2025/12/01 - 2025/12/03
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SRさん
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ルアンパバーンからノーンキャウまで、レンタルバイクで向かいました。
ノーンキャウはナムウー川の上流にある町で、20年前の思い出の地でもあります。
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バイク屋に前日顔を出していたので、この日のためにエンジンオイルを交換しておいてくれたようです。
借りた車両は125cc。走行距離は50,000km台、カウルには穴が開き全体的にボロボロ…しかしここはラオス、贅沢は言えません。
Click125i 250,000/day
Anousay Motorbike Rental
https://maps.app.goo.gl/wbNJ8MftguaRrGU76 -
11:22
走ってすぐに服装が土埃で真っ白になりました…
舗装はそこら中に大きな穴が空いており、減速せずにスクーターの小さなタイヤで踏むと、かなりの衝撃を受けてしまいます。
そして綺麗な舗装は、500mと続きません。
私は前年タイでも走りましたが、バイクで走るという行為の質が、タイとラオスでは全く異なります。 -
かといえば、完全に舗装のないフラットダートが続くこともあり…
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11:45
ルアンパバーンを離れてしばらく北上すると、ナムウー川に大きな橋がかかる場所に来ました。 -
振り返ると、巨大なダム施設が目に映ります。中国が85%出資して造られた、ナムウー第一水力発電所。
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並々と湛えられた水がこちらへ向かって流れてくるさまは、圧巻です。
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かつてはルアンパバーンから、ナムウー川に揺られて上流へ旅ができました。しかし、中国の巨大インフラによってそのルートは寸断されています。
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11:59
ここは「青春の窓」さんの動画に登場していたカフェ。時間も丁度よいし、お昼にしますか。 -
ナムウー川を望むゆったりした空間。
一瞬も気を抜けないラオスの道を走る中で、一服のオアシスのようです。 -
コーヒー来ました。
ここの店主さんは英語ができるので、ある程度外国人も来るのでしょう。 -
チャーハン来ました。かなり量多かったけど食べきりました。
Americano 45,000
Fried rice with pork 65,000
Nam Ou Café
https://maps.app.goo.gl/XtkJjtXhyELnbyhP8 -
14:30
大型車が一台通る度、集落の街並みが真っ白に染められる… -
どれもこれも、中国語の書かれた大型トラック。
一般のラオス人は、土埃にまみれることなしに、隣町へ移動することも出来ません…。 -
14:56
そして、パークモンの丁字路まで来ました。ここまで来れば交通量も減り、ノーンキャウまではあと一息です。 -
15:14
ナムバーク川を越えて。 -
ここも景色が良いものの、早くしないと日が沈む…
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15:50
そしてここは… -
ついに…
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やってきた…
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ノーンキャウ…!
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実際に走行した距離よりも、はるかに長く感じる旅路でした…
午前中に出発して、もう日が沈みかけてる… -
20年前のメコンを下る旅の途上…カメラを失ってルアンパバーンへ行くのを諦め、仕方なく陸路の旅に切り替えてウドムサイへ。そこから、いち早くラオスを出てベトナムへ渡ってしまおうとした私は、東へと進路を取るうち、ある一本のバスに乗るためにこのノーンキャウにたどり着いたのでした。
そして今は、その当時なかったものが色々と増えています。街灯も、そしてこれらの旗竿も。 -
当時のガイドブックによると、かつてはこのナムウー川の手前(右岸)がノーンキャウ、対岸(左岸)がムアンゴイと呼ばれていました。
しかし今では、両岸の町を合わせてノーンキャウと呼ばれています。さらに、上流にある「船でしか行けない村」として知られたムアンゴイヌアが、現在ではムアンゴイと呼ばれています。 -
さあ、このノーンキャウで泊まる宿はこちら「Pont Inn Nong Khiaw」。
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こちらの支配人はチェックインの際の説明も非常に丁寧で、フレンドリーな方でした。
またノーンキャウに手広くいくつも宿があって、同じグループだと言っていました。
実はあるMLB球団の監督にちょっと風貌が似ているので、私は心の中で密かに「ロバーツ監督」と呼んでました(笑) -
はい、ドミトリー続きの後はテント泊です。
ここで2泊いたします。
夜は冷え込まないのかロバーツ監督に確認しましたが、足りない場合は追加のブランケットをくれるとのことでした(確かに冷え込みましたが、別に大丈夫でした)。 -
シャワーこんな感じ。
ああっ早くシャワー浴びてえっ!(切実) -
トイレこんな感じ。おっ最新式じゃないか、と思ったものの。
自動で流れるんですけど、たまに時間が短すぎて流れきらない…。
だからね、グッと押すんですよ、便座を。それを何回も繰り返す(笑)
Pont Inn Nong Khiaw
https://maps.app.goo.gl/QrR3daBxdbLSSu3XA -
衣服をラウンドリに出し、シャワーを浴びてもう生き返りました。
そして川沿いのテラスに登り、夕陽に照らされる渓谷を眺める…最高かよ。 -
川をゆくボートのエンジン音が響き、フランス人たちが煙草を燻らせる…なかなか渋い空間でした。
このコーヒーは、私にとってはインスタントの味がしましたが、ここで飲んだら何でも美味く感じます。
コーヒー 30,000 -
さあ…一服して陽も沈んだところで、橋を歩いてみましょう。
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そして渓谷に、夕闇が広がる。
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ノーンキャウの船着き場。
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20年前にはなかったもの。ボックスには中国語が書かれています。この長閑な渓谷の町で、一体何を監視しているのでしょうか…
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この橋は、AIによると今から50年ほど前に中国の援助によって造られた橋だそうです。その当時の技術なので、装飾に乏しいコンクリート桁橋となっています。でもそれが、かえってこのノーンキャウの風景に溶け込んでいるように思えます。
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ノーンキャウ(右岸)の町を歩いてみます。
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ラオス=ベトナム・レストランという名前に惹かれてしまうなあ、ベトナムから来ただけに。
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「君はそこにいて、寒くないのかい」
と声をかけましたが、小鳥は柵に飛び移っては止まり木に戻る、という無窮の運動を繰り返すのみでした。 -
フォーは、こんな田舎で食べてもそこそこ旨いのはさすが。
カイランは、昨年タイで油炒めを食べて美味しかったから注文したのですけど、ただのおひたし。あんまり、美味しくなかった。。
Beef Pho Noodle Soup 50,000
Boiled chinese kale 20,000
Lao - Vietnam Restaurant
https://maps.app.goo.gl/Bt3bRHmN3UTwLu3h6 -
橋の対岸から、自分が泊まっている宿を。
ロケーションとしては、最高の立地だと思います。
ただ、昔を思い返すと…あの大きなネオンサインは、本当に必要なのかと思わなくもありません。 -
宿側(左岸側)の通りを少し歩いて。
どうやら行政上はムアン・ゴイ(ゴイ郡)のようです。
Apple の天気アプリでも Ngoi と表示されます。 -
1:00
夜中、一人防寒着を来て、テントを抜け出ました…
…昔のガイドブックにはこのように書かれていました。
「サムヌア行きが国道1号線を22~24時の間に通過する(15時間、45,000K)。ノンキャウのバスステーションには寄らないので、バスを見たら合図して停める。『旅行人ノート メコンの国』」
私はその短い文章を信じ、またすべての車がこの橋の上を通るに違いないと思って、電気もない闇の中、山奥の橋の袂で一本のバスを待ち続けたのでした… -
20年前のあの夜。真っ暗な、静寂に包まれた橋の上に、一人佇みました。
一生、忘れることはないと思います。
自分の手元も、足元も、闇に包まれて見えません。
山の端は、真っ黒に縁取られています。
そして夜空を見上げると、浜辺にある砂をすべて散りばめたかのような、無数の星の瞬きがありました。
自分は、生まれて初めて本当の星空というものを見ました。
古代の人が「星の数のよう」と表現したことの意味を、初めて知りました。 -
そんな忘れられない記憶があり、今回是非ともノーンキャウを訪れて、あの夜空を撮影してみたい…という希望があったのですが、結果はご覧の有様。ほとんど、星空と言えるものは見えませんでした。
確かに電気が通じていなかった昔とは違い、今では煌々と街の灯りが闇を照らしています。
またAIによると、私の頭上に圧倒的夜空が現れたあの夜、2005年12月1日は、新月でした。
Moon phase on 1 December 2005
https://lunaf.com/lunar-calendar/2005/12/01/
私は、変わってしまったこの町の夜空を眺め、脳裏に残るあの圧倒的な星空を思い、静かに寝床へと戻りました。 -
翌朝、テントから川へ降りてみます。
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川で洗濯してる…?
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完全なローカル店でカオソーイを。
素朴だけど、外してない味。
あと、このくらいが本来のローカル価格なんでしょう。
カオソーイ 25,000 -
店内こんな感じ。ビアラオ以外、パッケージングされた商品は全てタイ製か中国製なのは、20年前と一緒。
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近くの小さな寺院を散歩。
こういうモチーフの像をたまに見ますが、調べたところナーン・トラニーというヒンドゥー教の女神だそうです。 -
ナーガが5匹出てる仏像。
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僧院
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昔話ばかりで恐縮ですが、20年前にはずっと一つの店にいて夜を待ち続けた記憶があります。なぜかというと、当時は腰を上げてしまったらもう別の店があるとは限らなかったから。でも今はバックパッカー街のようになっていて、こうしてゴミ収集も行われています。
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カフェメニューの出ている店で、コーヒーを飲みます。
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通りを眺められる良いところでした。
ここは、若い女性がちゃんとしたマシンでコーヒーを淹れてくれました。
その母親(と思しき人)はメニューが分からないようだったので、おそらく若い方が一人でやられているのでしょう。
Latte 35,000 -
辺りは朝霧に包まれています。
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できればこの日は上流にあるムアンゴイに行きたかったのですが、公共のボートのスケジュールでは日帰り出来ないことが分かりました。でも一応、ダメ元で船着き場に行って聞いてみようと思います。
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カウンターで聞いてみると、ムアンゴイまで日帰りは600,000Kとのこと。それはツアーかチャーターの金額だと思います。
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今泊まっている「Pont Inn」。
一番上の「sunset coffee」というのが、前日夕陽を眺めながらコーヒーを飲んだところ。その下に私がいるテントがあって、その下にバンガローや個室があります。
実は宿泊費もなかなかのもので、個室ともなるとホテル並み。
昔は電気さえ通らなかったノーンキャウも、貧乏旅行の旅先とは言いづらくなってきました。 -
バイクに乗って、郊外の洞窟に来ました。
Ticket 50,000 -
目前に立ちはだかる岩山が、ものすごい…。
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野生のポインセチア
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入口が見えてきました。あの門の先は後にして、まずは洞窟に行きたいと思います。
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赤い橋がかかっています。
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澄んだ水のきれいな川です。
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なおこの先は戦争とその被害に関する展示になっていますので、心の準備ができていない、今は見たくないという方は遠慮なく下の方へスクロールしてください。
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「深さ60mの洞窟。1968年から1969年まで、ここには約150~200人が住んでいた」
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「洞窟の壁に 破片が見えますか?」
確かに、岩壁には何かが衝突して抉られたような窪みがいくつもあります。 -
中には空間があり、木製の机と陶器のようなものが散乱しています。
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奥に下るとまた空間があります。
しかし約150~200人ほどの人が居住したならば、たちまち過密状態に陥ってしまうように思います。 -
以下、AI翻訳に手直ししたものを載せておきます。
村の年長者たちは、
この洞窟が最も安全な避難場所だと私に教えてくれました。
アメリカ空軍の飛行機が、
毎日午前6時から午後6時まで、
5~8分おきに爆弾を投下し続けたからです。
それが2年間も続きました(1968~1969年)。
村人たちは、夕方になってからしか洞窟の外に出ることができませんでした。
食べ物を探し、田んぼで働き、
漁をし、狩りをして、
なんとか生き延びるためです。
当時の生活は本当に過酷でした。
田畑は爆撃で破壊され、
食べ物は足りず、人々は飢え、病に苦しみました。
女性たちは病院もない中で出産しなければなりませんでした。
人々は常に不安と心配、恐怖の中で生きていました。
そして……そのほかにも……
言葉ではとても言い表せないほどです。 -
洞窟を出ました。そこには当時の緊張や恐怖を想像するのが困難なほど、長閑な自然が広がっていました。
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門のところに戻ってきました。
先程は気づかなかったのですが、この門柱は航空機から落とされる大きな爆弾の外殻で出来ているようです。 -
この建物は外壁そのものがそれらの爆弾の殻で出来ているようです。
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この入口は砲弾の薬莢のようなもので出来ています。
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「クラスター爆弾に関する事実」
・ラオスは、世界で最も多くクラスター爆弾を投下された国である。
・1964年から1973年の間に、ラオス全土に2億7,000万発以上の子弾が投下された。
・クラスター爆弾の子弾には、それが爆発するための理想的な条件下であっても推定30%の不発率がある。
・ラオスに投下された約8,000万発の子弾は不発だった。
・ラオスは、紛争後におけるクラスター弾による死傷者数が、世界で最も多い国である。
・2008年から2017年の間、ラオスでは約2週間に1人の割合で不発弾(UXO)による死者が出ており、その大半の事故は子弾によるものだった。
・同じく2008年から2017年の間に発生したUXO被害者のうち、少なくとも40%はクラスター爆弾が原因だった。
・1996年から2017年までに、UXO Lao(ラオス不発弾処理機関)は、国内に残存する全子弾の約1%にあたる約80万5,000発の子弾を処理した。 -
「ホーチミン・ルート」
もしラオスが世界で最も激しく爆撃された国だとするなら、ホーチミン・ルートは、その国内で最も激しく爆撃された地域である。
全長数百キロメートルに及ぶこのルートは、北ベトナムからラオス東部およびカンボジアを通り、南ベトナムに至る無数の道から成るネットワークだった。これは、北ベトナムが、アメリカに支援された南ベトナム政府と戦っていた共産ゲリラに対し、兵員や装備を補給することを可能にしていた。
戦争期間の大半において、北ベトナムはこのルートの存在そのものを否定していた。一方アメリカも、その地域を爆撃している事実を否定していた。1965年に開始され、1969年には1日最大900回の出撃にまで達した絨毯爆撃に加え、通行を不可能にするために食器用洗剤を散布したり、膨大な量の枯葉剤や除草剤を使用したりしたにもかかわらず、この補給路の交通が数日以上にわたって遮断されることは一度もなかった。真偽不明の話として、アメリカ軍が敵兵を酔わせて歩けなくするため、缶ビールで爆撃したことさえあった、という話もある。
激しい爆撃の痕跡は、現在でもホーチミン・ルートおよびその周辺地域に見ることができ、当時に残された不発弾は、今なお人々の命を奪い、身体の自由を奪い続けている。 -
「戦場としてのラオス」
20世紀の大部分において、ラオスは紛争に巻き込まれてきた。今日のラオスで人々を悩ませ続けているのは、そうした戦闘の残骸――すなわち不発弾(UXO)である。
第一次インドシナ戦争と内戦
ラオスは1893年から1949年までフランスの保護領であった。第二次世界大戦中には、一時的に日本に占領されている。
日本の撤退後、ラオスは地域的な独立戦争、いわゆる第一次インドシナ戦争に巻き込まれ、この戦争は1954年に正式に終結した。しかし政治的な不安定さから、国は内戦状態へと転落し、さまざまな衝突や権力闘争において国際的な勢力が重要な役割を果たすこととなった。
この時期およびその後の年月を通じて、砲弾や地雷などがラオス全土で広範囲に使用され、その多くが今日に至るまで民間人にとっての危険物であり続けている。
第二次インドシナ戦争
第一次インドシナ戦争後、ラオスは中立国とされたにもかかわらず、第二次インドシナ戦争、すなわちベトナム戦争(1964~1973年)に巻き込まれていった。
王党派・中立派・パテートラオ勢力の間で続いていたラオス内戦は、より大きな国際紛争の一部となった。9年間にわたり、ラオスはアメリカ合衆国と隣国北ベトナムとの間の戦争の戦場となり、地元のモン族民兵はアメリカの支援を受け、パテートラオは北ベトナムの支援を受けていた。
アメリカ軍は1973年にラオスから撤退し、その後1975年に共産主義国家であるラオス人民民主共和国が成立した。
この紛争期間中にラオス上空から行われた大規模な空爆が、現在ラオスに残る不発弾の大半を生み出した原因である。 -
「1964年から1973年にかけて、アメリカ軍は推定200万トンに及ぶ爆弾・弾薬をラオスに投下した」
戦争の遺産
第二次インドシナ戦争の結果、ラオスは、世界で最も激しく爆撃された国という不名誉な位置づけを負うこととなった。戦争期間中、アメリカ軍はラオス上空で50万回以上の爆撃を行い、200万トンを超える爆発物を同国に投下した。その投下量は、第二次世界大戦全体で使用された量を上回るものであった。
9年間に及ぶ紛争の間に、ラオスには約2億4千万発ものクラスター弾の子弾が投下されたとされている。そのうち最大で8千万発が不発のまま爆発せず、現在も国中に散乱していると推定されている。さらに、400万発を超える大型爆弾が投下され、複数の県で行われた激しい地上戦により、迫撃砲弾、砲弾、地雷、手榴弾など、多量の不発弾が残された。
また、第二次世界大戦や第一次インドシナ戦争を含む、それ以前の地上戦も、現在なおラオスの人命を脅かしている戦争残存物の一因となっている。
1996年から1997年にかけて実施された全国調査では、ラオスの17県中15県で深刻な不発弾汚染が確認され、全国の集落の少なくとも25%が不発弾の存在を報告していることが明らかになった。
不発弾に加え、第二次インドシナ戦争では、枯葉剤や除草剤も大量に使用され、その中にはエージェント・オレンジも含まれていた。現在でも、一部の土地は生産不能のままであり、化学物質は食料源や水域を汚染し続け、関連する障害を持って生まれる子どもたちがいる。ラオスの民間人に対する化学兵器使用の完全かつ継続的な影響については、いまだ十分には解明されていない。 -
アメリカの秘密戦争、と書かれている…
秘密の割には、その残置物で建物が出来てしまうという皮肉。 -
この爆弾の外殻がきれいに半分になっているのが、実際に使われたクラスター爆弾と思われます。また、並んでいる円筒形のものが子弾なのか何なのかは不明です。
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水筒、飯盒、ヘルメット…中には英語の文字が刻まれているものもあり、米軍のものであることが分かります。これらの装備が、アメリカからモン族のゲリラに渡ったものということでしょうか。
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階段にも不発弾。これほど爆弾の残骸がふんだんに使われている建物を見る機会って、たぶん一生ない…
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信管は外されてます(当たり前)。
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2階は日用品などが展示されていました。
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ここが、爆撃によってできたクレーター。
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戦争の残骸だけで出来た飛行機。
ベトナム戦争の被害というと、多くの人はベトナム人、あるいはアメリカ兵のことを思い浮かべるかも知れません。しかしラオスの被害については、これまで国際的にあまり知られてきませんでした。
なぜならラオスはジュネーブ協定の中立国であり、そこでの作戦は国際法に反していたために長らくひた隠しにされ、「秘密戦争」と呼ばれてきたからです。
『地球の歩き方 ラオス 2024-2025』によると、ようやく国際団体によって不発弾の撤去が開始されたのは1994年から。2016年に現職大統領としてオバマ大統領が初めてラオスを訪問し、不発弾撤去などへの大幅な支援の拡大をしました。
しかし、依然として大半の不発弾はまだ未処理のままで、ラオスの国土を正常に戻すには途方もない時間と労力が必要となっています。
Ban Man Da Cave and Village Museum
https://maps.app.goo.gl/BYYhjLPYC6w3xm2h8 -
橋の近くへ戻って、次は展望台へ登りましょう。
中には1時間超の本格登山コースもあるようですが、明日またバイクに乗るので、私は30分で登れるお手軽コースにしました。
Ticket 40,000 -
keep fighling
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The biggest risk is not taking any risk.
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Life hurt Nature heal
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You've got the half way.
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Keep Going
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Hang in there
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Viewpoint 100m
登山あるある。最後の100mが、けっこう長い…(笑) -
ついに辺りが開けて、展望台らしきものが見えてきました。
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着きました…最高の景色。
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イチオシ
展望台としては低いほうだとは思いますが、この渓谷の全貌を充分に見渡すことが出来ます。
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20年前の、初めてのバックパッカーの旅。迷走しつつ、偶然の一夜が、一生の思い出になってしまった町。これで、一応リベンジ達成ということにしておきますか…。
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まだ、上があるんですよね…
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ちょい上の景色。屋根があるから、ゆっくり出来ます。
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対岸の「NongKhiaw Everest」。
Som Nang View Point
https://maps.app.goo.gl/paMshxpMJNTPoirA7 -
降りてきて、ベンチでしばし涼みました。
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もはや、こういう街でローカルに拘っても仕方ないので、素直に外国人向けのメニューを食べましょう。
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いかにもバックパッカーの食事という感じ。
正直言うと、むしろこういうものにノスタルジーを感じます。
Beef Spaghetti/cheese 60,000
Banana shake 25,000
CT Restaurant
https://maps.app.goo.gl/7qHuyzP7WEtYiAY48 -
シャワーで汗を流してテントで一休み。
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そしてビアラオ。
山登って、景色見て。
ビール飲んで、夕陽見て。
ってサイクルなら、一週間くらい余裕で居られそうだなあ…この街。 -
イチオシ
やはりビアラオには夕陽がよく似合う。
Beerlao 35,000 -
イチオシ
そして夕闇は渓谷を包む。
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夜は、川の対岸にあるレストランに来ました。
ここは朝に来た船着き場の場所で、その時のおばさんが対応してくれました。 -
これは、ノーンキャウで食べたものの中で一番美味しかった。味はマッサマンカレーみたいな感じ。また来たいなあ、という店が最後の夜に見つかるのも、旅あるある。
Curry chicken 80,000
Le Muang Ngoy
https://maps.app.goo.gl/9ynhoAXfVk6jEmo67 -
翌朝。一日の始まりは、まずバイクに水を盛大にかけるところから。
たった一晩で、何週間も放置した後みたいになります。 -
最後は宿で朝食にしたかったのですが、まだやっていないようなので通りへ。
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小鳥のさえずりと鶏の声が響く、朝の静けさ。
その中で開いていた一店で、朝食をとる。 -
席につくと、朝っぱらから大音量のジャズピアノが…近所迷惑ですみません(汗)
Congee Chicken 50,000
Lao Black Coffee 25,000
Neiy Coffee & Restaurant
https://maps.app.goo.gl/1nXUh1aGCg3tpe2a7 -
帰路ですが、AIによると、太陽と交通量によって土埃が舞い上がる前の、朝靄の出ているうちに出発すべき、とのこと。
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さらば、ノーンキャウ。
思い出は、再び霧の中へ…
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