2025/06/16 - 2025/06/28
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mirilinさん
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この旅行記のスケジュール
2025/06/24
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ナンシー駅
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ソリュプト地区
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フェリックスフォール通り
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この旅行記スケジュールを元に
遂に、遂に、遂に行ってきました。アルザスへ一人で。
いや、いつも一人旅されている方は「何を大騒ぎしてるの?」だとは思うんですが、これ40年を超える私の夢だったんです。生まれた時からだから(苦笑)
20代になったばかりの頃、木組みの家が並ぶドイツやアルザスの田舎町に憧れ、よくあるロマンチック街道ツアーに参加したものの、自分の意志と違う動きもしなければならないツアー旅は、どこか消化不良で…。そんな時、ヨーロッパを一人旅する女性の指南書のような本を読んで、「絶対私も一人で可愛い街巡りに行く!」と心に決め、英会話教室に行ったりして準備をしたものの、一人で旅立つ勇気がもう一つなかったので実行できず、結局友人や夫と旅していました。結果、旅行先もいつの間にかアルザスではなくなり…。
そうこうしているうちに、結構歳を重ねてしまい、そろそろ個人旅行もキツイかな~と思いだし、ハタと気づきました。
私の海外旅行の原点、夢は何だったのか…コロンバージュ(木組みの家)の家々が並ぶ可愛い街を、一人で自由に旅したかったんじゃないのと。
そして一念発起、ポイ活で貯めたANAマイルで1年前からビジネスクラスを確保(結構苦労しました 笑)、1年かけてプランを練り旅立ちました。
私の生涯の夢を神様も応援してくれたのか、アルザス滞在中はずーっと快晴。アルザスの碧い空の下、青々と輝くぶどう畑や、お花が溢れる木組みの家並みを歩きまわるという夢が叶いました。
12日間も家を留守にして一人で遊びに行くのは、相方に申し訳ない思いもありましたが、快く?送り出してくれたことに感謝しつつ、20代のあの頃の心で過ごした10泊12日。その感動の日々をここで振り返りたいと思います。もちろん、アクシデントもありましたし、例のとおりいっぱい歩いたことは言うまでもありません(笑)
*** 9日目 ナンシー ***
この旅行記は、その9日目(日程表★マーク)。アルザスをちょっと離れ、ロレーヌ地方のナンシーへ日帰りで行ってきた1日です。
なんでわざわざナンシーへ?と思う方もいらっしゃると思いますが、ナンシーはアール・ヌーヴォーの聖地ともいわれる街で、「ナンシー派」発祥の地。アール・ヌーヴォー大好きな私には、行かねばならない地の1つなのです。その地がストラスブールから列車で1時間半足らずで行けることに気づき、これは素通りできぬと急遽予定に組み入れました。
実際訪れたナンシーの街は、予想以上に街中にアール・ヌーヴォーの建物、装飾が溢れ、私には天国のような街でした。
あっちの家、こっちの門、向こうの窓とウロウロしすぎて、またしても歩きすぎの1日になったのは言うまでもありません。
そしてこの日は、初日にお世話になったストラスブール在住の女性の家にお呼ばれし、手作りの夕食をご馳走になりました。
とても楽しい夜を過ごし、フランス最後の夜は思い出深い夜になりました。
これはその前編、駅の西側のアール・ヌーヴォーやアール・デコの邸宅が並ぶお屋敷街や、建売住宅街など、マニアックな場所を中心に歩いた様子です。
実は、火曜日がナンシー派の作品の宝庫である「ナンシー派美術館」と「マジョレル邸」の休館日に当たることを知り、激しく落ち込んでいたのですが、趣向を凝らした家が並ぶ邸宅街を堪能できたので、良しとしました。
でも、絶対リベンジします!
【19,249歩】
*** 日 程 ***
6/16(月) 羽田 21:40発→
6/17(火)フランクフルト→ストラスブール→オベルネ→ミッテルベルクハイム→キエンツハイム→イッターズヴィル→ダンヴァッハ・ラ・ヴィレ→ニーデルモルシュヴィル→コルマール
6/18(水)コルマール
6/19(木)コルマール→エギスハイム
6/20(金)エギスハイム→(セレスタ)→ベルクハイム→カイゼルベルク→コルマール
6/21(土)コルマール→リボービレ→ユナヴィル→リクヴィル→コルマール
6/22(日) コルマール→トゥルクハイム→オー・ケーニグスブール城→コルマール
6/23(月)コルマール→ストラスブール
★6/24(火)ストラスブール→ナンシー→ストラスブール
6/25(水)ストラスブール→フランクフルト→ダルムシュタット→フランクフルト
6/26(木)フランクフルト→バッハラッハ→フランクフルト
6/27(金) フランクフルト発→
6/28(土)羽田着 8:10着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
おはようございます!
朝食無しで予約をしたかったのですが、なぜか予約サイトでは、朝食込みのプランしか無かったんで、ホテルでの朝食です。でも、ここの朝食、評判は良かったので、ちょっと楽しみにしていました。Hotel Arok ホテル
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たしかに、ハムやチーズの種類も多く、ホットミールもいくつかあって、なかなか優れものの朝食でした。
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今日はナンシーまで行くので、朝6:30の朝食です。
さすがに、一番乗りでした。 -
8:19発のナンシー行きに乗ります。
5番ホームと表示されていますね。今日の目的地ナンシーは終点なんで安心です。ストラスブール駅 駅
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昨日来た時には気づきませんでしたが、ホームの装飾も素敵です。
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列車はのどかな景色の中、ナンシーに向け走ります。
ストラスブールからナンシーは、6駅、1時間26分。ちょうどいい列車旅です。
ここでも「CARTE FLUO」が大活躍。乗車券が半額になるので、このストラスブールとナンシーの往復だけで、「CARTE FLUO」の購入代20ユーロの元が取れちゃうのです。
ストラスブールからナンシーまでは往復64.6ユーロ。でも「CARTE FLUO」を使えば半額の32.3ユーロですから「CARTE FLUO」の購入代20ユーロを加えても52.3ユーロで、普通に買うより12.3ユーロもお得なわけです。これに加えて今までの村巡りのバスや、コルマールからセレスタやストラスブールまでの列車も半額になるので、めっちゃお得です。 -
定刻9:48にナンシーに到着。駅前広場は広く駅舎も堂々とした感じです。
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ハイ、ありました~。ナンシーマーク(笑)
文字の前に金属の曲線のオブジェがあるのは、アール・ヌーヴォーの聖地だから?と思うのは私のようなアール・ヌーヴォーオタクだけでしょうか(笑) -
早速アール・ヌーヴォーの聖地に突撃です。
駅前広場を渡ったところにあるバス停でバスの1日券を購入し、T4のバスで「ソリュプト地区」へ向かいます。
15分足らずで最寄りのバス停「Parc de Saurupt」に到着です。
この「ソリュプト地区」は、このあたりの地主だった「ジュル・ヴィラール」が、1901年にアール・ヌーヴォーの街づくりを計画した区画で、ナンシー派の建築家「エミール・アンドレ」を中心に、当初は100戸の建設が計画されたそうです。しかしながら、実際建築されたのは6戸のみとなり、計画は失敗に終わったそうです。残念!
この手の話、バルセロナのグエル公園でもガウディの住宅地開発失敗として聞いたような…。 -
バス通りに面して建っているのは、「アンリ・エマニュエル・ラング邸」。歩き出しのトップバッターに相応しいインパクトある造形です。(これに惑わされて、当初計画したコースと違った回り方をしてしまい、見落としを起こすことをこの時は知りません。ひたすらハイテンションになってます)
1 Bd Georges Clemenceau -
「ラング邸」は「ルシアン・ヴァイゼンブルガー」が1905年に建てた邸宅です。
アール・ヌーヴォーの特徴でもある曲線はあまりみられず直線的なんですが、門塀や窓格子などのアイアンはしっかりアール・ヌーヴォーしてます。
見る角度によって、いろいろな表情を見せてくれる家で、この地区を1周回って戻ってきたときに、この家の逆サイドなのに他の家だと思って写真撮っちゃったくらいです(;'∀') -
そして道の先を見ると、次なる美しい家が!
出発前にグーグルマップで見学コースを考えておいたのに、家に呼ばれて歩いちゃったので、もうすっかりコースを逸脱してます(笑)
この家は「マルグリット邸」。1903~1905年に「アンリ・グットン」と「ジョセフ・オルネッカー」によって設計された邸宅です。
3 Rue Colonel Renard -
この家も見る角度によって全く違う雰囲気になります。
どこが正面なんでしょうか。中はどんな感じなんでしょうね?
にしても大邸宅ですわ。 -
この半円型の出窓と、繊細なデザインが美しいアイアン窓格子が特に気に入りました。
この家は三叉路の交差する位置にあるので、次にどの道に行ったらいいのか既に分からなくなりましたが、いま歩いてきた「コロネル・ルナール通り」の先に、また気になる家が見えるんで、そっちに行くことにしました。考えてきた計画は完全に亡き者となっております。 -
「コロネル・ルナール通り」を進むと次に現れるのが、輪をかけて大きな敷地を占有する「ロッシュ邸」。
1902年から1904年に「エミール・アンドレ」が自邸として自ら設計し、建築した豪邸です。大きいわけです。
屋根の下に描かれたかカラフルな絵と、荒削りな臼石積みが目を引きます。 -
門柱についている陶器の花飾りは、ビランクールの陶芸家、「ジャンティル」と「ブルデ」が作ったものだそうです。て、全く存じ上げない方ですが、翻訳機ですから、名前の読み方とかは怪しいです。有名な陶芸家の作品ってことで…。
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玄関周りもとても可愛らしく作られています。
アップにして見ていただくとわかるかと思うのですが、玄関扉を飾るアイアンがとても魅力的なんです。 -
この「ロッシュ邸」は、三叉路の角地に建っているのですが、通りを曲がると何ともあっさりした感じになっています。屋根下の絵もないですし…
でも、窓の大きさが違っていたり、段違いになっていたり、大きな半円形の窓があったりとアール・ヌーヴォーテイストは忘れていませんね。 -
家の壁角に「エミール・アンドレ」の署名と建築年が刻まれていました。
手前に木々がいっぱい茂り、銘板をすべて画角に入れることも難しかったのに、それを塀の隙間から写すという芸当だったので、ピントを合わせきれず…諦めました。
美しい緑と共にお楽しみください(笑) -
「コロネル・ルナール通り」の突き当りにあるのが「グリシーヌ邸 藤の館」で、この地区で一番有名な邸宅です。
この家は、1902年に「エミール・アンドレ」が家族付き合いをしていたワイン商「シャルル・フェルンバッハ」のために設計した邸宅だそうです。
可愛らしい雰囲気がありますよが、とにかく家の周りの生垣?が鬱蒼としすぎて、全容が全く見えず…。1階の窓がとても素敵だと聞いていたのですが…。
邸宅巡りあるあるです。 -
門柱には「Villa Les Glycines」と刻まれています。
門もちょっとエキゾチックな雰囲気ですが、凝ったアイアンです。 -
「エミール・アンドレ」の建築には、チューリップの意匠がどこかに使用されているそうなんですが、この家もベランダの鉄柵や玄関のデコレーションがチューリップですね。
「藤の館」のテイストは残念ながら見当たりませんでした。季節になったら藤の花が咲いたりするのかしら? -
この地区のアール・ヌーヴォー建築は、このようなプレートが付いています。
アール・ヌーヴォーの家を巡っていると、今も普通に暮らしている方がいるのにいいのかな…と恐縮しながら写真撮っていますが、とりあえずここは市のお墨付きで観光ルートになっているので、ちょっと安心です。
この「グリシーヌ邸」は他の邸宅にはない歴史的建造物のマークも付いているぐらいなんですから、もうちょっと観易く手入れしてくれるとありがたいんですけどね…。 -
これは「マレシャル・ジェラール通り」で見かけた美しい装飾の家。
じつは、方向を見失い、目くらめっぽうこの地区を歩いていて見かけた家なのですが、なんと、1925年から1926年に建築家「チャールズ・マッソン」が自宅兼事務所として建てた家でした。
アール・デコ様式の家ですが、美しい建物なら「デコ」でも「ヌーヴォー」でも好きなのです。
8 Rue Maréchal Gérard -
この辺りの家は、門のデザインが凝っています。
上の写真は、建築家「チャールズ・マッソン」の自邸の門なので、コンパスと金槌とL型定規がデザインされています。
そして下の写真は可愛い鳥。ここのオーナーは愛鳥家だということがわかりますね。 -
「マレシャル・ジェラール通り」で一番気になったのが角に建つこのお宅。愛鳥家と思しき方のお宅です。
ここは、1925年に「チャールズ・マッソン」が義父「ヘンリー・デ・シャッケン」のために建てた家で、「Villa Des Colombes 鳩の館」です。
これもアール・デコ建築ですが、おとぎの国の家みたいですよね。
10 Rue Général Clinchant -
お義父様は、よほど鳩が好きだったのでしょうか?
2階ベランダの鉄柵も鳩さん柄。とんがり屋根の下も鳩さんのモザイク、壁についているレリーフも鳩さんです。
徹底した鳩モチーフですね。 -
玄関周りには「Villa Des Colombes」という舘の名前と建築年「1925」、そして建築家の名前「C.MASON」と刻まれているのが見えます。
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「マレシャル・ジェラール通り」には、まだまだ気になる家が並んでいるのですが、この辺で方向を変えて違う通りに行ってみます。
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「マレシャル・ジェラール通り」と「鳩の館」の角で交差する「ジェネラル・クランシャン通り」から南の区画には、小さな家がぎっしりと並んでいます。
これは、開発当初の豪邸建設による住宅街開発に失敗したのち、富裕層以外も住めるように計画を変更し、テラスハウス建築に方向転換した結果だそうです。 -
とはいえ、並ぶ家は小さな家ですが、各家々は窓周りや玄関周りなど趣向を凝らしていました。
「ジェネラル・クランシャン通り」を東に向かって歩く、とロータリに突き当たるのですが、そのロータリに面して大きな舘が現れます。 -
逆光を避けて写真を撮ったら、真ん中に街灯が入っちゃいました。かつ、これまた生い茂る街路樹や庭木で建物の全容の写真も撮れません。
真冬に来るといいのかしら…?
この家は先ほどから何度か登場した建築家「チャールズ・マッソン」が、自分のためにアールデコ様式で1923年から1924年にかけて建てた「Villa Les Cigognes コウノトリの館」です。
27 Rue Général Clinchant -
順光サイドで写真を撮ると、こんな感じの家です。これまた角度によって雰囲気違いますね。
「チャールズ・マッソン」はこの地区の開発失敗後、新に進められたアール・デコプロジェクトの主任建築家なのだそうです。 -
アール・デコプロジェクトではありますが、切石、煉瓦、漆喰仕上げの乱積石、鉄細工、ステンドグラスといった素材の併用は、1901年のこの地区の開発時に取り入れたアール・ヌーヴォー建築の影響もあると言われています。
この門なんて、最初の開発計画に携わった「エミール・アンドレ」のトレードマークであるチューリップの意匠が使われているように見えます。 -
あっちに行ったり、こっちに戻ったり、向こうに行ったり、戻ったりとウロウロしているうちに、当初の予定の建物を全部見たのかもわからなくなり、頭を整理するためにどこかに座りたくても、完全な住宅街なのでカフェなんてありません。
足も疲れてきたので、たぶん全部見たよねとこの地区を離れることにしました。
バス停への道すがらも、名も無き?家でも美しいので、ついつい写真を撮っちゃいます。 -
並ぶ家がそれぞれ個性的で、楽しいですね~
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ソリュプト地区にはもう一つ「Loge de concierge du Parc Saurupt 公園管理人用ロッジ」という、1902年の臼石造りの小屋があるのですが、最初の歩き出しから間違え、方向感覚を失って歩いていたので、すっかり勘違いをして、この家がその建物かと思ってしまいました。臼石造りではないけど、改装しちゃったのね…とか都合のいいこと考えて(笑)でも大間違いで、別方向にちゃんと存在していたようです。←アホ・バカ・間抜け
「公園管理人用ロッジ」は、この地区を高級住宅街として、門で囲み、管理人が守るためのものでした。当時は「ルイ・マジョレル」作の蝶型の門も付いていたそうです。知らぬが仏、帰国後それに気づいたアホな私です。 -
ここは、ソリュプト地区のバス停から3分ほどのところにある、ナンシー派会長「エミール・ガレ」の装飾工房です。
1894 年に「エミール・ガレ」によってアール・ヌーボー様式で建てられたもので、家具組み立て工房とクリスタル工場でした。ファサードは1912年に建築家「アントワーヌ・ガレ」により改修されたそうですが、ファサード、屋根、構造要素は歴史的建造物に指定されています。 -
トラム「T1」に乗り6分で、ナンシー駅前に戻ってきました。歩いても20分くらいなんですが、体力温存しました。
ここでランチを兼ねて、有名なアール・ヌーヴォー建築のレストランに行こうと思います。 -
それはここ「Brasserie L'Excelsior ブラッスリ―・エクセルシオール」です。
1911年にヴェゼリーズ出身の醸造家「ルイ・モロー」が開業したこのブラッスリーは、「ルイ・マジョレル」による家具や、「ドーム Daum 兄弟」によるシャンデリアやランプなど、豪華なナンシー派(エコール・ド・ナンシー)の芸術家たちが内装を手がけたアール・ヌーヴォー建築の傑作と言われています。ブラッスリー・エクセルシオール フレンチ
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予約なしで大丈夫かしらと思ったのですが、11:30はガラガラ。まだいろいろ準備していました。
でも、お客さんが少ないので写真は撮りやすくて助かりました。
窓ガラスの装飾は、ガラス職人「ジャック・グルーバー」によるものだそうですが、当時の典型的な自然主義的なテーマである松、イチョウ、シダなどの葉で彩られていて、とても素敵です。
写真の右端に映っている回転扉も雰囲気いいんですが、使われていませんでした。 -
どうですか、このゴージャスな雰囲気。たまりません。
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特に、天井や梁に飾られたシダの装飾が、なかなかインパクトありますよね。彫刻家「ガレティエ」と「ビュルタン」によるものだそうです。
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そしてここで注文したのはこちら。キッシュロレーヌです。せっかくロレーヌ地方に来たんですし。
こんなゴージャスな老舗なので、お高いかしらと思ったら、私でも手の出せるお値段。新鮮なサラダが付いて10.9ユーロでした。そしてお味もとても美味しく、これまで食べたキッシュは何だったんだろうと思ってしまうほどでした。 -
こちらが「ブラッスリ―・エクセルシオール」の外観です。
建築家「リュシアン・ヴァイセンブルグ」と「アレクサンドル・ミエンヴィル」が設計した典型的なアール・ヌーヴォー様式の外観と言われています。
遠目ではあまり特別感を感じなかったのですが、近くで見ると凝った装飾が施されていました。 -
しばしベル・エポックの世界に浸った後は、再び街歩きです。
今度は駅前から11番のバスに乗り、「ナンシー派美術館」地区へ行きます。
最初にも書いたとおり、今日火曜日は「ナンシー派美術館」は休館日。オーマイゴット!パリに行ってルーブル美術館がお休みって感じです。おまけに近くにあるアール・ヌーヴォー建築の象徴と言われる「マジョレル邸」も一緒に休館。エッフェル塔が修復中みたいなもんです。
じゃ、何で行くの?って感じですが、「ナンシー派美術館」から3分ほどのところにあるアール・ヌーヴォー建築の密集地区に行こうと思っているのです。
硬く扉の閉ざされたナンシー派美術館…。ナンシー派美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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未練たらしく、門の隙間から中を覗いてみました。
綺麗な扉…あの中に入りたかった!
と、扉についてる美しい女性の絵が「またね~」と冷たくこちらを見ているように思えました。←被害妄想 -
ナンシー派美術館の近くにこんな地図がありました。
観光コースを色分けして表示しています。
さすがアール・ヌーヴォーの聖地だけあって、アール・ヌーヴォーコースもあります。アール・ヌーヴォーコースは、道にあるイチョウのマークに従って歩くといいみたいです。 -
そしてここが目的の「フェリックス・フォール通り」
アール・ヌーヴォーの異端児と言われる「セザール・パン」設計の分譲住宅を中心に、400mほどの道の両側にアール・ヌーヴォーやアール・デコの家がズラーッと並んでいます。
アール・ヌーヴォー好きなら、ここ歩くだけで、ご飯3杯いけそうです。 -
まずは、ワイルドな砂岩造りの家「ヴィラ・エレナ」。1903年に「セザール・パン」が自宅として建てた家です。
切妻屋根の張り出しや、窓の上の鍵盤みたいな飾りが可愛いですが、砂岩を壁に使うというのは珍しいですよね。
「セザール・パン」は、多様なスタイル、装飾、素材を駆使し、常に一軒一軒異なるファサード装飾を施すことを特徴としている人なので、こういったデザインも個性なんでしょう。
ちなみに、大きな家に見えますが2軒の家の集合体で、よく見ると、2軒の家はそれぞれ異なる構造と装飾のディテールが散りばめられていて、それぞれ独自の個性を生み出しています。同じ砂岩でも加工の仕方を変えてますからね。
自宅にしたのは左側10番地の緑の鍵盤がある方の家です。 -
切妻屋根の下、ペデイメント部分に陶器の花の飾りがついている辺りも、しゃれてます。
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そして、この建物がこの通りで一番美しい「Ensemble des clématites クレマチス(あけび)の集合体」とフランス語のパンフレットに書かれている集合住宅です。「セザール・パン」は4つの家を建てているという印象を与えず、2つの家を建てているという印象を与えようとしたそうです。
私もすっかり騙されました。この写真の家が一軒の家だと思ったのですが、左隣の石造りの家も含めて4軒の集合住宅だったのです。「セザール・パン」は、石造りの家と大きな華やかな家の2軒という印象にしたというわけで、まんまとひっかかったわけです。
たしかに、建物に近づくと、左から1904年、1906年、1907年、1909年とプレートが付いていました。最初の家(一番左の石の家)の建設から最後の家(一番右)の建設まで5年を費やしたにもかかわらず、一貫性のあるデザインで作り上げている辺りは驚きです。 -
これが1904年に、この集合体の中では一番最初に建てられた家です。まさか集合体をなす家だとは思はず、この家だけ別撮りしちゃってます(笑)
荒削りな砂岩がむき出しのこのデザインは、最初に紹介した「ヴィラ・エレナ」とそっくりです。ただ、「ヴィラ・エレナ」よりも、ファサードの切妻屋根の張り出しが無いなど、ファサードの装飾が少な目なのですが、これは後から建てる隣の3軒のファサードの美しさ、特に中心の家のファサードを際立たせるためだそうです。
最初から完成後のことを考えて建てたのはすごいですが、なぜこの家も同じデザインにして一軒の豪邸に見せなかったのか、凡庸な私にはわかりません。 -
こちらは2番目、1906年に建てられた家です。
この家の壁にはあけびの実の絵が描かれています。この集合住宅の名「クレマチス=あけび」が描かれているわけですね。 -
これが3番目1907年建築の家。この集合住宅を一軒の豪邸に見せる核となる家です。その核となっているのが、張り出した切妻屋根とその周囲の華やかな装飾です。これを軸に両隣の対称性を錯覚させられ、水平方向の構成要素に規則性を持たせる全体的な構成により、見事に騙されてしまいました。
-
右側のこの家が1909年に最後に建てられた家。壁には赤いあけびの花の絵があり、左側の家のあけびの実としっかり関連性を持たせています。
赤いお花をベランダに飾る辺りは、今の住人も雰囲気づくりに気遣いされてますね。鉄柵も素敵です。 -
この通りの家には、それぞれ家の名前が付いていて、きれいにデザインされたプレートが付いています。壁に直接書かれていたり刻まれている家もありますが。
もちろん建築家の名前と建築年のプレートもあります。 -
この家は1904年に「エミール・アンドレ」が塗装業者ラメル氏のために建てた「ラメル邸」です。
「エミール・アンドレ」と言えば、先ほどのソリュプト地区で豪邸をいくつも建てていた方ですが、この家は彼の建てた家の中では一番小さいそうです。予算の関係で、安価な部材を上手に利用し、コストのかかる複雑な構造は一切施さないシンプルなデザインにしているそうです。そんな中でも美しい花の装飾を加えるなどして、優雅さを保っているそうです。 -
この2軒の家も、「セザール・パン」お得意の、張り出した切妻屋根、鍵盤のような窓周りの飾り、むき出しの砂岩などが駆使されています。
それでいて、微妙にデザインを変えて、それぞれに個性を持たせているところは、彼のデザインの引き出しの多さを感じます。
右は1910年に建てられた「イルマ邸」、左は1911年に建てられた家で、館の名前はわかりませんでした。 -
この石造りの家は、「エミール・アンドレ」が1903年に建てた「グロジャン博士の家」です。
この家の門や塀そして家の外観、どこかで見たような…。と思ったら、先ほどソリュプト地区で見た彼の手掛けた家「グリシーヌ邸」と「ロッシュ邸」によく似ているのです。チューリップをデザインしている門や塀は「グリシーヌ邸」、石の外壁と段違いの窓は「ロッシュ邸」です。
こちらの方が1年遅く手掛けているようですので、ソリュプト地区の家のいいとこを取ってコンパクトにまとめたって感じなんでしょうか?
パンフレットには「ナンシー派運動の最も代表的な建築物」と書かれています。 -
この通りの家も、玄関周りは綺麗に飾られている家ばかりでした。
-
もちろん、私の大好きなバルコニーの手すりも、素敵なものばかり。
多分その写真だけで写真集出来ちゃいそうです。 -
この家を建てた方は、「セザール・パン」でも「エミール・アンドレ」でもないようですが、とにかくこのバルコニーのアイアンワークの美しさに惚れました。
1904年に「A.Barbier」さんが手掛けたお宅みたいです。 -
この家も、豪邸に見せての3軒の集合住宅ですね。セザールさん、もう騙されませんよ(笑)
右側の装飾がブルー系の家は1911年に建てられた「Villa Marie Alice」、真ん中の黄色い花の絵で飾られた一番華やかな家が1910年に建てられた「LES CAPUCINES=キンレンカの家」、一番左は…不明です。藤の花に覆われてボードが見えませんでした。 -
真ん中のキンレンカの家は屋根の下に鮮やかなキンレンカが描かれていてとても綺麗です。
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この重厚な石造りの2軒は「ダンセルム邸」で、ダンセルム氏は、1910年に「セザール・パン」に左側の家の設計を依頼し、1925年に「アンリ・ヴィアル」に右側の家の設計を依頼したそうです。2つの家のファサードを見ると、この依頼主の石造りへのこだわりがわかります。
ファサードにアール・ヌーヴォー建築で用いられていた、バルコニーが上に設けられた出窓を作り、装飾も古典的な様式にするなど、こだわりを見せています。 -
「フェリックス・フォール通り」散策も終盤、西の端に近づいたころに現れたこのお宅は、アール・ヌーヴォーのテイスト満載の家です。残念ながら、建築年、設計者は不明です。
華やかなアイアンづくりの門と塀、各階ごとに大きさの異なる窓、ステンドグラス、そして一番目を引くのはキノコ型にくりぬかれたベランダ…。マニアックなことを言えば、屋上の2つの三角屋根についている飾りもそれぞれ違っていて、こだわりが嬉しいです。 -
中央の窓の周りや、玄関を飾る漆喰もなかなか素敵です。
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「フェリックス・フォール通り」を踏破したので、再びバスで旧市街へ戻ります。
住宅街のバス停なので、他に待っている人も無く、時刻表記載の時間になってもバスが来なくて不安でしたが、10分遅れでバスはやってきました。
バス停に走ってきた青年に、「バスはもう行っちゃった?」ってフランス語で聞かれたのですが(多分)、なぜかそう聞いているなと分かり、「まだよ」と英語で答えていたら、直後にバスがやってきました。青年は満面の笑みで「メルシー」と私に言ってくれたのですが、私がバスを引き留めておいたわけではないのにね。
でも、とても幸せな気分でこの住宅街を後にしました。彼の言っている意味が分かったってことは…いつのまにかフランス人になったのか私?←暑さでやられてます
旧市街の歩き倒しの様子は次の旅行記で~
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この旅行記へのコメント (1)
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- フィーコさん 2025/09/10 09:13:53
- いいね!10個あげたい
- おはよー
ナンシーへ行ったら
「ナンシー派美術館」が開いていても街歩きしてみたい旅行記でした
(自分で建物由来を調べなくても
mirilinさんが記載してくれてるからー笑)
次も楽しみにしていますね
フィーコ
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