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旅の二日目は、かつて越中国の国府があった伏木の街を巡る。伏木は、かの大伴家持所縁の地である。予定では。伏木の街だけを訪ねることにしていたのだが、朝起きると、前日よりも立山連峰が良く見えていたので、雨晴海岸にも再び立ち寄ることにした。<br /><br />(2026.05.04 投稿)

立山霞む越中へ【2】~雨晴海岸と伏木の街~

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2026/04/18 - 2026/04/18

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旅猫

旅猫さん

旅の二日目は、かつて越中国の国府があった伏木の街を巡る。伏木は、かの大伴家持所縁の地である。予定では。伏木の街だけを訪ねることにしていたのだが、朝起きると、前日よりも立山連峰が良く見えていたので、雨晴海岸にも再び立ち寄ることにした。

(2026.05.04 投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
自転車 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 旅の二日目。起きて外を眺めると、美しい光景が広がっていた。

    旅の二日目。起きて外を眺めると、美しい光景が広がっていた。

  • 朝風呂の後、朝食である。バイイングであったが、焼き魚は、富山らしく鰤であった。ただ、夕食と比べると、少々寂しい感じだ。

    朝風呂の後、朝食である。バイイングであったが、焼き魚は、富山らしく鰤であった。ただ、夕食と比べると、少々寂しい感じだ。

  • 部屋に戻ると、立山連峰がさらに良く見えている。ぼやけてはいるが、前日よりははっきりと見えている感じだ。

    部屋に戻ると、立山連峰がさらに良く見えている。ぼやけてはいるが、前日よりははっきりと見えている感じだ。

  • 良く見ると、剣岳も見えている。そこで、乗る列車を一本前倒しして、もう一度雨晴海岸へ行ってみることにした。

    良く見ると、剣岳も見えている。そこで、乗る列車を一本前倒しして、もう一度雨晴海岸へ行ってみることにした。

  • 9時の送迎車で駅まで送ってもらい、9時29分発の列車に乗車。外国人観光客にも人気の雨晴海岸があるため、どの列車に乗っても、外国人客が多い。一両の列車は、すぐに満席となった。

    9時の送迎車で駅まで送ってもらい、9時29分発の列車に乗車。外国人観光客にも人気の雨晴海岸があるため、どの列車に乗っても、外国人客が多い。一両の列車は、すぐに満席となった。

  • 線路を渡り、改札へと向かう。以前訪れた時は、ホームも風情があったのだが、綺麗に舗装され、柵も新しくなったので、少し趣が変わってしまった。近い将来、車両も新しくなり、大きく雰囲気が変わることだろう。

    線路を渡り、改札へと向かう。以前訪れた時は、ホームも風情があったのだが、綺麗に舗装され、柵も新しくなったので、少し趣が変わってしまった。近い将来、車両も新しくなり、大きく雰囲気が変わることだろう。

  • 義経岩の辺りまで行くと、昨日よりも多くの人がいる。相変わらず雲は多いが、立山連峰は、少しはっきりと見えていた。

    義経岩の辺りまで行くと、昨日よりも多くの人がいる。相変わらず雲は多いが、立山連峰は、少しはっきりと見えていた。

  • 海も静かで、水面に空が映り込んでいる。空気が澄む冬のほうが美しいだろうが、今日のような感じも悪くない。

    海も静かで、水面に空が映り込んでいる。空気が澄む冬のほうが美しいだろうが、今日のような感じも悪くない。

  • 駅へ戻りかけると、踏切が鳴り始めた。しばらく待つと、列車がやって来た。次に乗るのは、この列車の折り返しだ。

    駅へ戻りかけると、踏切が鳴り始めた。しばらく待つと、列車がやって来た。次に乗るのは、この列車の折り返しだ。

  • 10時21分発の列車に乗り、伏木駅へ向かう。初めて降りたが、なかなか風情のある駅であった。

    10時21分発の列車に乗り、伏木駅へ向かう。初めて降りたが、なかなか風情のある駅であった。

  • 駅で、自転車を借りる。駅前には、『義経記』に記述のある如意の渡しの一場面が再現された銅像が立っていた。義経ではないかと疑われた際、弁慶が扇で打ち据える有名な逸話である。歌舞伎の『勧進帳』などで知られる安宅関の場面は、この逸話を基にした創作である。以前は、実際に渡しのあった場所に立っていたのだが、観光客のために駅前に移設したそうだが、後世の人が誤解するので良くないと思う。

    駅で、自転車を借りる。駅前には、『義経記』に記述のある如意の渡しの一場面が再現された銅像が立っていた。義経ではないかと疑われた際、弁慶が扇で打ち据える有名な逸話である。歌舞伎の『勧進帳』などで知られる安宅関の場面は、この逸話を基にした創作である。以前は、実際に渡しのあった場所に立っていたのだが、観光客のために駅前に移設したそうだが、後世の人が誤解するので良くないと思う。

  • 銅像の前の歩道に、高岡市のマンホールがあった。描かれているのは、勝興寺の本堂と、大伴家持が歌に詠んだかたかご(片栗)の花である。

    銅像の前の歩道に、高岡市のマンホールがあった。描かれているのは、勝興寺の本堂と、大伴家持が歌に詠んだかたかご(片栗)の花である。

  • とりあえず、北の方へと自転車を走らせる。すると、立派な旧家を見つけた。棚田家住宅とある。明治時代中期に建てられた、廻船問屋の屋敷だそうだ。現在も住居として使用されているため、見学は出来ない。

    とりあえず、北の方へと自転車を走らせる。すると、立派な旧家を見つけた。棚田家住宅とある。明治時代中期に建てられた、廻船問屋の屋敷だそうだ。現在も住居として使用されているため、見学は出来ない。

  • 西へと向きを変え、越中国一宮である氣田神社を目指す。その途中の坂の上に、北前船の資料館があったので、立ち寄る。

    西へと向きを変え、越中国一宮である氣田神社を目指す。その途中の坂の上に、北前船の資料館があったので、立ち寄る。

    高岡市伏木北前船資料館 美術館・博物館

  • その建物は、北前船の寄港地として栄えた伏木にあった七軒の廻船問屋のひとつである秋元家の屋敷であった。芭蕉布が使われた襖などに、その栄華が感じられる。

    その建物は、北前船の寄港地として栄えた伏木にあった七軒の廻船問屋のひとつである秋元家の屋敷であった。芭蕉布が使われた襖などに、その栄華が感じられる。

  • 伏木は、江戸時代、加賀前田家の主要な湊であり、年貢米の最大の集積地であったそうだ。ここから西回り航路により、大阪の堂島へ米が運ばれたそうである。北海道で造られる魚肥は、獲れた鰊を釜茹でにするのだが、その際に使われたニシン釜は、鋳物で知られる高岡で造られ、北前船で北海道へと運ばれたそうだ。往時の繁栄を今に伝える建物である。

    伏木は、江戸時代、加賀前田家の主要な湊であり、年貢米の最大の集積地であったそうだ。ここから西回り航路により、大阪の堂島へ米が運ばれたそうである。北海道で造られる魚肥は、獲れた鰊を釜茹でにするのだが、その際に使われたニシン釜は、鋳物で知られる高岡で造られ、北前船で北海道へと運ばれたそうだ。往時の繁栄を今に伝える建物である。

  • この屋敷の特徴は、望楼があることだ。登って景色を眺めることが出来るのだが、非常に狭く急な階段を登らなくてはならない。それでも、そこからの眺めはなかなかである。晴れていれば、立山連峰も見えるそうだ。

    この屋敷の特徴は、望楼があることだ。登って景色を眺めることが出来るのだが、非常に狭く急な階段を登らなくてはならない。それでも、そこからの眺めはなかなかである。晴れていれば、立山連峰も見えるそうだ。

  • さらに走ると、左手に越中国分寺跡があった。崩れ落ちそうな御堂があるほかは、何もない感じだ。各地の国分寺跡を訪れているが、ここは史跡と言った感じがしない。

    さらに走ると、左手に越中国分寺跡があった。崩れ落ちそうな御堂があるほかは、何もない感じだ。各地の国分寺跡を訪れているが、ここは史跡と言った感じがしない。

    越中国分寺跡 名所・史跡

  • 国分寺跡の少し先から坂道となった。しばらく上ると、氣田神社の入口に着いた。そこには、清泉と呼ばれる清水があったが、生では飲まないようにと書いてあったので、手水として使わせていただいた。

    国分寺跡の少し先から坂道となった。しばらく上ると、氣田神社の入口に着いた。そこには、清泉と呼ばれる清水があったが、生では飲まないようにと書いてあったので、手水として使わせていただいた。

    氣多神社 寺・神社・教会

  • 境内への階段を登る。この日は、ちょうど春季例大祭であった。地元の方が多く参拝されていたようだが、神事が終わった後らしく、人の波が引いて行くところであった。

    境内への階段を登る。この日は、ちょうど春季例大祭であった。地元の方が多く参拝されていたようだが、神事が終わった後らしく、人の波が引いて行くところであった。

  • 階段を登り切ると、右手に『気多の杜 高志のみはらし』と言う展望所があるようなので行ってみる。そこからは、立山連峰が望めるそうだが、残念ながら薄っすらとしか見えなかった。

    階段を登り切ると、右手に『気多の杜 高志のみはらし』と言う展望所があるようなので行ってみる。そこからは、立山連峰が望めるそうだが、残念ながら薄っすらとしか見えなかった。

  • 拝殿で参拝。氣田神社の本殿は、永禄年間(1558~1569)に建てられたものだそうだが、観るのを忘れてしまった。

    拝殿で参拝。氣田神社の本殿は、永禄年間(1558~1569)に建てられたものだそうだが、観るのを忘れてしまった。

  • 拝殿のすぐ左手には、大伴神社が鎮座していた。祭神は大伴家持である。万葉集などにより、歌人として名が知られるが、当時の高級官吏である。越中の国守として、当時国府のあったここ伏木に赴任。在任中に多くの和歌を詠んでいる。この社は、没後千二百年にあたる昭和60年(1985)に、建立されたものだそうだ。

    拝殿のすぐ左手には、大伴神社が鎮座していた。祭神は大伴家持である。万葉集などにより、歌人として名が知られるが、当時の高級官吏である。越中の国守として、当時国府のあったここ伏木に赴任。在任中に多くの和歌を詠んでいる。この社は、没後千二百年にあたる昭和60年(1985)に、建立されたものだそうだ。

  • 御朱印を頂いた後、南へと走り、万葉歴史館に立ち寄る。そこは、万葉集に関する資料館となっていて、興味深い展示内容であった。大伴家持が在任した五年の間に、家持らにより、三百首以上の和歌が詠まれたそうであり、『越中万葉』と呼ばれているそうだ。

    御朱印を頂いた後、南へと走り、万葉歴史館に立ち寄る。そこは、万葉集に関する資料館となっていて、興味深い展示内容であった。大伴家持が在任した五年の間に、家持らにより、三百首以上の和歌が詠まれたそうであり、『越中万葉』と呼ばれているそうだ。

    高岡市万葉歴史館 美術館・博物館

  • そして、一番奥にあった庭園からも、立山連峰が望めた。

    そして、一番奥にあった庭園からも、立山連峰が望めた。

  • 万葉歴史館から、勝興寺へと向かう。その近くまで来ると、『万葉寺井の跡推定地』と言う場所があった。大伴家持が歌に詠んだ寺井がこの辺りにあったのではないかと云われているそうだ。

    万葉歴史館から、勝興寺へと向かう。その近くまで来ると、『万葉寺井の跡推定地』と言う場所があった。大伴家持が歌に詠んだ寺井がこの辺りにあったのではないかと云われているそうだ。

  • 勝興寺に着いた。堂々とした総門は、重要文化財である。この寺には、国宝二棟、重要文化財十棟が存在し、壮観である。勝興寺は、本願寺の蓮如上人が、北陸の拠点として築いた土山御坊を前身としている。

    勝興寺に着いた。堂々とした総門は、重要文化財である。この寺には、国宝二棟、重要文化財十棟が存在し、壮観である。勝興寺は、本願寺の蓮如上人が、北陸の拠点として築いた土山御坊を前身としている。

    勝興寺 寺・神社・教会

  • 受付で拝観料を払う。すぐに見えるのが、鼓堂である。櫓のような姿をした建物である。享保十八年(1733)に建てられたものだそうだ。望楼のような二階部分に、太鼓が置かれているそうだ。

    受付で拝観料を払う。すぐに見えるのが、鼓堂である。櫓のような姿をした建物である。享保十八年(1733)に建てられたものだそうだ。望楼のような二階部分に、太鼓が置かれているそうだ。

  • 石橋の先に、唐門が見える。かつては、京都の興正寺にあったものだそうだ。明治時代に移築されたもので、本来は勅使門であるが、現在は誰でも潜ることが出来る。

    石橋の先に、唐門が見える。かつては、京都の興正寺にあったものだそうだ。明治時代に移築されたもので、本来は勅使門であるが、現在は誰でも潜ることが出来る。

  • 唐門から入ると、正面に大きな本堂がある。寛政七年(1795)に建立されたもので、令和四年(2022)に国宝に指定されている。国宝・重文に指定されている寺院建築の中でも、八番目の規模を誇るそうだ。内部は絢爛豪華で、外観とは全く異なる意匠であった。

    唐門から入ると、正面に大きな本堂がある。寛政七年(1795)に建立されたもので、令和四年(2022)に国宝に指定されている。国宝・重文に指定されている寺院建築の中でも、八番目の規模を誇るそうだ。内部は絢爛豪華で、外観とは全く異なる意匠であった。

  • 本堂に向かって左手には、重文の経堂がある。文化二年(1805)に竣工したもので、杮葺の屋根が美しい御堂である。脇に大きな銀杏の木があり、若葉の緑の対比が美しかった。

    本堂に向かって左手には、重文の経堂がある。文化二年(1805)に竣工したもので、杮葺の屋根が美しい御堂である。脇に大きな銀杏の木があり、若葉の緑の対比が美しかった。

  • 境内のほぼ中央に、実らずの銀杏がある。樹齢は三百年以上と云われている。枝ぶりが優雅で、風情がある。雄株で銀杏が実らないので、この名があるそうだ。

    境内のほぼ中央に、実らずの銀杏がある。樹齢は三百年以上と云われている。枝ぶりが優雅で、風情がある。雄株で銀杏が実らないので、この名があるそうだ。

  • 幕末の慶応二年(1866)に建てられた白壁の宝蔵の前を通る。下部は海鼠壁で、上部は漆喰塗である。入母屋造りであるのは、珍しいそうである。

    幕末の慶応二年(1866)に建てられた白壁の宝蔵の前を通る。下部は海鼠壁で、上部は漆喰塗である。入母屋造りであるのは、珍しいそうである。

  • 宝蔵の北側に、薬医門形式の式台門がある。宝永二年(1705)に建てられたとされる、境内で二番目に古い建物だそうだ。

    宝蔵の北側に、薬医門形式の式台門がある。宝永二年(1705)に建てられたとされる、境内で二番目に古い建物だそうだ。

  • そして、その西側に、国宝の大広間と式台などが連なる建物がある。

    そして、その西側に、国宝の大広間と式台などが連なる建物がある。

  • 式台は、正式な玄関に当たる部分である。控えの間などからなり、結構広い空間が広がっている。本堂と同時期に建てられたものだそうだ。

    式台は、正式な玄関に当たる部分である。控えの間などからなり、結構広い空間が広がっている。本堂と同時期に建てられたものだそうだ。

  • 式台の先に大広間がある。境内で最も古い建物で、元禄五年(1692)に建てられたとされているが、もっと古いと言う説もあるそうだ。

    式台の先に大広間がある。境内で最も古い建物で、元禄五年(1692)に建てられたとされているが、もっと古いと言う説もあるそうだ。

  • 大広間の奥に対面所があり、上段の間もある。上段の間は、天皇の勅使が来た時に使用されたようである。

    大広間の奥に対面所があり、上段の間もある。上段の間は、天皇の勅使が来た時に使用されたようである。

  • 台所から書院、奥書院と拝観する。書院からは中庭と、その奥には、非公開の御内仏と霊屋が望めた。

    台所から書院、奥書院と拝観する。書院からは中庭と、その奥には、非公開の御内仏と霊屋が望めた。

  • 奥書院の金の間と呼ばれる部屋は、金の壁紙や襖で仕上げられていた。<br />※金の間は撮影禁止です。

    奥書院の金の間と呼ばれる部屋は、金の壁紙や襖で仕上げられていた。
    ※金の間は撮影禁止です。

  • 拝観を終え、駅へと戻ることにする。総門の前には、大伴家持の像が立っていた。勝興寺のある場所は、かつて、大伴家持が赴任した越中国府があった場所とされ、戦国時代には、神保氏張の城館があったとされている。

    拝観を終え、駅へと戻ることにする。総門の前には、大伴家持の像が立っていた。勝興寺のある場所は、かつて、大伴家持が赴任した越中国府があった場所とされ、戦国時代には、神保氏張の城館があったとされている。

  • その門前に、旧伏木測候所がある。その前身は、明治十年(1877)に、廻船問屋出身の藤井能三が私費を投じて建設した燈明台の一室に、後に開設された私設測候所である。平成年代まで現役であったが、現在は資料館として開放されている。庁舎の脇には、測風塔も残されていた。なお、望楼部分は復元されたものである。

    その門前に、旧伏木測候所がある。その前身は、明治十年(1877)に、廻船問屋出身の藤井能三が私費を投じて建設した燈明台の一室に、後に開設された私設測候所である。平成年代まで現役であったが、現在は資料館として開放されている。庁舎の脇には、測風塔も残されていた。なお、望楼部分は復元されたものである。

    高岡市伏木気象資料館 美術館・博物館

  • 内部は、なかなか洒落た作りで、今では再現できないものである。

    内部は、なかなか洒落た作りで、今では再現できないものである。

  • この場所は、かつて国守の館があった場所とされる。当時は、東館と呼ばれていたそうである。万葉集には、大伴家持が、ここからの景色を詠んだ和歌も収められている。

    この場所は、かつて国守の館があった場所とされる。当時は、東館と呼ばれていたそうである。万葉集には、大伴家持が、ここからの景色を詠んだ和歌も収められている。

    越中国守館跡 名所・史跡

  • まだ時間があったので、駅を通り過ぎて、観光案内所でもらった地図に載っていた国の登録文化財である旧伏木銀行を観に行く。ところが、その場所は更地になっていた。金刀比羅神社まで行ってみたが、結局分からなかった。駅へ戻った時に観光案内所で訊いてみると、先の能登半島地震で被災し、取り壊されてしまったそうだ。

    まだ時間があったので、駅を通り過ぎて、観光案内所でもらった地図に載っていた国の登録文化財である旧伏木銀行を観に行く。ところが、その場所は更地になっていた。金刀比羅神社まで行ってみたが、結局分からなかった。駅へ戻った時に観光案内所で訊いてみると、先の能登半島地震で被災し、取り壊されてしまったそうだ。

  • 駅へ戻る途中、御台場跡を通る。この辺りには、加賀藩が設置した台場があったそうだ。

    駅へ戻る途中、御台場跡を通る。この辺りには、加賀藩が設置した台場があったそうだ。

  • 伏木駅に戻る。その駅舎は、旅人を優しく迎えてくれる佇まいである。

    伏木駅に戻る。その駅舎は、旅人を優しく迎えてくれる佇まいである。

  • 14時40分発の列車に乗り、高岡駅に出る。ここで50分ほど待ち時間があるので、お昼を食べることにする。そこで、駅ビル内にあった食事処に入り、和風ラーメンに生麦酒を付けた。肉蕎麦ならぬ、肉ラーメンと言った感じであった。

    14時40分発の列車に乗り、高岡駅に出る。ここで50分ほど待ち時間があるので、お昼を食べることにする。そこで、駅ビル内にあった食事処に入り、和風ラーメンに生麦酒を付けた。肉蕎麦ならぬ、肉ラーメンと言った感じであった。

  • 15時42分発の城端線の列車に乗り、新高岡駅へ向かう。

    15時42分発の城端線の列車に乗り、新高岡駅へ向かう。

  • 新高岡駅からは、15時55分発の『つるぎ26号』に乗り、富山駅へ出た。そして、16時17分発の『かがやき510号』に乗り換え、今回の旅を終えた。岩井戸温泉に泊まるための旅であったが、懐かしい雨晴海岸と、歴史に残り香漂う伏木の街も訪れることが出来、なかなか良い旅であった。

    新高岡駅からは、15時55分発の『つるぎ26号』に乗り、富山駅へ出た。そして、16時17分発の『かがやき510号』に乗り換え、今回の旅を終えた。岩井戸温泉に泊まるための旅であったが、懐かしい雨晴海岸と、歴史に残り香漂う伏木の街も訪れることが出来、なかなか良い旅であった。

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