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高知城沿革<br />高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦を築いて南方に味方して戦った記録があります。<br />戦国時代の天正16年(1588)、土佐の国主であった長宗我部元親がここに築城し、岡豊城(南国市)から移りましたが、城下が低湿地のため水難に悩まされ、3年ほどで浦戸に移りました。<br />期間が短く、その規模や構造は明らかになっていません。<br />現在の城郭は、慶長5年(1600)の関ヶ原の功績を認められて、土佐の初代藩主となった山内一豊によって慶長6年から築城され、2年後主要部分が完成しましたが、全体の完成には10年を要しました。享保 12年(1727)追手門など一部を残して焼失、宝厝3年(1753)元の姿に再建されました。<br />明治6年(1873)いち早く都市公園としての整備が進められて廃城を免れ、追手門と本丸の全構造物を残して県立の公園として発足しました。<br />全国に残る12の旧城の一つで、築城当時の複雑巧妙な縄張りを残す石垣、豪壮な木割りの追手門、規模は小さいながら優美な姿を誇り、南海道随一の名城とうたわれた天守閣、それに付属する本丸御殿をはじめとして、本丸の全建造物が完全な姿で残されているのは、全国でも高知城だけです。<br />昭和9年(1934)国宝に指定されましたが、昭和25年(1950)に文化財保護法が制定されたことに伴い、現在は棟の建造物が重要文化財に指定されています。<br />また、昭和34年(1959)城跡一帯が史跡に指定されました。<br />戦後は、各建造物の解体修理に着手、追手門は昭和26年(1951)に、天守閣は同30年、その他の建造物は34年3月にそれぞれ改修竣工しました。

高知城と山内家

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2026/03/09 - 2026/03/09

2133位(同エリア2179件中)

旅行記グループ 魅惑の高知と香川

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harusu

harusuさん

高知城沿革
高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦を築いて南方に味方して戦った記録があります。
戦国時代の天正16年(1588)、土佐の国主であった長宗我部元親がここに築城し、岡豊城(南国市)から移りましたが、城下が低湿地のため水難に悩まされ、3年ほどで浦戸に移りました。
期間が短く、その規模や構造は明らかになっていません。
現在の城郭は、慶長5年(1600)の関ヶ原の功績を認められて、土佐の初代藩主となった山内一豊によって慶長6年から築城され、2年後主要部分が完成しましたが、全体の完成には10年を要しました。享保 12年(1727)追手門など一部を残して焼失、宝厝3年(1753)元の姿に再建されました。
明治6年(1873)いち早く都市公園としての整備が進められて廃城を免れ、追手門と本丸の全構造物を残して県立の公園として発足しました。
全国に残る12の旧城の一つで、築城当時の複雑巧妙な縄張りを残す石垣、豪壮な木割りの追手門、規模は小さいながら優美な姿を誇り、南海道随一の名城とうたわれた天守閣、それに付属する本丸御殿をはじめとして、本丸の全建造物が完全な姿で残されているのは、全国でも高知城だけです。
昭和9年(1934)国宝に指定されましたが、昭和25年(1950)に文化財保護法が制定されたことに伴い、現在は棟の建造物が重要文化財に指定されています。
また、昭和34年(1959)城跡一帯が史跡に指定されました。
戦後は、各建造物の解体修理に着手、追手門は昭和26年(1951)に、天守閣は同30年、その他の建造物は34年3月にそれぞれ改修竣工しました。

旅行の満足度
4.0
  • 高知城MAP 日本100名城 城跡は国の史跡に指定されている<br />高知城が国宝ではないのは、1934年(昭和9年)の国宝保存法廃止以前に「重要文化財」に指定されていたためで、文化財保護法下では「国宝5城」に指定されず、重要文化財のままだからです。

    高知城MAP 日本100名城 城跡は国の史跡に指定されている
    高知城が国宝ではないのは、1934年(昭和9年)の国宝保存法廃止以前に「重要文化財」に指定されていたためで、文化財保護法下では「国宝5城」に指定されず、重要文化財のままだからです。

  • 高知城と追手門を一緒に撮影できるスポット

    高知城と追手門を一緒に撮影できるスポット

  • 追手門側から高知城天守閣

    追手門側から高知城天守閣

  • 高知城は、現存12天守の一つであり、天守と本丸御殿が唯一現存する貴重な城です。

    高知城は、現存12天守の一つであり、天守と本丸御殿が唯一現存する貴重な城です。

  • 高知城天守閣 瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城とも呼ばれる。<br /> 高知城の天守は外観が4重、内部は3層6階建てで、望楼型天守の典型な城。

    高知城天守閣 瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城とも呼ばれる。
    高知城の天守は外観が4重、内部は3層6階建てで、望楼型天守の典型な城。

  • 高知城 本丸部分はほぼ完全な形で残っているのは高知城のみ。

    高知城 本丸部分はほぼ完全な形で残っているのは高知城のみ。

  • 土佐の初代藩主となった山内一豊像は、高知城の玄関(大手)にあたる追手門から入城した高知県立図書館前に立つのが、土佐藩の初代藩主山内一豊(やまうちかつとよ)の騎馬銅像

    土佐の初代藩主となった山内一豊像は、高知城の玄関(大手)にあたる追手門から入城した高知県立図書館前に立つのが、土佐藩の初代藩主山内一豊(やまうちかつとよ)の騎馬銅像

  • 高知城天守閣と板垣退助像<br />明治維新以前は土佐藩の藩士だった板垣退助は追手門をくぐってすぐの広場に設置されています。高知城とのアングルはスポットに良いかも。

    高知城天守閣と板垣退助像
    明治維新以前は土佐藩の藩士だった板垣退助は追手門をくぐってすぐの広場に設置されています。高知城とのアングルはスポットに良いかも。

  • 高知城石段を城に向かって15分程頑張って登り始めます

    高知城石段を城に向かって15分程頑張って登り始めます

  • 高知城内 御殿内部

    高知城内 御殿内部

  • 高知城内

    高知城内

  • 高知城からの市内眺望

    高知城からの市内眺望

  • せっかくなので追手門隣の高知城歴史博物館へ

    せっかくなので追手門隣の高知城歴史博物館へ

  • 高知城歴史博物館チケット¥400

    高知城歴史博物館チケット¥400

  • 高知城と山内家の展示品

    高知城と山内家の展示品

  • 土佐の幕末歴代偉人

    土佐の幕末歴代偉人

  • 土佐藩主 山内家歴代

    土佐藩主 山内家歴代

  • 10代藩主山内豊策のものと伝わる陣羽織。じんばおり<br />白木綿地に4種類の羽根を縫い付けて、地白および飛雲と横筋の文様を表している。衿には白繻子(光沢のあるにすじしろしゅすぎんらん絹織物)、裏地に赤繻子を用い、袖口や裾には銀欄と思われる笹縁 ( 縁取り ) を付け、細部にまで贅を凝らしている。

    10代藩主山内豊策のものと伝わる陣羽織。じんばおり
    白木綿地に4種類の羽根を縫い付けて、地白および飛雲と横筋の文様を表している。衿には白繻子(光沢のあるにすじしろしゅすぎんらん絹織物)、裏地に赤繻子を用い、袖口や裾には銀欄と思われる笹縁 ( 縁取り ) を付け、細部にまで贅を凝らしている。

  • 「兎耳形兜(うさぎみみなりのかぶと)」です。<br />4代藩主山内豊昌(1641-1700)のものと伝えられています。<br />当館所蔵の山内家資料にはこのような奇抜な変わり兜が多数伝わっていますが、中でも人気の展示物です。<br />兎は大きな耳で素早く情報を集め、走るのも速く、縁起のいい動物とされ、永遠の生命や豊かな実りのシンボルでもありました。

    「兎耳形兜(うさぎみみなりのかぶと)」です。
    4代藩主山内豊昌(1641-1700)のものと伝えられています。
    当館所蔵の山内家資料にはこのような奇抜な変わり兜が多数伝わっていますが、中でも人気の展示物です。
    兎は大きな耳で素早く情報を集め、走るのも速く、縁起のいい動物とされ、永遠の生命や豊かな実りのシンボルでもありました。

  • 山内家の甲冑武具

    山内家の甲冑武具

  • 甲冑

    甲冑

  • 青糸 威三十二間筋 兜<br />32 枚の鉄板を矧ぎ合わせた兜。重量は 3900g。6代藩主山内豊隆(1673-1720)のものと伝えられ、浅葱糸素懸 威 五枚胴、毘沙門籠手,瓦佩盾が一具として現存している。

    青糸 威三十二間筋 兜
    32 枚の鉄板を矧ぎ合わせた兜。重量は 3900g。6代藩主山内豊隆(1673-1720)のものと伝えられ、浅葱糸素懸 威 五枚胴、毘沙門籠手,瓦佩盾が一具として現存している。

  • 山内家由来の刀剣

    山内家由来の刀剣

  • 火縄銃 江戸時代前期17世紀<br /> 銃身に金で「一文字」の象嵌(金属などをはめ込む技法)を施し、機関部に山内家の家紋丸三柏を付けた火縄銃。所用者は不明。制作者の輝秀( ?- 1848)は通称伊藤勝平、昇勢子と号した土佐の刀工?鉄砲鍛冶。

    火縄銃 江戸時代前期17世紀
     銃身に金で「一文字」の象嵌(金属などをはめ込む技法)を施し、機関部に山内家の家紋丸三柏を付けた火縄銃。所用者は不明。制作者の輝秀( ?- 1848)は通称伊藤勝平、昇勢子と号した土佐の刀工?鉄砲鍛冶。

  • 掛け軸

    掛け軸

  • 屏風

    屏風

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