2026/04/30 - 2026/04/30
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2026/04/30
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関西国際空港
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アシアナ航空
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大韓航空
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ミーソン遺跡
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旅の始まりは、やはり勝手知ったる関西国際空港から。
今回のベトナム・ダナンへの旅では、おそらく私の人生において最初で最後になるであろう、ある特別な深夜便を選択した。アシアナ航空OZ117便、仁川国際空港行きだ。
実は航空券を手配する際、関空を深夜2時台に出発する大韓航空(KE)を選び、すべての行程をKEで美しくまとめ上げることも可能だった。しかし、選択肢の中に「アシアナ航空」の文字を見つけた瞬間、私の指は迷わずそちらをタップしていた。乗り継ぎ時間は長くなってしまうが、どうしても譲れない理由があったのだ。
ご存知の通り、大韓航空は「スカイチーム」、アシアナ航空は「スターアライアンス」と、本来は異なるアライアンスに属している。しかし、アシアナ航空は2026年12月をもって大韓航空へと完全に吸収合併されることが決まっており、その歴史あるブランドは間もなくこの世界から姿を消す。
「あの美しい5つ星のブランドが消失してしまう前に、一度はアシアナの翼に乗っておきたい」
そんな旅人の矜持が、私にこの便を選ばせた。幸い、すでに両社の統合プロセスは進んでおり、提携関係にあるため、関空のカウンターでダナンまでの航空券が2枚まとめて発券され、荷物も無事にスルーバゲージで預けることができた。
かつてアエロフロートなどの格安便を追いかけていた若き日から、数々の空を飛んできた。アシアナ航空といえば、韓国の中堅財閥である錦湖(クモ)グループをバックボーンに持ち、一時は航空会社の格付け「スカイトラックス」で最高峰の5つ星(ファイブスター)を獲得していた超実力派だ。当時のサービス水準は、時に大韓航空をも凌ぐとさえ評価されていた。
そんな名門エアラインが、まさか大韓航空に飲み込まれる日が来ようとは、10年前の私には夢にも思わなかった。
確かに、私の地元である広島空港では、着陸時にあわや大惨事となりかけた重大インシデント(2015年の着陸失敗事故)を起こすなど、暗い影を落とした時期もあった。それでも、その高いブランド力とアジアを代表するプレミアムなイメージは、私の記憶に強く刻まれていた。それだけに、今回の搭乗はどこか惜別の情が隠せない。
静まり返った深夜の関空から、いよいよ機内へと乗り込む。
今日の機材は、最新鋭のナローボディ機「エアバスA321neo」だ。
実際に座席に腰を下ろしてみて、正直な感想を抱いた。
「……思いのほか、クッションが薄いな」
近年のコストカットや軽量化のトレンドなのか、最新機材であるはずのシートは決して座り心地が良いものとは言えなかった。さらに、深夜出発かつ仁川までは2時間に満たない超短距離路線の悲しさか、運ばれてきた機内食も「まぁ、深夜便だしね」と苦笑いしてしまうような、少々味気ないものだった。かつての5つ星の面影を探すには、時代の流れはあまりにも残酷かもしれない。
しかし、シートの薄さも、ショボい機内食も、すべては「アシアナ航空をこの肌で体験している」という贅沢な事実の前に心地よいスパイスに変わる。機体は夜の帳を切り裂き、順調に仁川へと向かって高度を上げていく。
消えゆく名門の翼に揺られながら、まずは中継地・韓国へ。さあ、いよいよ20年ぶりのベトナム、憧れのダナンへ向けて、私の特別な旅が始まった!
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ミーソン遺跡(M? S?n Sanctuary)は、ベトナム中部のクアンナム省にある、かつてのチャンパ王国の聖地です。1999年にユネスコの世界文化遺産に登録された。ミーソン遺跡は、4世紀から14世紀にかけて栄えたヒンドゥー教の王国、チャンパ王国の宗教・政治的な中心地でした。特にシヴァ神を祀るための聖域として建設され、歴代の王たちが神殿を建てた。
当時のチャンパの人々は、レンガとレンガを接着剤をほとんど使わずに(極めて緻密に積み上げる技術を持っていた。訪れるとわかるがこんな山の中に高度な文明があることに驚かされた。また赤レンガに直接彫られた、ヒンドゥー教の神々や神話のシーンを描いた緻密な彫刻は、当時の芸術水準の高さを示していた。
1471年にダイ・ベトの黎朝(レ朝)によって首都であったヴィジャヤ(現在のクイニョン付近)が陥落し、統一されたチャンパ王国としての国家機能は事実上崩壊した。
そしてミーソンは王国の衰退と政治的中心地の南下、そして宗教の変化に伴う「聖地としての放棄」が長期間かけて重なった結果森の中に埋もれてしまった。
そのご現代に入りベトナム戦争の際、この地が北ベトナム軍の拠点として使われたため、米軍の爆撃を受け、多くの神殿が破壊されてしまった。ベトナム戦争がなければと悔やまれてやまない。
【旅程】
4/29 KIX OZ117 0:15 - ICN2:15
ICN KE457 11:40 - DAD14:20
DAD 12番バス 15:12 -Đ?i Di?n 76 Nguy?n Chí Thanh15:33
…Hilton Da Nang
Hilton Da Nang-Grab-H?i s?n M?c quán Đà N?ngで夕食
Moc…Son Tra Night Market…Dragon Bridge…hotelへ
4/30 Hotel-Grab-My Son遺跡へ
My Son遺跡-Grab-Hoi An(旧市街散策)
・Aloha Restaurant Coffee & Blue Barで一杯
・IBERICO - TAPAS y VINO Hoi Anで夕食
Hoi An-Grab-Hotelへ
5/1 Hotel-Grab-Da Nang駅
SE10便9:06-Hue駅12:10
Hue駅-Grab-Hue Palace
・フエの宮殿を見学
・Homeland Coffee and Tea
Homeland -grab -3 February Park
バスの時間までビール
・DMZ Bar & Restaurantでピザとビール
・17時発のHop on Hop off bus 1時間周遊
3 February Park-grab-Nguyen Hoang Bus Station
バスターミナル発19:30 -寝台バス-NHÀ XE HOÀNG MINH (HAPPYCAR Da Nang) 21:30
NHÀ XE HOÀNG MINH (HAPPYCAR)-grab-hotel
5/2 Hotel…ダナン大聖堂…ハン市場…N?i Café…Hotel
Hotel-grab-コン市場
コン市場-grab-マーブルマウンテン
マーブルマウンテン-grab-お土産物屋Hantou
Hantou…Hotel
Hotel…Le Bambino French Restaurant…Hotel
5/3 Hotel - grab-DAD
5/3 DAD KE458 15:55 - ICN22:30
5/4 ICN KE723 9:35 - KIX11:20
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朝6時半からプールで泳いでカロリー消費!
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朝からもりもり食べて出発準備。この日はミーソン遺跡に行った後にホイアンを周遊するので、ホテルに戻ってくるのは21時ごろの予定
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Grabで車を呼んでミーソン遺跡へ。約45キロの道のりで70分程度の道のり
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白を基調とした非常に大きくて近代的な建物は裁判所。正面にはたくさんの立派な円柱(ギリシャの神殿のような柱)が並び、上部にはベトナムの国章(赤い丸に黄色い星と稲穂のマーク)が掲げられている。建物の前には広々とした前庭(広場)がある。
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内を抜け、少しずつ田園風景や山々が近づいてくるドライブは、ベトナムの多様な表情を感じられる。
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ダナンからミーソン遺跡へと続く道のりにおいて、ベトナム中部の豊かな自然と歴史の息吹を感じさせる象徴的なポイントとなるKi?m Lâm Giao Th?y Bridge
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開けた道から、木々が覆いかぶさるような静かな森の道へと進んでいく。もう少しでミーソン遺跡だ
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ミーソン遺跡に到着すると、そこには広い駐車場が広がっていた。車を降り、運転手にこの後のホイアンへの移動も併せて相談し、交渉を成立させる。待機を頼み、身軽になってから入口へと向かった。
入場料を支払い、一歩足を踏み入れる。遺跡の本体はここからかなり先であり、深い木々に囲まれた道を徒歩で進んでいく。緑の濃い森の中、古代への入り口をたどるような静かな時間が流れていた。ミーソン遺跡 史跡・遺跡
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左側に配置された青と白のマークはユネスコ世界遺産のエンブレムであり、右側には「WORLD CULTURAL HERITAGE MY SON(世界文化遺産 ミーソン)」と記されたロゴが掲げられている。中央のアーチ状のデザインも、チャンパ王国の建築様式を彷彿とさせる装飾で
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遺跡には川が流れており特徴的な橋が架かっている。
手すりが木の枝を模したデザインとなっており、周囲の豊かな緑と見事に調和している。そして、その先にはチャンパの神殿を彷彿とさせるレンガ造りのゲートがいくつも連なり、訪れる者を古代の聖域へと導いている。 -
遺跡の深部へと運ぶシャトルバスの乗り場がある。鮮やかな緑色の車両が、これから向かう古代の聖域へいざなってくれる。バスは頻発しているので安心だ
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シャトルバスは、深い緑に囲まれた坂道を軽快に登っていく。バスに揺られながら坂を上るこの行程は、かつての聖域へと登り詰めていくような感覚を覚えさせる。
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周囲の木々が深まり、時折前を行く他のシャトルバスの姿を捉えながら、歴史の重層する地へと着実に歩みを進める時間であった。
5分ほどシャトルバスに乗り、ここからは徒歩で散策となる -
深い森と静かな水辺が織りなす、聖地ならではの厳かな自然の姿である。
人里離れたジャングルの中にぽっかりと現れたこの水辺は、かつてチャンパ王国の王たちが神々に祈りを捧げたこの地の神聖さを、今も変わらず静かに映し出している -
バナナの葉が広がり、その向こうには穏やかな水面がたたえられている。背景にそびえる山々は、この地が古くから山と水に守られた聖域なのだろう。当時の人もバナナを食べていたのだろうか
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池の鏡のような水面には背後の山が鮮明に映り込み、その静寂な景色に、蓮の葉が点々と浮かんでいる。池に沿って架けられた木道が、まるで水上の小道のように奥へと続いており、歩みを進めるごとに神聖な領域へ導かれるような心地にさせられる
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ここはグループHの遺跡群、
遺跡全体の構成の中で最も新しく(終盤に)建てられたエリアの一つ -
主な特徴は以下の通り
建築時期と様式
: 12世紀~14世紀頃(主に13世紀後半)に建てられた。
建築様式: チャンパ王国の晩期にあたる「ビンディン様式(Bình Đ?nh style)」の特徴を持つ。ミーソン遺跡の歴史の終盤を象徴する場所。 -
現在の状態と見どころ
?アメリカによる ベトナム戦争時の爆撃などにより、このグループの建造物のほとんどは残念ながら破壊された。
現在残っているのは、かつて本堂(主祠堂)であったとされる「H1」のレンガの壁面や土台の一部のみ -
近年修復作業が行われており、時を経て風化した古いレンガと、崩壊を防ぐために新しく補強された真新しいレンガが混在している様子を間近で見ることができる。
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続いてグループB~Dの遺跡群。写真はC1寺院塔(カーラン)である。
この建造物は、レンガを積み上げたチャンパ王国の精緻な建築技術を象徴するものであり、壁面に施されたレリーフや、中央のくぼみに配置された彫像が当時の宗教的背景を如実に伝えている。周囲の崩れた遺構と比較しても、この塔が放つ威厳は圧倒的であり、聖域の中心としての役割を今に語りかけている -
ミーソン遺跡のB・C・Dグループエリアに広がる神殿群の一部
このエリアは、かつてチャンパ王国の宗教的な心臓部として最も重要な役割を担っていた場所であり、現存する遺構の中でも特に規模が大きく、かつ密集していることで知られている。写真に見られるように、長年の風雪や戦災を経て崩れた基壇や一部を残す塔の姿は、この場所が経てきた長い歴史と、往時の壮大な建築群の面影を現代に伝えている -
ミーソン聖域において聖典や祭祀用具を保管するために使われていた「聖典保管庫」である。Bグループの遺跡群の中でも特に重要な建築物の一つに数えられる。この寺院の最大の特徴は、その屋根にある。舟形(ボート形)の屋根をしており、これは当時のチャンパ王国の人々がかつて海を渡ってきたという伝承や、彼らの文化的なルーツを反映しているとも言われている。
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チャンパの建築は、レンガを接着剤をほとんど使わずに隙間なく積み上げる「すり合わせ」という高度な技術で知られている。長い年月を経てもなお、これほど細かな装飾を保ちながら自立している姿は、当時の技術の高さを示している。
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入り口周りや壁面に刻まれた柱状の装飾やレリーフは、ヒンドゥー教の神話や当時の信仰を具現化したものである。このB5寺院は、単なる保管庫としての機能だけでなく、周囲の寺院群と調和する宗教的な芸術作品としても設計されていた。
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崩壊が進む他の遺跡と比較すると、このB5寺院は保存状態が比較的良く、当時のチャンパ王国の宗教建築の全貌を理解する上で非常に貴重な手がかりとなっている
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B5寺院(聖典保管庫)」のほか、複数の小さな寺院や礼拝所が密集して配置され、このBグループはミーソン聖域の中で最も重要な中枢エリアの一つであり、ヒンドゥー教の神々を祀るための塔がいくつも並んでいる。
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チャンパ建築は、レンガを積み上げる際に強固な構造を持たせるため、このような分厚い壁面と、神聖な領域を守るための閉鎖的な空間設計がなされている
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門のフレームとして使われている石材や積み上げられたレンガは、この建物がかつてどれほど頑丈に造られていたかを物語っている。上部の梁(まぐさ)が取り除かれ、入り口が空へと開かれている様子は、この遺跡が経てきた長い時の流れと、静寂を感じさせる。
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彫刻が施された柱やアーチを持つ比較的保存状態の良い寺院の入り口が見え、右側には崩落した壁の質感がそのまま残る構造物が対比的に配置
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右側にそびえる大きな寺院(B5寺院と並ぶ重要な主殿の一つ)は、多層の屋根構造と、壁面に施された精巧な彫刻が特徴です。これらはチャンパ王国の宗教建築の粋を集めたものであり、当時の王権と信仰の深さを物語っている
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左右にそびえる分厚いレンガの壁に挟まれた狭い通路は、かつての神殿の奥深さを象徴。壁面に付着した苔や時間の経過を感じさせるレンガの質感が、この場所が経てきた長い歳月を静かに物語っている
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Bグループはミーソンの中でも建築的価値が非常に高く、特にこの場所のレンガの質感や彫刻のディテールからは、1,000年以上前の当時の職人たちの技術力を今なお間近に感じることができる。。
写真はミーソン聖域の Bグループ の中央付近から、Dグループ方向を望む光景 -
ミーソン聖域の Dグループ にある主要な建造物である「D1寺院」。
この寺院は、Bグループの寺院群と密接に隣接しており、ミーソン聖域の中でも特に長大な壁面を持つ建造物として知られている。
この写真で目を引くのは、壁面に設けられた「擬窓(ぎそう)」と呼ばれる装飾的な窓の枠と、その中に見える柱状の彫刻。手前に並ぶ石造りの基壇や柱の残骸は、かつてこの建物がどのような壮麗な姿をしていたかを現在に伝えている。 -
ミーソン聖域の遺跡群から発掘された、非常に価値の高い砂岩製のレリーフ(浮き彫り彫刻)。
これはミーソン聖域内の展示スペース(もしくは保護施設)で見ることができるもので、当時のチャンパ王国の宗教芸術の精華を伝えている。
中央で躍動感あふれるポーズをとっているのは、ヒンドゥー教の神であるシヴァ神(ナタラージャ/踊る王)であるとされている。このダイナミックな姿勢は、宇宙の創造と破壊のサイクルを象徴しており、チャンパの彫刻技術がいかに高度で表現力豊かであったかを如実に示す。 -
崩れた壁や基壇の跡は、長い歳月と自然の移ろいをそのまま映し出す。こうした遺跡のありのままの姿は、訪れる人に当時の祈りの空間を静かに伝えてくれる。
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左手前には崩壊した塔の基壇やレンガの残骸が重なり、奥のD1寺院へと続く石畳が聖域の広がりを強調している
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手前に大きくそびえる壁面は、D1寺院の側面。レンガを緻密に積み上げる独特の技法により、長い歳月を経てもこれほど巨大な構造を維持できていることがうかがえる。
建物に沿って敷かれたレンガの通路は、聖域内を移動するための重要な参道。この通路を歩くことで、当時の参拝者がどのような動線で聖なる寺院へ向かっていたのかを追体験できる -
B~Dは固まっているが、しばらく歩くと広大な敷地に移籍がある。これがAグループだ。このエリアはミーソンの中でも特に規模が大きく、かつて聖域の中心的な役割を果たしていた場所。しかし、戦災により非常に大きな被害を受けており、写真からもわかる通り、多くの塔が崩れ、基壇や壁の一部が残るのみ。
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背後の山々と、広大な土地に広がる崩壊したレンガの遺構が作り出す風景は、この聖域が辿った激動の歴史を最も強く物語る場所の一つ。崩落してなお残る石造りの門や階段の跡は、かつてのチャンパ王国の威光と、この場所がどれほど巨大な宗教拠点であったかを静かに示す。
ベトナム戦争で米軍により破壊されなければ… -
グループGは丘の上にある。
グループGは、12世紀半ば(12世紀~14世紀)にジャヤハリヴァルマン1世によって建設されたとされている。建築様式は、チャンパ王国の後期にあたるビンディン様式に分類される -
ベトナム戦争時の爆撃によって大半の施設が破壊されたが、グループGは近年、国際的な協力のもとで大規模な修復・復元が行われたエリアでもある
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付近にはベトナムのトレードマークのハスの花が咲いている
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グループEは、7世紀後半~8世紀初頭にかけて建設された非常に古い遺構である。チャム美術の歴史において、この場所から発見された彫刻や建築のスタイルは「ミーソンE1様式(My Son E1 style)」と定義されており、最初期のチャム美術の基準となる極めて重要な場所である。
シヴァ神信仰の神殿
グループEの主祠堂(E1)は、ヒンドゥー教の最高神のひとりであるシヴァ神(主にリンガの形態)を祀るために建てられた。
上部に向かってなだらかな曲線を描きながら狭まっていくボート型(あるいは山型)の屋根が特徴的であり、当時の高度なレンガ積みの技術を現代に伝えている。 -
グループF
8世紀後半(グループEより少し後の時代)に建設されたとされる。建築や彫刻のスタイルは、グループEの「ミーソンE、1様式」に続く、「ミーソンA1様式」へと移行する過渡期の様式(初期の様式)として美術史上で区別されている。
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左手前に、頭部と片腕を失った非常に古い石像が立っている。これは神殿を守る守護神(ドヴァラパーラなど)の像と考えられているが、ミーソン遺跡が戦火に巻き込まれた激動の歴史、そして時の流れの残酷さを象徴する非常に印象的な遺物である。
美しく復元が進んだグループEやグループGに対し、このグループFはあえて過度な復元をせず、崩れたレンガが地面に積み重なったままの状態で保存されている部分が多い。ベトナム戦争時の破壊の凄まじさを今に伝える、 -
遺構は、あえて過度な整備をせず、発見当時の「ジャングルに埋もれていた聖域」の雰囲気を色濃く残している。
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ここに来てマップが!!
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グループK
現在は赤レンガで造られた一つの祠堂(主堂:カラ)の大部分が崩落し、壁面の一部が美しく残されているのが特徴。周囲を豊かな緑に囲まれており、かつてのヒンドゥー教聖域の神秘的な雰囲気を強く漂わせている。 -
約2時間をかけてミーソン遺跡を周遊し、待たせていたGrabに乗車し、ホイアンの旧市街へ。この旅では3か所の世界遺産に訪れるが、ホイアンの旧市街は2か所目になる。
写真はミーソン遺跡からホイアンへ向かう主要ルート(地方道DT610号線経由)、クアンナム省ズイスエン県にある**ナムフォック(Nam Phước / 南福)**という街の通り
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