1988/10/01 - 1988/10/07
626位(同エリア632件中)
ロータスさん
インドのプネーから飛行機でカトマンズへ移動し、
インドビザの発給を待つ間にゴレパニへトレッキングに行きました。
当時、カトマンズでのインドビザ取得は困難とされていましたが、
「トレッキングに行けば発給してもらえる」という噂を信じ、
(ヨーロッパ人でもらえた人がいたので)
私はポカラ行きのバスに乗りました。
- 交通手段
- 徒歩
-
カトマンズからのバスは故障してどこか知らない街で停車。
夜中になっても動かずに、車中泊になりました。
1日目: ポカラから歩き始め、右側に川を見る平地へ。
空を舞うホタルが綺麗な河原近くにあった簡素な宿に宿泊(トイレなし)。
今となっては何処かは分からない。
食事、ホテル込みの、ガイド、ポーター付きで、
一日10ドル~15ドルくらいでした。
1988年当時、1ドル→約130円前後。
当時の1ネパール・ルピー→約5.4円。
トレッキングパミットの料金は、最初の1週間分が60ルピーで、
日本円に換算すると約320円、
それを超えて滞在する場合は1日ごとに10ルピーずつ追加されるシステムでした。
今ではバスが通る道ですが、当時はジープが辛うじて通る道でした。 -
2日目: 右側に川、左側に崖の工事現場を見ながら進みます。
中国の援助でチベットへ続くバグルン自動車道を建設していました。
「カレイ」の村に宿泊。標高1,770メートル。
川の上にせり出したトイレやシャワーがあり、
夜は岩の上を幾つも這う光る虫を見ました。
この当時、この辺りをナウンダンダと言っていましたが、
今ではノーダラって言います。
写真が一枚もないのでAIに作ってもらいました。 -
3日目: カレイを出発し、
吊り橋を渡ってウレリの終わりのない石階段を登りきり、
ゴレパニに到着、宿泊。標高2,853メートル。
しんどすぎて、何度も休憩をしながらようやく登りました。
この頃はトレッキングシューズを持っていなかったので、
ペラペラのカンフーシューズで歩いていましたが、
歩き方がおかしいとネパリに笑われてました。 -
4日目: ガイドさんから悪天候のためプーンヒルは断念と言われます。
プーンヒル展望台は標高約3,198メートル。
足が痛いので中止が嬉しかったです。
霧の森を1日で一気に歩き通しガンドルンで宿泊。
森にはヒルが大発生していて、血まみれになります。
ヒルに血を吸われても痛くはないですが血は出ます。 -
5日目: ガンドルンから谷を渡り、
最終日の手前のダンプスへ移動して宿泊。標高1,799メートル。 -
6日目(最終日): 朝、ダンプスの尾根を歩き、
そこから下山してポカラまで歩きます。
トレッキングからの開放感で泣きながら歩いていると、
サランギーを弾く親子に会いました。
ベリグッド・ミュージック~♪
覚えていないのですが歌の最後がこんな感じでした。
いきなり現れて陽気に歌を歌っている人たちがいました。
人生でこんなに苦しい目にあったのは初めてでした。 -
ペワ湖まで戻って、レストランのハングリーアイで、
ガイドさんとポーターさんとお食事をして別れました。
ガイドさんは結婚したばかりで、奥さんがインド人、
ゴルカ兵に志願したけれど不採用でガイドになったそう。 -
パタレチャンゴ、デヴィズ・フォールです。
-
カトマンドに戻ると、インドビザは取れていなく、
トランジットビザのみ、、、ショックでした。
忘れもしない旅行会社の名前はタメルの北にあったガネッシュヒマール、
ネパリにどーしてくれるんだ~!!と怒鳴ってしまいました。
トレッキングしている間にインドビザを発給してくれると約束していました。
写真はパタンの黄金寺院。 -
この時期はダサインの最中で官庁は長い休暇、
街中に生贄にされた山羊がいました。
そして、色々ありインドビザを求めてバングラデシュに行くことになりました!!
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