2026/06/06 - 2026/06/06
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この旅行記のスケジュール
2026/06/06
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事前に「ぐんまワンデーローカルパス(デジタルフリーパス)」を購入しました
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川俣駅からはワンダーパスの使用開始
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バスでの移動
横川駅からJRバス関東の路線バスに乗り換えます
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軽井沢駅
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バスでの移動
草軽交通の路線バスに乗ります
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バスでの移動
草軽交通の路線バスで草軽温泉へ向かいます
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この旅行記スケジュールを元に
昨年11月に群馬県最西端の大前駅まで行ったときに利用した「ぐんまワンデーローカルパス(デジタルフリーパス)」が便利でお得だったので、再びこのフリーパスを使って旧草軽電気鉄道の歴史をたどることにしました。
草軽電気鉄道は、長野県北佐久郡軽井沢町の新軽井沢駅と群馬県吾妻郡草津町の草津温泉駅を結ぶ鉄道路線(軽便鉄道)でした。
名湯草津温泉は、明治時代の終わりになっても交通アクセルが悪かったことから、草津温泉の有志たちは軽井沢から草津温泉まで鉄道を計画しました。
建設予算が限られていたことから、山岳地帯を通るにもかかわらずトンネルを造らず、急カーブやスイッチバックで対応したため、全長55.5 kmを走破するのに2時間半から3時間を必要としました。
昭和10年(1935年)に渋川~草津間などで国鉄バスが運行を開始すると、草軽電気鉄道の利用者は次第に減少し、昭和20年(1945年)に国鉄長野原線(現・吾妻線)が開業し、さらに厳しい状況となりました。
それでも昭和30年度(1955年度)には、乗客数のピーク(492,182人)を記録しましたが、その5年後には利用者数が115,142人に激減し、昭和37年(1962年)2月1日に全線廃止しました。FUKUJIRO少年はまだ4歳、乗車のチャンスはありませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
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ぐんまワンデーローカルパスは、昨秋の2,500円から4%値上げして2,600円になっていました。
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ポチッと押して利用開始です。
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川俣駅からはワンデーパスの範囲内です。
よろしければ、大前駅まで行ったときの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/12013481 -
伊勢崎駅は伊勢崎線の終点です。
線路が終わっています。 -
JR両毛線に乗り換えます。
JR伊勢崎駅にはニューデイズがあります。 -
高崎駅の新幹線乗り場の手前に美味しそうなお蕎麦屋さんを見つけました。
次の機会に寄ってみましょう。 -
磯部駅は磯部温泉の最寄り駅です。
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横川駅に着きました。信越線はこの横川駅で途切れています。
鉄道娘ではなくて、鉄道文化村のキャラクター(たぶん横川夢)でした。 -
横川駅。乗換時間が短いので、急いで軽井沢駅へ向かうJRバス関東に乗り換えます。
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JRバス関東の路線バスです。
以前は現金のみでしたが、今回はsuicaが使えるようになっていました。FUKUJIROはフリーパスを見せて乗車しました。
車内にはコンセプトがあり、スマホも充電できました。 -
軽井沢駅北口。
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駅前の噴水。
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軽井沢本通り。約1.7km先には旧軽井沢の街並みが広がります。
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たぶん、この辺りに草軽電気鉄道の新軽井沢駅があったようです。
草軽電気鉄道は、長野県軽井沢町の新軽井沢駅から群馬県草津町の草津温泉駅を結ぶ55.5kmの鉄道路線(軽便鉄道)でした。 -
(旧)轻井沢駅舍記念館。
明治21年に信越本線(直江津~軽井沢間)が開通以来、皇族をはじめ多くの内外要人が降り立つ駅でした。
この軽井沢駅舎記念館は明治43年に大改築された際の外観で、平成12年に再築保存されました。 -
その駅舎の前には、草軽電気鉄道・電気機関車(デキ12)が展示されています。
デキ12形機関車は、鉱山用のトロッコを改造したもので、大正9年(1920年)にアメリカのジェフェリー社で製造されました。
長いパンタグラフとL字型の車体が特徴で「カブトムシ」の愛称で親しまれました。 -
運転室。
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運転室から前方の見え方。
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旧軽井沢駅 煉瓦サイロの碑。
信越本線の最大の難所であった碓氷峠を越えるため、蒸気機関車の給水塔に使われていた煉瓦です。 -
軽井沢駅前交番。
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碓日嶺鉄道碑(うすひのみねてつどうひ)。
国策として横川~軽井沢間の碓氷峠に鉄道を開通させたことの記念碑です。
これは複製で、廃止された旧熊ノ平駅跡に本物の碑が建てられています。 -
2番乗り場から草軽交通の路線バスに乗ります。
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草津温泉行きのバス乗り場ですが、このバスの終点は、北軽井沢駅です。
土曜日ということもあって、30人ほどの乗客でした。 -
江戸時代、軽井沢は中仙道の宿場として栄えていましたが、その中心地区が現在の旧軽井沢です。
草軽電気鉄道が開通したとき、信越本線の軽井沢駅の側に新設した駅を新軽井沢駅と名付けました。 -
旧軽井沢にある軽井沢堂は、昭和を感じられる土産物屋さん。
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旧中山道と交差して三笠道路を進むと、もう山の中です。
草軽電気鉄道はスイスの登山鉄道に着想を得て、軽井沢から草津や浅間山麓の高原地への輸送を目的としていました。 -
三笠道路から白糸ハイランドウェイに入ると道も荒れてきました。
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沢も見えます。
鉄道跡は、一部は道路になりましたが、山中の木々に飲み込まれてしまったところも多いようです。 -
草軽交通(株)が営業している白糸の滝売店前にバス停があります。。
軽井沢の名瀑「白糸の滝」の登り口にあり、お土産物や産直野菜などの他に、信州らしい美味しいものが軒を連ねております。なかでも一番人気「いわな塩焼き」は、ハイシーズンには焼き上がるのが追いつかないほどの人気。また、夏季シーズン限定の「白糸湧水どうふ」はココのオリジナル!
その他「おやき」や「名物・鹿まん」など、他では味わえないものが揃っています。 -
FUKUJIROとサラリーマン風の男性を残して、他の乗客は全員下車しました。
2人の若者が乗車しました。 -
草軽交通 軽井沢草津線の路線図が掲示されていました。これはわかりやすいです。
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乗車したばかりの若者2人が下車しました。
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峰の茶屋。
元々は浅間登山客の宿泊施設だったお店は、開業100年を越える老舗だ。現在でも旅の休憩地としてそばやうどん、ドリンクやケーキなどの軽食を提供している。ハイキングコースや登山道の入り口も近いため、ここで休憩しながら地図を確かめる人も多い。
〒389-0111 長野県北佐久郡軽井沢町長倉2131−2 -
国道146号線を進み、まもなく県境です。
県境というバス停があるのですね。 -
浅間牧場バス停付近。
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北軽井沢バス停に到着しました。
草軽交通ではsuica等の交通カードは使用不可、現金の他にクレジットカードのタッチ決済、PayPayが使えます。 -
イメージしていたよりも新しそうな建物があります。
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北軽井沢駅に近いゆきのやさんを寄りました。
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外見からのイメージと店内の様子にギャブがあります。レトロモダンな店内にはお酒が並んでいました。
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店長さんに夜がメインのお店なのか聞きましたが、そういうことではないそうです。
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アジフライ定食を美味しくいただきました。
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長野原町のマンホール蓋。
町の花「ムラサキツツジ」と町の鳥「ヤマドリ」、背景には浅間山をデザインしています。 -
路地の先に、北軽井沢駅が見えます。
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草軽電気鉄道は、大正4年(1915年)7月22日、新軽井沢~小瀬(のちの小瀬温泉)間開業。大正15年(1926年)9月19日に草津温泉まで全線が開通しました。
この駅は、昭和2年(1927年)に夏期のみ営業の臨時駅・地蔵川停留所として開業、後に北軽井沢駅と改称しました。 -
北軽井沢駅には、駅舎、レール、駅名看板、 や電気機関車の木製モックアップがあります。
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線路の幅は762mmで、国内標準の1067mmよりもかなり狭い軌道でした。
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軽井沢駅前に展示されている電気機関車(デキ12)の木製モックアップ。前方から。
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側方から。
反対側から見られれば順光なのですが、屋根付きのベンチがあって、残念です。 -
斜め後方から。長いパンタグラフも再現されています。
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後方から。
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運転室にはハンドルのみ。
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車輪も木製です。
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ホームと駅舎の間には改札の跡。
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ホーム側の窓口。
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元は駅員が常駐していたであろう部屋は、地域支援室となっていました。
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土曜日だからか、地域支援室には誰もいませんでした。
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駅舎内部。
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軽井沢から草軽温泉までの沿線案内図。
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年代は不明ですが、運賃表。
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電気機関車「デキ12」模型。
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草軽の昔を偲ぶ写真。
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原っぱを走るデキ12の絵。
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浅間山を背景に走るデキ12。
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長野原町立応桑小学校の6年生が平成14年度に製作したの草軽鉄道の立体模型です。
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北軽井沢から草軽温泉の部分。
草軽電気鉄道は万座鹿沢口駅の付近を通っていましたが、路線バスは少し下流の応桑や羽根尾地区を通っていることが良くわかります。 -
道路の反対側には石碑があります。
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青山孝吉翁の像。
北軽井沢の中心部に600ヘクタール(東京ディズニーランド&シーの6倍)の土地を取得した方で、その土地を活用して地域の発展に貢献しているそうです。 -
青山孝古翁像建立の由来。
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北軽井沢開発之碑。
戦前から戦後にかけて、北軽井沢は大学村や別荘地の開発で人が住み始めた場所です。
別荘地開発などに関わった法政大学長・松室政氏の功績をたたえて建立されました。 -
ホテル北軽井沢。
昭和3年に北軽井沢駅前のホテルとして開業したノスタルジックな雰囲気のホテルです。
調べてみたら、FUKUJIROも泊まれそうな料金です。 -
北軽井沢駅舎の正面。和洋折衷形式で.、軒下には法政大学を示す「H」の文字が白くデザインされていま。
昭和24年(1949年)8月31日、神奈川県小田原市に上陸したキティ台風(台風10号)により沿線各所に多大な被害が発生、すでに経営不振に陥っていたことから、新軽井沢~上州三原間を廃止。
昭和37年(1962年)2月1日、上州三原~草津温泉間も廃止されて全線廃止。
この時FUKUJIRO少年はまだ4歳、乗車のチャンスはありませんでした。 -
新しそうに見えた建物ですが、国の登録有形文化財です。
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草軽交通の路線バスは、軽井沢駅、草津温泉バスターミナル、JR長野原草津口駅へ、高速バスでは渋谷駅や横浜駅へ行けます。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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旅行記グループ 茨城・栃木・群馬の旅その3
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