2026/04/28 - 2026/04/28
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しろくまクンクンさん
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千燈寺跡へ行きました。
旧千燈寺跡は、かつて神仏習合の独特な山岳信仰が栄えた「六郷満山」の中核をなした伝説的な寺院跡です。
現在は深い緑に包まれた静寂な史跡となっていますが、かつては「西の高野山」とも称されました。
数千基もあるコケに覆われ忘れ去られたような五輪塔は圧巻です。
奥の院・仁聞菩薩入寂の岩屋は崖に出来だ洞窟にあります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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草地の大きな駐車場です。
駐車場の奥から入るのが正規ルートですが手前に踏跡があったのでそちらから登りました。 -
途中石囲いの跡があり
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正規のルートに合流すると沢山の五輪塔がありました。
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ここには現在、数千基(一説には3,000基~4,000基以上)もの五輪塔や国東塔が集まっています。
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最盛期の千燈寺は、六郷満山(国東半島の寺院群)の中でも最大級の規模を誇り、多くの高僧が集まる修行の精神的中心地でした。
五輪塔は本来、仏教において「人が亡くなった後に宇宙を構成する5つの要素(地・水・火・風・空)に還る」という思想を表した供養塔(お墓)です。これほど大規模な寺院だったからこそ、ここで生涯を終えた歴代の僧侶たちのお墓が何百年にもわたって建て続けられ、膨大な数になりました。 -
千燈寺の歴史の中で最も大きな悲劇が、戦国時代(1570年代)に起きたキリシタン大名・大友宗麟の軍勢による焼き討ちです。
この時、広大な伽藍(寺の建物)だけでなく、多くの僧侶も犠牲になったと伝えられています。のちに生存者や地域の人々が、戦火で亡くなった人たちを弔うために一斉に作った供養塔も、この中に数多く含まれていると考えられています。 -
千燈寺の広大な境内や周囲の山林に散らばっていた古いお墓や供養塔が、山崩れなどで埋もれたり風化したりするのを防ぐため、後世(明治~昭和にかけての再整備など)になって護持・供養のためにこの場所に一堂に集められたという背景があります。(五輪塔に関しての記述はGeminiによります。)
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急登が続きます。
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唐突に表れ説明もありません。
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弘法堂跡です。
中央の大きなものは仁聞国東塔です。 -
弘法堂跡です。
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倒れたままの五輪塔が多かったです。
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右は奥の院です。
左は仁聞菩薩入寂の岩屋です。 -
ほかにも岩屋があります。
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奥の院は切り立った岩壁の洞窟に埋め込まれるようにして建っています。
入り口だけだ出ているようです。 -
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説明版です。
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こちらにも岩屋がありました。
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最盛期の千燈寺は、六郷満山の中でも最大級の規模を誇り、多くの高僧が集まる修行の精神的中心地でした。
深い山々が記憶を封印しているようです。 -
素晴らしい場所です。
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緑の鮮やかさだけは昔と変わらないのでしょう。
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落ち葉に埋もれた石段は訪れる人の少なさを物語っています。
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ちゃんと参道を下ります。
駐車場近くにあります本堂跡に半肉彫りの仁王像がひっそりと佇んでいます。 -
優しいお顔をしています。
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素晴らしいです。
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石段のみが残り大きな伽藍があったことは想像するしかありません。
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石段と石垣のみが残ります。
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西ノ坊跡です。
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分かりにくい地図ですが現在残っている遺跡の案内です。
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