2024/07/06 - 2024/07/14
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2024年の7月6日から7月14日にかけて、中国の西寧と敦煌を旅行してきました。
今回は7月12日の後半から7月13日の前半、ヤルダン国家地質公園と陽関景区の観光について書きます。
旅程
7/6 瀋陽→蘭州(春秋航空)、蘭州→西寧(高鉄)
7/7 タール寺、青海蔵文化博物館、西宁电视塔観光
7/8 青海湖、チャカ(茶卡)塩湖観光
7/9 青海省博物館観光、西寧→敦煌(四川・南方航空)
7/10 敦煌博物館観光、又见敦煌鑑賞
7/11 莫高窟、鳴沙山月牙泉観光
7/12 敦煌古城、敦煌丝路遗产城、玉門関、ヤルダン(雅丹)地質公園観光
7/13 陽関観光、敦煌→蘭州(春秋航空)、中山橋付近観光
7/14 蘭州→瀋陽(春秋航空)
※当時は留学中の身でしたので、旅行の開始地点は遼寧省の瀋陽となっております。ご了承ください。
※当時の元/円レートは、1元=22円くらいです。
それではここからが本編です。
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こんにちは、7月12日の昼です。
今回は前回の続きから、ヤルダン国家地質公園と日を跨いで陽関遺跡の観光をしていきます。 -
16時過ぎ、ヤルダン国家地質公園(敦煌世界地质公园雅丹景区)に着きました。
ヤルダンというのは、長年にわたる侵食によって地面の柔らかい部分が削り取られ、硬い岩石部分だけが残された地形のことを言います。 -
チケット。
料金は入場料が50元、景区内の移動バス代が70元の計120元でした。 -
入り口の施設に小さな博物館が併設されているのでサクッと見ていきます。
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ヤルダンの形成についての説明です。
最初ヤルダンは雨風の影響を受けて徐々に地表の砂が削られていき、写真のような細長い岩石の群が形成されていきます。
それが進行していくと、高さ数十メートルもある大きな岩山のようなヤルダンが形成されます。 -
その岩山のような大きなヤルダンも時が経つにつれ徐々に小さくなっていき、小さな岩山のようなヤルダンから縦に長い棒のようなヤルダンへ、そして最終的にヤルダンは崩壊しその残骸だけが残ります。
この現象は数千、数万年の歳月をかけて発生するもので、ヤルダンはまさに時の流れが織りなす芸術品です。 -
世界のヤルダン地形。
地図を見る限り中央アジアやアフリカに多く分布しているみたいです。 -
ヤルダンの未来について。
先程述べたようなヤルダンの形成と崩壊が、長い時間のサイクルで繰り返されていくとあります。 -
ではそろそろヤルダンを実際に見に行きます。
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わかりにくいですが、これが景区内の地図です。
敷地内は非常に広大で、その形に応じて名前が付けられたヤルダンが各地に点在しています。 -
景区内は専用のバスに乗って移動します。
幾つかのヤルダンの近くに停留所が用意されているようで、降りたい人はそこで降りて自由に見学するといったスタイルのようです。 -
それでは出発です。
無数のヤルダンが窓を流れていきます。 -
まず最初に停車したのは金狮迎宾(金獅子の迎賓)という名前が付けられたヤルダン。(右奥)
金色の獅子が観光客を出迎えているように見えることからその名前が付けられたと説明にありました。 -
説明書きにあった写真を拡大してみました。
確かに獅子が座っているように見えないこともないかも? -
次のヤルダンに移動します。
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次に着いたのは狮身人面(スフィンクス)という名前のヤルダン。
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近づいてみました。
後ろの部分はともかく、前の部分は結構似てるかも。
自然の作用でこのような形になるのは面白いです。 -
再び移動して、カフェと売店がある休憩所的な場所に到着しました。
ここでトイレなどを済ませておいてとのこと。 -
ヤルダンという名前の由来について。
スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンがロプノールを探検した際にこの地形を見つけ、急な崖という意味のウイグル語をもじって「yardang」と命名したのが由来なのだそう。 -
休憩所の向かいにはヤルダン地形への道が用意されています。
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辺りの風景。
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所々で岩石が露出しています。
元はここにもヤルダンがあったのかも知れません。 -
孔雀玉立(孔雀立つ)という名前のヤルダン。
孔雀に見えるかはよくわかりませんが、上部分の突起した部分は非常に特徴的です。 -
再び移動。
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西海舰队(西海艦隊)という名前のヤルダンに着きました。
縦に伸びたヤルダンが1キロにわたって広がっており、それがまるで艦隊に見えるからその名前がついたそう。 -
小さな展望台があったので登ってみます。
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展望台からの景色。
これを艦隊に例えるユーモアは面白いです。 -
再び移動。
ここまで来ると他の乗客も疲れたのか、停車しても席を立つ人が少なくなりました。 -
最後に降りたのは砂地が広がっているヤルダン地形。
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ベンチに座って少し休憩。
最後の停留所なのでヤルダンを目に焼き付けておきます。 -
それでは景区の入り口まで戻ります。
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19時ごろ、景区の入り口まで戻ってきました。
同じような風景が続く観光地ではありましたが、一つのヤルダンが数万年単位の時間をかけて生み出されるものだと思うと、感慨深かったです。 -
車で市街へと戻ります。
実はこの後陽関(古代の関所)にも行く予定だったのですが、ヤルダン観光が予想以上に長引いてしまい行くのが難しくなってしまいました。
しかしそれではあまりに無念なのでドライバーに相談してみたところ、明日の朝290元で市街と陽関までの往復をしてくれることになりました。
予想外の出費ですが、悔いを残すよりはマシです。 -
すっかり空も暗くなった21時、夕食を食べに敦煌夜市にやって来ました。
思えば初日以外夜飯は全てここで済ませてしまいましたが、この夏祭りのような雰囲気にすっかり魅了されてしまいました。 -
驴肉黄面というロバ肉を使ったラーメンの店。
まぜそばスタイルかスープのあるラーメンスタイルかが選べました。 -
私はラーメンスタイルで注文、一つ28元でした。
小皿も付いてくるのはありがたいです。 -
この前も食べた白ネギを腸で巻き焼き上げた料理。
一本28元と値段は高いですが、夜市で食べた中ではこれが一番美味しかった。 -
羊串と同じくクミンと唐辛子と塩で味付けして食べます。
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新疆や中央アジアでよく食べられているポロという炊き込みご飯。
羊肉、サツマイモ、ニンジン等の具材と一緒に炊き込みます。 -
大きい羊肉も乗っていています。
私が新疆に旅行した時、何度も食べた料理です。 -
それでは歩いてホテルに帰ります。
敦煌最後の夜らしく特色料理が食べられて良かったです。 -
いつもはここら辺で旅行記を切るんですが、尺の都合上明日の陽関観光を終えるまではこの旅行記でやってしまうことにします。
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おはようございます。7月13日の朝です。
先程言った通り、昨日のツアー運転手のタクシーで陽関へと向かいます。
また観光を終えた後は、午後の飛行機で蘭州へと向かいます。 -
11時10分、市街から1時間程で陽関景区に着きました。
陽関は漢代に設置された関所で、かつては玉門関と並んで中原王朝と西域の国境とされていました。
主にシルクロードの南側ルート(西域南道等)を通る際に用いられたといいます。
関所自体は現存しておらず、現在は烽火台(狼煙をあげて情報を遠方に伝える施設)と壁の跡が残っているだけです。 -
陽関景区の地図。
手前の城壁の中に小さな博物館やオフィスなどがあり、烽火台はそこからカートで5分ほど移動した少し離れた場所にあります。 -
チケット。
料金は景区の入場料が50元、カート代が20元の計70元でした。
それでは景区へと入ります。 -
まず景区に入ると立派な城壁と櫓があり、この中に広場と小さな博物館が併設されています。
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壁沿いには対城壁用の兵器のレプリカが置かれていました。
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入ってすぐの広場。
右側には丝绸之路厅(シルクロード館)、左側には(2つの漢の関所館?)という名前の小さな博物館が併設されています。 -
広場の中央には張騫の像があります。
非常に勇ましい様子です。 -
では博物館を軽く見ていきます。
まずは丝绸之路厅の方からです。 -
玄奘三蔵が旅をしたルート。
玄奘がインドでの旅を終え西域南道を通って中国に帰国する際、この陽関を通ったとされています。 -
お馴染みのシルクロードの地図。
シルクロードは東西だけでなく南北にも伸びる経済圏でした。 -
ラクダとソグド人商人?の像。
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いずれも写真ですが、左上二つが莫高窟にある壁画で、右上が于闐(ホータン)王と曹元忠の関係を表す文書、右下が新疆のダンダンウィリク遺跡で見つかった版画です。
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莫高窟の写真。
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次に两关汉塞厅の展示です。
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敦煌は元々烏孫、月氏と言った遊牧民の居住地でしたが、秦末の混乱に乗じて匈奴が台頭し、河西と西域を支配するようになりました。
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張騫の旅のルート。
紀元前206年に成立した前漢は中華を統一し、のちに領土拡張と交易路の権益を得るため河西と西域へと勢力を伸ばそうとしました。
しかし当時は強力な遊牧国家匈奴が支配しており、前漢は大月氏と同盟を結び匈奴を挟撃するための使者として張騫を派遣したのです。(同盟締結には失敗するも、貴重な西方の情報をもたらした。) -
霍去病による河西回廊の制圧ルート。
それまで匈奴が支配していた河西も、紀元前121年の霍去病の出征以降は前漢が支配するようになり、道中には武威・張掖・酒泉・敦煌の4つの郡が置かれました。 -
河西に建設された長城について。
紀元前121年から紀元前101年にかけて、現在の甘粛省蘭州市永登県から西域のロプノールの間に1600kmの長城が建設されました。
これは河西漢長城と名付けられ、対匈奴用の防衛と輸送・通信システムを担っていました。 -
敦煌市のジオラマ。
では博物館はこのくらいにして、烽火台へと向かいます。 -
向こうの小山の方に烽火台があります。
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唐代の詩人王維の像がありました。
彼は官僚として活躍する一方詩人としても有名で、陽関を舞台にした「送元二使安西(元二の安西に使ひするを送る)」という以下の詩を残しました。
渭城朝雨浥轻尘,客舍青青柳色新。
(渭城に降る朝の雨は軽い土埃を濡らし、宿の前にある柳は青々として鮮やかである。)
劝君更尽一杯酒,西出阳关无故人。
(さぁもう一杯飲んでくれ、西の方陽関を出づればもう知り合いなどいないのだから。)
この詩は彼の友人である元二なる人物が都から遠く離れた安西(現在の新疆ウイグル自治区のクチャ)に赴く際、都の端にある渭城(現在の威陽)で別れを惜しんで詠まれたとされています。 -
カート乗り場にやってきました。
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では出発。烽火台まではたった5分ほどです。
砂利道なので結構揺れました。 -
烽火台の近くに着きました。
奥に見える小高い丘の上にあります。 -
これが陽関の烽火台です。
狼煙を上げるために使われたからか、目立ちやすい地面が盛り上がった小山のような場所の上にあります。 -
烽火台は武帝時代の紀元前104年から紀元前101年の間に築かれました。
現在では雨風に晒された結果4.7mの高さしかありませんが、当時はもっと立派で西と東を行き来する旅人旅の目印になっていたに違いありません。 -
烽火台の様子。
周りは柵で囲まれており、近づくことはできません。 -
一周しながら色んなアングルで撮ってみます。
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柵のギリギリから撮った写真。
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近くの岩山に登って遠くから撮った写真。
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周りの風景。
赤茶色の岩山が広がっています。 -
南西方向の写真。
この向こうにはクムタグ砂漠があり、そのもっと向こうには若羌(チャルクリク)、且末(チャルチャン)、于闐(ホータン)といった都市があるように、西域南道の交易路が伸びていました。 -
近くには遊歩道もあり、砂漠の景色を楽しめました。
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帰り際にまた詩の碑石が有りました。
これは王翰という人物が読んだ「涼州詩」という詩で、前回紹介した王之渙のものと並んで涼州詩の双璧と称されています。
詳しい説明は割愛しますが、前半の2句では西域産の葡萄酒の趣と美味しさについて語られ、後半の2句では2度と故国に戻ってこれないかもしれない兵達への同情と哀れさが語られています。 -
それではカートに乗って入り口の方まで戻ります。
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出口へと向かいます。
途中弓の射撃体験?と土産屋が置かれていました。
景区を出ると、ドライバーの提案で近くで食事をとることになりました。
時刻は既に13時、ちょうど飯時です。 -
景区を出てすぐの場所にある「西出阳关有故人」という店にやってきました。
お気付きだとは思いますが、先程紹介した王維の詩が店名の元ネタになっています。
しかし元の文の「无故人(客無し)」よりも、こっちの「有故人(客有り)」の方が店にとっては都合の良いわけです。(笑) -
野外で食べるスタイルで、非常にのどかな雰囲気です。
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醸皮という敦煌の特色料理。
食感はツルッとしていて、味は酸味が効いていてさっぱりした感じです。 -
揚げたジャガイモ。
クミン・唐辛子と香味野菜で味付けされていました。 -
それでは車に乗って市街に戻ります。
既にホテルのチェックアウトも済ませており、スーツケースも車のトランクにあるので、このまま空港まで連れて行ってもらうことになりました。 -
途中鳴沙山の近くを通り過ぎました。
遠くからでもよく見えます。 -
陽関から1時間15分ほどで敦煌莫高窟空港に到着です。
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それでは中に入ります。
私が乗るのは16時55分発の蘭州中川空港行きの便です。
といったところで今回はここまでです。
今回は貴重なヤルダン地形と陽関烽火台を観光することができました。
敦煌での観光はこの回で終え、次回は蘭州を経由して私が留学している瀋陽へと戻ります。
次回は最終回、敦煌→瀋陽編(蘭州編)です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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