2026/06/08 - 2026/06/08
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frau.himmelさん
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ANAマイレージの有効期限が迫っています。
ヨーロッパ行きのマイレージは何とか一人分溜まっているけど、円安と政情不安定でちょっと気が進まない、それに一人で行ったってつまらない。
国内でどこかいいところないかしら?
それで思い出したのは、3年前アムステルダムでオランダ東インド会社のことを調べたこと。
そうだ!長崎の出島に行ってみたい。
そしてせっかくなら久しぶりに九州在住の妹夫婦も誘ってみよう。
しかしいつものことながら、私と夫のスケジュール調整がなかなかうまく行かない。結局、梅雨入りの6月はじめに行くことになりました。
やっぱり、長崎は今日も雨だった~。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- ANAグループ 新幹線
-
羽田から長崎大村空港へ。
長崎空港って私は初めて。
長崎と言えば「龍」。長い龍が空港の天井を這っています。 -
長崎空港から長崎市内へバス移動。
一番前の席をゲット。
あ~あ、雨が降っていますね。 -
長崎空港は箕島(みしま)にあります。
箕島と大村市を結ぶ「みしま大橋」。
長さは約1キロメートルあるそうです。 -
まもなく橋にさしかかります。
久しぶりの旅、日常と違う景色、やっぱり旅っていいですね~。 -
でも外は大降りの雨。
バスのフロントガラスから流れ落ちる大粒の雨。
向こう側は大村市。 -
と言っている間に1時間くらいで長崎市に着きました。
ホテル最寄り駅の「大波止」から傘を差してホテルへ到着。
チェックイン時間に早かったので、ホテル備え付けのコインロッカーに荷物を預けて観光に出かけます。
妹夫婦は九州新幹線と高速バスを乗り継いで私たちより3時間ほど遅れるとのこと。 -
その間に私たちは出島を見学します。
出島はホテルのすぐ近く、中島川と長崎市のビルディングの間に挟まれた日本家屋の集落が出島です。 -
出島は扇型の人工島の石塀の上に建てられています。
右手にヤシの木がスクッと立っている下の入り口から入ります。
(写真は後日撮ったもの) -
出島入り口(水門)。
手前には「出島和蘭商館跡」の碑。
出島は、大正11年(1922年)10月、「出島和蘭商館跡」として国指定史跡となっています。 -
その近くには説明板。
-
そうそう、この模型をアムステルダム国立美術館で観たのでした。
下が2023年9月に撮ったアムステルダム国立美術館の出島の模型です。 -
その横には説明文が。一部書き写します。
『出島は1636年(寛永13年)に、市内に雑居していたポルトガル人を居住させるために築かれた人工の島です。
その後、1639年(寛永16年)の鎖国令によってポルトガル船の来航が禁止され、出島は一時無人の島になりましたが、1641年(寛永18年)、平戸にあったオランダ商館が出島に移され、以後、開国までの218年間、西欧に開かれた唯一の窓口となり、出島は大きな役割を担いました。・・・以下省略』 -
別の案内板。
出島はキリスト教の布教を防ぐ目的で、ポルトガル人を一カ所に住まわせるために造られた島だった・・・。
出島はオランダ人の前にポルトガル人が居住していた・・・。
知らなかった・・・。
そう言うことも含めて中にはいって勉強しましょう。
入場料一人1,100円。 -
出島大通りの様子。
両側には様々な歴史的な建物が並んでいます。それらは全て内部見学が可能です。
結構強い雨降りだったので、傘を差しての写真撮影は難しく、建物の写真が少ないのがとても残念。 -
資料よりコピーした出島の配置図。
復元された建物のすべてに名前が付いています。 -
それでは、出島で最も大きな建物「カピタン部屋」にはいりましょう。
グリーン色の三角形の特徴ある建物、この階段を登ります。
カピタンとはオランダ商館長のことです。 -
下はかなり広い土間になっていて、当時倉庫だったようです。
その奥は和風シェードがいくつも下がり、壁には出島の時代年表が貼られ、中には資料や展示物が飾られています。 -
この和風シェードがとても素敵です。
一つ一つに歴史絵巻が描かれています。 -
それでは、それらの資料や展示物で出島の歴史を見て行きましょうか。
なお、写真として使っているものはカピタン部屋の展示物だけではありません。いろんな部屋で見つけた資料も入っています。悪しからず。 -
大航海時代、ヨーロッパ各国は東南アジアの珍しい香辛料を求めて世界の海を駆け巡っていました。
写真はたぶん香辛料の分布地図 -
日本の貿易の始まりは、1隻の船が種子島に漂着したことがきっかけです。
この船にはポルトガル人が乗っており、後に種子島と呼ばれる鉄砲が伝来したことが契機で、時の幕府は1571年長崎を開港しました。
ここに、ポルトガルとの南蛮貿易が始まったのです。 -
写真はポルトガル船カラカ・アトランティカ。
-
1602年、アジアに進出を始めたオランダは、ポルトガルやスペインに対抗するためにアムステルダムにオランダ東インド会社を設立する。
(2023年私はこの東インド会社を探してアムステルダムへ行ったのでした) -
1609年、オランダは幕府から朱印状を得て、平戸にオランダ商館を設置し日本との貿易拠点とした。
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そしてポルトガル、オランダ、イギリス、それに中国が入り組んで、日本を取り巻く貿易競争は激しさをましていった。
663年に建造されたオランダ船フリースランド(模型)。
長さ58m、船体にはたくさんの大砲を搭載しているのが見える。 -
1619年、オランダは既にジャワ(現在のインドネシア)を植民地化し、中心のバタヴィアに東インド会社の拠点をおく。
平戸のオランダ商館も、バタヴィアの管轄下に置かれ、貿易品はすべてバタヴィアを中継地として扱われた。
(バタヴィアのオランダ商館と、帆船が行き交っている図) -
先に日本で貿易活動を始めたポルトガル人は、交易とともにキリスト教宣教師なども伴いキリスト布教を始めていた。
貿易優先の徳川家康はその状況を見て見ぬふりをしていたが、次第にキリスト教を取り締まるようになり、ついに1612年キリスト教禁止令を発する。 -
1634年、幕府は長崎に出島を築城して、市内に居住していたポルトガル人を一カ所に集め監視しやすいようにした。
なお、出島の建築物は、25人の長崎の富裕な商人たちの出資で造られたものです。そしてポルトガル人に貸し出して賃料を得ていました。 -
1637年、島原の乱がはじまり、政府はポルトガル人に対する警戒をますます強めポルトガル船の来航を禁止した。
一方オランダは、この島原の乱で原城を砲撃し幕府への忠誠を示し、次第に日本との貿易を独占していった。
(写真・オランダ東インド会社のものとみられる大砲が長崎河口から引き揚げられた。) -
ポルトガル人が追放され無人となった出島に、オランダ商館は平戸から出島に移された。
この後218年もの長きにわたって、出島は西洋にただ一つ開かれた「窓」となったのです。 -
1階の歴史年表や資料・展示物を見ながら出島の歴史をざっと勉強しました。
では2階はどうなっているのでしょう。
平面図を付けておきます。 -
大玄関のすぐ左手の15畳の部屋。
普段は商館員の事務室として使われているようです。
畳の上にテーブルやソファー・椅子が置かれている和洋折衷です。 -
もう一つ面白いのは、テーブルの中央に乗っているオルゴール付き時計。箱から出して中をチェックしている情景だそう。
江戸参府(後出)で将軍に謁見した際献上するお土産らしい。 -
大玄関右手の17.5畳の部屋。
食堂ですね。
出島の商館員たちは朝夕2回カピタン部屋に集まって食事をする習慣になっていた。 -
テーブルの上には各自に赤ワインが注がれ、これから食事が始まるところ。
当時使われていた物なのでしょうか、手前の栓抜きは家にもあります。なんだか親近感を覚える。 -
ここは大広間。
35畳あればさすがに広いですね。
ここは日本側お役人などを招いて接待の場としても使われた重要な部屋。 -
控えの脇机には銀器や高級な食器がセッティングしてあります。
-
大広間で食事をしているジオラマがあります。
右の帽子を被っている人物がカピタンかな?。
召使が何人も給仕をしています。
左手の遊女たちは舞いを舞っているのでしょうか。奥の方では楽団員が音楽を奏でています。 -
現在、ここには「阿蘭陀冬至」の祝宴の風景が再現されているのだそう。
「阿蘭陀冬至」とはクリスマスの祝いのこと。
キリスト教禁制の日本ではクリスマスは大っぴらに祝えませんでしたから。 -
ビリヤードに興じている商館員たち。
傍には何人もの奴隷(召使)がはべっています。
召使の多くは植民地だったバタヴィア(現・インドネシア)やマレー半島から連れてこられました。 -
これも食事の場面ですね。
出島の展示物を鑑賞していると、たびたび日本髪の艶やかな女性たちが登場します。彼女らは遊女です。 -
出島のオランダ商館員たちは江戸幕府の政策により妻子帯同は認められていなかった。
ただし政府公認の遊女だけは出島の出入りを許されていた。 -
カピタンの日本人妻になった遊女、商館員の子供を産んだ遊女、密貿易の片棒を担いだ遊女などいろんな遊女がいました。
-
日本でも有名なドイツ人医師シーボルトも遊女を妻にしました。
白い服の男性がシーボルト、その右は妻のタキと幼子は娘のイネ。
ずーっと前に「オランダおいね」というドラマがありましたね。
川原慶賀「蘭館絵巻」より「蘭船入船の図」。 -
面白い絵がありました。
江戸時代の参勤交代ではありません。
表題「カピタン江戸へ行く」。
真ん中の大きな籠に乗っているのは商館長(カピタン) -
こちらは別な絵。
鎖国にあった江戸時代に唯一貿易を認められていた出島、カピタンはその特例に感謝して年に一度江戸参府をして将軍に謁見していました。
その際には医師や通訳などが随行し、またたくさんの珍しい献上品を持っていくので、かなり大掛かりな行列になりました。
シーボルトもオランダ医師として随行しました。 -
江戸参府の際、将軍への献上品としてバタヴィアから運ばれた像。
驚いた将軍は受け取りを拒否したそうです。
出島見学は見どころ多くてまだまだ続きます。息切れしましたのでこの辺でいったん休憩します。
後日その2に続けます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ハッピーねこさん 2026/07/07 13:30:52
- 雨でしたか・・・
- himmelさん、こんにちは。ちょっとお久しぶりです。^^
梅雨ですね~・・・台風も次々と発生して、なかなか難儀な初夏ですね。
さて、長崎へ!? やはり雨でしたか~・・・。
出身県で現在も住んでいながら、長崎市とはかなり離れており、実は出島には入ったことがないのです。
長崎の町は昨年、一昨年と訪ねていながら、出島は外から眺めたのみで。
そして長崎空港も利用したことがないのです。
永らく福岡住まいでしたので、私の玄関口は福岡空港と博多駅で。
いけませんね~、地元を知らず。
出島は歴史の記述、展示物と見応えがありそうですね。
勉強になりました。
シーボルトは、私の、そしてhimmelさんもお好きなヴュルツブルクの出身なのですよ!
以前に、シーボルトとお滝をモチーフにした地元のお菓子のCMがあり、それにヴュルツブルクの町並みが登場していました。なつかしい。
出島の続き、そして妹さんご夫妻と合流されてその後いかが過ごされたのか、楽しみにさせていただきます。
不安定な気候が続きますので、ご自愛のほど。
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2026/07/08 20:07:46
- RE: 雨でしたか・・・
- ハッピーねこさんこんばんは。
ホント、ちょっとお久しぶりです。
いつもコメントありがとうございます。
そう言えば、私たちが去ったあとそちらは豪雨に見舞われたようで、ハッピーねこさんのお近くはいかがでしたか?
ニュースで長崎の豪雨被害が写るたびに、あそこ行ったね~大丈夫かしらとか、とても親近感を覚えて、心配しておりました。
さて、長崎へ行ってまいりましたよ~。
ハッピーねこさんのお近くに来たんだなーと思いながら。
そう、唄ではないですが、長崎は今日も雨だった・・・。
でも2日間は雨でしたが、長崎を発つ日、3日目は晴れました。
長崎は小学校の修学旅行で行った切りでしたからほとんど記憶もありませんが、いいところですね~。すっかりファンになってしまいました。3日では時間が足りなくて、もう少し滞在すればよかったなーと後悔しました。
出島もホントに見ごたえがありました。
私は東インド会社とベルリンやミュンヘンで観た伊万里焼との関係しか知らなかったのですが、それ以外にもいろいろあり過ぎて前編には伊万里のイの字も出ておりません。出島後編も話題が多すぎてまたまた悩みそうです。
そしてシーボルトもそう、出島と深い関係があったのですね。
え!シーボルトとお滝さんのお菓子のCMにヴュルツブルクの街並みが!?
しばらくご無沙汰しているのでヴュルツブルクの名前を聞くだけで懐かしくなります。私はシーボルトの娘、「おらんだおいね」のTVを昔・むか~し観たことがあります。
ハッピーねこさんと久しぶりにおしゃべりして、いろんなことを思い出してとても楽しかったです。
九州は梅雨明けしたそうですが、これからは暑さが厳しくなりますね。どうかお身体お気を付けください。
ホントにコメントありがとうございました。
himmel
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