2025/09/21 - 2025/09/21
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かくちゃんさん
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この旅行記のスケジュール
2025/09/21
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濃尾大橋
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美濃路大垣宿
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十六日目。
少し秋らしくなって来たとはいえ日中の暑さはまだ夏。この残暑を避けるため、午前六時三十分に起児童公園を出発。木曽川に架かる濃尾大橋を渡り、昭和初期に完成した正木の本堤、金刀比羅神社の脇道を経由して美濃路へ。不破一色一里塚を通過し、名鉄須賀駅の踏切を越え、及川に架かる及が橋を渡ると新田開発で旧道がなくなってしまった美濃路と分かれ、白山神社からは県道へ。日差しを遮るものがない田園地帯に真っすぐ伸びた県道を進んだ後、再び現れた美濃路に入り、古代中世の木曽川の本流で鎌倉街道だったという境川の堤へ。東小熊一里塚を通過し、小熊川の渡しの手前の駐車場で小休止。
体操し、給水した後、長良川に架かる長良大橋を渡り、墨俣宿へ。美濃路を外れ、犀川に沿って北上し、太閤出世橋を渡って墨俣一夜城の脇を通り、脇本陣から再び美濃路に戻り、東結一里塚を通過して、Roam Couchの壁画を見て、揖斐川に架かる新揖斐川橋を渡り、三塚一里塚を経て東門から大垣城へ。天守閣を仰ぎ見た後、美濃路に戻り、大垣宿本陣を経て、水門川の川岸に下り船町湊を見て、杭瀬川を渡り塩田湊を通過。久徳一里塚、南宮大社への近道との分岐点、綾戸一里塚、松並木、垂井追分を経て中山道に入り、垂井宿に到着。垂井駅まで進み、今日はここで止まることとする。本日の走行距離、七里七町也。
垂井駅改札口の外にあるトイレで着替えた後、2~3分ほど歩いて「いっしょう」さんで生ビールの大ジョッキと味噌かつ定食をいただき十六日目を締めくくったのでした。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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濃尾大橋から見た木曽川
日の出から1時間ほど経った雨上がりの景色。川ではなく湖のような景観です。
ここを渡ると岐阜県に入ります。 -
美濃路不破一色一里塚
正木小学校の敷地内にあります。 -
名鉄竹鼻線須賀駅
旧街道と鉄道の交差点には駅が設置されていることが珍しくないのですが、美濃路には全くなく、私が道を間違えていないという前提にはなりますが、須賀駅が唯一の美濃路と鉄道との交差点にある駅となります。ちょうど新羽島行の電車が駅に到着していました。また、ここにはかつて立場があったのだそうです。須賀駅 駅
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美濃路東小熊一里塚
この辺りの美濃路は堤の上を通っており、鎌倉街道時代からここを通っていたのだそうです。堤の下を流れる川は天正時代(16世紀後半)の大洪水までは木曽川だったそうで、洪水後は尾張川、小熊川、境川と名前を変え現在に至っています。一里塚の痕跡はありませんが、跡地には三角形の立派な石碑が建っています。 -
長良大橋
少し湾曲の入った曲弦ワーレントラス橋で道路・鉄道併用橋として竣工したのだそうですが、実際に鉄道が通ることはありませんでした。今は鉄道専用橋になっている、道路・鉄道併用橋だった頃の犬山橋に雰囲気が似ています。
昭和恐慌の失業対策として建設が始まったのだそうです。理由が意外ですよね。 -
長良大橋から見た長良川
朝の澄んだ空気の中、川面に緑が映えています。中央左には墨俣一夜城が見えます。 -
美濃路 6番目の宿場町 墨俣(すのまた)宿
墨俣は、鉄道が開通するまでは長良川の渡船場を有する交通の要衝として栄えた町で、鎌倉街道時代から宿場町として機能していたのだそうです。 -
墨俣一夜城
後に秀吉となる木下藤吉郎が、信長の美濃攻めの足掛かりにするため一夜で築いたと伝わる墨俣一夜城。実際には天守はなく、天正の大洪水(16世紀後半)で木曽三川の流れが変わり墨俣の戦略上の重要性が失われると城として使用されなくなったのだそうです。天守は平成に入り大垣城を模した歴史資料館として建てられています。墨俣一夜城 美術館・博物館
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墨俣宿脇本陣
この辺りも明治24年(1891年)の濃尾地震の影響で建物のほとんどが失われており、この脇本陣の建物も地震後に脇本陣時代とほぼ同様の構造で再建されたものなのだそうです。美濃路 墨俣宿脇本陣 名所・史跡
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美濃路東結一里塚
かつてはこの辺りから揖斐川の岸近くまで松並木があり、その松は「いがみしゃしゃくれ」といって曲がりくねっていたのだそうです。 -
Roam Couch(ロームカウチ)の壁画
地元、安八(あんぱち)町出身のストリートアーティストRoam Couchさん(本名、小川亮さん)の作品で水防倉庫の側面に描かれています。この辺りには、ここ以外にもRoam Couchさんの壁画が何枚かあるようです。美濃路の旅人にも見てもらえるよう一枚描いたんでしょうかね。 -
新揖斐川橋から見た揖斐川
写真では見にくいですが、3人の釣り人が川に入り釣り糸を垂れています。 -
美濃路三塚一里塚
痕跡はありませんが、東小学校の近くに石碑が建っています。 -
大垣城
関ケ原の戦いで西軍の本拠となった大垣城は、昭和11年(1936年)には国宝にも指定されていましたが、戦災で焼失。現在の天守は昭和34年(1959年)に再建されたものです。大垣城 名所・史跡
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美濃路 7番目の宿場町 大垣宿
写真は本陣跡に建てられた資料館。昭和の時代までは表門が残っていたのだそうです。 -
船町湊
写真は復元された湊。大垣城下と桑名を結ぶ運河「水門川」の川湊で灯台も備えた立派な湊だったそうです。船町港跡 名所・史跡
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美濃路久徳一里塚
旧道沿いに南側だけ塚の原形がとどめられています。 -
南宮大社への近道の碑
手前の石碑には「従是南宮社近道」と彫られ、奥の石碑には左右ではなく「←大垣岐阜 →垂井京都」と彫られています。記載の仕方からして徳川の御代ではなく明治以降に建てられた石碑と思われます。 -
美濃路綾戸一里塚があったと思われる場所周辺
特に石碑や案内板はありませんが、六社神社の付近にあったと推測されます。 -
美濃路松並木
美濃路に唯一残る松並木で、沿道の皆さんが清掃や松が枯れると植え替えるなどして景観を守ってくれているのだそうです。 -
垂井追分
中山道と美濃路の分岐点で、写真の道標は宝永六年(1709年)に建てられ、中山道にある道標の中では七番目に古いものなのだそうです。垂井追分道標 名所・史跡
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垂井駅
暑かったですが湿気が少なかったので何とかここまでたどり着きました。垂井駅 駅
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いっしょう
垂井駅北口から徒歩2~3分くらいの場所にあります。日曜日の11時10分頃に伺いましたがすでに先客が1組(2名)おり、退店した11時40分頃には先客と私のほかに4組12人のお客さんがいました。人気店のようですが、人手不足のようで、10月以降は昼の営業日が減る旨の張り紙が玄関に貼ってありました。いっしょう 垂井本店 グルメ・レストラン
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味噌かつ定食
走った後に揚げ物はキツイかなと思いつつ注文したものの、これがとにかくうまい!サクサクの食感で疲れた胃腸でもパクパク食べられました。いい油を使い、衣に工夫がされているのでしょうか。どうりで人気があるはずです。汗を拭き拭き生ビールを飲みながらいただきました。
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