2026/06/22 - 2026/06/26
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nichiさん
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今年も、地元横浜DeNAベイスターズの応援で名古屋バンテリンドームへ。
他に名古屋で何をするか?
実は、シニア夫婦はピアニストの清塚信也さんのファンです。
昨年から47都道府県ツアーが開催されていますが、人気の為、東京公演も横浜公演もチケット入手できず。
で、清塚さんの地方公演とベイスターズの地方での試合のスケジュールを照らし合わせてみた所、なななんと、名古屋では6月25日(木)に追加公演が、そして名古屋バンテリンドームにおけるプロ野球中日ー横浜戦は、6月23日から3連戦。
これは好都合です。
このスケジュールに合わせて旅行を計画しました。
清塚さんのチェット入手はなかなか困難ですが、地方の方が都心より少しマシのようで、名古屋公演のチケットも無事に入手できました。
今回も名古屋まで新幹線ではなく車で行きます。
まずは一度行ってみたかった桶狭間へ。
織田信長が今川義元を破った有名な古戦場ですね。
判ってはいたのですが、住宅地のど真ん中にあってビックリでした。
そして、今川義元が桶狭間に陣を構える前に戦の準備に立ち寄った沓掛城址にも寄ってみました。
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東名を下って牧之原サービスエリアで休憩。
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お昼にしましょう。
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おー
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いいねぇ~
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150年。
焼津の老舗のようです。 -
焼津港で働く先代社長のモノクロ写真。
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私は、
炙り鰹のたたきお造り膳 -
相方は、
駿河3種丼
旨っ!! -
お茶がフリーで飲めます。
ほうじ茶、煎茶
さすがお茶処の牧の原ですね。 -
牧の原サービスエリアから1時間30分。
刈谷パーキングエリアにやってきました。 -
お目当ては、これ!!
蒲郡みかんジュース。
甘くておいし~~~! -
桶狭間古戦場観光案内所に車を停めました。
そこから徒歩4分。
ふつ~の住宅地の奥に、、、、、 -
桶狭間古戦場公園にやってきました。
住宅地のど真ん中です。
サッカーボールを蹴り合っている小学生の子供たち。
バトミントンやってる女の子たち。
ベビーカーを押しながら談笑するお母さんたち。
ふつ~~の街中の公園です。 -
案内板がありました。
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昭和初期のこの辺りの写真です。
小高い丘が桶狭間山ですね。
まだ、昔の面影があるようです。 -
ここは、織田信長が今川義元を破ったチョ~有名な古戦場です。
織田軍、今川軍の陣営が判ります。
これ、じっくり見入っちゃいます。
この図の真ん中を名鉄本線が横切っているのが面白い。 -
ココに細かい桶狭間の戦いの様子が記されています。
ここで、この戦いについて細かいことを知ることができました。
今川義元vs織田信長
1560年(永禄3年)5月19日、織田信長が4,000人の兵を率いて25,000人もの今川義元軍に戦いを挑み、勝利した戦いです。
駿府を出た今川義元は5月18日に沓掛城に入り、翌日には大高城に向かって出発し、瀬名氏が設営した「おけはざま山」の陣で休息していました。
すると昼頃に天気が急変し、雷が鳴って雨が降ってきました。
今川義元の軍は、高台に陣があったため、落雷で大混乱状態になります。
一方織田信長は、清州城を出発し熱田神宮で戦勝祈願し、善照寺砦を本陣と見せかけ、雷雨の中、今川義元の本陣に近づきます。
そして雨が止むとすぐに今川軍に攻め入って今川義元を討ち取りました。 -
サッカーボールを蹴る子供たちの横に、この像。
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右は今川義元像
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左は織田信長像。
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公園の中には、古戦場の碑があります。
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古戦場付近の様子、
少し歩いてみましょう。 -
今川義元の本陣はこの先?
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住宅街の中の坂を登っていきます。
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住宅地の中のど真ん中。
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ここが今川義元の本陣があった所です。
桶狭間古戦場公園からとほ3分でした。
山と言うより丘の上ですね。 -
おけはざま山の説明書きです。
シニア夫婦じゃ細かく読んでみます。
当時は今より少し高かったようです。
住宅地の開発によるものでしょうね。
この高地に陣を構えていた今川軍は、突然の雷雨で混乱します。
そこに織田軍が攻め入りました。
槍から手を放して落雷を避けていた今川軍は、武器を捨てて逃走。
織田軍は一気に今川軍の本陣に攻め入り今川義元を討ち取りました。
この後織田信長は天下統一に向けて突き進みました。 -
トコトコ歩いて大池にやってきました。
この大池は農業用のため池で、江戸時代につくられた池だそうです。
以前は沼だったようです。 -
ここに今川義元の家臣である瀬名の陣地がありました。
瀬名氏俊は、今川の先発隊としてこの地に着人し、今川義元ラのランチのための本陣を設営しました。 -
この辺りが瀬名の陣があったっところです。
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この辺りの図です。
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そのままトコトコ歩いて長福寺までやってきました。
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室町時代に善空南立上人によって創建されたお寺です。
今川軍が当地に着陣すると、住民の先導者となって酒食を提供してその労をねぎらったそうです。 -
御本尊の阿弥陀如来像は、今川義元の茶坊主だった林阿弥(りんあみ)が、今川義元供養の為に納めたのですね。
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シニア夫婦は、この説明文を読んでビックリ!
このお寺は、林阿弥が今川方の武将の首検証を命じられた所なんですね。
ひえ~~~ -
境内の中へ。
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多くのお地蔵様。
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この大杉?
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ここが、林阿弥が今川方の武将の首検証を命じられた所です。
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古い石碑にもその旨が記されています。
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供養杉と呼ばれています。
ずっと語り継がれてきたのでしょうね。 -
隣に供養塔。
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境内に池がありました。
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弁天池です。
殺生が禁じられた放生池です。
「血刀濯ぎの池」と言われ、桶狭間の戦いで血の付いた刀を濯いだ池と考えられています。 -
供養杉と鐘撞堂を見て、長福寺をあとにしました。
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桶狭間古戦場観光案内所に戻って、車で沓掛城址公園にやってきました。
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沓掛城址の説明書きです。
このお城は、今川方の近藤景春のお城で、今川軍が織田攻撃の準備をしたお城です。 -
緑が今川義元の進軍ルート。
赤が織田信長の進軍ルート。
緑が今川方のお城。
赤が織田側のお城です。 -
本丸、二の丸、三の丸が北から南に連なる連郭式のお城です。
本丸は堀に囲まれていて、内側に土塁を築き、南を除く三方に武家屋敷を配し、さらにその外側に外堀があります。 -
公園の全体図です。
曲輪が3つ、判りますね。 -
沓掛城址公園に入ってみましょう。
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橋を渡ります。
下は堀跡ですね。 -
右に見えるのは、諏訪曲輪。
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うん。
これは間違えなく土塁ですね。 -
広場の周りは堀跡があります。
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諏訪曲輪に上がってみましょう。
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諏訪曲輪を登りきって振り返ってみました。
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諏訪曲輪は本丸より高い位置にありますが、木が生い茂っていて見晴らし開けていません。
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渡ったところには広場。
ここが本丸跡です。
子供達は走り回り、ママ友が歓談中。
こんな光景、今川義元が見たらビックリするだろうな~ -
子供たちがサッカーボールを蹴っている本丸は広い曲輪です。
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東側は田んぼが広がっています。
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そして住宅地。
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こちら側も奥は住宅地ですね。
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本丸を南側から眺めています。
この地形、いかにも城址ですね。 -
沓掛城址をグルっと巡ってみました。
つづく
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