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嵯峨野トロッコ列車乗りました<br />桜はまだ少し、常寂光寺の枝垂れ桜は満開、小倉山中腹展望台から京都市内みえます<br />昼食は京都駅伊勢丹の拉麺小路の祇園らぁーめん京の京白味噌ラーメン、晩御飯に旅のにぎわい御膳駅弁当いただきました<br />ヒガン枝垂れ桜、ミツバツツジや万両が常寂光寺はきれい、青もみじもこれから、秋の紅葉の名所です<br /><br />高速バス、嵯峨野トロッコ列車は1か月前から予約可能でした<br />今どきはスマホの表示チケットですね<br /><br />常寂光寺<br /> 京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3<br />拝観料500円(2026.4月から600円)<br /><br /><br />#嵯峨野トロッコ列車<br />#常寂光寺<br />#枝垂れ桜<br />#ミツバツツジ<br />#伊勢丹京都拉麺小路

嵯峨野トロッコ列車・常寂光寺2026

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2026/03/29 - 2026/03/29

4622位(同エリア4686件中)

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87

名古屋のmisako

名古屋のmisakoさん

この旅行記のスケジュール

2026/03/29

  • 自宅から徒歩約15分でJR八田駅、JR八田駅7時41分→7時47分JR名古屋駅

  • 高速バス名古屋駅8:45→京都駅11:20頃

  • JR京都駅12時08分→12時19分JR嵯峨嵐山駅

  • JR嵯峨嵐山駅から徒歩3分でトロッコ嵯峨駅

  • トロッコ嵯峨駅13時02分→13時25分トロッコ亀岡駅

  • トロッコ亀岡駅13時30分→13時53分トロッコ嵐山駅

  • トロッコ嵐山駅から徒歩5分ほどで常寂光寺 嵐山駅前に土産物店ありました

  • 常寂光寺から竹林の小径を通りJR嵯峨嵐山駅へ約20分 土産物店多し

  • JR嵯峨嵐山駅16時02分→16時20分JR京都駅

  • 高速バス京都駅17時→名古屋駅20時20分

  • JR名古屋駅20時45分→20時52分JR八田駅徒歩約15分で自宅

この旅行記スケジュールを元に

嵯峨野トロッコ列車乗りました
桜はまだ少し、常寂光寺の枝垂れ桜は満開、小倉山中腹展望台から京都市内みえます
昼食は京都駅伊勢丹の拉麺小路の祇園らぁーめん京の京白味噌ラーメン、晩御飯に旅のにぎわい御膳駅弁当いただきました
ヒガン枝垂れ桜、ミツバツツジや万両が常寂光寺はきれい、青もみじもこれから、秋の紅葉の名所です

高速バス、嵯峨野トロッコ列車は1か月前から予約可能でした
今どきはスマホの表示チケットですね

常寂光寺
京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
拝観料500円(2026.4月から600円)


#嵯峨野トロッコ列車
#常寂光寺
#枝垂れ桜
#ミツバツツジ
#伊勢丹京都拉麺小路

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
友人
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
  • トロッコ嵯峨駅はJR嵯峨嵐山駅すぐ近く

    トロッコ嵯峨駅はJR嵯峨嵐山駅すぐ近く

  • 駅入り口に二宮金次郎像

    駅入り口に二宮金次郎像

  • 保津川下り船が何艘か通りました

    保津川下り船が何艘か通りました

  • トロッコ嵐山駅ホームから階段で改札へ

    トロッコ嵐山駅ホームから階段で改札へ

  • トロッコ嵐山駅周辺は混雑気味

    トロッコ嵐山駅周辺は混雑気味

  • 御髪神社が奥にあります<br />美容師さんや髪の関係者の参拝多い神社<br />以前参拝しました

    御髪神社が奥にあります
    美容師さんや髪の関係者の参拝多い神社
    以前参拝しました

  • トロッコ嵐山駅から徒歩5分ほどで常寂光寺<br />山門<br />太い角材を格子に組んで造られた山門は、江戸後期に作り変えられたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。閉門しても墨色に塗られた角柱の格子の間から参道が見える開放的な山門です。<br />常寂光寺<br />慶長年間(1596~1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、仁王像は運慶作と伝えられる。什物に高倉天皇より小督局に下賜された車琴がある。 これは小早川秀秋公より当山に納付されたものである。(非公開)<br />(常寂光寺HPより)

    トロッコ嵐山駅から徒歩5分ほどで常寂光寺
    山門
    太い角材を格子に組んで造られた山門は、江戸後期に作り変えられたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。閉門しても墨色に塗られた角柱の格子の間から参道が見える開放的な山門です。
    常寂光寺
    慶長年間(1596~1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、仁王像は運慶作と伝えられる。什物に高倉天皇より小督局に下賜された車琴がある。 これは小早川秀秋公より当山に納付されたものである。(非公開)
    (常寂光寺HPより)

  • ヒガン枝垂れ櫻満開

    ヒガン枝垂れ櫻満開

  • マンリョウがきれいな赤色に

    マンリョウがきれいな赤色に

  • 仁王門<br />仁王門は、もと本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345~49)に建立されたものを、元和二年(1616)に当山に移築され、仁王門とした。 境内建築物の中で最も時代の古い建物である。茅葺の屋根がめずらしい。 仁王門像は、身の丈七尺、運慶の作と伝えられる。仁王門像は目と足腰の病にご利益があるとされ、近在の檀信徒がわらじを奉納して病気平癒を祈願されている。<br />(常寂光寺HPより)

    仁王門
    仁王門は、もと本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345~49)に建立されたものを、元和二年(1616)に当山に移築され、仁王門とした。 境内建築物の中で最も時代の古い建物である。茅葺の屋根がめずらしい。 仁王門像は、身の丈七尺、運慶の作と伝えられる。仁王門像は目と足腰の病にご利益があるとされ、近在の檀信徒がわらじを奉納して病気平癒を祈願されている。
    (常寂光寺HPより)

  • 本堂<br />本堂は、第二世通明院日韶上人(日野大納言輝資の息男)代に小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築して本堂としたもの。江戸期の文献、資料に図示された本堂の屋根は、本瓦葺きの二層屋根となっている。現在の平瓦葺きの屋根は、昭和七年の大修理の時に改修されました。建立の年代は、慶長年間。(常寂光寺HPより)

    本堂
    本堂は、第二世通明院日韶上人(日野大納言輝資の息男)代に小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築して本堂としたもの。江戸期の文献、資料に図示された本堂の屋根は、本瓦葺きの二層屋根となっている。現在の平瓦葺きの屋根は、昭和七年の大修理の時に改修されました。建立の年代は、慶長年間。(常寂光寺HPより)

  • 佃煮の店がでてました<br />常寂光寺妙見大菩薩縁起<br />妙見菩薩は、北極星または北斗を象徴した菩薩様であることから、妙見尊星王、北辰妙見菩薩などといわれます。「七佛八菩薩所説大陀羅尼神咒経第二」によれば、妙見菩薩は衆聖中の最勝であり、よく国土を擁護し、また人の死を除き生を定め、福算を増益する尊星であると説かれています。平安時代以来、京都畿内に多く祭られ、諸星の王として宇宙万物の運気を司り支配される菩薩として尊崇されました。 中世には、地方の豪族により守護神として帰依されました。近世には、各藩主の帰依により多くの大衆の信仰するところとなり、豪商の帰依により、転じて商業神となり、また、安産・子孫繁栄・良縁恵与の御利益のある菩薩として広範な庶民の尊信を集めています。 その中でも洛陽十二支妙見は、江戸時代中期より皇城千年の都、京都の中心、御所の紫宸殿より十二支の酉の方角にまつられている霊験あらたかな妙見菩薩です。 當山の妙見菩薩は、慶長年間 (1596~1610) 保津川洪水の際、上流から流れついた妙見菩薩御像をふもとの角倉町の一船頭が拾い、久しく同町の集会所にお祭りされていたのを、享和年間 (1801~1803)、當山第二十二世日報上人の時に、當山境内に遷座されました。 爾来、御所から西の方角に当たることから「酉の妙見菩薩」となり、江戸時代末期から昭和初期にかけては、京都市内だけでなく関西一円から開運、厄除けの御利益を願う参拝者で大賑わいしました。第二十六世日選上人代に妙見堂を建立して以来、多宝塔の修復、第二十七世日逢上人には諸堂を修復し、第二十八世日暁上人には、妙見堂前に當山壇徒早田佐七氏より鳥居が寄進建立され、さらにその前後の灯籠は、妙信講、天人講の世話方より寄進されたもので、大黒屋・松屋・夷屋・丁子屋・木綿屋・尾張屋などの商家の屋号と施主名がみられます。 妙見堂内の大変立派な前机は、歌舞伎の役者衆による寄進で、これは「妙見」の語義が「麗妙なる容姿」と解せられて役者や花街の女性に尊信されたことによります。 文政から天保、弘化年間 (1818~1846) は、「酉の妙見様」の隆盛期となり、當山の護持にもおおいに寄与されました。 第四十二世日憲上人代にも妙信会、婦人会の講が當山壇信徒と地元の商家により結成され、昭和三年に妙見堂拝殿が建立され、昭和八年には玉垣が寄進されています。 第四十四世日涛代には、壇信徒のご寄付と拝観収入により昭和四十九年に妙見堂本殿と拝殿の大改築がされ、平成十八年には、屋根瓦の葺きかえと格天井の修復がされました。このように常寂光寺の歴史とともに年々立派に護持されてきた妙見様です。 ご参拝の折りには妙見堂へ是非ともお参りください。(常寂光寺HPより)

    佃煮の店がでてました
    常寂光寺妙見大菩薩縁起
    妙見菩薩は、北極星または北斗を象徴した菩薩様であることから、妙見尊星王、北辰妙見菩薩などといわれます。「七佛八菩薩所説大陀羅尼神咒経第二」によれば、妙見菩薩は衆聖中の最勝であり、よく国土を擁護し、また人の死を除き生を定め、福算を増益する尊星であると説かれています。平安時代以来、京都畿内に多く祭られ、諸星の王として宇宙万物の運気を司り支配される菩薩として尊崇されました。 中世には、地方の豪族により守護神として帰依されました。近世には、各藩主の帰依により多くの大衆の信仰するところとなり、豪商の帰依により、転じて商業神となり、また、安産・子孫繁栄・良縁恵与の御利益のある菩薩として広範な庶民の尊信を集めています。 その中でも洛陽十二支妙見は、江戸時代中期より皇城千年の都、京都の中心、御所の紫宸殿より十二支の酉の方角にまつられている霊験あらたかな妙見菩薩です。 當山の妙見菩薩は、慶長年間 (1596~1610) 保津川洪水の際、上流から流れついた妙見菩薩御像をふもとの角倉町の一船頭が拾い、久しく同町の集会所にお祭りされていたのを、享和年間 (1801~1803)、當山第二十二世日報上人の時に、當山境内に遷座されました。 爾来、御所から西の方角に当たることから「酉の妙見菩薩」となり、江戸時代末期から昭和初期にかけては、京都市内だけでなく関西一円から開運、厄除けの御利益を願う参拝者で大賑わいしました。第二十六世日選上人代に妙見堂を建立して以来、多宝塔の修復、第二十七世日逢上人には諸堂を修復し、第二十八世日暁上人には、妙見堂前に當山壇徒早田佐七氏より鳥居が寄進建立され、さらにその前後の灯籠は、妙信講、天人講の世話方より寄進されたもので、大黒屋・松屋・夷屋・丁子屋・木綿屋・尾張屋などの商家の屋号と施主名がみられます。 妙見堂内の大変立派な前机は、歌舞伎の役者衆による寄進で、これは「妙見」の語義が「麗妙なる容姿」と解せられて役者や花街の女性に尊信されたことによります。 文政から天保、弘化年間 (1818~1846) は、「酉の妙見様」の隆盛期となり、當山の護持にもおおいに寄与されました。 第四十二世日憲上人代にも妙信会、婦人会の講が當山壇信徒と地元の商家により結成され、昭和三年に妙見堂拝殿が建立され、昭和八年には玉垣が寄進されています。 第四十四世日涛代には、壇信徒のご寄付と拝観収入により昭和四十九年に妙見堂本殿と拝殿の大改築がされ、平成十八年には、屋根瓦の葺きかえと格天井の修復がされました。このように常寂光寺の歴史とともに年々立派に護持されてきた妙見様です。 ご参拝の折りには妙見堂へ是非ともお参りください。(常寂光寺HPより)

  • 小倉山<br />平安時代より嵯峨野の地は、皇族や貴族の離宮、山荘をかまえる景勝地として有名であった。 特に小倉山、亀岡、嵐山の山麓は、後嵯峨上皇の亀山殿、兼明親王の雄倉殿、藤原定家の小倉山荘の他、 八条院高倉、待賢門院の中納言局、藤原公雄、藤原光経、飛鳥井雅有、覚性法親王や西行法師、涌蓮、向井去来など公家や歌人が好んで別荘や菴を構えた地域です。 後嵯峨上皇が吉野の桜を嵐山に移植してより、嵐山は桜の名所、小倉山は紅葉と鹿の名所として親しまれてきました。<br />小倉山山腹に位置する常寂光寺境内には、藤原定家の小倉山荘跡と伝えられる場所が仁王門北側に有ります。 又、後世に復元された山荘の基礎石跡が多宝塔の西南上方に有り、現在は時雨亭跡の石碑が建てられています。<br />明治時代頃までは、多宝塔の北側の墓地に前中書兼明親王の墓碑が存在しました。多宝塔の西側には、木下長嘯子の歌塚が有り、歌人としても有名であった日禛上人との交流が偲ばれます。(常寂光寺HPより)

    小倉山
    平安時代より嵯峨野の地は、皇族や貴族の離宮、山荘をかまえる景勝地として有名であった。 特に小倉山、亀岡、嵐山の山麓は、後嵯峨上皇の亀山殿、兼明親王の雄倉殿、藤原定家の小倉山荘の他、 八条院高倉、待賢門院の中納言局、藤原公雄、藤原光経、飛鳥井雅有、覚性法親王や西行法師、涌蓮、向井去来など公家や歌人が好んで別荘や菴を構えた地域です。 後嵯峨上皇が吉野の桜を嵐山に移植してより、嵐山は桜の名所、小倉山は紅葉と鹿の名所として親しまれてきました。
    小倉山山腹に位置する常寂光寺境内には、藤原定家の小倉山荘跡と伝えられる場所が仁王門北側に有ります。 又、後世に復元された山荘の基礎石跡が多宝塔の西南上方に有り、現在は時雨亭跡の石碑が建てられています。
    明治時代頃までは、多宝塔の北側の墓地に前中書兼明親王の墓碑が存在しました。多宝塔の西側には、木下長嘯子の歌塚が有り、歌人としても有名であった日禛上人との交流が偲ばれます。(常寂光寺HPより)

  • 多宝塔<br />常寂光寺の多宝塔、中村 昌生。<br />寺伝に、文禄五 (1596) 年日禛上人が、当寺に隠棲して堂舎を建立し、さらに日韶上人が小早川秀秋の助力を得て桃山城客殿を移築して本堂とし、元和二 (1616) 年には本圀寺客殿南門を移して仁王門としたことが見えるから、慶長から元和にかけての頃が、当時の創建期であったらしい。(常寂光寺HPより)

    多宝塔
    常寂光寺の多宝塔、中村 昌生。
    寺伝に、文禄五 (1596) 年日禛上人が、当寺に隠棲して堂舎を建立し、さらに日韶上人が小早川秀秋の助力を得て桃山城客殿を移築して本堂とし、元和二 (1616) 年には本圀寺客殿南門を移して仁王門としたことが見えるから、慶長から元和にかけての頃が、当時の創建期であったらしい。(常寂光寺HPより)

  • ミツバツツジもきれい

    ミツバツツジもきれい

  • 常寂光寺は小倉山中腹に位置しているので京都市内がよく見えます

    常寂光寺は小倉山中腹に位置しているので京都市内がよく見えます

  • 時雨亭跡<br />定家山荘の場所については、諸説ありますが、常寂光寺の仁王門北側から二尊院の南側に有ったと伝へられています。 この場所には、室町時代頃から定家卿の御神像を祀る祠が有りましたが、常寂光寺を創建する時に、定家卿の祠よりも上に寺の庫裏を建てるのは恐れ多いと現在の場所に遷座されました。 明治時代までは、小さな祠でしたが、明治23年に現在の大きさの建物に改築され、歌遷祠と呼ばれるようになりました。 歌遷祠の扁額は、富岡鐡齋の作。南隣に位置する時雨亭跡は、戦前までは庵室が建っていましたが、台風により倒壊してしまい、その後再建出来ず現在に至ります。 この庵室は、いつごろ建てられたか不明ですが、当山の古文書「双樹院日勝聖人傅」(1728年)の境内図には、この位置に庵が描かれています。又、「都名所図会」(1780年発行)にも庵が図示されていることから、江戸時代中期には建てられていたことが分かります。(常寂光寺HPより)

    時雨亭跡
    定家山荘の場所については、諸説ありますが、常寂光寺の仁王門北側から二尊院の南側に有ったと伝へられています。 この場所には、室町時代頃から定家卿の御神像を祀る祠が有りましたが、常寂光寺を創建する時に、定家卿の祠よりも上に寺の庫裏を建てるのは恐れ多いと現在の場所に遷座されました。 明治時代までは、小さな祠でしたが、明治23年に現在の大きさの建物に改築され、歌遷祠と呼ばれるようになりました。 歌遷祠の扁額は、富岡鐡齋の作。南隣に位置する時雨亭跡は、戦前までは庵室が建っていましたが、台風により倒壊してしまい、その後再建出来ず現在に至ります。 この庵室は、いつごろ建てられたか不明ですが、当山の古文書「双樹院日勝聖人傅」(1728年)の境内図には、この位置に庵が描かれています。又、「都名所図会」(1780年発行)にも庵が図示されていることから、江戸時代中期には建てられていたことが分かります。(常寂光寺HPより)

  • 時雨亭跡

    時雨亭跡

  • 多宝塔

    多宝塔

  • シロバナショウジョウバカマ

    シロバナショウジョウバカマ

  • 落柿舎が見えます

    落柿舎が見えます

  • 落柿舎<br />松尾芭蕉の弟子向井去来の別荘

    落柿舎
    松尾芭蕉の弟子向井去来の別荘

  • 坂本龍馬他の土佐四天王像

    坂本龍馬他の土佐四天王像

  • 小倉山荘

    小倉山荘

  • 百貨店でおなじみの小倉山荘落柿舎前店がありました<br />あおさ煎餅の試食いただきました

    百貨店でおなじみの小倉山荘落柿舎前店がありました
    あおさ煎餅の試食いただきました

  • 嵐山竹林の小径

    嵐山竹林の小径

  • 竹林通ると野々宮神社

    竹林通ると野々宮神社

  • レースの着物流行ってますね

    レースの着物流行ってますね

  • 渡月橋方面は櫻満開

    渡月橋方面は櫻満開

  • リラックマ地蔵

    リラックマ地蔵

  • 天龍寺山門

    天龍寺山門

  • 京都駅プレシャスデリ&ギフト京都で購入した西尾八ッ橋抹茶あんなま250円<br />トロッコ嵯峨駅の竹の道嵯峨の庵で購入した京都麦酒ペールエール缶450円<br />甲南パーキングエリア下り線売店で購入した真鯛のだし塩540円

    京都駅プレシャスデリ&ギフト京都で購入した西尾八ッ橋抹茶あんなま250円
    トロッコ嵯峨駅の竹の道嵯峨の庵で購入した京都麦酒ペールエール缶450円
    甲南パーキングエリア下り線売店で購入した真鯛のだし塩540円

  • 昼食は京都駅伊勢丹の拉麺小路の祇園らぁーめん京の白みそらぁーめん970円

    昼食は京都駅伊勢丹の拉麺小路の祇園らぁーめん京の白みそらぁーめん970円

  • 晩御飯にJR京都駅ホームで購入した旅弁当京都2号で購入した旅のにぎわい御膳1250円

    晩御飯にJR京都駅ホームで購入した旅弁当京都2号で購入した旅のにぎわい御膳1250円

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