2025/11/10 - 2025/11/13
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ソウルの旅人さん
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11月12日後半
石坡亭からソウル城壁に向い、彰義門を通ってから清雲文學圖書館を参観し、西村(ソチョン)へ行く。そして、今回旅行の最重要目的地のソチョン路地裏を散策する。かなり細かい奥まで徘徊したので、路地裏が好きな方には面白い写真があるかもしれない。
タイトル写真は西村の路地
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エアトリ
-
石坡亭から付岩洞の町中に向う。その途中に見ておくべき場所がある。
打放し壁を穿った穴が前方に開いている。そこが目的地の入口か? -
壁面に映画フィルムを模した「SOULSPOT(ソウルスポット)」と英語表記の掲示がある。間違いなく、ここだ。
-
入口からは階段になっており、どことなく委細ありげな表情である。
何がある? -
『PARASITE PHOTOZOON』と記された透明プラスチック板が設置されている。
此処は、アジア映画では初めてアカデミー作品賞を獲得した『パラサイト(半地下の家族)』の撮影現場である。 -
この階段は「パラサイトの親子3人が寄生していた事がバレそうになり、豪雨の中を必死に逃げるシーン」に登場する。3人はずぶ濡れになってこの階段を転げるように降りる。パラサイトを観た人には印象的シーンとして忘れ難い。
-
そこは紫霞門トンネルの北側出口である。付岩洞の峠を登らずに、峠下にトンネルを掘って南北の交通の便を図った。
このトンネルは峠下を深く掘り込み、長い。 -
トンネルを出るも、地中深く掘ってあるので両横は長い法面を形成する。これだけ高く長い法面なのでそこを降りる階段も通常とは異なる風景を示し、それが独特の景観を形作る。監督がこの階段を映像に相応しいと思ったことも納得の姿である。
パラサイトを観た人々から「あの階段は何処にあるか?」と問合せが殺到した。
そして、この場所に看板まで設置され、隠れた観光名所になっている。 -
ポン・ジュノ監督の言葉
「彼等は初めから寄生虫であったわけではありません。彼等は私達の隣人であり、友人であり、同僚だった。にも拘わらず絶壁の壁に押しやられてしまった。・・・彼等は激しく縺れ合いながら階段から真っ逆さまに転げ落ちていきます。この止めることの出来ない悲喜劇に皆様をご招待いたします。」
この階段は救いようのない不条理の象徴である。
韓国映画・韓ドラの最高点に到達した超名作であり、アカデミー賞を獲得したことも当然である。一度は観ることをお奨めする。ネットフリックスで常時観ることができる。 -
撮影現場から付岩洞への登り道。
トンネルが深い土中だからそこから峠の上の町までは急坂である。 -
坂の途中から振り返る。
急坂!! 息をきらせて上る。 -
付岩洞
元々は石坡亭があるように貴族階級の別荘地でもあったので、現在も高級住宅地である。食堂、カフェ、洋品店が並び、かなりの賑わいをみせている。 -
付岩洞の町中から城壁と思われる方向が望まれる。
-
彰義門への道
朝鮮王朝時代のソウルは漢陽(ハニャン)と呼ばれ、全周を城壁で囲まれていた。
ユーラシア大陸ではそれが標準だが、日本には都市を城塞で囲う思想が発達しなかった。というか、囲う必要がない社会だった。 -
入口に貼ってあった過去の彰義門の写真。
日本人には城壁・門についての特別な思い入れはないが、韓国人には存在に結びついた形象と意識されているようだ。 -
彰義門
漢陽(ハニャン)城郭には東西南北に主要門を配し、同時に通用門として小さな門を各門に設けた。北門は北岳山の中腹であり、実質的な有用性がない。この彰義門は北門の通用門であるが、通行量が多いこの門が北門の役割を担った。
よって、この門は歴史の舞台に再々登場するし、門の役割を終えたはずの現在史においてもその姿を現す。 -
彰義門の通路
周囲を城壁で囲まれた漢陽(ハニャン)は各門だけが出入口であり、門以外からの出入りは不可だった。前述のように日本人は門に特別な意識を持たないが、韓国人の門に対する感慨は深い。城壁都市であった歴史的伝統に根ざすのだろう。 -
門に繋がる城壁
彰義門の石積みは精緻に組み上がっているが、城壁は不揃いである。
明らかに門は近年に改修されたのであろう。城壁の不揃いに歴史を感じる。 -
彰義門の天井
南大門・東大門などの城壁門、光化門・敦化門などの宮殿門などの大門には天井裏に色々な絵画が描かれている。北方の小門も例外ではなかった。 -
彰義門を潜って門の内側に入る。
これで漢陽(ハニャン)の都内に入ったわけである。何の不都合もなく容易に入れたが、朝鮮王朝時代はこの門には大勢の門番が見張っており、許可なき者は入れなかった。
現在の仁川空港のイミグレーションはかなり厳しい。何時の時代でも内部と外部は峻別され、その境には“門”がある。 -
内側上部
この門の上段(監視台)に昇ろうとしたが、不可だった。
当然であるが、現在この門は一般通行道路としては使用されていない。 -
彰義門を通って、ハニャン都城に入ったら、景観は一変する。
遥か遠くにはソウル市街が望見出来る。 -
彰義門より峠道に降りてくる。
この道が従来の峠を越えて付岩洞へ至る道である。今朝はこの写真のバスにて石坡亭へ行った。この下に紫霞門トンネルが掘られている事になる。
道はすぐに城壁に達するが、壁には孔が掘られ、バス通交に支障はない。
左に写っている銅像はこの地が生々しい現代史に登場する証拠である。後報。 -
峠道からの風景
煉瓦色の屋根が重なる独特の色調を示す。
北村の屋根風景と異なるところが面白い。 -
ソウルタワーはこの峠から望める。
何度も書いたが、この塔はランドマークに相応しい。 -
これから西村(ソチョン)に向うのだが、その前に一箇所寄り道をする。
峠道から城壁(右側)に沿った道を上って行く。 -
5分位歩くと大きな虎の石像がある。縁起は知らない。
この辺りは朝鮮王朝時代には虎が棲息していたらしい。
日本人には虎は動物園で見るか、阪神タイガースを思い浮かべる程度で何ら実感ある動物ではないが、韓半島では野生に棲息し生活圏近くに居る存在だった。 -
清雲文學圖書館への案内板
この図書館に行く。
こんな山中まで来て図書館見学とはどういう了見か。 -
階段を降りていくと、山中の寺院のような屋根が見えて来る。
-
山間に趣きのある韓屋が姿を現した。
これが本当に図書館なのか!! -
清雲文學圖書館
純粋高級韓屋造りの図書館。
こんな不便な場所にこんな立派な図書館を創る精神は何か?
そういえば、江南の最新ファッションビル「COEX」にピョルマダン(星の庭)という途轍もなく大きな図書館があった。韓国人と図書館は何らかの因縁がある。 -
読書室。
この下の階に図書館があり、そこで本を借り、ここで読書する段取りになっている。確かにこの室内でする読書は“清雲”かもしれない。 -
読書室からの眺め
朝鮮王朝時代の学問はこのような環境で行われた。そうならば、この図書館は伝統に則った学問の場なのでろう。
両班達の学問は単なる習練や教養の為ではなかった。科挙に合格することが人生を決定づける。ならば、学問の場を最高の環境を整えた。
こんな読書館は当然か。 -
滝が流れる音も聞こえる。
韓国の厳しい学歴社会は科挙に起因すると云われているが、あの『SKYキャッスル』に描かれた地獄のような受験戦争と、このように読書が尊ばれることは同一伝統の裏表の関係になる。
土深い山中にも最新ファッションビルにも図書館を創る精神を納得できる。 -
図書館からもとの峠道まで引き返す。
山は北岳山である。その左下に見張小屋風の建屋(赤→)が見える。
1968年1月21日北朝鮮特殊部隊31名がこの峠道から侵入して、青瓦台を襲撃し、朴正煕大統領暗殺を企てた。この場所で韓国の防御隊と衝突する。峠道にある銅像はその銃撃戦にて亡くなった鐘路警察署長である。
繰り返すが、この峠は古来より北からの侵入路であった。1968年といえば昭和43年である。完全に現代史であるこの事件は韓国の置かれている状況が日本の状況といかに相違するかを物語っている。この見張り小屋はそれを覚醒させる。 -
この峠から青瓦台は近い。近年まではこの付近は厳重警戒区域だった。青瓦台に大統領府を戻すことになったようだ。この辺りは再び立入り禁止になるか。
ここに西村(ソチョン)方面行きのバス停留所がある。
バスに乗って西村へ向った。 -
西村は広い。目的地は大きく分けて3ヶ所になる。
【第1目的地】
最初はソチョンの北部地域になる。通仁市場より一つ北側のバス停留所で降り、西側の道路に入る。
独立した新しい韓屋がある。 -
上村齊(サムチョンジェ)
鐘路区が崩壊寸前の伝統韓屋家屋を新築同様に整備し、一般公開している。
昨日の白麟濟家屋のような上流両班家屋ではなく、朝鮮王朝時代に中人と呼ばれた中産階級の人々の家屋である。 -
19世紀末の伝統韓屋
これから見る路地裏の韓屋は内部は見る事が出来ない。
韓屋内部を参観する為に寄った。 -
アンチェ
女性の居住区域だが、特別に他の区域と遮断されていない。 -
アンチェ
木造・障子は日本家屋と近似する。
しかし、オンドル部屋があって、畳み部屋がない。
似てはいるが違う。 -
サランチェ
風通しが良くて、開放感がある。
障子の模様は韓国的であり、部屋の仕切りと、天井の梁も同じく日本とは異なる。 -
壺・甕
キムチ、ジャン(醤油)、コチュジャン(味噌)などの甕類は家屋外に保存されている。この甕類風景は韓国家屋の特徴であり、多くの場所で目撃する。
主食は米で、調味料は醤油・味噌である。日本と韓国は当初は同じ食生活をしている。しかし、同じ原材料を使用してもジャンと醤油は異なる味で、味噌とコチュジャンはもっと相違する味になった。
韓国と日本は同じ出発点だったが、半島と列島に別れたあと、その地理的差違の故に発展形態が異なった。そう考えると腑に落ちる。
日本人と韓国人の相違も同じようだったかもしれない。 -
台所の様子
赤→ 窯の火口
緑→ 木製の調理器
紫→ 金属の調理器類
黄→ 大鍋(カマソッ)
橙→ 一人用お膳(ソバン)驚く程軽い。
水色→ お椀他食器
薄赤→ スプーン類
白→ 燃料の薪
日本の農家の台所風景と似ている。しかし、どこか異なる。
衣食住すべてに於てこの微妙な差違が生じた。
その経緯を究明したい。 -
上村齊の道をはさんだ対面に高い塀に囲まれた大きな洋館がある。
今回旅行の目的はこの館を実見することである。
植木に遮られているが、豪壮な洋館であることは判る。 -
個人所有の自宅ならそれこそ大富豪の居宅だろう。何らかの公的建造物のようにも見える。周囲の家々は通常の住宅街であり、鋭利な忍び返しで外部を拒否しているように見え、この館だけが浮き上がった空間になっている。
外から見る限りは人が住んでいるようには見えない。こちらは裏門なので正面側に廻ってみる。 -
正面玄関から見た豪邸
一昨日見た南山の「記憶の場」に登場した。朝鮮が日本の植民地になる条約に首相としてサインした李完用(イ・ワンニョン)の邸宅である。
李完用は「植民地になることが朝鮮の利益になる」と発言しているが、自分は植民地になったその国でこんな大豪邸に住み、多くの土地を収奪して己の所有としたのであった。実際は自分の利益だけを追求獲得し、豪奢で贅沢な人生を送った。
李完用が質素な生活を送っておれば言い訳けも納得されようが、この屋敷の姿をみれば、この男が利己主義の偽善者であることは一目瞭然だ。 -
韓国であり得ない男の名前は“完用”であると云われている。この名前だけは誰も付けない。其程、現代韓国では忌み嫌われている人物である。
西村(ソチョン)は親日派の人々が多く住んだ地域だそうだ。その代表がこの屋敷になるだろうが、この豪邸が李完用の私邸だったこともつい最近知った。一般には公表されていないのか。
実際にこの豪邸を見て韓国近代史(植民地時代)の実態をこの眼で視た実感がした。 -
李完用邸より第2の目的地に向う。
その途中にあった「孝子ベーカーリー」
ソチョンは青瓦台に近い。このパン屋は青瓦台にパンを納入したので、[大統領のパン屋]の称号を得た。伝統を誇るソウルのパン屋である。
値段が高いことが有名なのであえて立寄らず。味は分らない。 -
「通仁市場」
[大統領のパン屋]のすぐ南側が有名な通仁市場西側入口になる。
市場の道路を挟んだ対面路地がソチョン第2の目的地になる。 -
【第2目的地】 ソチョン韓屋路地
判りずらいので添付地図を参照下さい。
極細い路地なので地図にも明記されていない。
観光用標示板はピルンデロである。 -
細い通りにも拘わらず、入口には路上駐車の車が連なる。
ソウルは何処へ行っても路駐がある。
車も通らない路地裏散策の積もりが興醒めである。 -
突き当たりを左折する。
韓屋が連なる。
整備が行き届いた石畳み道は意外だった。 -
これがソチョンの一般住民が生活する路地裏である。
韓屋もあるが、色々な住居形態がある。
静かだった。誰一人も出遭わなかった。 -
韓屋居宅の閉っている窓
-
開いている窓
暫くジットこの窓を見上げていた。
韓国の文化文物に思い入れがあれば、この窓は“何とも言えない・・・・”と声を上げるはずである。白壁、装飾壁、軒天、窓木組みが相俟って芸術になっている。
この窓を発見しただけでも路地散策の価値があった。 -
道なりに進む。
壁に特別な意匠を施すのが韓国流と実感する。
左の土塀がいい雰囲気を醸し、右側は思いっきり演出を凝らした壁になっている。
洋風建築が混ざるも、この辺りの風景も面白い。
路地裏散策ならではの景色である。 -
おもいっきり狭い路地に目立つのは電信柱である。
電気の無い時代から電気が通う時代になったが、路地の幅はそのまま。 -
これがソチョン路地裏風景
-
距離にすれば300~400メートル程度に過ぎないが、ソチョンに残る観光用ではない韓屋の路地だった。
-
路地の終点に現れる「SCOFF」はカフェである。
透明硝子を通して各種スコーンが見えている。 -
「SCOFF」2階からの景観
ここでお茶を飲みスコーンを食べた。
2階からは余り展望がきかず、立て込んだ路地の様子は見て取れない。 -
第3の目的地までは遠い。その途中のソチョン風景を点描する。
風景点描1
少し歩くと韓屋が無くなり、ヴィラ街になる。
驚いたことに半地下が連続する。 -
風景点描2
同じく半地下だけど、この窓はモダンに造られ半地下の持つイメージと違う。
お洒落な半地下もある。本当か? -
風景点描3
同じ半地下でも窓を見る限り、深い半地下と浅い半地下がある。
パラサイトの副題は「半地下の家族」である。この深い半地下はイメージにピッタリか。 -
風景点描4
少し見晴らしのきく道路にでる。後方の煉瓦色の建屋は培花女子中学校。奥に大學と高校が広がる。 -
風景点描5
ソチョンは平坦ではない。何度も繰り返すが、ソウルは極一部を除いて平坦ではない。あの明洞さえ起伏がある。
坂の住宅地になっているが、この立て込みようは凄い。特に左の白い建造物などは目を瞠るものがある。これもソチョン風景。 -
ソチョン風景点描6
何かの間違いで山岳場面写真が紛れ込んだ。
否、そうではなくここもソチョンなのだ。 -
水聲洞
先程の路地から通仁市場に戻り、そこにあるバス停留所からバスに乗ったら僅か5分でここに到着する。先程の路地から10分後の景色がこれである。街中と山中が繋がっている。
自然と繁華街が隣り合ってるのも韓国らしい。 -
山は仁王山。
昨日は桂洞路地裏から、そして景福宮の石塀越しに見た。
ソウルは四方を山に囲まれている場所を選んで創られた。 -
深い渓谷を刻んでいる。
仁王山の山肌は大きな巖に覆われている。麓に至っても同じ。
残念ながら水が流れていないので迫力なし。 -
ハニャン(ソウル)の四方
北は玄武の北岳山。南は朱雀の南山。東は青龍の駱山、西は白虎の仁王山。
この仁王山は白虎としてソウル西方を守っている。
再びバスにのって通仁市場に戻り、ソチョンの次の韓屋路地に向う。 -
風景点描7
横道。特記すること無き普通の道。 -
風景点描8
ソチョンは半地下の街だった。
パラサイトの影響で半地下を見ることが一つの目的だった。果たして見ることが出来るのかと思っていたが、そこら中に一杯あった。
半地下が標準建築物である。 -
風景点描9
何度も繰り返すが、平坦な道は少ない。
坂道に沿って半地下がある。住み難そう。 -
風景点描10
有名な古本屋、テオ書店。 -
風景点描11
道路標示板と電線
日本もそうだが、混線のぶら下がった電線が都市風景である。 -
風景点描12
ごく普通の車通交可能な生活道路。どこにでもある風景。 -
ソチョン風景点描最終13
参鶏湯の名店[土俗村]
ここまで来ればご存知の方が多いだろう。参鶏湯を食べに来たわけでなく、この店の西側が目的の韓屋路地である。
早速行ってみよう。 -
【第3目的地】ソチョン路地
左側の土塀は[土俗村]
右側に3階建ての韓屋が見える。 -
赤色の素地に黒色でBREADの表示あり。
この建物はパン屋である。 -
ソウル“ホットク”パンの看板
大規模なベーカリーではない。赤い文字にて強調している“ホットック”に似た2種類のパンを売っているだけの店である。
今回のソウル旅行の目的の一つはここのパンだった。 -
11日~14日休業の貼紙
今日は12日。
今回は天気・ホテル・食事・お土産は目的通りに達成された恵まれた旅だった。カフェ・パンだけが不運の連続。
ここのパンは食べたかった。
もうこの路地を訪問する機会はないだろう。心残り。 -
路地へ!!
またもや路駐の車である。
この狭い路地に車を入れ、右折左折する運転技術を褒めるべきか。
手前の網は軽トラックの荷台である。完全に道を塞いでいる。
どうするんだ。知らんけど!! -
路地
ここも石畳みの清潔な道になっている。
道は狭いが、きっちり整理整頓された住宅街である。 -
横道
左右に横道がある。
行き止まりの袋小路になっている。 -
路地は迷路だった。
横道に入って暫くすると行き止まりだ。
気の向く儘に進むと迷子になる。 -
ランプ?
韓屋にはそれぞれの面白い飾りがあった。
夜間の照明用外灯だろうか。それにしては凝った形である。 -
窓とガスメーター
白壁と古風な木枠窓、そして全く不釣り合いなガスメーターのコラボが韓国らしい。 -
おもいっきり路地
-
門
何度も繰り返すが韓国の家屋は「門」が主役をなす。いかにも頑丈に見える。
赤色は電子錠。 -
立春大吉
ここは蝶番に特徴あり。 -
韓屋の窓はこの形態が標準だった。
-
路地です。
-
立春大吉が八の字型ではなく縦に平行して貼ってある。
初めて見た。 -
路地裏のパン屋
路地裏には思いがけずカフェ兼用のパン屋が現れる。
黄素地に赤色ハングル表記は“パン”と読める。普通のパン屋はこの“パン”看板が多い。
ベーカリーは大手チェーン店である。 -
右は韓屋、左は洋風のヴィラ
このように韓洋混合の町だった。 -
最後まで横道は行き止まりだった。
-
この路地歩きの最終場面。
Hanok・Hanok(韓屋・韓屋)が店名と思える飲食店と、路地には大きすぎる煉瓦造くりの建屋である。 -
煉瓦造りの建物は教会を思わせる。
-
教会だった。過去形。
現在は「生活文化支援センター」になっている。公共施設である。
何故、教会が公共施設に変化するのか。恐らく日本ではあり得ない。
中央情報局(KCIA)の建物がユースホステルに転用されているように、建築物が本来の用途から大きく異なる場合が多い。
極端な変貌を平然と受け入れているのが興味深い。 -
過去に教会だった横の路地はやはり行き止まりだった。
-
支援センターからメイン通りの「世宗マウル飲食文化通り」は10㍍も離れていない。そこは飲食店看板が犇めき、人々が行交う賑やかな街に変貌する。韓国美人も写真を撮っている。この景色がソウルの標準である。
秋天のソウル その7に続く
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この旅行記へのコメント (2)
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- 熟年ドラゴンさん 2025/12/30 08:21:42
- 李完用は悪い奴だったのですね。
- 日韓併合で日本は学校を作り、奴碑をなくし、インフラを整備し、産業を興し韓国の成長に貢献したので条約にサインした李完用は韓国の恩人かと思っていました。
朝鮮、韓国では常に二派が対立して優位な方が利権を独占して、汚職が横行というパターンを繰り返しているのですかね。
歴代大統領も失職するとかならず現職時代の悪事が露見し起訴されるというのも民族性なのかな。
歴史ドラマでは派閥、汚職、私利私欲、権力者の横暴が必ず描かれていますが彼らも自民族のことに自覚があるのでしょうかね?
- ソウルの旅人さん からの返信 2025/12/31 18:03:56
- Re: 李完用は最悪の売国奴だった。
- 熟年ドラゴン 様
コメントを有難うございます。今回のテーマは重要な事項になりますので真面目に真剣に返答いたします。
【日韓併合で日本は・・・・産業を興し韓国の成長に貢献した・・。】
日韓関係論において必ず述べられる「朝鮮の近代化に日本は貢献した」とのご意見ですが、残念ながら基本的前提が抜けています。
ある国を植民地化する目的はその地を収奪することであり、実際に朝鮮は植民地になって民衆は塗炭の苦しみに陥っている。つまり、日本の朝鮮近代化諸施策とされるものは朝鮮の利益のためではなく、日本の利益の為になされた行為であると云うことです。この基本的認識が抜け落ちているのが「日本は近代化に貢献した」案です。
【歴史ドラマでは派閥、汚職、・・・自覚があるのでしょうかね?】
韓ドラでは政治家・警察・財閥・検事などの汚職が赤裸々に描写されます。容赦なくです。だが、日本のテレビドラマには賄賂を貰う悪徳警官は登場しません。何故か。そんなドラマを作れないからです。汚職・権力者の横暴をそのまま描く韓国ドラマとそれを避ける日本ドラマのどちらが現実を見据えているでしょう。自民族のことに自覚がある故にこれだけの描写ができるのです。
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