2025/10/09 - 2025/10/16
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薔薇の咲く庭さん
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兵馬俑を見に西安に来ましたが、7泊のツアーだったので西安へ行って第3日目に兵馬俑を見た後の日程はおまけ的な感じの旅行でした。あまり積極的に見学はしていません。
ガイドさんは中国の歴史に興味のある方々のグループと思っていたようですが、あまり歴史に興味を持って旅行していた訳ではありませんでした。
旅行日程は
第1日目 大明宮遺跡公園、含元殿遺跡跡、鐘楼、鼓楼、碑林博物館、
明代城壁、シルクロード起点群像、唐歌舞ディナーショー
第2日目 大雁塔、小雁塔、西安博物院、大興善寺、広仁寺
徳発長で餃子つくり体験
第3日目 兵馬俑坑博物館(1~3号館)、兵馬俑レプリカ制作体験
秦の始皇帝が眠る陵墓・秦の始皇帝陵、銅馬車博物館、華清池
第4日目 武即天(則天武后)の陵墓・乾陵、章懐太子墓、法門寺、
第5日目 茂陵、昭陵博物館、威陽博物館、大唐芙蓉宴
第6日目 西北大学博物館、興教寺、青龍寺、秦二世陵遺跡公園、
西安天壇遺跡跡、楊貴妃宴
第7日目 帰国
たくさんの場所へ行ったので、旅行記を書くのに写真整理が大変でした。どこで撮った写真かよくわからないものがありそれらは割愛して、第4日目から第6日目をVol.3として編集しました。
ご覧いただけると幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 中国東方航空
- 利用旅行会社
- JTB
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西安に来て5日目。中国唯一の女帝であった武則天(則天武后)の陵墓へ行きました。あの山まで陵墓は続いています。
則天武后は唐の第三代皇帝「高宗(こうそう)」の皇后でしたが、病弱な高宗の代わりに政治の実権を握り、高宗崩御後には唐の王族を次々に殺害し自ら皇帝となりました。
在位690~705年。国号を「周」と改め、「武」一族や側近を重用して専制政治を行っています。乾陵 建造物
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則天武后の権力の凄さを感じざるを得ませんでした。
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そして、眼下には陵墓へと行く参道が続いていました。これほど凄い陵墓を初めて見ました。はるか彼方にかすんで見える所に出発点があるのです。
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坂を上ってお墓へと向かいます。途中にあった大きなお地蔵様です。日本にはないスケールなので写真に撮りました。
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これが塔婆です。写真ではよく見えませんが文字が彫られていました。雨がかからないように屋根が掛けられていました。
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とても不気味でしたが首のない銅像がたくさん並んでいました。
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ずっと先までお墓は続いています。則天武后のお墓は陵墓というそうですが、乾陵とも表記されtるそうです。この石には乾陵と書かれていました。
唐高宗と則天武後の地下宮殿は盗掘にあってないそうですがまだ未発掘で、どこにあるのかはいまだに分かりません。作った人が誰にも分らないようにしたのですね。 -
しばらく歩いたところでひと休憩。見晴らしのよい所にベンチがありました。ずいぶん高い所に上ってきました。
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ここからの景色です。
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次に章懐太子墓へ行きました。章懐太子は唐の高宗と武則天の間の子です。上元2年(675年)に皇太子に立てられましたが、679年に政変を企てたとの罪で廃位され、31歳の時に自殺を強いられています。親に死を命じられるなんて・・・。
則天武后は皇帝になるためには肉親も殺しています。
地下深い所にありました。長さ71mの墓道の壁に描かれた客使図・馬球図で有名だそうです。坂を下りていくのに滑りそうで手すりを伝っておりました。行ってみると絵が保存さていました。章懐太子墓 史跡・遺跡
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女侍図「章懐太子墓 前室西壁南側」
当時の様子が分かるそうです。日本の正倉院宝物の「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」に似ています。初唐から盛唐に美人とされていた女性観のイメージです。東アジア全域で流行していたそうです。 -
色彩豊かな壁画が50点あるそうです。すべて見てきたと思います。心に残ったものだけをUPしました。
このような絵が描かれているのは①死後も生前と変わらない生活を送るという思想 ②地位と権力の誇示。故人が持っていた絶大な権力や唐王朝の国際性・威厳をあの世にもっていくため ③故人の豊かな教養や嗜好の反映。章懐太子は非常に才気があり「後漢書」に注釈をつけるほどの文化人だったそうです。そのため唐代の他の皇族墓より写実的な壁画が多いそうです。 -
次の見学地は釈迦牟尼の仏骨舎利を安置して有名な寺である法門寺です。
法門寺 寺院・教会
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あそこまで歩いて行くのには距離があるのでカートに乗りました。
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途中でずらりと並んで金色の像に圧巻です。ド派手な感じを受けない訳でもありません。
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カートに乗って次第に近づいてきました。さっきは遠くで小さく見えましたが、近づくとなかなか大きい建物です。
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本堂のご本尊だったと思います。
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出口に向かう途中で壁画がありました。あまり交通機関が発達していなかった時代には人々が旅をすることはめったになく、そのために従者を従えて行幸する皇帝の行列はとてもめずらしいものだったそうです。
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来訪をとてもありがたく思い、道にひざまずいて行列を見守っていたというガイドさんの説明でした。
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これは境内にあった真身宝塔です。お釈迦様の指骨(仏舎利)が収められているそうです。1881年に大雨によって塔の半分が崩壊したそうですが、その後1881年に再建されています。再建時の基礎発掘調査で地下宮殿が発見されました。
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もちろん、中に入ることはできません。近づいて下から写真を撮りました。
この後地下宮殿を見学しました。 -
地下宮殿にあった崩壊した時の写真。全部崩れなくてよかったです。
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宝物がたくさん展示されていました。
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その中でこの宝物がステキでした。デザインが現代でも使えそうでいいですね。
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出てきてから、記念撮影をしました。
この日はここで観光は終了です。 -
ホテルに帰る途中で道を歩いている人を撮りました。僧侶の衣装?
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西安市内よりだいぶ離れているのでかなり田舎です。文化レベルの格差が大きいと感じました。農村は本当に田舎でした。
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夕ご飯です。小吃宴という名前の料理です。 小吃(シャオチー)とは麺類や餃子、焼売、肉料理、炒飯など、店や屋台で食べられる中華の一品料理のことだそうです。「小」は軽い、「吃」は食べるという意味を持っており、日本語に直訳すると軽食となりますが、かなりヘビーな肉料理や丼料理まであるそうです。ボリュームが凄くて驚きました。軽食ではありませんでした。
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10人で分けて食べるので、それなりの量です。
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毎食円卓を囲んで食べました。さすがに中華料理に飽きてきた感じです。
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ともかくビールで乾杯!今日もいい旅が出来ました!
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さて、次の日(20265.10.14)には西安郊外にある茂陵、昭陵博物館、咸陽博物館へ行きました。
最初は昭陵博物館です。昭陵博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館なので中国の歴史が分かる展示がたくさんありました。
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武帝がかぶっていた冠という説明だったと記憶しています。よく長い間壊れずに保管出来ましたね。
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たくさんの絵も展示されていました。
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咸陽博物館で記念撮影。
咸陽博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ここには兵馬俑とまでは行きませんがミニチュアの軍団の像がありました。
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馬に乗っている兵士です。
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最後に茂陵へ行きました。茂陵は漢王朝時代の武帝劉徹(紀元前156年一紀元前87年)の陵墓です。陝西省の咸陽と興平の間の五陵原に位置して、西安から40km離れた所にありました。
茂陵博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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記念撮影です。
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漢王朝時代の武帝劉徹を再現したものだと思います。
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茂陵の出口で撮りました。
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帰りのバスから見えた高速道路の工事中の様子です。西安は中国では大きな都市なのでインフラが整備されていました。
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みなさんで円卓を囲んで夕食です。 陝西料理です。中国の西北部に位置する陝西省を中心に発展した地域料理であり、悠久の歴史と深い文化的背景を持つ食文化のひとつだそうです。この地域は秦をはじめとする古代中国の多くの王朝の首都が置かれた地であり、漢族文化の源流のひとつとされていることから、料理にも歴史的・地理的な影響が色濃く反映されているそうです。
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この日は夕食にビールを飲んだため、この後に散策した大唐芙蓉宴園でトイレを探すことになってしまいました。夕食後の散策がある日は飲み物を控えるべきだと学びました。
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この日もたくさんの 陝西料理が出てきました。
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これはデザートだったと思ます。スイカをくりぬいてあるので面白いですね。
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デザートはシャーベットです。食べるのに大変でした。とても量が多くて食べきれませんでした。
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夕食のレストランから歩いて大唐芙蓉宴園へ向かいました。賑やかな西安の街です。
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イルミネーションが綺麗で道の両側に屋台店も出ていました。
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大唐芙蓉宴園に到着しました。唐の時代の芙蓉園の跡の上に造られ、総敷地約67万㎡の中国で初の唐代の様子を再現している大型の皇室庭園だそうです。
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毎晩上映される世界最大の水幕映画は音楽にあわせた噴水の動き、照明、炎、水雷、しぶきが一体となって観客を感動させるような演出を行っているそうです。噴水ショーが見られるのかと思って期待していましたが、計画にはなく、池の周りを歩いてイルミネーションを楽しんだだけでした。
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記念撮影をしました。中国で最大の唐の時代の宴会場――「御宴宮」だと思います。
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池にせり出した建物です。
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中に入って池を眺めようとすると、写真撮影が行われていました。物憂げな女性が佇んでいました。ここも民族衣装を着て写真撮影をする場所なのですね。
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皇室庭園はあまりにも広いので予定していなかったカートに急遽乗ることになり、池を半周して素晴らしい夜景を眺めてからホテルに戻りました。
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次の6日目です。西北大学博物館へ朝一で行きました。大学の博物館に行くことがメニューに入っているツアーは初めてです。よほど凄いものが見られそうです。
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入り口は厳重警戒の感じでした。警備員さんが立っていました。バッグの持ち込みはできず、ロッカーに預けました。
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貴重な拓本がありました。阿部の仲麻呂と一緒に遣唐使として唐に渡り、現地で亡くなった日本人留学生「井真成」の墓誌です。ガイドさんが指さしているところは「日本」です。最古の日本の国号が使われている文字だそうです。
最後の一節に「体は既に異国の土に埋もれてしまったが、魂はせめて故郷に帰りたいと切に願っている」と書かれているそうです。
いつの時代も、同じように望郷の思いに駆られているのですね。 -
さまざまな土器が展示されていて、人類の歴史が分かる展示がされていました。
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西安市の南郊20kmくらいの所にある興教寺へ行きました。中国に仏教を伝来した玄奘三蔵が死んだ際に、唐の三代皇帝高宗によって建立され、当時の唐の仏教全ての総本山にあたるお寺です。玄奘の遺骨が納められていることになってはいますが、唐末黄巣という乱の際に舎利塔が破壊され、玄奘の遺骨(或いは唯だ頂骨のみという)は行方知れずとなったそうです。
出口を出ると地域の信者がリンゴのような果実をもって待っていてくれて、お参りに来た?私たちにお土産と言って手渡しをしてくれました。お参り?違うのですが。感激!興教寺 寺院・教会
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さて、次は空海が修行した四国八十八か所めぐりの0番札所・青龍寺へといきました。このお寺は弘法大師空海のゆかりの寺として有名です。
青龍寺 寺院・教会
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ここの庭でも民族衣装を着て写真撮影が行われていました。
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この時の西安の流行りなのでしょう。綺麗な女性でした。琵琶をもっていましたが演奏はしていませんでした。
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0番札所の印?よくわかりませんがこのような石塔がありました。
AIに聞くと数珠の玉を連想させ、禅問答や仏教の心理を表現したようなモダンな造作になっているとのことでした。青龍寺 寺院・教会
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唐中期に、密教僧らが住むようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれそうです。空海もここで学び、天台宗の法系に連なる密教を学んだそうです。恵果という名前の僧が空海の師匠です。
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何と大蔵経の原本がここに展示されていました。大蔵経は百冊以上ある本なので、その一部です。
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四国八十八箇所の零番札所のお寺と知り驚きました。ここが出発地です。
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青龍寺を訪れた人の住所・氏名を記帳する冊子がありました。もちろん記帳してきました。
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記帳している様子です。
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空海の師匠の恵果と空海の記念碑がありました。なにかを空海に授けています。
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赤い短冊が渡されてここに願い事を書くと願いが叶うということでした。
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叶うといいです!書いて結わえてきました。
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青龍寺は一度、廃寺となったそうですが復興され、日本からの寄贈で、空海記念碑、恵果・空海記念堂が建っています。これは空海記念碑です。四国四県の協力、基金によって1982年に建立されました。高さは約10mありました。
日本の歴史と西安の歴史の接点ですね。 -
次に訪れたのは、始皇帝の息子の墓です。秦二世陵公園です。始皇帝の死後、皇帝を継いだ二世皇帝「胡亥(こがい)」の古墳です。あの膨大な始皇帝の墓と比べると、あまりにも小さくてびっくりしました。
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これが全景です。秦が始皇帝の死後僅か3年で滅びてしまったということがこのお墓の規模からわかります。
始皇帝は行幸中に崩御しました。宦官の趙高は、太子の扶蘇に代えて、始皇帝の遺言を偽り、同行していた扱い易い21歳の「胡亥」を後継者として立てました。しかし、秦二世即位の3年後、24歳の若さで胡亥は自殺してしまいます。秦は滅びました。 -
次は唐代の歴史的建造物である西安天壇遺跡へ行きました。北京にある天壇へ行ったことがあります。西安天壇遺跡は北京市の天壇よりもその歴史は千年以上古いそうです。
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遺跡は高さ約8メートル、底部の直径54メートル、土で造られた4層構造の円壇で表面に石灰が塗られていました。 各層の12段の段差は十二辰を意味するそうです。
明朝から清朝にかけて、皇帝が天に対して祭祀(祭天)を行った宗教的な施設(祭壇)です。
天壇の周りを一周しました。 -
最後に西安の城壁にある永寧門の所に出てきました。ここで自由時間がありました。
自由時間があるとほっとします。永寧門 (南門) 建造物
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永寧門は西安城壁の南門で、西安城壁の門の中で最も完全で美しく復元されているため、ほとんどの観光客が西安を訪れる門となっているそうです。中国人は南が火の神の場所であると信じており、火の神に火災を防ぎ永遠の平和を祈るために、南門は永寧門と名付けられているそうです。
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記念撮影。来年の年賀状にしようかしら?
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永寧門から歩けるところに元ANAが経営していたというホテルがありました。ここで夕食の予定です。
夕食会場は二階だったので階段を上がってロビーの写真を撮りました。とても大きなホテルです。 -
夕食会場には日本語のメニューがありました。何を食べるのかがわかって嬉しいです。
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楽しみにしていた楊貴妃が食べていたという宮廷料理がスタートしました。
楊貴妃は中国全国各地方の名物料理をとても愛したそうです。宮廷の選ばれた調理人たちは、全国各地より運ばれてきた豊富な食材を使用して美しい料理を作りました。その料理の数々は一種の「芸術品」とも呼べるほど洗練されていたと言います。
最初は楊貴妃宴の全体盛り込みです。 -
次は、白身魚すり身のチキンスープ。
本当に芸術品という感じのスープです。 -
車海老の蓑揚げ
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料理長特製蒸し餃子。餃子とは思えない形ですが食べると餃子でした。
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牛肉の炒め
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豚肉揚げトマトソース添え
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甘豆と山芋、白クラゲの炒め
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スズキの蒸し物。
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楊貴妃のお好み杏仁豆腐。
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季節の果物
「楊貴妃美食宴」は、西安の著名な料理研究家の指導を得て、唐の時代と同じ食材を使いながら、当時の調理方法と現代の調理方法を見事に調和させ再現させたそうです。
楊貴妃が食べていたというので興味津々でいただきました。どれも大変美味しかったです。
雪のような白い肌に黒々と光る長い髪、ふくよかな体躯をしている楊貴妃は容姿だけでなく、音楽、歌、踊りにも精通し、唐の著名な詩人白居易が「一度笑えば、百の媚態が生まれ、後宮の美女の化粧顔も色あせて見えるほど」と歌ったそうです。美しさを維持するために食物にもとても注意を払っていたことでしょう。 -
明日は日本に帰ります。とても長く西安にたような気がします。中華料理もいささか飽きてしまいましたが、最後の楊貴妃の宮廷料理を食べて気持ちが持ち直しました。長い間兵馬俑に行ってみたいと思っていたので、見ることができてとても心に残る旅になったと思います。
~ 完 ~
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