2025/11/10 - 2025/11/13
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ソウルの旅人さん
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11月11日後半
観光地の北村を巡る。有名箇所は膨大な数の記事があるので同じ場所は遠慮する。よって観光客が行かない箇所を選んでみたらマニアックな編集になった。ソウルという都市への関心と韓国の歴史知識があれば少しは興味ある場面が出現するかもしれない。
タイトル写真は路地裏から見える仁王山である。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エアトリ
-
昌徳宮通り(チャンドックンギル)
宮殿西側の通りである。真っ直ぐ行けば韓国らしさを満喫出来る昌徳宮洗濯場(北村2景)になるが、従前に複数回紹介しているので、今回は別の道にする。
ここまで来るとさすがに韓服を着た観光客がちらほら混じってくる。 -
中央の大銀杏に注目
黄葉した銀杏の大木が青空に映える。
不注意なことだが、今回初めて気づいた。
ソウルは銀杏の都市である。 -
北村1景
北村通り(プッチョンギル)が昌徳宮西壁に突き合たった処である。
最初に来た時は韓国らしい景色に感激した。
これを真っ直ぐ行けば北村の中心部だが、本日はこの路からすぐ北側に向って右折し、昌徳宮と桂洞の間の路地を歩く。 -
昌徳宮と桂洞の中間にある道に入った。
-
すぐに立派な韓屋が見えて来る。
北村の詳細情報である「北村漫歩」にも記載がない。
内容不詳につきパス。 -
少し進むと普通の住宅地の様相となる。北村の範囲だが、韓屋ではない。
1980年代頃に多く建設されたヴィラ(集合住宅)であると思われる。
人の姿がない。すぐ隣の桂洞(ケドン)は観光客で溢れかえっているのだが・・・。 -
半地下の窓
それなりに格式ある住宅地のはずだが、半地下があった。パラサイトのイメージが強くて下町の貧しい住居だけあると思っていたが、一般的住居にもある。 -
半地下住居の窓
半地下という名称とその実際の姿はイメージがピッタリ重なる。日本にはないし、ヨーロッパにもないか。韓国の発明? -
道路銘板
この道は「チャンドックン3ガギル」である。 -
昌徳宮と桂洞の間は高台になっている。よって、建屋が途切れた合間からは昌徳宮が鮮やかに望まれた。
この道に来た理由。
姜英淑著『ランティング・クラブ』は桂洞の路地を舞台に物語は展開する。母と娘のどうしても解けない愛憎を厳しいタッチで描いている。その描かれた実際の舞台を見たかった。 -
韓国では標準的住宅景観だろう。
小説は桂洞の路地の雰囲気を濃厚に漂わせる中で繰り広げられる。母娘の厳しい闘争は韓国人女性らしい姿であり、リアリティ溢れる傑作である。その現場を見に来たのだが、もう少しこみ入った低層の路地を想定していたので、イメージとは異なった。 -
この道は北に向っても高くなっているので、坂道に沿って半地下の窓が見える。雨が降って道路を雨水が流れるとこの窓では確かに水が浸入してくるだろう。
『パラサイト』の大雨の場面を彷彿とさせる。 -
前述のように昌徳宮と桂洞の間は高台になっており、急な階段が随所にある。ソウルの街歩きは階段の昇降が付きものである。
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この台地には大東税務高等学校という学校が大きな敷地を占めている。
左側の壁はその学校の塀である。 -
この道の終点は税務高校と住宅の間の細い路地となる。
-
路地から見える仁王山
韓国の屋根瓦を挟んでソウルの西に聳える仁王山が間近に見える。こんな景色を見たかった。大満足。 -
今までの経路
赤→が税務高校の横道。
そこから細い路地を縫うようにして青→まで降りてきた。 -
降りてきたのは桂洞
繰り返すが、昌徳宮と桂洞の間は凸型に盛り上がっているので、それを越してきた感じである。 -
桂洞を少し北に向うと、韓屋が集中立地している場所がある。
先程のヴィラ街とは異なる様相を見せる区域である。
北村らしい韓屋の街といえる。 -
韓屋が軒を連ねる。一般の個人住宅だが、観光客用ゲストハウスもあった。
これが北村の風景か! -
韓屋に限らず韓国では住居前に植木鉢を並べてる所が多い。
鵲がこんな住宅地にも棲息している。 -
扉には“立春大吉”と“建陽多慶”が貼られている。
朝鮮王朝時代劇では屋敷の扉に貼り付けられているシーンが多く見られた。
現代ソウルでもその習俗は引き継がれているようだが、時代劇のほうが漢字が上手だ。 -
三足鴉がデザインされた韓国屋根瓦越しに西洋のお城のような尖塔が顔を覗かせている。奇異だ。
桂洞の路地から何が見えているのか? -
その正体は『冬のソナタ』の中央高校である。
正門からは尖塔らしき物体が写っている。
中央高校は数知れぬ写真が投稿されているが、前の写真のような角度から撮った写真は無いと思う。路地裏巡りのパフォーマンスだ。 -
桂洞は由緒ある古い洞であって、南端のユルゴル道にある財閥『現代』の本社(今ではONIONが相応しいか)から始まって最終北端は中央高校に突き当たる。現在の姜英淑だけではなく、20世紀前半(植民地時代)でも多くの小説の舞台になっている。私が来韓した当時は北村であっても多くの観光客を集める通りではなく、閑かな佇まいだった。現在は観光客で溢れている。
今日はそんな桂洞の中で観光地になっていない箇所を訪ねる。
『白象精舎』は扉が閉って中には入れなかった。何か独特の雰囲気をもっているのだが、もし仏教と巫堂(ムーダン)が混合した宗教施設だったら是非見たかった。 -
桂洞教会の角を東側に曲ると、すぐ左側にある。北村景観と正反対の異様な洋館である。〈DELPHIC〉と地図には記載されている。
ソウルでは最近流行りだしたそうだが、最高級のお茶が飲める専門店らしい。ここでお茶する計画だったが、同行者が「いや」というので同意し、予定変更となった。どうみても入り難い。 -
〈DELPHIC〉を奥に進むと突き当たりに大東税務高校正門がある。今までその裏側を辿ってきたが、正門に行き着いた。普通高校ではないが、税務に特化した高校であって、産業高校としては大學進学率も高く、税理士などを輩出する名門校であると解説されていた。
-
〈DELPFIC〉の真向かいが『仁村先生故居』である。
桂洞の中に特別大きな敷地を占め、大層目立っ。
仁村とはただ者ではないだろう。 -
屋敷全体
逆光の為、暗くなったが、庭木の手入れをみてもしっかり管理されているようだ。勿論、中に入ることは出来ない。
仁村は号であって、先生の本名は金性沫である。その名を聞けば知っている人も多いだろう。韓国近代史に名を残す有名人物である。早稲田に留学し、東亜日報という韓国3大紙の一つを創刊し、SKYと呼ばれる韓国3大學の一つである高麗大学を創設した人物である。
植民地時代は日本に協力的でったともされるが、ともかく長年に亘って韓国のトップ指導者であった。今でも先生と呼ばれ、それなりの扱いを受けているように見える。但し、道を歩くのが難渋するほど溢れかえっている観光客はこの門前を素通りだった。 -
白麟濟(ペク・インジェ)家屋
韓国近代史繋がりで、北村にて見逃せない場所である。
20世紀初め(1907年築)の高級韓屋。入口から豪壮さが伝わる。
仁村故居より仁村ギル(桂洞から嘉会路へ抜ける細道にこんな名前がついている。)を通り、北村のメイン通りである嘉会路を横切り、正読図書館方向の横町に入る。とたんに観光客が少なく静かになる。
但し、この家屋は白人の観光客が多く入館していた。白人女性2人組が同じ道を通った道連れだったが、この白麟濟家屋見学でも何度も遭遇した。明らかに西洋人にはオリエンタリズムを感じる場所なのだろう。 -
主人の部屋 サランチェ
『白象精舎』『仁村先生故居』は入場不可だったが、『白麟濟(ペク・インジェ)家屋』は入場無料で隅々まで公開されていた。
立派な日本語のパンフレットが用意されており、その説明では「男性専用の棟」と記されている。朝鮮王朝時代は儒教倫理にて男女が住み分ける家屋構造だった。
上流階級では1907年までも続いていたことが判る。 -
サランチェの裏側
地図をみれば一目瞭然だが、この家屋は北村の一等地の中で、広大な敷地を占める。(2,460㎡)
◎最初の建設者:韓相龍(ハンサンリョン)
漢城銀行専務だったとのことだが、知らない人物である。 -
別堂(ピョルタンチェ:離れ)
サランチェより一段高い場所にある離れ家。ここからはソウルの街並みが一望だったそうである。庭の木々は紅葉し、なんとも心和む風情である。もしソウルに棲むことが出来るなら、断然この家がよい。何億するのだろう?
◎第2の所有者:崔善益(チェ・ソンイク)
韓国近代史に必ず登場する人物である。朝鮮中央日報を経営し、民族運動家の呂運亭などと言論活動を繰り広げた。 -
ピョルタンチェよりサランチェを見下ろしている。
京都の古い寺院の紅葉写真と見紛う。
◎第3の所有者:白麟濟
家屋の名称になった人物であるが、承知しない。パンフによると韓国医術界の第一人者となっているので、日本ではさしずめ医師会会長か。
所有者を列記するといずれも韓国社会の指導者である。さもありなん。 -
台所
豪壮な建物に比して貧弱である。個人宅だったので、大家族が住まなかったか? -
中門からアンチェをみる。
アンチェとは「女性専用の棟」と記載されている。繰り返すが、20世紀初頭でも韓国の上流社会では家庭内において男女が別々の棟にて暮らしたようだ。朝鮮における儒教倫理の浸透を実感する。 -
『白麟濟家屋』の近所
立派な韓屋が残っている。この辺りは高級住宅地だったのであろう。
しかし、邪魔になるような電信柱が門前に建っているのはやはり韓国らしい。 -
尹潽善(ユン・ボソン)家屋
尹潽善は第4代韓国大統領である。李承晩大統領を引き継ぐも、朴正煕にその座を逐われ、軍事政権へと引導することになる。
この尹氏は朝鮮王朝時代から続く超名門であって、王朝崩壊後も常に権力の周辺に存在する氏族だった。この尹氏一族の親類縁者からは驚くほど多数の官僚が輩出されている。(ウィキペディア参照)韓国伝統上流階級の中でもで屈指である。
こんな氏族の居宅がある場所が北村である。地図には広い敷地が記載されている。公開されていない。 -
尹潽善家の通りは別宮通り(ピョルダンギル)と呼ばれているが、そこから一つ西側通りの感古堂通り(カムゴダンギル)に抜ける横道である。
この写真だけで”あすこだ”と声を上げる人がいるはずだ。
そう、ドラマ『トッケビ』のヒロインとトッケビの出逢う路地である。
枯れ葉舞うトッケビの路地は誰も歩いていない寂しい道だった。 -
トッケビ路より感古堂ギルに達し、右折して少し行くと徳成女子高校の正門がある。その校門左下に黒い掲示板が立てかけられている。
-
感古堂址の記念碑
ここに感古堂(カムゴダン)があったことを記す表示板である。
感古堂とは粛宗の王妃だった仁顕王妃(インニョンワンフ)が宮殿を追い出されて住んだ住宅の名前であり、後年同じ閔氏である明成皇后が住んだ。歴史に大きな足跡を刻んだ二人の女性の住居跡は貴重である。
この通りが感古堂通りと呼ばれる理由も現在では忘れられているようだが・・・。 -
2015年の同じ場所の写真
従前にアップ済みだが再掲する。
10年前は立派な石造りの記念碑だった。今年は黒いボードに変り記念碑としては目立たなくなっている。少し残念。 -
10年前は英文表記もあったのに今回はハングル表記だけになっていた。
しかし、歴史記録がその現場に記されているのは慶ぶべきことと思う。
仁顕王妃も明成皇后も、感古堂ギルの隆盛をみて悦んでいるはずだ。 -
感古堂
徳成女学校校内にあった感古堂は驪州(ヨジュ)の明成皇后の生家に移築された。
これも以前に一度アップしているが、再掲する。9年前に驪州を訪れた時の写真である。 -
驪州 感古堂の全景
立派な家屋である。ドラマではその日の食事もままならない極貧と描かれていたが、元王妃の家はそれなりの格式がある。朝鮮王朝時代の北村はこんな両班の家々が軒を連ねていた。
尹氏・白氏・仁村先生・仁顕王妃・明成皇后が生活した場所である。ここ北村は朝鮮王朝から現代まで支配者の生活する場だった。 -
徳成女子高校の校舎
門柱の隙間から撮った校舎らしき建屋である。
これが女子校に見えるだろうか。
お嬢様が通う名門女子校とのことであるが、未だ「女訓」などの儒教倫理が教えられてるいる雰囲気である。 -
ソウル工芸美術館
感古堂通りを南へ進み、ユルゴル路の信号手前に立派な美術館ができている。私の記憶では豊文女子校だったが、垣根が取り払われ開放感ある美術館に変っていた。 -
素晴らしい工芸品の数々が展示されている。主要な工芸品の写真を撮ってきたが、素人なのでその内容は判らない。説明無しの写真だけになる。
韓国伝統工芸の粋を見てください。 -
螺鈿
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豪華な螺鈿
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調度品
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箪笥?
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焼物類もあった。
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生活用品
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ヨルリン松硯緑地広場
景福宮と感古堂ギルの間は高い塀に囲まれた米軍関連施設と言われていたが、現在は広い公園になっている。訳の分らない大きな展示板があった。
この公園を横切っていく。 -
徳成女子中学校
中学校は先程の高校と感古堂ギルを挟んだ西側になる。
裏門だが、それでも雰囲気ある門だ。 -
中学校の前にある《茶》の看板が目標になるカフェ〈フードテ〉
〈DELPHIC〉ではお茶出来なかった。事前調査したここで美味しいデザートをと楽しみにしたが、何と本日休業だった。
相当、前調べをするタイプだが、今回はカフェに恵まれなかった。 -
国立現代美術館
ここに来たのは現代美術鑑賞ではない。
美術館が出来る前の施設の跡か記念碑を探すためである。 -
現代美術館敷地内にある「玉牒堂」は宗親府(官庁)の建物と記されている。王朝時代の李王家姻戚一統を担当する役所とのことであるが、こんな場所にあるとは知らなかった。しかし、これも目的物ではない。
実はここには昨年公開された『ソウルの春』の舞台になった韓国軍保安司令部があった。その司令部跡の痕跡を探したいのだが、見つける事が出来ない。 -
美術館からは景福宮の石塀・黄葉した銀杏・岩肌を露出した仁王山が望まれた。平和で穏やかな時が流れる。
50年近く前、全斗煥の粛軍クーデター時は、この銀杏並木の前に戦車が並び、鉄条網とバリケードが張り巡らされた戦闘の現場だった。その痕跡を探したかったのだが・・・・。
現在の保安司令部跡は、観光客が秋のソウルを楽しめる平和な場所になっっていた。 -
鵲が餌を探して飛び跳ねていた。
昨年12月3日、大統領が戒厳令を発布して軍隊が国会に突入した。しかし、軍人は市民に発砲することなく、平穏裡に事態は収拾して、民主的選挙が実施された。韓国の民主化が本物になっている証だろう。 -
現代美術館からは花洞の坂を上がって展望がきく高台まで来た。
何度も紹介している道で今更だが、この辺りの景観が好きである。 -
秋色ソウル
-
お昼御飯を食べ損ねた。高台のカフェにてお茶をした。
カフェからの展望 -
食べる途中の写真になって失礼
お茶は五味茶だが、レモンが入っておりレモンティと間違う味だった。
だいたい韓国の一般カフェでは私的には満足感がないことが多い。
但し、しかるべき店に行けば五味茶の伝統味を賞味出来る。仁寺洞の耕仁美術館(伝統茶院)など・・。 -
サムチョンドンホットック
何度も来た北村であるが、行きたかったが行ってない店があった。それがこのホットック店である。場所はプッチョンギルの正読図書館前を一本南に入った路地の奥である。(地図参照)屋台風の立ち食い店であるが、女店主が日本語が上手で、美味しいホットック屋として有名である。 -
ハニーバターホットック 1個 5000ウオン
噂に違わず「秋の良い天気でよかったネ。」「日本人はあんこのホットックが好きだけど、ハニバタも美味しいヨ」etc
日本語会話ができ、それが極自然な会話になっており、心が和む。店の横に床机が2卓あり、そこに座って食べる。ホットックを初めて食べた同行者も「美味しい、美味しい」と言って食べていた。
食べた後「マシッソヨ」と挨拶したら、満面の笑みを返してくれる。
北村へ行ったらここに寄ることをお奨めする。 -
その後は仁寺洞を通って鐘路3街の楽園商店街まで来た。
仁寺洞は同じく多数の投稿があるので、スルーする。
前回はこの鐘路3街で宿泊した。その時の印象を再確認する為に再訪した。
この辺りは観光客としてみれば、〈韓国らしい韓国〉と感じる街だ。しかし、韓国人からはクレームがつくかもしれない。 -
「風とともに去りぬ」の映画宣伝用絵看板がまだ掲げられていた。
絵画ではない。美術館に飾る絵画ではないが、最早芸術の域に達した絵看板である。50年以上ここで宣伝しているのか・・・。 -
今回の旅行目的からは楽園地下市場は外せない。
大都市のど真ん中で市場を地下に造るその意図が全く分からない。しかもその市場が21世紀も4分の1が過ぎようとしているにも拘わらず、市場として活き活きと活動していることが驚きである。韓国社会及び韓国人の特質がこの市場に凝集されていると思うのだが、どんなもんだろう。
これも韓国人からはクレームが付きそうだ。 -
地下市場に入る。
カメラを構えてじっくりシャッターを押す場所ではない。殆ど隠し撮りのように、出来るだけ人物が写らないように撮った。
実際の市場内は飲み食いする人々で大盛況だった。 -
韓国の市場は広蔵市場などもそうであるように物品だけを販売するのではなく、飲み食いする店舗・屋台もある。
時刻は5時頃だが、夕食客が一杯だった。(多人数箇所は撮影出来ず。)
韓国を案内する日本人ユーチュバーはこの市場を紹介することが多く、実際にここで美味しそうに飲食している。私にはその勇気はないか。 -
こんな姿である。
-
本当にこの市場は現役で機能しているのだ。
ソウルのヴァイタリティを感じる。 -
地下鉄「5号線鐘路3街5番出口」
地下市場を出て、地下鉄駅に来た。此処から3号線鐘路3街駅に行くのだが、同じ駅名の‘鐘路3街’だが、号線が異なれば大きく離れて居ることを忘れていた。さんざん苦労して3号線の駅に辿りついた。
ホテル最寄り駅「3号線乙支路3街」までは1駅である。一分位で到着。そこでもホテルとは真逆の出口に出て又長い距離を歩くはめになった。
ホテルまで地上を歩いた方がよっぽど早く着いた。 -
疲れ切ってホテルについた。
ベランダから見る夜景
時刻は6時過ぎだと思うが、乙支路ツィンタワーは殆ど全室の電灯が耿々と灯っている。夜9時頃になっても同じ様に灯っていた。このビルなら大企業の事務所だろう。韓国人サラリーマンが長時間働いている姿を見た思いだった。
現役を離れて長いのでサラリーマン時代は忘れたが、私もこんな様子だったかも・・・・。 -
夜6時半頃のベランダからの眺め。
-
足下に見える工事現場
携帯ライトを付けてクレーン車が作業を行っていた。夜遅くまで街は動いている。韓国はいまだ成長し、変化し続けているように見える。
その4 「清渓川と付岩洞」 に続く
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この旅行記へのコメント (2)
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- みちるさん 2025/12/13 19:07:33
- こんばんは
- ソウルの旅人さん、こんばんは
読み応えのあるレポートでした。
ソウルの旅人さんは、朝鮮史にお詳しいし、そして観光客の行かない裏のソウルをよくご存じですね。
地図を見ながら、歩かれてると思いますが、裏道なんて、迷いやすいのに、さすが目的の地まで到達してるのには、感心です。
イニョン王妃と明成皇后の住居の跡があるのですね。
私は、スマホの地図見ても、よくわからない人なので、たどり着くのは不可能な気がします。
ソウルの裏なんて、よくぞ紹介してくださいました。
ありがとうございます。
- ソウルの旅人さん からの返信 2025/12/14 10:47:36
- Re: 花便りが楽しみです
- みちる 様
こんにちは。ご無沙汰です。
みちる様の『花便り』を毎回楽しみに拝見しております。花を愛でる場所がこんなに沢山あるんですね。車運転を止めた為、最近は余り外出しません。居ながらにして春夏秋冬の素晴らしい花々を見る事が出来て最高です。みちる様の旅行記にて季節を感じています。
ソウル旅行記へのアナウンスをありがとう御座います。今回は特にマニアックな場所を選んでおり、友人からは「これでは付いていけん。面白くない。」と叱られております。仁顕王妃と明成皇后の感古堂は北村メイン通りの徳成女学校の正門ですから判りやすいです。地図を読まなくてもたどりつけるはずです。驪州にある移築された感古堂は明成皇后の生まれた家の横ですから、やはり有名場所です。驪州駅からタクシーで容易に行けます。次回ソウルにいらっしゃった折には是非お訪ねください。
この後も少しマニアックな旅行記になっておりますが、後半も読んで頂ければ幸いです。
ソウルの旅人
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