリアの海岸沿いで難破した様々な船舶から引き上げられたアンカーや、それについていただろう鉄の太い鎖がずらりと並べられています。地元の人は「アンカー・ウォーク(Anchor Walk)」と呼んでいるとか。
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入場は無料。一番の見所は、このバタビア号(Batavia)というオランダ東インド会社の帆船の現物です。
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そのバタビア号に積まれていた青銅製の28ポンド砲。1616年に製造されたことが判っています。当時は発射する砲弾の重さで表示していたのですが、これは12.7kgほどの重さの砲弾を撃ち出していました。直径が14cmほどなので、今風に言えば140mm砲ってところですが、海自の護衛艦最大の5インチ(127mm)砲より大きいですね。
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使われていた砲弾はこちら。中までぎっしり鉄が詰まった、「ただの鉄の玉」です。当然、当たっても「爆発」なんかしませんが、当時の木製の船の壁を何枚もぶち抜く事ができました。
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こちらが精巧な模型。1628年アムステルダムで建造されたこの船は、当時の最先端技術を詰め込んだオランダ東インド会社自慢の新鋭船でした。彼女の処女航海は1628年10月29日に始まりました。順調に行けば彼女はオランダ領東インド諸島で香辛料を満載するはずでした。
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バタビア号に積まれていた「複合大砲」(高価な青銅と安価な鉄の良さを組み合わせた実験的な砲)のカットモデル。同じサイズの青銅砲の三分の一の重さを実現はしたものの強度不足で船舶攻撃には使えなかったようです。当然ながら普及することはありませんでした。
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バタビア号はモーニング・リーフで難破しましたが、それで死亡したのは40人だけで、282人もの生存者がいました。しかし実は難破の前に反乱計画があったり、難破後に起きた対立があったりで多くの人が殺害されました。この人骨も殺害されたあと埋葬されたものだそうです。バタビア号の事件は、ノンフィクションだけでなく多くの小説や映画に取り上げられました。
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1950年代にはバタヴィア号の難破位置はほぼ推定されていましたが、1963年、ロブスター漁師が初めて彼女を目撃しました。1970年代になると体系的な考古学調査が始まり、引き上げと保存が行われました。1972年、オランダ政府はオーストラリア海域にあるオランダ船の難破船の権利をオーストラリア政府に移譲しました。これにともないオーストラリア州政府は法律を制定して、WA Museumに西オーストラリア州内にある歴史的難破船と関連遺物の管理を委任、WA Museumはこの難破船に特化した施設を作りました。
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以後の調査で回収された遺物は順次復元され、こうして展示されています。中央の大きな壺は、主にドイツのラインラント地方で作られたバルトマン・ジャグと呼ばれる塩釉炻器(えんゆうせっき)製の瓶です。炻器とは聞き慣れない語でsすが、要するにstonewareです。
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生存者が上陸したビーコン島から発掘されたトランペットの部品など。
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2022年にオーストラリア国内ではちょっとしたニュースになった貴重な銀器。インド皇帝のために特別に製作された銀器だそうです。1972年に発掘され目録化はされていましたが、当時は詳細に調べる技術がなく放置されていました。しかし新しい3Dイメージング技術が開発され、アムステルダム国立美術館との協力で詳しい調査が進行中。
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これまで判ったことが説明されたパネル。最終的には細かな文様なども含めて、視覚化して展示されるようです。オランダ東インド会社が、インドの王族や大富豪との貿易をスムーズに進めるため、彼らの生活様式や好みに徹底的に合わせて作らせた、まさに「特注の最高級品」とのことなので、どんな豪華な展示になるか楽しみです。
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通称オニオン・ボトル。主にワインやラム酒などのアルコール類を保管・運搬するために使われていました。
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1712年に西オーストラリア沖で沈没したオランダ東インド会社の貿易船「ズイスドープ(Zuiddorp / Zuytdorp)」の残骸から引き揚げられた大砲。この船はバタビア号のように座礁したのではなく、断崖に衝突、乗務員は全員行方不明になりました。その断崖は今ではズイスドープ・クリフと呼ばれています。1927年に発見され、1970年代にこの大砲や銀貨などが引き上げられています。
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こちらがその銀貨。殆どは「世界初の基軸通貨」と言えるPieces of Eight、日本では洋銀やドル銀貨などとも呼ばれている8レアル銀貨です。スペイン政府が定めた厳格な基準のもと、スペイン植民地で大量に作られました。
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時代が下って1872年に沈没した、オーストラリア史上最初期の鉄製蒸気船SS Xanthoの沈没状態を再現したジオラマ模型。中央にある黒い高圧蒸気エンジンは、そのコンパクトさで当時画期的だったそうです。
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こちらは1905年に沈没した郵便汽船RMS Orizabaの舵輪。RMSは、タイタニック号にもつけられているRoyal Mail Shipの略称です。飛行機のない時代、国と国をつなぐ郵便がビジネスや政治にはとても重要だったので英国政府は民間船の中で「新しく、足が速く、スケジュールを守れる高性能な船」と特別な契約を結び、その船にRMSという記号を与えました。Orizabaは、680人の乗客と山のような郵便袋を積み込む事ができる最新鋭船でした。しかし、フリーマントル港にあと少しのところで、沿岸で発生した激しい山火事の煙で視界を遮られて位置を見失い座礁・沈没。幸いにも160名の乗客は全員救助され、積み荷の多くも引き上げられました。長い間これがオーストラリア海域最大の沈没船だったそうです。
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2月24日から7月26日まで開かれていた特別展示です。高名な船舶模型職人の方がなんと50年以上の歳月をかけて170隻以上のミニチュア艦船のうち、オーストラリア海軍と英国海軍の軍艦が展示されていました。
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HMS Neptune、1930年代前半に建造されたリアンダー級軽巡洋艦の四番艦。トリポリのロンメル軍団へ補給を行うイタリア補給船団を破壊に向かうものの、未知の新型機雷原に突っ込み沈没。760名以上の乗員のうち生存者は1名という悲惨な結果に。
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HMS Vanguard S28、英国の戦略原子力潜水艦(SSBN)です。1992年進水、1993年8月に就役して今も現役で英国海軍の「常に少なくとも1隻の戦略原潜を、世界のどこかの海中に潜航・待機させておく」という任務(Continuous At-Sea Deterrence:CASD)についています。
説明パネルにはWars Served:None と書いてありました。ずっとそうであり続けてほしいものです。 -
HMS Royal Oak(リヴェンジ級戦艦)、1939年10月14日、ドイツのUボート U-47によって撃沈されました。大海原で激しい戦いをした末、ならともかく、なんと英国北部のスカパ・フロー、当時は絶対に敵に入られることがないと言われていた大要塞港で。U-47は夜の闇と満潮に紛れてこの港に侵入、100名以上の14才から17才の訓練中の少年兵を含む835名が亡くなりました。伝統に従って今でも戦没者の墓標として軍港に沈んでいて、沈没位置を示すブイがあります。
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こちらはこの展覧会ではちょっと異色、コロンブスがアジアの富へのより短い航路を見つけようと率いた3隻の小型帆船。これだけでは判りませんが、隣にある模型と比べるとその狭さが判ります。
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こちらは軍艦ではなく、カナディアン・パシフィックの客船だったEmpress of Britainです。大西洋を渡る豪華な船旅や、夏のクルーズのために作られた、白くて美しい特別な船で世界で最もエレガントと評されていました。1939年には当時のジョージ6世夫妻を載せて航海しました。
1939年兵員輸送船として徴用され、灰色に塗り替えられた彼女は1940年10月26日、アイルランド沖でドイツの長距離爆撃機によって撃沈されています。 -
とても濃い内容の、しかも入場無料の博物館を堪能したあとは、屋内市場E Shed Marketsをぶらついてみました。ここもかって使われていたShedを利用したものです。アンティークショップを発見。
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日本でもときどき見かけますが、今の若者なら驚くだろうダイヤル式の電話機。古めかしい顔立ちのミッキーマウスなど。
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中古のLPレコードを発見。「当店で販売しているすべてのLPレコードは、品質と傷の有無を確認するために、私たち自身で一度再生してテストしています。」という表記があります。ブリティッシュ・ロックの名盤が多くあり、これはSupertrampというバンドのアルバムですね。
もしこれをアデレードで見つけていたら、あるいはこのあと帰宅するのなら買ったかも。でもこれから長い旅に出るのでちょっと無理ですねぇ。 -
大きなタコの絵が・・・魚屋かと思いきや、Squiffiesというカフェでした。ロットネス島に本店がある人気のカフェらしい。
このあとパースへ戻り、ホテルでちょっと休憩してから夕食へ。 -
大都会パースには多種多様の飲食店があります。この日はベトナム料理を食べようと、人気店らしいこちらへ。時間が早めだったので空席がありました。
ビエットホア アジア料理
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但し、酒は提供しないので自分で買って持ち込む、BYOというタイプのお店でした。そして店員は、「私は呑まないから、ビールをどこで売っているかなんて知らない」という。。。。
まぁ今どきはすぐに検索できますけどね。で、一番近くにあったのがこちら。
Peters Cellars Liquor Storeは、2世代にわたって家族で経営している酒屋です。なかなかいい品揃え。
夕食用の缶ビールを3本、晩酌用の赤ワインを1本で90.93豪ドル。 -
ビールを抱えて入店です。ここはもう40年以上もこの場所でやっている家族経営のベトナムレストラン、自家製ローストダックが名物のようです。
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とはいってもシニアが2人。頼んだのは揚げ春巻き、野菜炒め、フォー。このくらいしか食べられません。お勘定は30.48豪ドルでした。
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ビールは三種類。上から順番に、さっき訪れたフリーマントルのA ShedにあったGage RoadsのHazy Pale Ale、マーガレットリバーのBeerfarmが作ったIPA、同じくIPLという3種のクラフトビール。
オーストラリア国内旅行の楽しみは、こういう地元産のビールやワインを楽しむことです。勿論、WA州の赤ワインも買ったのでホテルで楽しみました。
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