2026/05/06 - 2026/05/06
342位(同エリア343件中)
万歩計さん
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大和郡山は豊臣秀吉の弟・秀長が造った城下町で金魚の町としても有名。今年の大河ドラマ「豊臣兄弟」の舞台ということで観光客も多かった。この町には何度か来ているが、今回は4トラ旅行記の取材目的で少し丁寧に見て回った。
その中で特に印象深かったのが大正時代の遊郭を保存した旧川本家住宅。江戸時代には遊郭を舞台にした浮世絵、文学、歌舞伎などの芸術が生まれ、遊女の衣装や化粧はファッションの流行発信になったという。しかし実態は苦界に身を沈めざるを得なかった不幸な女性達の悲惨な世界だった。
遊郭で働く女性の多くは貧困家庭から身売りされた少女で、家族の借金を返済するために売られるケースが多かった。一旦遊郭に入ると衣装代や病気の治療費は本人の借金となり、裕福な旦那に身受けしてもらわない限り、年季が開けることはなかった。借金でしばりつけられ自由を奪われ、来る日も来るも客をとらされる生活。挙句の果ては早死にし人知れず葬られる。遊郭という負の遺産を知るにつけ、男の欲望は罪深い
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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DMG MORI やまと郡山城ホール。友人が出演するギター演奏会にやって来ました
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大和郡山は大河ドラマ「豊臣兄弟」の弟秀長が造った城下町。ホールの一画に「豊臣兄弟」の特設コーナー
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演奏会まで時間があるので少し大和郡山市内を散策します。やまと郡山城ホールを出ると近鉄橿原線の向こうに郡山城
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道路を歩くと特産の金魚の養殖池
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市役所前を通って柳町商店街へ。ここから先は町人町で、入口に江戸時代末期に建てられた「本家菊屋」本店
御菓子司 本家 菊屋 本店 グルメ・レストラン
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秀長が兄秀吉をもてなすため菊屋治兵衛に茶会用の菓子を作らせました。出来たのは粒餡を餅で包みきな粉をまぶしたもので、店舗が城門前にあったことから「御城之口餅」と呼ばれるようになりました
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昭和レトロ感が漂う柳町商店街は、別名金魚ストリート
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紺屋町に出ると道の真ん中に狭い紺屋川。大河ドラマブームで観光客相手にボランティアガイドさんが活躍
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金魚すくいが出来る店
こちくや 専門店
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紺屋町は藍染職人が集まった職人町で、この川で染物をしていました
紺屋川 名所・史跡
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その一角に箱本館「紺屋」。箱本とは地税免除の特権を与えられた町内の自治組織で、紺屋町を含む内町十三町で始まりました
箱本館「紺屋」 美術館・博物館
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ここは江戸時代から続く藍染商の商家
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建物は豪壮な町家造り
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藍染の道具や金魚鉢が展示されています
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大和郡山の金魚は、江戸時代中期に柳沢吉保が甲府から転封された時、家臣が観賞用に持参したのが始まりとされています
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町のメインストリートに出ると
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金魚がこっちにも
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あっちにも
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南の洞泉寺町へ向かっています
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小径を入った先が目的の登録有形文化財「旧川本家住宅」
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大正時代末期に建てられた木造三階建ての妓楼です。この一帯はかって遊郭街で、最盛期の大正後半には17軒の妓楼が軒を並べていたそうです
旧川本邸 (旧川本家住宅) 名所・史跡
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遊郭は昭和33年に廃業となり、その後下宿屋を経て平成30年から「町家物語館」として一般公開されました
旧川本邸 (旧川本家住宅) 名所・史跡
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堂々とした遊郭建築
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無料で見学出来ました
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玄関から入ると右手に客引控室。ここで鑓り手婆が客と遊女を取り持ちました。鑓り手婆は高齢になった遊女から選ばれ、遊女たちの行動を監視し、遊興の程度を測るなど妓楼の管理に携わっていました
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その先に帳場
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会計部屋。男従業員(妓夫が転じ、牛太郎と呼ばれた)が来ていた半被。映画で遊郭の場面にはよく半被を着た強面の男が登場します
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職工の給与が月額50円の時代で、花代は泊り15円
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娼妓溜。遊女はここに座り、客は外から格子窓越しに品定めしたそうです
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しばらくボランティアガイドさんの説明を聞きます
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磨き抜かれた階段を上がると
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風流な格子付の丸窓。遊郭建築ならではの意匠を凝らした装飾があちこちに
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二階のに上がると案内所と呼ばれた広間。客はここで遊女が迎えに来るのを待ちました
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廊下に沿って遊女たちの部屋が並んでいます。遊女は自分の部屋で客をとりました
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遊郭の生活をネットで調べてみました。書かれているのは主に江戸時代の遊郭で、大正時代は少しは改善されていたと思われます。しかし遊女の境遇が悲惨だったことに変わりはありません
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農村では飢饉や災害があると口減らしを兼ねて娘を売ったり、親の借金のかたに娘を差し出す場合もありました
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少女たちを遊郭に送り込んだのは女衒(ぜげん)と呼ばれる仲介業者。5,6才と年端もいかない幼女もいたそうで、少女らは「禿(かむろ)」という見習い期間を過ごし、16才くらいから客をとり始めました。
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年季明け(借金を払い終えて自由になるまでの期間)は26,27才でした。しかし実際には衣装代や病気の治療費まで娘本人の借金として積み重なり、裕福な旦那に身受けしてもらわない限り、年季が開けることはなかったようです
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妊娠したら手酷い処理が行われるため、遊女たちは日常的に様々な避妊策を試みていました。ほかに無断で楼を抜けたり男と駆け落ちしたら、苛烈な折檻が待っていました
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髪結場の小部屋から見えるハート形の「猪の目窓」。遊女達はこれを見ながら身の不幸を嘆いたのだろうか
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このように強面の牛太郎に見張られ、ここで来る日も来る日も客をとり続ける遊女たちの寿命は22、23くらいだったそうです。
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「妓楼で一夜を過ごした男が抱いたのは3日前に死んだ遊女だった」、と云った怪談も
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生き延びても高齢になれば妓楼を出され、夜鷹(よたか)となって夜の通りに立ちました。橋の下や土手の草むらが彼女らの仕事場でした
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浅田次郎さんの傑作「天切り松・闇かたり」シリーズに、大正時代の吉原遊郭がでてきます。独特の浅田節に思わずほろり
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1階に下りていくと
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タイル張りの手洗い場
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料理坊
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タイル張りの浴室。浴槽は撤去されていました
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松竹梅の摺ガラス窓のトイレは、遊女たちの後始末の場所でもありました
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ここから奥が座敷棟で川本家の居住部分です
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贅を尽くした大広間。楼主は豊かな生活をしていました
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奥に裏庭
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さらに茶室まで
悲惨な生活を送る遊女達と、同じ屋根の下で贅沢な生活をする楼主。この辺りも「天切り松・闇かたり」シリーズに書かれています -
帳場に戻ると遊女の名前が残る下駄箱のようなロッカーが
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3畳の狭い部屋に閉じ込められ、強面の牛太郎に常に見張られながら、来る日も来る日も客をとり続けた生活
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挙句の果ては早死にし、寺に投げ込まれた哀れな遊女たち。遊郭という負の遺産を知るにつけ、男の欲望は罪深い
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「町家物語館」から郡山城址にやって来ました。石垣に新緑が美しい
郡山城跡 花見
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郡山城は織田信長の時代に筒井順慶が築城。後に豊臣秀吉の弟秀長が百万石の居城とし、大幅に拡張されたました
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外堀の中にある県立郡山高校。「郡高」と呼ばれる名門です
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内堀内の本丸地区へ
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柳澤神社
関ヶ原の戦いで西軍が敗北すると城は一旦取り壊されました。その後修復され幾度か城主が変わり、川越甲府城主だった柳澤吉保が側用人として五代将軍綱吉に重用されたことから、享保9年(1724年)に子吉里が転封して城主となり明治維新まで続きました柳澤神社 寺・神社・教会
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郡山城には天守台のみが残り天守閣はありません
郡山城天守台展望施設 名所・史跡
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天守台からは奈良盆地を一望できます。北東の奈良市街方面
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北は西の京。唐招提寺や薬師寺の塔が見えます
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足元には柳澤神社。横に楠の巨木
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内堀の橋を渡ると
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柳沢文庫。旧大名柳澤伯爵家跡が、昭和36年に地方史誌専門図書館として開館しました
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柳澤家から寄贈された柳澤家歴代の古文書、古典籍や、地域の自治体史や歴史、文学資料を所蔵しています
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昭和58年に市民の手によって再建された追手門
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左右対称の端正な建物は城址会館
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明治41年に日露戦争の戦勝を記念して奈良公園に建築された図書館で、昭和43年に郡山城跡公園に移築されました
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入母屋造りで千鳥破風が付けられた和洋折衷様式
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この日は閉館で内部は見れなかった
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その先が追手東隅櫓
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以上で郡山城見学は終わり
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DMG MORI やまと郡山城ホールに戻り、友人のギター演奏を聞いて帰りました
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