2026/05/24 - 2026/05/24
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tokyopigletさん
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世界遺産のボヤナ教会とリラの僧院 夕方からはソフィアで共産主義時代について学ぶ
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朝食はアボカドトースト ルッコラてんこ盛りで美味しい~
今日はソフィア周辺と市内をうろう -
世界遺産ボヤナ教会 ソフィアの郊外
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森の中の小さな教会
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右が11世紀、真ん中が13世紀、左が19世紀に拡張された部分
元はソフィアを囲む砦の一つの軍隊のための礼拝堂で、13世紀に現在のソフィアのカロヤン長官が巨額を寄付して教会を拡張した。そのころの素晴らしい壁画が見事に残っている。
大人気の教会だが、一度に入れるのは10人。切符売り場はすでに長蛇の列だったが、ドライバーさんが知り合いを見つけて素早くチケットをゲット、私たちも聖堂の前に陣取って、ほとんど待たずに入場できた。1時間とか待つことはざらだそうで、人数の多いツアーなどはどうするんだろう??
内部は撮影禁止で、おじさんが英語で説明をしてくれるが、堂内を埋め尽くす壁画に圧倒されて、とても見切れない~
こんな素晴らしいものがよくぞ手付かずで生き残っていたもんだ。奇跡のような、まさに世界遺産。 -
パンフレットの写真から。主に13世紀の壁画が見事に残っている。人物は表情豊かで、一人ひとりの個性も際立っている。扉の上部は聖ニコライの物語
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アーチ部のキリストの変容、その左に受胎告知の大天使ガブリエル、左上のアーチに最後の晩餐 もう見どころ多すぎてパニック
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ブルガリア国王フェルディナント1世の2番目の妃である エレオノーラの墓。20世紀に教会が取り壊されそうになった時、代替地を提供して教会を救い、本人の希望でここに埋葬された。共産党時代に撤去されたが、民主化後に復元された
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礼拝堂の後ろの墓 高位の聖職者か寄付者の一族か・・・
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ソフィアの南の山地をドライブしてリラの僧院へ
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ブドウ畑~
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ひつじー
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昨日の雨で水量が多い
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山には雪が。スキー場もいくつかあるらしい
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リラの僧院が見えてきた
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僧院のベーカリーでメキッツアを買う。
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メキッツアはヨーグルトを練りこんだ揚げパンで、粉砂糖をかけたり、ジャムをかけたり、朝食やおやつに食べるブルガリアの国民食。バッファ路0?のヨーグルトと緑のイチヂクのジャムをつけて。揚げパンだけど軽めで美味しい~
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いろんなジャムやハチミツ売ってました。絶対おいしそうだけど、重たくて買えないよ
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世界遺産・リラの僧院。
10世紀に、イヴァン・リルスキという僧がこの近くの洞窟で修行生活を送り、彼を慕って多くの僧侶や信者が集まり、小さな修道院が生まれた。
現在の姿になったのは14世紀、時の王の庇護で発展し、オスマン朝の支配下でも生き抜いた。博物館には、歴代のスルタンによる、僧院の権利を守る許可証があって興味深い。
僧院の建物は19世紀の火事で燃えてしまったが、その後復旧された。
中央が聖母誕生教会。19世紀のブルガリア民族復興様式の傑作と言われている。
教会の周りを3~4階建ての僧院が、砦のように取り囲んでいる。
こんなに新しいのに世界遺産?と思ったが、歴史の蓄積と、この建物と壁画が当時の傑作である、ってことらしい。 -
回廊の鮮やかなフレスコ画は、当時を代表する画家たちが無償で描いたという
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天国と地獄など、聖書の物語はいくら見ても足りない
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コンスタンチノープルかなぁ
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堂内も絢爛豪華
主祭壇の右側に、聖イオアン・リルスキ―の聖遺物(遺体)が祀られている。彼の遺体は死んでも腐らず、芳香を発したといわれていて、ここからソフィア、ベリコタルノヴォへと運ばれ、15世紀にここに戻された。
幸運にも聖遺物が御開帳されていた。皆ならんで参拝。豪華な小型の棺のふたが開かれ、黄金と宝石に装飾の中、腕?の部分が少しだけ見えた。赤黒くつやつやしていた。
運転手さんが大興奮、本物ですよ!ちょっと僕蝋燭捧げてお祈りしてきます! -
教会内、ブルガリア王ボリス3世の記念墓。
ボリス三世は、1943年にドイツにヒットラーを訪問した直後に急死したため、毒殺されたと噂された。運転手さんに至っては、どう考えても毒殺でしょう!と断定的。
ここに埋葬され、共産党政権で墓は破壊され、遺体はどこかに移された。のちに墓を調べたところ、保存容器に入った心臓だけが見つかり、現在はそれがここに埋葬されている。ボリス3世は、困難な第二次世界大戦の時代に、中立にこだわり、やむを得ずドイツ側についてからも、ソビエトには宣戦布告せず、ブルガリア系ユダヤ人約5万人の国外移送を阻止するなど、戦争への深入りをなるべく避けようとした。国民との距離も近く、今でもブルガリア国民に人気があるそうだ。
ボリス3世の急死の後、幼い息子のシメオン二世が即位、ソ連軍の侵攻、戦後王政廃止で共産党政権樹立、シメオンは亡命した。民主化後、シメオンはブルガリアに帰国、大変人気があり首相も務めた。
シメオンの人気の背景には父ボリスの人気もあるだろう。その先代のフェルディナンドは不人気だったが、後妻のエオレノーラ王妃はボヤナ教会を守っただけでなく、戦傷病者の看護に自らあたり、国民から慕われた。一方で、権力の座から転落したチャウシェスク夫妻。為政者のありかたについて、いろいろ考えてしまう・・・ -
リラの猫
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19世紀の火災を乗り越え、リラの僧院で最も古い、14世紀のフレリョの塔。外壁の壁画は美しく残っている。登れます
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フレリョの塔から、雪をかぶった山を眺める
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素晴らしい山を眺めながら、ソフィアに戻る
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ソフィアに戻り、「共産主義のソフィア・ウォーキングツアー」に参加
ここはかつて、ドルショップだったそう。
一般市民は、極めて不利な闇レートでドルを入手して、ここで西側製品を手に入れた -
ビルの谷間に小さく残る教会
宗教は良くないものとされ、教会は監視され、ブラックリストに載ると、いろいろ不利な扱いを受けた。いい学校に入学許可が出ないとか、いい職場に採用されないとか・・・ -
ロトンダ、と呼ばれる、聖ゲオルギ教会。4世紀の建築で、ブルガリア現存最古の教会。かつては洗礼堂で、オスマントルコ時代にはモスクに転用されていたそう。
共産党時代、周りの建物で取り囲まれ、目立たなくされていたが、20世紀に再び教会として使われるようになった -
ロトンダの周りはローマの浴場
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旧・共産党本部、現在は国会議事堂が修復中のため、この中で国会が開催されている。かつては塔の頂点に赤い星が輝いていた。また、窯とハンマーなどの象徴的な紋章などは取り外されている。
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大統領官邸。警備の兵士がときどき交代の儀式をする。この制服が、四月蜂起の反乱軍の制服と似ている気がするのよね~
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かつてレーニン像があった円柱には、今はソフィア像
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中央のエンブレムの窯とハンマーが削り取られた
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エンブレムの左右の人物が持つ鎌とハンマーだけが生き残っている
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クリーム色の建物がかつての秘密警察。密告や盗聴が奨励され、現在ここは情報センターとして、かつて収集された自分の記録を確認できるそう
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秘密警察に連行されるときはこの小さなドアが使われたそう 怖い
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この日は全国で高校の卒業式が行われ、町中でドレスアップした卒業生が写真を撮ったり、車のクラクションを鳴らして走り回ったり、夜にはプロム(卒業パーティー)があり、一年で一番賑やかな日だとか
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風船で飾った車でクラクションを鳴らして走り回る(笑)
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旧・王宮。現在は博物館や美術館になっている。
ブルガリア王国は1908年から1947年のわずか40年。王宮などもあまり整備するいとまなく終わった。 -
左が修復中の国会議事堂、その前に解放者記念像。ロシアのアレクサンダー二世の騎馬像で、ロシアが露土戦争でオスマントルコを破ってブルガリアが解放されたことを記念するもの。
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これはもう一つの開放記念塔、ソビエト兵士を讃える記念碑。ソフィア中心部にほど近い、公園の中にある。
以下、あくまでガイドさんの話。〇ソビエト軍は1944年のクーデターの後にやってきて占領したのであって、ソビエト軍が闘ってブルガリアを開放したわけではないが、ソビエト側の立場に基づき、開放10年を記念して1954年に記念碑が作られた 〇共産党政権崩壊後、この記念碑についての意見は激しく対立してきた 〇2011年には、匿名の芸術家グループによって、記念碑の兵士の群像が、スーパーマンやスパイダーマンなどアメリカのポップカルチャーの登場人物に塗り替えられるという事件があった 〇ほかにも様々な機会に、反ロシアの抗議行動などが行われてきた 〇ソ連のウクライナ侵攻に関連しても、ここが親ウクライナと新ロシアそれぞれの抗議行動の場となってきた 〇現在ソフィア市は修復の名目で柱の上の彫刻を撤去し、周りはフェンスと監視カメラで守られている -
2011年のペイとの様子 すごくよくできているが、一日で消された。匿名の芸術家集団は、ブルガリアのバンクシーと呼ばれたそう
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ウクライナ侵攻の際には青と黄色に塗られた
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共産党時代のブルガリアの紋章。古来からのブルガリアの象徴のライオンに、農業を象徴する麦、工業を象徴する歯車、そして赤い星。681はブルガリア建国の年、1944はクーデターの年
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国立文化宮殿 1981年にブルガリア建国1300年記念として建てられた。巨大な敷地内には劇場や会議場、スタジオなど様々な施設があるが、ガイドさん曰く、ずっとからっぽで最近やっと少し使われるようになった、とのこと
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共産主義体制犠牲者記念碑。
ブルガリア共産党の成立(1919年)から共産体制崩壊(1989年)までの間に迫害・処刑・収容所送り・強制移住などの被害を受けた人々を追悼するために、1999年に建てられた。約58メートルの黒花崗岩に、7,526人の名前が刻まれている
この記念碑については、賛否両論あるらしい。共産主義がすべて悪だったのか、ここに乗っている人はすべて一方的な被害者だったのか。共産主義時代は、平等で、治安もよくて、医療や教育も無料だった、と評価し懐かしむ人も少なくない。ソビエト兵士の記念碑と同様に、あの時代をどう評価するか、は、ブルガリアにとっていまだに大変難しいテーマということだ。
ガイドさんはさらに、共産党時代のイスラム教徒の迫害についても語っていた。
宗教だけでなく、イスラム的な名前をキリスト教風への変更が強制され、それが嫌なら国を出ろと言われ、多くのイスラム教徒がブルガリアを離れたという。 -
犠牲者記念碑の隣には、全ブルガリア殉教者に捧げられた礼拝堂
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ベルリンの壁の一部を保存したモニュメント
ベルリンの壁は、共産主義からの解放だったが、ブルガリアはそのあと国家財政の破綻とハイパーインフレなど、大変な苦難を経験した -
突然の雨と、虹
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突然の雨と、虹
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地下鉄の通路に地下鉄整備の歴史の展示
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地下鉄の駅はどこもすごく広い 防空壕?
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今夜はこちらで夕食 8時過ぎてもまだ明るい
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おじさんたちが音楽演奏してくれた
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自家製レモネード 旨し
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いろいろ盛り合わせ。ギリシャやトルコとも似てる。野菜たっぷりで美味しい。左の赤いナスがめっちゃおいしい。白くてしょっぱいチーズも定番
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ラムピラフ。もともとのブルガリア料理ではないらしいけど、とーっても美味しかった!
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ハンバーグ。中にチーズ入ってて、肉汁たっぷりでおいしい!!!サラダも芋も美味しい。ブルガリア、ご飯が素朴で美味しいよ~
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